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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第五章 『歴史を刻む星々』

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リゼロEX 『フォーチュンロール・ラプソディ』


 家に帰ったリゲルは居間の光景を見て、即座に回れ右したくなった。
 何もかも投げ出して帰りたい気持ちが強烈に湧き上がるが、残念なことに帰る我が家での出来事であり、それは逃れえない運命でもあった。

「ふがふが?」

「…………」

「ふがふがふーが、ふーがふが」

「ふがふが言ってんじゃねぇよ! 何のつもりで何の儀式だよ! 帰ってきたら自分の親父が口いっぱいに棒詰め込んでふがってた息子の気持ち考えたことあんのか!?」

 立ち上がり、口に物を詰め込んだまま回り込む父親――スバルに向かってリゲルが唾を飛ばして怒鳴り散らす。そんな息子の反抗的な態度に、スバルは肩をすくめる。

「ふがふが……」

「いい加減そのふがふがやめろ!」

「ふがっふ……ったく、風情のわからない野郎だな。ガキの時分からそんな冷めた性格してると、いつかきっと後悔するぜ。はしゃげる時代にはしゃいでおかなかった自分のことをな。大人になると、人目を気にして色んな自由がなくなって……」

「それを親父に言われるのが一番納得いかねぇよ! 今年でいくつだ! いつまで自由だ! いつになったら人目を気にする能力が身につくんだよ!」

 御年三十路に迫るはずだが、いまだに落ち着きを知らないナツキ・スバル。
 リゲルと同年代の友人たちとも全力ではしゃぎ回る大人が、年頃のリゲルには恥ずかしい。もっと他の家の親のように、落ち着いてほしいと思う。
 まあ、落ち着かれたら落ち着かれたで今度は病気を疑いそうだが。

「それで、今度はどんな奇祭を思いついたんだよ」

「おいおい、息子。お前、ひょっとしてエスパーなのか? 俺の心を読み取る技能を身につけたか。そうでなくて、どうして俺の行動が祭だと……」

「せめて何かしらのイベントであってほしいってオレの願いだよ! 自分の父親が何の理由もなしに太い棒口にくわえてお出迎えする奴だったら嫌だろ! そもそも、何が目的でこんなの……」

 ぶつくさ言いながら、リゲルが先ほどまでスバルが口にくわえていた謎の物体を拾い上げる。と、それは思わぬ柔らかさと弾力があり、怪訝な顔をするリゲルはすぐにその正体に思い至った。

「……のり巻き?」

「そうだ、のり巻きだぜ。物欲しそうな顔しやがって。わかった、食いたいなら食ってもいいぞ。幸い、それはまだ試作品だからな。肝心の本チャン用は別に用意してあるから、小腹が空いてるならぱくっといっとけ」

「仮に小腹が空いてても、親父が長時間くわえてたのり巻きなんて食べたくねぇよ……スピカや母ちゃんならまだしも」

「お前、まだ八歳なのに男親への反抗期が早すぎないか? 俺だってまだその年頃のときは親父に敬意を払って……払ってたかな? どうだった?」

「知らねぇし! ってか、今度は何の奇祭だよ! 本チャンってなんだ!」

 堪え性のないリゲルの追及に、スバルは肩をすくめて笑いかける。
 居間のテーブルの上、白い皿にはいくつもののり巻きが重ねられていて、スバルは自らのお手製であるそれらを示して言った。

「決まってるぜ。節分の豆まきに次ぐお約束――そう、恵方巻キャンペーンだ!」


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「恵方巻、ですか? それってどんなお祭りなんです?」

 買い物から帰ってきたレムが、うとうとしているスピカを抱きながらスバルの話に首を傾げる。長い青い髪をスピカが小さな手で握っていて、それをやわらかに解きながらの一幕だ。
 ナツキ家四人が勢揃いした居間で、皿に積まれたのり巻きを囲んだ席である。

「前に説明して、実際にやった節分のことは覚えてるだろ? 豆をまいて、その年の幸福を家に招いて、災いを外に追い出すってイベント」

「もちろん覚えていますよ。スバルくんがまさか、レムを追い出そうとするなんて思いもしませんでしたから……レムの心はすごくとても傷つきました。この悲しみ、そう簡単には癒えません。デートしてください」

 むくれたふりをするレムの上目づかいに、スバルが苦笑する。
 嫁の可愛いおねだりだ。それを受け入れるのは、良い夫の義務で幸せの権利。

「それはいつでも喜んでするよ。じゃあ、明日とか休みだし明日にするか。そういえば町の端っこの神霊殿、綺麗に改装したって話だったし」

「はい。スバルくんのお仕事で、縁結びってものを前面に打ち出してからは足を運ぶお客さんも増えているらしいですよ。夫の仕事ぶりが立派で、レムも鼻が高いです」

「したら、すでに結ばれてるけど俺とレムの縁結びもさらに祈っておくか。二人きりのデートだ。なに、スピカのことなら大丈夫。シスコンのリゲルがちゃんとしっかり見ててくれるさ」

「スバルくん……嬉しいです。楽しみにしていますね」

「話戻してもらっていい!?」

 脱線してデートプランの立案に入る両親に、我慢していたリゲルが爆発する。
 急に大声を出すリゲルだが、スバルもレムも慣れきっていて大したリアクションもない。それどころかスピカまで慣れてしまって、うとうとへの影響もない。
 つまり、リゲルの叫びはむなしく木霊した――という状態だ。

「リゲル、あまり急に大声出すなよ。若いうちからカッカしてると、大人になったときにいきなり頭の血管がぷつりといく可能性があるぞ」

「うるせぇ! 我慢しててもぷつりといくわ! それならせめて叫ばせろ!」

「リゲル、お父さんになんて口の利き方をするんですか。それにお外でもそんな態度をしているんじゃありませんよね。いつも怒っているような人には、お友達も誰も寄り付いてきませんよ。お父さんみたいに、素敵な人にならなくちゃダメです。あ、でもスバルくんには絶対に勝てませんから、がっかりしないでくださいね」

「慰められたことにがっかりしたよ! オレが何をした!」

 両親に揃って打ちのめされたリゲルが、体を投げ出して床に寝っ転がる。完全にふてくされモードに入ってしまった息子に笑い合い、完全に眠ったスピカをレムが抱き直すと、スバルは改めて咳払い。

「で、リゲルのたっての願いだから話の軌道修正するけど、恵方巻の話な。節分の豆まきが幸福を呼び、災いを遠ざける儀式。一方でこの恵方巻も節分って記念日の行事なんだけど、ちょっちこっちの方がマイナーではあるな」

「同じ記念日の、別の儀式ということですか?」

「そゆこと。俺の地元じゃ西と東でわりと意見が分かれることが多くてな。恵方巻と豆まきもそんな感じの一つだ。東じゃ豆まき、西じゃ恵方巻ってな。ただ、いいことはいくら取り入れてもいいと思うから、両方をやっていくイメージで」

「はい、さすがスバルくんです。いいとこ取りに躊躇がなくて素敵です」

 スピカを起こさないよう、小さめの拍手でスバルを称賛するレム。そのままレムは頬に指を当てて、「それで」と小首を傾げる。

「豆まきのときは豆が必要でしたけど、恵方巻にはこののり巻きなんですか?」

「豆まきのときも、本当はもうちょっと色々と準備がいるんだけどな。来年の同じ頃にはまたあの豆を仕入れてもらうよう交渉したから、俺の方も鬼のお面とか鬼のパンツとか用意して、もっと入念な下準備をする必要がある」

 祭りを最大限に楽しむために、ナツキ・スバルの無駄な行動力は限度がない。
 不必要なことにエネルギーを燃やすスバルをレムがうっとりと見つめ、しばし考えに没頭していたスバルは慌てて首を振った。

「違う違う。今回は恵方巻の話だ。そう、レムの言った通り、今回は豆に代わって用意しましたのがこちらののり巻きになります。恵方巻ってのは言っちまえば、こののり巻きのことだな。レム、こののり巻きを見てて気付くことは?」

「そうですね。すごく黒くて大きくて太いです」

「もう一回」

「――? すごく黒くて大きくて太いですね」

「俺の嫁は素直で可愛くて無自覚にエロいな……」

 しみじみと感動を噛みしめるスバルに、レムはわかっていない顔。
 ともあれ、子どもの情操教育にふさわしくない会話はここまでにして、スバルはかしこまった顔でのり巻きを指差した。

「その太いのり巻きを太巻きという。生憎、カララギでも恵方巻の風習まではさすがになかったようなので自前で作りました。作り方は見たまんま簡単です」

「ほんのり酸っぱい匂いがするのは、ビネギーですか?」

「酢飯ってやつだ。米とよく合うから俺は大好き。今度、生魚の切り身と合わせる寿司にも挑戦してみようと思う。それはともかく、作り方は簡単。のりと酢飯と中に巻く具を七種類ご用意してしっかり巻く。以上!」

「材料を七種類というのには意味があるんですか?」

 色とりどりの具材が巻かれたのり巻きを覗き込み、レムが素朴な疑問。

「よく気付いた、さすが俺の嫁! そう、そこもポイントだ。恵方巻ってのはめでたい食べ物なわけ。で、俺の地元だとめでたいことに駆り出されるお約束の神様ってのがいて、それを七福神って呼ぶんだ。七人の、幸福の神様で七福神」

「わあ、おめでたい神様たちなんですね」

「そう、おめでたい奴らなんだ。そのおめでたい神様連中七人になぞらえて、七つの具材を放り込んで閉じ込めたこいつを恵方巻と呼んで、幸福を呼び込む食べ物としてありがたがるって風習なわけ。それが恵方巻の全貌だ!」

 テーブルの上に片足を乗せて、力説するスバルにレムがまたささやかな拍手。
 と、そこにここまで黙って話を聞いていたリゲルが顔を上げる。リゲルはスバルそっくりの悪い目つきをさらに鋭くして、浮かれた両親を代わる代わる睨む。

「ってことは、こんだけ大掛かりに騒いでおいて、結局はただ単にのり巻きを食べるだけのイベントってことかよ。それだけのことを何を大げさに……」

「このばっきゃろう!」

「痛っ! でこぴん痛ぇッ!?」

 生意気を言う息子に愛の鞭ならぬでこぴんを打ち込み、スバルはのけ反って悶えるリゲルを持ち上げると肩車する。

「なんで急に肩車!?」

「したくなったからなんとなく。確かにお前の言う通り、ちょっと豆まきに比べたら地味な点は否めねぇ。あと、さっきは全貌とか言っちゃったけど実はまだ説明してない部分がいくつかあったりしました、すみません」

「オレを乗せたまま頭を下げるな! やめろ! 落ちる!」

 頭の上でばたつくリゲルの生殺与奪の権利を握りながら、スバルはテーブルの周りをくるくると歩き出す。レムはそんな親子の触れ合いを慈母の眼差しで眺め、

「それで、まだ説明してないことってなんなんですか?」

「そもそも、恵方巻の恵方って何よ? みたいな部分の説明が足りてねぇなと。ちなみに恵方は恵みの方角と書く。その年、運が向いてくる方角みたいなのがあって、そっち側を向いて食べるから恵方巻ってことだな」

「なるほど。恵みの方角なんて面白い考え方ですね」

「追加情報で、その恵方巻をかじってる間は無言で完食するって決まりもある。そこまで躍起になって守る必要はないと思うけど、一応な。他にも笑顔で食べるのが決まりとかって諸説もあるけど……笑顔は必要かもな。笑う門には福来るともいうし、そもそもうまいもんを食ってるときは自然と笑顔になるもんだ」

 スバルが歯を光らせて自論を述べると、レムも嬉しげに微笑んだ。

「スバルくんも、レムのご飯を食べるときは笑顔でいてくれることが多いですもんね」

「うまいご飯に可愛い嫁。愛する家族がいる我が家で、笑顔にならない理由がねぇよ。この世の幸せ独り占めって気分だ」

「レムもいますから、二人占め……いいえ、家族みんな占めですよ」

「レム……」

「スバルくん……」

「人を頭の上に乗せた状態でいちゃつくな! 母ちゃんも! スピカ抱いたままなんだから自重しろ!」

 息子と娘と密着した状態でイチャイチャする両親に、リゲルの堪忍袋が破裂する。
 いっこうに話が進まないのもナツキ家の家風なので、もうどうしようもない。

 スバルがリゲルを床に下ろし、レムがスピカをそのリゲルに渡して、憮然とした顔のリゲルを余所にスバルとレムが隣り合って座る。
 レムはスバルの手を握って肩に体重を預けながら、

「そういえば、恵方……恵みの方角ですけど、それがどっち方向なのかスバルくんはわかっているんですか?」

「いや、それがさっぱりわからん。毎年、あれってどうやって決めてんだろうな。風水的な方法で決めてるのかもだけど、さすがにその知識はねぇから」

 召喚前の知識を活かして、カララギでは敏腕プロデューサーとして活躍しているスバルだが、聞きかじりの話を広げるならまだしも触りも知らない知識は扱えない。
 さて、恵方巻ののり巻きの準備はできても肝心の恵方がわからなくてはどうしたものかと首を傾げ、傾げた先でリゲルとスピカを見たスバルは手を叩いた。

「そうだ。今年の恵方は、スピカに決めさせよう」

「はあ? スピカに何を決めさせるって? もうちょっと考えてものを言えよ。スピカはまだこんな小さくて可愛いのに、今から親父に関わらせてナツキ家に染まったらどうすんだよ可哀想だろうが。アンタ、スピカの未来に責任取れんのか?」

「お前スピカのことになるとどんだけ陰湿にぐいぐいくるの」

 スバルの思いつきに強烈にリゲルが反発するが、スバルはそんなリゲルをなだめるように言葉を選びながら説得と、考えの説明に入る。
 つまり、スバルの考えはこうだ。

「いいか? 我が家にとって、幸福の象徴とは何かって話だ。そりゃもちろん、レムの存在も幸福の象徴そのものだし、お前の天性の弄られキャラっぷりは神が俺に賜したとしか思えない運命の巡り合わせだが……」

「待て待て待て待て、聞き捨てならない部分があったぞ、おい!」

「落ち着いてください、リゲル。レムがスバルくんにとって幸福の象徴なら、レムにとってもスバルくんは幸福の象徴です。お母さんはそんなこと誤解していませんから、心配しなくても大丈夫ですよ」

「ここまでのやり取り見てたらそんな心配毛ほどもしねぇよ!」

 眠るスピカの耳を塞ぎながら、怒鳴り声を両親にだけ届ける高度なテクニック。生まれたときからナツキ家で育ったリゲルのポテンシャルは、八年間という短い彼の生涯を才能の一極化という方向で伸ばした。
 ――そう、天性の突っ込みと弄られキャラとして。

「一極化じゃなくて二極化じゃん」

「何のモノローグだよ! 話進めろぉ!!」

「まぁ、つまり何が言いたいかっていうと、スピカが今の俺たちにとっての一番わかりやすくて満場一致の幸せの形じゃんか。だから、そのスピカが決めた方向ってのが俺たちにとっての恵方。それでいいんじゃねぇかなと」

「クソ、親父にしては隙がない上に非の打ちどころも反論の余地もない完璧な意見じゃねぇか……っ!」

「お前はスピカ絡むと判断力を全て失うな」

 青い髪を掻き毟って悔しげなリゲルの同意も得たところで、今回の恵方巻プロジェクトの全容が今度こそはっきりと決まる。
 のり巻きは準備済みで、あとは恵方の方角を定めるのみ。

「スピカに決めてもらうのはいいとして、どうやって決めてもらうんです? まだスピカに話しても、よくわからないと思います」

「そうだな。……スピカをテーブルの上に寝かせて、目が覚めたときに最初に向いた方角が恵方ってことでいいんじゃないか?」

「目が覚めたときに」
「最初に向いた方向……」

 綿密に話し合ったわりにアバウトな決定法に、レムとリゲルが顔を見合わせる。それから二人が揃ってスピカを見下ろし、何事か考え込んだ。

「つまり、スピカが目を覚ましたとき……家族の誰を一番好きなのかが勝敗を分けることになると、スバルくんはそういうわけですね?」

「……そうなる、か?」

 思いがけない深読みに動揺するが、確かに言われてみるとそうかもしれない。
 スピカが目を覚まして最初に見る相手――それはつまり、無防備な赤子が最初に庇護を求めるもっとも頼りにする相手のはずだ。
 図らずも恵方を定める方法は、スピカの愛を誰が勝ち取っているかが分ける!

「まぁ、残念だけど俺だろうな。我が家の稼ぎ頭は俺だし、スピカも自分が偉大な父親のおかげで衣食住に困らない生活であることを自覚してるはずだ。まだ赤ん坊だけど、賢いこの子は俺のお嫁さんになりたいと思ってるに決まってる」

「待ってください。いずれスピカにもスバルくんのすごさと立派さは教え込むつもりですけど、それとこれとは今は話が違います。やっぱり、スピカは誰のお乳をもらっているか、誰の胸の中で一番安らかに過ごしているか、それをわかっている子のはずです。ですから、ここはやはりレムが一番かと」

「親父も母ちゃんも引っ込んでな。スピカにとって、一番頼りになる相手なんてオレ以外にありえないだろ。この人外魔境の家の中で、オレだけがスピカを守るために全てをなげうてるんだ。スピカ、オレ、スキ、ゼッタイ」

 三者三様に、スピカの愛を誰も譲らない。
 壮絶な睨み合いが発生し、一人の女を取り合って全員が相手を牽制する。先ほどまでの和気藹々とした空気はなんだったのかだ。

「――うぅー」

 と、そんなピリピリした空気を察してか、リゲルの腕の中のスピカがむずがる。今にも目覚めそうな赤子の反応に、三人は顔を見合わせると、

「恵方巻退避!」
「お布団セット!」
「スピカセット!」

 テーブルの上の恵方巻をスバルがどけ、レムが座布団をテーブルに置き、その上にリゲルがスピカを置いた。
 そのまま三人は頷き合い、それぞれ部屋の三方向に散らばってスピカを観察。座布団の上のスピカは頭を振り、目を小さな手で擦る。可愛い。天使か。

「――――」

 全員が息を呑み、スピカが最初に誰の方を見るか経過を見守る。
 やがて赤ん坊は閉じていた瞼を開け、薄青の瞳で周りをきょろきょろと見回し、

「ぁー」

「っしゃおらああああああ!!」

 リゲルの方に手を伸ばし、勝者であるリゲルが膝を着いて天に喝采する。
 選ばれたリゲルは歓喜に咆哮し、選ばれなかったスバルとレムは互いに落胆の気配を隠せないまま寄り添い合い、

「まぁ、落ち着いて考えたらレムの胸で一番安らかに過ごしてるのは間違いなく俺だし、見えていた勝負ではあったな」

「スピカがスバルくんのお嫁さんになりたいって言っても、その場所はもうレムの定位置ですから動かせませんしね。わかっていた結果でした」

「もっとちゃんと勝利の余韻に浸らせろよ! 子どもの前で生々しい話すんな!」

 スピカを抱き上げたリゲルが、妹に顔を引っ張られながら親を詰る。
 そんないつもの態度に二人は笑い、それからスバルはスピカが選んだリゲル――息子が立っていた方角を覗き込み、

「リゲルが立ってたのは玄関の方か。おし、なら俺たちの恵方はそっちだ。各自、自分の恵方巻を持って玄関に集まれ」

「はい、スバルくん。自分の恵方巻ってどれでしょうか。レムの恵方巻も準備してくれているんですか?」

「レムのやつはこれだ。この桜でんぶがきっちり巻いたときにハートの形になるようにするのに手間がかかっててな。失敗作で、俺の腹ぁパンパンだよ」

 いつもよりポッコリと腹が出たスバル。そのお腹にそっとレムが手を伸ばし、愛おしげに撫でる。

「レムのために頑張ってくれるスバルくん、素敵です……」

「はいはい、ほらほら、玄関いくぞ玄関。オレのやつは適当でいい、っていうかスピカの分とかどうすんの? スピカ、まだ歯が小さいのが生えてきたばっかなんだから、のりなんて食わせて喉に引っかかったら大変じゃんか。そこまで考えてんのか?」

 白い皿の上ののり巻きを眺めて、幼いスピカが食べられそうなものを探すリゲル。しかし、過保護な兄の御めがねに叶った作品はないらしい。
 それはスバルにとっても、今回の準備の心残りではあった。

「色々と頑張って、のりを溶かしてみたりしたんだけど試作がうまくいかなかった。残念だけど、スピカの分はリゲルが二人分食べることでなんとか七福神に都合をつけてもらおうと思う」

「こんなでかい太巻き、二本もそうそう食えねぇよ。どんだけ期待すんの」

「そうか。わかった、いいよ。お前がスピカの幸せのために、ちょっとぐらい胃袋に無理させる程度の努力もできないような兄っていうならそれでいい。俺が頑張る。お前はせいぜい、上辺だけの愛でスピカを騙していれば……」

「わかったよ! オレが食うよ! むしろオレに食わせろ!」

「角まで出して怒るなよ、引くわぁ……」

 スピカを引き合いに出されたからか、短い角を額から突き出すリゲル。そのリゲルが二本の太巻きを掴んで玄関に向かうのを、スバルとレムは笑ってから後を追った。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「――――」
「――――」
「――――」
「ぁー」

 無言だけが、その場を支配していた。
 恵方巻におけるルールは諸説あるが、その中でもやはり一般的に広まっている条件は『恵方巻を食べている最中は喋ってはならない』であろう。
 幸福を取り込むのが恵方巻の目的であるのに対し、口を開けてしまうというのは取り込む最中の幸福を取り込み損ねる――というような解釈なのかはわからないが、とにかくそんな感じの事情ではないかとスバルは推察している。

 そのため、恵方巻を食べ始めた三人は玄関に座り、引き戸を眺めながら無言で、ただひたすらもきゅもきゅと恵方巻を食べていた。

「ナツキさん、ちょっと邪魔してええかしら」

 そうして正座して玄関にいると、ふいに引き戸が向こうから開かれる。
 このあたりはだいぶ大らかなカララギの国風なのか、一昔前か田舎みたいな気安い近所付き合いがこのあたりでは一般的だ。
 家に鍵をかけることはめったにないし、当たり前のように近所の人も戸を開ける。聞こえてきた声は、隣家に住まう中年の女性だ。

「回覧板が回ってきたんよ。やから、見てほしいんやけど……」

 そう言って回覧板を手にした女性は、玄関に座って太巻きをくわえる一家の姿に目を丸くする。が、すぐに女性は頷き、回覧板を靴箱の上にそっと置いた。

「ほんなら、忙しいみたいやから後でええわ。ちゃんと確認して、お隣さんに回したってな? あらー、スピカちゃん可愛いわぁ」

 手を振るスピカに笑いかけ、女性は「ほな」と頭を下げて家を出ていく。無言のままでその女性を手振りや頷きで見送り、再び家の中には四人だけが残され――。

「今の絵面なんだよ!!」

 我慢できなくなったリゲルが立ち上がり、恵方巻を噛み千切ってそう怒鳴る。

「隣のおばちゃんもなんで当たり前みたいに今の光景を受け入れてんだよ。他の家でウチはどういう見方されてんだよ! 帰ってきて太巻きくわえてる親父を見つけて動揺したオレが馬鹿みたいじゃねぇか! オレがおかしいのかよ!」

「ふが。落ち着けよ、リゲル。お前の気持ちはわかるけど、そういうこともある。はたして何かが間違ってると感じたとき、間違ってるのは世界なのか自分なのか。でもな、そういうのって大抵は自分の方がボタンを掛け違ってて……」

「いいや! 違ぇ! オレはおかしくねぇ! 狂ってるのは世界の方だ!」

 喚き立てるリゲルの姿に、スピカが嬉しそうにきゃっきゃと手を叩いている。
 兄の癇癪を見るのが、スピカにとっては最高の遊び道具なのだ。この歳にしてすでにリゲルの楽しみ方をわかっているあたり、将来有望な娘である。

「それにお前が喋ったせいで、俺も中断して恵方巻チャレンジが水の泡だ。そろそろ一回ぐらい成功したいぞ。まだのり巻きが残ってるのにこの調子でどうする」

「それもおかしいだろ! そもそも二本食べるだけって話だったのに、いつの間に全部オレと親父で処理することになってんだよ。母ちゃんは?」

「馬鹿野郎、レムに無理して食わせるなんてできるわけねぇだろ。炭水化物の塊大量に食わせてレムのスタイルが崩れたらどうする。子ども二人産んでも全然崩れてない奇跡の産物だぞ。俺とお前が肥えるのとは話が違うんだ」

「もきゅもきゅ……食べ終わりました。そして、そんな風に言われたら照れます」

 頬を赤らめて照れるレムが、無事に自分の分のノルマを達成した。
 初志貫徹の得意なレムは恵方巻チャレンジの成功率が高いが、移り気で辛抱強さがまるでないスバルとリゲルは失敗してばかりだ。
 そして恵方巻も、残すところ大きいものと小さいものが一本ずつ。

「この恵方巻がラストチャレンジになる。今日のやり取りと前準備、全部が無駄にならないように奮闘を期待するぞ、リゲル」

「うぷ……そろそろ、本当にキツイ。覚えてろよ、クソ親父……っ」

「グッドラック」

 親指を立てて、最後の恵方巻に挑戦するリゲルの頑張りを見届ける。その間、すでに自分の役目を終えたレムがスバルに擦り寄り、

「そういえば、今回の行事は鬼とは関係ないんですね。豆まきの鬼の扱いには色々と物申したいところがありましたけど、無関係というのもちょっと寂しいです」

「んや、無関係ってわけじゃないぜ? のり巻きに巻く具材は七福神ってのがさっきの説明だけど、それとは別に鬼を閉じ込めてるって説もある。赤い部分が赤鬼で、青い部分が青鬼みたいな感じでさ」

「青い部分なんてありますか……?」

「そこはほら、この緑の野菜を青いって言い換えて……厳しいな?」

 青鬼と聞いて、自分のことだと思ったのかレムが不満そうな顔をする。とはいえ、青い見た目の食べ物でのり巻きに放り込めそうなものはなかったのだから仕方ない。
 レムのじと目に苦笑しつつ、スバルは最後の太巻きを手の中で回した。

「七福神じゃなく鬼に見立てる場合、食べて鬼を退治するって考え方だな。こっちの場合も、やっぱり鬼は悪いもの全般みたいな考え方だ」

「スバルくんの故郷って、鬼に何か恨みでもあるんですか?」

「昔は鬼に色々とやられたって話は残ってるな。まぁ、俺はそんなことないよ。泣いた赤鬼は俺の一番好きな昔話だし、嫁は鬼だし。だから豆まきのときと一緒」

「一緒?」

 不思議そうな顔のレムに、スバルは膝を叩いた。

「そうだよ、一緒。鬼を食べて取り込むってのは、俺にとって幸せを取り込むのと一緒。むしろ俺の血となり肉となり、もう離さないぜ的な?」

「捕まっちゃうんですか」

「捕まえちゃうわけですよ」

 レムが嬉しそうな顔をして、スバルがいやらしい顔をする。
 そんな両親のやり取りを余所に、隣ではリゲルが無言でついに太巻きを食べきる。

「よっしゃ、食った! 食ったぞ、おらぁ! 見てたか、オレの頑張り!」

「ごめんなさい」

「素直に謝るなよ! わかってたよ、食いながら見てたから!」

 リゲルがスピカを抱き上げ、蹲って拗ねた顔で妹に頬ずりする。そんな傷心の兄の肩を、スピカは慰めるようにポンポンと叩いていた。

「んじゃ、最後に大黒柱がいいとこ見せるとしますかね」

「はい。格好いいところ見せてください」

 レムに応援されて、スバルが最後の大物――恵方巻BIGに勝負を挑む。
 最後の一匹は残っていた材料を全部ぶち込んだもので、ぶっちゃけた話、七福神の七具材ルールも守っていなければ、太巻きというより凶器だった。

「あぐ」

 大口を開けて、恵方巻にかぶりついてスバルが最後の大勝負に挑む。
 すでに何本も挑戦に失敗し、スバルの腹は限界に近い。胃袋が張り裂け、無残な死を遂げるかもしれない。それでも、男には、父親には戦うときがあるのだ。

「あむ」

「――!?」

 そんなスバルの大勝負に、正面に回り込んだレムが助太刀していた。
 彼女は薄く微笑むと、スバルが食べる恵方巻の反対側に口を付ける。ルール上、スバルはそれを咎めることもできない。レムはそれを見越して、スバルと一緒に最後の恵方巻を食べきる構えだった。

 そのレムの助力を得て、スバルは万軍の援護を得たように一気に前進する。
 レムの力を借りたとしても、男の方が意地を見せなくてはならない。レムより少しでも多く食べて彼女の負担を減らし、恵方巻を食べ終える。
 そのまま二人の食は進み、二人を繋ぐ恵方巻は徐々に短くなり、やがてそのまま二人の顔は近づき、お互いの唇が――。

「はい、どーん!!」

 もうちょっとのところで、恵方巻のど真ん中にリゲルの手刀が入った。
 角を伸ばし、鬼の力を解放したリゲルの手刀の切れ味は、のりと米でできたのり巻きを綺麗に切断するだけの力が余裕であった。

 のり巻きを真っ二つにされて、驚くスバルとレムの顔が遠ざかる。
 そのまま二人、口に残った恵方巻を噛み、呑み込むとリゲルに詰め寄った。

「こら、リゲル! 今、だいぶ美しい流れでフィナーレを迎えそうだったろうが!」

「そうですよ。スバルくんとレムの、大切で大事な共同作業だったのに。リゲルはお父さんとお母さんが仲良くしてるのに不満があるんですか?」

「あるよ! 必要以上に目の前で仲良くされてることにいつも不服があるよ! そしてそれを言葉にして精いっぱい伝えてるつもりだよ! 伝われ、この想い!」

「残念、弾かれた!」

「弾くなよ!」

 リゲルの飛ばした想いをスバルが平手で打ち落とすアクション。そして代わりにレムがリゲルの額に生えた角に触れる。
 「あひんっ」と悲鳴を上げてリゲルが崩れ落ちる。

「食べ物にチョップするなんて、そんな子に育てた覚えはありませんよ。別に全然ちょっとも、あと一歩だったのを邪魔された腹いせじゃないんです」

「こう、人間にない特殊な部位が弱点なのって戦闘民族のお約束なのかな。スピカはもしも角が生えても、大事な人以外にそんなの許しちゃダメだからなー?」

 崩れ落ちたリゲルから回収したスピカを、抱いてあやしながらスバルが言い聞かせる。娘はそんなスバルの言葉に目をぱちくりさせ、額を擦りつけてきた。
 その部分から角が生えたとしても、家族にはそれを許すとでも言いたげに。

「さすが、スピカ。我が家の至宝は仕草一つで幸せな気持ちにさせてくれるな」

 恵方巻の効果よりも、よっぽどご利益がありそうだから不思議なものだ。
 スバルはスピカの額にキスをして、隣のレムに娘を引き渡す。代わりに、脱力して悶えている息子を肩に担ぎ上げると、その尻をパシパシ叩きながら、

「んじゃ、台所とか片付けて明日のデートの話するか」

「そうですね。まだ時間が半端ですけど、夕ご飯はどうしましょうか……」

「もう十分食ったさ、腹ぁいっぱいだ」

 苦笑しながら居間に向かうスバルに、レムが微笑んで隣に並ぶ。


 ――そんな一日も、また別の幸せの形なのだった。









今日は節分。
一年に一度の、ちょっとした特別な日ですもの。
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