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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第五章 『歴史を刻む星々』

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第五章77 『名無しの騎士』



 突き飛ばされる衝撃を受けて、体は短剣の軌道を逸れていた。
 刃をかわせる体勢になく、折れた騎士剣では受けても深手は免れない。誰が見てもわかる結末、故に庇われたのだとユリウスはすぐに気付くことができた。
 だが、そのことに安堵と感謝を抱くかどうかはまた別の話――、

「リカード――!」

「あかん、やってもうた……ッ!」

 苦しげな声を上げ、ユリウスを突き飛ばしたリカードが目をカッと見開く。その名を叫ぶのと同時、ユリウスの視界を噴出する血霧が覆った。
 血が噴いたのは、リカードの太くたくましい右腕――その肘から先を失い、滑らかな断面をさらした傷口からのものだ。
 獣毛に覆われた腕は音を立てて石畳に落ち、握られていた大鉈もまた鈍い音を上げながら床を転がっていく。

「なんてことを……っ」

「だぁほ! 言っとる場合か、ユリウス! 顔上げて前ぇ……」

 とっさに息を呑むユリウスに、リカードが奮起の声を投げようとする。が、それは翻る短剣の一撃を腹部に浴び、固い膝の直撃に鼻面を砕かれて叶わない。
 のけ反り、リカードが大の字になって地面に倒れ込むと、『暴食』が嗤う。

「はっはァ! 全部、言わせるわけないってーのッ!」

「――っ」

 快哉を叫ぶアルファルドの姿と、倒れ込んだリカード。両者の姿を見やり、ユリウスの脳裏に二つの選択肢が同時に浮かび上がる。
 どちらを優先すべきか、刹那ほどの間隙がそこに生じた。
 そして、『暴食』の食欲はその隙間を決して見逃さない。

「食事中に余所見なんて、マナーがなってないなァ、兄様――!」

「貴様……!」

 バネ仕掛けの人形のように、アルファルドはトリッキーに跳躍する。その変幻自在の動きに、ユリウスの反応はかすかに遅れる。
 突き出される掌と、折れた騎士剣が交錯し、胸を掌になぞられる感覚――こちらの刺突は回避されて、直後に訪れたのは謎の喪失感。

「あぁ――ゴチソウサマでしたッ」

 その声を最後に、なぜか意識は遠のいて、遠ざかって、そして――。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「情けないことだが、『暴食』との戦いの最中に『名前』を奪われた。おそらく、今の私の状況はそういうことなのだろう」

 エミリアの一言で、はっきりと浮き彫りになってしまった事実。
 知己に忘れられた事実に皮肉げな笑みを浮かべて、ユリウスは肩をすくめる。

「『名前』を喰われたって……そういうことなのか? けど」

 人間の『記憶』と『名前』を喰らう冒涜者、大罪司教『暴食』。
 『名前』を喰われ、繋がりを断たれるという脅威――その恐ろしさはスバルも十二分に知っていたつもりだ。だが、こうして目の前に健在の様子で立っているユリウスを見てしまえば、その理解も浅はかであったことを痛感せざるを得ない。

「あいつの犠牲者は、レムかクルシュさんみたいになるもんとばっかり……」

 『記憶』を喰われ、かつての自分を完全に見失ってしまったクルシュ。
 『名前』を喰われ、例外を除いた全ての人々の記憶から存在が消滅し、その状態で昏々と眠り続けているレム。

 『暴食』の被害者で、スバルがよく知る被害はその二人の症状だ。
 しかしここにきて、ユリウスは彼女らとはまた違う状態に陥っている。自らの記憶は失わず、意識を奪われていることもない。

 ――ただし、周囲の記憶からは、その存在が失われてしまっている。

「本当に、誰も覚えてないのか? 片っ端から試してみれば……」

「すでにアナスタシア様ともリカードとも、顔を合わせたあとだよ。なかなかどうして、あの二人に見知らぬ人間扱いされるのは堪える経験だった。――庇われた相手に礼も言えないというのは、歯がゆいものだね」

「――――」

 淡々と、感情を殺して受け答えをするユリウスだが、かすかに強張る頬や言葉の端々がスバルにはどこか痛々しい。当然だ。いかにユリウスが騎士としての意識の高い人間であっても、このような精神的な負担に易々と耐えられるはずがない。

 積み上げてきた関係性が崩れ、親しく過ごした日々が失われる恐怖と絶望感。
 それはスバルも異世界にきた当初、痛いほど味わった喪失感だ。

「ベアトリス……」

「スバルの言いたいことはわかってるつもりなのよ。だけど、残念ながらベティーもその男に見覚えはないかしら。もうベティーは、禁書庫の外にいるのよ」

 呼びかけ一つで意図を察して、ベアトリスが難しい顔で首を横に振る。
 ベアトリスの言い分と、スバルが彼女に取りたかった確認――それは、ベアトリスがユリウスのことを覚えているかどうかだ。

 エミリアが覚えていないのだから、当然、ベアトリスもユリウスを覚えているはずがない。そのはずだが、ベアトリスは例外である可能性があった。
 何故なら、ベアトリスは――。

「レムのことは、覚えてたのにな」

「何度も言ってるけど、むしろそのことの方が例外だったと考えるべきかしら。そして今、目の前の男のことでそれは確信になったと考えていいのよ」

「結局、お前の記憶についてはあの推論通りってことか」


 以前のことだ。
 以前に一度、ベアトリスが禁書庫で、『暴食』に名前を喰われたあとのレムについて言及していたことがあった。スバルがそのことを思い出し、ベアトリスに追及したのは彼女との契約後、禁書庫が失われたあとのことだったのだが、そのときの話し合いから得られた結論、それは一つ。

「外部と隔絶された禁書庫にいる間、ベア子は部屋の外の影響を受けない。だからレムが名前を喰われたときも、喰われた瞬間の影響を受けなかった……って考えだったんだよな。だから、部屋の外に出ちまえば特別扱いはされない……か」

「その言い方、ベティーが禁書庫から出てきたことに文句があるみたいかしら」

「そ、そんなことねぇって。俺、お前とお日様の下を歩けてマンモスハッピー!」

「へーん、なのよ」


 と、ベアトリスがへそを曲げてしまったやり取りが事実あった。
 そして実際、ユリウスに対してベアトリスの特殊性が発揮されることはない。ベアトリスの推論は正しく、禁書庫こそが記憶の障壁に役立っていたわけだ。
 むしろこの場合、問題なのはベアトリスの特殊性ではなく――、

「でも、どうしてスバルはユリウスさんのことを覚えてるの? あの、レムさんのときとおんなじように」

「そこなんだよ」

 本来、誰にでも行き当たるだろう疑問を、ついにエミリアが指摘する。

 この世界でただ一人だけ、『名前』を喰われたレムを覚えていたスバル。
 双子の姉であるラムですら忘れていた記憶の維持を、しかしエミリアたちは何も言及してはこなかった。
 それはレムに献身的に接するスバルを見て、記憶について口から出任せを言っているようにも、妄言を信じ込んでいるようにも思えなかったからでもあろう。
 が、それだけではなく、そのスバルの記憶に反論することのできる、確たる証拠を持つものが誰一人いなかったからに他ならない。

 ただ、今回は違う。
 今回の事例は、スバル以外にも覚えている当事者――つまるところ、世界に忘れられた張本人であるユリウスに意識がある。
 自然、その互いの認識のすり合わせと、スバルのみが『暴食』の権能の例外として扱われる理由へと疑問が及ぶことになった。

「スバルは何か思い当たることはないの? 隠し事はなしで、ね」

「隠すつもりとか毛頭ねぇけど……あるっちゃあるし、ないっちゃない」

「それ、隠し事じゃないの?」

「断言できないから明言を避けるっていうのは、隠し事とは違うと思う」

 エミリアをかわしながら、スバルは自分の例外の可能性を考察する。
 極々最初に思い浮かぶのは、スバルの内側に眠っている魔女因子の影響だ。『記憶』や『名前』を喰らう権能が『暴食』の魔女因子の力なら、『見えざる手』のようにスバルに通用しないことも、ある種、納得ができる。
 おそらく『嫉妬の魔女』の力で『死に戻り』をしているのがスバルだ。その『魔女』の力が作用し、『暴食』の権能の効果を打ち消しているのかもしれない。

 そしてもう一つ、ベアトリスの禁書庫の例から思い浮かぶ可能性もある。
 それはスバルが、異世界からのトリッパーであることが原因の可能性だ。スバルは出自を異世界とする人間であり、純粋にこの世界で生を受けた存在ではない。
 この世界の存在ではないから、この世界の概念に干渉するような権能の影響を受けることもない――この仮説はどうだろうか。

「ただ、後者の場合なら確かめる方法は簡単だ。アルとユリウスを会わせりゃいい」

 この世界でただ一人、スバルと境遇を同じくする人物こそがアルだ。
 権能の例外について、もしも後者の仮説が正しいのであれば、アルもレムもユリウスのことを覚えているはずである。もっとも、この世界のアルとレムとの間には面識がないため、確認することはできなかったのだが。

「さすがに今回はそうも言ってられねぇよな」

「スバル?」

「エミリアたんの質問についてだけど、それに答える前に確かめたいことがある。ユリウス、お前にも付き合ってもらうぞ」

 考えをまとめたスバルの第一声に、エミリアが不満げな顔をする。
 隠し事をされた、と思っているのかもしれないが、これは検証の必要な内容だ。
 もっとも仮説の正しさが証明された場合、スバルとアルの共通点――異世界からのトリッパー部分はぼかして、大瀑布の彼方を故郷とする人間は権能の影響を受けないのだと、そういった訳のわからない説明をしなくてはならなくなるのだが。

「まさか、嫌とは言わないよな? お前のことなんだから」

「――仕方ないと言わざるを得ない。どうやら現状、君の方が私の置かれている変事について詳しいようだからね。従おう」

「なんで微妙に態度でかいの、お前」

 ここまでの会話で平静を取り戻したのか、顎を引くユリウスの態度には見慣れた瀟洒な佇まいが舞い戻っている。らしいといえばらしいのだが、置かれた状況に対して精神的にタフすぎる。可愛げがない、と言い換えてもいい。

「いきなり殊勝にこられて、接し方に困るよりマシか……とにかく、避難所に戻るぞ。そろそろ関係者も集まる頃合いだと思うし……そうだ、リカードは? お前と一緒に制御搭だったんだ。無事、なんだよな?」

「……私を庇って負傷はしているが、命に別状はないはずだ。それはフェリスにもしっかりと診断してもらっている」

「……そうか。なら、いいんだけど」

 ユリウスの返答に、スバルの内心は安堵半分と自省半分だ。
 内訳はリカードの無事が確認されたことの安堵と、共に戦ったはずの人物に忘れられたユリウスに直接聞いた無神経さの自省。
 そうして声の小さくなるスバルに、ユリウスは嘆息すると、

「君に細やかな配慮は期待していない。普段通りに振る舞ってくれた方が、周囲も戸惑わないし私も気楽だ。さあ、避難所へ戻ろう」

 そう言って、ユリウスはスバルの肩を気安く叩いた。

「あまり気分のいいものではないが、私の紹介は君に任せるしかない。王選の広間で披露した空回りは、この機会には引っ込めてくれると助かる」

「人の黒歴史掘り返してんじゃねぇよ! クソ、心配して損した」

 肩に乗った手を振りほどいて、スバルはユリウスに背を向けると避難所へ足を向ける。無論、今のユリウスの発言が彼の真意であったなどと勘違いはしない。
 スバルの罪悪感を和らげようと、スマートな対応が必要だと判断しただけ。
 それはわかっている。それがわかっているから、

「馬鹿か、俺は。いや、馬鹿だ俺は」

 何故、どうして今、ユリウスに気を遣わせるような態度しか取れない。
 他でもない彼自身がもっとも、どうしようもない孤独に不安を感じているだろう状況で、どうして言葉と判断を間違えることができるのだろう。

 自分の無神経さがひどく苛立たしくて、それと同じくらいユリウスも腹立たしい。
 不安がるのが当たり前の状況で、いつも通りを装えるのも彼の強さだ。

 その強さはきっと、スバルが欲しても得られないものだから。
 ユリウスのことを放置してはおけないと、スバルは確かな使命感を抱くのだった。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 肩を怒らせ、のしのしと避難所へ向かうスバルの背を見ながら、ユリウスはその唇の端にかすかな微笑みを浮かべていた。
 それは背中を向けるスバルには決して見せられない、弱々しい微笑だ。

「その顔、スバルには見せないつもりなの?」

 そんなかすかな心の隙間に、ふいに銀鈴の声音が飛び込んでくる。振り向けば、ユリウスを見つめる紫紺の瞳と視線が合った。
 憂いを帯びたその眼差しに、ユリウスは笑みを押し隠して首を横に振る。

「ささやかな意地、敗残者の空しい抵抗です。ご指摘なさらないでください」

「敗残者だなんて……」

「制御搭を攻略に向かい、見逃されたのはおそらく私たちだけだ。力不足を痛感させられ、生き恥すら禁じられた状態で放置されている。完敗です」

 頑なな姿勢でユリウスは、自分たちの敗北を強く訴える。
 彼の態度にエミリアは痛ましげに瞳を揺らめかせた。今のエミリアには、ユリウスの心の弱さが見透かされているのかもしれない。

「ごめんなさい」

 けれど、エミリアの発言はユリウスの意図したものとは違うものだった。
 顔を上げるユリウスに、エミリアは自分の細い肩を抱いて、

「本当は、今のあなたになんて言ってあげたらいいのかわからないの。きっと私はあなたを知ってたはずなのに覚えてなくて、スバルみたいに頼りにもならなくて」

「……スバルの場合は、あまり参考には。彼の方が例外なのでしょう」

「それでも、あなたを傷付けてるのはわかるから。だから、謝ることしかできないのと……スバルのこと、ありがとう」

「――――」

 スバルのことについて、彼女に礼を言われたことが腑に落ちない。
 眉を寄せるユリウスにエミリアは吐息し、

「ユリウスさんの今の顔、きっとスバルが見てたらもっと辛くなってたと思う。だからそれを隠そうとしてくれて、ありがとう。ごめんなさい」

「やめてください、エミリア様。礼を言われるようなことではありませんし、それに……それに私を買いかぶりすぎです。そんな思いやりでは、ありません」

 本当だ。ユリウスはエミリアの善性の視線に、居心地の悪ささえ感じる。
 そんな殊勝な意識で、ユリウスはスバルに内心を隠したわけではない。もっと事はシンプルで、もっとつまらない理由だ。

「彼には……スバルには、憐れまれたくない。それだけのことです」

「――――」

 正面、角へ差し掛かるスバルの背を眺めて、ユリウスはそう言い切る。寄り添うベアトリスに袖を引かれて、難しい顔をしているスバル。
 そのスバルには、ユリウスは自分の弱さを見せたくなかった。
 どうしてそう思うのか、その理由は――。

「今、初めてユリウスさんの本音が聞こえた気がするわ」

 歩き出すエミリアが、ユリウスの一言に対してそう評する。ユリウスが思わず目を丸くすると、エミリアは一つだけ指を立てて、

「あまり力になれないかもしれないけど、私もちゃんと避難所でみんなに信じてもらえるように話すから。だから、スバルと一緒に私たちも信じて。いきましょう」

「……はい。それと、エミリア様」

「なに?」

 呼び止められ、振り返るエミリアにユリウスは優雅に一礼してみせた。
 彼女の記憶の中にはないかもしれないけれど、自分の中にはしっかりと刻み込まれるように残った、騎士としても貴族としても習慣となっている礼儀作法。

「エミリア様に、ユリウスさんと呼ばれるのはどうも違和感が付きまといます。どうぞユリウスと、そう呼び捨てにしてください」

「私は、そうあなたを呼んでたのね。……わかったわ、ユリウス」

 唇に指を当てて、エミリアが首肯する。それからエミリアは考え込み、視線をユリウスよりわずかに高く、虚空へと向けた。そして、

「私からも一つ、いい?」

「なんなりと」

「あなたのすぐ傍を、微精霊……ううん、準精霊かも。そんな子たちが、不安そうに飛び回ってるんだけど……わかる?」

「――ええ、わかっております。彼女たちは、いずれ私の傍で咲く蕾でしたから」

 エミリアの指摘に、ユリウスは瞑目する。
 目をつむればすぐ傍らに、六色の力を持った準精霊が飛び回るのがわかる。ただしその蕾たちは、自分たちがどうしてそこにいるのもわかっていない様子で。
 だから彼女らには、

「今の私の言葉は届かないのです。主君や戦友への言葉と、同じように」


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