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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第六章 『記憶の回廊』

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第六章32 『何者』



 ――想定外の光景を前に、スバルは唖然と瞠目するしかなかった。

 奇妙なことが連続する夜だ。
 意図せぬ居眠りから始まり、緑部屋からいなくなったアナスタシア=襟ドナを探して奔走し、塔の中にいるはずのない鳥を見かけ、それを追いかけた。その鳥を行き止まりに見失い、手近な床と壁を探って隠し通路を見つけ――、

「――トンネルを抜けると、そこは雪国だった」

 こぼれた軽口は、この奇妙な光景の説明に何ら寄与していない。
 スバルが潜ったのは壁であってトンネルではなく、目の前に広がったのも雪国などではなく、冷たい風の吹く砂海の夜だ。
 黒い空には煌めく星々が浮かび、監視塔のバルコニーからは黒い海のような砂丘の光景を遠くまで見渡すことができる。
 何もかもが、スバルの言葉に見合わない。その代わりに――、

「――ナツキくん?」

 掠れたスバルの呟きを聞きつけ、風に髪をなびかせる人影がこちらへ振り返った。
 薄紫の、ウェーブがかった髪をそっと手で押さえる少女――浅葱色の丸い瞳に、闇の中に浮かぶほど白い肌をした、可憐な容姿の持ち主だ。
 探していたアナスタシアだ。その呼びかけにスバルは一瞬だけ逡巡して、

「……夜の散歩にはうってつけの絶景スポットだな」

 出だしの驚きを舌の裏に隠して、スバルはアナスタシアに肩をすくめた。その仕草と話題の切り出しに、アナスタシアは小さく「そうやね」と笑い、

「見晴らしがええのはホントやね。でも、せっかくの見晴らしも、肝心の景色が真っ黒々やなんて残念やわぁ。遠目に、街が見えるだけでも違ったのに」

「これはこれで、夜の海を眺めてるみたいな趣があって悪くないけどな。それに、なんて言っても……」

 言いながら、スバルは一望できる景色ではなく、頭上に指を向ける。それにつられて空を仰ぐアナスタシア――そこに、満天の星空がある。

「空気が冷たくて澄んでるから、星が超よく見える。ロマンティックだろ?」

「星が綺麗なんは事実やし、空気が澄んでるんはうちも同意見やけど……それやと星の見映えより、もっと気になることがあるんと違う?」

「もっと気になること、ってのは」

「星が見えることそのもの。ここまで、砂海で星が見えた夜なんてあった?」

 呆れた風にアナスタシアに言われて、スバルは「あー」と手を叩いた。
 彼女の指摘通り、こうしてバルコニーから星空が見えていることは、ここまでの砂海の道程を思えば不思議なことだった。プレアデス監視塔の周囲では、空に星の煌めきを見つけることはできない。
 何故なら――、

「瘴気が濃くて、空に雲みたいにかかってたはずだもんな」

「それがないってことは、この塔だけ瘴気と無縁なんか……もしくは、ここが立ち込めてた瘴気より上の高さにあるってことかもしらんね」

「この高さならまぁ、それもないとは言い切れねぇな」

 バルコニーから外の景色を眺めて気付いたが、現在の高度――監視塔の四層に当たる階層は、地上数十メートルなんて高さではなく、百メートル単位の高所にある。実感がなかったが、五層から四層へ上がる階段はそれだけの高さがあったわけだ。

「……それでも、この位置で塔の真ん中まできてるかどうか」

 バルコニーの外ではなく、外壁に沿って塔を見上げ、スバルは吐息する。
 推測が正しければ、瘴気より高い位置へ上がっているにも関わらず、雲を突くような塔のてっぺんは到底見えない。暗さとは無関係に、まだまだ上がある。
 それこそ、二層への階段は四百段以上もあったのだ。それだけでも、塔が相当に余力を残していることは疑いようがない。
 ともあれ――、

「――――」

 星空と、塔の高さについてはそこそこに、スバルはアナスタシアへと目を向ける。はんなりと唇を綻ばせ、手を腰の後ろで組むアナスタシアに不審な動きはない。
 これといった警戒も、何かを仕掛けてくる様子も皆無だ。
 少なくとも、いきなり敵意を露わにしてくることはないと、それだけ確認して――、

「――で、この状況の言い訳は?」

「言い訳?」

「深夜、こっそりと寝室を抜け出して、誰も知らない秘密の通路を抜けて、こんなところで夜風に当たりながら鳥たちと戯れる……怪しすぎるだろ」

 不思議そうな顔のアナスタシアに、スバルは顎をしゃくって追及した。

 鳥たち――そう、鳥たちだ。
 この場に、こうして顔を突き合わせるのはスバルとアナスタシアの二人だが、バルコニーには二人以外にも多くの観衆が詰めかけている。
 それが、微動だにせず、状況を静かに見守り続ける作り物のような鳥たちだった。

「――――」

 一羽や二羽などと、そんな穏やかな数では到底ない。
 バルコニーの外縁部に留まり、羽を休める鳥の数は五十を下らない。群れかと思われるほどの数だが、それを群れと断定することに抵抗があるのは、集まった鳥たちの種類が統一されたものではないためだ。

 白い鳥が、青い鳥が、黒い鳥が、斑の鳥が、大きい鳥が、小さい鳥が、痩せた鳥が、太った鳥が、種類雑多で統一感のない鳥たちが一揃いに集まっている。
 その事実もなかなかに異様だが、それ以上にスバルが不気味さを覚えたのは、この光景を形作る鳥たちの挙動だ。

 ――これだけ多くの鳥がいるのに、鳴き声どころか、羽音一つ聞こえてこない。

 鳥たちに、それぞれ意思疎通する知恵があるかは定かではない。
 だが少なくとも、この統一感のない鳥たちは、意思だけは統一されているのだ。

「ナツキくんが、そないに不安に思うんも仕方ないけど……」

 そんなスバルの疑念に対し、アナスタシアは自分の頬に手を当てる。

「秘密の通路、は大げさなんと違う? だって、現にナツキくんもこうしてここにおるわけやし」

「それは……鳥が俺を導いたというか、あれだよ」

「それやったら、うちもおんなじ。夜、塔の中をふらふらーっと散歩しててん。そしたら鳥が飛んどるやないの。それ、何かなーって追いかけたらここに」

「――――」

「なんて、信じてくれん顔やね?」

 両手で鳥を模して、空を泳がせていたアナスタシアが目を細める。
 当然だが、納得のいく説明ではない。否定できるだけの根拠はないが、そんな都合のいい話があってなるものか。自分を棚上げして、スバルはそう結論する。

「この鳥は……」

「この子たち、なんなんやろね」

「――っ。それは、俺が聞きたいことだよ」

 のらりくらりとしたアナスタシアの態度もそうだが、ただ遠目にこちらのやり取りを見守るだけの鳥たちの視線も居心地が悪い。
 鳥の瞳からは感情を読み取ることが難しく、あるいは本当に、感情など持っていないのではないかと、そう思わされるほどの隔たりを感じる。
 この鳥たちは、バルコニーは、アナスタシアは、いったい何を考えているのか。

「俺と同じで何も知らない……それを鵜呑みにしろってのは都合が良すぎるだろ」

「ナツキくんも何にも知らん、ってところにはうちも言いたいことあるけど……でも、本当に困ってるんよ。ここにきてからずっと、調子狂いっ放しやもん」

 やれやれ、と額に手をやり、アナスタシアは悲嘆に暮れる素振りを見せる。そのアナスタシアを油断なく眺めながら、スバルはふと、鳥について思い出していた。

 ――プレアデス監視塔に向かって、アウグリア砂丘を鳥が飛ぶ、と。

 そんな話を聞かされたのは、塔へ向かうための砂海越えの準備に立ち寄った街の酒場だ。砂海で道に迷うことがあれば、鳥を探せと店主は言っていた。
 幸い、スバルたちは砂海で遭難するような失敗はしなかったため、ほとんど忘れかけていた忠告だったのだが――、

「これ見ると、あながちあれも単なる噂話じゃなかったってことか……」

 スバルの呟きを受けても、鳥たちからの反応はない。
 彼らはただ静かに羽を畳み、宵闇を飛ぶのを嫌うように翼を休めている。
 冷たい風に晒されながら、それでも身を寄せ合い、温もりを共有することもなく。精巧な人形のような眼差しを、スバルとアナスタシアへ向けるだけだ。

「この子らはずっとその調子。うちも途方に暮れてたところ」

「それを信じるのは、俺の経験則的にちょっと無理だな」

「経験則て?」

「俺の経験上、迂闊にこんな場面に出くわすと、大抵は命が危ないのがお約束だ」

 スバルの、迂闊行動での臨死経験はなかなか豊富だ。
 古くは屋敷の夜徘徊で、レムに撲殺されたところからそれは始まる。
 その後もあれこれあった出来事を割愛して、スバルの経験則は迂闊な行動=死を意味するものと結論付けていた。
 その経験則にならえば、今の状況はかなり危険に思われて――、

「せやったら、その経験則に新しいパターンのお勉強やね。今回はそうならんよ」

「――――」

「臆病なナツキくんにとって、最悪の可能性はうちが何か企んでること。こんな風にこの塔に誘き寄せて、なんやとんでもない陰謀巡らせて、ナツキくんやエミリアさんらをめためたにしよなんて考えてたら……やろ?」

 図星を突かれ、スバルの頬がわずかに硬くなる。
 そんなスバルの様子に、アナスタシアは「わかりやすいわぁ」と笑った。

「安心し。そんな回りくどいこと考えてないし、うちにナツキくんへの敵意はない。この塔の、他の誰にも……あ、試験官らは別やけど」

「シャウラとレイド、か」

「――――」

 名前を出した途端、苦い顔でアナスタシアが押し黙る。
 その反応を見て、スバルは「あ」と声を漏らした。

「寝てたから聞いてなかったよな? あの、二層の『試験』で新しく出てきた奴だが……あいつはレイド・アストレアだ。初代『剣聖』。どうも、過去から呼ばれて出てきた、みたいな仕組みらしい」

「聞くだにとんでも設計やね、この塔。……創造主は、何を考えていたのやら」

 スバルの説明を受け、アナスタシアは呆れたコメントの最後に低く付け加える。その口調からカララギ弁の訛りが抜けた気配に、スバルは息を詰めた。
 ここまで、彼女のことはほとんどアナスタシアとして扱い、接してきたつもりではある。だがやはり、こうして目の前にいる彼女の本質は――、

「――今、ここにいるのは俺とお前の二人だけなんだ。腹割って話さないか」

「ん……」

「正直、人のガワ被ったお前と話してても埒が明かない。何を言われても、俺がお前を根っこから信用するのは無理だ。だから……」

「――アナを演じるボクではなく、ボクと言葉を交わしたいと」

 瞬間、スバルの提案に応えるようにアナスタシアの気配が変わった。
 彼女を取り巻く雰囲気が一新され、姿形は変わらないのに、明らかに対峙する存在感が変質する。瞳に宿った感情が、思考が織りなす表情が、切り替わっていた。

「――――」

 そうして、その変化に息を詰めるスバルの前で、アナスタシア――否、アナスタシアを演じていた人工精霊エキドナが、ゆっくりとバルコニーの外縁へ向かう。
 転落防止用の柵などなく、申し訳程度の高さに塀があるだけの外縁だ。彼女はその塀にそっと腰を乗せ、すぐ傍らに佇む白い小鳥の頭を優しく撫でた。
 そして――、

「――ここで、こうして二人きりで言葉を交わすのは確かに初めてだったね」

 と、スバルの提案を受け入れ、儚げに微笑んだ。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「こないのかい?」

「いや、だって柵ないし、安全対策が不完全すぎるから嫌だ」

「別に、無警戒に近付いてきても突き落としたりしないよ?」

「その言い方が信用ならねぇんだよ。そういうとこ、オリジナルそっくりだな」

 危険極まりない場所に座り、悪気のない顔で誘ってくるエキドナにスバルは唇を曲げた。が、その断り文句が気に入らなかったのか、彼女は露骨に眉を顰める。
 それから、「いいかい?」と講釈するように指を立てて、

「何度か言っているが、そのオリジナルの魔女とやらとボクをあまり同一視しないでもらえないだろうか。はっきり言って、知らない人物と比べられるのは不愉快なことこの上ない。それが、ボク自身の造物主であったとしても、だ」

「その物言いもなんだが……そうだな、悪かった。善処するよ」

「お願いする」

 外見も声もアナスタシアのまま、エキドナはスバルにそう訴えかける。
 正直、その指摘すらスバルの知る性悪な魔女の口調にそっくりだったのだが、彼女の主張には素直に頷くべき事情が含まれている。実際、スバルだってエキドナと似たような存在などと言われたら、名誉棄損を強く訴えかけたい所存だ。

「とはいえ、君の懸念ももっともだ。こうして夜な夜な、誰も気付いていなかった場所に一人で足を運んでいるところを見れば、疑われたとしても仕方がない。しかし、その疑惑を当然と受け止めた上で、重ねて君の疑念を否定させてもらうよ」

「お前、よくその鳥に無警戒に触れるな」

「……今のボクの話を聞いてくれていたかい?」

「聞いてたけども」

 さっそく、互いの差し出す意見の内容にすれ違いがあった。
 ただ、エキドナの言い分以上に、スバルには彼女が小鳥を――作り物のように不気味な鳥の頭を撫でられるのが不思議で仕方ない。
 ここが昼下がりの公園で、もっと小鳥が生物的な反応を見せれば話は別だが。

「ばーっと群がってきて、全身ついばまれて殺されるとか怖くねぇの?」

「その、君の想像の方がよっぽど恐ろしい。まさか、それも経験則だなんて言い出さないだろうね?」

「見た目は可愛い兎に、元気よく飛びつかれ……そうになったことがあってな」

 なのでそれ以来、多数の動物が一ヶ所に集まっている様子には気後れする。
 幾度も『死に戻り』経験を重ねてきて、楽だった死など一度もないと確信を持って断言できるが、中でも一際ひどい死に様だったのがその記憶だ。

「……実際に青い顔をしているあたり、無理強いはしないよ。ボクも、この鳥たちに親しみを覚えるわけじゃない」

 スバルの顔色がよほど悪かったのか、エキドナは早々に小鳥から手を引いた。それから膝の上に両手を置くと、「さて」と改めてスバルの方を見つめる。

「腹を割って、と君はボクに提案したわけだが……こうして、アナであることの振る舞いを忘れてみたボクと、いったいどんな話がしたいのかな?」

「とりあえず、この場所と、鳥との関係」

「それについては、アナとして答えたのと同じ答えしか返せない。ボクはここに、君と同じように鳥に導かれた。それまで、心当たりなど一つもなかったと。ただ……」

「ただ?」

 代わり映えのない答えに落胆しかけたが、わずかに引っ掛かりを残した追撃にスバルの眉が上がる。その反応にわずかに逡巡し、エキドナは続けた。

「ボクは正直なところ、君に同じことを聞きたいと思っていた」

「俺に、同じこと?」

「アナになりきっていたつもりだったから、冗談に聞こえたかもしれないね。ボクは導かれるようにここへ足を運んだ。そして今、この場所で君と対話している。……塔へ戻る入口の前に立つ、君と」

「――――」

「君は、この塔の管理者であったシャウラとも顔見知りだった。少なくとも、向こうは完全にそのつもりで君に接している。それを加味し、こんなところで二人きりになった上で告げるのは卑怯だと思うが……」

 エキドナの語る言葉に呑まれ、スバルは発言を差し挟めない。そのスバルにエキドナは一度言葉を切り、アナスタシアの顔のまま、問いを差し出した。
 その問いは――、

「――ナツキ・スバル、君は何者なんだ?」

「何者も、なにも……」

「プリステラに赴く以前に話は戻る。一年前、君が白鯨討伐と、『怠惰』の討伐を成し遂げた論考式のあとだ。アナは、君のことを調査したんだよ」

 エキドナの明かしたそれは、アナスタシア陣営の王選戦略の一環だろうか。
 対立候補であるエミリア、その騎士として叙勲を受けたスバルを調べるのは、こうした戦いにおけるセオリーというべきものだろう。
 だが、ホーシン商会を率いる大商人、アナスタシア・ホーシンをしても――、

「君の素性はわからなかった。最低限の情報を調べること自体の難易度も相当だったとアナがぼやいていたよ。それについてはおそらく、君というよりは君の周りの人間が何かしていた結果とは思うが」

 スバルの情報統制、そんな行いに陣営で絡んでいる人間がいるとすれば、筆頭に上がるのはロズワール、次点でオットーとクリンドあたりだろうか。
 いずれであったとしても、やっていて不思議はない。そして彼らは、わざわざその事実をスバルに伝えるほど優しくないか、無粋ではないかのどれかだった。

「なんにせよ、辿ることができたのは王選が始まる直前、王都で起きたとされるちょっとした出来事に関わっていたことぐらい。騎士ラインハルトが、候補者の一人であるフェルトを見出したとき、君を見かけたと証言が取れた。だが、それだけだ」

 それ以前の記録は存在するはずがない。
 故に、エキドナ――この場合はアナスタシアだが、アナスタシアの調査はスバルの足取りをほぼほぼ完璧に追い切っていた。
 それが彼女らにとって、不十分な結果であることを除けば。

「――――」

 エキドナの瞳が細められ、スバルは何を言えばいいのか答えに窮した。
 これまで、『死に戻り』の情報を伝えることができず、それを下敷きにした情報共有ができずに苦しんだ経験は多い。しかし、今回のこれは初めてだ。
 ナツキ・スバルが何者であり、出自不明の人物であることが鎖になるのは。

「俺は……」

「と、こうしてくどくどと並べてみたわけだが」

「――ぁ?」

 真剣な顔で、どうにか言葉を絞り出そうとしたスバルにエキドナが両手を広げた。その口調があまりにも軽々しくて、スバルは呆然となる。
 そんなスバルの反応を受け、エキドナは「うん」と満足げに頷くと、

「アナとボクの君への認識は、そうした素性不明であることと、多大な功績を積み上げた新人騎士……それが、プリステラまでのものだ。その印象が、プリステラでの魔女教との戦いにおいてどう変革されたかは言葉にしないが……この監視塔にきて、また少し変わっている自覚がある」

「――――」

「こうして夜更けに二人、誰の目もない空間で一緒にいることに不安を覚え、警戒したとしてもそれは仕方のないことと許してほしい」

 広げた腕を閉じて、エキドナは微笑みながら首を傾けた。
 そうして彼女の話を呆気に取られたまま聞き終えて、スバルは渇いた唇をもごもごと動かし、どう受け止めるべきかと真剣に悩む。
 が、悩む間にふと気付いた。

 ――膝の上のエキドナの手に、指先が白くなるほど力が入っていることに。

「……お前、もしかして本気でビビってるのか?」

「――その発言は、少し心外だな。例えばだが、君はシャウラと本当はどういう関係なんだい?」

 スバルの質問に、エキドナは答えずに別の質問を投げ返す。

「シャウラとは、ここで会ったのが初めてだ。何も知らない」

「三層の『試験』、あれほど早く君が解き明かせたのは偶然かな?」

「……偶然だ」

「それなら、君がこうして、一見してわからないように偽装された隠し通路を抜け、たまたまボクしかいない状況で、声をかけてきたことは?」

「――――」

 ねちねちと続けられるのは、エキドナからスバルへ向けた恨み節だ。
 彼女は質問を重ねることで、スバルにこう言っているのだ。

「逆の立場になってみろ、か……」

「それでも、ボクは様々な要因から君を敵対的な存在である可能性は低いと見積もっている。こうして胸の内を明かしたのは、それを示すための誠意と思ってほしい」

 薄い胸に手を当てて、エキドナは自分の心境を語ったと態度で示した。
 スバルとしても、その心意気を買って、また自分の素性と行動の怪しさを顧みて、エキドナの言葉に頷いてやりたいのは山々だった。
 山々なのだが――、

「――どうやら、ボクの造物主は相当君の心に傷を残したらしいね」

 人工精霊エキドナの振る舞いが、『強欲の魔女』であるエキドナと似通っていると思えば思うほどに、どんな誠意を尽くされても本心から信じ難い。
 これこそまさに、魔女の残り香と言ってもいい。

「お前の、言い分は、わかった。納得は、した。信じるかどうかは、別として……」

「君の葛藤はすごい伝わってくるよ」

「ここで、俺とお前が会ったのは偶然だとして、だ。じゃあ、ここは? このバルコニーみたいな場所は、何のためにあるんだと思う?」

 事実として、このエキドナが何かを企んでいたとしても、ここで口を割らせるための証拠は何もない。信用ではなく、不可抗力的に言い分を聞き入れた。
 しかし、そのことと、この場所が隠された空間であったこととは別の話だ。わざわざ隠されていた以上、ここには何らかの存在価値があるはず。

「それについては仮説がある。三日前……砂海でのことは記憶にあるかな?」

「三日前ってなると、塔に辿り着く前のしっちゃかめっちゃかが浮かぶけど……」

「その乱痴気騒ぎの際、花魁熊に追われるボクたちを白い光が襲った。――あれは、どうやらシャウラの仕業だったそうじゃないか。なら、この場所は」

「――あいつの、砂海を監視する足場?」

 エキドナの仮説の行き着く先に、スバルは指を鳴らした。
 彼女の推測には納得がいく。実際、シャウラは遠距離に向け、彼女曰く『ヘルズ・スナイプ』によって塔に近付くものを狙撃してきたのだ。思えば窓もなく、外を眺める手段のない監視塔のどこでそれをしていたのかと考えていたが――、

「おそらく、こうした場所は塔の円周の至るところにあるんだろう。見たところ、この空間はボクたちが塔に接近しようと試みた方角とはずれる」

「鳥は?」

「鳥については謎だ。こうして触っても反応はない。ただ、おそらく体温はあるようだから、実際に作り物というわけではない。できれば解体してみたいが……」

 傍らの鳥を見下ろして、エキドナが丸い瞳を残酷に細める。しかし、彼女は向けかけた指を引くと、その指先をじっと見つめて、

「生憎、アナの体にこれ以上の負担をかけたくない。君が鳥を絞めてくれるなら話が早いんだが……」

「そりゃ、どうしても必要ってんならやるが……」

 異世界に呼ばれて一年と少し、スバルとて鳥や野兎を狩った経験はある。無論、食べるための殺しと、試すための殺しとでは気分が違いすぎるが、

「殺したあと、食べる分には……」

「そう、残った食糧の問題もあったね。では、二十羽ほどお願いしたい」

「馬鹿野郎! お前、ゼルダの伝説知らねぇのか!?」

 あっけらかんと鳥の大量虐殺をお願いされて、スバルは怒声を張り上げた。知るはずのない知識で怒鳴られたエキドナは目を丸くしている。
 そのことはともかく、さすがに二十羽も殺すのは気が咎めた。

「それに、さすがに殺したらこの無数の鳥たちにも動きがあるんじゃないか?」

「……それは、否定できない怖さがあるな」

 スバルの不安に、エキドナもこればかりはと口元に手を当てる。
 鳥たちは物騒な会話を続ける二人に無反応だが、その視線だけは相変わらず、この場の部外者といえるスバルたちへと向けている。
 鳥葬、という単語が脳裏を過って、スバルはエキドナの即断を引き止めた。

「やるなら、準備してからやろう。ひとまず、今は後回しだ」

「逃げる素振りもない、か。わかった、それでいい。……実際のところ、この鳥たちを調べて得られるものがあるとも考えにくいしね」

「その、探究心とか知識欲が勝った故の発言みたいな雰囲気やめてくれ」

「――?」

 魔女の人となりを本気で知らないらしいエキドナは、それでもやはりオリジナルに近い行動様式を保っているように思えて油断ならなかった。
 なのでスバルはそこを無視し、魔女らしくない、精霊エキドナとしての部分に質問を投げかける。

「あんまりちゃんと確かめてこなかったけど、アナスタシアさんはどうなんだ?」

「……依然変わりなく、だ。アナは今も、この体の奥底で眠り続けている。これほど長く体に宿ったことはないから、ボクも焦りを抱いていないと言えば嘘になるな」

「焦り?」

 元の体に戻れていないことか、とスバルはニュアンスに込めたのだが、エキドナは「そうじゃない」と首を横に振る。

「ボクとアナとは一応、精霊と術師の契約関係にある。共に不完全な精霊と、不完全な術師同士……不完全な関係ではあるけどね。アナの体のことは話したはずだが」

「ああ、ゲートに欠陥があるとか、ないとか」

「そこは、今の君とベアトリスの関係に近しいものがあるな。君たちと違うのは、アナの肉体はマナの受け皿が全くないこと。ボクとの契約を維持するためには、彼女はオドを費やしていくしかない」

「うん、うん?」

 その説明も、おおよそ前に受けたものと変わりがないように思えた。しかし、エキドナはスバルの理解は浅いのだと、自分の胸に指を押し当て、

「アナに代わり、こうしている状態はボクが顕現し続けているに等しい。それは加速度的にアナのオドを食い潰す行いだ。今も刻々と、アナのオドは削れていっている」

「オドは、そいつの魂そのものだとかって……ってことはつまり」

「アナはボクと契約することの危険性を承知の上で、ボクの手を取った。そのときから、いずれは終わりがくることは想定されていたが……今は、より早い」

 ――だから、一刻も早く、アナスタシアに体を返さなくてはならない。

 エキドナは、自分とアナスタシアの置かれた状況をそう締め括った。その内容にスバルは、彼女たちの境遇を軽く考えすぎていたと思い知る。

「そんな体で……そんなボロボロの状態で、王様になんてなれるのかよ?」

「それは自分の主人のためにも、アナに権利を放棄してもらいたいという意味かな?」

「――ッ! ふざけんな! そんな話じゃねぇよ! 俺は……」

「アナは決して引かない。諦めることもしない。ボクはそれを知っている」

 踏み込み、声を荒げようとしたスバルに、エキドナはぴしゃりと言い切った。
 その勢いに気圧され、スバルは目を瞬かせる。それからおずおずと唇を震わせ、

「……アナスタシアさんは、そうまでして自分の国が欲しいのかよ。手に入れて、すぐに手放すことになるかもしれなくても」

「人より短いかもしれないが、アナ自身はその短い時間を他者の何倍もうまく使う。それに、アナには王座を諦められない理由がある」

 力ないスバルの声に、エキドナはアナスタシアへの信頼を込めて言った。
 そして語られる、王座を諦められない理由。それは――、

「――望まれたからだ」

 いつの間にか、立ち上がったエキドナはこちらへ歩み寄り、バルコニーの中央でスバルと正面から向き合っていた。
 真っ直ぐに黒瞳を覗き込んで、浅葱色の瞳が告げた言葉にスバルは動けない。
 プレアデス監視塔の、『試験』の、それとはまた別の重みがスバルに圧し掛かる。

「――――」

 動けず、言葉が出ない。エキドナも、何も言わない。
 そうして動きの止まった二人に代わり、羽音だけが冷たい夜を切り裂いていく。羽音は後方から抜け、翼を休める鳥たちの群れに加わった。
 また新たに一羽、鳥がバルコニーへと――、

 ――背後から。

「――――」

 スバルは変わらず、監視塔の外壁を背にして立っていた。その背後から鳥が羽ばたくとすれば、それは監視塔の内側からに他ならない。
 エキドナが、スバルが、鳥の羽ばたきに導かれ、ここへ足を運んだ。
 ならば、当然、三羽目の鳥の羽ばたきにも。

「――今の話は、どういう、ことなんだ?」

 どこか呆然と、信じる根本が揺らいだような声音がバルコニーに響く。
 立ち尽くす男の声に、鳥たちは一斉に羽を広げた。そして、豪雨のように凄まじい羽音を立てて、鳥たちは躊躇なく飛び立っていく。

 夜の空へ、宵闇に包まれた砂丘の海へ。

 大海原に取り残されたような心地の、スバルとエキドナ、
 ――そして、ユリウス・ユークリウスを残して。


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