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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第五章 『歴史を刻む星々』

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第五章32 『都市庁舎攻略ミーティング』


「ああもう! 治癒魔法が効かない! こんな原始的な方法で治療するしかないにゃんて……!」

 苛立たしげに歯軋りして、頬に血を跳ねさせたフェリスが腕を振るう。
 彼の目の前、簡易ベッドに寝かされたミミはぐったりとしたまま、か細い呼吸を繰り返してその胸から今も血を流し続けていた。
 傷口を魔法で浄化した布で押さえて、包帯を巻いてひたすらに止血する。手足の負傷であれば傷を心臓より高く保つことなどで出血を抑えることもできるが、ミミが傷を負ったのは心臓の真上である胸だ。
 その命の残り時間は、彼女の生命力次第としか言わざるを得ない。

 必死の治療を見守りながら、スバルは壁に寄り掛かって崩れ落ちているガーフィールを気にする。ミミの方を見れず、自分の短い金髪に血塗れの手を差し込んでうなだれるガーフィール、その姿も決して楽観視できるほどまともな状態ではない。
 ミミの血だけでなく、ガーフィール自身の体にもいくつも負傷が見られる。吐血を拭った口元と、左肩と右膝の出血が特に痛々しい。膝などはズボンがバッサリ裂け、その下には肉が削げて白い骨が覗いているのがわかるほどだ。

「ガーフィール。ミミのことはひとまず、フェリスに任せるしかない。お前の方も傷の治療をしろ。自分で治癒魔法、かけられるか?」

「……あァ」

 スバルの言葉に顎を引き、ガーフィールがのろのろと傷口に掌を当てて、自身の体に癒しのマナを送り始める。徐々に傷が癒えていくのを見届け、スバルはゆっくりと手にしていた対話鏡に目を落とした。
 そこに映る老剣士は、皺だらけの顔に難しい表情を浮かべて押し黙っている。

 その胸中にどのような葛藤が生まれているのか、その表層だけはわかるつもりだ。きっとヴィルヘルムも、スバルと同じことに思い至ったに違いない。

「塞がらない、傷ってことは……」

「十中八九、『死神』の加護による傷と見て間違いないでしょう」

 スバルの言葉を引き継ぎ、ヴィルヘルムがわかっていた結論を口にする。
 『死神』の加護は、その加護の持ち主が与えた傷に、癒えることのない呪いを宿す恐るべき力のことだ。
 ミミの胸の傷が魔法で塞がらないのは、その加護の影響を受けているためと考えて間違いないだろう。

 そして、スバルが知る限り、その加護を宿す人物で思い当るのはたった一人。
 無論、同じ加護が別の人間に宿る可能性もないとは言い切れないが、

「ヴィルヘルムさん。こんなこと聞くのは怖いんですが……腕の傷は、どうなっていますか?」

「――――」

 スバルの問いかけに、ヴィルヘルムは瞑目する。それから彼は上着を脱ぐと、己の左肩部分をそっとスバルへ見せた。
 しっかりと包帯の巻かれたその部分に、目立った血の痕跡は見当たらない。ならば出血はしていないと、そういうことだと思っていいものか。

「仮にその傷を与えたのが、妻と同じ加護を宿したものであっても、私の傷口が開かないということは妻ではあり得ない。当然の、ことではありますが」

「ヴィルヘルムさん……」

 声の調子を落とすヴィルヘルムが、落胆しているのか安堵しているのかスバルにはわからなかった。
 ヴィルヘルムからすれば、妻は十五年も前に失ったと思っていたものだ。一年前の出来事でその死に疑念を抱いても、希望を抱くことはできなかったことだろう。
 ただ無条件の希望は難しくとも、ささやかな希望を信じるのは人の弱さだ。ヴィルヘルムがそうした弱さを持っていても、スバルは恥とは思わない。

 だから今このとき、スバルはヴィルヘルムにかける言葉が見つからなかった。ヴィルヘルムの方も、安易な慰めや励ましなど求めていない。
 故に動きがなくなるスバルを余所に、背後で変化が生じていた。
 それは、

「兄ちゃん。傷を塞いどるとこ悪いんやが、ちょっとええか?」

 そう言って、どっかりと床に腰を下ろしたのはリカードだ。
 決死の治療を行うフェリスの傍にいた獣人は、各部の体毛を鮮血に濡らしながらガーフィールの前に座り、鋭い眼差しで彼を睨みつける。
 その眼光に、ガーフィールがゆっくりと首をもたげる。

「何が起きたかはワイにもようわからん。けど、兄ちゃんがここに連れてきてくれへんかったら、ミミが死んどったのは間違いない。せやから、こうや」

「――――」

「ほんまに、ありがとな。恩に着る」

 両の拳を床について、リカードが深々と頭を下げた。
 地面に額を擦りつけ、家族に等しい存在を連れてきてくれたことへ感謝するリカードの姿に、ガーフィールが呆気に取られた顔をするのがわかった。

 まだミミは予断を許さない状態だ。ミミを守り切れなかったことに、ガーフィールが自責の念を抱いているのもわかる。だが、それはガーフィールが悪いということでは決してない。彼を責めることに、何の意味がある。
 本音のところではリカードだって、無事でミミが帰ることを願っていたはずだ。そのミミがあの状態で戻って、心が穏やかでいられるはずがない。
 それでも頭を下げる彼の姿勢に、スバルはリカードの心根の誠実さを見た。

 同時に、ミミをあんな状態へした者への堪え難い怒りも抱く。
 だから、

「ガーフィール。話しづらいかもしれねぇが、何があったか話してくれ。お前がそこまでやられるなんて、そうそう考えられねぇ。それに……」

 ガーフィールに事情の説明を求めながら、スバルの脳裏に過る考えがある。
 それは先ほど、ユリウスやヴィルヘルムたちと情報を整理し、今のプリステラが置かれた絶体絶命の状況を考慮したとき、脳裏を掠めた考えだ。

 五ヶ所の都市要所を掌握し、都市にいる全員の命を人質に取った魔女教。
 要所を五ヶ所、強力な力を持つ存在がそれぞれに支配しているというこちらの推測が仮に正しければ――憤怒、強欲、色欲に加えて、『暴食』がいる可能性が高い。

 ――その『暴食』こそが、決して逃してはならないスバルの標的でもある。

 エミリアを奪った『強欲』に、ペテルギウスとの関係からスバルをつけ狙う『憤怒』。醜悪な人間性が垣間見える『色欲』に、因縁の相手である『暴食』。
 事態は最悪には違いないが、同時にこれ以上ない好機でもあるのだ。

 張り巡らされた蜘蛛の糸に囚われた今こそが、蜘蛛を狩り出す絶好の機会。

「俺たちはどうにかして、あいつら全員をぶっ倒さなきゃならねぇ。でないと、全員がこっから無事に帰るってことができねぇからな」

「――――」

 スバルの宣言に、ガーフィールが驚いた顔でまじまじと見つめてくる。
 まるで予想外の方角から殴られたようなその顔に、スバルは力強く頷いた。

 まだ何も光明は見えていない。状況は最悪で、事態は完全に手詰まり。
 だが、それは諦める理由にはならないし、スバルにとってはいつものことだ。

 いつも通り、針に糸を通すような条件を掻い潜って、全員で無事に切り抜ける。
 そのための行動を、ここから起こさなくてはならないのだから。

「……あの放送を聞いて、俺様ァちびっ子と一緒に町の真んッ中の、都市庁舎に向かったんだ。いけ好かねェ、あの声の主をぶっちめようって腹でよォ」

「ワイらも、そうするしかないか話しとったところや。先越されたわけやな」

「都市庁舎までの道のりにゃァ、見張りもいなけりゃ邪魔も出てこなかった。だァから俺様ァ、そのまま都市庁舎に殴り込もうとして……そこで」

 ガーフィールが言葉を切り、わなわなと拳と牙が震える。
 それは恐怖ではなく、怒りだ。ただし、その矛先は敵対した相手ではなく、おそらく自分へ向けたものにスバルは思えた。
 一度、強く牙を鳴らして噛み、ガーフィールは熱い息を吐きながら、

「二人の、敵ッが出てきた。片方はでけェ体にでけェ剣を二本担いだ野郎。もう片方は細ッこい女で、長ェ剣を握ってやがった。どっちもたぶん、まともにやり合ったら俺様と五分か……いや、俺様よりたぶん強ェ」

「お前より強いって、マジかよ。そのどっちかが、放送の声の主なのか?」

「……違ェと、思う」

 耳を疑いたくなる話だ。
 エミリア陣営において最高戦力であり、魔女教に対して対抗するためのこちらの総力メンバーの中でも、ガーフィールは最上位に位置する実力の持ち主だ。
 そのガーフィールをして、自分より強いと断ずる相手が二人。それも彼の言葉を信用するなら、それは大罪司教ですらない平の魔女教徒ということになる。

「あの二人にゃァ、放送の声みてェなクソったれた悪さを感じなかった。俺様が隙だらけッでも斬りかかっちゃァこなかったし、あれもひょっとしたら……剣士かなんかとしての、礼儀ってェやつだったのかもしんねェ」

 相対したガーフィールは、その相手の強さに畏敬すら抱いているようだ。
 いつもの彼らしくないほど委縮した姿に、ミミのことが尾を引いているのがはっきりとわかる。
 そして、そのガーフィールの所感を聞いていたリカードが自分の膝を叩き、乾いた音を立てて立ち上がる。それから彼はガーフィールの肩を掴み、

「強いかどうか、そんなんはようわかっとる。ワイが聞きたいんわ、兄ちゃんらをやったんがその二人やとして、どっちがミミをあんなんにしたかや。ワイは、どいつをぶった斬ったら敵討ちができるんや。それを言うてくれ」

「……ちびっ子を斬ったのは、女の方だ。けど、だからこそあの女は」

「――その女性、私に任せていただくわけにはまいりませんかな?」

 ミミの報復に燃えるリカードと、同じように雪辱を誓うガーフィール。そこへ割り込んだのは、話を黙って鏡越しに聞いていたヴィルヘルムだ。
 彼にとっても、聞き捨てならない情報だったことは間違いない。ただ、そんなヴィルヘルムの事情を知らない二人に、それを酌めというのは酷な話だった。

「なんでや、関係ないやろ、ヴィルヘルムはん。いっくらアンタでも、ワイの可愛い家族がやられた報復を邪魔する権利はないはずやぞ」

「事情は……確信を得るまではお話できません。ですが、事実ならその女性は私と因縁深いはず。ならば、譲ることだけは絶対にできかねる」

「あんなぁ……アンタでも、怒らせるんやったらワイも容赦せんねや」

 苛立ちに毛を逆立たせるリカードだが、ヴィルヘルムも頑なさを譲らない。
 両者の事情がわかるだけに、スバルはどちらが正しいとも言えないのが実情だ。故にそのやり取りに終止符を打ったのはスバルではなく、

「――ヴィルヘルム。それにリカード様。今は味方同士で諍いをしている場合ではありません。都市の全員の、国民の命が危険に晒されているのです」

「クルシュ様……」

 凛とした声で、気丈に頬を強張らせたクルシュの声が二人を叱りつける。
 主からの叱責にヴィルヘルムが恥を感じた顔になり、リカードも血が上っていた頭を掻いて乱暴に腕を組んだ。
 そうしてひとまず、一触即発の仲間割れが避けられたのを見計らい、

「はいはい、ほんならまとめよか」

 軽く手を叩き、アナスタシアが鏡の主導権を握るとスバルを指差す。
 鼻白むスバルに笑いかけ、アナスタシアは狐の襟巻きを弄りながら、

「まず、最初のこっちからの反撃の件やけど、ナツキくんが提案した都市庁舎への先制攻撃。あれをウチとクルシュさんは支持するわ。都市庁舎には都市の仕組みに詳しい人間も捕まっとるはずやし、制御搭を奪い返さなくても水路をどうにかする手段もあるかもしれん。ちょこっと希望的観測すぎるけどね」

「いや、それは俺も同感だ。それに向こうからガンガン動かれて、こっちの戦力が削られ出してからじゃ選択肢も少なくなる。動くなら、早い方がいい」

「……なんや、ホントに一年間で頼もしくなったんやね。ともあれ、ナツキくんの言う通りや。今ならこの対話鏡のおかげで、三ヶ所の連携が取れる。幸い、総合戦力の内の七割はすぐに動かせる。都市庁舎襲撃は、やれるはずや」

 アナスタシアの意見に、スバルはちらとガーフィールとリカードの二人を見た。
 都市庁舎を一挙に制圧するためには、相応の戦力を吐き出す必要がある。

 現状、都市庁舎攻略のために出せる戦力は、この避難所からガーフィールとリカードの二人。それから別の避難所からユリウスとヴィルヘルムが出せるだろう。
 『鉄の牙』の構成員や、トンとカンの二人。他にも都市に滞在していた冒険者などを集えば、まだ戦力の底上げはできるはずだ。

「本音を言えば、ラインハルトがいれば完璧なんだけどな。……トンとカンの二人にラインハルトを呼び出すように頼めないのか?」

「それなんだが、妙な状況でね」

 最大最高戦力を頼るスバルの考えに、ユリウスが応答する。彼は同じ避難所にいるチンピラ二人と思しき方へ視線を向けてから、

「避難所へ入る前に、あの二人は一度、事前に聞いていた通りに魔法を空へ打ち上げたらしい。しかし、駆けつけるはずのラインハルトが姿を現さない。それとあまり愉快ではない話だが……」

「だが、なんだよ。正直、これ以上は遠慮したいところなんだが」

「なら、遠慮なく受け取って、私と同じ気持ちを味わってくれたまえ。――フェルト様の従者の二人は、事態が起きる少し前にフェルト様とラインハルトの二人と別れていた。そして別れるとき、どうやら二人は赤毛の男性と話していたらしい」

「赤毛の男性って……まさか、クソ野郎のことか?」

「私の口からは、それを肯定も否定もしかねるとしか言えないな」

 お上品なユリウスの答えを聞きながら、スバルは憤慨に歯噛みする。
 フェルトたちが会っていたのが、スバルが想像した通りにラインハルトの父親――ハインケルだとしたら、二人はあの男と何を話にいったというのか。
 そして今なお、この事態の中で動きを見せないのはどういうわけなのか。

「けど、あいつは前の回でシリウスの演説の場所に現れた。……何が違う? 放送を聞く前だったら、動けたってことなのか?」

 その前後で何の条件が違うのか、スバルにははっきりと違いがわからない。
 ただそれでも、現状でラインハルトが呼び出せないとわかったことは、十分すぎるほどに落胆するだけの情報になった。

 そうしてスバルが肩を落としたとき、避難所の奥からフェリスが戻ってくる。彼は汗だくの顔で、その女性用の着衣をどす黒い血で染めながら、

「……ふぅ。やれるだけのことはやったよ」

「それで、ミミはどないなった? 助かるんか? 助かるんやろ?」

 額の汗を拭くフェリスに、リカードが鼻息も荒く詰め寄った。その背後では立ち上がれないまま、ガーフィールも縋るような顔をしている。
 その二つの懇願の視線に、しかしフェリスは無情に首を横に振った。

「助からにゃい、とは言わない。けど、傷が塞がらないのは変わらにゃいの。今はあの子の中の、弟ちゃんたちとの加護を通した繋がり。アレの繋がりを無理やりに強くして、かろうじてどうにかしてあるけど……」

「『三分』の加護のことか? それやと、どないなるってことや?」

「もともと、三つ子ちゃんたちは疲れとか傷を分け合う加護があった。その繋がりをこっちで勝手に強めて、重傷のあの子の傷を通常以上に兄弟に負担させてるの。その分、命の制限時間は延びたんだけど……」

「――お姉ちゃんの命が尽きるとき、僕たちも死んじゃうってことですよね」

 鏡から、息も絶え絶えな高い声がこちらへ届いた。
 リカードが顔をしかめて対話鏡を覗くと、そこには並んで座り込むヘータローとティビーの姿が映っている。二人とも、苦しげに胸を押さえていた。

「アホやぞ、お前ら。ほんまに、どうしようもないアホ共や」

「……でも、これがお姉ちゃんが、味わってる苦しみだと思うと、ちょっと、一緒になれて幸せかなって」

「お兄ちゃんほど筋金入りではないです。ですから、団長。早くなんとかしてくれること、信じてるです。死んだら、化けて出ますですから」

 姉の負傷のダメージを分配されて、同じように重傷を味わう弟二人。
 ヘータローとティビーが向こうの避難所で横になるのを見届けて、リカードは深々と息を吐きながら鉈を担いだ。
 そして、

「……やるんなら、速攻や。そうやないと、意味がない。せやろ」

 低い声で唸るリカードは、もはや誰にも止められないだろう。
 それに彼の昂る感情が理解できないほどの、薄情者はこの場にはいない。

「ウチから『鉄の牙』を出して、都市庁舎までの道を確保させる。あとは精鋭を本丸に飛び込ませて、一挙に制圧するんが理想や。敵は今のところやと、そのでっかい男と細い女の二人。それに『色欲』って考えるんが正しいやろね」

「こっちの精鋭は、ガーフィールとリカード。それにヴィルヘルムさんとユリウス」

「――私も参ります」

 そう声を上げたのは、髪をきっちりと結んで立ち上がったクルシュだった。
 彼女は長剣を手にし、ドレスの装いのスカート部分を外して、膝丈のパンツルックになって戦う姿勢を示していた。

「参りますって、クルシュさん戦えるのか?」

「以前ほどとは言えませんが、ヴィルヘルムに師事していました。『風見』の加護の力もあります。足手まといにはならないつもりですよ」

 記憶を失う以前のクルシュの実力は、白鯨戦でも立派に戦えるほどのものだった。だが、記憶をなくした今のクルシュの実力はスバルには未知数だ。
 正直、以前と比べても女性的な優しさの目立つ性格になっているため、争い事に対する適性は失われたものとスバルは考えていたのだが、

「クルシュ様の剣の天稟は衰えておりません。その点、私が保証しましょう」

 そんなスバルの不安を払拭するように、ヴィルヘルムが太鼓判を押してくる。老剣士は頷き、鏡越しに主のクルシュを見つめる目をすると、

「ですが、無理はされませぬよう。御身の安全を第一に、お願いいたします」

「民の前に傷を浴び、血を流すのが貴族の務め。無辜の民が泣くのであれば、誰が我が身可愛さに引き下がっていられましょう。私は戦いますよ、ヴィルヘルム」

「……まったく。そんなあなた様ですから、私も剣を捧げたのですがな」

 ヴィルヘルムの忠言に、クルシュはあくまで毅然として応じる。その主の答えに満足げに顎を引くヴィルヘルムを見て、フェリスがさっと手を上げた。

「はい! はい! フェリちゃん! フェリちゃんも、クルシュ様が向かわれるんでしたらご一緒します! 御供させてください!」

「フェリスは各地の避難所を回って、治療が必要なものに治癒魔法を。あなたの気持ちは嬉しいです。ですが、心得違いをしてはいけません。あなたが戦うべき戦場がどこなのか、間違わないで」

「ぬ、ぐぐ……」

 口惜しげに黙り込み、フェリスは必死に反論に頭を悩ませる。が、正論の中の正論であるクルシュを言い包めることはできず、泣きそうな顔で白旗を上げた。

「ヴィル爺。クルシュ様のこと、絶対にお守りしてよ。絶対の絶対だかんね」

「ええ、わかっております。この命に代えても――たとえ、この場所で命を燃やし尽くすことになろうとも、必ず」

 託されるヴィルヘルムの答えには、悲壮な決意が張り巡らされていた。
 こちらでもリカードが担いだ鉈を軽く振り、ガーフィールが壁に背を預けながらも治療を終えて立ち上がっている。
 ヴィルヘルムが剣を腰に差して颯爽と立ち、着替えたクルシュの横に悠然とユリウスが並ぶのが鏡越しの光景に見える。

 都市庁舎へ打って出る戦力、総勢が五人。
 アナスタシアの指示で『鉄の牙』が魔女教徒を牽制し、道を作ってくれる。

 決戦のとき――ならば、ナツキ・スバルもまた。

「う、ごぉぉぉ……!」

「ちょ、ちょっとスバルきゅん、何してんの!?」

 右足の痛みを奥歯を噛んで堪えて、スバルはどうにかその場に立ち上がる。
 まだ肉が埋まりきっていない足を酷使するスバルを見て、フェリスが慌てて駆け寄ってくると頭を思いっきり引っぱたいた。

「痛ぇな、おい」

「当たり前でしょ! 絶対安静って言ってるのに、にゃんでそう無茶ばっかりするの!? スバルきゅん、フェリちゃんの診断には逆らわなきゃいけない呪いでもかかってるの? 足、千切れて取れてもおかしくにゃいんだよ?」

「千切れて落っことしても、やらなきゃならねぇことがある。フェリス、お前にだって俺の気持ちがわかるだろ。ここで俺に大人しく、果報を寝て待てってのか?」

「……む」

 詰め寄るスバルに、フェリスが唇を尖らせて口ごもる。
 死地になるかもしれない場所へ、仲間を送り出してその結果を待つ。そんな仕打ちはスバルには耐えられない。小賢しい頭で立ち回ることで、誰かを助ける力になることができるかもしれないならば、ここで寝てなどいられるものか。

「お前は誰かを治療するって戦いができる。なら、俺だって戦うべきなんだ。ベアトリスが俺を守ってくれて、エミリアが今も『強欲』に危険に晒されてる。こんな状態で俺に大人しく、引っ込んでろってお前は言うのか?」

「……足が取れても、後悔しないにゃんて言えるわけ?」

「後悔は、するだろうさ。でもそれは、行かなかったときの方がずっとするんだ」

「はぁ。……どうせにゃら、最後まで格好つけきりにゃよ」

 疲れた顔で額に手を当てて、フェリスが呆れた吐息をこぼした。
 それから彼は鼻息を荒くして痛みに耐えるスバルの額を指で弾き、のけ反らせてから右足の傷口にそっと手を当てて、

「今からするのは、本当に本当にただの気休めにゃんだからね」

「気休めって……あ、ちょっと、フェリスさん。傷、すごい痛いんでそんなグリグリやられるとちょっと待って、痛い痛い痛い痛い……痛くない?」

 傷に乱暴に爪を立てて、フェリスがスバルを痛めつける。かと思いきや淡い光が傷から右足に沁み渡り、突き刺したナイフで抉るようだった痛みが急速に遠のく。
 思わぬ魔法の効果にスバルが驚き、フェリスの顔を見やると、

「奥の手」

「ま、マジかよ……! なんだ。こんな便利な魔法があるなら出し惜しみなんてしないでもっと早く使ってくれよ! よっしゃよっしゃ、動ける!」

 舌を出して嘯くフェリスの前で、スバルは右足で軽やかに飛び上がる。痛みを感じない足に喜びながら、その場でステップを踏んだ。痛み、動き、問題なし。
 傷口にパシッと掌を当てて、その驚くべき変化を歓迎する。と、掌にべったりと濡れた感触があって、スバルは手を見た。真っ赤だ。右足の傷が破れていた。

「おいおいおいおい!? 治ったんじゃねぇの!?」

「治したにゃんて言ってにゃいでしょ。足が取れても後悔しないかって聞いたじゃにゃい。フェリちゃんはただ、スバルきゅんの右足から痛覚ごと触覚を消しただけ。足が取れることだけ気をつければ、走り回るぐらいはできると思うよ」

 出血する足に動揺するスバルに、フェリスが新しく包帯を巻き直して魔法をかける。止血されてなお、感覚が何も伝わってこない自分の足に不安が募るスバル。
 麻酔をかけられているに近いが、麻酔のように動きが鈍ることはない。純粋に右足の触覚だけが消えて、普段通りの動きは可能なのだ。
 ただ、痛覚というものは肉体に無理をさせないためのリミッターでもある。それをこちらの都合で外してしまうということは、

「当たり前だけど、この時点で無理は確実。この騒動が片付いた後で、絶対に何かの後遺症が残るよ。程度を軽くしたいにゃら、せいぜい気遣うこと!」

「……わかった。助かるよ。恩に着る」

「……絶対にスバルきゅんて、フェリちゃんの話聞いてにゃいよね」

 右足の調子を確かめて頷くスバルに、フェリスが頬を膨らませて顔を逸らした。
 そんなことはないと言ってやりたかったが、フェリスの言葉に従えるかどうかはそのときにならないとわからない。
 できない約束はしないが吉。スバルはフェリスにもう一度だけ礼を言ってから、ガーフィールやリカードのところへ駆け寄り、

「ってわけで、俺もいくぜ。止めても無駄だぞ。確かに大した力にゃなれねぇかもしれねぇが、俺にもできることが……」

「止めるって、なんで止めんねや。兄ちゃんがおったら百人力や。頼りにしてるで」

「できることがって……あれ?」

 突っぱねられる覚悟で申し出たのに、思わぬ歓迎を受けて肩透かしを味わう。
 スバルはどういうわけかとリカードを見返すが、獣人は大きく口を開けると、

「白鯨のときも、『怠惰』のときも、兄ちゃんが気張っとったんをワイは見とる。兄ちゃんを評価しとるんがヴィルヘルムはんだけや思ったら間違いやで。ワイも見るところは見とる。ま、気に入るかどうかは銭次第やけどな」

「そ、そうかよ。なんか、変な気分だな」

 リカードの言葉に勇気づけられながら、スバルの同行も問題なく受け入れられた。
 避難所を出る前にスバルはベアトリスの枕元へ立ち寄り、静かに眠っている少女の額を優しく撫でる。

「ベアトリス、いってくる。お前に無理させた分、今度は俺が頑張る番だ。あいつらは必ずやっつけて、エミリアは取り戻す。お前はここで安静にしててくれ」

「――――」

 返事はない。安らかな吐息だけを力にして、スバルは立ち上がった。
 隣ではガーフィールとリカードも、苦しげにしているミミに言葉をかけている。意識のないミミも応答する元気はないが、男二人の表情には相反する色ながらも、強い決意が湧き上がっているのがわかった。

「避難所を出て、都市庁舎に通じる大水路で合流だ。――全員、気を引き締めてな」

 出立の前に顔を見合わせ、全員が各々の健闘を誓って立ち上がる。
 プリステラ奪還戦、中央都市庁舎への襲撃。

 待ち受ける二人の剣士と、大罪司教『色欲』。
 それぞれの思惑を胸に、戦士たちは戦場へとその足を踏み出した。

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