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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第二章 激動の一週間

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第二章23 『仮初の契約』



 エミリアすら部屋から追い払い、スバルの四週目は暗澹たるスタートを切った。

 初日の朝、エミリアを心ない一言で傷付けたあとには、屋敷に帰還したロズワールとの対面が待っていた。
 人を食ったような彼の態度は変わらなかったが、ずいぶんと値踏みするような目で見られたような気がして居心地が悪かった。それが今回に限ったことなのか、それとも前回までも同じだったのかは今のスバルにはわからない。

 言葉を交わした時間は短く、その内容はあまり記憶に残っていない。
 ただ、客人として扱う、というような言葉だけは受け取ったような気がする。
気が済むまで滞在するといい、なんて都合のいいことを言っていた気も。

 それはスバルにとって願ったり叶ったりとも言えたし、すでにどうでもいい事柄であるともいえた。
 今、屋敷をふらりと出れば確実に口封じの目的で殺されるだろう。かといって、このままロズワール陣営にとってのお荷物でしかないと判断されても、遠からじ挽肉にされる未来が待つのは目に見えていた。

 行くも留まるもBADEND。
 迫るBADENDを回避できない位置でセーブした気分だ。オートセーブだったというのに、なんと不条理な設定だろうか。

 そんな悪態をつきながら、スバルは一日を部屋の片隅で蹲りながら怠惰に過ごした。異世界にきて以来、これほど何もしなかった日は初めてだろう。
 思えば、今のスバルは待ち望んでいた『養われの身』だ。働かずとも食事が出され、部屋にこもっていても誰にも文句を言われない。
 異世界にいながら、元の世界と同様のひきこもり生活が送れている。それが待ち遠しかったはずなのに、渇望した時間に対する感慨は微塵もない。

 惰眠をむさぼる、という魅力的な選択肢を選ぶこともできず、スバルは客間の寝台の上で眠ることすらできずに頭を抱えて無為を過ごしていた。

 手には羽ペンを逆手に握り、その先端は幾度も浸って乾き切った血で染まっている。眠気に負け、瞼が落ちかけるたびに手の甲を突き刺し、痛みで意識を無理やりに覚醒状態に持ち込んでいるのだ。

 寝台の上で碌に身動きもしていないのに、口で呼吸するスバルの息は荒く早い。鼓動は途切れぬ緊張に早く短く打ち続け、瞳は部屋の中に異変がないのか常に疑心暗鬼に囚われて動き回る。

 すでに三度死亡し、ロズワール邸での日々は四度目に突入している。
 スバルの経験では、召喚初日の時点での死亡回数は三回。四回目であの一日を突破したスバルにとって、四度目の死は未知の領域ということになる。

 ――もしも今ここで死ねば、次はもう戻ってこられないかもしれない。

 死を回避する方法は見つからない。それでも、死にたくはなかった。
 だが、ここで生きているのも苦しくて辛くてたまらない。頭がどうにかなってしまいそうなスバルにできたのは、頭がどうにかなってしまったとしか思えない結論を選ぶことだけ。

 即ち、全てを疑い、全てに抗い、ひたすらに生に固執すること。

 すでに四週目の二日目の午後に突入し、無為に過ごした時間は今までの繰り返しと違い過ぎて、前回までの記憶などもはや当てにはならない。
 なにが起こるかわからないし、なにが起きても不思議ではない。そして仮になにが起きたとしても、それは全てスバルの不利益にしかならない。

 現実に失望し、状況に絶望し、未来に諦観を抱いたスバルの心は折れ砕けてしまっている。
 今はもう、ただその残滓がみっともなく悪あがきを続けているだけだ。

 昼を昼とも思えず、夜を夜とも思えず、時間の経過すら曖昧になり、意識と無意識の狭間すら陽炎のように揺らめく。
 手の甲を突き刺す痛みだけが鮮明で、その感覚が鮮やかなのが少しだけ嬉しくて、何度も何度も傷口を抉る。抉る。抉る。

「――ずいぶんと、腑抜けた面構えになっているのよ」

 ふと、そんな声が唐突に聞こえて弾かれたように顔を上げた。
 獣のようにぎらつくスバルの視線の先、ドアノブを握ってこちらに身を乗り出すのは、ことこの周回ではまだ一度も顔を合わせていなかった少女。
 ベアトリスの来訪、それは四度の繰り返しの世界の中で初めてのことだ。そしてスバルは警戒を一気に高める。

 今回だけに起こり得る異常――それはそのまま、スバルの命を脅かす結果につながるに決まっているのだから。

「……今回は、お前か」

 低い、しゃがれた声が出て自分で驚く。
 二日以上も黙り続け、ひたすらに荒い息だけを通した喉は渇き切ってささくれ立っている。込めるつもりだった以上の敵意がそこに含まれていて、その悪意を真っ向から受けることになった少女は、

「ほんの一日だか二日だかで、よくもここまで腐れるもんかしら。人間は度し難く愚かな生き物なのよ」

「ご高説に付き合うつもりはねぇよ。――なにしにきたんだ」

 スバルの醜態を鼻で笑うベアトリス。彼女はオブラートを忘れたスバルの言い方に不愉快そうに眉を寄せ、

「にーちゃと、あの小娘に言われて面を拝みにきたのよ」

「パックと……エミリア?」

「目覚めてからのお前の様子がおかしいから、最初に目覚めたときにベティーがなにかしたんじゃないかって疑っているのよ。失礼な話かしら」

 心ないスバルの言葉に傷付けられたはずのエミリアは、それでもなおスバルの心を慮っていたというのだ。彼女はスバルの変調の原因が直前に接触していたベアトリスが遠因でないかと考え、直接ベアトリスに訴えかけたのだという。
 どういうわけかパックに強く出れないベアトリスは、娘に駄々甘のパックの支援もあって、こうして渋々スバルのところへ顔を出したということらしい。

 エミリアの気遣い――それはほんのわずかにだけ、スバルの荒れ果てた心に温かみを残した。だが、その心配は見当違いも甚だしい。
 スバルの豹変の原因はベアトリスと無関係だし、こればかりはもはや誰がなにをしてくれたところで解決する問題でもない。

「わかった。もういいよ。お前の話はわかったから、もう消えてくれ。お前は謝りにきてくれた。それで十分だ」

「どうしてベティーが謝らなくちゃならないのかしら。まず、そこを訂正するところから始めないと帰るに帰れないのよ」

 手を振り、ぞんざいに彼女を追い払おうとするスバルにベアトリスは追いすがる。それから彼女は部屋の中にさらに踏み込み、長いスカートの裾を引きずるように移動しながら、

「――う?」

 ふと、鼻面に皺を寄せて足を止めた。
 黙っていれば愛らしいその横顔が、まるで犬が匂いでものを辿るときのように首をめぐらせてあたりを嗅ぎ回る。
 やがて彼女は不愉快さを盛大に瞳に宿してスバルを睨み、

「面が辛気臭くなっただけじゃなく、ずいぶんと濃くなっているのよ」

「――は?」

「臭いの話かしら。鼻につく、最悪の香りなのよ。あの双子とはしばらく会わない方が賢明かしら」

 鼻をつまみ、手を振って悪臭をアピールするベアトリス。
 彼女のそんな仕草すら気付けず、スバルが思いを巡らせるのは『臭い』というキーワードに該当する記憶だ。
 臭い、それは確か三週目が終わる頃に誰かが――、

「俺からなにが臭うって?」

 顔を上げ、その声に初めて感情の色を込めてスバルが問いかける。
 問いにベアトリスは片眉を上げて腕を組み、

「魔女の臭いなのよ。鼻が曲がりそうかしら」

 『魔女』というキーワードを呟き、頭の片隅がふいにうずき始める。
 その単語には覚えがある。つい最近、そんな単語を目にしたはずだ。それは、

「しっとのまじょ」

「今の世界で、魔女と言われてソレ以外のなにがあり得るのかしら」

 小馬鹿にしたようなベアトリスの物言いに、スバルは思わず身を乗り出す。彼女の向かって手を伸ばし、

「どうして、その臭いを俺から感じる?」

「さぁ? 魔女に見初められたか、あるいは目の敵にされたのか。どちらにせよ、魔女から特別な扱いを受けるお前は厄介者なのよ」

「顔も名前も知らない相手に特別扱いってのは、ゾッとしねぇな」

 肩をすくめるベアトリスは、それ以上の話題すら不快だと暗に態度で示している。その頑なな拒絶の姿勢にスバルは口をつぐみ、今の断片的な情報を整理しながら思考の海へ潜り始める。

 魔女。しっとのまじょは世界中から憎悪され、恐怖され、誰しもが名前を出すことすら忌避するお伽噺に残る世界的有名人だ。
 物語性すらない物語に語られた部分でしか、スバルがその存在に対して得ている知識は存在しない。

 当然、出会った記憶もなければ、何がしかの接触を持った覚えもない。
 魔女の残り香が染みつくような事態など、体験もしていないのに理不尽な話だった。
 ――レムも、確かスバルにそんなことを言っていた気がする。

 彼女の行き過ぎた殺意の一端もそれにあるとすれば、スバルはまたしても身に覚えのない事実で恨みを買ったことになる。全ての罪過が冤罪なのだから、たびたび殺されるスバルの不運さは天下一品のものだろう。

 どうしようもない事実がどうしようもないとわかったところで、スバルは疲れに長い吐息を漏らす。それを見届け、これ以上の話の進展はないと踏んだのか、ベアトリスはその長い髪を手で大きく撫でつけ、

「なにもないならもう行くのよ。にーちゃには、ちゃんとベティーがお前に会いにきたことを伝えておくかしら」

「ちょっと待て」

 ドアノブに手をかけて『扉渡り』を行おうとする背中、それに声をかけて動きを止める。首だけでこちらを振り返るベアトリスに、

「お前、俺に悪いと思ってるんだよな?」

 と、スバルは意地悪く問いを投げつけた。
 ある程度、賭けになるかもしれない手段ではあるが、何もしないよりマシだと心が訴えかけるのに従った。
 嫌そうな顔を浮かべるベアトリスに、スバルはシーツを軽く叩いて再度、

「お前は、俺に、悪いと、思ってる。イエスかダーで答えろ」

「思ってないのよ」

「パックに言いつけるぞ」

「ぐ……。すこぉぉぉしだけ、思ってみることもあるかもしれないかしら」

 体ごとスバルへ向き直り、ベアトリスは腕を組んで偉そうに顔を背ける。
 その彼女の小さな体を上から下まで眺め、それからこれまで接してきた彼女との時間を思い出し――スバルは悩んだ挙句、決断した。

「許してほしけりゃ、一個だけ俺のお願いを聞いてくれ」

 それは、

「一晩……いや、明後日の朝まででいい。俺を、守ってくれないか」

 自分より年下にしか見えない少女に懇願するには、あまりにも恥知らずな選択に他ならなかった。

 スバルの持ちかけた願いにベアトリスはしばし黙り、

「曖昧な物言いなのよ。狙われる理由でもあるのかしら」

 至極当然な質問を返してくる。
 ベアトリスはスバルを白眼視したまま、部屋の中をくるくると歩き始め、

「そも、もめ事をこの屋敷に持ち込まれるのはゴメンなのよ。ベティーにとってこの屋敷は、なくてはならない場所なのかしら」

「……俺の方からなにかする気はない。かかる火の粉を払いたいだけだ」

「それさえ他人任せな癖に、ずいぶんと立派な志なのよ」

「今回に限り、返す言葉もねぇよ」

 俯くスバルにベアトリスは嘆息する。
 そのまましばらく、無言の時間が室内を流れた。

 俯いたまま、スバルはそのうちに扉が閉まる音がするだろうと思っていた。懇願を切り捨て、ベアトリスが己の禁書庫へと舞い戻る音が。
 それが聞こえたとき、わずかに繋がりかけたスバルの一滴の希望さえも潰えるときなのだ。

 そんな諦観で満たされていたスバルに、

「手、出すのよ」

 寝台の横に歩み寄ったベアトリスが、その小さな手をこちらへ向けていた。
 思わず呆気にとられるスバル。彼女はそんなスバルの右手を苛立たしげに取ると、その傷だらけの手の甲を見て顔をしかめ、

「気持ち悪い。自傷癖まであるなんて、救いようのない変態かしら」

「その言葉はロズワールのアイデンティティーだろ。……俺なんぞ、ちょっと青春が過剰に漏れ出ただけの厨二病患者だ」

「意味がわからないのに、救いようのなさが深まったのだけわかったのよ」

 吐息して、ベアトリスはスバルの右手の傷口を隠すように掌を上に向けさせ、その掌に自身の小さな掌を重ね合わせる。
 自然、誘われるままに指と指が絡み合うように手を握り合い、

「――汝の願いを聞き届ける。ベアトリスの名において、契約はここに結ばれる」

 厳かに、そう告げるベアトリスの姿にスバルは言葉を失った。
 そして、絡み合った掌から伝わってくる圧倒的な熱量。それは掌を伝ってスバルの全身へ行き渡り、活力の失われていた体にふいに檄を叩き込む。

 ふいに熱くなる体の反応に戸惑いながら前を見ると、ベアトリスは心底不本意だとでも言いたげな目でスバルを睨みつけ、

「たとえ仮でも契約事は契約事。儀式の則った上で結ばれたそれは絶対なのよ。お前のわけのわからない頼み、聞いてやるかしら」

 感謝するがいいのよ、と最後にそう結び、ベアトリスは下からなのに上から目線でスバルを堂々と見据える。
 その視線を受けて、スバルはふいに訪れるわけのわからない感情の波を堪えようと、とっさに顔を背けた。

 吹き上がる激情、言葉にならない感覚。
 予想外の場所から差し伸べられたソレをどう扱っていいのかわからず、スバルは握られていた掌の熱さに目をつむり、

「マジかよ。……幼女に泣かされそうになった」

「幼女とか言うんじゃないのよ。――あと、にーちゃに告げ口したら絶対に許さないかしら」

「必死すぎ。マジ鬼がかってんな、それ」

 本気で敵意だけを込めた視線を向けられ、スバルは苦笑しながら応じる。
 四週目、その周回で初めて出た、小さいながらも確かな笑みだった。

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