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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第六章 『記憶の回廊』

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第六章3  『少女の檻』


「旦那様との話し合いは、うまくゆかれましたの?」

「いつも通りっちゃいつも通りだし、いつも以上にムカついたって言えばそんな感じもする。察してくれ」

「なるほど、ということにしておきますわね」

 応接間を出て、屋敷の東棟へ向かおうとするスバル一行、その案内を任されたのは今度はフレデリカだ。
 美しい金髪を長く伸ばし、折り目正しくメイド服を着込んだ強面の女給は、アナスタシアとユリウスの二人に丁寧に――やっと、屋敷のまともなメイドの一人として挨拶を交わすと、憮然と歩き出したスバルにそんな風に話しかけてきた。

「道中と都市で、ガーフはちゃんと皆様のお役に立ちましたか? あの子には出る前に色々と言い含めておいたのですけれど、大ケガして戻ってこれないだなんて……向こうでも、エミリア様たちにご迷惑をかけていないか心配で」

「ええ、心配いらないわ。ガーフィールにはすごーく頑張ってもらっちゃったから。オットーくんと一緒に、今は大人しく静養……大人しくしててくれるかしら。しててくれたらいいと思うんだけど、とにかく静養するようにお願いしたの」

「不肖の弟がお心を煩わせて申し訳ありません」

 エミリアでも半信半疑でフォローし切れず、フレデリカが恐縮してしまう。
 ともあれ、ペトラにもラムにもロズワールにも、そしてフレデリカにも色々と素行が心配されるガーフィールだが、プリステラの出来事で何かしらの心境の変化――言ってみれば成長、そんなものがあったことは間違いない。

 元々、ガーフィールの強さはあの年齢、十五歳としては突出している。
 『腸狩り』や『八つ腕』との激戦を聞く限り、豪語する最強にはまだ遠くとも、エミリア陣営のみならず、大陸全土で上位を争う強さには違いない。
 おそらく彼の最大の問題は、まだ未成熟のメンタルなのだろう。その精神的な脆さが克服されたとき、彼はまた一つ上のステージへと上がることになる。

 ただまぁ、それも急ぐべき道のりではない。ゆっくりと確実に、階段を踏みしめるように強くなるのが、十五歳という年齢に相応しい成長の仕方だろうから。
 それに――、

「今回に限っちゃ、真っ直ぐ帰ってこれねぇ理由もあるだろうしな」

「ミミのこと?」

「それもあるけど」

 微妙に、耳ざとい感じで割り込むエミリアに苦笑する。
 男女の恋愛に疎いはずのエミリアでも、他人の色事にはそれなりに好奇心が働くらしい。ガーフィールとミミの関係に、彼女は興味津々だ。
 もちろん、ガーフィールも命懸けで自分を庇い、戦いの前も後もあけっぴろげに好意を主張するミミに情が湧いていることだろう。

 はっきり言ってスバルも例外ではないが、憎からず思っている相手に好意を叩き込まれると、ぐらつかない男はいないのである。
 そのあたり、経験者であるからして、スバルはなんとも言えない。

 ガーフィールがラムへの恋慕と、ミミからの気持ちにどう応じるかは、今後の推移を見守りたいところである。
 ただ、それとは別に、ガーフィールには都市プリステラに残した問題がある。

「――スバル様? 何か私にご用件でも?」

「いや、俺からは特にはなんにも。この件に関しちゃ、俺から話すのはよくないと思うからな」

 意味深にフレデリカの横顔を見ていると、当人に視線の意味を問い質された。
 彼女の疑問を誤魔化しながら、スバルはガーフィールの心中を想像する。プリステラでガーフィールが気にかけていた一家――金色の髪に翠の瞳と、フレデリカとガーフィールの姉弟を思わせる特徴があった家族だ。
 あの人たちとガーフィールの関係と、それが意味するフレデリカとの関係性。
 きっとそれは、ガーフィールが自分で胸を張って、フレデリカやリューズといった家族たちに報告したいことだろうから。

「だから俺は何も言わないさ。ナツキ・スバルはウルトラクールに去るぜ」

「そうそう、ガーフィールっていえば、プリステラですごーく仲のいい子どもたちがいて、その子たちが……」

「エミリアたんエミリアたん、俺のモノローグが無駄になるから!」

 天然で色んな橋渡しが無駄になりそうで、スバルはエミリアの口を塞いだ。
 放置しておくとシナジーが怖いので、今度、ちゃんと時間を作ってエミリアに背景周りをきちんと説明しておこうと心に決める。
 ますます訝しげな顔をするフレデリカに、スバルは愛想笑いで手を振った。

「愉快に親交を温めているところ申し訳ないが、これから向かう先というのが?」

「あー、『座敷牢』って呼んでる場所だ。そこに一応、話してた奴がいる」

「ふむ、例の人物か。――うまく、話が進められるだろうか」

「やってみないことにはどーだかな。とりあえず、保険として聞いてみるだけでも」

 スバルの説明に、後ろに続くユリウスは難しい顔で考え込んでいる。
 実際、この提案に関してはスバルの方も問題点の多さは自覚済みだ。ただ、うまく運べばかなり今回の旅路のリスクを減らすこともできる。

「それにあの子、スバルにはわりと懐いてるし、大丈夫そうじゃない?」

「本格的に懐かれてるのは俺よかガーフィールだよ。ネコ科っぽいところが気に入られてるのかもしんないけど……と、着くな」

 楽観的なエミリアに苦笑で応じたところで、フレデリカの足が止まった。同時にスバルたちの正面に、明らかに屋敷の中で異質な雰囲気の階層が飛び込んでくる。
 大まかな間取りは以前の屋敷と違いのない真・ロズワール邸だが、東棟の地下部分――ここだけは、はっきりそれとわかる変化がある場所だ。

 屋敷の中枢であり、生活に必要な施設の集中する中央の本棟。
 使用人や客人の客室や、多目的な施設が集まっている西棟。そして東棟は歴史あるメイザース家の遺産や、書物などが保管された倉庫・保管庫として利用される。
 ただし東棟の地下、ここだけは例外。石造りの冷たい空間には、貴族屋敷の地下部分という要素に、わかりやすい目的が付随している。

「なんや、ずいぶんと嫌ぁな空気の漂うとる場所やんね」

 鼻を鳴らして、雰囲気の変化をアナスタシアが端的に評する。
 そしてそれは否定意見の出ようがないほど、満場一致でわかりやすい評価だ。この階層に漂う空気は、まさに『嫌な感じ』としか言いようがない。

「瘴気、とはまた違うみたいやけど、体にええ気はしぃひんね」

「建物の構造上の問題と、そもそもこの施設の目的……そのあたりも無縁ではないと思いますが、究極的には中に潜む存在によるものでしょう」

 暗がりの地下へ続く階段を見下ろし、アナスタシアとユリウスが言葉を交わす。
 すでに『座敷牢』とまで話しているのだ。二人にもこの地下に存在する施設がなんなのか、限りなく正解に近い想像ができていることだろう。

「では、ご案内いたします。足を滑らせませんよう、気を付けてくださいまし」

 そう言って、フレデリカが階段を先導して下っていく。長身の彼女の背中に続いてスバルたちも地下へ向かうと、ユリウスらも覚悟を決めた表情だ。
 石造りの階段に、靴音がやけに大きく響いて聞こえる。地下から冷たい風が吹き上げてきて、微かに前髪を揺らすのが不可解なほど神経に障った。

「開けますわ」

 地下へ下ると、すぐ目の前に鉄扉が立ち塞がる。扉には頑丈な鍵がいくつも取り付けられており、複数の鍵をフレデリカが一つずつ解除する形だ。
 音を立てて扉の鍵、錠前などが外されて、軋む音を立てながら鉄扉が開かれる。すると扉の向こう、石造りの通路が広がり、最奥にまたしても扉が見えた。

「その向こう側に、件の人物がおります」

 扉の脇へ下がると、道を譲るフレデリカが頭を下げた。彼女の会釈に顎を引き、スバルを先頭として四人は真っ直ぐにその扉へ向かう。

 ――地下最奥の扉に、鍵はかかっていない。

 取っ手に手を伸ばし、押し開ければ即座に中とご対面が可能だ。
 スバルはおずおずと扉に触れると、息を詰めて背後を窺う。

「――――」

 エミリアも、ユリウスもアナスタシアも、ジッとスバルの行動を見守っていた。その三人に頷きかけ、スバルは深呼吸すると、取っ手を掴む手に力を込めた。
 そして音を立てて、鉄扉が押し開かれ――、



「がおー、がおー! たーべちゃーうぞー!」
「きゃー、助けてえ、いやあ」
「ぐへへへへ、そんな風に助けを求めても、誰もきちゃくれないぜえ」

 扉が開かれると、通路に明るい光が差し込み、同時に嬌声が聞こえてくる。
 開け放たれた扉の向こう、部屋の中ではこちらに背中を向ける少女が一人、周りにたくさんのぬいぐるみを置きながら、両手に持った人形を弄んでいる。
 声色を変えて、一人何役かは知れないが、夢中だ。

「いいえ、きてくれるわあ。だってだって、困ったときにきてくれるって約束してくれたんだからあ……んん?」

 小さな女の子の人形を抱いて、立ち上がった少女がふいに何かに気付く。それからおそるおそるこちらに振り返る少女は、部屋の入口に立ち尽くすスバルたちを見て、その大きな丸い瞳を押し開いた。
 茶色い髪をお下げにした、純朴で愛らしい顔立ちの、少女だ。

「よお、元気してたか?」

 とりあえず、スバルは何事もなかったかのように、手を挙げて声をかけた。

「お、お兄さんのバカあ! 入ってくるときはノックぐらいしてよお!」

 当然だけど、悪ふざけの結果として怒鳴られた。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「ってなわけで、これが今回、魔獣関係のアドバイザーとして話を聞かせてもらうことになる、うちの屋敷の捕虜のメィリィだ」

「汚されちゃったよお、お兄さんに傷付けられちゃったあ……しくしく……」

 部屋の隅で蹲って、ぬいぐるみに囲まれて凹む少女――メィリィをスバルが紹介すると、眉間に指を当てたユリウスが首を横に振った。
 彼は悪乗りしたスバルを咎めるように、視界の端に少女を入れながら、

「事前に詳しく聞いておかなかったこちらの不手際もあるが……君は君で性格の悪さが際立っている。隙あらば悪ふざけしないと気が済まないのだろうか」

「悪ふざけってほどのことじゃねぇと思うんだがなぁ……いや、悪趣味なのは認めるけどさ。それに一応、危険人物なのは本当の話だぞ?」

 弁解するスバルの言葉に、ユリウスは疑わしげな眼差しだ。そんな疑心暗鬼な男性陣を余所に、エミリアとアナスタシアは並んでメィリィに声をかけている。

「ごめんね、メィリィ。あとでスバルにはちゃんとメって言っておくから」

「なんや可愛らしい子ぉやないの。ベアトリスちゃんといい、ペトラちゃんといい、ナツキくんのとこはちょぉっと趣味反映しすぎなんやないの?」

「とんでもな意見、もっともらしく言わないでくれる!? 俺が集めようと思ってロリが集まってきてんじゃないよ!?」

 にわかに『幼女使い』の異名が現実味を帯びるので、怖いこと言わないでほしい。
 それはともかく、すっかりむくれたメィリィはエミリアたちの言葉にも耳を貸そうとしない。その辺、子どもらしい感性の持ち主なのがアンバランスだ。

「メィリィ」

「聞こえないわあ」

「メィリィってば」

「知らないもぉん」

 これである。聞く耳持たずの姿勢に入られて、困り者だ。
 なので、スバルは早々に最終手段を切り出すことにした。腰の後ろに手を回し、スバルは隠し持っていたそれをメィリィへ突き出す。

「ほれ、メィリィ。土産だ、受け取れ。新作ぬいぐるみ、ダレパンダ」

「――! わあ、可愛いい!」

 スバルがメィリィに差し出したのは、都市プリステラから戻る道中、竜車の中でチクチクと繕っていたぬいぐるみだ。
 この一年、家事手伝いとしてのスキルアップを果たしたナツキ・スバルの裁縫力は以前とは一回りも二回りも違う。ぬいぐるみ作りも可能だし、なんなら今ならば女性用の服を仕立てることさえできるかもしれない。

 ともあれ、新作ぬいぐるみはパンダをモチーフに、『暑さでダレた』というテイストを加えた意欲作だ。どこかに似ているものがあった気はするが、それは世界を越えてまで主張はしてこないのでスルーする。
 そんなこんなで新作を差し出され、メィリィは目を輝かせて受け取った。

「可愛い! 新しい子だわあ! なんて名前にしようかな……うん、決めた! この子は大熊猫って名前にするわあ!」

「それ、本質を突いた名前だなぁ」

 命名のセンスはともかくとして、本質を見抜く眼力はなかなか優れている。
 メィリィはパンダのぬいぐるみを大事そうに抱えると、機嫌の直った顔でスバルたちに向き直った。

「そういえば、おかえりなさぁい、お兄さんにお姉さん。ずいぶんと遠くまで行ってたみたいねえ。ペトラちゃんが寂しがってたよ?」

「一ヶ月ちょい留守にしてたかんな。それでまたちょっと遠出するから、ペトラには怒られそうなのが嫌なんだが……」

「ペトラちゃん、お兄さんのこと大好きだもんね。……あら、新顔さん?」

 散らばっていたぬいぐるみたちを棚に並べ直しながら、メィリィが今さらになってユリウスたちに気付いた顔をする。その機嫌の移り変わりにユリウスは驚いた様子だが、アナスタシアの方は慣れた顔で頷いた。

「ミミに比べたら、振り回される感じは序の口みたいなもんやね」

「……そう言われると、その通りですね。ミミに感謝しましょう」

 変なところで主従が合意し、それからふいにユリウスが視線を部屋へ送る。彼は一通り、その地下空間を眺めると、

「それにしても、座敷牢と聞いていたから過酷な環境を想定していたが……存外、過ごしやすそうな環境にしてあるのだね」

「入ってるのが女の子だし、苦しめたいわけじゃなかったから。……でも、なかなか外に出してあげられない事情もあって、複雑なの」

 エミリアが不甲斐ない顔で眉を下げる。
 その彼女の言葉通り、『座敷牢』――言ってみればメィリィの居住空間は、はっきり言ってしまえば軟禁される環境としては、非常に緩い空気の場所だ。

 石造りの通路こそ冷たく見えるが、最奥にある彼女の部屋には明るい色彩の壁紙や絨毯が敷かれており、拘束もされていないため行動は自由。棚にはスバル手製のぬいぐるみが何個も並べられており、暇潰しのための書籍や遊具の数々も置かれている。
 食事が与えられないようなこともなく、入浴や排泄も問題ない。つまるところ、悠々自適な引きこもり環境といえる。スバルの方がこもりたいぐらいだ。
 ただし――、

「独特の、瘴気に近い空気は延々と漏れ続けているようだが」

「それもどうやら、その子から……って感じやね」

 アナスタシアたちの視線に、メィリィがニコニコと微笑みながら頷く。
 その純朴な表情の少女から、しかし隠し切れないほど滲み出るおぞましい鬼気。それこそがメィリィがここに軟禁され、解放されずにいる最大の理由だ。

「竜車でも話したけど、元々この子の素性はエミリアとか俺たちを狙ってきた……ええと、殺し屋みたいなもんだ。それはいいよな?」

「その時点ですでによくない気はするが、先を聞こう」

「含みのある言い方だな……とにかく、殺し屋なんだよ。で、メィリィがこの小さい体でどんな働きをするのかっていうと、早い話が魔獣を操る。『魔獣使い』だ」

「そう、私と悪い動物さんたちはすごく仲良しなの」

 えへん、と言いたげに胸を張るメィリィだが、その語った内容は驚愕の一言。
 そもそも魔獣とは決して、人には懐かない人類の害敵なのだ。唯一の例外として、魔獣は角を折られた場合、折った相手に従う仕組みがあるらしいが――、

「メィリィの場合、そういう角の有無とは無関係に影響する。理屈はイマイチ、説明されてもよくわからねぇんだが」

「ママのお話だと、私が魔獣たちにとって『角』と同じ役割をするんだってえ。だからあ、私は魔獣さんたちと仲良くできるわあけ」

 魔獣の、角の役割を果たす――それの意味するところがイマイチ不明瞭だ。
 なにせこの世界、魔獣の生態を解き明かそうといった類の研究はこれまでに行われてきたことはないらしい。無論、魔獣狩りを生業とする人々もいるにはいるらしいが、彼らも習性などには詳しくても、研究的な見地で見てはいないだろうから。

「メィリィは最初は、もう一人の人と一緒に私たちを襲いにきたの。そのもう一人をガーフィールがやっつけて、この子は捕まえた。それからずっと、この子はこのお屋敷で匿ってるの」

「なんでそないなことしたん? 言ぅても敵やったんなら、さっさと始末付けた方が……やなんて、小さい子ぉ相手にできそうにないかなぁ」

「……殺すなんて、考えられないわ。だけど、放逐も難しくて。だって、この子が言うには解放されたら」

「ママに怒られちゃあう。エルザも死んじゃったし、私も失敗しちゃったし、見つかったらきっと殺されちゃうわあ。だから、ここにいるのが一番安全」

 メィリィは気楽な口調で、しかし表情には陰を落としてそう答える。
 共同していたエルザを失い、仕事に失敗したメィリィ。彼女らの保護者、おそらくは殺し屋の元締めのような存在は、その失敗を決して許さない。
 放逐して、彼女が制裁を受ける――それは確かに彼女の自業自得で、スバルたちにとっては関係のないことかもしれないが、

「夢見が悪い、ってことは間違いねぇからな」

「君やエミリア様のその考えは今に始まったことでもない。何を言っても外野に過ぎない我々が言葉を尽くすのも筋違いだろう。……ちなみに、母親というのは?」

「わからねぇ。母親、ママって呼び名以外は全部秘密だと。メィリィの話だと、顔とかもわからないんだとか。どんな家庭環境だよ」

 だが、殺し屋稼業なんてものを生業にする以上、そういった暗がりの生き方は仕方ないのかもしれない。いずれにせよ、メィリィの口からその母親とやらを割り出し、後顧の憂いを絶つことは難しいようだった。

「ロズワールの野郎も、エルザが死んだら窓口がないとか使えねぇ……」

「何か言ったかい?」

「こっちの話だ」

 スバルの召喚初日、王都で起こった徽章騒動はロズワールの仕込みだ。
 当然、エミリアの命を狙ったエルザも彼の依頼を受けたものだったので、依頼したときの流れを汲めば特定は容易いはずだったのだが。
 どういうわけか、その線は窓口になった人間が死亡し、連絡が付かないらしい。その後のエルザとメィリィの襲撃は、ロズワールの言を信じるのであれば彼の思惑とは無関係――母親、とやらの存在が気にかかるところだった。

「ともあれ、メィリィ関係についちゃそんなとこだよ。この子は必要に迫られてここにいる。甘やかしてるつもりも、とりあえずはねぇ」

「そのわりには、スバルもみんなもちょっと良くしすぎてるけどね」

「それについてはもう、夢見の良さ優先だよね!」

 だって、小さい遊び盛りの女の子が、冷たい地下で軟禁とか心苦しいし。忘れようと思って忘れられるものじゃないし、無視しようとすると夢見が悪いし。
 だったら別に恨みがあるわけじゃなし、気分良く過ごせるようにした方がいい。

「……普通に考えたら、恨みはあるんやないの?」

「……そうか?」

「だって、殺されかけた相手や言うてたやないの。それなら」

「そりゃ無為の悪意ってのはあるし、悪事は年齢に関わらず悪事だけどさ」

 アナスタシアの問いかけに、スバルは頬を掻きながら考える。横目にメィリィを窺えば、彼女は感情の読み取れない目でスバルを見ていた。
 別に彼女に配慮するわけじゃないけれど、素直な考えを口にする。

「判断力のない奴に悪事を命じた奴がいるなら、悪いのは命じた方だと思うんだよ。子どもならなおさらだ。自分で考える頭があって、それでもまだやるなら条件は一緒だと思うけどさ。目には目をの、ハムラビ法典じゃマイナスばっかだよ」

「綺麗事やね。その子が今まで殺した誰かが、それで納得する思う?」

「思わないし、その人たちがメィリィに報復したがるのはそっちの自由さ。俺だってこっちで誰か死んでたら、今みたいに許したなんて言わないし」

 結局のところ、出会い方次第でスバルの意見も考え方もコロコロと変わる。
 軸が定まっていないとか、感情に流されているとか、そう言われるならそれもいい。実際、そんなものだろう。

「俺は自分がガキの頃、自分で取れない責任は親とか大人に取ってもらってた。だから身近で、まぁ、仲良くできる子どもが責任取れないことしたら、代わりに取ろうとしてやってもいいんじゃないの? って思う。そんだけ」

「……貴重なご意見、ありがとさんや」

 スバルの言葉に、途中から興味を失いかけのアナスタシアがそう締め括る。
 もちろん、そういう反応が一般的な反応だろうと思うので傷付かない。潔癖な判断が尊ばれる組織であれば、年齢に関わらず悪事は悪行として裁かれる。
 そこに猶予が与えられるのは、この陣営が緩い陣営であるからだ。そしてスバルはその空気と環境が、悪いものとは思わない。

「私は……」

「――ん?」

「私はスバルの言ってること、そんなに変だと思ってないからね」

「……あんがと」

 完全に肯定されたいわけでもないけど、そんな感じの言葉に救われる。
 そうして、自分の話題なのに置き去りにされていたメィリィに向き直り、スバルは彼女に視線の高さを合わせると、

「お前の力が借りたい話があるんだ。付き合ってもらっていいか?」

「……いいわあ。お兄さんに付き合ったげるう」

 頼み込むスバルに、メィリィは静かに頷いた。
 抱き寄せたパンダで顔を隠す少女の眦に、うっすら涙が見えたような気がしたことは、スバルも誰も指摘しなかった。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「アウグリア砂丘なら、二回だけいったことあるよ?」

 スバルたちの説明を聞き終えて、自分のお下げを弄りながらメィリィが言った。
 彼女は記憶を回想するように目をつむり、

「手札の魔獣さんたちを補充しようって寄ったの。あそこ、魔獣がたくさんいる場所だったからすごい捗ったけどお……」

「けど?」

「お兄さんたち、本当にいくの? たぶん、私以外の人って死んじゃうよ……?」

 倫理観の欠如した少女の目からも、どうやらスバルたちの行いは無謀に映るらしい。どれだけ入れ食い状態だったのか、魔獣第一人者の意見には重みがあった。

「経験者の経験談は大いに参考にしたいんだけど、いくと死ぬよって意見はもう散々議論されてるから今さらなんだよ。それに砂漠の迷路っぷりだけなら、突破する方法はひとまずこっちで準備してある」

「はいな、うちのことやね」

 ひらひらとアナスタシアが手を振り、自分の案内役ぶりをアピール。
 ただし、ただ道に迷わないだけでは監視塔への砂漠攻略としては三十点――赤点で落第必至。というか、この問題に関しては満点解答が出せない限り、おそらく生きて突破することは困難なのだが。

 問題は三つ、『砂漠の迷路』『魔獣の巣窟』『賢者の目』だ。
 その内の『砂漠の迷路』はアナスタシア=襟ドナでどうにかなるとして、二つ目の『魔獣の巣窟』に対するカウンター、これを用意したかった。
 そのために、メィリィに詳しい話が聞きたかったのだが――、

「なんかこう、うまく魔獣を避ける方法とか逆におびき寄せる方法とか、そういうのに心当たりとかってないのか?」

「お兄さんが一人でどんどん走って進んだら、きっといぃっぱい寄ってくるけどお?」

「それ、もうすでに何回かやって痛い目見てるんですよ」

 一年前に屋敷で一回、そのちょっと後に平原で鯨に一回、そろそろやめたい。
 もちろん、手段がそれしかないならやるのは吝かではないが、砂漠の真ん中にスバルだけ取り残される形はできれば避けたいのである。

「お兄さんがダメなら、他に囮の人をいっぱい用意するとかあ。魔獣ってみーんな、普通の食べ物より生き物の方に飛びつくからあ、そんな感じかも」

「そんなの絶対にダメ! 反対! 私、反対です!」

「そんな躍起になって反対しなくても、誰も選ばないから大丈夫だよ」

 とはいえ、建設的な意見は浮かび上がりそうもない。
 魔獣の生態に関して、少なくとも他の誰よりも長じているだろうメィリィをして、効果的な策が思いつかない以上は手の打ちようがない。

「やっぱり、襲いかかってくる魔獣を片っ端からやっつける戦法か。エミリアたんとユリウスに期待が寄せられるな」

「そこに自分を含めないあたり、君の自己評価がどうなっているのか気になるところではあるが……それは、可能と思えるかな?」

 スバルの提案に、ユリウスがメィリィへ現実性を問い質す。それを聞いて、メィリィはエミリアとユリウスの二人を交互に見ると、

「たぶん、ダメだと思う。お姉さんたち、休まずに一週間ぐらい魔法使えるう?」

「そんな末期の塹壕戦みたいな状況が求められんの!?」

「や、やってみる……?」

「いいよ! これは無理な話の流れだよ! エミリアたんの髪と肌がガサガサになるからやめよう! はい、却下!」

 無理やりに中央突破する案は、そもそもの内容として無理があるらしい。
 メィリィが実際に見た光景がどれほどのものかは知れないが、子どもらしい過剰さで語っていないとすれば、決して無茶は犯せない。

「竜車に魔獣の血を塗って、他の魔獣の嗅覚を誤魔化すというのは?」

「いや、地竜は誤魔化せないし、サメみたいに余計に集まってこないとも限らない。護衛を雇うとか……この際、白鯨のときみたいな大軍勢は?」

「それも駄目だ。以前、プレアデス監視塔を目指した挑戦者の話はしたろう? 軍勢と言わないまでも、大規模な集団が挑んだことはあった。結果は察しの通りだ。強力な魔獣の角を折り、他の魔獣の壁にするのは?」

「それこそ、鯨ぐらい圧倒的でもなけりゃ、数で押し込まれるだろうよ。もっとこう簡単に、虫よけスプレー感覚で魔獣避けがありゃいいんだが」

 スバルの体臭――もとい、魔女の残り香は虫寄せスプレーなので役立たず。
 アーラム村と魔獣の生存域を分けていた結界も、あれは恒常的にロズワールが結界を維持していたから機能するのであって、例えば自分の周りに結界を作って結界ごと移動――みたいなことはできないらしい。

「いっそ、ロズワールに掴まってみんなで空から攻めるか」

「賢者の目を掻い潜れるなら、それも手だったかもしれないがね」

「ああ、クソ、そうか。『賢者』のこともあんだよなぁ」

 現実性のない意見は、現実的な観点から否定される。
 砂漠と魔獣を回避しても、まだ賢者の問題は残っている。こればかりは正直、これまでに掻い潜った人間がいないだけに、何をされるかもわからないのだが。

「せめて、問題が一つに絞れれば……」

「――もお、しょうがないなあ」

「あん?」

 部屋の中で車座になり、どうしたものかと頭を悩ませるスバルたちに、とうとうメィリィがそんな風に言った。立ち上がるメィリィは、座っているスバルたちの前で小さく首を横に振ると、

「私、一緒にいってあげてもいいよ。私が一緒なら、魔獣さんたちのことはどうとでもしてあげる。遠ざけるのも、ペットにするのも、殺し合いさせるのも、賢者って人を食べさせるのも自由」

「いや、後半は全部やるなよ!? っていうか……」

 かなり過激な発言に目を剥くが、それ以上にその提案に驚かされた。
 協力的な姿勢はいわんや、メィリィ自身が外に出ても構わないと、これまで決して口にしなかった意見を口にしたことに。

「外、出るの怖いんだろ? 大丈夫なのか?」

「別に、お屋敷の外に出てすぐにママに見つかるわけじゃないでしょ? 見つかるのは怖いけど、一生、中にいるわけにもいかないんだしい」

 いずれは出なくてはならない、という意識がメィリィにあったことが驚きだ。
 だが、それも当然かもしれない。機会を作って、こうして代わる代わる彼女の様子を見ることは続けてきたが、それでも一人で部屋にこもっている時間の方がずっと多かったのだ。考える時間はきっと、沈黙が怖くなるほどあったことだろう。

 一人きりで部屋にこもるのは、楽であると同時に恐怖でもある。
 そしてその感覚はいずれ麻痺しても、思い出したように心を責め立てるのだ。

「スバル……」

 メィリィの胸中にスバルが妙な共感を覚えると、その袖をエミリアがそっと引いた。彼女の考えはスバルにもわかる。それはスバルも同感だからだ。

「楽しいお出かけになるわけじゃないぜ。案内はあるけど砂漠越えだし、お前はいるけど魔獣の巣穴を通る。おまけに怖い賢者が見てるかもって状況だ」

「久しぶりのお散歩には、ちょうどいいんじゃなあい?」

 あくまでも強気に、メィリィは上からの視線でスバルにそう言ってのける。その言葉のどこまでが虚勢で、どこまでが本音かはわからないが――、

「魔獣の問題に対する切り札、そうよね?」

「ああ、そうだな。よろしく頼むぜ、メィリィ」

「言われなくても、そうしてあげるわあ」

 エミリアとスバルが顔を見合わせ、それからメィリィに頷きかける。それを受けた少女はやや背伸びした風にそう言って、腕の中のパンダをギュッと抱いた。
 そうして、今回の旅の達成に一つ前進と相成ったところで、その結果を見届けたユリウスが一言、感心した顔で腕を組んだ。

「こう言ってはなんだが、君は本当に少女を口説くのが得意なようだね。……あまり風聞のいい特技とは言えないが」

「お前らがそうやって、俺をどんどん幼女使い扱いするからな! 言っとくけど、メィリィも幼女ってほど小さくねぇから! 幼女ってのはなぁ!」

 益体のないユリウスの言葉に、地団太を踏んでスバルは部屋の入口を指差す。するとちょうど、扉が向こう側から開かれて顔を見せたのは、

「――なんかやかましいと思ったら、またスバルは何を騒いでいるのかしら」

 ロズワールとの密談を終えた、件の幼女が合流して、またひと悶着があったのだが、その件については語るまでもない出来事として、ひとまず区切られよう。

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