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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第二章 激動の一週間

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第二章34 『魔女と精霊と魔法使いと』



 ――嫉妬の魔女サテラ。

 かつて世界を叫喚させた魔女を一掃し、奪い取った力で世界の半分を滅ぼし、世界中の全てのものから畏怖される超常の存在。
 その身は英雄の手で水晶の中に封じられ、今もなお滅ぼすことは叶わずに封印され続けているという。

 荒唐無稽な話だと、現代っ子感覚でスバルはそう思う。
 スバルの元の世界の常識に照らし合わせればあり得ない話だ。何百年にも渡ってその悪行が語り継がれるというだけならともかく、今もそんな存在が世界のどこかに眠り続けているなんて。

「まぁ、大統領の名前知らなくても国民的アイドルグループの一番人気の子は知ってるって時代だし、あんま当てにはなんねぇか」

 スバルはといえばそのどちらにも興味がないという、典型的な無味無感動な生活を送っていた筆頭だったのだし。

 そんな感想を思う傍ら、ベアトリスに語り聞かせてもらった内容を反芻し、スバルは頬杖を着きながら隣を見る。
 朝日の差し込む庭園で、緑の上に座るエミリアの周囲を淡い光が浮遊している光景があった。

 幾度繰り返されたとしても、その幻想的な印象を損なうことのないこの世の指折りの美観のひとつ――エミリアの朝の日課である。

 彼女の邪魔にならないよう、少しだけ離れたところで頭を掻き、執事服のスバルは込み上げる欠伸を噛み殺して吐息を漏らした。

 禁書庫でのベアトリスとの会談から一夜明けて、今は三日目の朝に突入している。昨日の日中を爆睡することで突破したスバルからすれば、まだまだ体の調子的には絶好の状態。
 深夜から朝方にかけてベアトリスに問いかけたいことが山ほどあったのだが、

「お肌に悪いからそろそろ寝るのよ。そもそも、お前に付き合わされたせいでこんな夜更かししてしまったかしら」

 と、青筋を立てて怒る少女に書庫を追い出されてしまったのだ。
 思い起こすと彼女はずっとあの部屋にいるが、あの部屋のどこで睡眠をとっているのだろう。書架を除けばベアトリスの定位置である脚立と、スバルが時たま腰掛けている机が一組み。それ以外にめぼしいものが見当たらない場所だ。
 まさか地べたに直接、とは彼女の性格上あり得ないが。

「部屋とか持ってんのかな。そのわりに一度も出くわしたことねぇぞ。別にあんな幼女にラッキースケベとか期待しねぇけど」

 内緒にされているのなら面白くない話だ。
 今度、機会があればこっそりとベアトリスの一日を追いかけることにしようと思う。
 ループを抜けて、屋敷での生活が平穏に過ごせるようになれば。

 ――またひとつ、前向きに頑張る理由ができてスバルは唇をゆるませる。
 と、

「ずいぶん、いい顔をするようににゃったね」

 声をかけられ、顔を上げる眼前に灰色の毛玉。
 もとい、ピンクの鼻をした小型の猫が浮いていた。パックだ。
 彼は普通の猫がするように、短い手で顔を洗う仕草をしながら、

「昨日は正直、見ていられなかったからね。ちょこっと安心したよ」

「そっか、心配かけて悪かった。でも、まだまだ全然立ち直れていない俺のナイーブハート。それをお前に慰めてほしい。具体的にはモフモフモフモフ」

「まあ、そのぐらいの虚勢なら大丈夫かな。よかったよ。リアも膝を貸した甲斐があったってことだ」

 掌サイズの猫を引き寄せて、思うさまにそのモフっ子ぶりを堪能する。前回は耳の脅威に気付いたが、今回の着目点は尻尾。特に先っぽと付け根のあたりのモフりランクの高さに気付く。
 指先に至高の感触を得ながら、モフモフに鼻の下が伸びるスバルは黒い眼に視線を合わせ、

「ひょっとして、お前もあの膝枕見てた?」

「あれだけ長い時間やってればね。何時間も正座は大変だろうし、何回か交代しようって言ったんだけど……安心していいよ。リアは最後まで役目を譲らなかった」

 太鼓判を押してくれるパックに、スバルは思わず羞恥で頬を赤くする。そんな反応を見せるスバルにパックは、

「えい」

「痛――ッ!? なんで今、俺引っかかれたん!?」

「女親としてのボクは微笑ましいと思ったんだけど、男親としてのボクは君に言葉にはし難い不快感を抱いたんだよ」

「女心と男心の合間に揺れてんのか、お前も複雑だな!」

「可愛い娘を持つと親は大変なんだよ。あ、だからもうちょっとリアと座る距離を開けて開けて、ほら」

「露骨な妨害工作に出やがった! この距離が俺の譲れないラインだよ! 手を伸ばしても届かない感じが奥ゆかしいだろうがお願いします」

 平身低頭してどうにか許しを得て、現状維持をスバルは達成。
 それから改めてエミリアの方を見やる。彼女は精霊たちとの語らいに没頭しているらしく、朝の静けさをぶち壊しにするひとりと一匹のやり取りには気付いていないらしい。
 その穏やかで、時折はっとするほど美しく微笑む横顔を見ながら、ふとスバルは口の中だけで呟く。

「――銀髪の、ハーフエルフか」

 ベアトリスが語った、嫉妬の魔女の素姓のひとつだ。
 世界を震撼させ、誰しもに恐れを抱かれる魔女の出生。そこに共通点を持つということが、どれだけ生きる上で負担になることか。そういった感覚が身近でないスバルには見当もつかない。が、決して容易な道のりでなかっただろうと察することはできる。

 それでなお、あれだけ素直で真っ直ぐな性格に育ったのだ。可憐さを損なわない花としての生き方、それが叶っているのはおそらく、

「よっぽど周囲に恵まれたか。もしくは……」

「育ての親が良かったからだね。ふふーん」

 腰に手を当ててふんぞり返り、ヒゲに触れながらパックが笑う。
 感情の読める猫だ。今のひとり言と合わせて、スバルがなにを思って呟いたのかを明確に把握したのだろう。

 言葉の先手を取られて口を閉じるスバルに、パックは宙に浮いたままくるくると縦回転を始め、

「まあ、生まれ持ったあの子の性質が大きいけどね。語り聞かせるつもりはないけど、君が思ってる万倍あの子は苦労してる。――それでもああしているから愛おしいんだけど」

 反論、なんて欠片も出てこない。
 スバルがエミリアについて知らないのは事実で、その知らない日々をパックは彼女と共有している。そして、スバルが想像が届くのはどこまでもぬるま湯に浸り切っていた人間の想像の限界で、現実はそんな想像など軽々しく乗り越えて襲いかかってくる。
 運命に翻弄されるとき、人はそれほど無力になるのだ。この世界にきて何度も痛感させられたそれを、エミリアもまた幾度となく味わってきたことだろう。

「パックってさぁ、嫉妬の魔女って知ってる?」

「ボクは知らないことはあんまりないよ」

「んじゃさ、聞きたいんだけど……嫉妬の魔女の名前を騙るときって、どんなときだろうな。いや、騙るっつーと人聞きが悪いな。嫉妬の魔女の名前を借りるときってった方がいいか」

 脳裏、蘇るのは召喚初日の際のループの出来事だ。
 初回も初回、一番最初の出来事を振り返る。あのとき、エミリアはまだ無知なスバルに対して己の名前を『サテラ』と偽った。
 そこの真意がどこにあったのか、ぼんやりと想像はついているが、スバルはそれを他者に肯定してもらいたかった。それがほかならぬ、彼女の一番の理解者であるのならばさらにいい。

 スバルの質問の意図がわからず、しばし沈黙していたパックがゆっくりと口を開き、

「どちらにしても、命知らずなことだと思うよ? いまだに魔女への恨みつらみを抱える人々は後を絶たず、その心に刻み込まれた恐怖や絶望もまた消えることはない。そんな中で魔女の名前を騙るなんて真似は、頭がおかしいとしか言いようがにゃいかな」

「それ、いただき」

「?」

 指を突きつけられ、疑問符を浮かべるパック。
 そんな彼を置き去りに、スバルはパックから自分の推論を肯定できる意見がもらえて内心でガッツポーズ。
 そう、あの時点で魔女の名前を騙るなど、頭がおかしい奴扱いされるのが当然の理なのだ。たまたまスバルが常識外れに常識知らずだったからそうはならなかっただけで、普通はそうなる場面だ。
 ならば、何故エミリアはそうなるとわかってそう名乗ったのか、

「頭おかしいって不気味がらせれば、徽章探しなんて危ない真似に相手を巻き込まなくて済むもんな」

 遠ざけようと、そう思ってくれていたのだろうと思う。
 すでにそう取り計らったエミリアの思いは次元の彼方へ消え、そのやり取りを知っているのはスバルしかいない。そして、そのスバルにも彼女の真意を尋ねに行く機会は永遠にないのだ。
 しかし、そう思うしかない。そう思ってしまえば、それが結論だと信じ切るだけのものをスバルは彼女からもらっていた。
 つまるところ、

「エミリアたんマジ弥勒菩薩」

「人のことをよくわからないものと一緒にくっつけないの」

 次元を超えてエミリアの慈母っぷりを確信していたスバルに、当の本人が苦笑しながら近づいてきていた。
 すでに精霊との歓談を終えたのか、彼女の周りを浮遊していた淡い光たちの姿はない。代わりに、今の今までスバルの傍らを遊泳していたパックが彼女の肩に乗り込み、

「定位置定位置。やっぱりここが一番落ち着くね」

「はいはい、お帰りなさい。いつもごめんね。でもパックがいると、他の精霊の子たちが委縮しちゃうから」

「精霊委縮させちゃうって恐れ多いの通り越して半端ねぇな。まるでパックが偉いみたいな勘違いが発生するぞ」

「ふふーん、偉いんだよ、こう見えてもボク。もっと尊ぶことを要求する! 具体的には貢物は煮干しでどうかにゃ」

「猫まっしぐらじゃん……」

 ピーカブースタイルで頭を振り始めるパック。その灰色の頭を指で撫でて、それからエミリアは改めてスバルと向き合う。
 眼前、美貌が正面に立つのを意識すると、思わず彼女から視線をそらしてしまいそうになる自分にスバルは気付く。

 罰が悪いのだ。当たり前だが。
 なにせ膝枕してもらって号泣し、数時間も頭を撫でられた上での離別。そこからたったの一晩しか経っていない。
 どの面下げて彼女に会うのが正解なのか、本当なら枕抱えてベッドの上で転がり回って悩みたい心境だった。
 それでも会いにきてしまうあたり、スバルの病状は深刻だ。深刻なエミリア中毒状態。もはや彼女なしでは生きられぬ。

「えっと、なんだか気恥かしいわね。……体調とか、大丈夫?」

「中毒症状が出てたけど、今まさに解消してもらったとこだからばっちり。エミリアたんこそ……その、なんだ。色々と、ごめ……」

 謝罪を口にしかけて口ごもり、スバルは言葉を飲み込むと言い直す。

「色々とありがとう。頭と心がもやもやラビリンスだったけど、ちっとはマシになったかなーと思わなくもなかったり」

「吹っ切れてるわけじゃないみたいだけど、吹っ切ろうって思えただけ前進ね。うん、少しでも手伝えたならそれでいいの。また、擦り切れそうになったら言ってきなさい。お姉さんが優しくしてあげるから」

 胸に手を当てて、こちらをからかうようにエミリアが笑う。
 それもまた、スバルの罪悪感を軽くするための思いやりなのだろう。年上ぶるのがすごく嬉しい、みたいな顔を見ていると、なんだか本心で言っているような気もしてその考えが少し揺らぐが。
 ともあれ、

「元気ならそれが一番。今日はお仕事頑張らなきゃだもんね。変な時間に寝ちゃったけど、眠かったりしない?」

「それはご安心。俺みたいなひきこもりは基本、日中寝てて夜中起きてるスタイルだから。最近がちょっと健全過ぎたな」

「たまに言ってるけど、そのひきこもりってなんなの?」

「部屋の中で練炭焚いて、ピンク色の髪の魔法使いが助けに飛び込んできてくれるか賭けに出る猛者のことだよ」

 それは正直、魂のステージがもうひとつ上の奴らの所業だが。
 スバルの語る内容の異様さにエミリアはちょっと引き気味に頷く。そんな彼女の反応を見ながら、ふとスバルは思い至り、

「魔法使いっていえば、エミリアたんもそうじゃんか。エミリアたんってどんな魔法が使える魔法使いなの?」

 どんな魔法が使えるの、なんてトークは異世界でしかあり得まい。思わぬファンタジックな内容を口にしてちょっと笑いそうになるスバル。が、エミリアはその問いかけに首を横に振り、

「私は魔法使いとは厳密に言うと違うの。私の場合はパックとの契約もそうだけど、精霊使いだから。使うのは魔法じゃなく精霊術。原理としてはほとんど一緒だけど」

「魔法使いと、精霊使いって違うのか」

 首をひねり、彼女の肩の上に座るパックを見やる。話の焦点が自分に向いたことに気付くと、小猫は自分の腹あたりの毛を弄りながら、

「魔法使いは自分の体の中のマナを使って魔法を使う。逆に精霊使いは大気中のマナを使って術を使う。起こせる内容は似通ってても、そこに到達するまでの道のりがだいぶ違うんだよ」

「それって、どんな違いになるわけですか、先生」

 手を上げ、講師役のパックに質問を投げかける。
 猫は姿勢を正すと、気を良くしたように頬を緩ませながら、

「ゲートを用いるかどうかの違いにもなってくるから、かなりこの違いは大きいよ。魔法使いの場合はゲートの大きさと数が、そのまま魔法使いとしての資質に関わる。けど、精霊使いの場合はそれがあまり関係ない。ゲートと無関係に、外のマナを使うから」

「ゲートを通じて外からマナを取り入れて、中に溜めたマナを使って魔法を使う。んで、精霊使いにはそれがないと」

 パックの説明を自分の中で噛み砕きながら、スバルは途中で「ん?」と感じた疑問に首を傾け、

「いやいや、それだと一方的に精霊使いが有利すぎるだろ。つまり魔法使いは燃料を内部貯蔵だけど、精霊使いは燃料は外部から持ち込み放題……MP無限ってまともな勝負にならねぇよ」

「理解が早いね。でも、そんな都合のいい話にはならないのさ。大気に満ちるマナは無限ではないし……」

 言葉を切り、パックは視線を上げてエミリアを見る。その視線を受け、彼女はその続きを引き取るように、

「精霊使いの扱える術の強さは、使役する精霊の力に依存するから。そもそも、精霊との契約自体もあまりないことみたいだから、魔法使いと比較してどっちが優れてるってわけじゃないと思う」

「ふむ……でも、強力な精霊と契約してたらかなりいい感じなわけだろ? エミリアたんも、パックって実はかなりすごい方だべ?」

「まあ、上から数えた方が早いのは否定しないかにゃー」

「お前、おっとりしてるようで言うときは言うっていうか……自分を貫くことに関してはぶれねぇな」

 自我が強い点に関しては一家言あるスバルだが、それでもパックの揺れなさには驚かされる。年季の違いだろう。青二才と大精霊様では、それこそ培ってきた年数が違う。

 そのわりには褒められ慣れてないのか、だいぶ嬉しげに照れ笑いなどしている大精霊。スバルはそんな彼を指差し、

「そーいや、パックってなんの精霊なんだ? 盗品蔵だとばんばか氷出してたけど……俺の記憶だと、そもそも氷って属性がなかったと思ったんだが」

 いつぞやの風呂場でロズワールから講義を受けた際、スバルが聞いたのは火水地風のオーソドックスな四種類。それに加えて、忌まわしき陰陽の系統のみだ。
 そのスバルの疑問に応じたのは、照れているパックの頭を撫でていたエミリアで、彼女は右の掌を上に向けると、

「氷なんだけど、これって実は火のマナなの。火は主に熱量に関わるマナだから、熱いのも冷たいのも大局的には火に分類されることになるわ」

 大気がひび割れる音がして、彼女の掌の少し上に氷柱が出現。
 カラーコーンぐらいの大きさの氷柱が鋭い先端をこちらに向け、ドリルのように回転し始める。

「他意はないのかもしんないけど恐いよ!? 俺が先端恐怖症ならおしっこちびるとこだよ!」

「あ、ごめんね。わかりやすく説明しようとしたらつい……出したのはいいんだけど、使い道に困っちゃって」

「それで無目的に威嚇行為って発想が危ないよ! 俺、お淑やかで可憐なエミリアたんが好きだなー!」

「はいはい」

 流すような相槌を打ち、エミリアが手を叩くと氷柱が霧散する。
 溶けたり砕けたりといった消え方ではなく、文字通りに粉のようになって霧散するのだ。
 不思議な原理もあったものだが、そのファンタジーさがスバルの好奇心を引きつけてやまない。
 そのうずうずとした感情が顔に出たのだろうか。黙り込むスバルを見ていたパックがふいに、

「ふむ、ひょっとして魔法使いたいの?」

「できんの!? 俺ねぇ! だったらねぇ! 極大消滅呪文……」

「いやできないよ。魔法にしても精霊術にしても基礎を舐めちゃいけないよ。魔法は一日にしてならず」

 いきり立つスバルの好奇心を真上から殴りつけてパックが腕組み。気勢を折られて肩を落とすスバル。それを不憫に思ったのか、パックは「でも」とヒゲを弄りながら、

「簡単な体験ぐらいならさせてあげられるかな?」

「それってーと?」

「ようするに魔法が使いたいわけだから、ボクかリアが補助すればいいわけだよ。スバルの体の中のマナを利用して、スバルを介して魔法を使用する。ボクたちからすれば使うマナが大気からかスバルからかって問題だし、魔法自体はスバルのゲートから出るよ。どう?」

「ちょっとパック、あんまり安請け合いしないの。危ないかもしれないじゃない」

 甘美なパックの誘惑を、相方のエミリアがたしなめる。彼女は純粋にその行為の安全性を気にしてのことのようだが、

「悪いな、エミリアたん。心配してくれるのは嬉しい。超嬉しいんだけど……でも、俺はやるぜ!」

 サムズアップして歯を光らせ、スバルはエミリアに会心の笑顔。
 その不安や懸念といった負の要素を全て排したスバルの態度に、エミリアは驚きを隠せずに幾度も瞬きし、

「ど、どうしてそこまで……?」

「危ないとわかっていても、危険とそう知れていても男にはやらなきゃならないときがあるんだ。……魔法使えるかもしれないなんて、こんなチャンスを逃したら異世界召喚された意味がねぇ!」

 拳を握りしめての魂の咆哮。
 今、スバルは異世界にきて初めてといっていいぐらいに昂ぶっている。これまでに異世界的な恩恵に与る機会が、美形ばっかりで目の保養ぐらいしかなかったスバルにとって、これを逸しては異世界は語れない。

 スバルの意気込みに反対しても無駄と悟ったのか、エミリアは「危ないと思ったらすぐ止めるから」と念押しして観念。
 その忠告を良い笑顔で受け止めて、スバルは改めてパックに向き直り、

「まずなにしたらいい? 魔法陣書いたりとか、生贄にベア子捧げたりしなきゃダメか?」

「ベティーと仲良しみたいでなによりだよ。そうだね、まずはスバルの属性を調べてみようか。なんの魔法が使えるのか、そこから知らなきゃ始まらないから」

 パックの提案を聞いて、それまで晴れやかだったスバルの表情が一瞬で曇る。その顕著な反応にパックは黒い眼をパチクリさせたが、スバルはそれに「いや」と手を振って曖昧に、

「オレノゾクセイハキット『火』ダヨ?」

「どうして急に片言?」

 エミリアの質問にスバルは鈍い音が鳴りそうなほど、ゆっくりと首を軋ませながら横に振る。それ以上は思い出したくない。
 が、パックはそんなスバルの思いも余所に、エミリアの肩から飛び立つとスバルの顔の前に浮遊し、

「じゃ、失礼」

「ふわぅ、なにこの新感覚」

 小さな身の丈に匹敵する長さの尻尾を伸ばし、その先端をスバルの額へと当てる。おそらく、スバルの体の中のマナを調べているのだろう。
 以前、エミリアと以心伝心していたときには額同士を突き合わせていたと思ったが、その扱いの違いよりエミリアと額を合わせられていた幸運が嫉ましく思えた。

「などと誤魔化しても現実は変わらず……いや待て待て、俺らしくポジティブに考えてみようぜ。思い返せばロズワールのあのときの態度は不自然だったんじゃないか? そう、奴は俺の中に眠る魔法使いとしての類稀なる才能に嫉妬していた。オウ、Shit! そう奴は俺に嫉妬したんだ。だからあることないこと吹き込んで、輝かしい俺の魔法使いとしての道を閉ざそうと……」

「珍しいね、『陰』属性まっしぐらだったよ」

「セカンドオピニオン――!!」

 次元を超えて、違う相手からのお墨付きにスバルは絶望する。
 パックとロズワールがこの件で内通していない限り、この結果を信じるしかあるまい。こののほほんと『余所は余所、ウチはウチ!』とスバルの実母が良く発言していたことを地でいきそうな猫が、スバルの才能に嫉妬して嘘をついた可能性がどれほど残るか。

「デバフ特化かぁ……雷とかばかばか打って、一万の軍勢とか吹き飛ばしたりしたかったなぁ……」

「あ、それと才能も全然ないね。ゲート小さいし、数だけはちょっぴりマシなぐらいかな? 開き切ってないのも多いから風通しも悪そうだし」

「知ってるよ、うっさいな! 人を網戸洗ってない部屋みたいな言い方するな! ちなみに才能とか数値化するとどんなもんでしょう」

「二十年も魔法の修練だけに打ち込めば、一流手前ぐらいにはなれるかもしれないぐらいかなぁ」

「半生を賭けて一流未満か……俺、この道は諦めるよ……!」

 涙を堪えて夢を諦めるスバルの宣言に、エミリアは呆れ顔。でも仕方がないのだ。努力とか頑張るって、スバルの辞書の中では見たくないから爪痕が付けてあるぐらいのものなのだし。
 ただ、その感慨はそれとして、

「魔法の体験学習はやってみたいからお願いします。どうしたらいい?」

「『陰』属性だからねー、ちょっと意外だったよ。『陰』の簡単な魔法っていうと、なにがあったかな、リア」

「陰属性だと、目くらましの『シャマク』とかがそうだと思ったけど……ごめんなさい、あんまり自信ないわ」

 力不足を嘆くエミリア。その彼女の前でパックが「ああ、そっか」と手を叩き、

「シャマクとはまた、滅多に使わないのが出るね。じゃあ、とりあえずそれを使うのを目標にしてみようか」

「待て待て待て。当たり前のように進められても困る。そも、そのシャマクってどんな呪文だよ。効果も知らないで使ってみて、わけわからん力で蛙にでも変えられたらどうする。そのときは、エミリアたんのキッスで俺を王子様にしてね」

「話の前後が繋がってない気がするのは私だけ?」

 じと目で見られてスバルは恐縮。一方、パックはスバルの言い分にも一理あると頷き、

「そうだね。確かに知らない魔法を使ってみるのは少し恐いかも。じゃ、使ってみせよう。これがシャマクだよ」

 短い腕を振り、パックが短くその詠唱を完了させる。
 と、ふいにスバルの視界が闇に覆われた。瞬きの直後、目を開いても視界が瞼を閉じたままのように暗いままだったのだ。
 思わず、驚きに小さな声を上げたのだが、自分が上げたはずのその声すら耳に届かない。生じた闇は視界を、そして外界との関わりと完全にスバルから隔絶し、怖気にも似た感覚を背筋に走らせた。

「はいおしまい」

「お母さーん……って、おろ? 戻ったのか?」

「戻ったわよ。っていうかスバル。不安すぎて今、お母さんって呼んでなかった?」

「そんな男らしくない真似しねぇよ!? 今のはほらあれだよ! 学校の先生をお母さんって呼んじゃうあれだよ!」

 視力が戻り、目の前を美貌と小猫が並んでいるのが見えて一安心。
 己の瞼に触れて、そこになんの変化もないのを確認してから、

「今のが目くらましで、シャマクって魔法なわけか。地味だけど、かなり効果が期待できそうじゃねぇか?」

「そうでもないよ。格下か同程度の相手じゃなきゃ、純粋な実力差で弾かれちゃうし長持ちもしない。ボクがスバルにかける分になら、一生を暗闇で過ごさせることもできるけどね」

「発想恐いよ!? そんな長いことされなくても、あの状態が一日続いただけでグロッキーになる自信があるよ、俺」

 苦笑いしながら、スバルはこっそりと震える拳を背中に回す。
 一瞬、なにもかもが遠のく感触を味わった瞬間に、まるで世界に取り残されたような寂寞感に襲われたのは記憶に新しい。
 世界中にたったひとりで、誰ひとり味方がいないと思い込んでいたような時間――あれを、ふと思い出して手が震えた。

 情けない、と舌を噛み、スバルは笑みを浮かべながら、

「ともかく、効くか効かないかは別として、俺も今の魔法が使えるってわけだろ? さっそくやってみたいんですけど!」

「いいよー。じゃ、補助はボクがやろう。リアはまさかの展開でマナが暴走して、スバルが弾けたら服が汚れちゃうから離れててね」

「ホントにまさかの展開だよな!? ほぼあり得ないぐらいの失敗したケースだよね、それ!?」

 パックが無言でにこやかに笑い、エミリアは少し悲愴な顔で「無茶しちゃダメよ」と言い残して本当に距離を置く。
 甚だ不安になるロケーションの中、スバルのちょっと尻込みし始めた雰囲気を置き去りに事態が進行を始める。

 パックがスバルの短い黒髪のてっぺんに座り、尻の位置を直しつつ、

「チクチクして座り心地の悪い頭だね」

「まさか誰かを乗せる日がくると思わなかったんでな。おもてなしに座布団も出せないけど、ゆっくりしてってくれ」

「いやぁ、もうリアの髪の中が恋しいからすぐ終わらせて戻るよ。というわけで、心の準備は?」

 問いかけに、スバルはほんの刹那だけ迷う。が、すぐに頬を笑みの形に歪めると、ゆっくりと頷いた。
 不安要素はバリバリあるが、それでも好奇心には逆らえない。

 スバルの肯定の応答を受けて、パックもひとつ大きく頷く。
 と、ふいに全身が熱くなるような感覚をスバルは得た。体の中を巡る、血とは違う感覚――この体内を荒れ狂う、形の見えない奔流こそがマナというものなのだろう。
 頭頂部にいるパックから伝わるなにかによって、その体の中のエネルギーが指向性を持って動くのがわかる。

「スバル、イメージしてごらん。今、君の体の中のマナの流れを掴んで動かしてる。その一部をゲートから、体の外へ吐き出すんだ。それは外で形をなす――さっきのような、黒い雲となって」

「イメージ、イメージか。任せろ、得意だぜ妄想」

 パックのアドバイスを微妙に曲解して、スバルは己の中をうごめくエネルギーの行き場を妄想の中に求める。
 ゲート――門と呼ばれるそれを体の中心にイメージ。門がその重々しい扉を開き、内側から外へとエネルギーを溢れさせる。そのエネルギーは外へ出て、スバルの意思に従って現象へと昇華し――、

「あれ、困ったな。ちょっと急にゲートが」

 最終局面に達したところで、ふいにそんなパックの呟き。
 「なにを」と問いを発する時間は与えられなかった。

 直後――、

「二人とも!?」

 エミリアの悲鳴が上がり、その数秒後にロズワール邸の庭園の一角を、爆発的に噴出した黒い靄が覆い尽くしていた。

 ――弾けこそしなかったものの、結果的に大失敗である。

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