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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第五章 『歴史を刻む星々』

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第五章75 『プリステラ攻防戦リザルト2』



 ヴィルヘルムとの話し合いを終えて、スバルは静かに安堵していた。
 ガーフィールも含めて、『色欲』を担当していたはずの二人――察するに、もっとも苦戦が予想されていた組み合わせだったはずだ。
 実際には『色欲』が制御搭を放棄し、ヴィルヘルムの妻であるテレシアと、かつての英雄クルガンとやらが立ち塞がる結果になったわけだが、その三地点で犠牲者が出ていないのはすでに保障されている。

「――――」

 無論、ガーフィールにもヴィルヘルムにも思うところはあるはずだ。
 事実、ガーフィールはそのわだかまりを口にしたし、ヴィルヘルムの内心に言葉にし難い傷が刻まれていることは容易に想像できる。
 それでも、それでもだ。

 二人が無事に、戦いを終えて戻ってくれたことがスバルは嬉しかった。
 身内に犠牲者が出ていれば、スバルは覚悟として『死に戻り』を行っていたかもしれない。だから二人の生還には、『死に戻り』をせずに済んだ安堵もある。
 だが、それは死なずに済んだことへの安堵と同時に、一つの確信に繋がる。

 やはり、『死に戻り』のような不自然な力に、何度も頼るべきではないのだと。

 『死に戻り』を駆使し、よりよい未来を勝ち取ろうと何度も挑んできた。それだけ能力に頼って今さら何を、と罵られるかもしれないが、だからこそなのだ。
 何度も死に、そのたびに未来を覆してきたスバルだからこそ、スバルにしか言ってはならない結論がある。

 本来、『死に戻り』など不要なはずだ。
 『死に戻り』などなくても、欲する未来を勝ち得る方法はきっとある。こうして皆が一つの目的に向かって協力し、それを勝ち取ったように。

「スバル、ヴィルヘルムさんは大丈夫だった……?」

 戻ったスバルを出迎えて、エミリアが避難所の隅に佇む老剣士を案じる。彼女の言葉にスバルは顎を引き、背後を振り返るような真似はせず、

「ん、大丈夫だと思う。ケガは、そりゃいくつもあったけど……一番おっかない心の傷の方は、自前でなんとかしたみたいだから」

「そう。……当たり前だけど、強い人よね」

「そうなんだ。強い人なんだよ。だから、大丈夫だ」

 そう言ってくれるエミリアに、スバルは何度も首を縦に振った。そのスバルの動きに目を丸くして、それからエミリアが唇を綻ばせる。
 思わぬ反応にスバルが眉を寄せると、彼女は口元に手を当てて、

「ごめんね。スバルって、ヴィルヘルムさんのことになると他の人とすごーく態度が違うから。なんていうか、本当にぞっこんなんだって思って」

「ぞっこんってきょうび聞かねぇな……」

 久々なエミリアの昭和臭い発言に苦笑し、それからスバルは指で頬を掻く。
 茶化してはみたものの、エミリアの言いたいことの意味はわかる。それにそのことはスバル自身、十分に自覚のあることだった。

「ヴィルヘルムさんは、なんつーか特別枠なんだよな。素直にすげぇ人だって尊敬できるから、まぁそんな感じでさ」

「すごい人なのは私もわかるけど、それなら条件はラインハルトたちだって同じでしょ? なのに、ね」

「やっぱ同年代と先人とじゃ見方が変わるからさ。同年代相手に感じる格差は惨めになる意味合いが大きいけど、年上の人との差は目標にできるじゃん。いずれは俺も渋くダンディに歳をとって、ヴィルヘルムさんみたいな凄みを持ちたいわけ」

「……ん、わかった。ふふ。そういうことにしておいてあげる」

 照れ隠しにも似たスバルの軽口に、エミリアがわかった顔でそう頷いた。
 その態度にしてやられた感をスバルは味わう。本音のところで、言葉としてスバルが抱く感慨をなんと呼べばいいのかは自分でもわかっていない。
 きっとおそらく、言葉にしなくていい類のものだと思ってはいるけれど。

「ベティーはスバルに、あんなヒゲが生えるのは似合わないと思うのよ」

「そういう話し合いじゃなかったと思ったんだけど、まぁそれでもいいわ。俺がヒゲを生やすのは、それにふさわしいとベア子が判断してくれたときにするよ」

「……さて、そんなときがくるかしら。愛くるしさと毛深さの緻密な共存は、にーちゃぐらいの素養がないととても成り立たない領域なのよ。精進するかしら」

「へいへい、と」

 エミリアとベアトリス、両者に両者らしい方法で気持ちを切り替えさせられながら、スバルはふっと避難所の一角――にわかに騒がしくなる方へ目を向けた。
 そちらは避難所の中にいた避難民たちの集まる一角で、そこにある顔ぶれは一様に都市が占拠されていたことの恐怖や不安から解放されている。ただし、それだけでは説明のつかない晴れ晴れしさが彼らの表情にはあった。その原因は――、

「でわでわっ! 改めまして歌わせていただきましょう! 聞いてください、新曲――炎上都市熱歌っ!」

「あの騒がしいのはリリアナか」

 熱狂の中心にいるのは、褐色の肌をした小柄な少女だ。黄色い髪を振り乱し、元気にリュリーレを掻き鳴らしている歌い手の姿がちらと見えた。
 見間違うはずのないインパクト重視な外見に、『色欲』ですらモノマネしきれるとは思えない斜めに突き抜けた独創性、リリアナに違いあるまい。

「ホントにやかましい娘なのよ」

「でも、リリアナも大罪司教と戦った一人なんでしょ? えっと……どうやって戦ったのかは全然想像つかないけど……」

 スバルと同じものに気付き、エミリアとベアトリスも肩から脱力している。
 ああして元気にしている以上、リリアナも五体満足での生還には違いない。彼女たちの戦場――『憤怒』攻略戦は攻略方法から戦力比も含めて、あるいはもっとも穏当な結果の想像できなかった場所でもある。
 リリアナの歌がシリウスの権能の封じ込めに役立つ可能性はスバルも考慮はしていたが、実際にそれがどう用いられたのかは不明だ。いったい戦場で何があったのか、具体的に聞きたいと思うところではあるが。

「今、リリアナに近付くのは簡単な話じゃねぇな。後回しにしよう」

「そうね。……それにリリアナの歌ってきっと、今が一番必要なときだもん。私たちがそれを取り上げるのはよくない。お話はもっとあとにしましょう」

「同感かしら。ベティーはあの疲れる娘と話をするのなんて御免なのよ」

 曲を奏で、朗々と歌い上げるリリアナを見ながら、スバルたちはそう結論する。耳に滑り込んでくる歌声は心地よく、傷だらけの心に染み入るようだ。
 本当に、歌声の部分だけを切り取れば、彼女には『歌姫』の称号がふさわしい。今の都市にこそ彼女が必要と、そう言ったエミリアの意見にも頷ける。

「――――」

 見れば、演奏するリリアナの傍らにはキリタカの姿もあった。
 高価なスーツのあちこちを血と泥で汚し、かぎ裂きの痕跡も残っている有様。オットーの話では生死不明、そんな修羅場を彼も潜り抜けた結果なのだ。

「誰一人、楽な戦場なんてなかったはずだもんな……」

 スバルの視線に気付き、キリタカがこちらに会釈する。スバルはそれに手を振り返すと、次の仲間の姿を求めて再び避難所散策へと足を踏み出した。
 そして、歩き出すスバルにベアトリスが並び、

「大した話じゃないけど、寝ていたベティーを呼び起こしたのはあの男かしら」

「キリタカが?」

「貴重な大魔石を砕いてまで、あの男はそうしたのよ。それが責任感なのか、誰かのためだったのかまではベティーは興味ないかしら。でも、そういうことなのよ」

「……ほうかほうか。偉いぞ、ベア子。よくぞ話した」

「むーかしら」

 思わぬところのアシスト話を聞かされて、スバルはベアトリスの頭を撫でる。頬を膨らませるベアトリスは不満げだが、それがポーズだけなのは聞くまでもない。
 アナスタシアから簡単に聞いた話では、目覚めたベアトリスの活躍も今回の結果には欠かせない貢献度だったとのことだ。そこに一役買ったのがキリタカだというのなら、都市の重役という立場に見合った責任を果たしたといえるだろう。

「スバル。ケガした人たちは、避難所のもっと奥にいるみたい」

 と、ベアトリスとそんな会話を交わすスバルに、避難所の奥を覗き込んでいたエミリアがそう告げる。彼女の言に従って暗がりの方を見れば、なるほどそちらには騒ぎの間中、野戦病院のような扱いになっていた環境が残されたままだ。

 地べたに直に敷かれたマットや毛布、そこに幾人かのケガ人が寝かされている。ここにはいの一番、フェリスが避難していたはずなので、寝かされている人々は完治ではなくとも、命に別状のない範囲の人々なのだろう。

「さすがのフェリスも、この大人数を完全治療は難しいってことか?」

「どれだけ治癒魔法に長けた人間でも、一人が持ち得るマナには限度があるのよ。手当たり次第に治療して回ったらすぐ底をつくかしら。賢明な判断なのよ」

 負傷者たちの列を見ながら、応じるベアトリスはかすかに悔しげだった。表面上は隠していても、情が深くて心優しい精霊の少女だ。ベアトリスの治癒魔法は、フェリスに及ばないまでもかなりの効力がある。ただ、それもマナがあればの話であり、スバルから供給されるマナの量では到底それに及ばない。
 口惜しい、と力足らずを悔やむのも仕方のない話だった。

「本当は私も、みんなに治癒魔法をかけて回ってあげられたらいいんだけど……」

「エミリアたんには別の役目がある。だから、それはいったん保留で」

「うん、わかってる」

 目先の情に動かされて、目的を達せなくなっては元も子もない。スバルはエミリアに自制を呼びかけ、傷の痛みに呻く人々を横切ってその中に身内を探す。そして、程なく探していた相手を見つけることができた。

「ナツキさん、こっちです」

「よぉ、オットー」

 負傷者の列の最奥、そこからこちらに向かって手を振る人影。見慣れた青年の姿を見つけて、スバルたちは安堵しながら彼に歩み寄る。
 出来合いの寝台に寝そべり、青い顔に弱々しい笑みを浮かべていたのは、エミリア陣営の誇る武闘派内政官のオットー・スーウェンだ。

「今、内心でかなり聞き捨てならない評価がされた気がしたんですが」

「気のせいだろ、武闘派内政官。またお前、血を見たくて獲物探して都市をうろつき回ってたって話じゃねぇか。好きだねぇ」

「またぞろおかしな噂が立つんで、根も葉もないデマやめてくれませんかねえ!?」

 寝そべっているオットーに、再会の挨拶代わりに軽口をぶつけ合う。叫ぶオットーが仕方なさげに肩を落とすと、スバルはその傍らにしゃがみ込んで状態を見た。
 命に関わる負傷はなさそうだが、痛々しいのはその両足だ。治癒魔法をかけた上で包帯を巻かれているはずだが、その太腿からはじっとりと赤がにじんでいる。よほどの深手を負わされたのだろう。

「オットーくん、傷の具合は?」

「治るまでちょっと歩くのに難儀しそうですが、それ以外は目立った外傷はありませんよ。……状況だけならエミリア様の方が厳しかったはずなのに、僕の方が重傷なのがなんとも情けない話ですが」

「そんなことないわ。一生懸命戦ってくれた結果なんでしょ? オットーくんは戦うのが仕事じゃないんだから、ひどいことにならなくてよかった」

「内政官って仕事にまともな常識があるの、今のところエミリア様だけですよ」

「え?」

 しみじみと呟くオットーに、エミリアは不思議そうな顔で首を傾げた。
 それはさておき、スバルはオットーの負傷した状況の詳しい説明を彼に求める。本来、オットーは都市庁舎に残り、司令部で各地の報告を待っているはずだったが。

「庁舎の倒壊に巻き込まれて、ってケガじゃないんだろ? アナスタシアさんの話じゃ、庁舎に残ったのはアナスタシアさんとフェリスと、アルって話だし」

「残った三人が具体的に何をしたか、までは僕は知りませんよ。僕は庁舎を出て、水路街ってところでその……『暴食』とぶつかりまして。それでこの様です」

「『暴食』……あの野郎か。クソ、『色欲』といいどこまでもおちょくりやがって」

 憎き仇敵の名前を聞かされて、スバルの内心が煮えくり返る。
 自分たちで用意した状況、その前提をことごとく嘲笑って覆す魔女教の悪意。制御搭を無視した奴らの振る舞いは、舞台に乗ったこちらを馬鹿にしている。

「幸い、フェルト様と『白竜の鱗』の皆さんのおかげでどうにか撃退はできました。とはいえ、ベアトリスさんがいなかったら結果はわからなかったですけどね」

「劣勢も劣勢、見ちゃいられなかったかしら」

「うんうん。すごーくありがと」

 小さく胸を張るベアトリスを、エミリアが優しく撫でている。
 そのやり取り自体は微笑ましいが、スバルが気になるのはオットーの行いだ。『暴食』との遭遇戦の結果はともかく、そもそもどうして庁舎を出たのか。
 『色欲』迎撃のための編成から外れても、それなら避難所にこもっていればいいだけの話。避難所を出て、都市を出歩く必要がない。

「魔女教の要求にあった……とある本の確保を優先しまして」

 スバルの疑問を察して、オットーが静かにそう言った。
 魔女教の要求にあった本、と彼が濁したのは、スバルの後ろで話を聞いているエミリアに配慮したからだろう。その気遣いにスバルは頷き、

「復元術士の、なんちゃらさんのところか」

「ダーツ氏ですね。彼に復元の依頼したことは誰にもわからないはずですが……念には念を入れて回収しようと。結局、ダーツ氏のところにいく前に『暴食』と遭遇して、こんな結果ですが」

 オットーが庁舎を出て、魔女教の脅威がひしめく都市を回った理由がわかった。またしても彼は、スバルの行き届かないところを埋めようとしてくれたわけだ。
 庁舎への襲撃も、『叡智の書』の回収も、とことん考えが足りていない。

「一言、相談しろよ、そんぐらい。友達なんだろ」

「エミリア様がさらわれて、おまけに都市の命運まで英雄みたいに背負わされて、その上でまた厄介な荷物を乗っけろと? 御免です。僕は自分の友達に、そんな馬鹿みたいな押し付けばっかりするつもりはありません」

「けっ」

 軽口のつもりが、存外に嬉しい言葉で返されてスバルは喉を鳴らす。そんな二人のやり取りを見て、エミリアとベアトリスは顔を見合わせて深い吐息。

「素直じゃない奴らかしら」

「それが二人らしいと思うけどね。でも、それならその本……? それを回収してくるのは私たちがやった方がいいわね。えっと、どこに……」

「あー、それは俺がやるよ。もしくはガーフィールにお使いさせる。エミリアたんはあんまり、その本のことは気にしないでくれ」

「そう?」

 『叡智の書』に関して、あまりエミリアに触れさせたくはない。
 福音書の上位互換であり、魔女の遺した遺物の一種でもある。極力、それらとエミリアを近付けないのは、スバルの中の静かな決意の一つだった。

「しかし、『暴食』と出くわしたのはフェルトと『白竜の鱗』か。白い傭兵たちはともかく、フェルトの奴もどっかに隠れてたんじゃなかったのかよ」

「だけど、あの子が大人しくしてるところ、あんまり想像できないかも……」

「それは同感」

 フェルトたちはラインハルトの父親――ハインケルを拘束し、見張っていると聞かされていた。故に制御搭の奪還には参加していなかったはずなのだが、そんな判断が通じる相手でもなかったというわけだろう。

「で、そのフェルトは?」

「消耗はしてましたが、これといったケガはなかったので。今は連れてきた従者の回収に避難所は飛び出していきましたよ」

「トンチンカンか。話聞くと、意外とうまくやれてるみたいだな、あの連中」

 良くも悪くも印象のある三人組だが、無事に越したことはない。一度は殺された関係ではあるが、いつかきっちり仕返しした上で水に流すとしよう。
 ともあれ、あの陣営の無事も確認できたのは収穫だ。『叡智の書』関連のタスクはあとで片付けるとして、次なる問題があるとすれば――。

「ナツキさん。――隣の避難所に、ご注意を」

「隣の避難所……?」

 考え込むスバルに、オットーが小さな声でそう言った。その響きに込められた不穏な感情に、応じるスバルの声も自然と小さくなる。
 そのスバルの反応に、オットーは小さく顎を引いた。
 そして、

「大罪司教の一人が、そこで捕縛されています」


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「なんじゃ、貴様か凡骨。よくもまあ、そうも景気の悪い面を妾らの前に出せるものよな。その図々しさ、呆れを通り越して感嘆に値するぞ」

 野戦病院と化した避難所を出て、オットーの言葉に従って一つ隣の避難所へ。
 先の避難所に比べると、その避難所の規模はかなり小さい。さっきまでの避難所がデパートの駐車場ほどもあったとすれば、この避難所はせいぜい駐輪場だ。
 避難にしても目的が違うのだろうなと、ぼんやりとした所感を抱いていたところ、建物の入口に陣取っていた赤い女がそう声をかけてきたのだった。

 女の名前はプリシラ・バーリエル。
 都市に集った王選候補者の中でも、とびきり協調性に欠ける際物だ。

 とはいえ、そんな彼女であっても今回の事態には心強い協力者であったことには違いない。その上、プリシラが担当したのは詳細不明の怪人、『憤怒』シリウス。
 見事にその脅威を撃破して戻った手腕、素直に称賛すべき結果だ。

「お前が俺の面を気に入らないってのは個人の主観だからいいとして、とりあえずお互いお疲れさんだ。無事に戻ったみたいでホッとしたよ。お世辞抜きで」

「妾という個人の主観が、世界でもっとも尊ばれるべき美醜の感覚よ。それに言わせれば貴様なぞ評価にも値せぬが……まぁいい。ただし、今の妾を見て無事などと口にする節穴ぶりには擁護の言葉もないがな」

「ああ? ケガとかあんの?」

 建物の入口、即席の座椅子に腰掛け、扇で自らを煽いでいるプリシラ。その彼女の肢体の上下を眺めてみるも、外傷らしい外傷は見つからない。
 否、外傷がないどころの話ではない。プリシラの白い肌には傷一つなく、彼女が身にまとうドレスにすら埃や汚れの一点も見当たらない。しいて、奪還戦の前と今とで違いがあるとすれば、首元のアクセサリと解かれた髪の毛ぐらいか。

「首輪と髪留め、どこかになくしたの?」

「ふん。見る目のない凡俗こそ連れておっても、女であれば気付きもするか。首輪、などと間抜けな言い方は気に入らぬがな。業腹にも持っていかれたのじゃ」

「無事じゃないって、マジにアクセサリのことかよ……」

 エミリアの素朴で悪気のない言葉に、プリシラは鼻を鳴らして答える。
 確かに今の彼女は、豪華な宝石付きの首飾りも、橙色の髪の毛をまとめていたこれまた華美なバレッタも失っている。普段はまとめている髪の毛を下ろすと、これでまたさらに匂い立つ色香が増すのだから罪な女だ。
 もっとも、プリシラの艶は毒花の持つそれに近しい。近付けば刺される。

「そんで刺されるのは御免、と。お前はなんでわざわざ、こんな避難所に? 見張りを買って出るほど殊勝な性格だとは思わなかったんだが」

「たわけ。妾がそのような下々の雑用に従事するはずがなかろう。妾とてこのような場は本意ではないが、今の妾が人前に立つのは美意識が許さぬ。折衷案として人目を避けたわけじゃ。それに、アルがどうしてもというのでな」

「本人がいたら大慌てで否定しそう」

 鉄兜の大げさな否定を空目しながら、スバルは避難所の入口に目を向ける。件の鉄兜は見当たらないが、こっちの避難所にいるとは聞かされている。つまり、彼がいるのは外ではなく、建物の内側――大罪司教の傍らだ。

「アルは、中で見張ってるってことか?」

「そうじゃ。あのような醜悪な輩、放置しておけば何をしでかすかわからん。故にアルに見張らせておる。奴ならばうまくやるであろうよ」

「……殺そうとは思わなかったんだな。それが意外だ」

「やりたければやるがいい。妾は止めはせぬ」

 受け答えに退屈を感じたのか、プリシラが扇で口を隠しながら欠伸をする。それがスバルの問いかけへの、無関心という彼女なりの表明なのだろう。
 建物の中に入ることを止める素振りもない。スバルは避難所の入口を見つめて、かすかに鼓動の速まる胸に手を当てる。

「スバル、もしも入るのが怖いなら無理しなくても……」

「そうなのよ。得るものがあるとは思えないかしら」

 足の止まるスバルに、エミリアとベアトリスがそれぞれ優しく意見する。二人の配慮に甘えてしまいたい気持ちはある。しかし、その考えが首をもたげた途端、スバルは目の端でプリシラの酷薄な眼差しがこちらを見るのに気付いた。

 スバルの迷い、躊躇などの全てを、退屈な茶番を見なしている眼差しだ。
 退いても進んでも、プリシラのスバルに対する評価は変わるまい。厳しすぎるぐらい最低評価を付けられたままのスバル、それは構わない。
 構わないが、スバルと一緒にいる二人までそう評されるのは御免だ。

「いくよ。どっちにしろ、逃げててどうにかなる問題でもない」

「――――」

 決断するスバルに、二人は肯定も否定も意見しない。ただ、その意思を尊重するように隣に立ってくれるだけだ。
 そうして二人を引き連れて、スバルは薄暗い避難所へと足を踏み入れた。プリシラはもはや、こちらの背を見送ってすらいない。らしい、といったところか。

 コツコツと乾いた足音を立てて、石造りの建物の中を進んでいく。すると、程なく通路の突き当たりが見えて、左に折れる道の先に、

「――兄弟か。姫さんの声が聞こえたから、誰かと話してるたぁ思ったがよ」

 通路にしゃがみ込んで、青龍刀を肩に担いだ鉄兜――アルが待っていた。彼は連れ立ってやってくるスバルたちを見ると、エミリアの方に意識を向ける。

「へえ、嬢ちゃんも無事だったみてぇじゃんか。よくやるぜ、兄弟」

「エミリアたんの無事はクリアの最低条件だったからな。お前の方こそ、色々大変だったって聞いてるぞ。特にプリシラの無茶ぶりがすごかったって」

「ああ、まったく本気でな。さすがに今回ばかりはオレもどうかと思ったぜ。いや、大抵いつもどうかと思ってっから説得力はねぇんだが」

「でも、アルはそれを嫌がってるようには見えないけど……?」

「――――」

 主であるプリシラ、その愚痴のようなものをこぼしかけたアルが、悪気のないエミリアの言葉に出鼻を潰された。兜に隠れて見えないが、その向こう側でアルが口をへの字にしているのが見えるような気さえする。
 実際、周囲を振り回してばかりのプリシラの、それでも従者を望んでやっている男なのだ。そのあたり、余人にはわからない関係性が彼らにはあるのだろう。

 アルはしばし、一杯喰わされたような雰囲気で首をひねり、青龍刀の峰で自分の肩を叩いていたが、ふいに視線を通路の奥へ向けると、

「ここまできたってことは今さらだけどよ。……大罪司教と話にきたのか?」

「他の目的があると思うかしら? わざわざ見張りのお前と世間話にくるほど、ベティーたちは時間を持て余しているわけではないのよ」

「辛辣だね、この幼女。そうカッカすんなよ、ベア子……と」

「――――」

 ベアトリスの冷え切った鋭い視線に、アルが白々しく首を横に振った。そのまま身長差も無視して掴みかかりそうなベアトリスを引き留め、スバルは不必要な挑発をくれたアルを睨みつける。

「お前がなんとなくご機嫌斜めなのは察してるけど、頼むから挑発すんな。ベア子も乗っかるな。大人の威厳で対応しろ」

「ベティーがその呼び方を許すのはスバルだけかしら。次に同じ呼び方をしたら、世にも恐ろしい報復がお前を待っているのよ」

「へいへい、わかってるよ。つれないったらねぇ」

 言いながら、アルは廊下の端に寄って道を開ける。真っ直ぐ、通路の奥へ進めば扉が見える。そこにおそらく、大罪司教が捕まっているはずだ。
 にわかに、スバルの首の後ろがピリピリと緊張感を訴え始める。

「大罪司教は奥だ。悪さはできねぇように拘束してあっから、とりあえず殺し合いにはならねぇと思うぜ。――その上で、一個だけ忠告しとく」

「忠告?」

「兄弟も嬢ちゃんも、その精霊も。話なんてしねぇで帰った方がいい。関わったっていいことなんてねぇよ。放置して帰んな」

「……そんなわけに、いくかよ」

 声の調子を落として、真剣な響きの込められた真摯な意見。その言葉に首を横に振って、スバルはそれはできないと提案を拒否する。
 そしてスバルのその答えに、アルは「だよなぁ」とため息まじりに言った。

「オレが何言っても信憑性が薄いって話じゃねぇもんな。今回、ここでオレが態度悪かったのは言い訳のしようがねぇしよ」

「別にそれが理由じゃねぇよ。お前が協力的じゃなかったのは、まぁ事実だけど、別にそれで聞けないって言ってるわけじゃねぇ。勘違いすんな」

 やけに自罰的なアルの言葉を注意して、スバルは通路の奥の扉を指差す。その奥にいる奴に用があるのは、他でもないスバルの勝手だ。
 その意思が伝わったのか、アルはその場にどっかりと腰を下ろした。そうして、首だけで奥の扉を示しながら、

「話してる間、自分を見失わねぇようにな」

「OK、もしもなんかあったら遠慮なく助けてくれていいぜ」

「そんときゃ姫さん送り込むから、何があっても成仏してくれや」

 最後にらしい会話を交わして、スバルたちはアルに見送られて扉へと向かう。閉め切られた一室へ続く扉には、奇妙な圧迫感を思わせるものが漂っている。
 ここへきてまごついていても仕方ないと、割り切ってスバルはドアノブを握り、扉を力強く押し開けた。

 ――狭く、埃臭い空気の漂う部屋だった。
 光源が少なくて薄暗く、避難所としても最低限の体裁しか整えられていない。五人も六人も詰めればいっぱいになってしまう狭い部屋で、息苦しささえ感じる。
 そして、そんな部屋の中心に、

「――あは。きてくれたんですね、あなた。わざわざごめんね? ありがと」

 古びた椅子の上、全身を鎖で雁字搦めにされた怪人――シリウスが待っていた。

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