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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第五章 『歴史を刻む星々』

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第五章44 『腹を割って話そう』


 挙手するオットーの爆弾発言に、室内にいた全員が驚愕に呑み込まれる。
 実在を疑われた『叡智の書』、その実在の証明が他でもない身内から告白されたのだ。驚きは当然――中でも、スバルの驚きが最も大きい。

「な、んでお前が『叡智の書』を?」

「まず、誤解がないように断わっておきます。確かに『叡智の書』……そう言うべきものを都市に持ち込んだのは僕で間違いありませんが、その所有者が僕であるということではありません。魔女教の要求も寝耳に水です」

「そう言うべきもの、ってのは引っかかる言い方やね。どういう意味なん?」

 動揺するスバルに答えたオットー、その言葉の端を捉えてアナスタシアが問いかける。それを受け、オットーは皆を見回すと、

「皆さんは『叡智の書』のことはご存知ですか? 簡単に言ってしまえば、魔女教徒が所有する福音書……そのものの未来を記してくれるなんて眉唾な予言書ですが、それの原書という立ち位置らしいです。正確性が段違いという触れ込みで」

「福音書の原本、か。こう言うのは不適格かもしれないけど、どこか竜歴石の預言に近いものを感じるね。信憑性と、扱うものの立場は大きく異なるけど」

「僕はその竜歴石も福音書も、現物が未来を記す瞬間を見たわけではないので何とも言えませんが……『叡智の書』もその効果については未確認です。僕が入手した時点で本はその大部分が焼けてしまって、残骸のような有様でしたので」

「焼けて残骸……」

 オットーの発言に、スバルの脳裏で二冊の『叡智の書』の末路が重なる。
 ベアトリスが所有し、焼け落ちる禁書庫と共に焼失した一冊。そしてロズワールが所有し、ラムによって焼かれて『聖域』で失われた一冊。
 作成者であるエキドナの発言がどこまで信じられるかは難しいが、彼女の言を信じるなら『叡智の書』は二冊――どちらも、焼けて失われたはずだ。
 オットーが入手したというのは、つまりその燃え残りということだろう。

「なるほどなぁ。それでようやく、ウチにもオットーくんがそれをプリステラに持ち込んだ理由がわかったわ。復元術師ダーツを頼ったいうことやね?」

「……そういうことです」

 先んじて結論に達したらしきアナスタシアに、オットーが言葉少なに頷いた。そのやり取りを見て、ユリウスやラインハルトも納得の姿勢を見せるが、スバルには聞き覚えのない単語が出ただけで詳細がわからない。

「俺を置いてわかり合うなよ。その、復元術師ってのはなんなんだ?」

「言うたそのまま、物を復元する陽魔法に特化した術師のこと。中でも、この都市におるダーツはその道で有名な人なんよ。半分以上が焼け落ちた本でも、時間さえかければかなり復元率が期待できるはずや」

「そのダーツ氏に連絡を取りまして、『叡智の書』の残骸を預けていました。ですから今、本はダーツ氏の仕事場に保管されているはずです」

 オットーの証言により、ついに所在が明らかになる『叡智の書』。

「それッにしても、オットー兄ィはいつのッ間にそんな奴と会ってたんだよォ?」

「昨日、ミューズ商会での交渉が破談した後ですよ。皆さんと別れて、単独行動になったときにダーツ氏を訪ねました。内々に話をしてあったので、かなり乗り気で引き受けていただけたんですが……」

 結果、今日の騒ぎで『叡智の書』の名前が出て、オットーも気が気ではなくなったということだろう。
 それらの説明で、焼失したはずの『叡智の書』が現存する理由と、それが都市に持ち込まれた理由は納得ができた。ただ、納得ができないのはオットーのその行動の真意だ。なぜ、彼は『叡智の書』を復元しようと考えたのか。

 正直、スバルは『叡智の書』に対して良い印象を持っていない。
 作成者がエキドナであるのもそうだし、魔女教の持つ福音書にも通ずるものがある黒い書だ。ベアトリスが数百年、禁書庫に縛り付けられた原因でもあるし、ロズワールが『聖域』のことを含めた暴挙を企てた切っ掛けでもある。
 焼失したと聞いて、清々したというのがスバルの本音だった。

「入手の経緯や、復元の目的なんかの詳細は省かせてもらいますよ。『叡智の書』の実在と、今の所在を明らかにしたかっただけです。それ以上は陣営の問題ですから」

「魔女教の一団が、少なくとも目的の一つとして『叡智の書』を掲げている。この点について、責任の所在はどうあると考える?」

「魔女教の行動の責任は、魔女教以外に問うべきではないと思いますよ。それを言い出すなら、僕も意地の悪い切り返しをしなければなりませんが」

 ユリウスの追及に、オットーは毅然とした態度を崩さない。そのオットーの視線がアナスタシアへ向くのを見て、ユリウスは首を横に振った。

「すまない、詮無いことを言った。無論、君たちにその責を問うつもりはない。彼らの犯した罪は、彼らに罰を与えることで贖われるべきだ」

「同感です」

 ユリウスの強い言葉に頷き、オットーがスバルの方をちらと見る。その窺うような視線に、スバルはとっさに何も言えない。
 オットーの真意がわからない。彼を疑うようなことは端から考えられないが、何が目的であるのかは不明のままだ。そのスバルにオットーが唇の動きだけで、

『後でお話が』

 と、そう伝えてきた。
 今の真意を話す、そういうことだろう。ならば、そのことは今は後回しだ。

「『叡智の書』の実在はこれではっきりした。それなら、残った人工精霊のこともただの与太話と切り捨てるのは躊躇われるね」

 一段落したところで、ラインハルトが新たな議題にメスを入れた。
 当然の流れではあるが、オットーがああして不利になりかねない真実を打ち明けた以上、スバルも隠し通すことに意味はないだろう。

「アナスタシアさん」

「わかってるよ。ホント、難儀なお話なんやから」

 同意を求めるスバルに、アナスタシアが自分の首にかけた襟巻きを外した。机の上に襟巻きを広げて、観念した素振りのアナスタシアに全員が首を傾げる。
 が、次なるアクションでその傾げた首が真っ直ぐ正された。

「――狸寝入りはおしまいや、エキドナ。喋ってええよ」

「ボクの場合、狸寝入りより狐寝入りの方が正しい気がしないかい、アナ?」

「――っ!」

 アナスタシアの呼びかけに従い、白い狐の襟巻きが意思を持って四肢を伸ばす。驚きが広がるのは、ユリウスやリカードすらも同じだ。
 人工精霊エキドナは、その存在を同じ陣営の彼らにも隠し通していたらしい。

「お嬢、ワイもこいつは知らんぞ。なんや、こいつ」

「隠しててごめんな、リカード。ユリウスにもおんなじや。――この子が、話題になった人工精霊。名前はエキドナ、ウチと長い長い付き合いの、共犯者やね」

「やあ、リカード。一方的に見知った仲なのに、こうして初対面のような挨拶をするのはこそばゆいものだね。君は普段のように、馴れ馴れしくて構わないよ」

 気味悪いものを見る目のリカードに、やけにフレンドリーなエキドナ。白狐の態度にリカードは鼻白んだ様子だが、それ以上に衝撃を覚えた顔なのはユリウスだ。
 パートナーが隠していた謎の存在に、彼は珍しく動揺を隠せない瞳で、

「……つまり、アナスタシア様も精霊使いだったということでしょうか?」

「んーん、違うよ。ウチとエキドナの間に精霊使いの契約はない。ウチ、その手の才能は全然ないみたいやから。エキドナも、普通の精霊と違くて戦う力ないし」

「そう、非力なんだよ。おそらく、精霊としては最弱なんじゃないかな。それこそ、精霊騎士である君の知覚に引っかからないほど無力な精霊なのさ」

「そう、ですか。……いえ、それなら」

 アナスタシアとエキドナの二人に、疑問を否定されるユリウス。ただ、彼はそこで引き下がれず、視線を蚊帳の外にいたスバルの方へ向けた。
 黄色の眼差しが、どこか強張りながらスバルを見つめて、

「スバルが知っていた様子だったのは、どういうことなのです? 一の騎士である私も知らないことを、なぜ彼が?」

「ちゃうんよ。それは……」

「それは俺の相棒の、ベアトリスも同じ人工精霊だからだ。魔女教の要求があったときに、アナスタシアさんに打ち明けられた。……俺も知ったのはちょっと前で、お前と大差ねぇよ」

「彼女が人工精霊……? アナスタシア様、事実なのですか?」

 アナスタシアを遮り、早口に説明したスバルにユリウスが訝しげな顔をする。アナスタシアが頷きでそれを肯定すると、ユリウスは「そうですか」と受け入れ、しばし考え込むように目を閉じてから、深々と息を吐いた。

「勘繰るような行いをしてすまない。アナスタシア様にも、ご不快な思いをさせたとしたら申し訳ありません。深く、自分を恥じます」

「黙ってたウチが責められる話やないよ。ウチの方こそ、堪忍してな?」

 スバルに目礼し、アナスタシアに陳謝するユリウス。そのユリウスにアナスタシアが謝罪するのを横目に、リカードが机上のエキドナを引っ掴んだ。

「せやけど、お嬢も人が悪いわ! なーがい付き合いのワイにも隠しとるやなんて、ちょっと凹んだわ! ワイらの仲はそんなもんだったんかい」

「あまり乱暴に扱わないでもらえるとありがたい。これでも毛並には気を遣っているんだ。アナの可憐さを損なっては申し訳が立たないからね」

「よう口の回るやっちゃな。ま、ええわ。ひとまず水に流しといたる」

 引っ張ったり丸めたりして満足したのか、リカードが白狐を解放。机上に着地した白狐はそそくさとアナスタシアの手元に戻り、その首に巻き付いて再び擬態した。
 長年そこにいるだけあって、一瞬で生ものっぽさが消えるのはさすがと言える。

「というわけで、人工精霊も実在するんよ。……とはいえ、さっきのオットーくんの話と同じ。『叡智の書』と同様に、この子ぉらも渡す気なんてあらへんよ」

「黙ってて悪かった。けど、俺も同じだ。ベア子は俺の大事な相棒だ。あんな頭のおかしい連中になんか、手ぇ握らすのも許す気はねぇ」

 アナスタシアとスバルの、要求に対する拒否の姿勢は絶対だ。
 それを聞き、ラインハルトが頷きながら、

「わかっているよ。当然のことだ。彼らの要求は、一つたりとも呑むわけにはいかない。花嫁との結婚式ぐらいは、放置してもいいかもしれないけど」

「いや、それも絶対にノゥ! なぜかっていうと、そのクソ野郎が結婚しようとかクソふざけたこと言ってる相手はエミリアだから」

「ぶっ!? エミリア様さらわれてんですか!? 見かけないと思ったら避難させてるとかじゃないの!? もっと早く言ってくれませんかねえ!?」

 ラインハルトが目を見開き、オットーが衝撃の事実に目を回す。その二人の反応にスバルは歯噛みし、「悪い」と言葉を継いで、

「俺が不甲斐なくて、目の前で連れ去られた。けど、結婚式とか言ってる間はエミリアたんに危害が加えられることはないはずだ。だからぶっちめて、ぶち殺して、ぶっ飛ばして、取り戻す。絶対の、絶対に」

「――ああ、そうしよう。そういうことなら、絶対に許されるべきじゃない」

 脳裏に浮かぶレグルスの姿にスバルが怒りを滾らせると、その怒りに賛同するようにラインハルトの闘気が研ぎ澄まされる。
 恐ろしいほどに頼りになる気配。やはり、彼の存在は心強い。

 と、そこまで考えたところでスバルは部屋の隅――そこで延々と、同席しながらも会話に混ざってこない男の方を見た。
 壁に背を預けてしゃがみ込み、兜の下に表情を押し隠した人物だ。

「おい、アル。お前も会話に混ざってこいよ。演説終わりからお前、一言も口利いてねぇぞ。お前たちの連れてきた奴のせいで、うちのリーサルウェポンが封じられてたんだ。そのあたり挽回しないと、さすがに失点扱いだぜ」

 歩み寄り、俯いたままのアルにそう呼びかける。
 反応の鈍いアルにため息をこぼしつつ、スバルはラインハルトの父親――ハインケルの存在に意識を向ける。

 フェルトを人質に取り、ラインハルトの動きを封じていたというハインケル。
 明確なまでの利敵行為であり、王位候補者に剣を向けたのは不敬罪を通り越して国家騒乱罪にすら値する。普通に考えれば死罪を免れないような暴挙だが、それらに対する沙汰はどうなるのか。
 少なくとも、ラインハルトの横顔からそれを窺うことはできなかった。

「――悪ぃんだが、オレぁここで抜けさせてもらうわ」

「あ?」

 そうしてラインハルトに気を取られていたからか、立ち上がったアルに対する反応がとっさに遅れる。アルは背中を伸ばすと、困惑するスバルの横を歩き抜けようとする。スバルは慌ててその肩を掴み、振り向かせた。

「ま、待てって! 抜けるって、どういうことだよ? 今は一人でも戦力が欲しいときだってのに、お前を手放すわけねぇだろ、馬鹿か」

「馬鹿でもなんでも構わねぇが、オレを戦力の当てにするなんざそれこそ馬鹿だぜ。どっかそのへんの避難所で、戦い慣れしてる奴を連れてきた方がオレや猫の手を借りるより役に立つってもんだ。だから、オレぁいいだろ」

「よくねぇよ! 不貞腐れたこと言ってんじゃねぇ。急にどうしたってんだ。ガキじゃねぇんだから、何か言いたいことがあるなら言えよ」

「――兄弟にだけは、それは言われたくねぇな」

 引き止めるスバルの腕を振り払い、兜越しの瞳がスバルを射抜く。
 その目に見えない眼光と、普段とは違う声色に絡め取られて、スバルの背中をゾッと嫌な寒気が駆け上がった。

 敵意とも殺意とも違う、しかし荒々しい感情。
 その得体の知れない感情を、スバルはどこかで感じたことがある。だが、それが何であるのか、具体的な形に結びつかない。
 わからないまま、睨み合いが続き、そして――。

「閃きました。聞いてください。――君の眼差しに胸アツ」

「黙れ!!」

「ぴぃっ!?」

 不意に割り込んできた能天気な声に、条件反射で突っ込みを入れてしまう。するとそれを聞いた相手が飛び退き、派手に予備の机を巻き込んで転倒した。
 騒がしい音と悲鳴を上げて転がるのは、褐色の肌をした少女――。

「お前、リリアナか!?」

「うぎゃぉう! 肘が! 膝が! 全身の骨という骨が砕け散った痛みが! 肋骨が六本全部折れました! 間違いありません!」

 スバルの眼前で、床を元気にのたうち回るのは『歌姫』リリアナだった。
 その変わりない姿に、肋骨は六本どころじゃなくもっといっぱいあると教えるのも忘れて、スバルは安堵に胸を撫で下ろした。

「別れた後がわからなくて心配してたけど、無事みたいでよかった。ホッとしたぜ」

「無事!? 今まさに、死に瀕する私を見て何をおっしゃる節穴ですか! 苦しみ悶える美少女を見て胸を撫で下ろすって、猟奇的趣味か! 閃きました。聞いてください。――指! 耳! 次は目だ!」

「元気そのものじゃねぇか」

 床に胡坐を掻いて、リュリーレを掻き鳴らすリリアナは健常者そのものだ。あまりに通常進行すぎて逆に不安になるぐらいだが、無事の合流は喜ばしい。

「でも、どうして都市庁舎に? 今、外をうろつくなんて危ないにも程が……」

「無論、妾がいればこそに決まっておるじゃろうが、凡骨」

「げ」

 リリアナの無事の理由、それを問い質す前に答えの方から傲岸不遜に現れる。
 高い靴音を立てて、会議室に足を踏み入れたのは絢爛に輝く赤い女だ。彼女はその頭から爪先まで赤い姿のまま、血のような色合いの瞳で部屋の中を見渡し、

「役者は揃っておるようじゃな。凡俗共が、主演たる妾を座して待っておったのはよい心がけと言っておこう。その心がけ、今後も弁えるがよいぞ」

 広げた扇子を口元に当てて、上機嫌に笑う女――プリシラだ。
 彼女の突然の登場に、スバルを含めて全員の開いた口が塞がらない。ただ、もっとも早く再起動したのは他でもない、彼女の従者であるアルだった。

「ひ、姫さん! 無事だったかよ。どこにもいねぇから心配したぜ」

「む、アルか。貴様、妾に供することもせずに凡俗共と戯れておるとは何事じゃ。妾の姿を見て、妾の声を聞いて、妾の匂いを嗅いで、妾の命に従うのが貴様とシュルトの務めであろう。シュルトも、妾の方に探させるなど不敬にも程があるわ」

「も、申し訳ありませんであります、プリシラ様……」

 心配する従者にすげなく告げるプリシラ。その後ろから、彼女のドレスを掴んでおずおずと少年執事が顔を出す。どうやらプリシラはリリアナだけに留まらず、自分の従者も救出し、魔女教ひしめくこの都市を堂々と闊歩してきたらしい。

「なんつークソ度胸だよ……」

 その度胸を通り越して、無謀ですらある行動力にスバルが嘆息する。すると、それを聞きつけたプリシラがスバルを睨んだ。音を立てて扇子を畳み、つかつかと彼女はスバルへ歩み寄り、

「そこな貴様、動くな」

「――っ」

 ひゅんと風を切り、扇子の先端がスバルの喉に当てられる。
 相変わらず、常軌を逸した速度だ。スバルの目では追えない速度。ただ、ラインハルトが動かなかった以上、害意はないのだろうと判断する。

「なんだよ。今、大事な話の最中で、お前に構ってる暇は……」

「よい。――先の不細工な放送、やはり貴様の声であったな」

「……だったら、どうする?」

 ラインハルトが動かないのが根拠、というのも情けない話だが、強引なプリシラにスバルは強気の対応。その答えに彼女が目を細めた。

「決まっておる。妾より注目を浴びるなど、誰にも許さん。よって、貴様のような凡骨の行いより、妾の方が上であるという当然のことを証明する」

「あ? った!?」

 首に突きつけた扇子を跳ね上げ、顎を弾かれてスバルが涙目になる。プリシラはそれだけでスバルから離れると、会議の円卓の一席に堂々と腰を下ろした。

「安物の椅子よ。利用していたものの程度が知れる」

 座り心地を悪辣に評価して、プリシラは円卓を囲む顔ぶれを見渡す。そしてその赤く塗られた唇を横に裂いて、美しい陰惨な笑みを浮かべた。

「さあ、妾に現状を話すのを許す。妾の手になり足になり、存分に責を果たせ。褒美に妾の手を貸してやる。ありがたく思うがよいぞ」

「待てよ、姫さん! 合流できたんなら拘る必要はねぇだろ? とっとと、こんな危ない場所からはおさらばしちまった方が……」

「妾に逃げよと申すのか、アル。だとしたら、考え違いも甚だしいぞ」

 どっかりと席に座り、会議に参加する姿勢のプリシラをアルが咎める。が、プリシラは逆にそんなアルを睨み返し、鉄兜をすくませる。

「よいか? この都市に滞在を決めたのは妾である。そして、都市を発つのを決めるのも妾。断じて、他人の指図は受けん。ましてや気狂いの阿呆共に背を向けて、のこのこ逃げ出せ? 貴様、妾を誰と心得る」

「…………」

「この世界は全て、妾に都合のよいようにできておる。なればこそ、胸の悪い理由を残してなど立ち去れるものか。妾の従僕を名乗るなら弁えよ、アル。妾が妾たるが天意であれば、妾の行いそのものが天意であると」

 プリシラの意思は揺らがない。
 それはこの場にいる全員が、何よりアル自身が理解したはずだ。力なく隻腕の肩を落とすアルに、そっと少年執事――シュルトが寄り添う。慰めるような少年の仕草にアルの苦笑の気配。彼も、腹は決めたようだ。

「オットー、ちょっといいか?」

「はい、いいですよ」

 円卓でプリシラへの事情説明が行われる。
 その間隙を縫って、スバルはオットーに話を持ち掛ける。オットーもそれを予想していたのか、何の驚きもない様子でそれに従った。

「ガーフィール、話が進んだら呼び戻してくれ」

 そう言付けして、スバルはオットーと一緒に会議室の外へ出る。
 部屋を離れる必要はあるまいと、そのまま廊下で彼に向き合った。真っ直ぐ、こちらを見るオットーの瞳に迷いはない。話す内容も、わかりきっていた。

「どうして、『叡智の書』の復元をしようなんて考えたんだ? いや、そもそもお前がその残骸を拾ったのはいつだ?」

「一年前、『聖域』での問題が片付いた後のことです。エミリア様が降らせた大雪が森から消えて、集落の中を見て回っているときに偶然……いえ、偶然ではありませんね。ラムさんから話を聞いて、焼け残りがあるんじゃないかと積極的に探しましたから」

「それで見つけたってことは、残ってたのはロズワールの方の『叡智の書』か」

「はい。僕が確かめたかったのもそちらだったので、珍しく幸運でした」

 珍しく幸運、というのは普段の自分の不運を自虐した物言いだろう。苦笑するオットーだが、スバルはそれに合わせて笑う気になれない。
 内心に残り続けるしこりは、やはりなぜそんなことをしたのか、だ。

「ナツキさんは正直なところ、メイザース辺境伯をどう思っていますか?」

「ロズワールを、か?」

 押し黙りかけたスバルに、オットーが投げかけた質問。その内容は今の話に関係しているような、していないような、そんな内容に少しだけ考え込む。

「そうだな。油断ならない奴、だとは思ってる。一年前のこともあるしな。ただ、あいつの目的自体ははっきりしたから、それが曲がらない間は脅威じゃないとも思ってるよ。今は互いの狙いがしっかりわかった上での、共犯者って感じか」

「僕はメイザース辺境伯を、全く信用していません」

 きっぱりと、オットーはスバルの考えを甘いとでも言うように切り捨てた。
 その言葉のあまりの切れ味に、スバルは目を丸くする。

「一年前のことがあると、そう言いましたね。ええ、そうです。一年前の、『聖域』のことがあります。それ以前にも、あの方は色々と企んでいたご様子ですね。ナツキさんやエミリア様はそのあたり、甘く許しているみたいですが」

「……許してるわけじゃねぇよ。あいつがやったことは、ふざけんなってことばっかりだったし、いまだにムカついてる。けど、あいつの力が必要なのは事実なんだ。だからギスギスしててもしょうがねぇし、エミリアもそこは同じ考えで」

「それが甘いって言ってるんですよ。……それが悪いとは、言ってませんが」

 もどかしいものを見る目で、オットーがスバルを睨んでいる。その彼の歯がゆいような感情が、スバルにはどうにか理解できた。
 つまりオットーは、やられたことに対して警戒が足りないと言っているのだ。もちろん、それは必要な意識であるのはわかる。わかるが、

「いいんです。ナツキさんとエミリア様は、それでいいと思います。お二人が変わる必要は今はない。その分の警戒は、僕がしているつもりですから」

「その分の警戒って」

「内政官なんて役回りですから、メイザース伯と接する機会も多い。この一年、見てきましたが、悪巧みの気配や後ろめたい素振りは特にないようです。でも、この一年以前のことはわからない。時間差で何か、仕掛けているかも」

「――――」

 口をつぐむ。オットーの警戒、オットーの懸念、それが伝わってくる。
 彼がロズワールに対して抱く不信、それは正当なものだ。行いが自らに返ってくるのは当然の帰結。それが良きにせよ悪しきにせよ。否、むしろ悪しきこそ。

「あの方が『叡智の書』の記述に、未来の記述に従っていたんだとしたら、本を見れば何を仕掛けていたのかもきっとわかる。この先の局面で、何かを選ばなくてはならない重大事が訪れたときのことも、備えられるかもしれません」

「じゃあ、本を復元しようとしたのは……ロズワールが信じられないから」

「……逆です。僕だって、身内を疑いたくなんてないんです。だから、安心が欲しかった。ナツキさんやエミリア様に危害が加えられない。少なくとも、確実に訪れる不幸がないことを確かめたかった。だから、『叡智の書』を確保して、復元しようとしました。……勝手なことをして、すみませんでした」

 謝罪を口にし、オットーが頭を下げる。
 だが、その彼にスバルは何も言えない。言う資格が、ないような気がする。

 オットーの抱く不安と、その解消のための手段。
 そのどちらも、スバルやエミリアが気付かなくてはならないようなことだ。むしろそれらの苦労は、スバルとエミリアのためのようなものだ。

 自分はオットーに、目に見える以上の形で助けられているのだと、気付かされる。そのことに気付けないのが情けなくて、申し訳なくて、不思議だった。
 オットーがどうして、そこまでしてくれるのか。友達だから、なのか。

「その理由は、話しませんよ。つまらないことですから」

 スバルの表情から、こちらの内心のおおよそを読み取ったらしい返答。
 口の端をゆるめるオットーに先手を取られて、スバルは深く息を吐いた。

「なんか、本当に俺はお前も含めて周りに助けられてばっかだよな」

「どうですかね。それでいいってのが、ナツキさんのさっきの放送だったんじゃないかと僕は思いますよ。そして、僕もそれでいいと思います」

 頭を掻き毟るスバルに、オットーが気安い言葉をかけてくる。その気遣いの声に拗ねたような舌打ちをして、スバルは肩を落とした。

「話はわかった。『叡智の書』のことは納得だ。ただ、それをあいつらが欲しがってるのは問題だな。現物は、どうすっか」

「復元の成否はともあれ、回収した方がいいとは思います。ダーツ氏が被害を受ける可能性が高いですし、それは僕も本意じゃありませんから」

「事は、四つの制御搭の同時攻略って線になってる。そっちに戦力は割けないぞ」

「非戦闘員の僕ですが、水路を選べば十分ですよ。こう見えて、水竜含めて動物を誑かすのは得意中の得意でして」

 自分の口に手を当てる素振りは、『言霊の加護』の誇示だろう。
 実際、逃げ回ることを主眼にすればオットーの加護は相当なものだ。それに敵の主力は制御搭に集中している。魔女教徒という手足が連れられていない以上、オットーの分は悪くないといったところか。

「僕の心配よりも、攻略組の方が重要ですよ。ナツキさんは、エミリア様を奪還しなくちゃならないんですから。責任は重大です」

「わかってる。『強欲』の野郎の首は、誰にも譲るつもりはねぇよ」

 脳裏を過る白髪の凶人。エミリアを連れ去った、忌まわしき悪魔。
 魔女教の大罪司教であることも含めて、必ず打ち倒すべき敵だ。

「戻りましょうか。そろそろ、説明も追いつく頃でしょう」

 気合いを入れ直すスバルを見て、オットーが会議室の方へ首を巡らせる。そのオットーに頷き、一緒に部屋へ戻ろうとして、

「――スバル殿」

 階段側から、低い声に呼ばれて足を止める。
 誰の声なのか聞き間違えるはずもない。段上からこちらを見るのは、細められた青い瞳――ヴィルヘルムだった。

「オットー、先に戻っててくれ」

「わかりました。話は、進めておきますから」

 ヴィルヘルムの姿を見て、オットーが先に会議室へ戻る。スバルは階段に足をかけて、上階で待つヴィルヘルムの下へと向かった。
 そうして同じ高さに上がると、ヴィルヘルムが目礼。

「話し合いに加われず、申し訳ありません。ご迷惑ばかりおかけします」

「事情が事情です。誰も、ヴィルヘルムさんたちを悪くなんて言いませんよ。その……クルシュさんは?」

 状況がよくない、とは聞いている。否、よくないどころではない。悪い、だ。そしてそれは女性として、人目に触れさせたくないということも。
 自分の右足の惨状を思い出し、同じ条件のクルシュがどんな被害を受けているのか想像する。それだけで、想像を悔やみたくなるほどの拒否感があった。
 そのスバルの問いかけに、ヴィルヘルムはそっと目を伏せる。

「そのクルシュ様が、スバル殿を呼んでおいでです。ご足労願ってよろしいですか?」

「クルシュさんが俺を? いや、もちろんいいですけど……いいんですか?」

「たってのお願いです。フェリスは、よい顔はしておりませんが」

「……でしょうね」

 フェリスこそが一番、スバルに対して恨み言が言いたいはずだ。
 都市庁舎の最上階で、カペラと相対したのはスバルとクルシュの二人だった。彼女を守れたのも、スバルだけだったのだから。

「フェリスが失礼なことを言うかもしれませんが、気になさらないでください。そしてできれば、それを許してやってください。あれも本心ではわかっています。ただどうにもならない感情を、持て余しているだけなのだと」

「大事な人が苦しんでて、周りを呪いたくなる気持ちならわかりますよ。それで悔やんでる相手が、それで全部だなんて思いたくはないです」

 八つ当たりで少しでも心が和らぐなら、そうすることを誰が責められる。
 甘んじて罵声を浴びせられるぐらいのこと、スバルにだって覚悟があった。

「こちらです」

 そのスバルの答えに何も言わず、ヴィルヘルムは先導してクルシュの下へとスバルを誘う。カツカツと、規則正しい靴音が廊下に響く。
 そして途中、

「スバル殿、私からも一つ報告がございます」

「なんですか? クルシュさんのこと以外だと……」

「大罪司教に同行していた、二人の剣士のことです」

 思わず、息が詰まった。
 想定されていたはずのことなのに、頭から抜けていたことが自分で情けない。ミミに与えられた『死神の加護』の塞がらない傷。
 超級の剣士、そこから推測されていた、凄腕の剣士の正体。

「一人は『八つ腕』のクルガン。ヴォラキア帝国で長く将軍の座にあった、凄まじい剛剣の使い手です。十年以上前に、死んだはずの男ですが」

「死んだはずの、男。あの、ヴィルヘルムさん」

「そしてもう一人」

 問い質そうとするスバルを遮り、ヴィルヘルムが言い切る。
 足が止まった。とっさにスバルも立ち止まる。背中を向けたまま、ヴィルヘルムはしばし沈黙する。スバルは一歩、前に出て横から顔を覗き込み――後悔した。
 見るべきではなかった。

「――もう一人は、『先代剣聖』テレシア・ヴァン・アストレア。十五年前の大征伐の折に、白鯨に敗れて死んだはずの、私の妻です」

「――――」

 声は、平静を保っていたように思う。強靭な精神力と、そう言えるだろう。
 だがそれらも、苦しげに引き歪んだ横顔を見てしまえば全てが色褪せる。
 唇を噛み、怒りと悲しみがない交ぜになった瞳をギュッとつぶり、皺の浮いた顔をさらにぐしゃぐしゃに、狂おしい激情に苛まれる表情を見れば、心情は歴然だ。

「奥さんと帝国の将軍。どっちも生きてたってことじゃ……」

「そうであれば……いえ、それはないでしょう。妻もクルガンも、どちらも死者のはずです。それは覆らない。死者を死者のまま、辱めているものがいます」

「死者を死者のまま……死霊術、みたいなものが?」

 ネクロマンシーなどの死霊術、いわゆる死体を操るような魔法はフィクションの世界では馴染み深いものだ。無論、フィクションに限れば死者を蘇生させる魔法だって珍しくはない。ただ、そんな都合のよい魔法は存在しない。
 そのぐらい、スバルもこの一年数ヶ月で痛いほど学んでいる。
 ならば可能性は後者ではなく、前者。

「禁術とされた死体を操る呪術。それを実際に行使する存在が、かつておりました。亜人戦争――数十年前、ルグニカであった人間族と亜人族との内戦ですが、そのものは亜人側に組し、王国の敵とされた三人の一人です」

「王国の敵……?」

「亜人族の英雄リブレ・フエルミ。大参謀バルガ・クロムウェル。そして」

 一度言葉を切り、ヴィルヘルムは言った。

「魔女スピンクス。人と亜人、双方の血を無慈悲に大量に流し、顔色一つ変えなかった最悪の存在。王国史に、サテラ以外で名を残した唯一の魔女です」


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