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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第二章 激動の一週間

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第二章19 『読み書きの成果』


「ラムとレムの話じゃ、まっすぐにこっちに向かったって話だったから、ちょっと遅いなーって思ってたのよ」

 笑い終わって庭園の端で、エミリアはスバルを見つめてそう話した。
 いまだに笑いの残滓が涙の滴となって瞳に残り、指でそれをすくいながらのやり取りだ。
 爆笑されたスバルはちゃっかり手の中のパックを弄びながら、

「それはアレだ。そう、インパクトのある再会を演出しようと思って、色々とぬかりなくやってたモフモフ」

「うん、でもテラスから飛び出して花壇に刺さるのはやり過ぎかも」

「すいません、不可抗力です。そんな腕白小僧じゃないッス」

 はっちゃけると窓から飛び出す痛い子だと思われた困る。そのたびに花壇に刺さって、パックに鉄砲水で洗われるのも願い下げだ。

「そういや、遅いなーって思ってくれてたってことは、待っててくれたの?」

「……ん、違うわよ? 確かにお礼を言わなきゃって思ってたから、下手に私の方が動いて会えなかったら嫌だなって思ったりもしたし、病み上がりの人を私探させて歩き回らせるのもどうかなって考えなかったわけじゃないけど、ここに残ってたのはたまたまというか」

「そ、たまたまだよ、スバル。色々と理由つけてボクの毛づくろいを長引かせたり、微精霊相手に何回も同じ話題振ってあの子らをぐったりさせたり……そんなことをやってたけど、君を待ってたわけじゃないんだって。ね?」

 エミリアの自爆にパックがここぞとばかりに誘爆。
 からかいの態度を崩さないパックに、エミリアが微笑んだまま視線を向け、

「パック~?」

「素直に言えばいいのに。そこがボクの娘は可愛いんだけど……スバルもそう思うでしょ?」

「超思うよ! エミリアたんは最高だ! 俺もうメロメロキュンだよ!」

「スバルまでパックの悪ふざけに……あと、そのたんってなに? どうしてどこから姿を現したの?」

 そろそろ毎度のやり取りになりつつある呼び名への疑問。
 前回まではなあなあで誤魔化してきた内容だが、今回はパックと共同して押し流しに入る。互いに目を目を合わせてアイコンタクトし、

「知らないのか? これは相手への親愛の気持を示す最上級の敬称だよ。ゆっくり噛みしめるように言ってみるとわかる。そう、エミリアたんと」

「え、そうなの……? でも、そんなの聞いたこと……」

「まあ、今や忘れ去られた古い古い時代の言葉だからね。リアが知らないのは仕方ない。ボクも、思い出すまで少し時間がかかったよ」

 遠い瞳をしながら、スバルの嘘会話に嘘思い出で対抗してくるパック。スバルはそんな彼の言葉に厳かに頷き、

「古びてカビの生えた、すでに歴史から消え去ったおとぎ話みたいなもんさ。でも、その心だけは今も息づいている。そっとね」

「でも、それを知るものも今じゃずっと少なく……まさか、スバル。君はあの失われた王国の……?」

「関係者……いや、当事者とでも言おうか。聞いたことがないか? その失われた王国の王家は、黒髪に黒瞳を宿す一族だと……!」

「二人とも顔が笑いすぎよっ!」

「「ぎにゃーーーー!」」

 盛り上がってきて会話が楽しくなってきたところで、エミリアの方から氷塊が飛んできて強制的にシャットダウン。
 角砂糖ほどの大きさの氷の塊だが、それが視界を覆い尽くすほど飛来して顔中に貼りつくという、ある種嫌がらせ的な突っ込みだ。
 張り付いた氷は無理に剥がそうとすると肌が痛み、体温で溶けるまで放置するしかない。そして顔中が低体温化でけっこう痛い。

「地味に効く! 地味にしんどい! 急所に当たった! 効果は抜群だ!」

 ごろごろと転がり回って基礎体温を上げ、溶解を早めるスバル。芝生の上を転げ回る姿を見下ろしながら、エミリアは困ったように吐息をこぼし、

「まったくもう、すぐそうやってふざけて……お礼のひとつも言わせないんだから、ずるいったらないわよ」

「今の苦しみはわりと本気っぽいけどね。ああ、下手に剥がすと血が出る血が出る」

 事態の深刻さがイマイチ把握し足りないエミリアと、スバルの醜態を楽しげに見ているパック。そもそも、共犯のはずのパックの方にダメージがいっていないのはどういうわけなのか。

「いやほら、ボクはリアの魔法ぐらい片手でいなせるし」

「ほうほう」

「いなした攻撃を全部隣にいた誰かに肩代わりしてもらっただけだよ」

「それでこの過剰ダメージか! お前、ホント見た目に反してひどいな!」

 顔をこすって氷を溶かし切り、怒鳴るスバルの前でパックが「いやぁ」と己の頭に触れながら照れ笑い。
 相手すると疲れるだけだとスバルが割り切り、ふと屋敷の方に振り向くと、

「お、ラムとレムが……」

「本当だ。なんだろ、もう朝食の時間かしら」

 日課の最中、庭園に二人が足を踏み入れることは珍しいのだろう。首をひねるエミリアの反応を見ながら、スバルは「ああ」と内心で納得。
 初日のこの時間となると、ロズワールの帰還があるタイミングだ。二人がきたのもその呼び出しのためだろう。

 スバルたちの前へ歩み寄った双子、二人が同時に丁寧に頭を下げ、

「「当主、ロズワール様がお戻りになられました。どうぞお屋敷へ」」

 何度聞いても惚れ惚れするステレオ音声だ。
 エミリアがその言葉に仕方ないと肩をすくめ、スバルもまた立ち上がりながら屈伸し、体の調子を確かめてから双子に向き直る。
 と、双子はそんなスバルを上から下まで見て、

「姉様、姉様。ちょっと見ない間に、お客様が泥塗れの濡れ鼠ですわ」
「レム、レム。ちょっと見ない間に、お客様が汚物塗れでボロ雑巾だわ」

「言われなくてもわかってるよ。俺のジャージってどこにある?」

 辛辣なコメントにそう返して、スバルは屋敷の景観を見上げる。
 着替えて、身なりを整えて、改めてロズワールと向き合うことにしよう。

 ――今回は、前回までと違ったアプローチをしてみるつもりなのだから。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 帰還したロズワールを屋敷の玄関ホールで出迎え、三度目の初対面を通過したあと、朝食のために食堂に案内されるのは二回目などと同様の流れだ。
 すでに三度目になるスバルにとって、慣れ親しんだに近い展開。こういった流れが踏襲されることについては、おそらくはロズワールの強い意志が介入しているのだろうとスバルは考えている。

 異世界に召喚された初日、つまりはエミリアと出会った日のことになるが、あの四度繰り返した一日においても、強い意志によって起こり得る事態は必ずといっていいほど繰り返された。
 フェルトによるエミリアの徽章盗難がそうなら、路地裏でスバルの身ぐるみを剥ごうというトンチンカンの目論見もそうである。
 合間合間の細かな変化(各人物の気まぐれであったり、スバルの行動)はあれど、大まかな流れを外さないのはそういった意思が原因だろう。

 よって、この初めての朝食の席での話題がエミリアの徽章の話になり、最終的に彼女が女王候補であることや、スバルの功績に対するご褒美へと移り変わっていくのは必然の展開なのである。
 多少、それを狙って話を誘導したのは否定できないが。

「そぉんなわけで、私はエミリア様のパトロンってこと。よって君が得た徽章盗難の情報を隠蔽するためなら、相応の対価は支払わせてもらうよぉ?」

「対価、ね……」

 うまく話をそこに持ち込み、落とし所を探るような構えでスバルは瞑目する。
 初回、前回とここでのご褒美は『使用人として雇ってもらう』という形で落ち着かせた。前回は初回と踏襲するという目的があって故のことだが、今回のスバルは前回をありのままなぞるつもりは毛頭ない。
 だから、ここでスバルがロズワールに求める褒美は別なものとなった。
 それは、

「それじゃ、ロズっち。二、三日でいいから屋敷に泊めてくれ。そのあとは別の場所に行くから、ちょっぴり路銀を融通してくれると助かる」

「ふぅむ、ちょっぴりというと……家が二、三軒建つぐらいかな?」

 スバルの申し出を深読みして、ロズワールが目を細めてそう言う。それに対してスバルは手を振って苦笑しながら、

「そんな裏の意味は込めてねぇって。純粋に、十日間ぐらい宿に泊ったり飯食ったりするのに苦労しないぐらいでいい。あとは勝手に生きてくから」

「エミリア様の言う通り、それはそれは……欲のない話だよぉ?」

「いいんだよ。そんなたいそれたことしてねぇし……あ、エミリアたんが俺と別れ難いって言うんなら話は別だけど!?」

「無欲なことだとは思うけど……スバルにも理由があるだろうしね。きっと大切なことなんだろうから、私が引き止めたりしちゃ悪いもの」

「好意的解釈で突き放された!」

 エミリアの中でスバルがどんな偶像を打ち立てているのかわからないが、やたらと好漢扱いされているらしき返答にて交渉終了。
 頭を抱えるスバルを見ながら、ロズワールはその歌舞伎な衣装の襟を正し、

「そこまで言うなら仕方ない、聞き届けましょ。ラムとレムに用意させておくかぁら――滞在は、三日でよかったかな。他に何かあれば聞くけど?」

「そだな。んじゃ……紙と羽ペンと、童話貸してくれ」

 スバルの申し出に軽く眉を上げるロズワール。
 そんな彼に対してスバルは頭を掻き、視界の端に双子を入れながら、

「毎晩の読み書きの練習、続ける約束なんだよ。こう見えて、俺ってば約束は守る主義なんだぜ?」

 ウィンクして双子に合図。双子は互いに顔を見合わせ、その一方的な約束事に目を白黒とさせたのだった。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ――実質、三度目になるロズワール邸の一週間。

 その繰り返し三度目の今回において、スバルがなによりも重視したのは自身の死因と、それをやった襲撃者の正体を掴むことだった。

「キーワードは魔法と鎖……だけど、これじゃまだまだ何もわからねぇ」

 わかっていることは、四日目の深夜に何者かの襲撃がある事実一点。
 この時点でそれをロズワールに進言すれば、多少の対策は取ってもらえるかもしれないが、情報の出所を説明できないスバルには賭けの要素が大きい。せめて刺客の姿かたちや獲物、それらがわかるだけでも大きく違うのだが。

「だから、今回は割り切る。今回は、情報収集の一点賭けだ。『死に戻り』の条件が前回と同じなら……」

 少なくとも、あと一回はやり直しをする猶予が残されているはず。
 それがスバルが現段階で考えた、最善に至るための策であった。

 前回のループに関しては、三度の死亡、そして四度目の挑戦での突破が確認されている。それを前提とすれば、一度は必ず戻ってこれるはずだ。
 そして、今回のループで得た情報をもとに、四度目の世界での突破を図る。

「正直、最初から諦めてるっぽくて選びたくない作戦なんだが……」

 スバルに打てる手段が限られている以上、こうした犠牲を払う必要は必ずある。それに元より、漫然と状況を見送るつもりは欠片もない。
 やり直す覚悟を固めたとしても、やり直さないで済む状況に越したことはないのだ。故に、越えられるなら今回でループを突破する腹積もりは当然ある。

「パックにはそれとなく、エミリアたんを守るよう伝えてあるしな」

 庭園でのやり取りのあと、エミリアの目を盗んでスバルはパックに警告を呼びかけている。
 具体的な内容にまでは踏み込めなかったが、夜間の彼女の身辺に気を付けるよう頼み込んだのだ。具体性を欠く内容にパックは首を傾げたが、こちらの感情を読める猫は、スバルの真剣さに偽りはないと判断したのだろう。

「納得はいかないけど、リアを案じているのは事実みたいだからね」

 と、強引なスバルの話運びを鷹揚な態度で受け止めてくれた。
 これでエミリアの安全はある程度確保できたと考えていいだろう。約束を違える猫でないことは、短い付き合いだがわかっている。せっかくのモフり権を放棄してまでの約束だ。彼ならばそれを無碍にはしまい。

 深く追及されなかったことに安堵しつつ、それで肩の荷を下ろすことができた。なぜ、追及されなかったことを安堵したのか、今のスバルには考えることすら浮かばなかったのだが。

「あとはあのロリと、ロズワールにそれとなく……それとなくってどうやんだよ。対人スキル低い人間に求める内容じゃねぇぞ」

 がしがしと乱暴に頭を掻きむしり、羽ペンを鼻の下に挟んで背筋を伸ばす。

 待ち構える難題の多さに頭が痛い。
 ダメで元々の今回とはいえ、それで彼女らを捨石にする選択肢に痛みを伴わないわけがない。できるなら、ラムにもレムにも無事に四日目を越えてもらいたい。ロズワールやベアトリスも、そこに入れて当然だ。
 山頂が高く見えないものだったとしても、それは挑まない理由にはならないのだから。

「さて、どうしたもんか……と」

「失礼するわ、お客様」

 椅子の背もたれに体重を預け、ギシギシ軋ませていたところへ外からの声。こちらの返事より先に戸を開いて姿を見せたのは、桃髪の鮮やかなメイド姉妹の姉――ラムだ。

 彼女は手にお茶の載った盆を持ち、机に向かうスバルを見ると眉を寄せ、

「あら、本当にお勉強しているのね、お客様」

「お前、超失礼だな。仮にも現在、屋敷の客人ですよ、俺」

「食客という名の居候。そう認識しているわ、お客様」

 悪びれもしない様子で部屋に押し入り、ラムは机の上にお盆を置くと、「どうぞ」と湯気の立つお茶を差し出してくる。
 この世界のお茶は、見た目や味ともに元の世界の『紅茶』に近い。はっきり言って茶葉系の飲み物が苦手なスバルであったが、こちらの世界でコーラだの清涼飲料水だのを求めるのは空しいだけだと半ば諦観している。

 それに、ロズワール邸での生活も合計して約十日間。
 立場こそ怪我人、客人、使用人と転々としたスバルだが、その間に出されるお茶の味わいに変化はない。繰り返してきたスバルだけが感じ取れる、そっけない態度のラムが手を抜いたりしていない証拠だった。

 だからスバルは今日も、出されたお茶を口に運んでゆっくり味わい、

「うん……やっぱ、マズイ」

「お屋敷で出される最高級の茶葉を、罰が当たりそうな感想ね」

「苦いもんは苦い。ダメだ、やっぱ葉っぱとしか思えねぇ。一緒に飲む相手がお前じゃ見栄張る気にもならねぇ。植物の味がする」

「ずいぶんと馴れ馴れしいことだわ、お客様」

 言いながら、ラムはお盆の上になぜかもうひとつあったカップを当たり前のように取り、机の背後のベッドに遠慮なく座ると口に運ぶ。
 給仕、のふりをしたサボりではあるまいか。スバルはじと目で彼女を睨み、

「客人の前で堂々とサボりとか、お前のクソ度胸には言葉もねぇよ」

「お構いなくでいいわ、お客様。ラムも別に、お客様に求めるものは何もないから。ただ、お茶を口実に時間が潰せればそれで」

「妹がその間も必死で働いてるってのに、お姉様はいい御身分ですこと」

「その妹の仕事を増やしてくださったお客様ほどじゃないわ」

 おほほほ、と互いに口元に手を当て、無表情なまま笑い合う牽制。
 そんな彼女と憎まれ口を叩き合いながら、スバルはどうにも腑に落ちないものを感じずにはいられなかった。

 この三回目のループが始まって、すでに事態は二日目の夜に入っている。
 その間、スバルはといえばエミリアの尻を追いかける時間以外は、ほとんど与えられた客間に閉じこもって文字の習得に集中していた。極々稀に、ベアトリスをからかいに行く時間はちゃんと取っていたが。

 つまり、今回のループではラムやレムとはお客様と使用人という立場以上では接していない。初回はもちろん、二回目以上に希薄な付き合いのはずなのだ。
 にも関わらず、ラムはこうしてスバルの客間へ理由を作っては足を運んできている。給仕もそうだが、時たま様子を見に訪れては、スバルの勉強の成果を確かめるかのように口出しし、口論をしては部屋を出ていく。その繰り返しだ。

 ともすれば、初回や二回目以上に親密げなラムの態度。
 それはありがたくもあれば、スバルにとっては良心の呵責を生む関係性でもあった。
 すでに半ば、今回を通過点と定めているスバルにとって、この世界を見過ごしてしまうのが惜しいと思わせるほどに。

「わかんねぇなぁ……やっぱ、アレか。こう粛々と文字に打ち込む、いわゆる文学青年的な俺の後ろ姿に、乙女心がキュンときちゃった感じか」

「文学青年……」

 スバルの呟きにラムが反応。彼女はベッドに座ったままこちらを眺め、スバルの姿を上から下まで舐めるように確認してから、

「はっ」

「お前、たまにそれやるけどマジ感じ悪ぃぞ」

 完全に小馬鹿にした顔で鼻で笑われ、スバルの頬も思わずひきつる。
 そんなスバルの前でラムは変わらぬ態度のまま肩をすくめると、

「その見るからに筋張った筋肉質な体と、鋭いっていうより純粋に悪い目つきと、繊細さと程遠い精神性で文学青年。ひょっとしてその文学青年というのは、お客様の頭の中にしか存在しないのではないでしょうか」

「そこまで言うか!? 確かに菜月さん家の昴くんは、見た目だけはすごいスポーツマンなのにひきこもりなのねってご近所でも有名だったけど!」

 言われるたびに母親が笑いを堪えながら、部屋の前までそれを報告しにきたものだ。そのときの恥辱が思い出され、思わずその場を転がり回りたくなる。

 顔を赤くしてその衝動と戦うスバル。ラムはベッドから立ち上がり、そんな彼の隣を抜けると机の上のノートを見やり、

「そしてこの汚い字。――文学青年が聞いて呆れるわ、お客様」

「お前ほどただお客様って言ってるだけのメイド見たことねぇ……。メイド喫茶のメイドでも、もちっと愛想使うぞ」

 行ったことがないので聞きかじりの知識でしかないが、そこの歓待ぶりはそれはもうすごいらしい。行ったことないから全然わからないけれど。

 スバルの恨めしげな提言は爽やかに無視され、ラムは文字で埋め尽くされたページをぺらぺらと興味なさげな顔つきでめくっている。
 その表情の動かない横顔を睨みながら、ふとスバルは放置されっ放しになっていた童話の本を持ち上げた。

「そういや、ほとんど『イ文字』で書いてあるこの本なら、そろそろ読めてもいい頃合いだよな」

 赤茶の背表紙にはこちらの文字で、ただ簡単に『童話集』的な題名が表記されている。本自体の作りは元の世界と近似値で、最初に目次とページ数が記載され、その後に章ごとの物語が掲載されている形だ。
 パッと目次を見た限り、この本に載っている童話はほんの十篇ほど。本の厚さも大したことはなく、読もうとすれば小一時間もあれば十分だろう。

「つまり、時は満ちたってことだ。そろそろ、勉学の成果を実感したいしな」

「知らなければ恥をかくような、そんな常識的なお話ばかりよ。文学青年さんとしては、押さえておいて当然のお話。ね、お客様」

「わかったから、そんな引っ張んなよ。なに、そんなに俺が文学青年気取ったのムカついたの? 文学青年に並々ならぬフェティシズム持ってんの?」

 スバルのセクハラめいた問いかけに応じず、ラムは机の上に残っていたカップを傾けて喉に通す。それはスバルの飲みかけだったのだが。

「おーい、給仕さんが運んできた茶を全部飲むとか聞いたことねぇよ」

「どうせ不味そうな顔をして飲むんだからいらないでしょう。お茶だって、どうせならまともな舌を持っている相手の方が嬉しいでしょうし」

「だから葉っぱの味がするって感想言ったじゃん……ああ、もういい。俺は本に没頭するから、帰るなりてけとーに時間潰すなり好きにしてけろ」

 ぞんざいに手を振ってラムを遠ざけ、スバルは椅子に体重をかけると、やっとのことで童話の一ページ目を開いた。
 出だし、この童話集をまとめた作者の序文があったのだが、いきなり『イ文字』でない文字が多発してもうつまずく。

「マルマルがバツバツしてチョメチョメに捧げる的な文章としか読み解けねぇ……クソ、飛ばしてもいいんだろうけど気持ち悪い」

 物語のいいところで読めない文字に出くわしたらどうしよう。
 そんな心配が生じて、スバルは片目をつむりながら軽くぺらぺらと本をめくり、ネタバレに気を付けつつさっと目を通す。
 そしてパッと見た感じ、本文には『イ文字』以外の文字がなさげだったのを確認し、改めて本へと挑むことに。

「ええと、なになに……むかーしむかし」

 やっぱりどの世界でもお伽噺はそういう出だしから始まるのか、と思いつつ物語を読み進める。
 童話、というだけあって物語の起承転結は非常に明快で簡潔。それだけに想像の余地が多く残されているところなど、元の世界の数々の童話と変わらない。

「微妙に子どもへの教訓めいた展開とかがあるのも一緒だな。泣いた赤鬼的な話とまんまなやつとかあるし」

 お伽噺系で一番好きなのがなにかと聞かれれば、スバルは『泣いた赤鬼』を一番に上げる。一番嫌いなお伽噺がなにかと聞かれれば、やはりスバルは『泣いた赤鬼』を一番に上げるだろう。
 好きで嫌いな物語、『泣いた赤鬼』。幼稚園時代、園内にあった全ての『泣いた赤鬼』の絵本に、最後のオリジナル展開を書き加えた思い出が懐かしい。

「青鬼は報われるべきなんだよ、バッキャロウ。寂しいじゃねぇか、なぁ?」

「突然、そんな涙目で言われてもなにがなにやらわからないわ。外聞が悪いから、ラムがいる前で泣くなんてやめてくれないかしら」

「男の子の涙に対してなんて冷たい!」

 ぴしゃりと断ち切られて、スバルは瞼をこすって涙を蒸発させる。それからまだ部屋にいるラムの前で、読み終わった童話の表紙を軽く叩き、

「読み終わった。意外と面白かったな。こう、微妙な常識感の違いを楽しめるというか……そう、まさに異文化交流的な感じ? 俺、こっちで絵を勉強して向こうの話とか広めようかな。著作権て、世界越えても追ってくると思う?」

「お客様の発言の半分くらいがわからなかったわ。……それで、読み終わった感想がそれ? なにか印象に残ったお話とかはなかったの」

 盗作はいかんよなぁ、と創作者としての信念をぐらつかせるスバルへの質問。それに顔を上げ、スバルはぺらぺらと童話集をめくると、

「気になったのはやっぱ、この真ん中にあったドラゴンの話と、巻末の魔女の話だろ。どう考えてもこの二つだけ別枠扱いだし」

 童話集の中にあって、スバルの印象にもっとも強く残ったのがその二篇だ。片方はまさに別格の扱い、そしてもう片方はまるで、

「魔女の話はなんつーか、載せないわけにはいかないから載せたぐらいの投げやり感が半端ないけどな。起承転結とかALL無視して概要だけだぜ」

「……魔女の話は仕方のないことよ。竜の話が別格扱いなのは、ここがルグニカである以上は当然のことだし」

「ああ、『親竜王国ルグニカ』だろ? 名前の由来、やっとわかった」

 童話集を机の上に置いて、その表紙に手を添えながらスバルは頷く。
 『親竜王国ルグニカ』と呼ばれる、今スバルが滞在しているらしい大国。世界図で見ると、世界のもっとも東に位置するこの国が、『親竜王国』などと呼ばれるのにはそれなりの理由があった。

 簡単な話だ。この国はずっと昔から、竜と結ばれた盟約によって、その繁栄を助けられてきたということなのだから。

「飢饉、疫病。そして他国との戦争――竜はその様々な窮地において、ルグニカを守るために力を貸してくれたというわ」

「んでもって付いた名前が『親竜王国』と、たいそれたもんだ。童話によると王族と竜の盟約だなんて書いてあるし、こりゃお伽噺っていうより昔話……」

「そうね、事実だから。今も貴きドラゴンは、この国の安寧をはるか遠方――大瀑布の彼方より見守っている。王家と交わした約束、その成就の時まで」

 厳かにラムがそう告げるのを、スバルは喉を鳴らして聞いていた。
 はるか昔にドラゴンと交わされた約束。――童話にはその内容は描かれていないが、王国の危機を何度も救ったほどの約束だ。
 相応のなにかをもって、人と竜の間にはそれが結ばれたのだろう。

 そこまで考えて、ふとスバルは気付く。
 竜が盟約を交わしたのが、ルグニカ王国の王族だというのなら――、

「あれ、ひょっとして竜と約束した一族って……ついこないだ滅んでね?」

「そうね、わりとあっけなく」

「それってヤバいんじゃねぇの? いや、なにがどうヤバいのかは全然わかんねぇんだけど……」

 約束してこれだけ尽くしてくれるドラゴンだ。その対価も相当だろう。なのにそれを払うべき王族が根絶やしになったとあれば、「俺の今までの賃金はどないしてくれんねん」とブチ切れてもおかしくない。

「いやいやネガティブシンキングはよくねぇぞ、俺。むしろここは逆に、すでに王族が竜に賃金を払い終わった前払い説を押したい。そうすれば国は安泰、竜も無問題、そして俺たち揃って万歳」

 韻を踏みながら不安を否定してほしがるスバル。だが、ラムはそんな彼の懇願を首の横振りひとつで却下して、

「竜がなにを求めているのか、それは童話の通りわからない。今の状況で竜がどう動くかは、神のみぞ……」

 そこまで言って、「いえ」とラムは息継ぎをひとつ入れると、

「竜のみぞ知る、ってところだわ、お客様」

 息を呑み、スバルは暑くもないのに、額を汗が伝うのを感じていた。
 今のラムの言葉を咀嚼し、飲み込み、胃の中で掻き回してからようやく、

「じゃ、エミリアたんにかかるプレッシャーは尋常じゃねぇな」

「ええ。一国を背負い、その命運を両肩に乗せて、国を守るも滅ぼすも思いのままのドラゴンと交渉――考えただけで、もう童話の一篇になるわね」

 エミリアがこの童話集を見て、複雑な顔をしたのは二回目の最後の夜だったか。ページをめくる彼女の手が止まった理由を、死んだあとになってスバルは悟る。
 彼女が抱えていたものの大きさ、重さはスバルの想像を大きく越えている。あの華奢な両肩にどれだけの重さを担うのかと、その心の負担を思うだけでスバルの心は怒りとも哀しみともつかない絶叫を上げた。

「仕方ないことだわ」

「――あ?」

「誰にだって生まれ持った資質があり、それに伴う責任がある。エミリア様はそういう星の下に生まれついた。だからそのために、エミリア様は道筋がどれほど険しかったとしても、痛みを我慢して上らなくてはならない」

「女の子ひとりに背負わせてか」

「荷物を一緒に持ってくれる人がいても、いいとは思うわ。でも、いずれ辿り着く頂上には、必ず彼女の姿がなくてはならない」

 発信源のわからない怒りがスバルの声を震わせる。そして、それに応じるラムの声は冷たく理性的だ。
 そこに意識的に冷たく言っている、という意思を感じ取って、ふいにスバルの激昂しかけた意識が冷静さの一片を取り戻す。
 そも、彼女にどれだけ怒っても無駄な話だ。ラムにはなんの責任もなく、ただひたすらにそれを受け入れる心構えを口にしただけなのだから。

「そうだ、ラム。もう一個の話なんだが……」

 謝るのもなにが違う気がして、スバルは話題を変えようと童話を指差す。
 本の中央、明らかに別格の扱いを受けていたドラゴンの話と対をなすように、巻末にほんの数ページだけで描かれたその物語はあった。
 題名は『しっとのまじょ』とされている。だが、

「この魔女の話って……」

「その話はしたくない」

 ぴしゃりと、それこそドラゴンの話以上に断ち切るように言われた。
 思わず目を見開くスバルの前で、ラムは手早くカップとお盆を片付けると、

「長居しすぎたわ。あまりレムに迷惑もかけられないし、そろそろ戻る。お客様、夕食のときにまた呼びに上がります」

「あ、ああ……」

「それでは」

 有無を言わせぬ態度で背を向けて、その小柄な体が部屋から出ていく。それを無言で見送らされ、扉が閉め切られるのを見届けてから、スバルは吐息とともに全身から力を抜いてベッドに倒れ込んだ。

「なんなんだよ、あの態度……」

 そうこぼしながら、スバルは童話集を顔の前に持ち上げてページをめくる。
 最後の一篇、『しっとのまじょ』はほんの四ページだけの短い物語だ。

「こわいまじょ、おそろしいまじょ。そのなまえをよぶことすらおそろしい。だれもがかのじょをこうよんだ。『しっとのまじょ』と……」

 起承転結も何もありはしない、ただひたすらに魔女の恐ろしさだけを伝えようとする内容。子どもでも読めるような文字で描き切られているだけに、より淡泊でストレートな不気味さが強調されている。

「せっかく勉強して読めるようになった本だっつーのに……」

 達成感や満足感、果ては爽やかな読後感まで、一緒くたに台無しにされた気分だ。

 スバルはベッドの上で寝返りを打ち、一度、童話の内容を思考から切り離す。そして考えるのは、あと二日だけを残した今回のループでの試行錯誤だ。
 ああでもない、こうでもない、とない頭を振り絞りながら、いつしかスバルの意識は柔らかなベッドとシーツの上でドロドロに溶かされて消えていた。

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