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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第一章 怒涛の一日目

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第一章3  『はじめてのまほう』

 時が止まる、というのはこういうことだろうか。
 路地の入口、さっきまでの男たちと同じようにひとりの少女が立っている。

 美しい少女だった。
 腰まで届く長い銀色の髪をひとつにまとめ、理知的な瞳が射抜くようにこちらを見据える。柔らかな面差しには美しさと幼さが同居し、どことなく感じさせる高貴さが危うげな魅力すら生み出していた。
 身長は百六十センチほど。紺色を基調とした服装は華美な装飾などなく、シンプルさが逆にその存在感を際立たせる。ゆいいつ目立つのは、彼女の羽織っている白いコートに入った『鷹に近い鳥』の紋章を象った刺繍か。その荘厳さすら、少女の美しさの添え物にすぎない。

「それ以上の狼藉は見過ごせないわ。――そこまでよ」

 再び彼女の口から言葉が紡がれ、総身を震えるような感動が走った。
 銀鈴のような声音は鼓膜を心地よく叩き、紡がれる言葉には他者の心を震わせる力がある。
 スバルは自分の置かれた状況すら忘れて、ただひたすら彼女の存在感に打ちのめされた。

 そしてそれは男たちも同じだ。
 彼女の敵意を真っ向から向けられ、先ほどまで血気に逸っていた表情はどこへやら。
 ナイフを持った男も顔を青ざめさせ、袋小路を後ずさる。

「待て待て待て! 待ってくれ! な、なんだかわからねえが、こいつは見逃す! だから俺たちのことは勘弁して……」

「潔くて助かるわ。今ならまだ取り返しがつくから、私から盗った物を返して」

「だから悪かったって……へ? 盗った物?」

「お願い。あれは大切なものなの。あれ以外のものなら諦めもつくけど、あれだけは絶対にダメ。――今なら、命まで取ろうとは思わないわ」

 懇願の気配すら漂わせていた言葉の最後、そこだけが明確に怒りをはらんでいた。
 少女の視線は鋭く、差し伸べるように向けられた掌は何も掴んでいない。
 しかし、そこに言葉にし難い何かが集まり始めるのを、この場の誰もが感じ取る。

「ちょ、待って! ……あの、話が食い違ってると思うんだがっ」

「……なに?」

 男たちが足蹴にしているスバルを指差し、

「ええっと、この男を助けにきたわけじゃないんで?」

「……変な格好した人ね。仲間割れの途中? 三対一なんて感心しないけど……私に関係があるのか聞かれたら、無関係と答えるしかないわ」

 話をはぐらかされているとでも思ったのか、少女の口調には苛立ちがまじる。
 その態度に焦りを覚えたのか、男たちは慌てた素振りで弁明。

「ちょ、ま、待ってくれ! こいつが目的じゃないなら、俺らは別口だ! 盗まれたとかって話ならたぶん、さっきの女だろ!」

「あ、ああ、そうだ。さっきの! 壁蹴って屋根伝いに逃げてった!!」

「奥だ奥! その向こう! あの勢いなら通りをもう三つは抜けてる!」

 男たちの続けざまの言い訳に、少女の視線がスバルと絡まる。
 男たちの言葉が真実かどうかを問うてくる視線に、嘘を禁じられ思わずスバルも頷いてしまった。
 それを見届けて、少女は「うう」と不承不承、納得の頷きを作り、

「嘘じゃ、ないみたい。それじゃ、盗った人は路地の向こう……? 急がないと」

 こちらに背を向けて、少女の足が路地の外に向かう。
 男たちの露骨な安堵。そしてスバルは千載一遇のチャンスを棒に振ったと、空気に呑まれた自分の馬鹿さ加減を呪う。
 だが、

「それはそれとして、見逃せる状況じゃないのよ」

 振り返りざまにこちらに掌を向けた少女――その掌から、飛礫《つぶて》が立ち尽くす男たち目掛けて放たれていた。
 球速はメジャー級で、コースはバリバリのビーンボール。
 硬球が肉を打つのに似た音が三つ鳴り、男たちが苦鳴を上げて吹っ飛ばされる。

 男たちに命中し、スバルの傍らに甲高い音を立てて落ちたのは氷塊だ。
 拳大の大きさの氷の塊――季節感や物理現象を無視して生じた物体は、その役目を果たした途端に大気に食まれるようにして霧散する。

「――魔法」

 とっさに口からこぼれたのは、今の現象を説明するのにもっとも適した単語だ。
 詠唱もなにも聞こえなかったが、今の氷は少女の掌から生まれて打ち出されていた。
 こうして目の前で実際にその情景を見て、初めてわかったことがある。
 それは、

「思ったより、幻想的な感じじゃないな……がっかりなリアル感だ」

 光が散ったりだとか、エネルギーがはっちゃけたりとか、そういうイメージだったのに。
 実際には無骨な氷が急に生じて、急に消える。情緒もクソもありはしない。

「やって……くれやがったな」

 スバルの感想はさて置き、そのリアルな一撃を受けた側のダメージは甚大だ。
 足をふらつかせて男が二人立ち上がる。ひとりは打ちどころが悪かったのか昏倒しているものの、残りの二人は流血こそしているが健在。ナイフ男とは別の男も、その手には錆びの浮いた鉈のような獲物を握って臨戦態勢だ。

「こうなりゃ相手が魔法使いだろうがなんだろうが、知ったことかよ。二人で囲んでぶっ殺してやる……二対一で、勝てっと思ってんのか、ああ!」

 片手で曲がった鼻を押さえながら、ナイフの男が怒声を張り上げる。
 その罵声に対して少女は怯んだ様子もなく、

「そうね。二対一は厳しいかもしれないわね」

「じゃ、二対二なら対等な条件かな?」

 少女の声を引き継ぐようにして、中性的な高い声が新たに路地の空気を震わせた。
 驚きながらスバルは視線をさまよわせる。同様の反応は男たちにも見られた。路地の入口にも、当然路地の中にも、その声を発した人物らしき姿はない。
 戸惑い、困惑するスバルたち。その三人に見せつけるように、少女が左手を伸ばす。
 上に向けられた掌、その白い指先の上に『それ』はいた。

「あんまり期待を込めて見られると、なんだね。照れちゃう」

 そう言ってはにかむように顔を洗ったのは、掌に乗るサイズの直立する猫だった。
 毛並みは灰色で耳は垂れ、スバルの常識で言うならばアメリカンショートヘアという種類の猫が一番近い。鼻の色がピンク色で、妙に尻尾が長いのを除けば。
 その奇妙な猫の姿を見て、ナイフ男がその顔に戦慄を浮かべて叫ぶ。

「――精霊使いか!」

「ご名答。今すぐ引き下がるなら追わない。すぐ決断して。急いでるの」

 少女の言い分に口惜しげに舌を打ち、男たちは昏倒する仲間を担ぐと路地の外へ向かう。
 スバルをまたぎ、隣を抜けるときに少女をちらりと振り返り、

「覚えてろよ、クソガキ。次にこのあたりをうろつくときはせいぜい気をつけろ」

「この子に何かしたら末代まで祟るよ? その場合、君が末代なんだけど」

 恫喝は精一杯の矜持だったのだろうが、それへの返答は軽い口調ながら苛烈だった。
 手乗り猫はへらへらとした態度だが、男たちはそれまででもっとも顔色を青くして、今度こそ無言で雑踏の方へと駆けていく。
 それきり彼らの姿が見えなくなると、この路地に残るのは少女たちとスバルだけだ。

「――動かないで」

 体の痛みも忘れて体を起こし、とにかくお礼の言葉を。
 そんなことを考えていたスバルに対し、少女は情を感じさせない冷たい声で言った。

 彼女の瞳には警戒の色が濃い。スバルが男たちと別口だとは理解していても、その存在が善性であるとは欠片も思っていない、そんな目だ。

 それはそれとして、こちらを見る彼女の紫紺の瞳は魅入られるように美しい。
 美少女慣れしていないスバルはそれだけで、思わず顔を赤くして目をそらしてしまう。
 そんなスバルの仕草に少女は警戒の眼差しのまま不敵に笑い、

「やましいことがあるから目をそらす。私の目に狂いはないみたいね」

「どうかな。今のは男の子的な反応であって、邪悪な感じはゼロだったけど」

「パックは黙ってて。――あなた、私から徽章を盗んだ相手に心当たりがあるでしょ?」

 小猫を黙らせて少女はスバルに問いを投げる。近年まれに見るドヤ顔だ。しかし、

「期待されてるとこ悪いけど、全然知らない」

「嘘っ!?」

 そのドヤ顔が崩れると、その下から少女の素の表情がちらりと覗く。
 先ほどまでの凛々しい態度もどこへやら、慌てふためく彼女は掌の猫と向き合い、

「ど、どうしよう。まさか本当にただの時間の無駄……?」

「その状態も刻々と進行中だけどね。急いだ方がいいと思うよ。逃げ足がすんごい速かったから、きっと風の加護があるよ、犯人」

「なんでそんなに他人事なの、パックは」

「手出し口出し無用って言ったのそっちなのに。それと、あの子はどうする?」

 思い出したように話題の焦点が戻ってきてスバルは苦笑。
 あ、とその存在と状態にようやく思い至ったような少女。そんな彼女にスバルは虚勢を張って立ち上がり、

「助けてもらっただけで十分だ。急いでるんだろ? 早く行った方がいい」

 ――なんなら手伝うけど、どうするお嬢さん?
 なんて髪をかきあげて歯を光らせながら言う算段だったのだが、

「あれれ?」

「あー、無理して立ち上がんない方がー、って遅かったね」

 頭が重くて体がふらつき、支えようと伸ばした手が壁を掴めずに空を切る。
 結果、さっきまで寝ていた地面にセカンドキスを捧げる羽目に。
 受け身ゼロ。鼻面から落ちて、鋭い痛みに意識を持っていかれるスバル。

「――で、どうするの?」

「関係ないでしょ。死ぬほどじゃないもの、放っておくわよ」

 遠ざかり始める意識の彼方で、そんな二人(ひとりと一匹)の会話がわずかに聞こえる。
 さすがは異世界ファンタジー、人情味に関してもシビアな見解を持っていらっしゃる。

 このまま路地裏に捨て置かれるのか、というネガティブな思考と。
 まぁ、死ぬところだったのが命あるだけ恩の字だわな、というポジティブな思考と。
 そんな消極的な両結論を得ながら、スバルの意識は段々、段々と遠くへ――。

「ホントに?」

「本当に!」

 ぷつりと意識が途切れる瞬間に、赤い顔をして振り返る銀髪の少女が見えた。

「――絶対の絶対、助けたりしないからっ」

 ――怒った顔も、すんげぇ可愛いな、異世界ファンタジー。

 そんな感想を最後に、今度こそスバルの意識は闇に落ちた。


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