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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第六章 『記憶の回廊』

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第六章12 『監視塔の洗礼』



 気だるさと灼熱の苦しみが同時に取り払われ、ナツキ・スバルは回帰する。

「――――」

 眼前の光景に、とっさに悲鳴を上げなかったことを称賛してもらいたい。
 二度目の『死に戻り』を経て、再び魔獣に取り囲まれる花畑へと舞い戻ったスバルは、慌てて自分の口を手で塞いで本気でそう思う。

「ちっちっちっち」

 暴力的な花の香りが支配する空間で、聞こえてくるのはメィリィが舌を弾く音。
 竜車の前に立ち塞がる花魁熊が、彼女の唇から放たれるリズムと、静かに揺られる指先に視線を奪われている。息を呑み、誰もがそれを見守っている鉄火場。
 ほんの数分前、二度も立ち合ったばかりの場面に、またしても引き戻された。

 ――嘘、だろ?

 自分の身に起きた出来事を描きながら、スバルの脳は高速で回転を始める。
 早急に、意識の切り替えが求められる。つい先ほどまでは多数の魔獣に追いかけ回される修羅場であったことを忘れ、今は目の前の問題に対処しなければ。

 目の前、目の前の問題。何が起きるのであったか。
 ちっちっちっち、と子猫をあやすような、そんなどこか牧歌的な音が聞こえる。実際の状況はそんな可愛げとは無縁だが、花の香りも相まって思考が阻害される。

 臭い、甘い、うるさい、煩わしい、痒い、痛い、熱い、どれが正解だったか。

「――?」

 脳が沸騰するほどに巡るが、具体的な方策が何も浮かばない。
 つい今しがたまで置かれていた状況と、現在の状況の齟齬に脳が追いつかない。必死に『今』に適応しようとするスバル。その胸に、微かな衝撃。

「――――」

 見れば、体重を預けてきていたのは懐に抱いたベアトリスだ。
 彼女はスバルの胸の中にすっぽりと収まると、こちらの代わりに握った手綱を見せるように軽く持ち上げる。おそらく、『死に戻り』直後の衝撃で取り落としたものを彼女がキャッチしてくれたのだ。

 ――直前の『死』が思い出され、ベアトリスの泣き顔と涙声が聞こえた。

「――っ」

 そう、そうだ。そうだった。
 スバルはすでに、この状況を迎えるのがこれで三度目だ。
 自分は二度、ここで死んでいる。一度目は理解できない死を、しかし二度目はある程度、想像の及ぶ死を。だが、死の瞬間の苦しみが判然としない。
 内臓が溶かされ、思考が鍋の中でぐずぐずに煮込まれる感覚――あれは。

 ――否、優先すべきはそこではない。今、優先すべきは、

「ちっちっち……ちぃー」

 二度目の『死』にスバルの思考が追いついた直後、メィリィの花魁熊への挑発が終わりを迎える。舌の弾かれる音と指先の動きにつられ、魔獣の視線はゆっくりと竜車を外れて、一行の右側へと誘導される。
 そのままのしのしと、花魁熊が離れてくれれば問題はない。しかし、そうならないことをスバルは知っている。

「――――」

 遠ざかりかける花魁熊、その鼻先に立たされていた地竜――ジャイアンの息が荒い。
 魔獣と直近で向き合わされた圧力と、暴力的に漂い続ける蜜の香り――二種類のプレッシャーが地竜の平常心を苛み、張り詰めた糸が唐突に切れてしまうのだ。
 そうして地竜が騒ぎ出せば、刺激された魔獣の群れは一斉に襲いかかってくる。そうなれば、これまでの二度の『死』の再現に他ならない。

「――――」

 だが、そのジャイアンの興奮状態に、スバルを除く一行は誰も気付けない。
 直前の魔獣の脅威に集中するあまり、手綱を握るユリウスすらも意識を地竜から外している。故に、対処できるのはスバルだけだ。
 しかし、どうやって対処すればいい。

 声を出すわけにはいかない。とっさに近付き、触れることも無理だ。
 ユリウスへ呼びかけ、地竜を宥めさせるのもリスクが大きい。それ以前に、今すぐに決断できなければ間に合わない。どうすれば――、

「――――」

 ギュッと、スバルは最後の思考時間を利用して目をつぶる。
 この一瞬で何かが閃かなければ、イチかバチか、ユリウスに声をかける。直前の二度の『死』が思い出され、魔獣の猛攻と監視塔の光が脳裏に蘇る。
 二度目の『死』の瞬間、泣きじゃくるベアトリスに「一人にしないで」と取り縋られたことも、スバルの胸を深々と刺し貫き――気付いた。

「ベア子、愛してる」

「――っ!?」

 後ろから小さな体を抱きすくめ、耳元に小さく声をかける。突然の愛情表現にベアトリスが驚愕するが、その口は手で塞いで叫ばせない。
 代わりにスバルは斜め前方のジャイアンに向かって、『手』を伸ばした。

 『死』の直前にベアトリスの涙を拭ったように、優しく宥めるための『手』を。

 ――インビジブル・プロヴィデンス。

 口は愛情を囁いていたから、技名は残念ながら心の中だけで唱えた。
 途端、スバルの体の中心――ベアトリスとの連携でマナが引きずり出されるのとは別の感覚が蠢き出し、黒い何かが呼び起こされることへ喝采を叫ぶ。
 よくぞ呼び出したと、声高に主張するそれは、『怠惰』なナツキ・スバルに代わって目的を成し遂げる、この世に存在しない『見えざる手』だ。

「――――」

 生み出される黒い掌はスバルの胸を起点に、ゆっくりと世界に顕現した。無論、その存在はスバル以外には見えない。抱きしめているため、『見えざる手』はベアトリスを貫通して存在しているが、意図せぬ接触には機能しないらしい。
 その事実に感心する一方、コンマごとに自分の中の何かが削られるのがわかる。それは魂と呼ばれているものか、あるいは正気と呼ばれるものか、本当のところはスバルにはわからない。ただ、あまり時間はかけられない。かける気も、ない。

 するりと伸びる黒い魔手は、今にも叫び出しそうなジャイアンの首へと向かった。そして掌はゆっくりと、その分厚い鱗に守られる太い首を撫でる。
 びく、と何者かの接触に地竜の巨躯が震えるが、その掌に敵意がないことを本能が察したのだろう。地竜は荒い息を落ち着かせ、緊張を四肢から抜いていく。

「――うん?」

 すると、わずかに身じろぎする気配が伝わったのか、ジャイアンの素振りに気付いたユリウスが手綱を引き、本格的に地竜を宥めにかかる。さすがにユリウスは手慣れたもので、発作的に暴れ出しかねなかった地竜を見る間に落ち着かせた。
 それを確かめ、スバルも『見えざる手』との接続を即座に切った。黒い掌は自由を奪われると一瞬で霧散し、何もなかったかのように砂海の渇いた風に紛れる。

「は、ふぅ……」

 直近の問題を回避し、スバルは安堵から長い息を吐いた。
 同時に胸の中に立ち込めていた、黒い暗雲のようなものも吐き出したい。無論、物事はそう簡単にはゆかず、インビジブル・プロヴィデンスを行使した代償である喪失感のようなものは魂を掻き毟ったままだ。

 ただ、その喪失感に胸を抉られながら、スバルは思う。
 インビジブル・プロヴィデンス――『見えざる手』を行使した際の代償、その影響による息苦しさや喪失感が、以前に比べて明らかに『楽』になっている。

 初めて、スバルがインビジブル・プロヴィデンスを使ったのは『聖域』でガーフィールと戦ったときのことだ。
 あのとき、無我夢中で力を解放したスバルは、自分の半身が持っていかれたかと錯覚するほどの喪失感と、意識が不安定になるほどの酩酊感に襲われた。
 それはスバルの前に同じ力を使っていた相手への嫌悪感であるとか、そもそもガーフィール相手に殴られすぎていたからであるとかでは言い訳が立たない異変だ。

 それはこうした異能――否、権能が使えるようになった経緯も含めて、利用することの危険性をスバルに延々と訴えかけてきた。故にこれまでこの力を積極的に有効活用しようと考えてきたことはない。
 オリジナルであったあの狂人の『見えざる手』ほど、スバルのインビジブル・プロヴィデンスには力も手数もない。せいぜい、涙を拭ったり、頭を撫でたりが手一杯。
 それで魂を削られるのはコストパフォーマンスが悪すぎる。そう思って、半ば封印してきた手段ではあったのだが。

「馴染んできた、ってことじゃねぇだろうな」

 喪失感と嫌悪感の減少に、スバルは安堵よりも不安を感じた。
 手持ちのカードは多い方がいい、というのはスバルの持論であるが、ババ抜きで揃わないジョーカーを何枚も持ち合わせてもいいことはない。
 もちろん、ババ抜き以外では強力な手札には違いないが――、

「うー、うー、うー」

「……さっきから、ずっと何をしているのかしら」

「ああ? 何って……」

 スバルが小さく唸って思い悩んでいると、唐突に不機嫌な声がした。何事かと目を開けてみれば、こちらへ顔を向けてじと目のベアトリスと目が合う。
 そしてそのベアトリスだが、珍妙なことになっていた。

「ベア子、何その頭と格好」

「――スバルがずっとベティーの髪の毛と服をコネコネコネコネしてた結果なのよ! なんでこんな辱めを受けなきゃならんのかしら!」

「ええ、俺が?」

 悪気なく首をひねるスバルの前で、ベアトリスが声を潜めて猛然と怒る。
 その立派な縦ロールはぐしゃぐしゃに乱れ、豪奢なドレスと、そのドレスを砂風から守るための白いマントは奇抜に整えられて、流行の最先端を走っていた。なお、誰もついてこない最先端の模様。

「――自覚ないのが腹立たしいのよ! 不安なのかと思って見過ごしてたらどんどん調子に乗って……その分だと、さっきの……あ、愛の言葉も覚えてないかしら」

「いや、それは覚えてる。ベア子LOVEなのは本音だしな」

「にゃっ!」

 率直な言葉に顔を赤くして、ベアトリスはすっぽりと頭をマントで覆った。いじましい姿で実に愛でたいが、今はベアトリスとばかり戯れてもいられない。

 スバルの人知れぬ努力の結果、ジャイアンは騒ぎ出さず、メィリィの能力頼みの竜車の行進が再開しようとする。しかし、スバルは花魁熊の隙間を抜け、パトラッシュを御者台へ寄せると、

「ユリウス、メィリィ。一時撤退だ。――分が悪すぎる」

 と、二度の『死』を理由に、作戦の練り直しを提案したのだった。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「お兄さんにはがっかりだわあ。ちょっと不安なことがあったぐらいで、こおんなにすぐに逃げ腰になっちゃうなんてえ」

「所詮、バルスはバルスということね。エミリア様の騎士になって少しはマシになったかと思っていたけど、やっぱり性根はそう簡単には変わらないわ。早漏」

「安全策を主張しただけでそこまで傷付けられる謂れがねぇ!」

 どうにか花畑を逆走し、『砂時間』突破後の作戦会議の場へ戻ってくると、撤退の判断を下したスバルに急先鋒からの厳しい評価に突き刺さってきた。
 花魁熊を手懐け、道を開いていたメィリィ。それから竜車で窓に取りつき、危急の事態に備えていたラムの二人だ。
 竜車を停車させ、砂の上で顔を突き合わせる面々の中、自分の意見で行軍を中断させたスバルは小さくなっている。

「でも、スバルの判断は間違ってなかったと私は思うわ。あのままずーっと真っ直ぐに花畑を抜けようとしても、さっきと同じみたいなことはあると思うの。そうしたら今みたいにうまく抜けられるとは限らないし……」

「お姉さんは私の能力を疑うのお? 私より、お兄さんのこと信じるってことお?」

「ここまできたんだもの。二人のことを信じてます。でも、特にスバルの言うことは信じたいかなっていうのが私の意見なの。ごめんね」

「E・M・M……」

 メィリィの子どもっぽい反論に対抗し、胸を張ってくれるエミリアたん・マジ・女神である。両手を合わせて崇めるスバル、その傍らでベアトリスが乱れた髪の毛と服装を丁寧に直し、

「それで、結局どうするつもりなのよ? 魔獣娘の加護が怪しいなら、この花畑を抜けるのは無謀が過ぎるかしら。……にーちゃがいれば、別にこのぐらいの魔獣の群れを全滅させるのはわけないかもしれなかったけど、そうもいかないのよ」

「パックがいてくれたら、そうね。私が頑張ってみるとか?」

「それは本当に最後の最後の手段にしたいな。それにここにいる花魁熊を全滅させても、他の魔獣が近寄ってきて無限湧きになるだけな気がするし。どうだ、メィリィ」

 水を向けられ、拗ねた顔でいたメィリィは視線を逸らした。
 彼女は畳んだ膝の上に顎を乗せて、子どもそのものの態度で、

「なあにが?」

「あの花畑の周り、いたのは花魁熊だけじゃないんじゃねぇのかって話だ。身も蓋もない話をしたら、花魁熊がいなくなっても別の魔獣の住処になるだけだろ」

「……合ってなくも、なくもないかもしれないけどお」

「どっちだ」

「そうよお、お兄さんの言う通りい。でも、だからってどうするのお?」

 スバルの指摘を肯定しつつ、メィリィは逆に問い返してくる。
 彼女の不満げな視線を受け、口をへの字に曲げるスバルにユリウスが肩をすくめた。

「メィリィ嬢の指摘もわかる。スバルの懸念は順当だが、だからといって不測の事態ばかりに及び腰になっていても得られるものがない。想定して対処できるのであれば、それは不測の事態とは呼ばれないのだから」

「だからって、何も考えずに加護任せにして突貫ってのも話が違うだろ。っていうかそれを提案するならお前のキャラが違う。それはもっとこう、ガーフィールとかの役目だ」

「無論、無策で無謀に走ることを推奨するわけでは決してない。どうすべきか、建設的な話し合いの末に決断されるべきだ。進むか、戻るか、改めて」

 花畑に突入する直前と同じように、ユリウスは二本の指を立ててそう述べた。
 その仕草にスバルが鼻を鳴らすと、それぞれが事態に対して考えを巡らせる。

「バルスが囮になって、魔獣に貪られている間に突破するというのは?」
「一致団結しろよ」
「ラムたちは助かり、レムから悪い虫も取り除ける。名案だわ」
「俺が貪られてる!」

「やっぱり、私がすごーく頑張ってみんなやっつけるとか……」
「エミリアたんって、案外こういうときに脳筋な結論出すよね」
「ノーキン……え、やだ、急になんなの? 恥ずかしい」
「俺にしては珍しいことに、これは無条件にエミリアたんを褒めたのと違うよ?」

「メィリィ嬢の加護に任せ、進めるところまで花畑を突っ切り……限界がきたところで先制攻撃を仕掛け、監視塔へ駆け込む。というのは賭けの要素が強すぎるな」
「うまくは言えないけど、それ失敗するから。うまくは言えないけど、確実に」
「ふむ……絶対の根拠がありそうな言い方をするものだね」
「さあ、どうかな。うまくは言えないけど」

 『死に戻り』の禁忌に触れないよう、突撃作戦を却下するのには骨が折れる。
 と、作戦会議というにはいささか進展に欠ける話し合いの途中で、スバルは気付いたことがあって手を打った。

 最初のジャイアンショックと、その後の花畑の逆走を優先したために整理することを忘れていたが、そもそも戻る切っ掛けになった二度の『死』の死因だ。
 一度目は突然すぎて、二度目は混乱の中で、あまりはっきりとしたことは言えないが――スバルの死因はどちらも、正面にある塔が光ったことと関係している。

「あの塔が光るの、見た奴は誰かいるか?」

「監視塔が光る……?」

 スバルの質問に、全員が不思議そうな顔で首を傾げた。
 その反応の芳しくなさに、スバルはやはり誰も見ていないのだと唸る。ある種、当然だろう。スバルがあの光を見たのは、正直、『死』の前後だ。あの光に攻撃的な意思があるのであれば、見た者は生きて帰れない。
 見敵必殺を実現した攻撃、そう考えるべきだ。

「ナツキくんは、その塔が光るところを見たってことなん?」

「あ? あー、見間違えではないと思うんだが、光ったかもしれないなと」

「それ、いつのことなん?」

「……花畑の中にいたとき、かな?」

 アナスタシアの追及に、答えがいちいち疑問形になってしまった。
 ただ、花畑の中では声を上げられなかった事情があるため、塔の光のことを黙っていたことは不審には思われなかったようだ。スバルが塔の光を見たのはいずれも『死に戻り』と関連した時間帯のため、これも場合によっては禁忌に触れかねない。
 少々、変則的にしか事実が伝えられないのは申し訳ないところだが――、

「塔が光ってたってことは、塔の中の賢者さんがこっちを見てたってこと?」

「そうでなくても夜なんやし、明かりを使ってるんはおかしないやろね」

「なるほど。『賢者』がこちらに気付いているのであれば、こちらの方から敵意がないことを報せるために働きかけてみるのも手かもしれませんね」

 ただ、スバルが曖昧に内容をぼかしたことで、エミリアたちの考えは別の方向へ流れていってしまう。当然だが、友好的接触を求めての旅路なのだ。
 その光の原因が賢者だとすれば、そうした意見が出るのも当然の流れ。
 しかし、その光が決して、こちらに対して友好的なものでないことを知っているスバルからすれば、それは自ら崖に向かっていく暴走に他ならない。

「待て、今さらだけど情報を整理しよう。賢者に呼びかけるかどうかはそれからだ」

「情報の整理?」

「そう、整理。だってほら、アレだ。その光が賢者の生活用の光とは限らない。もっとこう……危ない、サーチライト的な光の可能性だってあるだろ?」

「さーちらいと……」

「つまり、ナツキくんは自分の見た光が、『賢者』の仕掛けた防衛機構みたいなもんの光やないんかって疑ってるゆうこと?」

「そゆこと!」

 聞き慣れない横文字にエミリアが疑問符を浮かべる傍ら、アナスタシア=襟ドナがスバルの言葉の真意を読み取ってくれる。と、それを聞いて考え込むのはユリウスだ。騎士は「そうか」と心持ち低い声で呟き、

「賢者が数百年、誇張抜きに永らえているかどうかはわからない。あるいは賢者の残した何らかの遺産が、世界を守るための装置として働いている可能性もあるのか」

「お、おお……そこまでは考えてなかったけど、ありえるな」

「それならば、『嫉妬の魔女』の復活を目論む不逞の輩だけでなく、王国使者団のことさえも寄せ付けない理由に納得がいく。王国に友好的なはずの賢者が、いっそ暴虐と言い換えてもいいぐらい乱行を働くことはずっと疑問だったんだ」

 どこか安堵したようなユリウスの言葉に、スバルは「そういう考え方もあるのか」と逆に感心した。
 確かに過去の偉人が用意した遺産の防衛システムが、主人を亡くした後も延々と残っており、以降も侵入者を拒み続けるといった展開はありがちだ。魔法器のある世界であれば、そうしたシステムが存在してもおかしくはない。

「ただその場合、この旅が徒労になるから勘弁してほしいところだな……」

「別に賢者が死んでいても、その賢者の残した資料があればいいだけの話よ。世を儚むには早すぎるわよ、バルス」

「姉様の遺跡荒らしっぷりには頭が上がらねぇよ」

 ユリウスの想像を肯定した場合、この旅の根底が覆されてしまう。が、そんな可能性に対してもラムの姿勢はぶれない揺れない変わらない。さすがである。

「ともあれ、数百年も眠らずに見張り続けてる……いうんは現実的やなかったけど、それなら可能性はあるかもわからんね。それに賢者シャウラの生き死にを悲観する必要はそこまでないとうちは思うよ?」

「そう? どうして?」

「長命な種族なら、今も生きてるやなんてことぐらい別に驚くことやないもん。うちのエキドナかて、生まれ自体は何百年も前なんやし」

 ローブの中に押し込んだ白い襟巻きを引っ張り出し、アナスタシアが笑う。それを受けてエミリアはぽかんとしたが、すぐに自分のペンダントに触って、

「わ、私のパックも長生きなのよ。その、エキドナにも負けてません」

「なんで張り合うの、エミリアたん。まぁ、俺のベア子もなかなかのロリババアっぷりだけどさ。なぁ?」

「ベティーがそれに笑って答えると思うのかしら? 虫唾が走るのよ」

 怒り笑いのベアトリスに言われて、スバルは首をすくめた。
 そこで、話が逸れているとラムが手を叩く。

「賢者の生き死には議論の外よ。それより、問題はバルスが見た光の正体。これが危険なものなのか、あるいはバルスの錯覚か、結論を出さないと」

「そろそろ、報告の内容が嘘か真か疑わなくていいぐらいの関係性になれないかな、俺たち」

「嘘と決めてかからないあたり、ラムとしては譲歩しているわ」

 そうかもしれない、とぼんやり納得してしまうから、進展がないのだろうか。
 ともあれ、議論は一周回って光の正体に舞い戻る。

「俺は……あれが危険なもんだと思う。少なくとも友好的なもんじゃない」

「根拠は、勘だけ?」

「……まぁ、そうだな」

「そう。――厄介ね」

 監視塔の光――それが二度の『死』の原因だと確信しているスバルだが、その事実を伝えるのには非常に難儀する。故に理由を『勘』で押し切るのは無理があると思っていたのだが、意外なことに、ラムはその返答に真剣に考え込んだ。
 そしてそれはラムだけでなく、エミリアやユリウスも同じだ。

「え? あれ、勘だぞ? もっと疑ってかからないのか?」

「これがただの勘ならそう思うかもしれないけど、スバルの勘でしょう? だったらいきなり疑ってみるより、ちゃんと考える意味があるわ」

「あまり自分を卑下しないことだ。君もこれまで、それなりの修羅場を潜ってきた身だろう? そうした人間にしか働かない、ある種の直感は存在する。経験則と言い換えてもいいが……それは、決して馬鹿にしたものではない」

「野鼠は大雨の前に住処を変えるというもの。バルスの勘も馬鹿にできないわ」

「それは十分に馬鹿に……って、そうか」

 条件反射の途中で毒気が抜かれて、スバルはなんだか肩の力が抜けた。
 情報の出所を明かせない状態で、身内にさえも真実を隠さなければならない不条理。スバルはこれまでにも何度も同じ状況に出くわしてきたが、そのたびに、こうして周りの気遣いと信頼に救われ、同じことを繰り返す。

 王都でレムが、『聖域』でオットーやラムが、プリステラでエミリアとベアトリスが、スバルがスバルであることを信じてくれていたのに、またこうして。

「友好的に呼びかけるにしても、手段がないよな。でかい声を出すなんて真似したら、賢者以前に熊さんたちいらっしゃいってなるのがオチだ」

「それは避けたいところだ。そうなると、現実的な手段はエミリア様の魔法を届けること……になるだろうか」

 監視塔の方を眺め、ユリウスは右手を伸ばし、片目をつむる。
 まるで絵描きが距離感を図るような仕草だ。そして、彼はしばしそのまま沈黙したかと思うと、

「おおよそ、ここから監視塔までは十キロ前後――花畑の手前から、エミリア様の魔法を飛ばすというのも現実的な射程距離ではないな」

「ちなみに、エミリアたんの魔法ってどのぐらい遠くまで飛ばせる?」

「距離? えっと、測ってみたことないからわからないけど……でも、さすがにここからじゃ塔までは届かせられないと思う。当たる前に消えちゃう」

 『砂時間』前に見えていた監視塔のシルエットより、現地点からのシルエットは明らかに近付いている。実際、花畑を突っ切った周回では直前まで接近したのだ。
 それでも、花畑の手前から塔を狙おうとする作戦は現実的ではない。

「そもそも、こっちの存在を伝えるだけで通してもらえるなら、ラインハルトだって通れそうなもんだ。あいつなら、なんかこう……十キロぐらい先に届く斬撃とか飛ばせるんじゃないの?」

「その可否は彼に聞く以外にわからないが、ラインハルトが挑戦したときには『砂時間』を抜ける、という手順をおそらく踏んでいない。ここまで我々が到達できたのはアナスタシア様が……いや、エキドナがそれを知っていたからだ」

「それもそうか。……ああ、クソ。もっと他に知ってることとかないのかよ」

 案が否決されて、スバルは憂さ晴らしのように襟ドナに当たる。すると、アナスタシアを演じる襟ドナは器用に襟巻き状態の自分を動かし、

「そう言われても困るよ。『砂時間』の向こう側に道がある、そう断言できただけでも前人未到の功績だ。もっとボクを褒めるべきなんじゃないかな?」

「辿り着けて初めて道案内でしょ? 途中までは道覚えてたんだけどなぁって、お前はうろ覚えで配達する新聞屋か。仕事になってねぇよ」

「ふむ、一理ある」

 スバルの乱暴な理屈に、しかし襟ドナは反論しない。襟巻きは黙り込み、その考え込む姿勢はアナスタシアの方にも伝染する。と、アナスタシアはふいに顔を上げ、

「そうや。そしたら、現時点でわかってることを詰めた方が良さそうやね」

「わかってることってーと……」

「ナツキくんの、危なそうな塔の光もそうやし、塔の手前に広がってる魔獣の花畑もそうやね。あとは三回の『砂時間』と……何かある?」

 アナスタシアの並べ立てた、ここまでで判明している情報。
 筋道を立てて、結論に至るまでの道を舗装するのは大事なことだ。スバルは腕を組むと、ここまでの旅路と、少しだけ見た先の危険を思い返す。

「今が、夜の『砂時間』を選んで入ってきた場所ってこと。それから、あの花畑を抜けるのは地竜に負担をかけすぎるってこと。あと、メィリィは俺らに黙って何匹か魔獣を連れてきてるだろ」

「うえ!?」

 指折り、数えながらそう言ったスバルにメィリィが肩を跳ねさせる。その露骨な反応と小さくなる様子に、全員の視線が彼女に向いた。
 それを受け、メィリィは慌てて首を横に振って、

「ま、待って待って。確かにい、お兄さんの言う通りだけどお……なんで、お兄さんはそれを知ってるのお?」

「当てずっぽうだよ。今のは鎌かけしただけだ」

「だが、スバルの想像は正しかったらしい。――どうする?」

 ユリウスが静かな声で、背信者であるメィリィの処遇を相談してくる。その態度にメィリィが顔を青くするが、スバルは事を荒立てるつもりはない。
 ユリウスを手で制して、メィリィに視線を合わせる。

「安心しろ。別にそれを叱ろうって話じゃない。お前なりの保険ってのはわかってるつもりだ。ただまぁ、疑われる要因にはなったけどな」

「は、離せばいいのお? そおしたら、怒らない?」

「別に逃がす必要もない。つか、必要だと思ったら使ってくれ。花魁熊の群れに囲まれて追われるときとか、すごい助かる」

「――――」

 冗談だと思ったのか、メィリィは目を丸くして、そのままこくんと頷いた。それを見届け、スバルはいまだに警戒の目を緩めないユリウスに振り返る。

「子どものすることだぞ。大目に見てやれよ」

「それが扱いに相応のことしかできない子であれば、私も全力でそうしよう。だが、手放しに信用するには彼女の力は強すぎる。ましてや、この魔獣の園ともいえるアウグリアの大地では、ね」

「ならなおさらだろ。竜車じゃお隣さんなんだから、ちゃんと仲良くしてくれ」

 スバルがそう言って聞かせると、ユリウスは少しの躊躇いのあと、剣気を収める。
 すると、黙るユリウスに代わり、エミリアが手を挙げた。

「それで、スバル。さっきの話の続きなんだけど」

「ん、はいはい。続きね」

「花畑を抜けるのがダメってなると……どうするの? 別の『砂時間』で同じことを試してみて、違うところに出るかやってみる?」

「それも手、だけど……俺はちょっと、試してみたいことがある」

「試してみたいこと?」

 スバルの考えに思い当たる節がないのか、エミリアはきょとんとしたまま首を傾げる。そのエミリアの傾げた首と角度を合わせ、スバルは花畑の方角――監視塔の方まで埋め尽くす花々の海、その端へと目を向けた。
 無論、その端は見えないのだが――、

「どっかで花畑が途切れてるとしたら、少なくとも四方八方から狙われる心配だけはなくなるわけだ。端っこがあるかどうか、試す価値はあるんじゃねぇかな?」


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ――花畑の端っこを確かめにいこう、という目論見の参加者は全員になった。

「バラバラに行動して、逸れてしまっては元も子もない。それに、だ。メィリィ嬢の手助けなしに魔獣の直近を進ませるのは気が進まないな」

 というユリウスの言い分が、全員の賛成を得たからである。
 これに関してはスバルも同意見であり、一人でいく手軽さよりも安全性の方を優先することにした。

「さて、そろそろデッパツといきたいとこだが……」

 出発の準備を各々が整え、竜車と地竜にそれぞれ乗り込む。
 向かう方角は左、監視塔のシルエットを常に右側に置くことを約束事とすると、一行が確かめに向かうのは北ということになるだろうか。
 もっとも、それは砂丘の中、東西南北のルールがいまだに守られていればの話になってくるのだが。

「落ち着いて考えると、ここも大概、不思議時空なんだよな。『砂時間』の中を抜けたらここに辿り着いてました、ってのは『扉渡り』に近いし……」

「スバルの言いたいことはわからなくもないのよ。確かに空間と空間を歪めて、物理的な距離を曖昧にするのは『扉渡り』の応用でもあるかしら。ベティーも一度、スバルに仕掛けたことがあるのよ」

「お前が俺に? いつ?」

「……忘れもしない、初対面のときかしら」

「初対面の……あー! ロズワールの屋敷で、あの無限ループしそうな廊下を一発クリアしたときか! あんときは悪かった。お前が一生懸命に準備してくれたのに、その頑張りを踏み躙るようなことして……ごめんな?」

「なんか本気で謝られてるのが本気で腹立つのよ! 忘れるかしら!」

「お前が思い出させたんじゃん……」

「むきー! なのよ!」

 相乗りするベアトリスが何故か怒り出し、スバルは女の子特有の扱いの難しさに眉を寄せるしかない。とりあえず抱きしめて落ち着かせると、パトラッシュに命じて竜車の方へと歩み寄る。そして、

「そっちの準備は?」

「問題なく。あとは、エミリア様に一仕事していただければ」

「そうだな」

 御者台で準備を終えたユリウスに頷き、スバルは屋根の方を見上げる。花畑の行軍の際と同じく、エミリアの位置は竜車の屋根の上に固定だ。
 なんだか高いところに立ってご満悦に見えるエミリアに手を挙げ、スバルはここまでと同じように『目印』の設置をお願いする。

「エミリアたん、ここにお願い。とりあえず、ここが俺たちのベースキャンプ。できるだけ静かに……こう、魔獣を刺激しない感じで」

「ん、わかってるわ。これで魔獣を起こしちゃったら、せっかく静かに離れた意味がなくなっちゃうもんね。静かに静かに、静かーに」

 スバルがゆっくりと、大きく腕を動かすジェスチャーをすると、エミリアもそっくりそれを真似して、砂の大地の上に見る見るうちに氷の塔が出来上がる。
 静かに進めよう、という判断に嘘はないらしく、実際、作り上げられる氷の塔は速度は緩やかで、空気の張り詰めるようないつもの音も聞こえない。いくらか弱気な部分が出て細い仕上がりにはなったが、無事に役目を果たせそうだ。

「大丈夫、かな?」

「OK、問題なし。さすがだ、エミリアたん」

 不安げなエミリアに大きくОとKを作ってみせ、スバルは花畑の方を窺う。
 魔獣たちがマナの働きに敏感な場合、あるいはこれにも反応があるかもしれないと怖々と確認したが、幸い、花畑からは蜜の甘い香り以外のアクションはない。
 どうやら、かなり鈍い連中らしい。

「今さらだけど、あいつらはああやって花畑に扮して何がしたいんだ……? 擬態のつもりなら、砂の上でやってる時点でおかしいってならないもんなのか」

「魔獣にそこまで細かい知能を期待するもんじゃないかしら。あいつらは基本、本能に刻まれたこと以外は何もできないし、しやしないのよ。そういう生き物かしら」

「さよけ。そりゃ、ずいぶんと――」

 懐で辛辣な評価を下すベアトリス。その言葉に頷きかけ、スバルは花畑から視線を逸らし、出発の号令をかけようとして――気付く。
 花畑の方へ向けた視界の端っこで、花畑とは違う場所に変化があった。

 監視塔が、光ったのだ。

「――エミリア!!」

「――!?」

 とっさのことにスバルが声を上げ、屋根の上にエミリアに呼びかける。その声の緊急性にエミリアが身を固くする。だが、光の結果はそれを上回る。

「――っ!?」

 激しく甲高い音を立てて、氷の塔が何かの直撃を受けて木端微塵に吹き飛んだ。
 細長く、十数メートルは高さのあった氷塔は決して脆いものではない。しかし、攻撃はまるで砂の城を崩すかのような容易さで氷を砕き、マナへと還元する。

 ――またしても、見えなかった。だが、理解した。

「やっぱり、あの光は攻撃――」

「スバル! 次がくるのよ!」

 砕かれる氷の破片を体に浴びながら、スバルはベアトリスの呼びかけに首を曲げる。直後、またしても監視塔が光り、直感する。
 光の次の一撃は、スバルを狙って放たれた。

 ――光は瞬きすら許さぬ速度でこちらへ迫り、一撃を以て急所を抉る。

 その絶望的な威力の程は、すでにそれによって死を迎えたスバルが知っている。
 故にその光に標的にされたと脳が判断した瞬間、『死』は決定付けられていた。

「――――」

 光が真っ直ぐ、スバルの額へと突き込まれる。
 風すら置き去りにし、音もなく獲物を串刺しにするそれはまさしく『死』そのもの。ナツキ・スバルはまたしても、為す術もなく無残にそれに殺される。

「――E・M・M」
「かしら!」

 ――狙われた瞬間、ナツキ・スバルがたった一人であったなら。

 快音が響き、スバルに直撃したはずの攻撃が弾かれる。
 原因は至極単純に、スバルの強度がその攻撃の威力を上回ったためだ。

 『E・M・M』は、スバルがベアトリスと開発した三つのオリジナル・スペル。
 その内の一つである、『絶対防御魔法』だ。

 E・M・Mの発動中、スバルは身動きができなくなる代わりに、外部からの一切の干渉を受け付けなくなる。ベアトリスの陰魔法の技術と知識を総動員し、限定的にスバルの周囲の時間と空間を弄った結果である。

「あのゲス野郎と似た効果ってわかって、ちょっと気が引けるけど――ぶあ!?」

 大罪司教『強欲』のレグルスは、心臓の譲渡によって肉体の時を止めていた。
 E・M・Mは言ってみれば、その下位互換のような能力と言える。ただし、心臓が止まるような弊害はないし、マナが尽きない限りはいくらでも無敵でいられる。
 もっとも、この状況では時間稼ぎ以外の手立てがない。

「ただ、ごえ!? 時間稼ぎぐるぉ!? 大事なことぶえる!?」

「ちょ! スバル、悲鳴ばっかなのよ!? 大丈夫かしら!?」

 スバルの後ろに回り込み、その体を盾にするベアトリスの心配する声が上がる。それもそうだろう。なにせ、防御されていても音と衝撃は伝わる。
 E・M・Mを発動後、監視塔の光はスバルが死なないのが不思議なのか、まるで確かめるように何発も何発も、連続して攻撃を撃ち込んでくるのだ。

「ご!? ば!? ろど!?」

 その連射の速度と、狙いの正確性が尋常ではない。
 当たったことの痛みや打撃力はスバルの体に残らないが、悲しいかな、何かが当たれば条件反射で苦鳴を上げてしまうのが人間の性だ。

「スバル――! もう……ええい!」

 集中攻撃を浴びるスバルを見て、エミリアが屋根の上からこちらを援護する。
 監視塔の攻撃からスバルを守るように、砂の地面からせり上がるのは分厚く巨大な氷壁だ。おそらく、エミリアが一瞬で作り出せる最高硬度の防御壁。
 それは狙い違わず、スバルに撃ち込まれる攻撃への盾となるが――、

「嘘!?」

「あの氷壁でも歯が立たないのか!」

 エミリアの悲鳴とユリウスの驚愕、それが示す通り、氷壁は一発で砕かれる。
 信じ難い威力――だけではない。氷壁を貫通して、いくらか勢いの衰えた光がスバルへ激突。跳ね返るそれが何本も砂地に突き刺さり、砂が白い煙を噴いた。
 見ればエミリアの氷壁の破壊痕も、穿たれたというより溶かされている。

「熱? 熱が、氷を焼いたのか?」

「地面に落ちたあれって……針?」

 その攻撃の詳細を見て、エミリアとユリウスは同時に別の結論を得る。
 だが、その間にも攻撃は続いている。スバルは常軌を逸した量の攻撃を浴び、無敵状態といっても限度を超えていた。

「スバル! マズいことがあるのよ!」

「聞きたくぶふっ! ないんだけどろっぽ!」

「このままだと埒が明かないのと、もうすぐマナが尽きるかしら!」

「もう!?」

「カツカツなのよ!」

 ベアトリスの叫びに、スバルは撃たれながら奥歯を噛んだ。
 無論、ベアトリスの伝えたいことは、『マナが尽きるから年貢の納めどきかしら』ということではない。『マナが尽きるから、反撃すべきかしら』だ。

「やれるか!?」

「愚問かしら!」

 問いかけに、できないとはベアトリスは応じない。
 頼れる相棒の答えにスバルは噛んだ奥歯を解放し、覚悟を決めた。

「三番目は不完全……二個目の方でいくぞ!」

「喰らった直後、E・M・Mを切っていくのよ」

 時間はない。
 スバルはエミリアへ目配せし、エミリアはそれを受けて頷いた。具体的な方策を話し合う時間がない。だが、伝わったと信じる。

「――ごっ!?」

 光が走り、またしてもスバルはその直撃を受ける。E・M・Mの発動中のため、その攻撃は通らない――それが、ここで解除される。
 オリジナル・スペルはいずれも、日に一度しか使えない限定的な切り札だ。E・M・Mを解除した以上、スバルはあの光に対する防御機能を喪失する。

 そして次弾が届く前に、反撃を実行しなくてはならないが――、

「光っ――」

 まるでスバルの行動を読んだかのように、光の次弾の放たれる速度が速い。
 これまでと間隔の違う速度と威力は、明らかにスバルを仕留めにかかっている。当然、スバルの紙の防御力では一発、直撃されるだけであの世行きだ。
 それを――、

「止まって――っ!」

 スバルの前に多重展開される魔力の渦、それが立て続けに氷壁を砂地に作り上げ、一枚で足りなかった防御が同時に六枚作り上げられる。
 その六枚の防御に、光が真っ直ぐに吸い込まれた。一枚目はあっさりと、二枚目も易々と、三枚目もないもののように突破される。
 しかし、四枚目にはわずかな抵抗があり、五枚目に至ってはコンマだけ耐えた。そして最後の六枚目で、明らかに光の速度が鈍る。――だが、越えられる。

 六枚目の氷壁を突き抜け、光が無防備なスバルの額へ突き刺さる。
 ――その寸前に、騎士剣が半円を描き、速度の鈍った光を捉えて切り払う。

「生憎と、彼が傷付くと悲しむ女性が何人もいる――」

 竜車からこちらへ駆け込み、危険も顧みずに剣撃で光を払ったユリウスだ。
 エミリアの防御で弱らせ、ユリウスが止めた。
 その合わせ技にわずかに嫉妬しながらも、スバルの準備が完了する。

「いくぞ! 第二弾! 絶対無効化魔法『E・M・T』!!」

 砂対策に被っていたフードを跳ね上げ、スバルが大口を開いて詠唱する。
 すると、背中に隠れていたベアトリスがスバルの内側からマナを引きずり出し、スバルのものと自身の魔力を掛け合わせ、新たな魔法を作り出す。

「――――」

 次の瞬間、スバルとベアトリスを中心に淡い光が拡大し、それが竜車を含んだ十数メートルほどの球形のフィールドを形成する。
 出来上がったそれは見た目には透明な、光の球に自分たちを包んだに等しい。
 しかし、その効果は絶大だ。

「これは……」

 驚くユリウスの前で、再び監視塔から光が放たれる。目の端にそれを捉えた彼はとっさに剣を構えたが、すぐに目を見開いた。
 光は真っ直ぐ、スバルを狙って直進し、この光のフィールドの中に飛び込んで、その瞬間に勢いをなくした。弾丸すら上回る圧倒的速度が見る影もなくなり、現実に残されるのは速度も威力も失った、白く細長い奇妙な物体だけだ。
 それはあっさりと、剣を振るユリウスに弾かれ、砂の上に落ちて霧散する。

「針、か?」

「そのようだ。いや、それよりもスバル、この魔法は……」

「待て待て待て! 話したいことは山ほどあるけど、今は撤退が先だ! すぐに竜車に乗り込め! ここから逃げるぞ! 長くもたないんだよ!」

「――! わかった! 急ごう!」

 緊急性の高い呼びかけに、ユリウスは疑問を引っ込めて竜車へと飛び乗る。即座に手綱を握ると、竜車は『砂時間』の向こうへ頭を向けた。
 監視塔へ向かうのは今は自殺行為だ。これが正しい判断と、信じるしかない。

「いくぞ! 俺から離れすぎるな! この光の中にちゃんと入ってろ!」

「わ、スバル、すごい! 何本も光が飛んできてるのに……」

 走り出した竜車の上で、屋根にしがみつくエミリアがスバルを見て驚いている。
 どうやら効果なしとわかっても、光はその後もスバルへ追撃を続けているらしい。だが、どれだけ攻撃を繰り返しても、光はE・M・Tのフィールド内に入った瞬間にそれまでの力を失い、そのまま砂に落ちるだけだ。無力化、完了である。

「それにしても凄まじい力だ。これが、君とベアトリス様の切り札なのか?」

「切り札の一個だ! 言っとくが、ネタバレするつもりはねぇよ! それより、今はとにかく監視塔から遠ざかるのを優先しろ! いや、マジで」

「陰魔法の応用だとは思うが、まさか範囲内のマナによる影響を無効化しているのか? だとしたら魔法使いに対する天敵……いや、技能の補助にマナを利用している者にとっては、君は恐るべき存在だ」

「言っとくが、相対的に有利になったように見えるだけで俺が強くなってるわけじゃねぇから。素でケンカ強い奴には普通に負けるぞ。これはいつか、ロズっちに痛い目見せてやろうと思って開発した能力でな」

 称賛するユリウスが本気で感服した様子なので、スバルも少しいい気分になる。
 もちろん、それには監視塔の攻撃から逃れたという安堵感も手伝っていたのだが、いずれにせよ、『油断』以外の何物でもなかった。
 ただ、この時点でその『油断』のもたらす結果に気付けたものはおそらく、それこそスバルですら不可能だったため、誰も責められないだろう。

「スバル! このまま花畑の前の砂丘に戻るの?」

「ちょっとしんどいけどそうしよう! とにかく、対策を練って――」

 そう言って、『砂時間』が渦巻く砂風の中へ戻ろうと駆け戻る途中――E・M・Tのフィールドが触れた瞬間、『世界』が破けた。

「あ――?」

「しまったかしら!」

 それまで、襲撃を越えた安堵に体を預けていたベアトリスが跳ねる。
 彼女は正面の景色、破けていく夜の砂丘を睨みつけて、声を震わせる。

「空間の捩れが、E・M・Tで無効化されるのよ!」

「え?」

「言ったはずかしら! ここの捩れは、ベティーが屋敷で見せた『扉渡り』と似たようなものだって。つまり、歪んだ空間が元に戻るのよ!」

「それはどうなるって意味――」

 スバルの問いかけは最後まで続かず、ベアトリスのしがみつく感触だけがある。
 そのまま、『世界』は乱雑に紙を破くように裂かれ、ほどけていき、その亀裂の中にパトラッシュごとスバルたちを、竜車ごとエミリアたちを、呑み込む。

「ヤバい……エミリア!?」

「スバル――」

 暗闇の中へと放り込まれ、重力の干渉を見失ってスバルは叫んだ。
 上下左右がわからなくなり、竜車がどこにあるのかわからない。ただ、スバルの叫びに呼応したエミリアの声が、遠くなるのが聞こえて。

「これは――」

 マズい、と言い切るよりも先に、破けた空間の向こう側に放り出された。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「――――」

 花畑と砂海の境が破けてほつれ、その中に小さな集団が呑み込まれるのが見えた。

「――――」

 遠目に、遠目に、それを見つめ、影は塔の中で蠢いた。
 身を寄せていた窓から遠ざかり、石畳を踏みしめて、螺旋状の階段を下る。
 その足取りはゆっくりと、しかし徐々に早くなり、逸る。

「――見つけた」

 と、それは何年も言葉を口にしていなかったような、掠れた呟きを漏らした。
 ただ、その響きが歓喜であろうことだけは、誰も聞き間違えはしないだろう。

「見つけた」

 それだけは、確かだった。

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