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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第六章 『記憶の回廊』

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第六章25 『二層エレクトラの待ち人』

お久しぶりです! 本編です!
ちょっと思い返しながら書いてるので、ややテンポ悪いですがよろしくお願いします。
これからぼちぼち、再開していきます。


 ――女、一人の女がいた。

 女は虐げられていた。家族に、一族に、愛すべき同族に、軽蔑され疎まれていた。
 産み落とされる前、女には期待がかけられていた。それを生まれは裏切った

 残されたのは落胆と失望、与えられたのは侮蔑と嘲弄。それが女の唯一の所持品。

 一族には悲願があった。かつての栄光と繁栄の証、神と呼ばれた始祖の再臨。
 あらゆる秘術とあらゆる非道、犯した禁忌は数知れず、その結実が女であった。
 だが、生まれた女は悲願を裏切り、一族は失意と絶望に女を見限った。

「どこへなりとも生きて死ね。それが貴様の罪業だ」

 家族からも同族からも見捨てられ、野に放たれたのは赤子の時分。
 生きる術なく野に投げられて、女子供に生き残れるはずもなし。

 しかし女には、生きる術はなくとも生きる力はあった。

 皮肉にも、それは犯した禁忌と重ねた罪過、一族の悲願が生んだ負の饗宴。
 言葉も知らず、知恵も持たず、ただ本能に従って、女は野で長らえ生き延びた。

 獣を殺し、生き血を啜り、地を這い回り、泥水を舐める。
 やがて時は過ぎ、赤子は少女に、少女は女になり、野で過ごすのも難しくなる。

 野獣の如く山を荒らす女の噂を聞きつけ、男共がその命を狙い、女は捕えられる。
 囚われた女は見目麗しく、男たちは女の命を奪わず、女は飼われることになる。
 男共の言いなりになりながら、次第に女の意識は野から人里へ下りてくる。

 生きるために足掻く必要をなくし、男たちの欲望に晒され、生きるだけの日々。
 いつしか女は寝台で、知らなかったものを男たちから得ることになる。

 言葉を、知識を、生き方を、そして感情を。

 いつしか待遇は変わり、身を飾るものを贈られ、宝石のように女は扱われる。
 その日々の中、女は男たちに奇妙な感慨を抱いていく。
 それが感謝や恩義に似た何かであると、そのときの女は気付けない。

 女はその感慨を抱いたまま、住処にいた男たちの首を全て折った。
 容易く、一息に、苦しませずに、一瞬で、全員を一纏めに、葬った。

 住処を抜け出し、野に赴き、何の迷いもなく、女は自分の故郷へ帰りつく。
 そこに住まう同族に、自分と同じ血の通った一族に、自分よりはるかに大きな体を持った人々に、女は奇妙な感慨を得る。
 それが憎悪と復讐心だと、そのときの女は気付かない。

 ただ、泣き喚き、許しを乞う声はなかなか痛快で、女は初めて心から笑った。

「ここで潰えて、無様に死ね。――それが、あんたらの罪業さね」

 その喜びを得るために、女は次々と同族を、血族を、一族の悲願を自らすり潰す。
 丁寧に丁寧に、一つたりとも残さず、余さず、時間をかけて、一人ずつ、確実に。

 やがて全ての同族が死に絶え、何もかもが終わったとき、女は男たちと共に過ごした住処へと舞い戻った。
 同族の亡骸は打ち捨てて、しかし男たちの亡骸は全て丁寧に埋めてやる。
 そうして一人だけになった住処で、女は長い長い息をついた。

 それが安息であるのだと、それが安らぎであるのだと、女は初めて幸福を覚える。
 もう誰の邪魔も入らない。考えることも、行動することも無用の中、眠りに落ちる。


 ――『怠惰の魔女』は、延々と続く惰眠を、飽くなき安寧を貪り続ける。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ――二層『エレクトラ』への階段は、大階段とでも呼ぶべき威容を誇っていた。

 六層から五層、そして四層へと上がるまでにあった長い長い螺旋階段と比較して、その大階段は横幅も、一段の高さもかなり大きい。
 そもそも、部屋が丸ごと階段部屋へと書き換わっているのだから、その威圧感たるや推して知るべし、である。

 何もなかったはずの空白の部屋、その空き部屋に出現した大階段。
 それを目前に腕を組み、スバルは長い嘆息をこぼす。そして――、

「なんか、ずいぶんと長い間、ここで足踏みしてた気がする……」

「え? 階段、見つけたばっかりだけど、急にどうしたの?」

 やけに実感のこもったスバルの言葉に、隣に立つエミリアが目を丸くして驚く。
 その反応にスバルは「いや」と首を横に振り、それから背後に振り返った。そこには大階段を発見し、この塔の設計者の底意地の悪さを共有した同行者が揃っている。
 その変わらぬ顔ぶれに、スバルは何故か奇妙な安堵を覚えた。

「――? スバル、なんでベティーのおててをこねてるのかしら」

「ここにいるって実感が欲しくて……おほん、それはもういいんだ。悪い」

 繋いだ手をこねられて、怪訝な顔をするベアトリスにスバルは愛想笑い。
 そして、改めて室内の面々に向き直ると、背後の大階段を指差した。

「で、気を取り直してなんだが……この大階段、実は最初からここにあったのに、みんなが揃って見落としてた、なんてことはないよな?」

「さすがに、これだけあからさまな階段を見落としていたとは考えにくい。――ただ、この部屋だけに限定した場合、その見落としも否定できないな」

「ってーと?」

「探索中にあった違和感、の話やね。うちもそれはちょぉわかるわ」

 スバルの疑問を受け、頷き合うのはアナスタシアとユリウスの主従だ。二人の納得にスバルは首を傾げるが、そこにエミリアが「はい」と手を上げ、

「スバルが寝てる間のことなんだけど、私たちはこの四層に集まったりしてたの。レムとパトラッシュが緑部屋で休んでるのもあるし、三層の謎解きにも挑戦してたから。それで、どの部屋に荷物を置くか、みんなで歩き回ってたんだけど……」

「そのとき、この部屋はなんとなく全員が避けたのよ。無意識のことだったけど、今にして思えば……」

「なんか、認識阻害的な方法で遠ざけられてたんじゃないかって?」

 エミリアの言葉をベアトリスが引き取り、その結論をスバルが口にする。その推測にエミリアとベアトリスは頷き、アナスタシアとユリウスも同じく首肯した。
 大階段を発見して、初めて全員が「そういえば」と気付く類の認識阻害――だとすれば、この部屋には最初からこの大階段があったのかもしれない。何らかの魔法で階段が見えないようにされていて、気付けないカモフラージュか。

「まぁ、でなきゃ三層で石板の謎解きが終わったときに、うっかりこの部屋にいた誰かが出てきた階段に潰されるとかありえるもんな……」

「スバル、石板ではなく、モノリスだ。混乱は避けたい。呼び方は統一しよう」

「モノリスモノリスモノリス! 満足したか? 話進めるぞ」

 おざなりな対応にユリウスが不満げなのが目の端に入るが、スバルはそれを食傷気味に無視。視線を、ここまで会話に入ろうしてこなかった二人――階段の傍で遊んでいるシャウラと、その背に掴まるメィリィへと向けた。

「ん? なんスか、お師様? はっ! ひょっとして、あーしが役立てる場面がきたッスか!? お師様のためなら、何でもするッスよ! 連帯保証人にもなるッス!」

「お前、絶対意味わかってなくて言ってるよな! それは親兄弟とか友達に言われてもなるな。一応、確認しとくけど、お前、この階段のことは……」

「苦節、あーしがここで暮らして云百年……初めて見るッスね!」

「メィリィ、遊んでていいぞ。スコーピオンテール引っ張ってやれ」

「別に、お兄さんに言われなくても遊んじゃうけどお」

「痛い痛い痛いッス」

 相変わらず、塔の攻略には何の役にも立たないシャウラ。彼女への折檻をメィリィに委託して、スバルは改めて大階段を見上げた。
 四層まで上がる階段と違い、この大階段は螺旋状の構造をしていない。通常、階段と呼ばれるものと同様に、真っ直ぐに上階へと続く形だ。ただ、塔の構造上、真っ直ぐに階段を上がる形では、三層を通り越して二層へ繋がる大階段など、塔の外へとはみ出してしまうようにしか思えないのだが――。

「そこは不思議パワーで何とかしてるのかな……」

「もしくは、これが二層に繋がってる階段と見せかけて、全然別の場所に繋がってる階段だとか……それだと、意地悪すぎるかな?」

「この塔にいると、エミリアたんの純朴さが汚されて、どんどん意地悪い人間の思考に染まってく恐れがあるな。早く攻略したい」

「――?」

 よくわからない、とエミリアが首を傾げる。が、この大階段を発見したのも、そもそも三層攻略に必要なヒントになってくれたのも、元を辿ればエミリアの発言だ。
 プレアデス監視塔or大図書館プレイアデスといったこの建物は、設計者の思考が反映されて非常に底意地の悪いギミックがいくつも仕掛けられている。
 それを次々と解き明かすエミリアは頼れると同時に、彼女の性格が曲がってしまわないか、健やかな日々を過ごしてほしいスバルとしては悩み所であった。

「とはいえ、ペースは悪くないよな。三層の『試験』だって、言っちまえば俺は初回クリアしてるわけだし、塔の攻略は三日で三分の一が終わったといえる」

「四百年以上も進展がなかったことを思えば、とんでもない進捗ペースかしら」

「そう言われると、確かにやべぇな。……いや、でも、俺って案外、何百年も動いてない歴史を動かす男だからな。歴史を動かす男ってパワーワード感がすごい」

 振り返れば、『白鯨』の討伐協力に加え、魔女教大罪司教『怠惰』撃破に『大兎』の討伐。『強欲の魔女』の墓所での『試練』突破にも一部貢献し、大罪司教『強欲』を倒して、人類未踏のプレアデス監視塔到着。そして、誰も挑戦していなかった『試験』の一つをクリアし、これから二つ目の『試験』へ臨もうと――。

「過程省いて功績だけ箇条書きすると、俺って馬鹿みたいだな……」

 それまでの間に散々死んでいるので、胸など到底張れたものではないが、それにしてもここ一年でこの世界の歴史を動かしすぎている。
 意図的に動かしているつもりはないが、少なくとも今後、大罪司教『暴食』と『色欲』には落とし前を付けさせる必要があることを考えると、あと二つは歴史を動かされることを覚悟しておけ、世界――といった気分だ。

「って、あれ? どしたの、エミリアたん。急に俺の手なんて握って」

「……ううん。ただ、スバルはもうちょっと、もう少し、自分のことをちゃんといたわってあげた方がいいと思うの」

「俺ぐらい自分にダダ甘な奴ってそうそういないし、エミリアたんとかベア子が優しくしてくれるから、これ以上は贅沢だよ」

 レムが目覚めればレムも、きっとそこに加わる。厳しいけど、優しい。
 それにペトラやパトラッシュ、ガーフィールやらオットーも追加すると、スバルが自分で自分に甘くする余地など残るはずもない。

「――――」

 そんなスバルの受け答えに、エミリアは何か言いたげに唇を震わせ、しかし言葉が見つからず、ただ上目遣いにスバルを見つめるだけに留まった。
 握られた手に込められた力が微かに増し、スバルは首を傾げる。
 しかし――、

「ナツキくんのこれは、もう根っこの部分の問題やと思うよ。一日二日ですーぐ直るもんとはうちには思えんもん。それこそ、エミリアさんが何でも使って教えてあげたら話は別やろけど……」

 手を叩いて話に割り込み、アナスタシアがちらとエミリアを見る。その視線にエミリアは真剣な顔をしていたが、それはアナスタシアの求めた態度ではなかったらしく、

「――それは、望み薄みたいやしね。向いてないし」

「――? よくわからないけど、やり方を教えてくれたら私、頑張ってみるわよ?」

「そんなん絶対にイヤやん……うち、地竜に蹴られるの御免やし」

「地竜に蹴られるって、馬に蹴られるみたいな言い回しなのかな……」

 ガーフィール語録とは別に、極稀に飛び出す異世界語録に新たな一ページが加わった。
 ともあれ、エミリアとアナスタシアの会話にはスバルも首を傾げる部分が多い。そのままエミリアと二人で仲良く首を傾げ合っていると、アナスタシアは疲れた顔で嘆息し、そうしてから大階段を指差した。

「ほーら、いつまでも足踏みせんと、上にいってみぃひん? 三層みたいに頭ひねらなダメかもしれんし……ナツキくんがあっさり解いてくれるかもしれんしね?」

「三層と同レベルの意地の悪さだったら、俺も自信ねぇぞ、正直」

 はっきり言って、スバルが三層『タイゲタ』の『試験』をクリアできたのは、たまたま星や星座に関連する内容で、スバルの知識にクリティカルしたからだ。
 星座――それも、スバルの知る元の世界の知識が必要となる難題。その事実に、スバルはこの塔の設計者であるフリューゲルが、スバルと同じく異世界へと召喚された現代人であると当たりを付けている。
 その点に限れば、二層の『試験』の内容が現代知識を必要とするものという可能性が高く、そこではスバルが役立てる可能性はあるが――、

「三層と違って、俺の知らない知識求められたら困るしな……フリューゲルだし、ドイツの歴史とか言われてもわかんねぇよ」

 そんな漠然とした不安はあるものの、周りの期待の目を気にして言い出せない。エミリアやベアトリス、彼女らのこの目にスバルは弱いのだ。
 足りないドイツの知識でも何でも、引っ張り出してどうにかしたいと思ってしまう。

「――しゃーねぇ。文字通り、次への階段が真ん前にあるんだ。ここでいかなきゃ男じゃねぇ。さぱっと挑んで、ズバッと攻略してやるぜ」

「生憎、この場にいるのは私と君を除けば女性ばかりだがね」

「心意気の問題なんだよ、水差すな! よし、いくぞ、ベア子!」

「んきゃーなのよ!」

 ぐっと拳を固めて、意気込みを語ったところに水を差される。それに舌を出して言い返し、スバルはベアトリスを引っ張り上げると、軽い体を抱えたまま階段に足をかけ、一気にそれを駆け上がり始めた。

「あ、スバル、待って!」

 勢いよく駆け上がるスバルを追って、エミリアが慌てて走り出す。その様子にやれやれと肩をすくめ合い、ユリウスとアナスタシアも続いた。

「裸のお姉さんはいかないのお?」

「裸、裸ってうるさいッスよ、チビッ子二号。大体、あーし裸じゃないッス。ちゃんとエロ可愛い格好してるッス。お師様セレクトにケチつけないでほしいッスよ」

「ケチとかじゃないけどお、置いていかれるのは困るでしょお。ほおら、急いで急いで」

「乗っかってるだけなのに偉そうなチビッ子ッス! お師様にあとでちゃんと躾けてもらうッス! あーしも躾けてもらいたいッス~!」

 スコーピオンテールを左右に揺すって、嫌々と頬を赤らめながらシャウラが階段に足をかける。背に少女を負っているとは思えぬ軽やかさで、彼女は大階段を一度に五段は飛ばして先行する面々を追った。

「だだだだだだだだだ――!」

 そんな後方のやり取りに目もくれず、ベアトリスを抱き上げたスバルは階段を駆け上がる。途中、器用にスバルの腕の中で姿勢を入れ替え、いつの間にかお姫様抱っこの姿勢でスバルに抱き着くベアトリス、その青い目が細められ、

「やっぱり、空間が捩れてるとしか思えないかしら。これだけ一直線に上って、塔の外に飛び出す気配がないのよ」

「外観からわからなかっただけで、塔がそんな形してるのかもしれねぇぞ」

「この階段部分だけはみ出すように? それだと、外から眺めて違和感があるから、せっかく階段を隠した意味がなくなるのよ」

「だよね。俺も言ってみただけ」

 ベアトリスの推論に賛同しつつ、軽く息を弾ませながらスバルは頭上を仰ぐ。
 不思議なことに、駆け上がる階段には上階の近付く気配がない。これだけ走っているにも関わらず、下るエスカレーターを逆走しているような徒労感があった。

「まさか、エミリアの言ってた嫌がらせが現実味を帯びてくる……」

 階段だけ用意して、実は上と繋がっていない可能性――そんなゾッとしない想像にスバルが身震いするのと、唐突に頭上が開けたのはほとんど同時だった。

「う、お――!?」
「ひゃ」

 明かりのない、石造りの階段通路を駆け上がっていたつもりが、突然に白い光に迎えられてスバルとベアトリスは一緒に声を上げた。
 思わず、踏鞴を踏んで前のめりになりながら足を止めれば、いつの間にやら唐突に階段が終わり、新たな階層へと足を踏み入れている。
 そこは――、

「白い部屋、再び……ってか」
「かしら」

 立ち止まり、ゆっくりとお姫様抱っこしていたベアトリスを床へ下ろす。
 思いの外、階段は長い道のりだった。少しはマシになった持久力でも、膝に手をついて呼吸を荒げることが止められないほどに。
 そんなスバルの背中を撫でながら、床で爪先を叩くベアトリスが部屋を見渡す。その視線を追いかけ、スバルは唾を呑み込んだ。

 階段を上りきった二人が到達したのは、三層『タイゲタ』での『試験』が行われた情景にそっくりな白い空間だ。床も天井も果てなく広がっているように感じられ、遠近感が根底から狂わされる不可思議な構造。
 正しく、この白い空間が場所として固定されている印象を抱けるのは、やはり三層と同じように階下と繋がる、ぽっかりと空いた階段部分だけだった。

「わ、またこの部屋?」

 その階段部分から続々と、スバルたちに続いてエミリアたちが姿を現す。彼女らは出迎えの白い景色に同じように驚いて、一様にげんなりと肩を落とした。
 また『試験』が始まるのだと、わかりやすく提示されたような気分になって。

「うっかり、三層に上がってきたってことはないか?」

「それはないと思うの。四層から三層に上がるのに、段数は五十四段だったけど、ここは四百四十四段あったもの。十倍ぐらい上がってきてるでしょ?」

「か、数えてたの、エミリアたん?」

「ふふ、実は階段の段数を数えるのが最近の密かな趣味で……なんで頭撫でるの?」

 自慢げに密かな趣味を告白したエミリア、彼女の頭をスバルたちが代わる代わる撫でていく。その撫でるのに参加しなかったユリウスやメィリィも、微妙に不憫そうな目をエミリアへ送っていた。

「なんだか、すごーく変な感じなんだけど……」

「と、とにかく、エミリアたんの大手柄だ。おかげで、一気に三層の十倍ぐらい上がってきたのがわかった。地味に二層飛ばして一層まできてるんじゃ説も浮かぶが、ひとまずここが二層だと仮定して考えると……」

「『試験』が始まるはずなのよ。たぶん、あれがその切っ掛けかしら」

 エミリアの疑念は後回しに、スバルはベアトリスの指差す方向――階段を上がって、ちょうど正面に当たる場所、そこで存在感を主張する物体に目を留める。
 三層『タイゲタ』でも、やはりああしたものが部屋の中央に陣取っていた。それに触れた途端、『試験』が始まる。ここも同じ条件ならば、おそらくはあの――、

「モノリスではないな。――剣だ」

 黄色の瞳を細め、部屋の中央に突き立つ『それ』を見つめ、ユリウスが言った。
 彼の言葉通り、白い空間に存在する『それ』は三層で目にしたモノリスではない。

 ――『それ』は、剣だ。

 鞘から放たれた抜き身の剣が、その先端を白い床に突き刺し、立っている。
 柄を上に向け、真っ直ぐに突き立つその剣は、ひどく美しくスバルの目に映った。

 華美な装飾があるわけではない。素材の良し悪しなどスバルにはわからない。
 ただ、過剰な装飾もなく、最低限の鋼に留まるその在り方が、美しく見えたのだ。

「雰囲気からして、さながら『選定の剣』ってとこか……」

「――――」

「はいはい、よぉ我慢したね。偉い偉い」

 その絵面に対するスバルの呟きを聞きつけ、眉を上げたユリウスがなんとか自重した。その耐える様子をアナスタシアが褒めるのを余所に、スバルはひとまずシャウラへ目を向ける。彼女は自信満々の顔で、豊満な胸を誇示するように腕を組んでいた。
 その表情には「何を聞かれてもわからないと答える準備は万全ッス!」と書かれていたため、スバルはついに何も聞かずに前に出る。

「スバル」

「大丈夫、だとは思う。三層の例を考えると、いきなり即死系の罠が起動するってことはないだろうから」

 心配げなエミリアに頷きかけ、スバルは選定の剣へとゆっくりと足を進めた。当然のように一緒についてくるエミリアとベアトリス。その二人以外の面々は階段付近に待機し、何かあれば即座に反応できる構えだ。

「アナスタシアを逃がすとき注意しろよ。階段が長ぇから、うっかり突き落としたら死ぬまで転がり落ちるぞ」

「留意しよう。君こそ、エミリア様とベアトリス様への注意を欠かさずに」

「大丈夫。スバルはちゃんと私が守るから」

「ああ、守られるぜ」

 親指を立てて応じてやると、気合い十分なエミリアの姿にユリウスが嘆息する。それを見届け、スバルは選定の剣の前に立った。
 手を伸ばせば触れられる距離だ。この時点で、剣は確かな現実感を伴ってここにある。モノリスのように、不可思議な物体といった印象もない。

「とはいえ、塔ができた頃から刺さりっ放しの剣ってことになるからな。それが劣化してないだけ、十分に異常事態だ」

 選定の剣を前に呟いて、スバルは軽く一呼吸――そして、剣の柄に手を伸ばした。
 ぐっと掴み、微かな抵抗があるのを感じつつ、上へ力を込める。
 一瞬、これが呼称通りに『選定の剣』だった場合、当たり前だがスバルには抜けない可能性が脳裏を過った――が、その懸念はすぐに杞憂に終わる。

「――――」

 ほんのわずかに力を込めた途端、床に突き立つ先端があっさりと抜けた。
 それは鞘から剣を抜き放つが如く、そうあるべきと定められたような流麗さで。
 その直後に、それがくる。

『――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ』

「――ッ!」

 鼓膜を通り越して、脳に直接響くような声が『試験』の概要を告げる。
 予想できていた展開だけに、握った剣を取り落とすような無様こそ晒さなかったが、相変わらずの不思議現象に居心地の悪さは味わわされた。
 やはり、脳に響くこの声は『自分』のそれによく似ている。

「車酔いみたいな感覚があるな……これ、今のはみんなにも……」

 剣を抜いたスバルだけでなく、周りのみんなにも聞こえたのだろうか。モノリスのときは、触れた当人以外にも声は聞こえた。
 だから、今回も――その意を込めて振り返り、スバルは気付く。

「――――」

 ――全員が息を詰め、一点に目を向けていることに。

「――――」

 その視線につられ、スバルはそちらへと目を向ける。視線が向いていたのは、スバルが引き抜いた選定の剣のさらに正面――ちょうど階段から剣までの距離と、同じだけ剣から距離を置いた場所だ。

 そこに、一つの影が出現していた。

「――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ」

 ぼそりと、呟かれただけのはずのその声が、やけに大きくスバルには聞こえた。
 剣を抜いた瞬間、聞こえた内容と全く同じ文言。しかし、それは今度は脳に直接響く自分の声ではなく、紛れもなく正面の人影から発された他人の声だ。

「――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ」

 声が、まるで馬鹿の一つ覚えのように、その文言を繰り返す。
 言ってしまえば機械的に、ある意味では自動的に、それとも本能的になのか。
 不気味に繰り返される文言と、それを乗せる声色との落差に身震いが隠せない。その人影の声は、まるで心臓を剣先でくすぐるように、ひどく直接的だった。

「――――」

 感じる身震いが恐怖なのか、感動なのか、快楽なのか、悲嘆なのか、区別できない。他人に感情をこうまで自由に弄ばれるのは、生物として絶対的な差がある証拠だ。
 この距離で、ただ声だけで、命を、弄ばれている。

「――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ」

 ――赤い、長髪を無造作に背に流した男だった。

 身長は、かなり高い。スバルより頭一つ分は上背があり、その身長に見合ったたくましい筋肉が男の肉体を覆っている。
 その身に纏うのは鎧ではなく、防護の役割に何ら寄与しない紅の着流し――右腕の袖を抜いて剥き出しになった裸身、その胴回りに白いさらしが巻かれているのが遠目にわかった。

 燃ゆる炎の色をした髪は背中の真ん中に届き、その左目は不細工な文様の入った黒い眼帯が覆っている。そして、眼帯のない右目は届かぬ天を映した空色だ。
 きっと、静謐に悠然と佇んでいれば、見るもの全てが振り返り、絵画に残したくなるほど整った美貌――それを、野蛮で残酷、狂気的な笑みが台無しにする。

 それは、あまりにも美しい姿をした、獰猛な獣だ。

 この世で最も美しい凶獣――そんな存在に、スバルは呼吸することを忘れる。

「ひ」

 時間が止まった錯覚の中、その静止を最初に割ったのは呻き声だった。
 とすん、と軽い音がして、直後に「きゃっ」と少女が声を上げるのが聞こえた。動かせぬ視界、その端にかろうじて見えたのは、尻餅をつく黒髪の女――シャウラが床にへたり込み、その傍らでメィリィが目を白黒させる状況だ。

「ひ、ひ……」

 ともすれば、シャウラは失禁しかねないほどに動揺していた。
 ただでさえ大きな目を見開いて、美少女が決してしてはいけない顔で驚きと、その心中に吹き荒れる狂乱の大きさを表現している。
 可能であれば、本能の訴えに任せるままにこの部屋から飛び出していたはずだ。
 ただ、震える足がそれを許さなかっただけで。

 ――あの、ケンタウロスすら一方的に始末したシャウラが、怯えて動けない?

「――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ」

 声は、怯えるシャウラが目に入っているだろうに、なおも変わらず繰り返す。
 一層、不気味さの増す状況――しかし、同時に気付くこともある。

 これほどのプレッシャーを放ちながらも、男は一歩もその場から動かない。――否、男はプレッシャーなど放っていない。男は、立っているだけだ。
 ただそこにいるだけで、『魔女』に匹敵する存在感を他者に与える生き物なのだ。

「――っ」

 息を呑み、瞬きすら忘れていた瞼を力ずくで閉じて、一瞬、落ち着く。
 それからスバルは男から目を逸らさぬままに、一歩、後ろへ後ずさった。右手には選定の剣を、左手にはベアトリスの手を握り、硬直した彼女を連れて、後ろへ。

「え、エミリア……」

「わ、かってる……」

 置き去りにするわけにはいかぬと、スバルはやはり硬直していたエミリアの名を呼んだ。その呼びかけに、エミリアも震える声で頷く。膝が震えるのを堪えられないままに、ゆっくりと彼女が動くのに合わせ、スバルは後ずさった。

「――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ」

 距離が開く。なおも、男は動かない。ただ、それを繰り返す。

「――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ」

 全神経を注ぎ込みながら下がり、へたり込むシャウラの傍へ辿り着いた。シャウラは相変わらず恐怖の顔を強張らせ、メィリィは彼女の腕を掴んで動けない。
 彼女たちを連れて、この場から撤退。可能なのか。スバルの両腕は、剣とベアトリスの手を握る指はガチガチに固まってほどける気配もない。シャウラとメィリィの腕を掴んで、立ち上がらせることができるビジョンが浮かばない。そもそも、あの男はそれを見過ごすのか。あの男の目的は何なのか。何のためにここにきて、『試験』とは、この剣は何のために――、

「――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ」

 繰り返される言葉、文言、それは二層『エレクトラ』での『試験』の提言。
 それを男が繰り返すことに何の意味がある。剣を抜いた途端に聞こえた『試験』の内容と、それを繰り返す男と、愚者と、許しとは――。

「――天剣に至りし愚者、彼の者の……ゆる、しを……」

「――ぁ?」

 思考が加速し、スバルの中で恐ろしい結論が生まれかけたのと、澱みなく繰り返されていた男の声、そこに澱みが生じたのは同じタイミングだった。
 思わず呻くスバル、その不用意さにエミリアやベアトリスが緊張するのを感じるが、それはこの変化には何の影響もない。

 ――それ以上に、男の変化は明白だ。

「天剣、愚者の……許し、をぉ……あ、ああお、おーおー、あー」

「な、なんだ? なんだなんだ、何が起こる?」

「あ、あ、ああああああ――ッ!!」

「ぴぎぃっ!」
「どわぁっ!?」

 澱みどころの話ではなかった。
 棒立ちでいた男、その発言におかしな停滞が生まれ、次の瞬間に爆発する。男は自分の頭に手を当て、乱暴に髪を掻き毟りながら絶叫した。
 その突然の振る舞いに豚のような悲鳴を上げ、ついに我慢しきれなくなったシャウラがスバルへと飛びつく。当然、支えきれない。彼女の腕に思い切りに抱きしめられながら、スバルは受け身も取れずに床にひっくり返った。

「――ッ!」

 衝撃に一瞬、視界を火花が散る。その間にも鼓膜には男の絶叫と、スバルの腰にしがみついて嫌々と首を振るシャウラの泣き言が飛び込んでくる。

「あああああ――!!」
「ひやぁぁぁ! お師様お師様お師様助けてぇっ! いやッス! 助けてぇ!」

「お、お前、さっきから何を――」

「――るっせえぞ!! 二日酔いの頭に響くンだよ! 喚くンじゃねえ!」

「あふっ……」

 落ち着かせる言葉が届く前に、ついにシャウラの精神が限界を迎えた。
 それまでの暴れぶりがなんだったのか、シャウラは呆気なくぐるりと白目を剥くと、スバルの腰にしがみついたまま動かなくなった。
 精神の均衡を失い、失神したのだ。

「嘘だろ、お前……」

「ぶくぶくぶくぶく……」

 ご丁寧に、わかりやすく失神した状況を伝えるシャウラは完全に戦線を離脱した。試験官の立場上、彼女が塔の攻略に役立つ期待は低かったものの、ここまでの反応にははっきり言って予想外だ。
 何せ、彼女の戦闘力だけは折り紙付き――その彼女が、これほど怯えるなどと、

「只者ではないと、そうお見受けする」

「あぁン?」

 一歩、高い靴音が鳴り響くのと、不機嫌に男が唸ったのは同じ原因だ。
 それは白い靴の踵で床を叩いて、前に踏み出した優麗の騎士――その手に、ひっくり返った拍子にスバルが手放した剣を拾い、頬を硬くするユリウスだ。
 そのユリウスを目にして、男はその口の端を苛立たしげに歪めた。

「なンだ、オメエ。つーか、ここどこだ。ふざけてンのか、オメエ」

「いいや、ふざけてなどいない。こちらも、戸惑ってはいる。突然にこの場に貴方が現れたのだ。――警戒も、やむを得ないと思ってもらいたい」

「なンだ、オメエ。ややこしい喋り方してンじゃねえぞ、オメエ。オレの子分と似た喋りしてンじゃねえぞ、オメエ。オメエ、オレの子分かよ。違えよな。違えンなら紛らわしい真似するンじゃねっつーンだよ、オメエ」

 ユリウスの、あくまで礼節に則った上で警戒を露わにした物言いに、男はますます不機嫌を強めた様子で舌打ちする。
 それは先の文言を繰り返すだけの状況に比べればはるかに人間的だが、かといってうまく会話が成立しているとは到底言えない状況には違いなかった。

「――いい女、いい女、エロい女、ジャリ、ジャリ、子分、雑魚」

「残念だが、私は君の子分ではない」

「かっ! その言い方、ますます子分そっくりじゃねえか、真似すンじゃねえ」

 ユリウスの反論に、初めて男が上機嫌に笑った。
 異常に白い歯と、異様なまでに整った美貌と、異貌の狂気が混ざり合い、鮫のような笑みだった。

「――――」

 ようやく、その笑みにかろうじて男の姿に人間性が垣間見えた。あるいは、ようやく会話の通じる、知的生命体である確認が取れたというべきか。

「おう、オメエ。説明しろや。なンだ、ここ。オレに何してくれてンだ、オメエ。上等くれてンじゃねえぞ、オメエ。ちゃきちゃき話せや、オメエ」

「いきなり、現れて……ずいぶん、偉そうだな、お前」

「あぁン?」

 剥き出しの胸元に手を突っ込んで、無造作に自分の胸を掻き毟る男。その男に向かって、ようよう体を起こしたスバルが、絞り出すように言葉をぶつけた。
 それを受け、隻眼の右目を見開く男が、寝転ぶスバルを睨みつけて、

「なンだ、オメエ。何寝てンだ、オメエ。いいご身分かよ、オメエ。エロい女侍らせて肉布団ってか、オメエ。そこ代われ、オメエ」

「生憎、当人の意思を尊重して、そのお願いは却下だ……」

 震える膝を酷使して、スバルはなんとかその場に立ち上がる。その際、しがみついていたシャウラは強引に引き剥がしておく。引き剥がすときに配慮が足りず、頭から床に落ちたが、気を向けてやる余裕がない。
 ただ――、

「あー、あー、あぁ? ンだ、オメエ。あれか、オメエ。ふざけてンのか、オメエ」

「……人の面見るなり、失礼か、オメエ」

「かっ!」

 奥歯を強く噛むように、硬い音を響かせて男が獰猛に笑った。
 それから、男は困惑するスバルを無視し、その隻眼で白い部屋をぐるりと見渡す。そして「おーおー、はいはい」などと納得した風に頷くと、

「わかった。――ンじゃ、始めっか」

「始めるって……待て! さっきから、お前勝手に話進めすぎだろ!?」

「るせえな、オメエ。さっきっから散々、オレが寝言で説明してやっただろうが、人の話はちゃンと聞けや、オメエ」

「さっきからって……」

「――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ」

 状況についていけず、目を白黒させるスバル。それに代わり、何度も繰り返された文言を一言一句違わず呟いたのはエミリアだ。
 かろうじて、彼女たちの硬直も解け始める。ユリウスとスバルに続いて、何とか時間の静止から解放されたエミリアとベアトリス、それにアナスタシアとメィリィも。
 シャウラだけは、完全に意識をなくしたままだが――、

「かっ! そっちのいい女は雑魚とは違えな。生身だったら今夜の相手だ、オメエ。……よく見たらやべえな、オメエ。なんだ、その面、マブすぎンだろ、オメエ」

「まぶ……?」

「お前が! ここの試験官! そういうことで、いいんだな?」

 エミリアを見て、どこか好色なものを瞳に宿した男。その男とエミリアの間に割って入り、スバルは指を突き付けてそう言った。
 その確認に男は鮫のような笑みを深め、

「――知らねえ。他人の付けた肩書きになンざ興味ねえよ。オレはオレ。オメエはオメエ。それ以上に何がいる。オレとまともにお話したけりゃぁ、こっからオレを一歩でも動かしてみろや、オメエ」

「――――」

 無防備に、ただ悠然と立ち尽くすだけの男の発言。
 それを笑い飛ばせなかったのは、男の提示したその条件が、まさしく『試験』に値するほどに難易度の高い条件だと、すんなり受け入れられたからだ。

 ――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ。

 目の前に立つ男が、『天剣に至りし愚者』だとすれば、許しを得る方法は教わった。
 あとは、純粋に、それが、可能なのかどうか。

「ルグニカ王国、近衛騎士団所属。ユリウス・ユークリウス」

 戦い――否、『試験』が始まる前に、ユリウスが礼儀に則って自ら名乗り上げた。
 対等に、これから雌雄を決する相手への最低限の敬意。

 それを受け、男はその青い隻眼を楽しげに細め、異常な剣気を垂れ流しながら、

「名乗る名なンざねえよ。――オレは、ただの『棒振り』だ」


 大図書館プレイアデス、第二層『エレクトラ』の試験。
 制限時間『条件付無制限』。挑戦回数『条件付無制限』。挑戦者『条件付無制限』。


 ――試験、開始。






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本当は、こいつを出してから更新止まる方がみんな気になったはずなので、
すごーく反省しています。失敗失敗。
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