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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第五章 『歴史を刻む星々』

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第五章43 『合流前事情』



「肝心なときに協力できずにすまない。自分の不実を反省するばかりだ」

 室内にいた全員の注視を浴びて、ラインハルトが謝罪する。
 頭を下げる剣聖の姿に、誰もがとっさの言葉を見失った。彼の謝罪に対して、否定の言葉を投げかけるのは簡単だ。だが、口先だけのフォローすら本音では難しい。
 事実、喉から手が出るほどに戦力が欲しかったこの数時間、ラインハルトが所在を掴ませずに不在だったことは変わらないのだ。

 都市庁舎攻略の時点で彼の力があれば、そう思わずにはおれない。
 だから口先だけの否定すら、誰の口からも簡単には出てこない。
 ただし、

「本当だよ、馬鹿野郎。お前がいなくて、俺たちがどんだけ困ったと思ってんだ」

 赤い英雄に歩み寄り、その胸を小突いたスバルを除いての話だが。
 胸に拳を当てられて、ラインハルトがスバルに申し訳なさそうな目を向ける。らしくない、叱られてしょげているような彼の姿にスバルは鼻を鳴らした。

「それに、どうせくるならもう十五分早くこいよ。おかげで、全然キャラに合ってない演説とか俺がする羽目になったじゃねぇか。本当ならあれもお前の仕事だぞ」

「すまない。……だが、君らしいいい演説だったよ。仮に同じことを求められても、あれだけ勇気を奮い立たせる放送は僕にはできなかった。君で正解だ」

「俺とお前じゃ、求められてる放送の役割が違うと思うんですがね」

 苦い笑みを浮かべるラインハルトの胸を、スバルがもう一度小突く。それから、目を伏せる英雄の鼻面に指を突きつけた。

「ラインハルト」

「……なんだい」

「お前がきてくれて百人力どころか千人力だ。それぐらい、期待させてもらって大丈夫なんだよな? 頼りにするぜ?」

「――――」

 万の助勢に匹敵する戦力だ。スバルの百人力、千人力評価すらも生易しい。
 そのスバルの期待を込めた問いかけに、ラインハルトは青い瞳を瞬かせた。しかしその戸惑いもすぐに消えて、ラインハルトはその唇を笑みに緩める。

「ああ、頼りにしてほしい。君がそう望んでくれるなら、応えるよ」

「なんか腐の方々を喜ばせそうな言い方やめてくんない? まぁ、いいや。……ってわけだから、みんなも今のうちに言いたいこと言っておけよ」

 最初の負担が消えた顔のラインハルトに、笑いかけてスバルは振り返る。それまで何も言えずにいた他の顔ぶれを見回し、ラインハルトを指差した。

「こういうとき、気ぃ遣われる方がよっぽど辛いんだよ。それに怒られたがってる剣聖を叱れるチャンスなんてそうないぜ。やっとけやっとけ」

「――――」

「そんで存分にいびったら、話をしよう。――みんなを助ける話を、さ」

 胸を張り、スバルがそう言ってのける。
 その態度に誰かが息を呑む気配。ただ、ガーフィールとオットーの二人だけが、聞き慣れたスバルの虚勢に相好を崩すのがわかった。
 まぁ、一人や二人、本心を見透かしてくれてる奴がいるぐらいでちょうどいい。

 抱え込まなくていいのだと、そういう演説をしたばかりなのだから。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 その後、ラインハルトへの個々人の物言い(詳細省く)があって、改めて都市奪還のための話し合いが持たれた。
 と言っても、ラインハルトとオットーの合流以外に目立った好転はない。攻略しなくてはならない敵の数も、制御搭の同時攻略の方針も同じだ。

「ところで、この騒ぎの間、ラインハルトはどこで何をしてたんだ?」

 車座になり、話し合いを始める段階でスバルがふとそう切り出す。
 その問いかけにラインハルトの表情が曇った。今日は、そんな顔ばかりだ。

「フェルトも一緒にいないし、色々と聞きたいことも多いんだよ。あ、責めてるってわけじゃないぜ? その場面、さっきの物言いで水に流したつもりだし」

「ナツキくんの言い方はともかく、それはウチも気になるところやね。まさか『剣聖』さんが怯えて隠れてたなんて思わんけど、納得する理由は欲しいところや」

 スバルの疑問に、アナスタシアが乗っかってくる。こちらを横目にするアナスタシアの態度から、どうやら彼女もユリウスから報告を受けているらしい。
 騒ぎが起きる直前に、ラインハルトとフェルトの二人がハインケルと接触していたという話を。

 こちらの質問に対して、ラインハルトの表情が曇ったのはその証拠だろう。
 ヴィルヘルムもそうだが、ハインケルに対するアストレア家の接し方は非常に歯切れが悪い。こう言ってはなんだが、その接し方はまるで――、

「引きこもって十数年、プロニートと化した息子に腫れ物のような扱い方しかできない年老いた両親のような……」

「ナツキさんが変な妄想に飛び込んでいるところ恐縮ですが、どうします? ラインハルトさんが話しづらいようでしたら、僕の方からお話ししますが」

 夕方のニュース番組の引きこもり特集みたいな映像を回想するスバルに、挙手したオットーが割り込んできた。彼の気遣わしげな視線はラインハルトに向いており、その話しぶりは事情通のような素振りだ。

「そういや、お前とラインハルトって一緒にきてたけど、まさか騒ぎの間も一緒にいたのか?」

「いえ、そういうわけじゃありませんけどね? 僕がラインハルトさんと合流したのは最後の最後で……それでも、事情はほぼほぼ把握してますんで」

「ありがとう、オットー。でも、これは僕の家の問題だ。確かに話しづらい内容ではあるが、僕が話すのが筋だろう」

 配慮したオットーに、ラインハルトが首を横に振って提案を拒んだ。
 それから彼は瞑目し、一拍の後に姿勢を正す。

「まず、何度も言ったけど、もう一度謝らせてもらう。本来、最初に協力するべき立場にある僕が、数時間も合流できずに申し訳なかった。深く、受け止めている」

「……その点については、我々の見解は先ほど伝えた通りだ。何の問題もないと全てを許すことはできない。だが、これからの戦いに君は必要だ。己を省みるなら、戦働きによって証を立ててほしい」

「そうさせてもらうよ、ユリウス。……魔女教の最初の放送があったとき、僕とフェルト様は二番街の一角に呼び出されていた。相手は、ハインケル副団長だ」

 語り始めたラインハルトは、固い声でハインケルを副団長とそう呼んだ。
 父と子であることは周知の事実。それでも彼が役職で父を呼んだのは、二人の間にあるのが単なる親子関係では割り切れないものだと悟らせるのに十分だった。

「あのケンカ別れの後で、フェルトがよく呼び出しに応じたな?」

「フェルト様も本心では拒否したかったはずだ。けれど、事がアストレア領の領主権限の話とされたら拒む選択肢はなかった。どんな要求をされるかはわからなかったが……フェルト様は僕を同行させ、待ち合わせ場所へ向かったよ」

「そこで、話し合いがどんな風にまとまったのかってのは……」

「すまないが、それはさすがに王選の内情に関わりすぎる部分だからね。言及するのは避けさせてもらえると助かる。ただ、あまり順調な話し合いではなかった」

 ラインハルトの声の調子が落ちて、話し合いの難航ぶりがそれとなく察せる。
 それでなくても、直情的な上に敵愾心丸出しだったフェルトだ。ハインケルの下劣な人間性も相まって、話し合いの紛糾は想像に難くない。
 そんな話し合いの最中に――、

「魔女教からの、最初の放送があった。耳を疑ったのと同時に、すぐに動かなくてはと思ったよ。実際、何か危急の事態があればすぐ出られるよう心構えはしていたんだ。他の従者にも、必要なら僕を呼び出す手段は伝えてあったからね」

 その呼び出す手段が、空に魔法を打ち上げるいつかの合図というわけだ。
 シリウスの出現時、ラチンスが合図を打ち上げることがあれば、ラインハルトは三十秒ほどで現場に駆け付けた。その言葉に嘘はない。
 だというのに、ラインハルトは魔女教の放送というあからさまな悪意を耳にしても動かなかった。現場に駆け付けず、それどころか数時間も沈黙を守っていた。
 それはいったい、なぜだったのか。

「放送が、都市庁舎からのものってのはお前もわかってたはずだ。その時点で、都市庁舎に駆け込む選択肢はお前にもあったはず。……どうして、こなかった?」

「――――」

 責めているわけではない。そのつもりだが、問い質す声は固かった。
 少なからず、思うことはあるのだ。熾烈を極めた都市庁舎攻略戦に、ラインハルトの存在があれば――今なお、苦しみと戦うクルシュの被害はなかった。スバルの右足も、わけのわからない異変を受け入れずに済んだかもしれない。

 知らず、視線が厳しくなるのはスバルだけではない。
 部屋にいる皆の視線を浴びながら、ラインハルトはそれまで流暢に話していた口をつぐみ、再び目を伏せていた。
 長い睫に縁取られる瞳が、その先の言葉を躊躇わせている。
 それでも英雄は、葛藤をほんの数秒でねじ伏せ、途切れた言葉の続きを口にした。

「――ハインケル副団長に、フェルト様を人質に取られた」

「…………」

「僕の、取り返しのつかない失態だ。フェルト様の身柄を押さえられ、その首に剣を突きつけられて動きを封じられてしまった。だから、動けなかった」

 その言葉を口にするのに、ラインハルトが苦心した理由がはっきりわかった。
 忠を尽くすべき主人を、他でもない父親の手で人質にされたのだ。
 屈辱と恥辱が、どれだけラインハルトの心を苛んだことだろうか。

「……つまり、なんだ? あの、副団長は、魔女教の手先だったってことなのか?」

 衝撃の告白を受けて、スバルはラインハルトの心中を推し量りながら呟いた。
 それは、なんと残酷な事実なのだろうか。魔女教が市井に潜伏し、誰が教徒であるのかわからないという話は聞いていた。だが、それが身内の中に現れることなど考えたくもない。
 ペテルギウス以外にも、大罪司教の実態を知った今はより強くそう思う。
 魔女教は根こそぎ、腹の底から、人間のクズばかりなのだから。

「――だったなら、どうだろう。僕の心は、どうだったのかな」

「なに?」

 しかし、スバルの出した結論――同席するものの半数ほどが納得した理屈に、ラインハルトはどこか引っかかる物言いで応じた。
 その彼の態度をスバルは訝しむ。だが、別の半数――アナスタシアやユリウス、そしてオットーといった顔ぶれは違う結論を得た顔をしていた。

「副団長は、魔女教の関係者ではないよ。……少なくとも、フェルト様を拘束した以降の発言から、それを窺わせる要素は見られなかった」

「んな、馬鹿な。いや、馬鹿じゃなくてもいいけど……じゃあ、なんでだ? なんでフェルトを人質に? そんなことして、何の意味が――」

 あるのか、と続けようとしてスバルは気付いた。
 沈鬱なラインハルトの表情と、オットーらのやるせない顔つき。それらを目の端に入れていて、出てきた結論を笑い飛ばしたくなる。
 笑い飛ばせない。救いようがない。ならば、ハインケルの行動は、

「まさか、お前をその場所に釘付けにしておきたかったからか?」

「――――」

「魔女教の放送で、都市が危ないってことがわかって……だから、手っ取り早く自分を守るために、一番強い戦力を手元に置いておきたかったからか?」

「……副団長は言っていたよ。お前の大事な主と、父親がここにいる。それを見捨てて、顔も知らない奴らのところに走るのか」

「それが父親の言うことかよ!!」

 沸騰し、スバルは床に拳を叩きつけた。
 今日は一日、朝から繰り返し、この激情と顔を合わせてばかりだ。だがまさか、魔女教と無関係の相手にまで、こんな怒りを感じるとは思っていなかった。

「言い返す言葉もなかった。無論、フェルト様ははったりだとおっしゃったよ。自分のことはいいから、他の人たちを助けにいけと。――それでもあの場に残ったのは僕の意思だ。責められるべきは僕に違いない」

「なんでそうなるんだよ! 誰が間違ってるのかなんて、ここにいる全員がわかってるに決まってんだろ!」

「それでも、選んだのは僕だよ」

 怒鳴りつけるスバルに、ラインハルトは自分の責任を譲らない。
 頑ななラインハルトは、こちらが何を言ってもその点を曲げるつもりはもはやないのだろう。スバルは苛立たしげに舌打ちして、乱暴に気持ちを落ち着かせる。

「とにかく、それで膠着状態に陥った。その後は目立ったことは何もない。以降の放送にも何の対処もできず……フェルト様にひどくお叱りを受けたかな」

「一緒にいない、フェルトちゃんはどないなったん?」

 苦笑するラインハルトに、アナスタシアが聞いた。
 彼女は襟巻きを弄りながら、感情の読み難い無表情で、この場に同席していないフェルトの所在を気にする。

「そないに何時間も人質やって、精神的な疲れもかなりのもんのはずやろ。今、ラインハルトくんがこうしてるいうことは、問題は片付いたんや思うけど」

「ええ、そうです。フェルト様は今は、避難所で従者と合流させました。副団長も拘束して、フェルト様たちに見張っていただいています」

「拘束……捕まえたのか」

「そのぐらいは甘んじて受けてもらったよ。オットーの協力がなかったら、それもなかなか達成できなかったと思うけどね」

「ここでオットーの名前が出んのか」

 ここまで登場の兆しもなかったオットーの名前に、スバルが眉を寄せる。オットーはといえば、自分の出番に軽く咳払いして注目を集めていた。

「そういうわけです。と言っても、僕がその現場に辿り着いたのは偶然に偶然が重なった結果でしたけどね。ただ、お三方の関係性は僕もわかっていましたから、状況を見ただけで大体の事情は理解できました」

 アストレア家の問題と、フェルトの領地事情。
 それに加えて、ハインケルがフェルトを人質に、ラインハルトを引き止めている場面を目撃したのだ。血の巡りが悪くても、どんな場面かは理解できるだろう。

「魔女教相手に、ラインハルトさんの力が借りれないなんて最悪の状況ってのは僕もわかりましたからね。血の気が引いたのと同時に、どうにかせにゃならんと」

「それでオットーが気を引いて、どうにかフェルトを解放。それでラインハルトが動けるようになって、今に至る……ってことで、いいのか?」

「幸い、ナツキさんの大演説もありましたので、合流地点は悩まず済みました。もっと早く動けてたらよかったんですが、僕も色々あったもので」

 端的ではあるが、オットーの貢献にラインハルトも顎を引いた。
 また人の見てないところで人知れず活躍する、いぶし銀なオットーである。

「けッどよォ、オットー兄ィはこれまでどうしてッたんだよ。正直、オットー兄ィの強さで都市を歩き回ってるなんざ、自殺行為もいいッとこじゃァねェか」

「それに関しては紆余曲折があったんですが……いいや、話しましょう」

 咳払いを入れて、オットーが都市庁舎の外を指差した。

「朝の予定通り、僕は一人でミューズ商会に出向いていました。キリタカさんと改めて交渉再開のお願いをするためですね。向こうも一晩経って頭が冷えてましたので、さほど問題なく再交渉の約束は取り付けられそうだったんですが……」

「だったんだが?」

 言葉を切る様子から、そこで放送が入ったものとスバルは想定する。
 しかし、オットーは首を横に振って言った。

「ミューズ商会を含む、三番街大広場に魔女教が……大罪司教が姿を見せました。その人物が騒ぎを起こしたことで、魔女教の襲撃が露見した形です」

「大罪司教が……!? 放送の前にってことか?」

「はい。そうです、放送の前に」

 驚き、身を乗り出すスバルにオットーが頷いた。
 しかし、考えてみればありえない展開ではないのだ。放送前に活動を開始していた大罪司教といえば、シリウスやレグルスにも同じことがいえる。
 都市庁舎を襲撃しただろうカペラ以外、手の空いていた大罪司教たちはいずれもプリステラで活動していた可能性があるわけで――、

「待て、オットー」

「――――」

 声の調子を落としたスバルに、オットーの視線が沈痛な色を帯びる。
 その彼の気遣わしげな態度が、スバルの頭に浮かんだ想像を肯定していた。

 シリウスとレグルスの二人は、スバルたちと遭遇していたのだからありえない。カペラもまた、都市庁舎の襲撃に参加していたはずだ。
 ならば、オットーの前に姿を現した大罪司教の候補は一人しかいない。

「お前が出くわしたのは、『暴食』の大罪司教か」

「……はい。本人はそう名乗っていました。騙る理由もありませんし、その通りだったのだと思います。大広場で名乗った大罪司教は、僕にはまだ子どもに見えました」

 オットーの証言は、スバルの見たロイ・アルファルドと一致している。
 大罪司教の選抜基準など知りたくもないが、『暴食』は少なくとも見た目は子どもだった。襤褸を纏った、薄汚れた格好の子ども。嫌な嗤い方をする、子どもだ。

「最初は不謹慎な子どもなのかと、近くにいた人が注意しました。ミューズ商会の警備をしていたので、『白竜の鱗』の一人だったんだと思います。その人が最初に、『暴食』にねじ伏せられました。文字通り、ぺちゃんこです」

「…………」

「人が一人平たくなれば、否が応でも信じるしかありません。すぐに『白竜の鱗』が総動員して取り囲みましたが、お話になりませんでした」

 青い顔をしたオットーが、その惨状を言葉少なに語る。
 『暴食』はまるで踊るように、無造作に挑みかかる傭兵たちを薙ぎ倒したらしい。さらに恐るべきは、『暴食』の嗅覚――獲物を逃がさない嗅覚だ。

「そんな状況でしたから、通りにいた人は我先に逃げようとしましたよ。ですが、奴はそれを許しませんでした。何をしたのか、正直よくわかっていません。でも、離れたところにいる人にも、『暴食』の攻撃は食らいついた。建物の中でも同じです」

「何が、目的だったんだ?」

 思わず聞いてしまってから、それが意味のない質問だったとスバルは気付く。
 魔女教の行いに、奴らの目的に整合性などない。事実、オットーもスバルの質問に対する答えを持ち合わせず、首を横に振った。

「さあ、なんだったのか。とにかく、一大事でした。その場から逃げようにも、背中を見せた瞬間に攻撃が届きかねない。ちょっとした絶体絶命ですよ。……キリタカさんがいなければ、僕もここにいられなかったと思います」

「キリタカが、どうにかしてくれたってのか?」

「元々用心深い方だったんでしょうね。ミューズ商会の会長室には、建物の中から地下の水路に繋がる隠し通路が用意されていました。僕はそこから、小舟を使って外に脱出したんです。逃げるとき、キリタカさんの背中が斬られるのを見ました」

「――――」

「三番街からは、そのまま這う這うの体で逃げたというわけです。その後、魔女教の放送があって、迂闊に都市を動き回れなくなってしまい、とにかく慎重に町の中を歩き回っていました。そうしてようやく出くわしたのが、さっきの場面です」

 つまり、ラインハルトが動きを封じられていた場面ということか。
 そこまでの話が繋がり、同時にスバルはオットーもまた苦難の中をどうにか生き延びたのだと理解する。
 ただ、今の話の中で気にかかったのは、

「キリタカはどうしてそこまでしてくれたんだ? 今の話からしたら、自分の身を犠牲にしてまでオットーを逃がしてくれた。俺にはそう聞こえたぞ」

「……ええ、そうですよ。キリタカさんは身を挺して僕を逃がしてくれました。最後に斬られたのも、床下に僕を押し込んで庇ったからです」

「なんでそこまで……」

 スバルの中で、キリタカに対するイメージはほとんどない。わずかにあるイメージにしても、顔を青くして声を裏返らせ、動揺して魔鉱石を投げつけてきたシーンで固定されているぐらいだ。無論、それがその人の全てなどとは思わないが。
 他人のために体を張って何かができる、そこまで強い男には決して見えなかった。

「商会の中に招き入れた客人だったから、という商売人としての矜持もあったかもしれませんが、きっと本心の部分では別の理由ですよ。もっと、わかりやすい」

「わかりやすい理由って」

「わからないんですか? ナツキさんですよ」

 困惑するスバルに、オットーがその答えをはっきりと断言した。
 唐突に飛び出す自分の名前にスバルは動揺する。
 そのスバルの反応に、オットーはいくらか悔しげに目を伏せて、

「大罪司教の存在を前に、自分の部下がやられていくのを見たキリタカさんの心中は察するに余りあります。ただ、どうにかしなければならないという使命感も同時にあったことと思います。その彼の希望になったのが、ナツキさんですよ」

「…………」

「前日の邂逅で、キリタカさんはナツキさんの滞在を知っていた。『怠惰』を倒した功績も同様に。なら、希望に結びつくのは当然の流れです。何より先に僕を逃がしたのも、ナツキさんに繋げる相手と期待してのことでしょう」

 オットーの説明は理に適っていて、スバルの胸にもすとんと入り込んでくる。
 だがそれはあくまで、理屈の上の話だ。

 頭ではわかっている。背負うと、そう決めたことも間違いない。
 しかし、またしてもなのか。皆がスバルに、それを望んでいるのか。
 ちっぽけでどうしようもないろくでなしに、都市の命運を期待しているのか。

「ナツキさん、勘違いしないでくださいよ?」

 思わず、シニカルな笑みが浮かびかけるスバルをそんな声が引き止める。
 オットーが真っ直ぐ、スバルを覗き込むように見ていた。彼は強張るスバルの表情を見て、肩をすくめてみせると、

「キリタカさんは都市の責任者階級ですし、色々と頭を巡らせたとは思います。ナツキさんも、都市の命運を背負うのがどうたらとか及び腰になるのもわかります。でもきっと、キリタカさんがナツキさんに期待したのはもっとシンプルなことですよ」

「……ってーと?」

「決まってます。ここはキリタカさんにとって、好きな女性のいる都市です。都市を守る云々以前に、彼がナツキさんに期待したのは好きな女性の無事ですよ」

「――――」

「僕を床に押し込むとき、そう言ってましたから」

 つまるところオットーは、スバルに気負いすぎだと言いたいのだろう。
 勝手に都市の命運を背負った気になって、その重みにふらつくスバルを見かねての言葉だ。そしてそれは思いの外、思い上がっていたスバルの心を強く突いた。

 顔が熱くなり、スバルは自分が恥ずかしくなる。
 何が都市の命運、何が大勢の希望や期待だ、馬鹿馬鹿しい。

 都市、なんて形でしかないもので背負わなくてはならないものを見る愚かしさ。
 スバルが守らなくてはならないのは、そんな上辺だけの固い言葉ではなく、それを形作る一人一人だ。一人、また一人の命がある。
 そしてその命にはそれぞれ大事な人がいて、その繋がりを救うのだ。

「でっかいものじゃなく、小さい無数を背負うって考えたら気楽になりますか?」

「すげぇ。考え方の違いなのに、なんか実感が湧いてきたわ」

 オットーの補佐性能が高すぎて、スバルは本当に彼には頭が上がらない。
 俯く一方だったスバルの顔が上を向き、その結果にオットーは満足そうだ。

「なんや、いい関係みたいやね。見ててちょっと妬けるくらいやったわぁ」

 話のひと段落を見て取って、アナスタシアがそんな風に茶化してくる。車座になっていたのに、ほとんど対面で話していたスバルとオットーはそれに反省。
 それから改めて全員の顔を突き合わせると、アナスタシアが首を傾げた。

「それにしても、今の話からすると……ミューズ商会は、あかんのかな」

「わからない、というのが本当のところです。僕もキリタカさんが斬られるところまでは見ましたが、その傷がそのまま命に関わるものだったかまでは」

「『暴食』の目的は、考えるだけ無駄なのだろうか? 私にはどうしても、奴が何の理由もなくその暴挙に出たとは考えられない」

 口を挟んだのは、険しい顔をしたユリウスだった。
 やけに断定的な物言いだったのが気にかかる。

「妙に食いつくな。なんか、根拠でもあるのか?」

「……いや、明快な理由があるとは言えない。ただ、都市庁舎で剣を交えた印象とでもいうべきだろう。奴は、単なる愉快犯と断定するべきではないと考える」

 それにはスバルも同感だ。奴は単なる愉快犯ではなく、悪質な愉快犯だ。
 もっともその印象は、ユリウスの想定するものとは異なる答えのようだが。

「放送によると、『暴食』の要求は人工精霊って話だったよな? まさか、それを探してって可能性はあるのか?」

「可能性だけなら。ただ、それよりも問題があるとすれば、そもそもその『人工精霊』という存在の実在を疑うべきだ。本当に、そんな存在がいるのかな?」

 思い当たる動機を口にしたスバルに、ラインハルトの物言いが入る。
 その彼の疑問は、あの放送の要求を聞いた大勢が抱いた疑問だっただろう。
 それに対する答えは、この場ではスバルとアナスタシアの二人だけが持ち合わせている。思わずアナスタシアの顔をスバルは見てしまうが、アナスタシアの方はさすがに慣れたすまし顔だ。明かすつもりはない、ということなのか。

「――すみません、一つだけ」

 ただ、判断を迷うスバルの前で、オットーが挙手して注目を集めていた。
 彼はその表情に一抹の不安を滲ませながら、諦観まじりの吐息をこぼす。
 そして、

「その人工精霊に関しては、僕もわかりかねます。でも、それとは別の要求、『憤怒』の要求にあった、『叡智の書』ですが……」

 そこで言葉を一度切り、わずかに躊躇ってからオットーは言った。

「すみません。――この都市にそれを持ち込んだのは僕です」
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