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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第六章 『記憶の回廊』

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第六章6  『ユークリウスの銘』

 不安いっぱいの朝から始まった旅路だったが、約一ヶ月に及ぶ行程は道のりこそ長くはあったが、道中には特別これといったアクシデントは起こらなかった。
 街道を一路、東へ向かって直進しながら、何も起きない旅路は退屈なものだ。

「プリステラ往復もそうだし、リーファウス平原もそうだったけど……ルグニカ王国って道々の治安とかだいぶいいよな」

「街道の整備や治安維持のための巡回は、王国の平穏を守るために欠かせない。ルグニカは他の国々と比べても、特にそのあたりは徹底させている。およそ、野盗や魔獣の群れといった被害率はかなり低く保たれているはずだ」

「他の国はそうでもないってこと?」

「万年雪に覆われるグステコ聖王国では、そもそも街道の整備がままならない。整える端から雪に埋もれられてはね。ヴォラキア帝国やカララギ都市国家では、多種族が入り乱れる分だけ習俗の違う者たちも多い。慣習が違えば諍いも生まれる。そういった意味で治安が安定しているとは言い難いかもしれないな」

「ほー」

 二頭の地竜を並べ、悠々と風を切って走るスバルとユリウスの会話だ。
 大型の竜車を引っ張る二頭の地竜の前を、スバルのパトラッシュとユリウスの青い騎竜が先導している。
 全員が竜車の中にいては、有事の際の反応が遅れる。ということでの布陣ではあるのだが、退屈紛れの会話が示す通り、旅路は平穏そのものだ。

「ふわ……」

「スバル」

 退屈が過ぎる上に、代わり映えのない景色が続けば欠伸も出る。口に手を当てて思わず眠気を膨らませるスバルに、ユリウスは咎めるような目を向けてきた。
 彼は己の愛竜に体重を預けながら、『風除けの加護』に守られて揺れることのない前髪をさっとかき上げてみせる。

「緊張感が持続しない気持ちもわかるが、張っていた気が緩んだ瞬間が最も危ないとされるときだ。気を抜くなとは言わないが、誰の目からも見える形でだらけているのはいただけないな」

「欠伸一つでどんだけ言うんだよ。お前だって欠伸ぐらいすんだろ。するよな?」

「無論、そうした生理現象は私にもあるさ。ただ、騎士の自覚があれば人前に出さない程度に抑え込むことは可能だろう? 君にはまだ、それが足りない」

「へいへい」

 ちくちくと嫌味のような勢いで畳みかけられるが、スバルのいなし方もそろそろ堂に入ったものだ。すでにこうして、ユリウスと旅路を共にするのも二十日近い。プリステラから屋敷まで、そして今、アウグリア砂丘を目指す行程でずっと隣り合って地竜を走らせていれば、対応の仕方も学ぼうというものだ。

「真剣な話をされているときは、相手の方を見るのが礼儀だと思うが?」

「真剣な話してるときに顔を逸らされてるってことは、その真剣な話が求められてないタイミングってことだろ。お前も少し肩の力抜けよ。力みすぎ」

「私や君が警戒していなくて、どうして……」

「そんなにピリピリしてなくても、そうそう奴らも襲いかかってこねぇよ。あいつらが仕掛けてくるなら、こんなだだっ広いとこでやらねぇさ」

「――――」

 言葉を遮り、首の骨を鳴らしてスバルはそう言った。そのスバルの言葉に意表を突かれたように、ユリウスは目を瞬かせている。
 それからすぐ、美丈夫は小さく吐息をこぼした。

「焦っていると、君の目からも今の私は歴然なのかな?」

「当てずっぽ感はあるけどな。でも、気張りすぎってのは全員が思ってると思うぜ。いつも通りっていやいつも通りかもしれねぇけど……」

「そのいつもがわかるのは、今は君だけだからね」

「……そうな」

 ユリウスの声の調子が落ちると、自然とスバルの方の声も低くなる。
 背後、竜車の中の女性陣の会話は聞こえてこないし、逆にこちらの会話も彼女らには聞こえていないはずだ。
 男同士、それに立場的には色々複雑だが、今は協力関係でもある。
 もう少し、腹を割って話すべきことを話しておく場面だろうか。

「ロズワールにも話してたけど、準精霊の具合は?」

「あの場で話した通りだよ。蕾たちは私の周囲に集ってくれているが、伸ばした腕を止まり木に羽を休めてはくれない。言葉も、届いてはいないようだ」

 スバルの質問に腕を持ち上げ、ユリウスが準精霊を可視化させる。
 淡い輝きの六色の準精霊は、今も地竜を走らせるユリウスの周りに浮かんでいた。しかし、差し伸べられる腕に戸惑うように揺れ、かえって遠ざかろうとしてしまう。
 なるほど、確かにユリウスと準精霊との間の絆は失われているようだ。

「再契約ってのはできないのか? 近くにいるってことは、お前の精霊を引きつけるなんちゃらって加護は働いてるわけだろ?」

「私の『誘精の加護』は今も健在のようだ。それがかえって、彼女らの認識の不可解に一役買っている。自分の中にある理解できない大きな感情を持て余すように、ね」

「こんな言い方するとアレだが、他の精霊で手を打つのは?」

「エミリア様のように、行く先々の微精霊に力を借りられる精霊使いであればその案も考慮できたが……その方法では私には精霊の力を十全に引き出せない。準精霊の蕾たちと絆を結ぶのにも、数年の時間を要したからね」

「……まぁ、エミリアたんも他の精霊からパック並の力は引き出せないもんな。やっぱり、パートナーになる精霊は特別ってことか」

「エミリア様と大精霊様。君とベアトリス様のように」

 難儀なものだ。同じ精霊使いの立場として、すぐ次の精霊を探せなどとはスバルから言い出せるはずもない。絆が断たれて、ベアトリスを手放せるかという質問と同じ意味になるからだ。当然、中指を立ててお断りする案件である。
 ユリウスにとって、六体の準精霊との関係は全く同じ問題なのだ。

「故に、今の私は剣技でしか騎士の務めを果たせない。もちろん、剣が精霊術に劣るなどと思わないが、私自身の力量が不足するのは事実だ」

「それを取り戻すための旅でもあるし、そもそもお前の剣の腕でそれ言うのただの嫌味だからな。しかも相手が俺って、それもさらに嫌味だから」

 ユリウスの口にする、精霊術の欠けた不足の力量。
 一年前、スバルが王都の練兵場でボロ雑巾にされたのはまさにその力量だ。あのときに比べればスバルの方もマシにはなったが、差が埋まったとは思っていない。
 ユリウスからすれば、あのときのスバルは赤子の手を捻るレベル。今のスバルは五歳児を相手にするレベル、そのぐらいの差だろう。

「ラインハルトもそうだけど、お前らって自分を過小評価する悪癖があるよな。謙遜も過ぎれば毒! これはどこででも通用する言葉だと思うぞ」

「そっくりそのままお返ししたいところだが、どうだろう。――君や私はともかく、ラインハルトのそれは謙遜とも過小評価とも異なるもののはずだよ」

「謙遜とも過小評価とも違う……?」

 同時に浮かべた赤毛の英雄だが、彼に対する認識の違いに首を傾げる。
 誰の目から見ても超人・最強・完全無比といった塩梅のラインハルトだけに、彼への評価が食い違うとは思わなかった。
 そんなスバルの疑問に、ユリウスは「いや」と首を横に振る。

「ラインハルトの実力に関して、高く評価している点では君と私は同じだよ。というより、彼を知る全ての人間が共通の感情を抱くはずだ。彼こそが人類の到達点、あるいは超越者とされる存在なのだと」

「それが言いすぎじゃないのがすげぇよ」

「実力だけでなく、彼の在り方は自覚まで完成されている。私が彼と初めて会ったのは十に満たない頃だったが……ずっと変わらないよ」

「十歳の頃からあれって、マジか」

 パトラッシュの手綱を握りながら、ユリウスの述懐にスバルは愕然となる。
 ラインハルトがいったいいつ、今のラインハルトになったのか。なんとも哲学的な問答に思えるものだが、少なくとも十年近く前には完成されていたらしい。
 だとすれば、ずいぶんと壮絶な運命を背負った少年もいたものだ。

「その頃から、ラインハルトは『剣聖』なのか?」

「彼が『剣聖の加護』を継いだのはまだ五歳のときの話だよ。先代『剣聖』はテレシア・ヴァン・アストレア様……ラインハルトの御祖母で、十五年前の大征伐の際にお亡くなりになり、加護が移譲した」

「そう、だったな」

 白鯨との戦いで戦死し、なおも死後を辱められた先代『剣聖』。
 ラインハルトの祖母であり、ヴィルヘルムの妻であった女性の魂はプリステラで今度こそ空へ帰った。
 だが加護は十五年前の時点で、ラインハルトの内に継承されていたのだ。

「どんな気分なんだろうな」

「うん?」

「五歳のときから、祖母ちゃんの加護を引き継いで、おまけに伝説の英雄の血を継いでる家系なんだろ? どんな気分で過ごすんだか想像がつかねぇよ」

 ――親の期待を懸けられることの重みは、スバルにも少しはわかるつもりだ。

 周囲からの期待の重さに潰れかける痛みは、スバルにはわかる。
 もちろん、スバルとラインハルトとでは背負ったものの重みも、責任も違いすぎるから、比べること自体が失礼になるかもしれないが。

「俺は正直、弱いからな。弱くて力が足りなくて悔しい思いすることばっかで、持て余すぐらい強かったらよかったのにって妄想しない夜はないぐらいだぜ」

「それはだいぶ虚しい気がするんだが」

「うるせぇな」

 大事な話の最中に茶々を入れられ、スバルは舌打ちする。

「とにかく、そんな俺と個人的には対極の悩みに感じるからな。ラインハルトが五歳からラインハルトだったとは思わねぇけど、どんな気分だったんだろってよ」

「さすがに、当時の彼が何を思っていたのかまでは私にもわからないな。ただ」

 そこで一度、言葉を区切ったユリウスは顔を上げる。
 手綱を握りしめ、正面を見つめるユリウスは、注ぐ太陽光に眩しげに目を細めた。

「――あのとき、ラインハルトを見かけたことは私の大きな転機だった」

 どこか、誇らしげにさえ聞こえる言葉だった。
 日の光に目を細めるユリウスだが、ひょっとするとそれは日輪の眩しさに目を細めたわけではないのかもしれない。
 当時、そのラインハルトを見たとき、やはり同じ目をしていたのではないだろうか。

「ってことは、ラインハルトとお前は十年来の付き合いなのか。幼馴染み要件をギリギリ満たしてると俺は考えるが、そんな感じ?」

「いいや? 私がラインハルトを意識したのはそのときになるが、彼が私の存在を知ったのはずっとあと……私が近衛騎士に任命されてからだろう。それが私が十六のときだから、彼と親しくしているのはこの六年ほどのことだ」

「……ずいぶん間が空いたんだな?」

「当時の私では、『剣聖』を引き継いだ彼と並び立てるだけの資格がなかった。年下の彼に痛いほど思い知らされて、それからが私の始まりだよ」

 ユリウスの静かな言葉と、声音と裏腹に込められた熱い感情。
 黄色の瞳に浮かぶ遠い眼差しを横目に、スバルは『始まり』の一言に頷いた。

 おそらく、ぼやかした言葉以上にユリウスの中でその日は鮮明なはずだ。
 それがユリウスの始まりであるのなら、記憶に鮮やかなのは当たり前だ。
 スバルにも、『始まり』の記憶は胸に熱く、魂に焼き付いている。

 異世界でエミリアに救われたとき、レムに崩れかけた背を支えられたとき、炎の中でベアトリスの手を取ったとき、いずれもスバルにとって『始まり』なのだから。

「それにしても、そっからが始まりって言い切るとなると、意外とお前ってガキの頃はやんちゃしてたのか? 放蕩貴族か、道楽息子みたいな」

 他人事に思えないような感情の流れに逆らい、スバルは殊更に茶化した声で言う。
 まさかユリウスに限ってそれはないと思うが、出会った当初、嫌味な貴族の青年といった印象を彼に抱いたのは事実だ。そして物語であれば、そんな貴族の青年が少年時代にどんな嫌味で高慢な生活を送るか、お約束のようなものである。

 そんな気持ちを込めて、話の流れを変えるつもりで話題を振ったスバルに、ユリウスはふっと唇を緩めると、

「少しばかり表現には気を付けてもらいたいが……否定できない部分はあるな」

「マジで!? お前、やっぱり嫌味な貴族ポジションだったの!? 平民を馬の上から足蹴にしたり、使用人を執拗にイジメて追い込んだりしたのか!?」

「どうしてそんなに君が嬉々とし出したのか不思議でならない」

 盛り上がるスバルに冷たい目を向け、それからユリウスは背後を窺う。
 竜車を、ひいては中にいる彼女たちを気にしたのだろう。当然、確認するまでもなく話は聞こえないわけだが、気分の問題だ。

「君は私の、ユークリウス家のことはどの程度知っている?」

「まったく知らん」

「気持ちいいぐらいに即答するものだ」

 実際、予備知識はゼロだ。
 器用に竜上で胸を張るスバルにユリウスは苦笑し、それから腰の騎士剣に触れる。ユリウスの家に伝わるものだろうか。その横顔からは、今の自分に持つ資格があるのだろうか、なんてことを躊躇っているのが伝わってきた。

「――私は元々、ユークリウス家の嫡男ではない」

「――――」

「より正確に言うなら、正式な嫡男ではないとするべきだ。ユークリウス家の現当主であるアルビエロ・ユークリウス。その弟であったクライン・ユークリウスが私の父親になる。すでに他界し、当主に養子入りしているがね」

 思った以上の言葉に、スバルはとっさに言葉が出てこなかった。
 この世界の貴族社会の仕組みが、スバルの知る社会の知識とどの程度噛み合うのかは難しいところだが、ユリウスの立場は確かに複雑だ。
 それにその場合、彼の弟であったヨシュア・ユークリウスの立場はどうなるのか。ユリウスを兄として慕い、今は世界の記憶から失われたあの青年は。

「プリステラに残したヨシュアの、実際の私との関係はわからない。私の中に残っていないだけで、実父であるクライン・ユークリウスの血を継いだ実弟なのか。それとも養父であるアルビエロ・ユークリウスの血を継いだ、本当の嫡子なのか」

「……それが違ったら、どうなるんだよ」

「兄弟というのはあくまで言葉の綾で、本来の関係は従兄弟となるのかな。その場合、ユークリウスの家督はヨシュア・ユークリウスのものになるはずだ」

「――――」

 ユリウスの物言いは平坦で、それだけに事実なのだと突き付けられる。
 この話しぶりの複雑なところは、実際の立場がユリウス自身にも把握できていないところだ。ユリウスとヨシュアが実の兄弟であれば、ユークリウス家を継ぐのはユリウスになるだろう。だが、仮にユリウスとヨシュアが実の兄弟でないなら、ユークリウスを継ぐのはヨシュアであることが正しい。
 そしてそれを確かめる方法は、世界からヨシュアの存在が奪われ、弟の記憶と自らの居場所を無くしたユリウスにはわからないのだ。

「詮無いことだが、そう考えると私の立場は非常に複雑だ。自分で自分の明日をも知れないとはゾッとしない話だよ。もっとも、今の私にはユークリウスの家督の行く末よりも、自分の足下が定まらないことの方を優先すべきだが」

「――――」

 スバルが思いの外に衝撃を受けたからか、ユリウスが冗談めかしたように言った。
 口の中が渇き、胃が軋む感覚を味わいながら、スバルは自分に歯噛みする。今のユリウスに気遣わせるなど、馬鹿にも程がある。

「そんな生い立ちがあったものだから、当時の私はふらついていてね。養父に連れられて王城へ上がり、教え込まれた拙い礼儀作法を披露して帰ろうとしたところだ。そこでまだ、八歳だったラインハルトを見た。――それだけの話だよ」

 少しばかり強引に、ユリウスは話を終わらせることを優先した。
 突っ込んだことを聞く勇気も、何か気の利いたことを言い返せるでもない。スバルはユリウスが寂しげに前を向くのを見て、噛んだ奥歯を離した。
 そして、とっさに出たのは疑問だ。

「なんでそれ、急に俺に話す気になったんだ?」

「聞いてきたのは君だったと思ったが、私の勘違いだろうか?」

「いや、そうじゃねぇけど……それは俺が悪いけど、でも、そうじゃないだろ。お前がこんな話、俺にするなんて変じゃねぇか」

「そうでもない。ラインハルトやフェリス、近衛騎士団では周知の事実だ。当然、アナスタシア様も知っている、特別な話ではないよ」

「――――」

 微妙に納得がいかず、スバルは口をへの字に曲げる。
 誰もが知っていることだ、とは言われても、だからといって自分から吹聴して回るような事柄でもない。やはり、不自然な言葉のように思えた。
 そんなスバルの不満が、唇を曲げた表情からユリウスに伝わったのだろうか。
 彼は手綱を引き、少しだけ愛竜の足を速めると、

「そう、皆が知っていた話だ。――だから今、君にも知ってもらいたかったのかも知れない。今の世で、私以外に最も私を覚えている君に」

 青い地竜が尾を振りながら加速し、ユリウスの表情は見えなくなる。
 とはいえ、こちらを置いてけぼりにするほどの速度ではない。単純に話の終わりを表明するための、相変わらずどこかキザったらしいやり口だ。

「――――」

「ん、大丈夫だ。気ぃ遣ってくれてありがとよ、パトラッシュ」

 走る漆黒の地竜が首をもたげ、スバルの方を窺ってくる。「前の地竜に並んであげましょうか?」といった仕草に、スバルはその淑女の首を撫でて感謝を表した。

「……らしくね」

 小さく、拗ねたような言葉が口をついて出た。

 弱気になっているのか、それとも悲劇の主人公でも気取っているのか。
 まったくもって、腹立たしいとしか言いようがない。

「ああ、クソ。馬鹿か俺は。いや、馬鹿だ俺は……」

 頭を掻き毟り、スバルは口の中だけでその苛立ちを吐き捨てた。
 結局、このときのユリウスの言葉への、的確な返答は何も浮かんでこなかった。

 そしてそれは、アウグリア砂丘を目前とするまで出てこない。
 一行が砂丘の最寄りの町、『ミルーラ』へ到着しても、出てこなかった。

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