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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第六章 『記憶の回廊』

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第六章7  『砂海を目指して』


 アウグリア砂丘最寄りの町、『ミルーラ』は有体に言って寂れた宿場町だ。
 町の規模はそれなりではあるが、当然、水門都市プリステラや工業都市コスツール、王都ルグニカとは比較にならないほど小さい。
 王国内に張り巡らされる街道はどこも整備されており、ミルーラまでの道のりも竜車で安定した旅路ではあったが、その東端の終着点にしては寂しい限りだ。

「だけど、仕方ないのかもしれないわね。地図で見ると、ここから東には本当にアウグリア砂丘しかないし……南には王国最大の大森林でしょう? 五大都市からも離れてるし、人の行き交いが少ないのもわかる」

 町を見て回りながら、スバルの隣を歩くエミリアがそんな所感を漏らす。
 白いローブを頭から被り、美しい銀髪と面貌をほんのり隠した状態だ。田舎町にエミリアのような美少女が現れると、町の人たちの美意識に打撃が走る――というのはスバルの冗談だが、彼女もやんごとなき立場である。外見だけでなく、その素性も含めてトラブルを招かないよう、ちょっとした配慮というわけだ。

 もっとも、頭部や口元を布で隠す理由はそれだけではない。
 身分を隠す以外の理由、それはミルーラの名物『災害』である砂風の影響だ。

「東に南に発展のしようがない上に、極めつけはこの砂風か。キツイな」

 エミリアを風下に立たせ、ささやかな抵抗として風上側に立つスバルも、顔に巻いていた布を引き上げ、口元を隠しながらそう呟く。舌を動かすと、歯と歯の間を擦れる砂の感触があり、なんとも気分が悪くなる。

 この砂を纏った風は、東の砂丘から吹き降ろすように町へ流れ込んでくるものだ。
 風の強い日などはひっきりなしに砂風が吹き付けるらしく、町の中を出歩くためにはこうした防砂ファッションは欠かせない。

「――? スバル、どうかした?」

「いや、砂漠って聞いたとき、イメージしてた展開とは違うなと思って」

 ちらと横目に自分を見るスバルに、エミリアが首を傾げる。
 素肌の露出を極限まで隠し、頭からすっぽりと足首までマントで覆った姿だ。基本的に可愛い女の子は色んな衣装で周囲の目を楽しませるべし、というのがスバルの考え方なのだが、こうまで防御力が高い衣装では目の保養にもならない。
 砂漠といえば、日差し対策に踊り子みたいな衣装――とはなんだったのか。

「それにしても、やっぱり宿の人の言うことは聞いておくべきだったか」

「今、ちょうど『砂時間』なんでしょ? 通りに誰もいないもんね」

 さほど強くない風なのだが、砂の重さが軽いのかささやかな砂塵になっている。黄色く煙る視界の中、見渡す町の通りにはスバルとエミリアの二人しかいない。
 この環境に慣れきった町の人間は、この砂風の吹く『砂時間』は屋内に立てこもり、建物の窓やドアの隙間まで塞ぐ徹底ぶりであった。
 実際、砂風の中では視界はもちろん、呼吸にもかなりの労力が求められる。宿の人間は『砂時間』中は出歩くべきではないと、しっかり二人を止めてくれたほどだ。
 ただ、止める宿の人間を押し切って出てきたのには理由がある。

「町の中でこれなんだ。砂丘の砂風はこんなもんじゃねぇんだろうな」

「……うん、そうね」

 予行演習ではないが、わざわざ『砂時間』に出歩く理由は心の準備のためだ。
 四方を砂に囲まれ、『砂時間』以外にも砂風の吹く砂丘の行路はこの程度ではない。砂丘から距離があり、建物の密集した町の中でこの視界の悪さだ。
 砂丘の行路の険しさは、今の内にしっかり覚悟する必要がある。

「とりあえず、どこかのお店に入らない? このままだと、私もスバルも砂の塊になっちゃいそうだから」

 まとわりつく砂を払いながら、エミリアが指差すのは通りの向こうにある建物だ。酒場、か何かと思しき場所は、ひとまず避難場所として機能しているらしい。
 他の店は来店お断りの雰囲気があるが、少なくとも入口が閉ざされていない。

 エミリアの提案通り、二人はせかせかと早足でその建物に向かう。
 押し扉の前でできるだけ砂を落とし、それから酒場の中にゆっくりと入り込んだ。

「……砂風の中、いらっしゃい」

 酒場に入ると、カウンターの向こうでグラスを磨いていた店主が、スバルたちの方を見て低い声をかけてくる。声の調子が歓迎していないのは、一目でスバルたちが砂塗れと気付いたからだろう。
 落とせるだけ落としたつもりだが、それでもまとわりつく砂の量は膨大だ。悪いとは思いながらも、砂を散らして店内に足を踏み入れる。

「注文は?」

「ミルク、冷たいの」

「ミルク、あったかいの」

「――――」

 カウンターに腰掛ける二人の注文に、店主は目を細めたが何も言わない。
 ちなみに冷たいのがスバルで、温かいのがエミリアの注文だ。

「大繁盛、って雰囲気じゃねぇな……砂時間中は商売あがったり?」

 被っていた頭巾を脱いで、運ばれてくるミルクに口を付けながらスバルは店主に尋ねてみる。愛想のない店主は「ああ」と短く応じると、

「ただでさえ、外の人間の出入りが少ない町だ。日の出てる間、店は開けちゃいるが道楽みたいなもんだよ」

「なるほど。んじゃ、外の人間な上にお客さんである俺らはお得意様だな」

「酒場でミルク頼んで得意げにされてもな。ほら、嬢ちゃんのだ」

「わ、ありがと」

 温められたミルクが差し出され、エミリアが陶器を掴んで一息つく。ミルクに息を吹きかける彼女を横目に、スバルはカウンターの上に身を乗り出した。

「他の客もいないし、今ちょっと暇だろ? 少しだけ話、聞いてもいいか?」

「たとえ本当に暇でも、勤務中の人間に暇だろなんて話しかけんのはご法度だぞ。……余所者が何を聞きたい?」

「ずばり、アウグリア砂丘のことについて」

 指を立てて、スバルが店主に質問状を突き付ける。と、それを聞いた店主の表情が初めて崩れた。
 灰色の短髪の渋い店主は、濃い眉の下の目を怪訝そうに細める。それからスバルとエミリアを見比べ、小さく吐息をこぼした。

「何の冗談か知らんが、行楽気分でいくならやめとけ。死ぬだけだ」

「おいおい、何を言い出すんだよ。俺らがまさか、遊び気分に見えるってのか?」

「他の何に見えたら俺の今の忠告が出てくるんだ? あそこは誰も生きて帰っちゃこない死の砂海だぞ。女との逢引きに使える場所じゃぁない」

「確かに吊り橋効果は有効的なアプローチ方法だと思うけど、俺もそこまで追い詰められてねぇよ。エミリアたんからも言ってくれ」

「ふーふー、あちち……え? なに? ごめん、聞いてなかった」

「見ろ、このE・M・Tぶりを」

「悪いこと言わんから死ぬ前に帰れ」

 スバルとエミリアのやり取りを見て、ますます店主の信頼度が下がった。
 とはいえ、店主も悪気があって言っているわけではないだろう。実際、アウグリア砂丘の危険性は前評判からも知れている。だが――、

「退くって選択肢は俺らにはないんだ。進むって道しかない以上、できることはなるたけ安全な道を選ぶことだけ。わかるだろ?」

「わかってないのはお前たちの方だ。いいか? あの砂丘はどうしようもないんだ。魔獣の巣窟で、魔女の瘴気が漂ってて、遠目に見える塔には近付けない」

 食い下がるスバルの態度に苛立った様子で、店主が砂丘の脅威を語り始めた。砂の入らないように閉じた窓を指差し、町の東を示して店主は唇を曲げる。

「毎年、お前たちのような無謀な連中が砂丘目当てにやってくる。目的は砂海の中にある賢者の塔だが……誰も辿り着けやしない。生きて戻ってこれれば御の字だが、大抵の奴は砂海で干乾びるか、魔獣の餌になって終わり」

「本当に、辿り着けた奴はいないのかよ?」

「砂海に塔が建ったのが何百年前だと思ってる。あの場所を目指す馬鹿野郎の数は減らないのに、到達者がいるなら名乗り出ないわけがない。知らないのか? そいつは『剣聖』でも失敗した功績になるんだぞ」

「――――」

 プレアデス監視塔の攻略は、ラインハルトさえも失敗した挑戦だ。
 それは当のラインハルト自身から聞かされているし、監視塔攻略のための難易度の異常な高さを物語ってもいる。
 ただそれでも、越えなくてはならないのが今のスバルたちなのだ。

「もちろん、無策で突っ込むような馬鹿はやらねぇよ。そのための情報収集だ。酒場でやるのは基本だろ?」

「そうなの? どうしてお酒を飲むところで?」

「詳しいこと聞かれるとわかんないけど、たぶん、酒飲んでみんな口が軽くなってるから色んな噂話が流れ込むとかそんなん?」

「つまりは酔っ払いの与太話ってわけだ。無策で突っ込むのもいただけないが、愚策に偏るのもよくないと思うぞ」

「ぐえー! 正論が突き刺さる!」

 真っ向から正論に打ちのめされ、ミルクを飲み干すスバルが轟沈する。
 普段のスバルの会話ペースも、相手がいい大人になるとたじたじだ。店主もスバルのように、無鉄砲に砂丘に挑む人間を相手にするのは慣れたものなのだろう。実際のところ、スバルの砂丘挑戦は無鉄砲というわけではないのだが、相対する店主が実態を知らない以上は扱われ方は同じだ。
 このままでは、何の手掛かりもないまま戻る羽目に――、

「大体、女の子まで連れてるのにあんな地獄にだなぁ……」

「ごめんなさい、店主さん。さっきから心配してくれてるのに、スバルが文句ばっかり言ってて」

 手詰まり、とスバルが凹んでいると、説教を始めかける店主をエミリアが遮る。謝罪から入るエミリアの言葉に、店主は目を丸くした。
 そんな店主に、エミリアはぺこりと頭を下げる。

「顔見知りでもないのに、色々とありがとうございます」

「いや、こっちも口うるさいようで悪いな。ただ、間違ったことは言ってないつもりだ。お嬢ちゃんたちみたいな若い連中が毎度毎度、な」

「そんなに何人も、『賢者』に会いにいこうとするんですか?」

「本当に『賢者』に会おう、なんて気概の奴はそんなにいないだろうさ。大抵の奴はアウグリア砂丘を攻略する名誉欲だな。あわよくば賢者に知恵を授けてもらおうなんて連中もいるんだろうが、塔に辿り着ければ褒美が貰えるなんてのも眉唾さ」

 肩をすくめて、店主はうんざりといった顔つきで嘆息する。
 言葉通り、プレアデス監視塔への挑戦者を何人も見送ってきたのだろう。顔のわりに人が好いのか、忸怩たる思いがあるようだ。

「それは、塔についても『賢者』に会えないってこと……?」

「そこまで辿り着いた奴の話も聞かない。噂じゃ賢者様は今も、塔の上から砂丘を見下ろして、不埒な輩に天罰を下すって話だが……見たわけじゃないしな。俺にはあの砂丘自体、餌をぶら下げて獲物を狩るための罠に思えてならんよ」

「魔獣と瘴気、って言ってたっけ。それって?」

「言ったまま聞いたままさ。あそこは魔獣の巣窟……魔獣は王国の各地に色んな種類がいるが、あの砂丘はおかしなことにあらゆる種類がいる」

 興が乗ってきたのか、店主は声を潜めながらも饒舌だ。
 エミリアが息を呑んで頷くと、店主は遠い目をする。

「斑王犬やら黒翼鼠は可愛げがある。固有種の一角獣と砂蚯蚓はここでしか見られない。あとは砂地に花畑があったら花魁熊の狩場だ。悪夢だと思え」

「花魁熊……」

「本当はカララギの方にしかいないらしいんだがな。体中に花が咲いた魔獣だ。見た目に騙されて近付くと、腸を啜られるぞ」

「さすが魔獣……えげつねぇ……」

 魔獣は人類を殺すための獣、とは誰に聞かされた言葉だったか。
 聞き耳を立てながら顔をしかめるスバルに、店主はそれ見たことかと鼻を鳴らす。

「だが、砂丘で一番警戒しなきゃならんのは魔獣よりも瘴気の方だ。砂風やら環境の変化も危険ではあるが、瘴気の方が優先度は上だな」

「その瘴気ってのがピンとこないんだよな」

 重ねて声を曇らせる店主に、スバルは首をひねった。
 瘴気、その単語自体は何度も耳にしているし、字面で想像できなくもない。要するに体や精神に悪い影響を与える、見るからに体に悪そうな空気のことだろう。
 有毒ガス、などとは趣が違うと思うが、それに近いものだろうか。

「えっとね、スバル。瘴気っていうのは、言っちゃえば悪いものに汚染されたマナのことを呼ぶの。目には見えないけど、でもどこにでもあるでしょ?」

「え、マナが瘴気なのか?」

 エミリアの指摘にスバルは驚いた。わかりやすい説明だが、スバルの想像していた方向とはわずかに意味合いが変わる。
 マナが魔法使いや精霊にとって、非常に大きな影響力を持つのは事実だ。だが、ただ生活したり、騎竜して移動するだけならさほど問題にはならないはず。
 しかし、エミリアはそんなスバルの拍子抜けした内心を見通したように、ゆるゆると首を横に振った。

「瘴気を甘く見ちゃダメ。元々、普通のマナは何の色も指向性もない純粋なもの。だけど瘴気……悪いモノに汚されたマナは、ゲートから取り込むだけで生き物の体の中を悪くするの。ゲートが自然にマナを取り込む器官な以上、それは避けられない」

「ずっと息を止めてる、ってわけにはいかないからか」

「嬢ちゃんの認識で正解だが、アウグリア砂丘に漂う瘴気はその上をいくぞ。――あそこの瘴気は生き物はもちろん、食い物や飲み物までダメにする」

「食べられなくなるって意味?」

「食べたら一気に瘴気の汚染が進むって意味だ。ゲートから微量に取り込むだけでも発狂モノだぞ。直接、胃袋から取り込んでみろ。汚染に呑み込まれる」

「そうなると、どうなるんだ? 頭がおかしくなるだけで済まないのか?」

「狂い死にするってのが通説だ。実際は……まぁ、否定はできんよ」

 言葉少なに首を振る店主、その顔色は悪い。
 直接的に口にはしなかったが、おそらく彼は見たことがあるのだ。瘴気に侵されて発狂し、死に至った人間の最期を。

「あんなところ、行かずに済むならその方がずっといい。そうしろ」

「――ミルク、ご馳走様でした。お話も、ありがとうございます」

 話を締め括りにかかる店主に、エミリアはホットミルクを飲み干して礼を述べる。
 途中から、店主も柔らかに話を聞き出されている自覚はあったのだろう。その上でここまで言葉を続け、スバルたちの方針を曲げさせようとした。
 ただ悲しいかな。それでも、スバルたちの目指す場所は変わらないのだ。

「御代は置いておきます。スバル、いきましょう」

「ん……そだね」

 取り出した銀貨をカウンターに置いて、エミリアがスバルの袖を引いた。ミルク二杯には高すぎる支払いだが、情報と気遣いの分のチップが込みだ。
 立ち上がり、店主に礼を言って店を出ようとする。

「――ここ一年ぐらいの話だが、砂丘の方へ飛んでいく鳥を見かけるようになった」

「――――」

 ローブを被り直し、砂風に備えるスバルたちの背中に声がかかる。振り向くと店主はこちらに背を向け、グラスを拭きながら独り言のような調子で続ける。

「見かける連中の話じゃ、その鳥は塔を目指して飛んでるなんて笑い話が広がってるぐらいだ。何の根拠もない話だが……」

 そこで言葉を切り、店主はグラスを置いた。
 そして、

「もしも砂丘で頼りがなくなったら、鳥を探してみろ。運が良ければ、塔まで連れていってもらえるかもしれん」

「――――」

「砂丘で頼りがなくなる時点で、運は最悪に決まってるがな」

 店主の言葉に返事のないまま、スバルとエミリアは店を出た。
 外へ出ると、砂風の勢いはだいぶ弱まっている。酒場に入ったときより幾分か視界が開けているのを確かめ、エミリアがスバルへ振り返った。

「いったん、宿に戻ってみんなと合流しましょう。アナスタシアさんたちも戻ってきてる頃かもしれないし」

「そうだね。向こうの収穫も気になる」

 再び顔を覆ったエミリアの前に立ち、風除けになりながら歩き出す。
 そうして酒場が見えなくなるまで離れたあたりで、エミリアが小さく呟く。

「さっきのお店の人、片足がなかった」

「……気付かなかったな」

「どこでしたケガかわからないけど……でも、そういうことじゃないかな」

 エミリアの思わしげな言葉に、スバルも彼女の言いたいことがわかる。
 見ず知らずの旅行者二人に、結構に親身になって砂丘の危険性を訴えた店主。

 それが彼の経験談による忠告だったとしたら、その気遣いを振り切って砂丘へ挑む自分たちはひどい奴らだ。そんな風に感じた。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「ナツキくんとエミリアさんも、無事にお戻りみたいやね」

 宿に戻り、砂を落として部屋へ上がったスバルたちを迎えたのは、スバルたちと同じように外出していたはずのアナスタシアだ。
 外出着から着替え、寝台に腰を下ろすアナスタシアははんなりと微笑んでいる。

 一行が宿泊する宿は、ミルーラでは一等まともな宿である。
 それでもプリステラの『水の羽衣亭』などに比べれば見劣りするが、そこは都市レベルの格差ということで納得する他にない。

「ユリウスは?」

「うちを宿に送り届けたあと、ちょっと町を見て回るいうてな。たぶん、砂に目を慣らしとるんやと思う。ナツキくんたちとおんなじやね。どうやった?」

「防塵ゴーグルが欲しいってのが本音だな。透明なガラスみたいなので、顔のこのあたりを塞ぐみたいに覆うんだ。作れないか?」

 水中ゴーグルを思い浮かべて、スバルは自分の目の周りを示しながら聞いてみる。アナスタシアはその言葉に首を傾げ、「なるほど」と頷いた。

「ガラス細工やと強度に問題があるけど、一考の価値はある……か。砂風問題はカララギでも無関係やないし、使える考えかもしらんね」

「先々の特許関係の話がしたいわけじゃねぇよ。それがないなら……まぁ、『砂時間』さえ避ければ、行動不能ってことはないと思うぞ」

「問題は砂より、魔獣や瘴気の方みたい。瘴気は私とベアトリスで微精霊に働きかけてみるけど……魔獣はメィリィに頼りきりよね」

 そう口にしたエミリアが、壁越しに隣の部屋の方へ視線を向ける。
 そちらの部屋は現在、メィリィの監視にベアトリスがつく形になっているはずだ。心情的には裏切らないと信じたいところだが、メィリィの前科が前科である。おいそれと信用するわけにはいかないし、彼女の語る、母親との繋がりが切れたとも言い切れない。彼女の母親が口封じを試みない、とも限らない。

「そいでもって、道案内はアナスタシア頼りと。綱渡りだな」

「いつものことといえば、いつものことだけどね」

「違いない」

 珍しいエミリアの茶々にスバルが唇を緩め、それからアナスタシアを見やる。彼女は寝台の上で背筋を伸ばし、「それで、やけど」と言葉を継いだ。

「出かけた目的、ちゃぁんと果たしてきたから安心してな? 竜車の車輪回りの調整と、砂丘に入るうちらの扱いはこっちの要求通りになるはずやから」

「そう……ごめんなさい。なんだか全部、やってもらっちゃって」

「ええよええよ。代わりにうちは戦力的に、エミリアさんを当てにさせてもらうし」

 鷹揚に手を振るアナスタシア。
 彼女の口にした目的――片方は、砂丘に入る竜車の調整だ。通常、竜車は整備された街道か、少なくとも道を走ることしか想定されていない。だが、今回の行路は大部分が砂の道であり、通常の竜車では移動もままならない。
 竜車を置いて地竜に乗って移動するのは手だが――こちらには女子供が多く、意識のないレムもいることを考えれば現実的ではなかった。
 そのため、砂漠地帯に適した竜車の調整と、地竜の変更が余儀なくされたのだ。

「パトラッシュは置き去りにできないけどな。それを置いていくなんてとんでもない」

「あの子、すごーく賢いもんね。置いてくなんて話してたら、スバル、噛まれちゃうんじゃないかしら……」

 実際、そうなりそうなのでなんとも言えない。置いていかないし。

「で、竜車じゃない方の交渉は……」

「交渉ってほどのもんともちゃうよ。向こうが不安がるのを宥めて、ちゃぁんと言って聞かせてきたっただけやから」

 愛らしく微笑んでみせるが、その笑みが見た目通りのものでないことを察して、スバルの背中はうそ寒くなる。

 竜車と、もう片方の用件。そちらは簡単に言えば、砂丘に臨むための通過儀礼だ。
 即ち、王選候補者であるエミリアとアナスタシアが、アウグリア砂丘で消息不明になった場合、その責任はどこにあるのか、といったことである。

 現状、二人が王国にとって、最重要といってもいいほど重要なポジションにいることは周知の事実だ。その二人があろうことか、アウグリア砂丘で砂に埋もれたとあれば一大事、当然、その責任の所在を巡って大わらわが予想される。
 アウグリア砂丘――砂丘自体の管理者はともかく、最後に立ち寄ったミルーラ周辺を治める領主にとって、その責任の重さは耐えられるものではあるまい。

 なので事前に、『何があっても、それは候補者の自己責任』という点を領主に納得させ、一筆したためるためにアナスタシアは領主の下へ出向いていたのだ。

「それでも、止めきれんかったことで責められるかもわからんから……うちらの命はうちらのものだけやない。責任重大やね?」

「それは元からそうよ。王選だとか候補者だとかだからじゃなく、私たちが『賢者』に会って、色々なことを取り戻す手段を見つけない限り、助からない人たちが大勢いるんだもの。今さら言い出すことじゃないわ」

「頼もしい限りやないの」

 アナスタシアはどこか嬉しげに、そう断言するエミリアを見返した。それから彼女は首を傾け、「それで?」とスバルの方へ目を向ける。

「ナツキくんたちは出歩いて収穫あったん? まぁさか、ホントにただ砂に目ぇ慣らしに出てたわけと違うんやろ?」

「まぁ、砂風の中でデートと洒落込んでたわけではねぇよ。一応、ちょっとは詳しい人間から話が聞けたつもりだ」

「お店の人が詳しかったのは、たまたまの偶然だけどね」

「酒場をチョイスした、俺の先見の明が光ったよね」

「お店を選んだの、私だった気がする……」

 ともあれ、流れがどうで誰の手柄であるかは情報自体には関係ない。
 アナスタシアにも先の酒場の話をしてやると、彼女は考え込む眼差しをした。

「鳥を見かける……ふーん」

「なんだよ、それが気になるのか?」

「他の話はまぁ、アウグリア砂丘に挑む上やと常識の半歩上ぐらいの話やからね。それより興味深いんは、やっぱりその変化やろね。鳥やなんて、一番、瘴気まじりの風に敏感そうやのに」

「そう言われると確かに……」

 アナスタシアの言葉に、エミリアが自分の髪に触れながら考え込む。思索に沈むエミリアを横目にすると、スバルはそっとアナスタシアの方へ顔を近付け、

「――まさか、本当に何か思い当たる節があるのか?」

「これといっては浮かばないよ。ただ、興味深いというのは事実さ」

「――――」

「そう疑わしい顔をしないように。ほら、彼女に不審に思われるよ」

 襟ドナの本心が顔を覗かせるが、そう言われては引っ込む他にない。幸い、まだ考え込んでいるエミリアは今のやり取りを見ていないが、安堵するスバルの胸裏は何故だか浮気を必死に隠す間男のような気分だった。

「出発は、どうする?」

「早い方がええやろ? 懸念やった竜車と話し合いは終わったんやし……積み込む荷物だけ補給したら、すぐにでも出た方がええんちゃうかな」

「明日、は性急だけど、明後日ぐらい?」

「そうしよか」

 アナスタシアがそう言って手を打つと、エミリアも了承したと頷く。
 それから視線を部屋の窓、砂が入ってこないようにしっかりと閉ざされたガラス窓へと向けて、目を細めた。

 エミリアの紫紺の瞳が見つめるのは、窓の向こうの東の光景だ。
 そこに町並みを乗り越えるような高さで伸びる、長大な影がそびえ立っている。

「プレアデス監視塔」

 ぽつりと、銀鈴の声音がその建造物を呼んだ。
 目的の塔は、ミルーラの中からも仰ぎ見ることができるほど、高く大きい。

 ――あれほど大きなものを、見落とすことなどあり得るだろうか。

 ミルーラに到着する前、街道の道中から見え始めたプレアデス監視塔の姿に、スバルはずっとそんな疑問を抱いている。
 何をどう間違えれば、あれほどの目印を見つけられなくなるというのか。
 だが、そんな風に思う一方で、酒場の店主の忠告も突き刺さる。

「無策は論外、愚策は下策、か」

 何がどうあろうと、挑まないという選択肢はない。
 だからこそ取れるだけの、可能性を増やせるだけの手段を選んだつもりだ。
 あの店主の語った、無策で愚策な冒険者とは違うはず、そう思う。

 だからこそ、スバルは気付かないし、気付けない。

 ――何がどうあろうと、挑まないという選択肢はない。

 この時点で、すでに最初の道を自ら閉ざしているのだと。

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