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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第六章 『記憶の回廊』

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第六章5  『それぞれの不安』


 さて、色々と話し合いやら同行者決めの紛糾やら、残される人員への別れの挨拶などで問題は多発したものの、ようよう、出発の朝が訪れる。

「そんなわけで、思った以上の大所帯に仕上がっちまったわけだが……」

 腕を組み、スバルは今回の『賢者の塔攻略ツアー』の同行者を眺めやる。
 陣営としてはエミリア陣営とアナスタシア陣営の二つ。エミリア陣営は当然、スバルとエミリアとベアトリス。そこに眠り続けるレムと、彼女に同行するラムの五名。アウグリア砂丘の案内役のアナスタシアと、その騎士であるユリウス。砂丘に存在する魔獣の群れをやり過ごすため、『魔獣使い』であるメィリィが加わる計八名だ。

 単純な作戦行動が目的であれば、プリステラ奪還のために立った人員の方が人数的には多いし、行軍に関しても白鯨討伐や怠惰攻略戦のような経験がスバルにもある。
 だが、純粋に遠隔地への移動――その道程の主要人物八名というのは、なかなか経験のない大人数であった。

「実際、大丈夫なのかね……」

「何か不安なことでもあるの? スバル」

 首をひねり、先々のことに思いを馳せていると、エミリアが視界に割り込んでくる。遠出するための軽装に身を包む彼女に、スバルは「んー」と喉を鳴らし、

「目的地のこと考えれば不安は尽きないよ。そういうの抜きにすると……危ないところに大所帯でいくのがおっかない感じ。守る相手、多いと手が回らなくなるし」

「そうかもしれないわね。今回はレムとラムも一緒だし、メィリィとアナスタシアさんに、スバルのことも守らなきゃいけないんだもん」

「あれ!? さらっと非戦闘員扱いされてる!?」

「やだ、スバル。冗談に決まってるじゃない。もう、本気にするんだから」

 拳を固めるエミリアにスバルの声が裏返ると、堪え切れずに彼女が笑い出す。スバルもその反応に遅れて笑うが、微妙に笑みが強張るのはご愛嬌だ。
 事実、スバルの戦闘力がエミリアに大きく劣るのは本当の話だ。エミリアから見れば、スバルは守るべき相手――無論、そう思わせておくばかりのつもりはないが。

「あとの具体的な不安といえば……」

 エミリアとの会話に一息つくと、スバルはちらと正面に目を向ける。
 場所はすでにロズワール邸の前庭で、出発のための準備が粛々と進められている状態だ。そしてスバルの視線の先、十名近い人員を運べる大型の客車がある。竜車を引くための地竜が二頭連結されており、どちらも長距離移動に適した種族だ。
 問題はその竜車の隣、身軽な状態で佇む漆黒の地竜と、その地竜と鼻面を突き合わせて睨み合う小さな影だった。
 その様子に呆れた息を吐き、スバルは睨み合う両者の間に割って入る。

「魔獣使いって大袈裟な二つ名のくせに、地竜と仲良くもできないのか?」

「やだあ、お兄さん。勘違いしないでくれるう? 私が躾けられる動物ちゃんは、みいんな角のある悪い子だけなんだからあ。それ以外の動物ちゃんは、その子たちの臭いがついてる私のこと、好きになんかなってくれないわあ」

「そういうもんなのか……それはそれで難儀じゃね?」

 メィリィの説明に肩をすくめ、スバルは彼女と睨み合うパトラッシュの鼻先を撫でる。気位の高い雌地竜は、スバルが触れてくると露骨に手の臭いを嗅いできた。
 まるで、目の前にいる少女の臭いをスバルの臭いで上書きしようとするように。

「気遣い上手で懐の深いパトラッシュが、こんだけ露骨に態度に出すの珍しすぎるな……本当に相性悪いらしい」

「他の子たちは適当に相手できるけど、その地竜はお兄さんに懐きすぎねえ。隙を見せたら私に噛みついてきそうなぐらいだわあ。お兄さん、ちゃあんと躾けておいてくれないと、私がその子の餌にされちゃうから気を付けてねえ」

「そんな怖いこと当たり前みたいに言うなよ……。ほら、パトラッシュどうどう」

 やや興奮気味の愛竜を落ち着かせ、スバルはメィリィをさっさと竜車に乗せてしまう。なお、『魔獣使い』として同行する彼女の荷物は少ない。元々、私物などほとんど持ち合わせていない少女だ。それでも、スバルの作成したパンダのぬいぐるみを持ち込んでいるあたり、可愛げがあるのは微笑ましい。

「女の子のご機嫌取りばっかりで、ナツキくんは大変みたいやね」

「……そう思うなら、お前は手間かけさせないでくれると嬉しいんだけどな」

 メィリィを竜車に押し込むと、からかい口調でやってきたアナスタシアが声をかけてくる。アナスタシア――といっても、その中身は白狐のエキドナだ。
 プリステラから屋敷までの道中、二十日余りの時間で差異の大部分が埋まっている。このままアナスタシアに成り代わられても、そのうちに区別がつかなくなりそうだ。

「そう疑わんといてほしいわ。うちかて本意やないって何度も言うとるやないの。そのために、危うい道先の案内人も買って出てるんやから」

「それも含めて、お前の創造主なら色々画策しかねないってのが俺のスタンスだよ。これも何度も言ってんだ、覚えておいてくれ。別に俺だって、お前が信じたくないわけじゃない。信じられるならその方がずっと気楽だし」

「覚えていない誰かのことで、こうも不利益を被るのは面白くないね。よほど、記憶にいないボクの作り手は君の不興を買ったようだ」

「――――」

「せやからそないに怒らんといてって。もう、怖いんやから」

 途中で素に戻る襟ドナを睨みつけると、唇を尖らせてアナスタシアに扮し直す。彼女はそれきりスバルの横を抜け、やはり竜車の中に足を踏み入れた。
 あとの人員は――、

「スバルくん、君もこっちで一応、話を聞いてもらえるかーぁな?」

 声に呼ばれて振り向くと、屋敷の玄関に出てきているのはロズワールだ。
 道化た衣装の辺境伯の傍らにはエミリアとユリウスの二人がいる。珍しい組み合わせだと思いながら足を向けると、ロズワールは三人を眺めて片目をつむる。

「まず、今回の旅路は二ヶ月近い日程が想像される。それだーぁけに道中、不測の事態が起きることが考えられる。問題への対処は都度、エミリア様やアナスタシア様であれば大過ないと思うけーぇど……」

「ん、任せて。私もただ、ぼんやり過ごしてたわけじゃないから」

「心強いお言葉です。エミリア様の成長は素直に喜ばしい。……さて、では道中の不安は個々にお任せするとして、重要な注意を一つ。――ラムのことです」

「――――」

 声を潜めるロズワールに、スバルたちはそれぞれ表情を変化させる。
 エミリアは長い睫毛を震わせ、スバルは考え込むように頬を強張らせた。そして唯一、この場で陣営から無関係のユリウスは微かに眉を顰める。

「その話、私が同席していてよろしいものですか? メイザース卿であれば、アナスタシア様の騎士である私に陣営の内情……一介の使用人とはいえ、そのことを明かすことは得策でないとおわかりのはずですが」

「なにも私も誰彼構わず話を持ち掛けるわけじゃーぁないさ。ユリウス・ユークリウス殿。君の屋敷での振る舞いと、あとはスバルくんあたりの接し方を見ていて、信用の置ける人物だと判断した。それ故の頼み事、そう思ってもらいたい」

「久々に最高に胡散臭いぞ、ロズっち」

「ごめんなさい、私もちょっとそう思った……」

 ユリウスの懸念に真剣な声でロズワールが応じると、スバルとエミリアがほとんど同時に挙手して茶々を入れる。
 前科のことを抜きにしても、ロズワールらしからぬ発言すぎる。それは発言した彼自身も自覚があったのか、「そりゃないでしょーぉよ」とスバルたちに苦笑し、

「まーぁ、説得力がないのは仕方ないかもだけどね。ともあれ、ユリウスくんが余所の陣営の粗探しに腐心する……なんて卑しい性格じゃないと思ったのは事実さ。だから君にも話は聞いてもらいたい。事は命に関わることなのでね」

「命に……」

 真面目腐った顔でユリウスが呟くと、ロズワールは「そう、命」と頷いた。

「スバルくんやエミリア様は知っての通り、ラムの体質は少しばかり特殊だ。彼女の肉体は、注がれる才能を器が受け切れていない。あるいは才能という炎に見合った燃料を、肉体が用意できていないと言い換えてもいい」

「……知っての通り、ってほど詳しい話を聞いたことはねぇぞ」

「そうだったっけ? なーぁら、彼女が鬼族である話は?」

「それぐらいはまぁ……」

 ラムとレムの姉妹が鬼族であることはもちろん知っている。
 角を生やし、鬼の力を存分に振るうレムに救われた経験は一度や二度ではない。それにラム自身の口から、彼女が角を無くした『ツノナシ』であることも聞いていた。
 故に、そのことは驚くほどのことではないとスバルは思っていたのだが、

「――鬼族、ですか?」

「ユリウス?」

 声を低くして、驚きを露わにしたのは隣にいたユリウスだ。彼は端正な顔立ちの中、眉を持ち上げて黄色い瞳に動揺を浮かべている。

「鬼族はすでに滅んだものと、そう聞いていましたが」

「十年近く前に最後の集落が焼けて、ラムはその最後の生き残り……おっと、レムのことも考えれば姉妹二人が最後の生き残りになるんだったね」

「――――」

 含むもののある言い方だったが、スバルは口を挟まない。苛立ちより強いのは、想像以上にあの姉妹が稀少な種族であったことへの驚きだった。

「鬼族が滅んだのには、理由はあるの?」

「……ご安心ください、エミリア様。鬼族の滅亡は種族淘汰の必定ですよ。時代の流れに迎合することを良しとせず、古いしきたりにしがみつき続けた結果です。断じて差別や偏見で数を減らされ、滅亡したわけではありません」

「……そう」

 ロズワールの説明に、エミリアは物憂げな眼差しながら納得した顔をする。
 エミリアもまた、ハーフエルフとされる稀少な出自の持ち主だ。二人を残して滅びた鬼族の在り方に、不安と同情を抱くのも無理からぬことだろう。

「あの二人が鬼族なのは全員が理解したよ。で、それでどうなる?」

 話が停滞しかける雰囲気を察し、殊更に大きい声でスバルが話題を動かす。その声にエミリアとユリウスが顔を上げると、ロズワールは己の顎に触れて、

「肉体的な活動の止まっているレムはさておき、ラムの肉体は先ほど話した通りの欠陥がある。そーぉれは鬼族にとって重要な、角という器官を無くしたことが原因だ。本来、角が補うはずの肉体を動かす莫大なマナ――それを用意できないことで、体は常に苦痛と倦怠に蝕まれている」

「そんなことになってるの……!?」

「エミリア様が驚かれるのも無理はありません。あの子は気丈が過ぎる。一度だってそのことで、表情を曇らせたことはなかったでしょーぉから」

 喉を詰まらせるエミリアに、ロズワールがゆるゆると首を振る。
 エミリアの抱いた驚きはスバルも共有していた。ラムに角がないことは知っていた。レムの言葉から断片的に、角を無くす前のラムの地力が図抜けていたことも。
 ただ、角がないことで受けるペナルティが能力の低下以外にあり、それが今も彼女を蝕み続けていることまでは思い至らなかった。

「――なるほど。メイザース卿のお考えはわかりました」

 と、話をそこまで聞いただけの段階で、ふいにユリウスがそう言って頷いた。その反応にロズワールが「ほう」と眉を上げ、スバルとエミリアも顔を見合わせる。
 今の流れは、単にラムの体質を確認しただけの話だ。それだけでロズワールの要求の何がわかったのか、驚くスバルたちの前でユリウスは己の前髪を撫で付けた。

「鬼族の種族的な特徴は、莫大なマナを操る力と強靭な肉体の戦闘力です。その双方を支える骨子が、他種族には存在しない角。――その角が役割を果たせず苦しんでいるのであれば、何かが『角』の代わりを果たさなくてはならない」

「君の名前を覚えていなかったことが悔やまれるほど、なるほど、聡明だ。これだけでそこまで看破されると、気持ちのいいぐらいだーぁよ」

「そっか、そういうことなんだ……」

 ユリウスの説明にロズワールが感嘆し、エミリアも理解に至って手を叩いている。一方、置いてけぼりで困惑しているのはスバルだけだ。
 事が魔力関連になると、門外漢のスバルは理解に遅れるばかりである。

「勝手にそっちだけでわかった感じになるなよ。つまり、どういうことだ?」

「簡単な話だよ。ラム嬢の肉体は、角があったときと同等のマナを外部から摂取することを求めている。角がなくなってそれができないのであれば、その外部から与える手段を誰かに求める必要がある。……それを、私たちに願い出るのですね」

「普段は夜、こっそりと私が補給を担当してるんだーぁけどね」

「……あ!?」

 ユリウスの講釈とロズワールの言葉に、スバルの中で思考の歯車が噛み合った。
 それは毎晩、ロズワールの下へいそいそと足を運ぶラムの姿だ。正直、あれは主人とメイドとのいかがわしい関係だと、スバルは生々しさに目を背けていたのだが。
 こうして事情を知った上で思い返せば、そういうことなのだろうか。

「何か思いついたのかな、スバルくん?」

「い、いや、大したことじゃない。どぞ、先に進めてください」

「そうかい?」

 一年越しの勘違いと発覚しても、わざわざ訂正するほどのことではない。
 そもそもロズワールの一族は何代も重ねて、魔女エキドナとの再会を果たそうとしていた怪しさ爆発の連中である。ロズワール自身、エキドナに対する執着が目覚ましかったことは忘れ難い。ラムに浮気していたわけではないとわかって、かえって彼の執着心への納得がいったぐらいだ。

「ですが、メイザース卿。その申し出ですが、引き受けるには私では実力不足かと思われます」

 益体のない思考に走るスバルの横で、ユリウスが申し訳なさそうに首を横に振る。その態度にロズワールが目を細めた。

「謙遜、あるいは違う陣営の相手に肩入れはしない……といった理由ではないようだーぁね。ラムへのマナの提供は、火・水・風・地の四種類の属性が必要になる。それだけにむしろ、エミリア様より君の方が適任だと思ったんだが」

「メイザース卿のご期待は、おそらく私の周囲にいる彼女たちのことでしょう」

 言って、どこか弱々しくユリウスが唇を緩める。と、応じた彼の周囲を淡い光が飛び回るのが可視化され、六種類の輝きがゆらゆらと揺らめくのが見えた。
 見知ったそれはユリウスと契約する、六体の準精霊――ただし今は、

「私の蕾たちですが……今、彼女たちと私との間にあった繋がりは消えています。元の肩書きが今も名乗れていれば、申し出を受けることに何の躊躇いもありませんが」

「名を奪われたことで、精霊との契約も断たれた……か。そのわりに、精霊たちは君の周りから離れようとしないようだーぁけど?」

「消え失せた繋がりの残滓が彼女らの中に残っているのか、あるいは漂白されて見えなくなっただけで契約自体は残されているのか……いずれにせよ、未熟なこの身が見放されずにいるのは蕾たちの慈愛に救われているだけに過ぎません。この身に残されたものは少なく、微力ではお力になれるものかどうか」

 準精霊との繋がりに触れて、ユリウスは吐息する。それから一瞬だけ、彼はスバルの方に目を向けてきた。その視線の意図がとっさにわからず、スバルは困った顔をしてやるしかできない。

「――今はただ、一介の騎士として尽くすだけの身です。申し訳ありません」

「そーぅかい。それは残念だ。痛手ではあるが……」

「大丈夫。ユリウスができないなら、それは私に任せて」

 沈痛なユリウスにロズワールの声の調子も落ちるが、代わりに胸を張ったのはエミリアだ。彼女はずいっと前に出ると、自分の周囲に微精霊を浮かび上がらせる。

「ユリウスの連れてる準精霊の子たちとは少し違うけど、微精霊の子たちとだったら私も力を借りれるもの。私だけの魔法じゃ火の属性が強すぎるけど、微精霊の力を借りれば他の属性の魔力も使えるわ。それでどう?」

「無論、彼だけでなくエミリア様にもお願いする気ではいましたので、エミリア様がやる気になってくださっているなら問題はありませんよ。たーぁだ、おそらく最初の内は非常に魔力の安定に苦労するかと思われます。その補助のために、ベアトリスの力をお借りください」

「ベア子の?」

「魔力理論と運用に関して、ベアトリスはとーぉても優秀だよ。今は繋がる相手がスバルくんだから宝の持ち腐れ感がすごいけど、少ない魔力を上手く運用して色々とこなしているだろう? その知識、エミリア様にも貸してもらいたいわーぁけ」

「少ない魔力とか言うなよ。でも、そうか」

 エミリアとベアトリスの共同作業で、ラムの負担が軽くなるなら問題あるまい。
 スバルは納得しかけるが、すぐに頷きかけた首をひねる。

「いや待て、それならなんでベア子に直接じゃなくて俺に話すんだよ。そりゃ俺も話は聞いておきたいけど、ベア子に話すのが筋だろ」

「だって、ベアトリスに話したら無意味に一回は断られるに決まっているからねーぇ。君の思ってる以上に、ベアトリスは私に辛辣なんだよ。君からももう少し私に対する風当たりが優しくなるよう、言っておいてくれないものかーぁな」

「あ、それは無理だ。俺、どっちかっていうとどころか完全にベア子サイドだし」

 情けない顔のロズワールの要求をさっさか断る。
 やらかしたことがやらかしたことだ。一年やそこらで埋まる溝でもない。大体、ちょっと流れが違えば殺されていたかもしれない相手と、そうそう簡単に打ち解けられるほど世の中優しいわけもない。

「そう考えると、殺された相手やらぼこぼこにされた相手やらと行動できる俺って、ひょっとして大物なんじゃないか……?」

「あ、スバル、今、調子に乗ってるときの顔してる」

「そんな顔してるときあるの、俺!?」

 ともあれ、ロズワールの要求は受け止めた。
 ラムに関してはエミリアとベアトリス頼み。エミリアはやる気になっているので、ベアトリスの方にはあとからスバルが話を通しておけば問題あるまい。

「よろしく頼むよ、スバルくん」

「なんだ、やけに殊勝じゃんか。そんな風に言うなんて珍しい」

「殊勝にもなるとも。――ラムが私の傍を離れようと言い出すのは、初めてだしね」

「――――」

 それだけは茶化す雰囲気なく、真剣な声でロズワールは言った。
 彼はスバルの顔から視線を外すと、青い空を見上げる。

「私にも当人にも、記憶のないはずの双子の妹だ。だけど、やーぁっぱり当事者は感じ入るものがあるんだろうね。ああして、私の意見に感情的に逆らうラムを見るのは肝が冷えるよ。――だから、君たちにお願いしたい」

「……ああ、覚えておくよ」

 一年前の、『聖域』の出来事があってなお、ロズワールに尽くすラムだ。
 何もかも、大事なたった一つ以外の全ては二の次であると言い切るロズワールであったとしても、そうまで自分に尽くすラムには思うところがある。
 それが変化であるというのなら、それは決して悪い変化ではないと思う。

 少なくとも、理解のできない怪物を味方に抱え込むよりも、その感情を持て余して思い悩む人間であってくれた方がずっとマシだ。

「――そろそろ時間のようだね」

 言葉を重ねる前に、ロズワールが振り返った。
 彼の背後、屋敷の扉が開かれて、向こう側から現れるのは四名の少女だ。いずれも肩書きはロズワール邸のメイドであり、揃った姿はなかなか壮観である。
 もっとも、その内の一人は眠りの中にあり、瓜二つのもう一人は旅支度を整えた姿であるので、華やかさはあと一歩足りていないが。

「旦那様、二人の準備が整いましてございますわ」

「ご苦労様。――ラム、道中気を付けて」

 静々と報告するフレデリカに応じ、ロズワールが旅支度のラムに声をかける。ラムはそれを受けると、スカートの裾を摘まんで丁寧にお辞儀した。

「ロズワール様、わがままを聞き届けていただいてありがとうございます。そのお心に見合った成果、必ずお持ち帰りします」

「期待しているよ。とはいえ、無茶はしないよーぉうに。それから、エミリア様とスバルくんの二人に無茶もさせないように。それも君の役割だーぁからね」

「重々、承知いたしました」

 どの口が、と突っ込みを入れたくなるが、それはラムの視線に黙らされた。その視線に負けたスバルは、ラムの隣にある低い人影の方を見る。
 そこにいるのはレムだ。その姿は外出着に着替えさせられ、今はペトラの押す車イス――スバルが元の世界の記憶を頼りに再現したものに乗せている。
 元々、車イスの雛形はこちらの世界にも存在したのだが、方向転換の邪魔にならないキャスター的な前輪や、足場の存在とシートの改造など手が凝らされている。もちろんシートベルトと、頭部を守るクッションも実装済みだ。

 ロズワールに無茶を言って、スバルの給金を注ぎ込んで作らせた一点ものである。

「遠出になるとメンテナンスに不安があるけど……」

「スバル様が小器用でいらっしゃるのと、素材が素材ですから二ヶ月であれば使用には耐え得るものと考えますわ。もちろん、無茶はされませんよう」

「気を付けてくださいね、スバル……様」

 フレデリカのお墨付きをもらい、ペトラから車イスのハンドルを任される。受け取ってレムの後ろへ回ると、背負って進むより格段に楽だ。
 舗装された道が前提であるので、砂漠や草原、砂利では効果を発揮しないが。

「OK、うまくやれそうだ。ペトラとフレデリカも、十分気を付けてな」

「旦那様のお世話はお任せください」

「オットーさんとガーフィールさんの面倒も、だよね」

 車イスを動かすスバルに、ペトラとフレデリカは頷いて応じる。
 旅の行程が二ヶ月ともなると、おそらくはプリステラにいるオットーたちも療養が終わってロズワール邸へ戻ってくるはずだ。
 留守の間のことを頼れるメイドに任せ、スバルは車イスを押して竜車へ向き直る。

「それじゃ、名残惜しいけど出発するとすっか」

「どうしてバルスに指図されなくちゃいけないの。調子に乗るんじゃないわ」

「指図とかそんなじゃないけど、じゃあ、お前が仕切る?」

「ラムがそこまで図々しい性格に見えるの? 淑やかさと気遣いが肝要なメイドであるラムに、そんな真似はさせないでほしいところね」

「なんなの、お前。文句言いたいだけの年頃なの?」

「別にそういうわけじゃないわ。ただ」

 そこで言葉を切り、ラムが意味ありげにスバルの手元を見る。スバルの手元は今、レムの車イスを押しているところだ。
 その視線の意図を察して、スバルは深々と息をついた。

「代わってほしいならそう言えよ……」

「ラムが同行する意味と目的を考えれば、そこは譲って当然のところでしょう。……言葉にされずに察したところは、少しだけ見直してもいいわ」

 スバルが渋々場所を譲ると、ラムがスバルに代わって車イスを押す。眠ったまま座る妹を労わるように、ゆっくりと車イスは竜車に向かって前進していった。
 その背を見送りながら、スバルは空いた手を理由もなく開閉する。と、その手がそっと横から伸びてきた小さな掌に握られた。

「ベア子か」

「情けない顔してなくても、あの娘を想う気持ちで姉に負けてるわけじゃないから心配いらないのよ。スバルはスバルで、やってやれることをやればいいかしら」

「そういうわけでも……いや、そういうことなのか?」

 役目を取られた、という気持ちがあったわけではないが、周りから見るとそういう風に取られかねない顔でもしていただろうか。
 スバルは握られていない方の手で頬に触れて、引っ張ったり抓ったりしてみる。と、今度はそうしていた手が別の白い手に奪われた。

「はいはい、そんなことする手は私が取っちゃう」

「おっふ、エミリアたん……」

「あの娘が起きたら、両手が埋まりやすいスバルがどうするか見物なのよ」

「あ、それ私も気になるかも」

 エミリアとベアトリスの二人に挟まれて、スバルは困ったような顔で二人を見る。しかし、戻ってくるのはじと目と楽しげな視線の二つだけだ。
 おまけに背後からはペトラの視線が突き刺さり、竜車の前で振り返るラムの冷たい軽蔑の眼差しまで投げかけられる。
 まさかの四面楚歌――と、それを見ていたユリウスが「ふむ」と頷くのが見えた。その渇いた反応に、スバルは唇を盛大に曲げる。

「なんだよ、言いたいことがあるなら言えよ。さあ、どうぞ!」

「そうかい? それなら一つだけ。――麗しい女性たちに囲まれて、実に男冥利に尽きる状況だとも。君の両手がその花々の全てを満足させられるかどうか、私には非常に疑問に思えてならないけどね」

「なにこれ、俺が責められる流れなの!? 俺、なんか悪いことした!?」

 呆れた顔で肩をすくめるユリウスに、スバルの情けない絶叫が空に上がる。
 残念ながら、そんなスバルをフォローする内政官も筆頭武官もこの場にはいない。

 来たる二ヶ月の旅路で、スバルは孤軍奮闘するしかないのだ。
 その事実を理解して、両手から伝わる温もりへの信頼と親愛、それに勝るとも劣らない不安がスバルの胸に込み上げてくる、そんな出発の朝であった。

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