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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第五章 『歴史を刻む星々』

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第五章35 『待ち伏せと奇襲』



 第一撃を手加減抜きで打ち込み、それを歯で食い止められた。

「――――」

 鞭の先端に噛みつき、空の両手をアピールするように振ってみせる『暴食』のロイ・アルファルド。アルファルド、その響きにもスバルは聞き覚えがある。

「あいつも星の名前――ッ!」

「スバル様、そのお話は終わっています! 参ります!」

 鞭を乱暴に引っ張るスバルに、アルファルドは大した未練もなさそうに得物を解放。そのアルファルド目掛けて、横合いからクルシュが百人一太刀を放り込んだ。
 荒れ狂う風の刃が都市庁舎一階のロビーを薙ぎ払い、並べられていた椅子や受付カウンター上にあったものが撫で切られながら盛大に吹っ飛ぶ。
 無論、斬撃は射程上にいたアルファルドにも容赦なく襲いかかるが――、

「うひゃッ、すごいね! けど、一芸としちゃ面白いけどさァ」

「――っ!?」

 見えないはずの風の刃を、少年は大きく身を後ろへ倒すことで回避。その場にブリッジするような勢いで床に頭をつけ、そのまま後方へ一回転。
 屈んだ姿勢からクラウチングスタートの構えを見せ、顔が上がり、嗤う。

「攻撃手段としちゃ、味方も巻き込みそうだし、見え見えだしで三流だ。あんまり僕たちにはおいしそうに見えないかもねッ!」

 言い切った直後、床を蹴ったアルファルドの体が弾丸のように飛ぶ。
 小柄な体が跳躍し、鋭い犬歯を剥きながら大口を開けて迫る姿には、まるで獰猛な野犬のようなものを錯覚させる。だが、その危険度は野犬の比ではない。
 クルシュが剣を縦に構え、その顔面に合わせて斬撃を振り下ろす。しかし、

「筋はいいけど磨きが足りないッ! 俺たちにとっちゃ前菜以下だよ!」

「――うぁ!」

 斬撃に対して右手が振られ、甲高い音を立ててクルシュの剣が弾かれる。見れば、アルファルドの両手には布が巻かれ、その手首あたりから短剣の刀身が突き出しているのがわかる。
 両手に短剣を装備し、小柄な体躯の速度と身軽さを活かして戦うスタイルだ。

 剣を払ったのと反対の、左の短剣がクルシュの喉を狙う。彼女はとっさにそれを身をよじって回避するが、空中で身を回すアルファルドの蹴りを肩に食らい、細い体が横に吹っ飛んだ。

「あ、ぅ!」

「クルシュさん!」

「そっちの人も、余所見とかしてる場合じゃないっての。むしろ、あんたが一番狙いやすいってのにさァ!」

 床を滑っていくクルシュに気を取られ、視線の外れたスバルを狙って再びアルファルドが地面を蹴る。薄暗い中、ボロを纏っただけの『暴食』の姿は闇に紛れ、とっさにスバルはその姿を見失うが――、

「悪ぃが……」

「彼が囮に最適なのは、『怠惰』のときの実績が証明しているよ」

「なァ!?」

 隙だらけのスバルを標的にしたことで、かえって自らの隙を晒すアルファルド。
 自分の無力さを痛感しているスバルは、頭に血が回っていても先走るような真似はしまいと誓っている。唇を噛み切り、痛みに自らの意識を自制して、この場で最も実力のある存在に一撃を放たせるために。

 中空にあった小柄な体に、音もなく接近したユリウスの刺突が穿たれる。
 アルファルドはとっさに宙で身をひねるが、最優の騎士の斬撃は狙い鮮やかにその胴を薙ぎ、鮮血を散らしながら『暴食』の体は床を転がった。

「うっひゃ! こりゃァ、驚いた――」

「ならば、驚きを継続してもらうとしよう。花開け、私の蕾たちよ!」

 床を叩いて飛ぶように立ち上がるアルファルドに、台詞を言い切らせないユリウスの踏み込みと準精霊の追撃。
 照明の落とされたロビーが虹色に照らし出され、踏み込むユリウスの背後から極光が『暴食』を目掛けて殺到する。

「精霊使いッ!」

「美食家の君のお気に召せばいいが。どの蕾も、私自慢の大輪を咲かせる子らだ」

「気障ったらしいの、好きじゃァないな、僕たちも俺たちもさァ!」

 極光が世界を焼くのを見て、アルファルドが叫びながら大きく飛びずさる。ユリウスの細い剣がその後を追い、縦横無尽に放たれる刃が横っ跳びに射程から逃れようとするアルファルドを後方へと追い詰めていく。

「――『幼女使い』!」

「その名前で呼ぶんじゃねぇよ、『ユーリ』!」

「『戦姫』を連れて上階へ向かってくれ! 放送を止めるんだ!」

 互いの名前を隠して呼び合い、ユリウスがアルファルドを引き受けると宣言。
 咳き込むクルシュを抱き起こしながら、スバルはそれが最も合理的な判断とわかっていながらもとっさに頷くことができない。

 飛び回り、悪態をついている少年は『暴食』なのだ。
 ずっとずっと、一年以上も追い求めてきた仇敵だ。奴を倒すことは、スバルにとって最大で最優先すべき目標であったことは違いないのだ。
 それをみすみす――、

「わ、かりました。ユーリ様、ご武運を」

「――っ」

 しかし、そんなスバルの葛藤に先んじて、立ち上がるクルシュがユリウスにそう返事してしまう。ハッと顔を上げるスバルは、その目の前のクルシュの横顔に悔しげな色が浮かぶのを見てしまった。

 クルシュとて、『暴食』に自分の記憶を奪われた被害者なのだ。
 当然、記憶にない雪辱を晴らすことをずっと考えてきたことだろう。それでも、自分の責務を優先し、『暴食』との戦いを他人に委ねた。
 感情論を抜きにすれば、実力が足りないことも明白。スバルとクルシュの立場と思考はどこまでも、このとき同じ地点で選択を求められていた。

「さってさてさて、どうするのかなァ。僕たちは別に、一緒でもいいんだよォ? スカスカ女とカスカス男でも、合わせれば本命の前の腹ごなしにはなりそうだ。そっちの『ユーリ』さんは、食べて、齧って、食んで、舐めて、舐って、喰らって、噛みついて、噛み千切って、噛み砕いて、暴飲! 暴食ッ! してもよさそうだしさァ」

「余計な口は叩かないことだ。このユーリ、ただ食べられてやるつもりはないのでね!」

 限られたスペースを極光に削られながら、なおもアルファルドは余裕綽々の態度で笑い飛ばす。それをユリウスが追いかけ、互いの剣劇が鋼の音を立てて乱舞。
 その間、ちらと一瞬だけユリウスとスバルの視線が絡んだ。
 その視線はスバルに対して、何も語ろうとはしなかったが――、

「ああ、クソ! わかったよ! てめぇ、絶対に負けんじゃねぇぞ!」

「それはこちらの台詞だよ。負けなくてもいいが、死なないように。いや、死なせないようにだ」

「行きましょう、『幼女使い』様!」

 頭を掻き毟り、ひたすらに口惜しい気持ちを置き去りにして走り出す。
 せめてクルシュより前に出たいところだが、とっさの奇襲に対して反応が可能なのもクルシュの方だという情けない事態。
 傷を負いながらも前に出るクルシュの背中を追って、スバルたちは階段へ。駆け上がる前にロビーで戦うユリウスとアルファルドを最後に見る。
 戦いはユリウスが優勢に見える。だが、油断はならない。

「行きたまえ!」

「――クソ!」

 スバルの視線に気付き、最後まで身を案じさせてもくれないユリウス。
 嫌な奴だと内心で唾を吐き、直接文句を言うまでは倒れられちゃ困ると言い訳。それからスバルはクルシュの後を追い、階段で一気に上階へ。
 待ち伏せを警戒しながら二人は踊り場を抜け、さらに最上階を目指す。
 その途中、

「スバル様、申し訳ありませんでした。本当なら、あなたが一番『暴食』を……」

「やめてくれ、クルシュさん。誰もクルシュさんが悪いなんて思ってない」

 上階の様子を窺いながら、クルシュがそっとそんな謝罪を口にする。だが、悔しいのはクルシュも同じだ。謝られたところで、互いの傷も埋まらない。
 それに謝られてしまうと、責めたくなってしまう自分がいるのも嫌だった。

「……ごめん、レム。もうちょっと、待っててくれ」

 今も屋敷で眠り続ける少女の名を呼び、スバルは心からの謝罪の念を送る。
 本当なら今すぐ駆け戻り、あの悪辣に嗤う大罪司教を八つ裂きにしてやりたい。そうすることで彼女が戻るなら、そうすることの何が悪い。

 そうすることで巻き起こる、大勢の生死を揺るがすだろう混乱。
 そのことについて後先考えられない単細胞の方が、きっとずっと楽だった。
 それをしてしまえば、目覚めた彼女にきっと怒られるとわかっていても。

「――――」

 息を殺し、込み上げる感情を噛み潰すスバルにクルシュは何も言わない。ただ謝罪したことを悔やむように目を閉じ、彼女を先頭に行軍を再開する。

 都市庁舎は五階建ての建物で、スバルとクルシュの姿はすでに四階。途中の階には会議室や書類仕事用の部屋などがあり、ざっと踊り場の案内を確認した限りでは放送室は最上階にあるものと思っていいらしい。
 つまり、

「あの『色欲』も、そこにいるってことになるが……」

「ええ、そうですね。でも、この廊下の広さで本当に……?」

 四階の廊下を覗き込み、クルシュが疑わしげに眉根を寄せる。
 彼女の疑問は当然のもので、スバルも同じように疑問を抱いていた。

 四階の通路の広さは、せいぜい人が四人ほど並んで歩ける程度の幅しかない。
 広場から見上げた黒竜の体格は、遠目ではあったが像ほどもあったのだ。とてもではないが、この建物の通路に収まり切るようには思えない。
 無論、通路などは通らずに壁を破壊し、部屋に無理やりに体を押し込んでいる可能性はあるが――、

「どう思われますか?」

「少なくとも、通路の待ち伏せはないと思っていいと思う。それはクルシュさんも同意見だろ? 問題は放送室での待ち伏せだけど……中に入ってこれだけ時間が経っていやがるんだ。何か準備してやがることは間違いない」

「……はい、そう思います。放送室、そこに仕掛けているでしょうか」

「絶対にくる場所って考えれば、間違いない。ただ、都市庁舎にいたはずの人たちもまだ見つかってない。下手すると、人質作戦も……」

 考えれば考えるほどに悪い状況ばかりが浮かんできてしまう。
 こればかりは武力があればどうなる、という類の問題でもない。クルシュの戦闘力はそこそこ止まりで、魔法に関しては期待できないという自己申告だ。スバルの方もベアトリスの戦線離脱が痛い。それに右足も、よく見ると血がだいぶ滲んでいる。

「虎穴に入らずんば、とはさすがに思い切りよくいけねぇ。外の戦いが片付けば、下に加勢して状況も一気に変わるはずなんだが……」

「そうなった場合、『色欲』が放送を先延ばしにする理由がなくなります。やはり、私とスバル様でどうにかする他にありません」

「待ち伏せに対する、最適な方法……」

 クルシュが力強く言い、スバルの方をじっと見つめる。
 その熱のこもった視線に気圧されるものを感じ、スバルは息を呑んだ。

「あの、クルシュさん?」

「ヴィルヘルムから聞かされています。このような状況でこそ、スバル様は最適解を導き出されるお方だと。私も、そう信じています」

「信頼が重い!」

 ヴィルヘルムの過大評価に、評価の低かった頃のスバルを忘却しているクルシュの期待までもが乗っかってしまう。
 かけられる期待の重さに潰れてしまいそうになりながら、スバルははっきり区切られたわけではない、だが残されていないだろう時間の限りを尽くして考える。
 そして、決めた。

「待ち伏せに対して、何ができるか……」

「はい」

「相手が当たり前のようにこっちを待つなら……こっちは、その当たり前を崩そう」


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ――待ち伏せには重要な要素がいくつかある。

 まず、待ち伏せする場所。これは待機し、優位な地点から敵を一方的に攻撃しようという考えから成り立つ戦法なのだから、まず必須の要素だ。
 それから、待ち伏せ地点に敵対する人物が現れる確実性。せっかく待ち伏せを開始したのに、肝心の相手がそこに現れないでは話にならない。
 そして、その敵対者が待ち伏せ場所へ訪れる時間の推測だ。待ち伏せし続けて集中力が途切れました、では最善の効果を発揮できない。

 故に『色欲』が待ち伏せをしていると仮定した場合、今回はその三つの要素のいずれも満たしているということになる。
 スバルたちはどうあっても、『放送室』に『限られた時間』で『必ず突入』する必要があるのだ。待ち伏せする側にとって、これほど楽に獲物が狩れる状況もない。

「だから、その状況を壊してやる必要がある」

「それは、わかります。……いいえ、私も貴族です。一度、スバル様を信じると決めましたから、いつまでも申しません。お任せします」

 放送室のある最上階――より、さらに一つ上の階。
 つまりは最上階を抜けた屋上に姿を現し、そこでスバルとクルシュは相手の作戦を崩すためのプランの実行を準備していた。
 スバルの提案に最初は困惑気味だったクルシュも、どうやら覚悟は決まったようだ。このあたりの思い切りの良さは、記憶を失う以前と今でも変わらない美点だ。

「本当は広場の戦いがどうなってるか見たいとこだけど」

「下に察せられては私たちの行動も無意味になりますから」

 広場の方からは、この高所まで微かに鋼の打ち合う音と、ガーフィールの罵声が聞こえてくる。つまり、まだ戦闘は継続中だ。彼らの助勢は期待できない。

「それにしても……」

 屋上の様子をぐるりと見渡し、スバルはなるほどと顎を引いた。
 地面のそこここに残る爪痕は、黒竜が傍若無人に歩き回った痕跡だろう。広場側のフェンスと鉄柵が消し飛んでいるのは、ユリウスの放った魔法の被害だ。

 空恐ろしい威力だと思いながら、スバルはそのまま大きく屋上を迂回して広場とは反対側へ。そちら側のスペースに、間取りを確認した限りでは放送室がある。
 当然、カペラはそちらでスバルたちが駆け上がってくるのを待っているはずであり、

「スバル様」

「なんスか? 準備ならもうちょっとで」

「今さらですけど、一つだけ気付きました」

「……?」

 鉄柵に細工しているスバルの後ろで、わずかに声の調子を落とすクルシュ。スバルが訝しげにそちらを見ると、彼女はやけに強張った顔でスバルを見て、

「私、高いところが苦手なようです。早く、済ませましょう」

「意外な弱点……了解です。準備、できました」

 しっかりと固定されているのを確認して、スバルはクルシュに頷きかける。すると彼女はやけに固い顔のまま頷き、腕を広げるスバルの胸にそっと飛び込み、

「――離さないでくださいね」

「クルシュさん、男を勘違いさせるからそういうことあんまり言わない方がいいよ」

「――?」

 首を傾げるクルシュに苦笑し、スバルはふっと息を吐く。それから胸に寄り添うクルシュの体を担ぎ上げ、そのまま勢いよく鉄柵の外へと身を乗り出した。
 当然、二人の体は重力に引かれて、そのまま建物の壁面に沿って地面に真っ逆さま――その落下途中で、スバルの腕に絡んだ鞭の長さが限界に達する。

「――ッ!」

 二人分の重量を支えながら、スバルは外れそうになる肩を気合いで堪える。落下の勢いが斜めにかかり、二人の体は大きく弧を描いて都市庁舎の壁へ。そこにあった、放送室と目算した部屋の窓に、スバルは両足を伸ばし、ぶち破る――。

「っらぁ――ッ!」

「なあ!?」

 窓ガラスの破片をぶちまけながら、スバルとクルシュの体が放送室の中へと転がり込んだ。一瞬、クルシュが小さく悲鳴を上げたような気がしたが、スバルはそれを聞いていないふりをして腕の中の彼女を解放。
 二人で床に手をつき、即座に部屋の中を見回し、見つける。

「――――っ」

 飛び込んできた二人を凝然と、目を見開いて硬直する黒竜の姿。
 屋上で見かけた通りの馬鹿でかい図体を部屋の中に押し込み、翼を畳んで首をもたげていた黒竜は、その火砲をどうやら通路からの扉に向けていたらしい。
 おそらく、そちらから正しく入室したスバルたちを焼き殺す算段だったのだろうが、その狙いは完全に的を外したといっていい。

 むしろでかすぎる図体が邪魔して、小回りの利かない部屋の中では不利だ。
 黒竜は身構えるスバルたちに対し、翼を広げて応戦しようとするが、

「クルシュさん!」

「はい!」

 高所の恐怖から解放されて、クルシュが高らかに応じながら斬撃を放つ。
 風の刃が広がる黒竜の翼を根元から一閃、さらに跳躍するクルシュが直接の一撃によって黒竜の前足を切断、『色欲』が絶叫を上げ、どす黒い血が噴出する。

「おおおがああああ!!」

「危ねぇ! 伏せ……おぁ!?」

 痛みに叫びながら、翼と首を振り乱して部屋を破壊するカペラ。
 通常の部屋に比べれば幾分大きい部屋だが、象に匹敵する生物が暴れ回ればそうそう耐久力がもつはずもない。その破壊に巻き込まれまいと、頭を抱えてスバルはその破壊から逃れようとするが、気付いてしまう。

 ――黒竜の足下に、一人の縛られた少女が必死で身をよじっているのだ。

「――!」

 その涙目の少女と、スバルの目がぴたりと合った。
 瞬間、『色欲』が最初の待ち伏せ攻撃が失敗に終わったとき、こちらに対して有効な人質を準備していたことを悟り、怒りに火がついた。

 集中力が研ぎ澄まされ、スバルの体は逃れるより前進を選ぶ。
 頭上を抜ける尾を何とか掻い潜り、滑り込むように黒竜の足下の少女の下へ。震える小さな体を抱え上げ、ついでに手元に戻した鞭で思い切り黒竜の背中を叩く。ダメージは見られない。気がちょっと済んだだけだ。
 だが、クルシュの一撃はそうではない。

「待て! 待って! これは違……っ!」

「問答無用! 都市に混乱と災いをもたらす、その報いを受けなさい!」

 やけに人間臭い動作で頭を抱え込む黒竜に、クルシュの刃は容赦しない。
 守勢に回ればこれほど脆いのかと拍子抜けするほど、カペラは鋼の刃に対して無防備と無力を晒した。

 頭を抱え込むもう一つの翼が半ば切り裂かれ、絶叫を上げるその体躯をクルシュの細く長い足が蹴りつける。スバルの脚力とどれほど違うのか、巨体がその威力に揺るがされて後退し、スバルたちがぶち破ったのとは反対側の窓へ。

 黒竜の両翼はいまだ、再生が始まっていない。
 不死身を喧伝したわりに、その再生力は脅威といえるほどの速度ではなかった。

「これで、終わりです――!」

「待っ――」

 聞く耳持たず、クルシュの走る幾重もの斬撃が黒竜の胴を、首を、翼を薙ぎ、その巨体を壁に叩きつけ、窓枠ごと崩壊させて外へと放り出した。
 壁面を砕いて吹き飛ぶ黒竜はとっさに翼を広げたが、片方は根元から、もう片方は縦に鉤裂きのようにされており、飛行に耐える状態ではない。

「――――っ」

 そのまま再生が間に合わず、黒竜は声も上げられずに一気に落下する。
 ほんの数秒後、『色欲』が地面に叩きつけられる音が届く。肉が壁に叩きつけられるような、濡れた雑巾を床に落とすような類の音だ。

「確認と警戒します。スバル様はその子を」

「あ、ああ、わかった」

 黒竜が落下した窓枠へ歩み寄り、警戒を切らさないクルシュ。彼女の後姿に頼り甲斐を感じつつ、スバルは今の騒ぎで回収した少女をそっと解放する。
 すると少女は目を白黒とさせ、自分がどんな状態にあるかわからないような怯えた顔でスバルを見上げた。
 無理もない。竜に睨まれるような経験、誰だって怯えて当然だ。

「大丈夫だ。今の悪い竜は、強いお姉さんがやっつけてくれた。あんまりゆっくりもしてられねぇけど……他の人は?」

「あ、え……」

「信じにくいかもだけど、俺は味方。君たちを助けにきた。怖い奴らが戻ってくる前に色々と片さなきゃいけないんだ。協力してくれるか?」

 膝をつき、目線の高さを少女に合わせ、声の調子を穏やかにして話しかける。
 不思議と幼少組に懐かれるスバルの、無意識の同調行為だ。そのスバルの態度に少女も少しは落ち着きを取り戻したのか、何度か喘ぐように呼吸してから、

「あ、あっちにお部屋……みんな、そこに」

「閉じ込められてるのか? その……」

 少女の指差す部屋は、放送室のさらに奥にある小部屋だ。
 というより、この部屋が放送室ではないのだろう。大部屋だが、放送機材のようなものが見当たらない。魔法器であると割り切っても、それに見えるものがどこにもないのだ。おそらくはここが放送準備室で、少女の指差す部屋が正式な放送室といったところか。

 そちらへ視線をやりながら、スバルは少女への問いかけの先を口にするのを躊躇った。その先に続けようとしたのは、閉じ込められた人々の生死の確認だ。
 だが、そんなことを少女に聞くのはあまりにも残酷だし、考えが足りない。
 スバルはまだ震えている少女の頭を撫でてから、ゆっくりと部屋へ向かう。

「――――」

 心臓が高く速く鳴り、スバルはじっとりと背中が汗を掻くのに気付く。
 自主的なターザンジャンプにはここまで緊張しなかったくせに、急激に喉に渇きを感じるのが不思議だった。嫌な予感、恐ろしい予感が消えない。

「スバル様?」

「大丈夫だ。すぐ確認する。『色欲』は?」

「……こちらも大丈夫です。何故か、落ちた格好のまま動かなくて」

 クルシュが眼下の『色欲』を警戒しながら応答する。その答えを聞いて、スバルは深呼吸しながら部屋の前へ、そしてドアノブに手を伸ばした。
 放送室の中にも、まだ魔女教徒が潜んでいる可能性がある。それを思えば、スバルがこうして部屋を検めるのもベターな選択肢ではない。
 しかし、その心配はないだろうという確信が何故か胸の中にあった。そして実際、その考えは間違ってはいなかった。

 だって、実際中には魔女教徒の姿はなく、そこにあったのは――。

「――――」

「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」

 絶句するスバルを、無言の視線が大量に見ている。
 いや、見ているのではないかと思ったにすぎない。それがどのようにして世界を観測しているのか、スバルにはわからない。わかりたくもない。
 ただ、絶句した。声が出なかった。言葉を失うとはこういうことだ。思考が凍りつき、何も考えられなくなった。しかし、わかったこともある。

 ――避難所で聞いた放送のとき、耳障りな声の背後に聞こえていた音の正体だ。

「――だ、これ」

 掠れた声を出すスバルに応じるように、部屋の中にその音が響き渡る。
 それはスバルを歓迎しているようにも、恐れているようにも、拒んでいるようにも、喜んでいるようにも、何も感じていないようにも聞こえて――。

 無数の羽音が放送室に響き渡る。
 薄暗い部屋の中に、赤く光るような大量の複眼が蠢いて、スバルをぎょろぎょろと見ているような気がした。

 放送室を埋め尽くすように、そこには大量の蝿がいた。
 それも、人間と同じほども大きい蝿が、何体も何体も、何体も――。

「――あああ!!」

「――――ッ!」

 意識が空白に満たされるスバルの背後で、唐突に悲鳴が上がった。
 肩を跳ねさせ、悲鳴に反応してその大きすぎる羽根をばたつかせる蝿たちを部屋に押し込めたまま、スバルは振り返り、見た。

「きゃはははっ! バーカ、バーカ! てめーらクズ肉が足りねー頭ひねったところで、アタクシに知恵比べで勝とうとか脳味噌代わりに砂糖でも詰めてやがんのかってんですよー! きゃっはははは!」

 ケラケラと耳障りな声で高笑いを上げ、悶絶するクルシュを足下に敷いた少女。
 聞き覚えのある悪辣な声は紛れもなく、

「カペラちゃんどぇーす! きゃははははっ!」

 舌を出し、ウィンクしながらポーズを決めるカペラの足下で、クルシュが大量の鮮血を口から吐き出し、白目を剥いてしまっていた。

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