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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第六章 『記憶の回廊』

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第六章9  『砂時間を越えろ』

 アウグリア砂丘の攻略初日は、日没になってすぐに切り上げられた。
 夜半に差し掛かれば、日に三度吹く『砂時間』の中で最も時間の長いそれが訪れる。瘴気を孕んだ砂の中を無理に進めば、体を蝕まれ、道を見失いかねない。
 目印であるプレアデス監視塔を遠くに望むこともできないとなれば、夜は大人しく体力回復と、明日への英気を養うのに費やす方が賢明だ。

「ちなみに今さらだけど、魔獣対策は寝てる間も機能してるもんなのか?」

「当たり前じゃなあい。自分で連れてきた子たちにお尻を齧られるなんて、とってもお間抜けで笑えないわあ」

 アウグリア砂丘の魔獣の猛威を知り、スバルは若干、というかかなり及び腰だ。そんなスバルのへっぴり腰を笑い、メィリィは鼻高々だ。
 自分の有用性が証明できたのが嬉しいのか、砂蚯蚓の一件以来、彼女は目に見えてご機嫌である。スバルの方も彼女のご機嫌取りは命懸けの価値があると悟ったので、今後は対応にも真剣さを盛り込んでいきたい所存。

 ともあれ、夜である。
 ひとまず、砂丘の中の見晴らしのいい砂原を拠点として、スバルたちは竜車を中心に砂避けの準備を始める。といっても、そんな大掛かりな準備は必要ない。
 一人にかかる負担はともかく、やり方は実にシンプルだ。

「じゃあ、エミリアたん。頼んでばっかりだけど、お願い」

「うん、ちょっと離れててね。――そりゃっ!」

 氷の塔を突き立てるのと同じ要領で、気の抜ける掛け声をかけるエミリアが魔法を行使する。と、停車した竜車の東側を覆うように氷の壁が形成され、それが砂風に対する防備として機能し、砂を完全にシャットアウトする。
 氷が溶ける心配もなければ、ちょっとした魔獣に対する防護にも役立つ。見た目と体感的に寒いのが問題だが、そこに目をつむれば十分な効果が見込めた。

「エミリア様のお力に甘え続けているのが、どうにも据わりは悪いが」

「いいの。言ったでしょ? スバルとユリウスには移動中に頑張ってもらってるから。それにこれも言ったけど、私、すごーく調子がいいの」

「普通は胸が悪くなるらしいし、それはそれで危うい気がするけどね」

 氷壁を見やり、嘆息するユリウスにエミリアが力こぶを作る。柔らかそうな白い二の腕を横目に、スバルはエミリアの調子にも気を配らなくてはと考える。
 実際、瘴気の漂うとされる砂丘の空気は独特の『重さ』がある。
 その重さはスバルの体にもどことなく作用しているし、ベアトリスやユリウスの口数が少ないのもその影響がありそうだ。竜車の中でアナスタシアやラムが静かなのも、ひょっとすると関係しているかもしれない。

 逆に調子が良さそうなのはエミリアと、様子の変わらないメィリィの二人だ。
 二人に共通点があるとは思えないが、こうも影響が極端に出ている以上は警戒を欠かすべきではない。本音をいえば、早々に砂丘を抜けたいところだが。

「焦りは禁物だ。道を急ぎたがる君の気持ちも、わからないではないがね」

「――――」

 氷に阻まれる東の空を見上げ、押し黙るスバルにユリウスが声をかけてくる。内心を見透かされた気がして、スバルは鼻を鳴らして氷壁に背を向けた。と、ちょうどスバルの方へ近寄るパトラッシュの鼻が、スバルの肩へ押し付けられる。
 次から次へと、という感じでスバルは苦笑した。

「で、お前も俺を落ち着かせようとするのか?」

「別に、そんなつもりはなかったのよ。先手を取られたわけでもないかしら」
 背中を押しつけ、意味ありげに下から見上げていたベアトリスが顔を背ける。
 そんなに焦燥感が見え見えなのかと、スバルは自分の頭を掻いた。見ればエミリアも優しい目でスバルを見ており、目が合うと小さく手を振ってくれる。
 急に気恥ずかしくなって、スバルは手を叩いた。

「よし、エミリアたんのおかげで寝床の確保はできたし、明日に備えよう。『砂時間』が終わるのは明け方だから、それまでに……」

「その前に、ラムの治療をしなきゃね」

「あ、そうか。そうだね。んじゃ、エミリアたんとベア子、頼んだ」

 早口で話題を流そうとして、日課をこなそうとするエミリアに止められる。スバルの楽しみにエミリアとベアトリスが頷き、男性陣を外に置いたまま治療が始まる。
 ちなみに何故、スバルやユリウスを外に置いて治療が始まるのかというと――、

「――んっ」

 扉越しにではあるが、治療が始まったのが微かに漏れ聞こえる声でわかる。
 痛みを堪えるような、どこか熱っぽく震えた声はラムのものだ。竜車の中では淡い光が浮かび上がり、四つの属性を合わせたマナによる治療が行われる。
 無くした角の傷からマナを注ぎ込まれ、治療を受けるラムの様子は痛々しくある反面、どこか艶めいたものを感じさせるのも事実であった。
 そのため、初日に治療現場を目撃して以来、男性陣は同席を辞退しているのだが。

「返す返すも、アレをお前にやらせようとしてたロズワールの考えがわからねぇ」

「ある種、光栄な役回りには違いない。ラム嬢は可憐で魅力的だ。ただ、彼女の目が誰を見ているのか明らかなのを考えると、素直に喜べはしないな」

「ロズワールもそれがわかってるだろうに、なんでこういうことするやら。……この場合、なんでそこまでされてもラムがって話になるのか?」

「人と人との繋がりは外からは図れないものがあるよ。男女の関係となればなおさらのことだ。極端なことを言えば、君と私の初対面もいいものとは言えなかったはず。少なくとも、こうして君と命懸けの道程に肩を並べることがあるとは、ね」

「……ま、それはそうか」

 背後から聞こえる治療の嬌声に、スバルは微かに頬を赤くしながら鼻を擦る。
 ユリウスはしれっとした顔だが、純朴な青少年には非常に刺激が強い。それでも離れて危険な魔獣に嗅ぎつけられるわけにはいかない。仕方ない。必要なのだ。

「なぁんて、ナツキくんの葛藤が見えるようやね」

「うおぁぁぁ!?」

 静かに耳を澄ませていたところ、その耳に息が吹きかけられてスバルが跳ねる。体勢を崩して砂の上に転がると、竜車の裏側からこちらへ回り込んだアナスタシアの姿が見えた。スバルの慌てように警戒していたユリウスが、そのアナスタシアの姿に相好を崩し、転がるこちらの方を見る。

「些か驚きすぎではないかな。まるで邪なことでも考えていたかのように」

「はぁ? 邪なこととか別に考えたりしてませんけど? え、ちょっと何言ってるのかわかんない。全然わかんないです。さっぱりわかんないなぁ。アナスタシアさんそれで何の用ですか? 俺、なんでも聞きますよ!」

「誤魔化すの下手すぎひん? ま、ええけど。ナツキくんは中のやり取りに興味津々かもしらんけど、大事なお話しなきゃやから」

 軽蔑の色が濃いユリウスの視線を振り切り、スバルはアナスタシアにサムズアップ。その反応に苦笑するアナスタシアは、ブーツで砂を踏みしめて、

「うわぁ、歩きにくぅ。ユリウスたちはよぅ平気やね」

「鍛えていますので。このときのため、とまでは言い切りませんが」

「足下が不確かなときは、確かめようとしてゆっくり踏むんじゃなく、わりと勢いよく靴裏の固さに任せて踏み切る。これ、クリンド流ね」

 パルクール習得中に、万能家令であるクリンドから習った悪路走法の基礎だ。
 アナスタシアはその言葉に感心したように頷き、それから羽織っていたローブの首元を下げ、隠れていた顔の下部分を外に出した。深い息を吐く。

「砂のことはわかるけど、息が詰まりそうになるわ。早い内に砂風と無縁の場所にいって、思いっきり深呼吸したいところやね」

「同感。あと、風呂に入りたい。頭が早くも砂塗れなんだよ」

 砂漠地帯の人間が、頭にターバンを巻く理由もわかろうというものだ。
 砂対策と、暑さ寒さの対策。過酷な大地に生きる人間の在り方は、当然だが理に適っている。スバルも適度に布を巻いているが、この程度では防ぎ切れなかった。

「お風呂、も同意やね。『賢者』さんのお家に、お風呂があったらええけどなぁ」

「……さすがにそこまではご存知ない、そういうことですか?」

「行き方はエキドナが知ってても、うちも入ったことがあるわけやないしね」

 アナスタシアはローブの首元をさらに引き下げ、肌身離さず身に着けている狐の襟巻きを見せる。襟ドナが旅路の案内人になる、というのが今回の大前提だ。
 彼女を疑っても始まらないが、詰めておきたい内容ではある。

「大事なお話、ってのは今後のことだと思っていいんだよな?」

「もちろん」

「謹んで、お聞きします」

 薄い胸を張るアナスタシアに、スバルとユリウスが聞く体勢に入る。それを受け、アナスタシアはもったいぶった態度で竜車を振り返り、

「今日から中で車中泊やけど……男の子二人は前の座席で寝てもらわなあかんよ。婦女子と狭い密室やからって、調子に乗ったらあかんのやから」

「もうその手の話いいよ!」

「ちょぉ、緊張を解そ思うただけやのに……ま、ええけど」

 そもそも、同じ部屋で寝泊まりぐらいしたところで今さらどうでもない。自分の勇気のなさと、相手の警戒心のなさはもう十分わかっているのだ。
 ともあれ、そんなスバルの内心の叫びはさて置き、アナスタシアは本題に入る。

「今日、こうやって一日、監視塔を目指して進んだけど……手応えはどう?」

「手応えっていっても……ぶっちゃけ、これといった成果はねぇな」

 質問に首をひねり、スバルは一日を振り返る。
 昼時にアウグリア砂丘に到着して、午前中の『砂時間』をやり過ごしたスバルたちは、それから半日近くを移動に費やした。間にあった午後の『砂時間』を越えて、日没に入ったのが今の状況だ。それまでの成果といえば――、

「塔はやっぱり目印として完璧ってことと、エミリアたんに頼んだ帰り道の印。それからメィリィの効力が思った以上に強い、ってのが収穫かな?」

「前準備とスバルの機転で『砂時間』への対策は万全でした。ただ、問題はプレアデス監視塔、そこまでの順路が見えないこと……でしょうか」

「順路が見えない?」

 言葉を引き継いだはずのユリウスと、結論が食い違ってスバルは眉を寄せる。そんなスバルにユリウスは「気付かなかったのかい?」と吐息をついた。

「確かにここまで、行程は目立った不備もなく順当に進めている。このまま調子が崩れなければ、というのは私も同感だ」

「持って回った言い方すんな、悪い癖だぞ。もっと直接的にバビュッと言えよ」

「では簡潔に。――スバル、君は塔の異変に気付かないのかい?」

「――――」

 静かなユリウスの問いかけに、スバルは息を呑んだ。
 それから監視塔――氷壁の向こう側に透けて見える、夜の中でもぽっかりと存在を主張する強大な偉容を見据える。
 異変、とユリウスに指摘されても、スバルには監視塔の異常がわからない。一日、ずっと睨み続けていたその塔は、砂丘到着時から今まで何も変わっていないはずだ。
 ――何も変わっていない、はず。

「――!?」

「気付いたようだね。あの塔は明らかに、近付きも離れもしていない。私たちはあの塔を目指してずっと歩き続けているが……その距離は埋まっていないんだ」

 ユリウスの指摘通り、その異常にスバルはようやく気付く。
 遠間に見えるプレアデス監視塔は、変わらず、見落とすわけがないサイズ感のままでそこに在り続ける。何ら、見え方に変化のないまま。

「嘘だろ……」

「スバル、君が動転する気持ちもわかる。だが、気を確かに……」

「じゃあ、今日こんだけ苦労して砂塗れになって歩いた道のりが全部無駄だったってことか!? 攻略が面倒臭すぎる――!」

「……うん?」

 足下の砂を蹴りつけ、声を荒げるスバルにユリウスの言葉が詰まった。スバルは困惑するユリウスの前で地面にしゃがむと、砂を掌ですくって唇を尖らせる。

「おいおいおいおい、マジかよ。それ知ったらドッと疲れが出てきた。苦労が徒労だったって言われるのマジでキツイわ。うわー、最悪だ」

「思ったより、精神的なきつさはなさそうやね」

「どこ見てんだよ! こんなに苦しんでるじゃん! メチャクチャ凹んだし、メチャクチャ嫌な思いしたっつの。お前も気付いてたならもっと早く言えよ!」

「確信が持てるまでは黙っていようと、そう思ってね。落胆させたくなかった」

「お前らはそうやってよぉ……」

 すくい上げた砂を捨てて、手を叩きながら立ち上がる。そうして俯き気味のユリウスを下から睨みつけ、スバルは憤慨した。

「そういう思わせぶりな感じやめてくれます? 別に思いつきで喋っても怒らねぇよ! むしろ、そこから糸口見つかるかもしれねぇだろ。お前らの『このことは自分の胸の中だけに仕舞っておこう』って精神なんなの? それで状況が好転したこととかホントにあんの? 少なくとも俺は黙っててよかったこと一度もねぇよ!」

「あ、ああ、すまない」

「些細なことでもすぐに言えよ。これ、攻略不能キャラのラムにも言ったぞ。全員に言って回らなきゃダメなのか、おい」

 ホウレンソウの不徹底さにスバルが呆れ返ると、ユリウスも反省した顔だ。『最優の騎士』相手に珍しく優位に立ったと、スバルは数多くの不都合の中からかろうじて良しと思えることを拾い上げ、アナスタシアと向き直る。

「で、お前はこの現象について心当たりがあると思っていいんだよな」

「説明不足やったんを反省した……ってより、うちの方も半信半疑やったんを今日一日で確信できた。そんな風に思ってもらえると助かるわぁ」

「その半信半疑の時点で次からは話せ。以上だ。で、何がどうなってる?」

 先に言い訳を持ち出すアナスタシアに舌を出し、言葉の先を促す。するとアナスタシアは「驚かないで聞いてほしいんやけど」と前置きし、

「この砂丘と監視塔の間の砂原なんやけど、たぶん、空間が捩れてるんよ」

「空間が捩れてる……?」

「つまり、見え方と違くて地続きになってないっちゅぅことやね。このまままぁっすぐ歩き続けても、たぁぶんいつまで経っても辿り着けんよ」

 あっけらかんと衝撃の事実を明かすアナスタシアに、スバルは開いた口が塞がらない。そのことは襟ドナから聞いた、という風を装っている以上、アナスタシア=襟ドナはそれを最初から知っていたはずだ。

「それが、ラインハルトもこれまでの挑戦者も辿り着けなかった原因ってわけか」

「目的地自体はそこに見えてるわけやしね。あとは距離を詰めるだけ……道中、魔獣の巣窟を必死で抜けてきたんならなおさら、あと一歩が欲しぃてたまらんやろし」

「――――」

 目的を目前にして、道半ばで倒れる冒険者たちの無念がなんとなく偲ばれる。
 ラインハルトですら攻略を諦めた、監視塔を目指す者を妨害する障害。歪んだ空間と、実際には辿り着けない砂海の果て――それがカラクリか。

「それを、どうしたら破れる?」

「……破る破らないの話は、ちょぉっと的外れかもしらんよ? これ、瘴気が生み出した天然の罠やもん。人為的な力はなぁんにも働いてない」

「天然の罠!? これが!?」

 極々稀に、自然はその在り方自体に殺意があるとしか思えない罠を用意する。
 砂漠地帯でしばしば見られる蜃気楼や、豪雪地帯の崖に続く雪道。大枠で考えれば底無し沼や、潮の満ち引きさえも人間の命を奪いかねない。
 だが、さすがにこの監視塔の存在は――、

「これが自然の用意した罠か? さすがにそれは言いすぎだろ」

「元々、こうした現象が起こる場所にプレアデス監視塔を建てた。そう考えれば不自然ではない。それに理に適ってもいる」

「理に適う? 何の?」

「忘れてはならない。砂丘は監視塔に続いているが、砂丘の先にあるのは塔だけではないことを。そもそも、監視塔は何のためにある?」

 語気の荒くなるスバルをユリウスが窘め、考えることを促してくる。今度の問いかけにはすぐに答えが浮かんだ。監視塔の目的、それは『魔女の祠』の封印だ。
 そして越えられない砂丘の罠は、『嫉妬の魔女』の復活を目論む魔女教の抑止力としても、非常に高い効果を発揮することだろう。
 一概に、そのことを責められはしない。

「……っ! わかった。とにかく、あの塔がどういう経緯と目的であそこに建てられたのかは今はいい。問題は別にある。その、歪んだ空間の突破法だよ」

「元を断つんは無理、って話はわかるやろ? ここはそういう土地なんよ」

「それはOKだ。風土と名産は把握した。次は弱点を探ろう。道案内を買って出た以上は、当然あるんだろ? 抜け道が」

「それがないとお話にならんもんね。……抜け道、といえるかは微妙やけど」

 追及を重ねるスバルに苦笑し、アナスタシアはもったいぶった風な態度をみせる。それから彼女は、自分を注視するスバルとユリウスに頷きかけ、言った。

「あの『砂時間』の最中に、監視塔に繋がる空間が綻ぶ瞬間があるはずや。そこを通り抜けて、本当の砂海に入る。それが突破の条件やね」


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ――翌日からの砂丘アタックには、非常に困難な状況が連続した。

 アナスタシアの開示した監視塔への道、その条件は全員が共有。つまり、『砂時間』が訪れるまでの行軍は大部分が余白となり、その間は持て余すことが予想された。
 しかし、そうした不安は、

「肝心の『砂時間』がきても、綻びに辿り着けるかは運次第。そう考えると、一ヶ所に留まらんでいるんも悪ないとうちは思うよ」
「それにずうっと一ヶ所にいると、あたりの動物さんたちに私たちの臭いが覚えられちゃうかもしれないわあ。私は大丈夫だけどお、万が一、私と逸れるようなことがあったらどこまでも追いかけてきちゃうわよお」

 アナスタシアとメィリィ、二人の意見によって事無きを得た。
 前者の意見はいささか頼りないが、後者の意見は実際に命に関わる内容だ。あまり考えたい状況ではないが、危険から目を背けるのはただの臆病である。本物の勇気はあえて恐怖を直視し、それでも立ち向かうからこそ尊いのだ。

「そうだよね、エミリアたん」

「――? うん、そうね」

「エミリア様。あまり真剣に受け取らない方が。馬鹿なときの顔ですよ」

 定期的に竜車の中の面子と言葉を交わすが、昨日の行軍が徒労と聞かされてもモチベーションは下がっていない。
 ミルーラで用意した食料や水にもだいぶ余裕がある。瘴気の影響はエミリアとベアトリスの精霊術で和らげているため、不安はないと考えたいが。

「実際、何日仕事になるかわからないってのはストレスが溜まるからな」

「スバル、口の中に入った砂利は呑まずに吐くのよ。大した量じゃなくても瘴気を含んだ砂かしら。いい加減な処置だと、あとで痛い目を見るのよ」

 口内に砂を味わう感触にもすっかり慣れ、警戒の薄れるスバルをベアトリスが注意する。相変わらず、騎竜中はスバルの腕の中にいるベアトリスは、懐から水の入れ物を出すと、

「ほら、口をゆすぐかしら。水浴びできない分、口の中ぐらい綺麗にするのよ」

「へいへい……そういえば、お前は風呂に入らなくても綺麗なまんまだよな」

「ベティーの体の大部分はマナで構成されているかしら。当然、清潔感は常に保っているのよ。いつどこででも可愛らしい、ベティーには当たり前のことかしら」

「はいはい、可愛い可愛い」

 おざなりなスバルの対応にベアトリスが頬を膨らませるが、そんな彼女の頭を撫でてやり、ローブの中に押し込んだ縦ロールを弄って遊ぶ。今日は三つ編みだ。

「お、また魔獣の群れ発見。……ああやって遠巻きにしてくれてるんなら、あいつらもただの動物にしか見えねぇけど」

「私から離れて近付いたら、お兄さんなんかすうぐにガブリねえ。不思議だけど、このあたりの動物たちってみいんなお兄さんのことじろじろ見てるのよねえ」

 パトラッシュを竜車に寄せ、進路から横に逸れた位置に集まる魔獣の群れを見る。メィリィは言葉通りに不思議そうな顔でスバルを見て、「変なのお」と呟いた。
 どうやら彼女には、スバルの取り巻く『魔女の残り香』とやらがわからないらしい。瘴気と同質のもの、とスバルは考えていたのだが、実際のところはわからずじまいになってしまいそうだ。ともあれ、その臭いがスバルから薄れたわけでも、それに魔獣が引きつけられる性質が消えたわけでもないようだが。

「お、あれってもしかして懐かしの魔獣じゃないか? ラム、見てみろよ!」

「アレを思い出の一部みたいに語られるのはひどく不愉快だわ。ラムとついでにバルスも、ひどい目に遭わされた記憶しかないわよ」

 遠目からこちらを窺う魔犬の群れは、旧ロズワール邸を襲った魔獣災害の同族だ。思わずテンションの上がるスバルに、ラムの態度は刺々しくて冷たい。

「そう言うなよ。あれが俺やお前、そしてレムとの関係の言わば仲人役だぞ。あいつらがいなかったら、今の俺はなかったかもしれない。そう考えると、あいつらとの関係も悪いものじゃ……いや、悪いよ! クソだろ!」

「自分で燃え上がって自分で消火するのやめなさい。見ていて哀れ、聞いていて惨め、考えるだけで情けなくなるから」

 魔獣の群れを相手に一年前の苦悩が蘇る。そのヒートアップするスバルに嘆息し、ラムはとっとと竜車の窓を閉めると、話を切り上げてしまった。
 残念だが、仕方ない。ラムの中で一年前のあの事変は、レムの存在を欠いた状態でスバルと協力して解決した形に塗り替えられている。実際、レム抜きでどうやったら魔獣の群れを攻略できるか不明だが、記憶改変はそれに違和感を持たせないらしい。
 レムの記憶がラムの中で蘇れば、欠けた部分が埋まって話題も噛み合うはずだ。そのときはそのときで、やっぱり邪険にされる気しかしないのだが。

「うおおお! 『砂時間』やべぇ! 『砂時間』ぱねぇ! 砂風ヤバい!」

「な、なるべく透明の氷は作ったけど、ダメなら言ってね?」

「もうすでに結構ダメだこれ! 氷万能説崩れる!」

 そして肝心の『砂時間』の到来、砂風に向かって飛び込み、塔へ繋がる空間の歪みを探して突貫するが、想像以上の砂の猛威に圧倒的に煽られる。
 特に誤算だったのが、ここまで強力なパフォーマンスでスバルたちの冒険を支えてきてくれた氷壁、その完全敗北である。

「せっかくの氷の壁なのに、メチャクチャ砂が張りついて前が全く見えねぇ! っていうか、風が強すぎて面積広い氷で風を受けるとか自殺行為すぎる!」

「え!? なに!? スバル何か言った!? 全然聞こえない!」

「風が強すぎて自殺行為すぎる!!」

「え!? 死にたい!? ダメよ、そんなの! 弱気にならないで!」

「そんな話して……ぐああああ!! 目に砂が暴力的に入ったぁ!!」

「え!? なんて言ったの!? もう一回言って! スバル? スバル――!」

「もう一回やれって、そんなスパルタ……ぐああああ!!」

「スバル――!?」

 暴風となった砂風は、もはや砂嵐のそれに近い。
 挑んでいるスバルたちは真剣そのものなのに、やり取りは喜劇の一幕のようだ。
 薄く、砂避けだけを念頭に入れた氷の板を持つことさえ、真っ向から吹き付ける風の中では自殺行為でしかない。むしろ完全に体中を布で防護し、地竜諸共に極限まで体を縮ませて受ける風の量を減らすのが得策だ。
 ただし、その作戦の場合、ネックになってくるのが――、

「頑張れ! 頑張れ、ジャイアン! お前の馬力だけが頼りだ!」

「――――」

 砂風を真っ向から受け、その中に突撃させられる地竜。すでに砂丘攻略の日数も数日を数え、芽生えた絆は呼び名となって表れている。
 早い話、竜車を引っ張るガイラス種の地竜の名前を『ジャイアン』と名付けた。
 そしてそのジャイアンの頑張りが、砂風の中では突破の鍵を握っている。なにせ女性陣を乗せる竜車には、風に対して小さくなるといった工夫のしようがない。
 結果、ジャイアンが力の限り、風に負けない馬力で竜車を引っ張るしか方策がないのだ。

「あまり地竜にばかり無理をさせるのは性に合わないが……今は君が頼りだ」

「ほおら、頑張ってえ! もう、また終わらない砂原に帰るの嫌よお」

 手綱を握るユリウスと、その隣に座るメィリィもジャイアンにエールを送る。
 誰よりもジャイアンの頑張りを間近で見てきた二人だからこそ、その底力を信じて言葉を投げかけることができるのだ。

「――――」

 風の中では小窓を開けることもできないが、竜車の中からもエミリアたちが心配そうに祈っているだろうことが信じられる。
 せめてもの砂風対策として、エミリアには竜車を氷で多少弄ってもらった。前面に氷の板を張ってしまうと、砂は防げても風の猛攻に耐えられない。
 ならば、とスバルの出した苦肉の策は、風を受け流すウィングや鋭角なフォルムの形成――風の中に猛然と突き刺さる、一本の槍をイメージした。

「プチ四駆の改造の応用だぜ。軽量化の肉抜きは命取りだからできねぇが、できることはやったつもりだ。さあ、いけよ、グングニル――貫けぇ!」

「――っ!」

 スバルの叫びに呼応するように、猛然とジャイアンの足が前へと踏み込む。一本の槍となった竜車は、押し寄せる風を真っ向から食い破り、前へ、前へ。
 やがてその神槍の名を冠する竜車は、自らが食い破った風の傷痕へ突き刺さり、砂の暴威を抉り、そして突破する――。

「――――」

 砂風を抜けた瞬間、スバルを襲ったのは恐ろしく研ぎ澄まされた静寂だった。
 あれほどに耳元で騒いでいた風も、全身を削るように打ち付けた砂も、魔獣たちの活発化を促す瘴気も、何もかもが幻であったかのように消え去っている。

「――――」

 『砂時間』の終わりは、確かに唐突ではあるがもっと余韻がある。
 砂を纏う風は徐々にその勢いを弱め、やがてゆっくりと波が引くようにいなくなり、独特の砂の香りだけを残していくのだ。
 だが、今回に限ってはそれがない。それはつまり、今回の終わりは、これまでの『砂時間』の終わりとは別物であるという、証拠だ。

「――――」

 口の中に渇きを感じながら、スバルは振り返る。
 すると、そこにはスバルと同じく、砂風を抜けて呆然となるユリウスたちがいる。当然、彼らがいるのであればジャイアンも、そして竜車も同じだ。

「――ユリウス」

「ああ」

 スバルの呼びかけに、硬直していたユリウスが顎を引いた。それからどちらともなく手を挙げ、グッと拳を握って『砂時間』の突破を称え合う。
 ユリウスの隣ではメィリィが体についた砂を払い、ジャイアンを労っているのが見えた。ジャイアンは間違いなく、今回の旅の殊勲賞だ。
 存分に感謝し、労い、褒美をあげなければ――ただ、

「今はとにかく! 突破だ! やったぞ! やっ――」

「ええい! ずっとずっと耳元でやっかましいかしら――っ!!」

 大喜びするスバルの顎が、真下からベアトリスの掌底に突き上げられる。
 見事な一撃に視界が回り、スバルはそのままパトラッシュの上からひっくり返り、砂の上へと無防備に落ちた。頭が砂に埋まり、大量の砂を口に含んだスバルは、即座に起き上がってベアトリスに食って掛かる。

「いきなり何すんの!? 人が大喜びしようとしたら急になんだよ! びっくりして結構たくさん砂飲んじゃったんだけど!?」

「ベティーを抱いてるのに、一人で盛り上がってうるさいのよ! 何かしらダウンバーストだのオフロードだのジェネシフトだのバーニングソウルだの、訳がわからんかしら! 耳がずーっとキンキンしたのよ!」

 パトラッシュに跨ったまま、ベアトリスはスバルに向かって猛抗議してくる。
 スバルとしては色々と言い分もあるが、確かにちょっとテンションが上がって適当な用語を並べ立てて叫んでいた感は否めない。なんだグングニルって。

「おほん。……と、とにかく、無事に『砂時間』は突破したわけだ。まずはそのことを喜ぼうぜ。ほら、バンザーイ!」

「……万歳かしら」

 不貞腐れたベアトリスの態度はともかく、砂の障害の突破は間違いないのだ。
 頑張ってくれたパトラッシュの首筋を撫で、凛々しい顔に疲労感を見せない愛竜の勇ましさにも感謝を述べる。
 その上でスバルは竜車に駆け寄り、歓喜を分かち合おうとして――、

「――お兄さん」

「あ? どうした? お前ももうちょっと喜んでも……」

「黙って」

 小走りのスバルを呼び止め、振り返るこちらにメィリィの鋭い言葉が飛ぶ。
 そこに込められていたのは、あからさまな危険への警戒だ。

 ――それが意味するところを勘違いするほど、スバルもボケてはいない。

「――――」

 押し黙るスバルに対し、メィリィは口に指を当てたまま頷き、空いている方の手でゆっくりゆっくりと、正面の方角を指差した。
 スバルも、そしてユリウスやベアトリスも、その指の動きにつられて前を見る。

 『砂時間』の砂風を越えて、監視塔までの歪んだ砂海はクリアした。
 そのため、眼前に浮かび上がる監視塔のシルエットは、明らかにそれ以前までのものと比較して大きく、明瞭なものになっている。
 目標までの具体的な距離が改めて設定された、そう考えることができた。
 ただし――、

「……なんだ、あれ」

 その監視塔へ続く砂地を埋め尽くすように、色とりどりの花畑がスバルたちの前に広がり続けているのだった。

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