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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第三章 再来の王都

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第三章1  『穏やかな早朝』


「――こっち、こっちじゃ! 早うせんと、追いつかれるぞ」

「わか、わかってるっつの、ちょい、タンマ……っ」

 腕を引かれ、足場の悪い道を駆け抜ける。
 細い路地だ。昼下がりにも関わらず太陽光は届かず、うっすらと暗い道は逃げ込む二人を拒むように、複雑な隘路を形成していた。

 土地勘がないスバルにとって、この状況はあまり好ましくない。
 せめて先導する人物がわかって道を選んでいることを望むばかりだが、

「ずんずん暗い方に入ってっけど、道わかってんのか!?」

「――わからん!」

 いっそ清々しいほどの声量で言い返され、スバルは「やっぱり……」と絶望的な気分で額に手をやる。
 予想はついていた返答だ。なにせスバルの手を引く人物の装いは、それこそこんな路地裏の空気に親しんでいるとは思えないほど華美なものであったから。

 ひらひらと高そうな素材の赤いドレス。きらきらと光に乱反射する首飾り。覗く肌は白く艶やかな美しさを保ち、それ相応の育ちでなければあり得ない。
 なにより、その鮮やかな橙色の髪の彩りが、その存在の高貴さと、貧民街などという場所とは縁遠い快活な存在感を彼女に主張させているのだ。

 改めてその容姿を確認し、スバルは厄ネタを抱え込んだと再確認する。
 背後、複数の足音が二人を追ってきているのがわかり、足を止めて落ち着く時間を取らせてもらえる状況でもない。

 どうしてこんなことになったのやら――。

 息を切らせ、肺の痛みに顔をしかめながら、スバルの胸中はそんな疑問に埋め尽くされていた。

 ――事態はスバルの疑問から、約二日ほど前にさかのぼる。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ――ナツキ・スバルにとって朝というのは寝る時間のことであり、少なくとも精力的に活動しているような時間帯のことではなかった。

 朝の麗らかな日差しを浴びると溶ける、は言い過ぎにしても、体を構成するナツキ・スバルDNAが死んでいく感覚は事実としてあった。
 そんなスバルにとって、早朝の日差しを浴びながら、大勢の前に立ってラジオ体操をしている現実というものは、ほんの一ヶ月前までは想像もしていなかった事態だ。

 ――それを言い出せば、そもそも異世界召喚されたこと自体が想定外なのだが。

 強く頭でも打ったとしか思えないほどの変貌。実際、ちょっと考え方変わってもおかしくないぐらい頭を強打してきた記憶はあるので否定し切れない面もある。
 ただそれらを加味しても、それほど不本意な状況でない心持ちなのも事実だった。

「あい、最後に腕を天に伸ばしてフィニッシュ――ヴィクトリー!」

「「ヴィクトリー!!」」

 両手を掲げて締めの台詞を口にするスバルに、大勢の声が追従してラジオ体操終了。歓声が上がるのを聞きながら、スバルは額に浮く汗を軽く拭って前を見る。
 正面――スバルを取り囲むようにいるのは、ロズワール邸にもっとも近い村の住人たちだ。おおよそ、半分ほどが集まっているだろうか。

 軽い気持ちで始めたラジオ体操だったのだが、これが思いのほか異世界人の琴線に触れたらしい。今や村の中では一大ムーブメントを巻き起こしており、三日坊主に定評があるスバルもやめるにやめられない状況に追い込まれていた。
 もっとも、

「スバルー、体操終わった!」「スタンプ、スタンプ押して!」「イーモ! イーモ!」

「だぁぁ! 朝っぱらからわらわら集まんな、うるせぇ! マジ元気だなお前ら、若いって素敵! 焦んなくてもスタンプは逃げねぇよ、並べ並べ」

 寄り集まってくる子どもたちに馴れ馴れしく接されて、それに応じるスバルの表情には苦笑がきっかり刻まれている。が、そこに否定の要素は見当たらない。
 子どもたちが指示に従って、スバルの前に綺麗に直線で並ぶ。それを見届けるとスバルは満足げに頷いてから振り返り、

「んじゃ、エミリアたん、お願い」

「――はいはい、どうぞ」

 真後ろに立っていたエミリアが、手にしていた小袋をスバルへと手渡し、苦笑とも微笑ともつかない形に唇をゆるめていた。
 手渡された包みを開くと、中から出てくるのは細巻き程度のサイズに削られた生の芋だ。その細い芋の登場に子どもらが黄色い声を上げ、スバルはその甲高い嬌声に応じるように芋を掲げ、

「よし、じゃ、押すぞー。出せ出せぃ」

 袋に一緒に入れてあったインクの容器に芋の先端を付け、その先端を並んだ子どもたちが差し出す紙へと押していく。と、浮かび上がる絵に子どもたちが喜色満面の様子になるのを見ながらエミリアが、

「お芋の平らな面を削って、芋判ね。スバルってホント、変なことばっかり思いつくんだから」

「インク付いた表面削れば非常食にもなるし、意外とこの絵にもセンス出るよな。ちなみに今日のは力作――『月曜日のパック』だ」

 紙に押されて浮かぶのは、どこかアンニュイな雰囲気を醸し出すデフォルメされた小猫の絵だ。かなり特徴を捉えているので、見る人が見れば一発でモデルが誰なのかわかる。というか、名前そのままタイトルに付けているが。

「……ホントにびっくり。パックにしか見えない。スバルって、絵がうまいのね」

「まぁ、ありあまる時間を浪費して、絵の練習した経験が活きてんな。途中であっさりと投げたから基本だけだけど」

 一端のオタクなら一度は通る絵の修練の道。そこから自らの画風を確立し、絵師として名を馳せていけるかは水の向き方次第。ちなみにスバルには無理だった。

「俺にできることはこうして、芋判の風習もないような世界で芋に猫の絵を彫って、いたいけな子どもたちにちやほやされる程度がお似合いだ」

「なんだかすごーく嫌な感じの言い方なんだけど……それに、この絵のパックもどことなく元気が足りない気がしない?」

「言ったろ、『月曜日のパック』って。また一週間がこれから始まる……という憂いを秘めた感じを演出してみた。このへたっとした耳がポイントでさぁ」

 エミリアの感想にスバルは己の意欲作を力説。その間にもせがまれては子どもたちの差し出す紙に芋判を押し、ラジオ体操の参加の証を積み立ててゆく。
 夏休みのスタンプラリーを踏襲して、スバルが考えたちょっとしたお茶目だ。芋判は毎日、寝る前にスバルが新しいものを彫っているので、どんな絵が押されるのか楽しみにしている子どもたちも多い。
 妙なところで手先の器用さを発揮し、童心を引きつけるスバルであった。

 きゃいきゃいと喜ぶ子どもたちとひとしきり歓談し、明日のラジオ体操の約束を交わして手を振り別れる。
 大人参加組の面々とも軽口を叩きながら、エミリアを伴い屋敷への帰途へ。

 最近はもっぱら、こうして早朝の時間を村で過ごすのがスバルの日課だ。
 その背景には、まだイマイチ体の調子が戻り切っていないため、朝の屋敷の作業になかなか参加できないという面もあるのだが、その情けなさは割り切って、エミリアとの憩いの時間に使わせてもらおうという強かさがスバルにはあった。

「あー、ちかれたちかれた。エミリアたんも、毎度毎朝、付き合ってもらって悪いね」

「いいのよ。スバルもまだ体調が完璧ってわけじゃないし、ラムやレムにはお屋敷の仕事がある。私も、こうしてるのって嫌じゃないし」

「嫌じゃないって、俺と一緒に朝を過ごすこと!?」

「ぶー。今まで接点がなかった村の人と関わること。これまではちょっと、自分で線を引いちゃってたかなって思うから」

 鼻息荒いスバルの言葉をすげなく断ち切り、それからエミリアはかすかに照れ笑い。被ったフードの下、白い横顔に朱が差し込むのが見えて、その愛らしさに思わずスバルは頬に血が上るのを感じていた。

 現在のエミリアの格好は、初めて王都で会ったときの装いに近い。スカートの短い軽装の上から、鷹っぽい刺繍の入った白いローブを羽織り、フードですっぽりと美しい銀髪を包み込んでしまっている。
 一方、隣に立つスバルの装いは薄汚れた安っぽい灰色のジャージ姿だ。異世界突入のときからの仲で、かなり状態が悪かったものがレムの手によって修繕されて戻ってきた。もっとも、一部のほつれはスバル自身の手で縫合されたものだが。

 自分とエミリアの服装、容姿、その他もろもろのスペックを見比べて、内心ではため息しか浮かんでこない。
 釣り合うためにこちらは必死だ。まず、土俵にしがみつくことから始めなければならない立場なのだから。

「それにしても……」

 感慨に押し黙るスバルに代わり、話題の口火を切ったのはエミリアだった。
 彼女は手を両手で組んだまま上体を前に倒し、斜め下からスバルを見上げて、

「ずいぶんと、スバルも村に馴染んだよね。ひょっとしたら、ラムとレムの二人よりも有名人なんじゃない?」

「まぁ、ある種、俺ってば子どもたちを助けた英雄みたいなとこあるしね! 救いのヒーロー的な感じでひとつ、語り継がれることもあるやもよ?」

 冗談めかした言い方ではあるが、事実、それだけされてもおかしくないだけの仕事をスバルはしており、イマイチ冗談になっていない。
 が、エミリアはそんなスバルの茶化した言葉に「えーと」と口をつぐみ、唇に指を当てながら小首を傾け、

「救いのヒーローとは、ちょっと違うかも」

「あ、やっぱ噂になってることはなってんのね。……でも、森の一件じゃなかったら他になんかあったかな」

 颯爽と、とは言いづらい救出劇だけに、そこまで賛美一辺倒な内容じゃないのかもいれない。と、そんなスバルの思惑は、しかし続くエミリアの言葉で斜め方向に外れていたのが発覚する。
 エミリアは小さく吹き出すと、桃色の唇をほころばせて、

「今のスバルの村での評判は、子どもたちを助けたヒーローっていうのもだけど、それよりも識者様っていう噂の方が強いみたいよ?」

「シキシャ……? 俺、楽団の統率とかできないよ? 音感ゼロだから」

 小学校の鼓笛隊で大太鼓に立候補し、見事に『叩いてるふりだけしていろ』という指示を全うした伝説の持ち主だ。音感ゼロの人間に大太鼓など恐れ多い。何故、途中でパートチェンジが入らなかったのか今でも謎。
 そんなお約束のボケに対してエミリアは「そうじゃなくて」と首を横に振り、

「知識人って意味の識者。愚かな賢者そのもの、ってムラオサさんが言ってるぐらい」

「それって褒め言葉に聞こえねぇな……勉強できるけどバカみたいなイメージ。っていうか、インテリっぽいこと俺なにかしたっけ……」

「マヨネーズ」

 指を突きつけ、端的にひとつの単語を口にするエミリア。
 その彼女の言葉にスバルは納得。先日の騒動以来、マヨネーズの波及率は非常に好調に推移している。ロズワール邸だけで扱うのはもったいないとの意見(主にエミリア)により、まず付近の村に現物と作り方が支給されたのだ。
 それがほんの数日で、かなりの反響を呼んでいるらしい。

 一マヨラーとしても、異世界にマヨネーズが確かな一歩を刻んだ事実は喜ばしいことであった。マヨネーズよ永遠であれ。

 しかし、

「マヨネーズのすばらしさが広まるのは俺的にも最高なんだけど……俺の絶体絶命からの逆転劇は白い恋人以下か……」

 ヒーロー扱いより、マヨネーズ伝道者としての名前が広まるというのは、つまるところ世間的評価はそういうことだということだ。
 なんともやりきれない気分で、スバルは肩を落としてげんなりとなってしまう。
 そんな彼の態度にエミリアは慌てた仕草でこちらの肩を叩き、

「あ、えっと、もちろん、子どもたちを助けたことだってみんな感謝してるわよ? でも、実際に森から連れ戻したのはレムだし、魔獣の森の最後の決着もロズワールが片付けちゃったって噂が広まっちゃって……」

 フォローも後半は尻すぼみ。
 その心遣いが痛いが、彼女の言い分がひとつも否定できない事実にスバル自身、振り返って驚きに包まれるしかない。

 子どもたちを連れ戻した件でも、スバルは全身噛まれて重傷で帰還しただけだし、魔獣の掃討に関しても、レムを正気に戻した以外はロズワール任せにして、あとはガス欠で寝ていただけだ。自分で自分にびっくりである。

「俺、思いのほかなんにもしてなかった!」

 ただばたばたしていただけだった。
 スバルなりに頑張ったはずの時間が否定された気分になり、ますます体が小さくなってしまうスバル。
 エミリアはそんなスバルにいよいよかける言葉を見失い、「えーと」とか「ほら、じゃなくて……」とか言いよどんだ挙句、

「もう、そうやってつまらないこと気にしないの」

「でもさぁ、エミリアたん……」

「スバルが頑張ってたこと、わかってる人はちゃんとわかってるもの。ロズワールだってラムだって、レムなんか特にそうじゃない」

 こちらをからかうような口調で言って、エミリアの人差し指がスバルの頬を突く。その鋭い感触にスバルが情けない目を向けると、エミリアは「まったく」と口にしてから少し小走りに前に出る。
 正面、振り返るエミリア。勢いでフードが後ろに外れ、長い銀髪が朝日にきらめいて背中を流れ落ちる。
 その幻想的な姿にスバルが足を止める。そして、彼女はそんなスバルの前で腰に手を当てて、まるで出来の悪い弟を叱るような態度で、

「私だって、そうだから」

「――へ?」

「スバルが頑張ってたこと、私だってちゃんとわかってるもの。だから、落ち込んだりしてちゃダーメ。わかった?」

 首を傾けて、「返事は?」とエミリアは問うてくる。
 その言葉に、呆けていたスバルは慌てて気を取り直し、激しく首を上下に振る。その反応にエミリアは笑みを弾けさせ、

「もう、今度はなに? 壊れたオモチャみたいな動きして。いっつもそうなんだから」

「いや、今のは狙ってやったわけじゃなくて……つか、狙ってやってないならエミリアたんの方が百倍卑怯だろ。どう足掻いても惚れ直すっつの……」

「はいはい。そうやって誤魔化すの、悪い癖だと思いまーす」

 こちらはこちらで本音トークなのだが、微笑みのエミリアは聞く耳を持たない。流れる銀髪を片手で後ろに梳く隣に並び、スバルは絶対に彼女には敵わないと改めて思う。

 こうして隣り合って歩くのはもう何度目になるのかわからないぐらいなのに、毎度毎回、違った新鮮さをエミリアにスバルは感じる。
 一度として同じエミリアはいない。今日を逃せば、今日の彼女に出会える日は二度と巡ってこないのだろう。時間を惜しいと、明日が楽しみだと、そんな風に日々を過ごすことがあるとは思ってもみなかった。

「精力的に働き、意中の女の子と関係を深める――なんと健康的な生活。もはや俺をひきこもりなどと誰も呼べまい!」

「そうやって強がるのは男の子だから仕方ないけど、ちゃんと体のことも気遣わなきゃダメなんだからね。今、無理してもいいことなんてなにもないんだから。素直にレムとラム……ほとんどレムだけど、その厚意に甘えておくこと」

 斜め方向に迸るスバルの気合いに、エミリアは若干の勘違いを添えて苦言を呈す。
 彼女の中だと、スバルはかなり品行方正な好青年的ポジションを勝ち取ってしまっているらしい。無理を押して、勤労に勤しんでしまいかねない程度には。
 もちろん、真実のスバルはそんな勤労意欲とは程遠く、働かなくても暮らせるなら働かないで一生食っちゃ寝して生きていきたい性格だ。

 もっとも、わざわざその好意的勘違いを訂正するほど実直でもないのだけど。

 そうこう話している間に、道の向こうにロズワール邸の頭が見え出してきた。こうなるともう辿り着くまではほんの数分――楽しい朝の歓談も、終わりの時間が見えてきてしまう。

「話してるとあっという間に……って、急にゆっくりになってどうしたの?」

「この時間が名残惜しい俺の女々しい抵抗――牛歩戦術。もっとこう、この早朝の清々しい空気を水入らずで楽しまない? 誰と? 俺と!」

「あんまり遅くても二人の不興を買うと思うけど……無理はしちゃダメって言ったけど、決められたことは守らなきゃ。私も精霊との誓約があるしね」

「正論言われると弱ぇなぁ、俺。……パックも起き出しちまうと、いよいよ邪魔者なしでエミリアたんとイチャラブトークできるタイミングねぇんだよな」

 精霊術師としての制約、そのあたりのことを引き合いに出されると弱い。
 内心では血涙を堪えての心情ながら、スバルはそのあたりを表情の裏に隠し、

「わかった……戻ろう。……クソ、もっと、うまいことやれたはず……ッ!」

「なにがそんなに悔しいのかわからないけど、時間が空いたら聞いてあげるから拗ねないの、もう」

 そろそろスバルとの相対ではお馴染になってきた仕草――困ったように微笑みながら、唇に指を当てるエミリアにまたもや見惚れる。
 と、そんなスバルの目の前でエミリアが「あれ」と小さく呟く。

「屋敷の前に……竜車が止まってる」

「んん?」

 呟きにつられて彼女に視線を合わせ、スバルもまたその存在を認めて目を細めた。
 ロズワール邸の正門前、そこに一台の『馬車風』の乗り物が寄せられているのだ。『馬車風』と形容したのは、一見してそれがスバルの知識の中の『馬車』とは違うものであると判断がついたためである。

 なにせ、車体を引く生き物が馬ではなく、馬ほどもあるトカゲなのだ。
 なればそれを馬車と呼ぶことはできず、馬車風と表現するしかないことは許してもらいたい。
 そして、そんなとんでもな見た目の乗り物にもスバルは見覚えがあった。

「確か、王都とかでもわりと普通に通りを横切ってたよな」

 異世界召喚初日、市場に面していた通りで、砂煙を盛大に巻き上げながら駆け抜けるその姿は記憶から忘れ難い。馬車という単語が通じることから、馬がいることは確認できているが、こうしてトカゲが引いていることを目撃する機会が多いとなると、こちらの生き物の方がスタンダードなのかもしれない。

「聞き間違いじゃなけりゃ、アレを竜車って呼んだ?」

「……? ええ。地竜が車体を引っ張るんだから、竜車で当然でしょ? え、嘘、まさかこれも私の常識間違い? 正式な呼び方がちゃんとあるの?」

 知識ゼロのスバルの問いかけに応じて、それから自分の知識の曖昧さが恐ろしくなったらしいエミリア。スバルの言葉を深読みして慌てる彼女に、「いやいや」とスバルは手を振りながら、

「俺の方が知識不足なだけ。たぶん、エミリアたんが正しいって、自信持とうよ」

「ホントに? からかってない? ちゃんとした場所でうろ覚えの話して、変な恥とかかけないんだから。嘘言ってたら、ぶつからね」

「ぶつって、きょうび聞かねぇな……」

 話している間に、件の竜車の前へと到着してしまう。
 近づいてみるとかなりリアルなでかさに驚かされるトカゲ。そして、トカゲの引く荷車――人を乗せるのを目的とした車体の御者台、そこには御者らしき人物が腰掛けており、近づいてくる二人に気付くと即座に同じ地面に降り立ち、

「おかえりなさいませ。ただいま、門の前を失礼させていただいております」

 老紳士――と呼ぶのがふさわしい振舞いの御者に、自然とこちらの背筋も伸びる。こうした人物を連れている以上、竜車の乗客もそれなりの身分の人物だろう。
 ちらと中を覗くが、個室の窓から見える中には人影はいない。つまり、

「使者はすでに屋敷の中に。今はメイザース辺境伯にお目通りしているかと」

「これはこれはご丁寧に。というか、じろじろと盗み見してお恥ずかしい。なにぶん、あんまり場馴れしてないもんで大目に見てやってつかぁさい」

 あまりに清廉とした受け答えにてんぱり、スバルの応答は丁寧そうな皮を被ってメチャクチャだった。が、隣のエミリアはスバルの答えに「やっぱり言葉遣いちゃんとできるのね」ぐらいの眼差しを作っており、自分と彼女の社交界レベルの低さをスバルに痛感させていた。

 そうして押し黙るスバルに代わり、エミリアは前に出て御者に向き直ると、

「使者って言ってましたけど……ひょっとして?」

 主語のない問いかけに、しかし御者は心得ているとばかりに腰を折って、

「エミリア様のご想像されておりますとおり、王選に関してのことでしょう」

 王選、という単語の出現にスバルは顔を上げる。
 ここしばらく、耳にすることすら遠ざかっていたキーワードだ。

 エミリアが自然と表情を引き締め、スバルが雲行きの怪しさに眉を寄せる。それらの反応を目前に、老紳士は腰を折った姿勢のままで続けた。

「正式には使者からお話があることと思います。どうぞ、お屋敷へお戻りください」

「――呼び出し、かしら」

「それ以上は、使者の言葉をお聞きになってください」

 分を弁えた御者の答えに、エミリアは「わかりました」と固い顔のまま顎を引く。そして、

「――いきましょ」

 短く言い切り、スバルの方に振り向くことすらせずに歩き出す。
 屋敷の入口、そちらに向かってだ。

 慌て、スバルもまた彼女の背中に続いて小走りに駆け出す。
 最後にちらりと振り返る。

 ――御者はいまだこちらの頭を下げたまま、黙して二人を見送り続けていた。

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