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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第五章 『歴史を刻む星々』

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第五章66 『リリアナ・マスカレードの舞台』



「ぐおおお! ヤバい! この火ってめっちゃメラメラ! めっちゃメラメラ! 普通の火の七倍熱い! これに焼かれたら七倍苦しんで死ぬ!」

 目の前に突き立つ白い炎の壁! 触れても焼けずに、熱だけ与えてくるみたいなわけわからんちんな火なので、ぶっちゃけたこといえば熱いのさえ我慢すれば突破できないこたぁない見せかけのこけおどしです。
 なので、それにビビッて押し寄せてこれない群衆の皆々様に実態がばれないよう、私は懸命に火が燃え移ったのに悶え苦しむ人のふりをしながら、とにかく四方の水路のことごとくに炎の危険性を訴えて回りました!

 まぁ、かなり正気が危うい皆さんであっても、本能的に火がマズイものって意識は残っていたご様子でしたので、私の決死のパントマイムも無駄っちゃ無駄なのかもしれませんが、そうでもしませんと間がもちませんし!

「プリシラ様は歌って踊って魅了しろなんて簡単におっしゃいますけどぉ」

 正直なところ、魅了してやるぜウリリィィィ! なんて気持ちで歌い出したらそれはもう完全に邪まなので、そもそも歌の理念に反するわけですよ。
 一生懸命に歌った結果として、聞いてくださる方の胸に訴えかけるものがあるのであればそれは自然の摂理。そしてその自然の摂理に感じ入るものがあって、ちょっと心付けしてもらえたりなんかしたらお互いに幸せな優しい世界なわけです!

 まず、最初に心付けありきで始めれば、そりゃ下心が歌にも乗りますよ。そして下心が乗った歌は、私の望むところではありません。
 なのでこの計画、最初から破綻しているといえばしているのですがっ!

「思えば短い人生ながら、波瀾万丈の日々を過ごさせていただきました。お父様お母様、これも勉強だ独り立ちだと十三のときに放り出され、世間の荒波に投げ出されたときは恨みもしましたが、今では可愛く産んでくださったことに感謝しかありません。甚だ親不孝な娘ではございましたが、お二人への感謝と憤怒の腹筋は日課として欠かしたこととがなく……げ! ぎゃあああ! 熱い熱い熱い、常夏ッッッ」

 両親への感謝とあれこれを綴っている最中に、炎の壁の向こうからこっちにきそうな気配を感じて灼熱演舞再開、空気を読んでほしいんですが!
 でもでも、この迫真の演技もそう遠くないうちに暴かれますよ。そして暴かれてしまえば、プリシラ様の極々短い堪忍袋の緒を押さえる手段がありません。
 やっぱりダメだぁ! おしまいだぁ!

「あらあら、ご覧になる余裕はありますか? あなたが期待をかけたあの子、途方に暮れた顔をしていますよ? あの子の心を占める悲哀と徒労感、それが手に取るように感じられます。しくしくと痛んで、可哀想とは思いませんか?」

「微塵も」

 頭抱えて終わりまでの秒読みを始めている私を余所に、燃え盛る水路に囲まれた広場の中央で、プリシラ様と怪人シリウスの激突と対話は継続中です。
 といっても、対話はもっぱらシリウスの穏当な語り口に対して、プリシラ様が聞く耳持たずにバッサリとぶった切る流れがお約束! そんでもってシリウスの方も喋り方はともかく、その両腕の鎖をぶん回す姿は欠片も穏やかじゃありません。

 風を切り、大気を薙ぎ、振り回される鉄鎖の軌道は変幻自在! のたくり、跳ね回り、前後左右からプリシラ様を強襲する鉄の蛇の咢!
 鎖が伸び縮みする音がうるさいぐらいに連鎖し、私の目にはプリシラ様が鎖の牢獄に閉じ込められたように錯覚するほど隙が見えません。

 鉄鎖の直撃を受けた石畳は無残に爆ぜ、抉れ、削れてその威力を物語ります。まともに肌に喰らえば、まさに蛇の牙と舌になぞられたみたいに二目と見られない有様と成り果てるでしょう! プリシラ様のように白く美しい肌の持ち主となれば、その残酷さはいっそう際立つといっても過言ではありませぬ!
 なのになのに、プリシラ様ったらその鉄鎖の猛攻を――!

「小うるさく品のない騒音、無闇矢鱈に当たり散らす節操のなさ、美意識の欠片も感じられん粗末な得物、薄っぺらで聞くに堪えない雑言……よくもまぁ、これだけ妾の癇に障るもてなしばかり用意できるものよ。その不敬、いっそ感心じゃ」

「プリシラ様すっげええええ!!」

 四方八方、やたらめったに乱れ撃ちに迫る鎖を、プリシラ様は退屈そうな顔をしたまんまで陽剣振り回して迎撃します。前とか横とか上とか下とかはともかく、見てもいない後ろとかどうやって弾いてんですか、アレ。
 おまけに陽剣の持ってる特別な力なのかわかんないですけど、陽剣に弾かれるたんびに鎖の接触部分が白く焼けます。その火力が半端なくて、鎖が一瞬で焼き切れてどんどん短くなる! あれ繰り返してたら鎖の残機尽きますよ、きっと!

「へいへいへーい! プリシラ様、そのままやっちゃっちゃくらさーい!」

「それ見よ、あれがいっそ取り繕うのを忘れた素直な感想というものじゃ。あそこまでさらけ出すのも余人には難しかろうが、つまらぬ小理屈をこねくり回されるよりはよほど快い。まぁ、アレは世界に一人でいいと思うがな」

「あれ!? 今の褒めた、褒めたんですよね!? 褒めたってことでいいですね? 喜びますよ!? よっしゃやったバンザーイ!」

 今さら褒められてないって注意されても、もう喜んじゃったから遅いんで!
 私の声援を受けて、プリシラ様もさらに勢いが増します。ずんずん前進して、ガンガン鎖を焼き切ります。さすがにその威圧感には大罪司教『憤怒』怪人も気圧されて、もはや切り刻まれるのを待つだけ! 調理台の上のお芋!

「って、プリシラ様ズンバラリしたらダメですよぅ! それされると、私たちも丸ごとズンバラリってされてしまうはずででで!?」

「む、そうであった。興が乗りすぎた」

 あっぶな! 今、私が止めてなかったらあの人、ズバッていく気だった!
 押し込まれたシリウスが、プリシラ様の足が止まった隙に大きく後ろに飛びます。っていうか、プリシラ様の規格外さもアレですが、それとやり合うあっちもさすがは大罪司教というか、人間ってあんな風に動けますのん?

「これだけ言葉を尽くしているのに、こうまで頑なに心を開かない方も珍しいですよ。いったい、あなたの心をそうまで固く閉ざす原因はなんなのでしょうね」

 一度、距離を置いたところでシリウスが自分の両腕を眺めながら言います。すっかり短くなった鎖ですが、怪人が軽く腕を回すと音を立てて長さが復活。どうやらまだまだ腕にはぎっちりと巻いてあるようで、鬱血とかしないんですかね。

「誰にでも、多かれ少なかれ心には隙間があります。生きている限り感情があり、そこから覗く感情の色は何色であれ誰もが持つもの……あなたが強固に抱き続けるそれだって、さらけ出してみれば理解を得られるものに違いありませんよ?」

「――――」

「あなたにも悲しむ心があり、惑う感情がある。弱味を見せないことは強く在る条件の一つですが……それは独りで辿り着く境地でしかありません。人は一人でできることには限界がある。他者と繋がり合うことで初めて、見える頂もある。その場所を他者を見るために、必要なのは共感、分かり合うこと」

 黙り込むプリシラ様に、シリウスが体を揺らしながら語りかけます。
 その声音は心に沁み入るように。その態度は親しげに親身になるように。その仕草は他者の警戒を優しくほどくように。その言葉の内容は魔に引き込むように。
 ゆるやかに溶かす甘い毒のようなのに、私の手足まで痺れるみたいで。

「私に、あなたが他者と分かり合うためのお手伝いをさせていただけませんか? 本当のあなたは愛が深く、そして世界を愛している。愛されることを望んでいる。私にはそれがわかります。それを私以外の人にもわかってもらいたい。決してあなたが一人で、心細い夜を過ごさずに済むように」

「よくもまぁべらべらと、妄想と憶測を恥ずかしげもなく喋れる。自分の発言に疑いが欠片もないのであれば、まさに貴様こそ狂人よ」

「まあ、ありがとうございます。それは私の夫にこそ相応しい呼び名。あの人の素晴らしさを微塵も理解できない咎人が、あの人を妬み嫉み羨んで口走る妄言」

「話にならんな。妾のものは妾のものよ。貴様の物語った戯れこそ妄言そのもの。貴様に妾のことなぞ、上澄みすらも掬わせぬ」

 甘く痺れる提言を、プリシラ様は自我の強さではっきり跳ね除けます。が、自我の強さはシリウスも負けてはおりません。プリシラ様の反論を予想していたみたいに、怪人は首を傾げながら、

「上澄みすら掬わせないとは、強情もここに極まれり……ですね。でしたら、こんな趣向はいかがでしょうか? 『アイリスと茨の王』」

「――――」

「それとも『ティレオスの薔薇騎士』? 『マグリッツァの断頭台』?」

 シリウスが口走ったそれぞれの言葉、その意味が私にはわかりません。怪人が何の目的で、それを口にしたのかその狙いも。
 ですが、その効果は覿面でした。

「――死ぬがいい」

 囁くように言ったと思った瞬間、プリシラ様の姿が視界から消えました。
 え、となったときには、プリシラ様とシリウスの間にあった距離がゼロに。プリシラ様は陽剣を振りかぶって、軌跡は容赦なくシリウスの首を狙います。驚くほど世界がゆっくりになって、私にもプリシラ様の剣の流れる軌道が見えて。
 それをただなぞるだけで、シリウスの細い首が撫で斬られると。

 そうなってしまえば、私の首も、周りのいる方々の首も同じく飛ぶ。
 ひょっとして、それがわかっていたからゆっくりに見えるのでしょうか。ほら、目の前に命の危険が迫ると、人間ってすごい集中力が働いてメチャクチャ世界がゆっくりに見えるっていう、アレなんじゃないでしょうか。

 でも、だとしたら、自分の命の天秤が他人に傾けられる状況で、私や私以外の大勢の人に何ができたっていうんでしょうか。
 そのまま陽剣の赤い輝きは、大気を決められた通りに流れて――。

「――ぇ?」

 目の前の光景に、私の理解が追いつかずに間抜けな声だけが漏れました。
 その声を漏らす、私の首はいまだにこの小さい胴体にちょこんとついています。当たり前です。首は斬られませんでした。私のものも、シリウスのものも。

 代わりに、シリウスへ飛び込んだはずのプリシラ様の体が大きく弾かれます。
 真正面からシリウスの鉄鎖の迎撃を受けて、危うげな姿勢で真後ろへ。

「プリシラ様!?」

 明らかに自分で飛んだとは思えない姿勢に悲鳴が出てしまう。
 プリシラ様がやられたら形勢は取り返しのつかない不利、なんて打算が浮かぶ暇もないぐらい、純粋にマズイと思ったことの叫びでした。ですが、プリシラ様は空中でくるりと後方に回転、そのまま陽剣を石畳に突き刺して勢いを止める。

「騒ぐな、まともに喰らってなぞおらん」

 私の悲鳴にそう答えて、プリシラ様が高い靴音を立てて着地。でも、変化はそのすぐあと、プリシラ様の首飾りに起こりました。緑色の三つの宝玉が嵌め込まれていた首飾りですが、その宝玉の一つがふいに砕け散ったのです。
 まるで今のプリシラ様の受けた攻撃、それを肩代わりしたみたいに。

「……妾の首飾りの返礼、高くつくぞ」

「なるほど。自分にとって価値あるものに、自分の傷を肩代わりさせるのですか。それはひどく『傲慢』な在り様……いえいえ、まさかまさかですね」

「下種の勘繰り、邪推の極み、無礼もここまで重ねられれば万死であっても贖えぬ。貴様の死に方は、焼かれても焼かれても終わらぬ灼熱とする」

 あくまで余裕の態度が崩れないシリウスに、プリシラ様は怒り心頭。手にした陽剣の輝きが光を増すっていうか、熱が増してますか? プリシラ様の御姿が私の位置からもゆらゆらと、暑い日差しの日中みたいに揺らめいて見えます。
 それを見てると、プリシラ様が負けそうになるなんて到底思えないのですが……さっきの不可解な現象があります。

 なんだかわけのわからない言葉で、プリシラ様を挑発したらしい怪人シリウス。プリシラ様はまんまとその挑発に乗っかって突っ込んでしまったわけですが、その動きが見え見えだったから正面から迎撃された――というわけではありません。
 いえ、私の素人意見ですし、私にはプリシラ様がちょっと消えるぐらい速く動いたように見えたけど、シリウスにはそうでもなかったんじゃないんですかぁって言われたら否定はできないんですが、そうではないはず。

 だって、陽剣を叩きつける瞬間、プリシラ様の動きが止まりましたから。

 止まったように見えた、なんて集中力の話の再来で表現することがありますが、それとはまた違う意味で、もっとはっきりと完全に止まった気が。
 あんな不自然な体勢で止まるようなこと、プリシラ様の意思とは思えませんし、それに人間が意図的にできるものとも思えません。となると、あの停止にはなんかよくわからん系の力が働いていると見ましたが、いかがなもんでしょうか?

「そうカンカンに怒らないでください。あなたは常に何かに怒っているように見えますけど、そんなの疲れるし、心が渇いていくばかりでしょう? 『憤怒』だなんて、この世でもっとも忌むべき感情の墓穴ですよ。人の心は感情ありき……それならその心には常に喜びで、喜楽でこそ満たされているべきなのです」

「そ、その持論のわりには外にいる皆さんはあんまり楽しそうじゃありませんがーがーがー」

「ふうん?」

 あれ!? もしかして、今の声に出てましたか!?
 怪人シリウスが私の方をジッと見まして、その包帯の隙間から見えるギョロ目でがっちりと絡め取ります。うひええ、しまった、藪蛇にカンチョーした!

「そうですね、外の皆さんの心は今や不安と悲嘆に支配されています。これも悲しいことですが、人の心が慈しみと他者への愛に満たされている結果なのです」

「な、なんですとぅ?」

「私の権能の影響下に入ると、人はその胸襟を開いて心で通じ合うことになります。すると、抱え込んで言葉にできない感情も見せ合うことになる。人は共感し、感情移入することができる尊い存在。他者の心を慈しみ、悲しみを見れば自らの心にも悲しみが生まれ、そしてその悲しみを見た人の心にも新たな悲しみが芽吹く。それを繰り返すうち、悲しみの滴は池になり、湖になり、大河へ変わるのです」

 すげえこと言い出しましたよ、この人。
 つまり、人がたくさん集まれば集まるほど、この人の傍だと極端に感情が増幅されてヤバいと。都市中の皆さんがいっぺんに全員、怒り狂ったり泣き崩れたりしてたとこのカラクリはそういう仕掛け……ただ、心不安定にするだけじゃないんだ。
 それを分かり合うだなんて、この人はのたまうんだ。

「それを憐れに思うのであれば、貴様が率先して衆愚を救えばよかろう。そうせずただ嘆くばかりならば、凡俗どもにあってもただ耳障りな説法と変わるまいよ」

「ええ、その言葉はわかります。私も自分の無力さに、打ちのめされる一方です。ですけれど、今の悲しみに包まれる皆さんを救う手立てが私にはあるのです!」

 名案、と言わんばかりに晴れやかな声でシリウスが手を打ちました。
 怪人の名案が事態を好転させる気配はまるでありませんが、私もプリシラ様も口を挟みません。プリシラ様の内心はわかりませんが、私の内心は荒れていました。
 言葉にならない感情で、渦巻く胸が今、熱い。

「今、悲しみに溺れる皆さんを救う方法……それは喜びで、幸せの感情で悲しみを押し流すこと。つまり、救いの発信源となる私が幸せになることです!」

「――――」

「なんとなんと、この都市には一時的に離れ離れになっていた私の夫がいます。夫との、あの人との愛を確かめ、取り戻すこと。円満な夫婦の関係は幸せの象徴。その喜びに胸を膨らませる私がいれば、悲嘆に暮れる全員を救済できます。幸せを分かち合うことで、全員の心は救われることでしょう!」

 シリウスが何か言っていて、プリシラ様が白けた顔をしていて、それを眺めながら私もまた私で色々と考え事をしていました。
 今回ばかりは私も、この状況から現実逃避して素知らぬ顔でふーらふらとしている場合じゃないことはわかってます。というか、わかりました。徹頭徹尾、あの怪人シリウス・ロマネコンティが、私たちの敵であることが。

「――――」

 顔を上げて、私は燃える四方の水路を見渡します。白い炎の壁の向こうには、水路を乗り越えられずに足踏みする人々の影。全員が望まぬ感情に振り回されて、自意識を見失っていいようにされているわけで。
 さながら亡者のような人たち、その声が私には聞こえるのです。

 私の耳は特別製ですから、吟遊詩人として声と耳ばかりは自慢ですから。その人たちの声が、私には延々、延々と木霊しているのです。

 ――怖い、悲しい、助けて、辛い、どうして、なんで、嫌だよ。

 怨念が渦巻くかのように、慟哭が途切れず続くように、声が聞こえるのです。
 アレを、分かり合えた結果と呼ぶのでしょうか。一つになった結果であると、いうのでしょうか。一体感とは、そういうものじゃないでしょうが。

「解放、しなくちゃ……」

 一つになるってのは、何もかも同じになるってことと違うでしょう。
 男も、女も、大人も、子供も、赤ん坊も、ご老人も、人間も、亜人も、いくらでもたくさん大勢、違う人間ばっかりだっていうのに。
 それ全部ひとところに押し込んで、ぐっちゃぐちゃに混ぜ合わせて、「これでみんなが分かり合って一つになりましたー」なんて、冗談じゃぁないんです。

 冗談じゃぁないんですよ!

「貴様が幸せになる必要なぞない。早々に猪口才な能を解き、独りきりで死ね」

「嫌ですよ。分かり合えないなんて孤独で自分を慰めるのはやめましょう。もしもあなたが幸せの形のわからない人なら、私の幸せを見てみるのも悪くないのではありませんか? あるいは想い人と結ばれる喜びを知れば、花嫁になる喜びを理解することもできるのではないでしょうか」

「生憎と、妾はすでに七度、その花道を歩いておる。いずれも幸せなどとは程遠い。つまらぬ物差しに妾をかけるな、反吐が出る」

「七度……へえ……」

 戯れ言と切り捨てるプリシラ様は、シリウスの言葉を上からねじ伏せて陽剣を叩きつけます。が、シリウスも鉄鎖の猛攻でそれを迎え撃つ。激しく火花が散り、焼き切られた鎖が吹き飛び、衝撃に二人の体は広場の中を飛び回る。

 焼き切られた、鎖。白く燃える、燃やさない炎。声の届かないまま、嘆く人々。
 私の中でゆっくりと、それが噛み合っていきます。できる、のでしょうか。
 想像が確かなら、合っているなら、できないことは、ないはず。

「私がたった一人のあの人と、心から結ばれるのにこれだけ時間をかけているのに……あなたは七度も機会があって、それをことごとく不意にしてきて」

「己の魅力のなさを妾のせいにするでない。その分じゃと、貴様に想われる哀れな男とやらも、貴様を見ていることなどあるまい――」

「私とあの人は深く結ばれて、愛し合っている――ッ!!」

 ビクッと、思わず肩が跳ねるような怒声。
 その直後に広場を縦断するのは、赤々と膨れ上がる炎の蛇! シリウスの両腕から放たれた鉄鎖をプリシラ様が剣で受けた瞬間、シリウスの腕の方から鎖を伝って炎が突き抜け、すさまじい業火がプリシラ様の体を呑み込んだのです。

 炎の蛇が口を開き、プリシラ様の細い体に頭から食らいつく。プリシラ様はその超火力に為す術もなく呑まれ、火炎の晴れた広場に投げ出されました。そのまま横倒しになりそうなところを、とっさに剣で支えるのはさすがの矜持。ですが、さすがに今の炎を浴びたらプリシラ様にも被害が、ない。
 でもまた音を立てて、首飾りの宝玉が砕けます。同時に二個、首飾りの繋ぎ目がひび割れて、音を立てながら地面に落ちました。

「私とあの人は深く愛し合っている! 律義で誠実なあの人は、自分が始めたことだからやめることなんてできないでいるだけだ! そのあの人の誠実さを、無辜の愛だと勘違いする淫売が多すぎる! ああ! あああ! 煩わしい!」

 また首飾りを犠牲に生還したプリシラ様ですが、それと向かい合うシリウスの態度が豹変。怪人は牙を剥き出すようにして口を開け、暴力的に口汚く当たり散らしだします。そしてその両腕には、紅蓮の炎が渦巻いていました。

「どうしてお前たちは、そうまでして私の心を無遠慮に揺さぶる! 心震わす激しい感情、『憤怒』すなわち激情! 震えは熱になり、罪人を咎ごと焼き焦がす! お前もそうされたいのか、この独りよがりめがぁぁぁ!」

「どの口、どの目でそれをほざくか……っ」

 嫌悪する『憤怒』に自分をこそ焼きながら、腕を振り上げるシリウスの頭上に炎の渦が浮かび上がる。さっきのは片腕で一本ずつ、細い首の二匹の炎蛇。そうだったものが両腕の交差に準じて、一本の強大な炎蛇へと姿を変える。

 一直線に腕が振り下ろされて、巨大な炎蛇が石畳を焼きながらプリシラ様へと一気に飛びかかりました。プリシラ様、それに対して避けるんじゃなく受ける構え。
 陽剣を下から突き上げて、その剣先が大きさの違いすぎる蛇の頭を殴りつける。剣と鎖の激突とは思えない音がして、炎蛇の狙いが大きく逸れる!
 でも、プリシラ様もその威力に吹っ飛ばされて追撃は無理!

 シリウスが激昂して、炎の蛇が飛び回るようになると急激に攻守が逆転。プリシラ様が防戦一方に追い込まれて、飛び回るその姿を鉄鎖と炎が追い回す展開に。
 なぜ、どうして? いえ、もちろんシリウスの強さが半端ないのは見ていてわかるんですが、序盤の優勢を考えたらプリシラ様が劣っているとも思えない。陽剣が燃費悪いとは日中のお話でしたが、まさかそのツケが回ってきている?

 あるいは、まさか、もしかしてではありますが。
 プリシラ様は攻め手に欠けているんじゃなくて――。

「私かっ!」

 ズンバラリして、私どころか周りのいる人たち揃ってズンバラリ。
 その結末にならないように、時間を稼いでくださっている!? いやでもそんな、あの傲岸不遜で自分本位まっしぐらなプリシラ様がそんなことを!?

『貴様は歌う準備を整えよ。――陽剣の日照に陰りが差せば、妾はどうあろうとあの俗物の首を落とす。そうなる前に、な』

 そのとき、私の脳裏に激震が走る!
 この戦いが本当に始まるその直前、プリシラ様は私にそう言った。言いました。

 陽剣の限界がくる前に、私に歌う準備を整えろと。そのときがきたら容赦なくシリウスの首をズンバラリして、お前らもみんなズンバラリだぞと。
 でもそれはつまり、そのときがくるまではズンバラリしないで待ってるって、私が思うよりもずっと強い意味があったんではなかったですか。
 だとしたら、プリシラ様は待っている。私が歌う準備を整えるのを。

 少なくとも、自分の言った言葉に責任が果たせるそのときまで。

「ぐ、ぐうううん! むううん! むうううううん!!」

 面倒くさっ! なにあの人、面倒くさっ! 好きなら好きって言えばいいじゃん! あの人、絶対に私のこと好きだ。いや、気に入ってるとは言われていたので、ちゃんと言われてた。ああもうチクショウ、やだなぁ、怖いなぁ、仕方ないのかなぁ!

「プリシラ様――ッ!」

 本当に私の思った通り、面倒臭い考えのまま戦っておいでなら、私が何を考えたのかすぐにわかるでしょう。私は今も、シリウスの炎で燃える石塔を指差します。
 私の声に目だけ向けてきたプリシラ様は、その指差しを見て――。

「――ほう」

 あの怖い顔と怖い目で、でも恐ろしく頼りになる顔で嗤いました。
 あまりの邪悪さに、どっちが大罪司教なのかわかんなくなるような顔で!

「余所見なんてしてんじゃぁない!!」

「貴様の相手なぞ片手間、妾の行いに口出しするでないわ」

 叩きつけられる鉄鎖を、後ろへ飛びながら剣の腹で受ける。プリシラ様の体は勢いを増して、一歩だけの跳躍とは思えない速度で石塔のすぐ傍へ着地しました。そのまま燃える制御搭を見上げたプリシラ様が、陽剣の先端を塔の足下に突き刺し、

「不細工な焼き討ちよ。真に美しき灯火は、このようにして輝くのじゃ」

 メラメラ炎に美しさの違いなんて、素人にゃぁわかりません。
 わかりませんが、その素人目でもはっきりとわかるぐらい、さっきまでのそれと違う炎が一気に石塔を、制御搭を包み込みます!

 立ち上り、揺らめく白い炎は水路を焼き焦がすものと同じ。
 シリウスの鎖が作り出す炎蛇もまた、赤々として煌々と光を放つ圧倒的な熱量ですが、陽剣の作り出す炎は触れることを躊躇う神聖さをどことなく感じさせます。
 いえ! もろに触って熱い思いしましたし、触れられないとか今言えませんが!

「舞台は整えた。――せいぜい、励むことじゃな」

「ええい! 合点承知ぃ!」

 制御搭を包む火の手を、また別の炎で覆い尽くしてプリシラ様の一言。私はそれに大見得切ってお答えして、全力疾走で制御搭へと駆け寄ります。
 その様子を眺めていたシリウスが、もう箸が転げただけでも怒り狂いそうな勢いのままに、私たちの方へと両手を向けてきてました!

「私があの人のために焚いた愛の灯火に、何を勝手なことをしてくれる!」

「求愛行動に建物一軒丸焼きなんて、前時代のわかってない領主みたいなこと言い出すのはやめた方がよかろうかと思います!」

 言ってやった言ってやった! わっひゃっひゃーい!

 走りながら言った私の背中に向かって、怪人シリウスの振り被った鉄鎖が一気に落ちてくる気配! 燃える鎖! 熱波! 熱波!
 食らった瞬間、焼ける以前に私の頭なんざ消し飛ぶでしょうが、猛然と走る私は後ろなんて気にして走っちゃぁいません! だってねえ!

「アレが何を仕出かすか、見届けるまでは妾も手を尽くす場面じゃ」

「ちぃぃぃぃっ!」

 走る私と入れ替わるように、鎖の落ちる位置にプリシラ様が着地。頭上を陽剣が舐めるように滑って、降り注ぐ炎の舌を丸ごと薙ぎ払う!
 そのままプリシラ様と怪人シリウスの乱戦が始まる音が、背後からひっきりなしに聞こえてきましたが、私の方もようやく目的の燃える石塔へ到着です。

「っはぁ、はぁ……!」

 そんな距離は走ってないはずなんですが、息は切れるし、体は重いし! 正直なところ、今すぐ冷たいお水を飲んでベッドに寝っ転がりたい。旅の吟遊詩人あるまじきことですが、ぬるま湯の生活に浸りすぎて、もう柔らかい寝床じゃなきゃ嫌だ!

「ああもう、まったく……これも全部、キリタカさんや皆さんのせいですよぅ」

 私をこの都市に引き止めて、なんかスゴイ厚遇してくれて。『白竜の鱗』の皆さんとかも都市の人たちもちやほやしてくれるし、キリタカさんとかもうちょっと私ですら引くぐらい熱心に口説いたりしてくれますし、そのせいで! こんな都市にいたせいで、私はすっかり旅の吟遊詩人の足腰が弱ってしまいました!

 だからもう、ここらでいっちょぉ――足腰の酷使を思い出しますかぁ!!

「ぎ、ぃぃぃぃっっっ!」

 覚悟を決めて、奥歯を噛んで、私は担いでいたリュリーレを胸に抱きかかえて、その燃え盛る制御搭の中へと飛び込む! 熱い、熱い、熱い、熱いぃぃぃ!

「――ぐ、ぎっ」

 思った以上の灼熱が、私の全身にすさまじい衝撃をもたらしてくる。
 それでも、とんでもない熱波なのを感じてはいるのに、肌も髪もリュリーレも、何一つ炎は焼き焦がさない。この炎の熱さは感じるのに、燃えていない。

 水路に立ち上る白い炎に触れたとき、痛みはありましたが燃えていなかった。だから私はこの炎が、さては陽剣のこけおどしなんじゃないかなんて思いました。
 だけど、違った、違ったのです。

 プリシラ様の振るう陽剣は、ぶつかり合うシリウスの鉄鎖は焼き切っていた。同じ炎の剣なのに、焼き切れるものと切れないものがある。
 プリシラ様の炎は、モノを選んで焼いている。それならきっと、焼かないものを選ぶこともできるはず。

「っっっっっ――!」

 だから! この制御搭を包む白い炎は今、私の体を焼きはしない!
 焼けるほど熱いし、死ぬかと思うほど苦しいし、痛みに今すぐここでのた打ち回りたいけど、燃えない、焼けない、死ぬほどじゃない!

 目が溶ける、舌が縮れる、髪が焼ける、肌が爛れる、リュリーレが燃える、骨が爆ぜる、肉が焦げる、意識が吹っ飛ぶ、全部錯覚――!
 熱くない、熱い、熱い、熱い、熱くない、熱くない、熱い、死ぬ、死にたくない、熱い、熱くない、熱い熱い熱い熱い熱いけどぉぉぉぉ!

 制御搭を駆け上がって、一階、二階、これって何階建て!? 屋上どこ!? どこまで炎がきてるの火の手が上がってるの、右見ても左見ても白い炎、熱い熱い、なんでこんな苦しい思いまでして、熱い、必死になって熱い、私が――。

「――――ッ!」

 熱さの限りを叫びたい、今すぐに喉が張り裂けるぐらい絶叫したい。
 絶対にダメ、今のこの苦しさをそのまま叫んだら、間違いなく一発で喉がおしゃかになる。この喉は絶対に差し出せない。指も同じ。掻き毟りたい、どことも構わず手を叩きつけて発散したい。無理、ダメ、指がダメになったら弾けなくなる。

 目もいい、肌もいい、髪もいい、溶けても仕方ない。
 でも、喉はダメ、指もダメ、耳も許さない、全部この先に必要だから。

 階段を踏みしめて、やけに分厚い扉を蹴り開けて、すぐ目の前に夜天の空――風が吹きつけて、足下からぐんぐん熱が上がってきてて、でも壁はもうなくて、ふらつきながら石畳を端っこまで走って、下が見下ろせる。

 風がビュービュー吹いていて、下ではなんか赤い人と白い人が危ないものを振り回していて、白い炎の周りにはたくさんの人が泣き喚いていて。

 私はもう、熱くて、熱くて、今にも死んじゃいそうだけど。
 今も熱さからは解放されたわけじゃなくて、足裏は熱いし、風に煽られると白い炎はますます強まるし、急に悲しさがガンツカガンツカ胸に込み上げてきて、しゃくりあげそうになるけど――。


「ずびっ、ずびびっ……さ、ざぁざぁ、一世一代の大舞台っでやつでふよぅ!」

 熱くて苦しくて死ぬかと思う、そんな思いをしてまできたかったところには着いたし、ここからなら全員を見渡して、全員に声が届くし。

 死にそうに死にそうだけど、死ぬ前にやっておくことがあるんだから、まぁ。

「さあさあ、遠からん人は音に聞けぃ! 近い人は踊りも見ろぉ! もっと遠い人にはもっと大きい声を出すからそれを聞けぃ!! リリアナ・マスカレード、歌って奏でて踊ってやります! 聞きさらせぇ! ――朝焼けを追い越す空!!」


 ――こんな熱い想いの丈を全部、ぶちまけてやろうじゃぁないですか!

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