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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第五章 『歴史を刻む星々』

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第五章15 『うるさい静寂』


 翌朝、気持ちよく目覚めたスバルは朝日に照らされる庭園に立っていた。

 靴裏に砂利の感触を感じながら、スバルは朝の爽やかな空気を体に取り込む。「んー!」と気持ちよく声を上げるスバルに、隣に立つエミリアが小さく笑った。

「なに? スバル、なんだか今朝はすごーくご機嫌ね。いいことあったの?」

「朝からエミリアたんの三つ編みウェーブが可愛いっていうのもあるし、昨日は寝る前にちょっといいことがあってさー。あと、風呂のでかさも気に入ったし」

「あ、それは私も私も。お風呂、気持ちよかったわよね。お屋敷のお風呂も大きいんだけど、あんな風に石で囲ってあったりすると新鮮で」

 昨夜にスバルがした三つ編みを解き、風に流れるエミリアの銀髪は目論見通りになだらかなウェーブを描いている。真っ直ぐな美しさもエミリアの銀髪の魅力だが、こうして普段とは違う魅力を引き出すのも美少女の特権だ。
 結局、何をやっても可愛い子なら可愛いというのが結論なのだが。

 内心でそんな風に思いながら、スバルの意識はエミリアの言葉に同意を返す。
 彼女が話す旅館の大浴場は、露天でこそなかったが露天を再現しようという意気込みには溢れていた。浴場は屋内にあるが、可能な限り敷居を取り払って自然を取り入れ、風呂の浴槽自体には石を敷き詰める形を採用していた。
 風呂の縁が岩という特別な風情は、大理石的な石の無粋さでは決して表しきれまい。

「初めて見るお風呂だったから、一緒に入ってたクルシュさんやフェルトちゃんともすごーくはしゃいじゃった」

「何その桃源郷。ギャルゲーだったら確実にここでCG回収が入るね」

「しーじー?」

「んや、戯言。エミリアたんが幸せそうで何よりだよ。楽しかった?」

「うん、とってもね」

 スバルの上機嫌を指摘したエミリアだったが、そのご機嫌さも一目でわかる。最初は不安と疑念まみれだった今回のプリステラ紀行だが、少なくともこの主従にとっては大変に有意義なものであったといえそうだ。問題は、

「で、そっちでぐだーっとした顔をしてる二人はどうした」

「……なんでもないのよ」

「気にしないでください。ちょっと……うぇ、飲み過ぎて、うぇ。気持ちがうぇ」

 仏頂面で顔をそらす縦ロールと、青白い顔でえずいている優男。
 言うまでもなくベアトリスとオットーであるが、ひとまずスバルはより緊急事態が近そうなオットーの方へと声をかける。

「オットー。お前、昨日は夕食になっても戻ってこないと思ったら何してたんだ?」

「別れ際に言ったじゃないですか。せっかく、うぇ。プリステラまで足を運んだんですから、簡単には接触できないうぇ、人たちと話をしておきたうぇって」

「おきたうぇってなんだ。お前、初対面のときぐらい酔っ払ってんぞ」

「……? 僕、ナツキさんと初対面のときはお酒飲んでる場合じゃなかったと思うんですが……」

「お前がそう思うならそうなんだろうな。お前の中ではな」

 謂れもなく責められてオットーは困り顔だが、今のはむしろスバルの方にブーメランが返ってくるだろう発言だった。
 スバル視点でオットーとの初対面は、王都でやさぐれていた時期に飲んだくれた彼との出会いを意味する。色々あってそのループは失敗したため、オットー視点でのスバルとの初対面は、オットーが魔女教に捕まっていたときのことだ。
 無論、そんな話はするだけ意味のないやり取りでしかない。

「あんまりベア子の教育に悪いことするんじゃねぇよ。まぁ、お前が色々と陣営のために動き回ってくれてたってのはわかるけど」

「頼まれてたわけでも、うぇ、ありませんし。僕が勝手にやってることですよ。――そればかりが理由じゃ、ありませんしね」

 スバルの言葉に力なく応じて、オットーは辛そうに首を振る。それから彼は庭園を見渡して、「それより……」と前置きしながら、

「ガーフィールはどうしたんです? 朝に顔を見せないなんて珍しいじゃないですか。いつもは誰よりも早起きして、山のてっぺんで遠吠えしてるのに」

「遠吠えするのに向いた高台が見つからなかったんだろ。あと、今はちょっとそれナイーブな話題だから、無神経に掘り返すのなしな。会ったら優しくしてやれ」

「詳細がわかんないのに、そんな無茶なこと言い出さないでほしいんですけどねえ!? ……ああ、今ので頭が痛い」

「自爆すぎるだろ」

 ふらふらと縁側に崩れ落ちて、体を休めるオットーにスバルは苦笑。それから今度は先頃から黙っているベアトリスを見て、

「それで、ベア子の方はどうした。昨日はあんなはしゃいでたのに、今日になったら急にブーたれて。可愛くないぞ」

「ブーたれてなんてないかしら。勝手なこと言うんじゃないのよ。ただ、ベティーはちょっと思うところがあって考え事をしているだけかしら」

「思うところ? なんかあったんなら話せよ。危ないことだと困るだろ」

 ベアトリスの穏やかならぬ言葉に、スバルは目を細めて詳細を促す。エミリアも頷き、ベアトリスの言葉に耳を傾ける姿勢になると、ベアトリスは唇を噛んだ。
 しかし、その躊躇いも数秒でなくなり、少女は渋々と言葉を紡ぐ。

「昨日、スバルがベティーを置き去りにしてガーフィールと遊びにいった後なのよ」

「ちょっと語弊あるけど、続けて」

「ベティーはエミリアのところに暇潰しにいったかしら。そしたら、その途中で宿の従業員とばったり会って話を聞いたのよ」

「ベア子が……初めて会う人と、話を……!?」

 衝撃的なコミュニケーション能力の向上に、スバルは思わず絶句してしまう。ちらとエミリアを見れば、エミリアも同じことを考えた顔でスバルに頷いていた。

 大変だ。まさかあのベアトリスが、旅先で知らない人と話ができるなんて。ひょっとすると、旅の解放感がいい意味でベアトリスの成長を促したのかもしれない。

 これは帰ったら早速、屋敷に置いてある『ベアトリス成長日誌』を更新しなくては。
 すでに三冊目に突入しているこの日誌は、日々のベアトリスの成長過程をつぶさに記録している。そこに新たな一ページが、この旅のおかげで加えられるだろう。

 自分の日々の活動が詳細に記録されていると知らないベアトリスは、スバルとエミリアの反応に「大袈裟かしら!」と実はもっと大袈裟な事実を見逃して怒る。

「続けるのよ。宿の人間はベティーを見つけると、どうやらベティーにだけは伝えなくてはならないと思ったらしく、声を潜めて言ったかしら。『この旅館は夜になると、人に在らざるものが見えることがある』とのことなのよ」

「…………」

「正直、これを打ち明けていいものかベティーは迷ったかしら。徒に混乱を招きかねないことだから、ひとまずは胸にしまっていたのよ。だけど、警戒だけはしていたかしら。そして、昨日の夜のことなのよ……」

 黙るスバルを置き去りに、ベアトリスの話はどんどん熱を帯びてくる。
 そしてベアトリスはとっておきの秘密を明かすように声を潜めた。

「夜中、何かの気配を感じたベティーは目を覚ましたかしら。そして、間抜けな寝顔をしてるスバルに気付かれないよう、そっとそれを確かめに出たのよ」

「人の寝顔をジッと見るんじゃないよ、いやらしい」

「じ、ジッとなんて見てないかしら! ちゃんとチラチラってお淑やかに見たのよ!」

 見た部分が否定できていないのだが、可愛いからスバルはスルーする。
 ベアトリスは咳払いして、それから再び雰囲気を作る顔で、

「気配を求めて旅館の中を歩き、ベティーは果敢に挑んだかしら。そして、玄関先でついにその気配の発生源を見つけて……」

「見つけて?」

「暗闇に浮かび上がる、青白い顔を見たのよ。一目で危険とわかったかしら。相手もベティーを警戒したのか、そのまま睨み合いが続いたのよ」

 昨夜の緊張感を思い出したのか、ベアトリスの額にうっすらと汗が浮かぶ。精霊なのに汗が出る仕組みがよくわからないのだが、臨場感が増すので指摘はしない。

「やがて、ベティーの圧力に相手は屈したかしら。睨み合いは呆気なく終わって、相手は姿を消したのよ。そして、その場で戻ってこないことを確認してから、ベティーは安心して部屋に戻って、スバルの間抜け面をまたいで布団に戻ったかしら」

「だから人の寝顔を覗いてるんじゃないよ、はしたない」

「ぶ、無事か確かめただけなのよ! 頭撫でたり睫毛触ったりしてないかしら!」

 語るに落ちるとはこのことだが、可愛いからスバルはスルーする。
 とりあえず、ベアトリスの恐怖体験の証言は終わりらしい。なるほど、とスバルは顎に手を当てて頷き、今の話の検証を開始した。

 和風旅館というだけあって、怪談話というわけだ。
 実はこの異世界で一年間生活してわかったことなのだが、この世界には不思議とその手の怪談話のようなものが広まっていない。それというのも、目に見えない存在として精霊がすでに有名であるからだろう。

 目に見えない存在の実在が認められていれば、怪談話の需要もなかろうというものだ。
 それでも怪談話をしようとするあたり、この旅館には和の心のいらんところまで引き継ごうという凄味がある。

 それらに感心して、スバルは満足げに吐息してから、

「で、実際のとこはどうだったの、オットー」

「いえ、玄関先で吐きそうになってる僕を、ジッとベアトリスちゃんが見てたのには気付いてたんですけど、口を開くのも辛くて。結局、堪え切れなくて表の植込みでゲーゲーやって戻ったら、もういなくなってましたけどね」

「だそうです」

「……そんな馬鹿な、なのよ」

 幽霊の正体見たり枯れ尾花。
 この場合は、幽霊の正体はへべれけのオットーだったわけでなお救いがない。

 現実的に自分の見たものを否定されたベアトリスは、崩れ落ちそうなほど動揺している。スバルは慰めるようにその頭を撫でながら、ベアトリスも慣れない環境で寝ぼけていたんだろうと判断。
 ベアトリスに怪談話を吹き込んだ従業員も、ベアトリスの類稀な『騙しやすそうだし、騙したらきっと可愛い』というオーラを見抜いたのだろう。
 悔しがって顔を真っ赤にする今が可愛いので、GJと賛辞を送りたい。

「よー、揃ってんな。ずいぶんと早いじゃんか」

 と、そんな微笑ましいやり取りをしていた四人の下へ、蓮っ葉な少女の声がかかる。
 見ると、縁側に姿を見せたのは短い金髪を揺らす少女――フェルトだ。

 今は浴衣を脱ぎ、細長い手足を露出した動きやすそうな軽装をしている。いくらか女性らしい成長をしてきているのに、根っこの部分は路地裏少女のままらしい。

「おはようさんだけど、そんな格好してるとまたラインハルトが嘆くぞ」

「はん、説教はやめてくれよ。あの野郎で聞き飽きてるし、最近じゃロム爺だってうるせーんだぜ」

 うんざり、といった顔で手を振り、フェルトは庭園へと軽やかに降り立つ。それから彼女は端っこで寝転ぶオットーは無視して、並ぶスバルたちに首を傾げた。

「ところでよー、気になってたんだけど」

「なんだ?」

「いや、兄ちゃんたちはさっきから、なんで揃って変な踊りやってんだ?」

 フェルトは不思議そうな顔で、スバルたちの変な踊り――毎朝の習慣である、ラジオ体操を指差している。

 旅先であろうと行路の途中だろうと、朝を迎えればラジオ体操をする。
 それはもはや、ロズワール邸では当たり前の光景だし、それどころかメイザース領ではだいぶ広まりつつある朝の習慣だった。
 すっかり慣れてしまっていたエミリアが何を言われているのかわからない顔。スバルはぽかんとしたエミリアの横顔を愛でながら、フェルトに深呼吸を見せつける。

「これはな、健康と長寿の秘訣。お子様から老人まで、世代を超えて愛される『ラジオ体操』という健康法だ。エミリアたんが王様になった場合、朝は必ずこれをやるのが国の法律で決定される」

「そうよ。みんなでやると気持ちいいと思うの」

「そーか……? アタシはその公約、掲げられたら王様にする気減るけどな……」

 一通りのラジオ体操アクションを見届けて、フェルトは渋い顔でそう呟く。
 見解の相違は悲しいところだが、最初は嫌がっていても続けるうちにこの運動の利便性と効率に気付いてくれるはずだ。
 実際、教えを説いて回った村々では結構な普及率である。

「ベア子やオットーも最初は嫌がったけど、今はお化けが恐い朝も二日酔いの朝も関係なしに参加してくれるほどの熱中ぶりだぜ」

「ベティーはスバルに引っ張られてきただけなのよ」

「僕も頭痛くて寝てたのに、耳元で手を叩いて踊られて……」

「嫌よ嫌よも好きの内ってな熱中ぶりだぜ」

「熱中ぶりなの」

 ベアトリスとオットーの賛同はやや弱いが、スバルとエミリアは胸を張る。
 両極端な反応を見ながら、フェルトは自分の白い首を乱暴に掻き、

「確かに、姉ちゃんとこの領地あたりでおかしな行事が流行ってるってのはよく聞くぜ。変な踊りとか、カボチの中身くり抜いて仮面にする行事とか、焼き菓子を女が男に送ったり逆だったりする行事とか……」

「今はまだまだ辺境の奇祭扱いだけど、いずれは国を挙げたプロジェクトにしたい。そう考えると、アナスタシアさんあたりに相談するのも手なんじゃねぇか?」

 バレンタインはお菓子業界の策謀だ、などとうそぶかれるのは有名な話だ。つまりは大金が動く話なわけで、アナスタシアなら飛びついてきそうな気がする。
 早速、そのあたりは手が空き次第相談しようとスバルは考える。

「なー。あの兄ちゃんっていつもあんな感じなのか?」

「うん、スバルは大体いつもあんな感じよ。ふざけてるみたいに見えるけど、実は一生懸命色んなことを考えてくれてるの。そしてそう見せかけて、ふざけてるときもあるの」

「それって結局、結果が出るまでふざけか真面目かわからねーってことじゃ……」

 エミリアの答えにフェルトが戦々恐々している。
 たまに起こることだが、エミリアは精神年齢の問題で、相対する年下と年長者がどちらなのかよくわからなくなることがあるのだが、それはフェルトに対しても適用された。
 路地裏育ちで擦れている分、フェルトの方が世慣れしているのもあるだろうが。

「それにしても、フェルトちゃんは一人なの? ラインハルトとは一緒じゃなくて怒られたりしない?」

「アタシもガキじゃねーんだから、傍にいられてもうっとーしーだけだっつんだよ。こんなとこで仕掛けてくるほど、姉ちゃんも他の連中もバカじゃねーだろ? それに癪な話だけどよー。アタシになんかあったら、あの野郎は一秒でくるぜ」

「そっか。それなら安心ね」

 フェルトの脅しめいた文句を、エミリアはあっさりと受け入れて笑う。
 その態度にはかえってフェルトの方が肩透かしを食らった顔をして、乱暴に金髪を掻き毟って苛立ちを露わにした。

「フェルトちゃん。綺麗な髪の毛なんだから、そうやって乱暴に扱ったらダメよ。私も最近は、スバルやフレデリカに言われるから気を付けてるんだけど」

「本当に調子が狂うなぁ、チクショー。アタシの髪の毛のことなんてほっとけ。それとちゃん付けすんなっつってんだろ、むず痒いんだよ!」

「そう言われても、なんだかあんまり呼び捨てって気分にならなくて。気を付けてみるけど、間違ったらごめんね」

「フカーッ!」

 エミリアに悪気がないため、相対するフェルトは猫のように吠えて苛立ちを発散。
 そこだけ切り取ると、微笑ましい女友達同士のやり取りのようだ。

「さって。ラジオ体操も終わったし、適当に散って朝飯まで待つか。朝風呂ってのもいいかもしんないな。オットー、お前、風呂入ってねぇだろ」

「水浴びだけはしましたよ……酒気が消えてないのは申し訳ないです」

「戻ってきたガーフィールに叩かれないうちに、とっとと抜いた方がいいぞ。俺の故郷だと熱い風呂に何回も入ったりするといいって聞いたことがある」

「なんかかえって体調崩しそうな気がしますが……お言葉に甘えてみますよ」

 へたり込んでいたオットーに手を貸し、ふらつく体を引っ張って立たせてやる。力なく体を叩くオットーの前でため息をつき、スバルはなんとなしに空を見上げた。
 今朝も快晴。雲は少なく、いい天気になりそうだ。
 と、スバルがそう思ったときだ。

『――プリステラ市民の皆さん、おはよう。気持ちのいい朝です』

「あん?」

 突如、その空から声が降ってくる事態に見舞われて、スバルは驚きの声を漏らした。
 よもや幻聴か、とスバルは慌てて周囲を見ると、スバルと同じように声に反応して驚いているエミリアとフェルト、ベアトリスの姿があった。

「おいおい、なんだこれ? すげーでけー声だな」

「そんなわけあるか。ただでかい声が町中に響くかよ。でも……」

 フェルトの呟きに突っ込みながら、スバルは魔法的なものの関与を疑う。
 大勢に一斉に声を届ける魔法といえば、以前にユリウスが使用した意識共有の『ネクト』という魔法が思い浮かぶ。しかし、あれはあくまで範囲内の相手とテレパシーのような形で意思疎通を可能とするもので、直接、音を鼓膜に届けるものではなかったはずだ。
 そして何より、スバルにはこれと近似するものの心当たりがあった。
 それは、

「スピーカーとか、拡声器っぽいぞ?」

 フェルトの『でかい声』という表現は、実はスバルの心当たりと当たらずとも遠からずだった。
 空から響き渡り、おそらく都市中に聞こえているように思えるそれは、スピーカーなどから発声される類の音にひどく似通っていた。
 問題はこの世界に、そういった科学技術の発展は兆しすらないということで。

「ああ、知らなかったんですか? これはプリステラの都市庁舎に設置されている、魔法器の効果を利用した放送ですよ」

「魔法器……魔法器か!」

 すると、スバルの疑問に答えを差し伸べたのはオットーだった。彼はスバルの驚きに「ええ」と答えて、

「僕も昨日、色んな方と飲んでいる間に聞いたんですが、都市庁舎にある魔法器による毎朝の放送は、プリステラでは日課なんだそうです」

「なんでまた、そんな変な日課が?」

「市井にまで伝えたい伝達事項とか、いっぺんに聞かせられて便利ですしね。それにプリステラは都市の構造上、有事の際に避難する経路などが限られます。そうしたいざというときの伝達などで混乱を来さないよう、普段から使用して慣れさせているとか」

「へぇ……考えられてんだな」

 緊急時に対応するための魔法器、という考え方にスバルは感心した。
 村単位でならともかく、確かに都市単位となると何か問題が発生したときには付随する混乱が予想される。そうしたことに対処するため、あらかじめ対策を練っておくのは決して無駄にはならない。
 普段からそうしたことに備えて、市民を慣れさせておくという発想がまず新鮮だ。

「ずいぶん、頭の回る人が都市長やってるみたいだな」

「いえ。この魔法器の放送を習慣づけたのも、そもそも魔法器を提供したのもキリタカさんだそうですよ。都市運営に携わるものとして、当然だとかなんとか」

「え……」

 感心していたスバルの思考が、その予想外の衝撃に殴られて静止する。
 スバルの中で、昨日のわずかなキリタカとの遭遇シーンが走馬灯のように流れる。裏返る声。投げつけられる魔鉱石。そしてリリアナの名を呼んで涙を流す優男――。

「いや、ないな」
「ないのよ」
「それはちょっといくらなんでも……」

 スバル・ベアトリス・エミリアの意見が見事に一致して、オットーは苦笑する。

「そうお答えするとは思いましたけど、この放送が責任者のキリタカさんによって行われてるのは確かですよ。ほら、聞き覚えがある声でしょう?」

『これは声を届ける魔法器の力を用いて、都市全体に私の声を届かせています。初めてお聞きの方は驚かせてしまい申し訳ありません。今しばらく、このプリステラの珍しい日常に耳を傾けていただければ幸いです』

「誰だよ」

 オットーのせっかくのフォローだが、スバルの耳にはこれが昨日のキリタカの人物像と重ならない。まともではないか。ロリコンには感じない。

「いや、でもクリンドさんも一見はまともに見えるしな……ひょっとしてロリコンほど普段は自分を装うのがうまいのか? 社会的地位の高いロリコンって恐ぇな」

 スバルの脳裏に、青い髪をした細面の万能執事が思い描かれる。
 圧倒的才覚と能力、そして理不尽な行動力とどうしようもない性癖のハイブリッド。クリンドを代表に考えるのもどうかと思うが、ロリコンのハイスペックさの一例として挙げることはできるだろう。

「まぁ、これが本当にキリタカって人かどうかも怪しい。ただの聞き間違いって可能性も捨て切れないし」

『そしてそんな皆様に、私から心ばかりの……いえ! 素晴らしい祝福をお届けしましょう! 今朝も頼み込み、足を運んでもらいました! 『歌姫』リリアナ嬢の歌声、ぜひともご清聴いただきたしぃ!』

「あ、コレ本人だわ」

 途中でテンション振り切って声が裏返り、スバルの中で放送と思い出が一致する。
 早朝からげんなりとさせられつつ、ガタガタと魔法器越しに音がして人の位置が変わる気配。それから咳払いと、微かな笑い声がして、

『えぇっと、皆さんどもです。ご紹介に与りましたリリアナですよぅ。毎朝のことで歌姫なんて荷が重いこと山の如しって感じですが、精いっぱいに歌って奏でて楽しませたいと思いますので。応援よろです』

 魔法器越しにも仕草が見えそうなほど、特徴的なリリアナの喋り方が聞こえた。
 不思議なことに、キリタカの声は魔法器越しだと多少なりとも割れて聞こえたりしたのに、リリアナの声にはそうした不完全な響きがない。
 魔法器との相性、といったものがあるのかわからないが、歌の女神に愛された少女の声はどうやら無粋な邪魔の一切を通り抜ける加護に守られていたらしい。

『では、歌います。聞いてください。――剣鬼恋歌第二幕』

 楽器を構える音がして、リリアナが小さく息を吸う。
 その音を聞きながら、スバルは『剣鬼恋歌』の響きに耳を奪われていた。もしもそれがスバルの考えた通りの字面をタイトルとした歌なら、それは――。


 奏でられるのは、剣に生きた鬼と女の、悲しくも愛おしい恋物語だった。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 リリアナによる『歌姫』テロが終了し、スバルたちは早々にお座敷へと足を運んで朝食を待っていた。

 『剣鬼恋歌』の存在については、正直なところスバルにとって寝耳に水だった。
 気付いているべきだったのだ。どの世界でもどんな時代であっても、成し遂げられた大きな出来事は何かしらの形で後世へ語り継がれる。
 それは偉業・悪行を問わず、文章や絵画など表現方法すら限定されない。
 内戦を終結に導いた英雄と、その英雄を妻にした剣鬼の物語が『歌』として歌い継がれていたとしても何ら不思議なことではないのだと。

 無論、スバルがその可能性に気付いていたところで、今朝のテロリズムをどうにかできたわけではない。魔法器の存在も知らなかったのだから、リリアナに余計な真似をしないよう釘を刺しておくことすら無理なのだ。

 今はただひたすら純粋に、最悪のタイミングで、空気を読まない選曲をしてくれた『歌姫』への呪詛を唱え続けるばかりである。

 『歌姫』の印象がただでさえ底値なのに、そこからさらに暴落させようという謎の積極性が理解できない。リリアナの馬鹿。キリタカの阿呆。

「ヴィルヘルムさんは……まだきてないか」

 座敷に最初に到着したのは、庭園にいたスバルたちだけだ。移動前に別れたフェルトは、ラインハルトと合流してからこちらへくることだろう。
 今しがたの歌のことと、昨夜に交わしたヴィルヘルムの妻と孫への思い。まだ鮮明に老人の微笑が思い出せるスバルには、逸る心が押さえきれなかった。

 会って何を言いたいのか、何を言えばいいのかはスバルにもわかっていない。
 それでも、言葉を交わすことに意味があるのだとスバルは思っている。
 本音を言えば歌を聞き流していてほしいと説に願うが、

「あの規則正しい面子が、揃って寝坊なんてありえねぇよ」

 クルシュ陣営の三人が、フェリスすら規則正しく寝起きするのを、数日間とはいえ共に過ごしたことのあるスバルは知っている。
 慣れない旅先ではなおさら神経は過敏で、あの放送を聞き逃すようなことなどありえないだろう。

「スバル、怖い顔してる。何かおかしなことでもあったの?」

 どっかりと座布団の上に腰を落として、苛立たしげに貧乏ゆすりするスバルにエミリアが心配そうな目を向けてくる。
 庭園での放送の後、すぐに座敷へ向かおうと呼びかけたのはスバル自身だ。座敷に誰もいないのを確認して、説明なしにこの態度なら彼女の不安も当然だろう。

 エミリアたちは純粋に、『剣鬼恋歌』の切ない歌詞とリリアナの歌声の聞き惚れていた。彼女らはヴィルヘルムがまさに歌われていた剣鬼であることを知らないし、その剣鬼の物語がどういった結ばれ方をするのかも知らない。
 だから、スバルの抱く焦燥感に共感できないのも無理はない。

 それに恐ろしいのは、これだけ事情を知るスバルすら虜にするリリアナの歌声だ。
 『剣鬼恋歌』のタイトルを聞き、嫌な予感に駆られたスバルすらも、その歌を途中で切り上げて庭園を出ることはできなかった。否、その考えが浮かびもしなかった。
 リリアナの歌声には魔が宿っている。だからこそ、我に返ったスバルはあのとぼけた褐色娘にしか苛立ちをぶつける矛先が見つからないのだ。

「……なんでもないよ。ちょっと小腹が空いてるだけ。ほら、旅館の食事っておいしいけど満腹には微妙に足りないじゃん? 余所だとつまみ食いもできないし、育ち盛りの体が食べ物を欲してるわけよ」

「スバルがそう言うんなら、ひとまずはそれで納得してあげる。もう」

 普段はころっと騙されてくれるくせに、肝心な部分でエミリアはスバルの虚勢をあっさりと見抜いてくる。そんなにわかりやすいだろうか、自信がなくなるほどに。

「ナツキさんも、何をイライラしてるのかわかりませんが、午後の方針の途中で切り上げさせたんです。ちゃんと話は聞いてくれてましたよね?」

「午後の方針? ああ、キリタカとの再交渉の話な。えっと、リリアナを人質にして目的の魔鉱石と交換するって作戦だっけ?」

「何をどうしたらそんな強硬策の提案に結びつくことになるんですかねえ!?」

 驚愕に声を上げ、自らの声に痛みを覚えてオットーが顔をしかめている。その姿を見ながら、スバルは「はて?」と首を傾げた。
 ひょっとすると、今も胸の中で叫んでやまないリリアナへの怒りが過激な作戦の立案を幇助したのかもしれない。実際、成功率は高めに思えるのだが。

「ひとまず、今日の午後はキリタカさんに魔鉱石の交渉再開をお願いしようって趣旨ですよ。キリタカさんの側近の、『白竜の鱗』の方が取り成してくれたらいいんですが」

「白竜の鱗って、すごい名前ね。それって昨日も部屋にいた人?」

「ええ、そうです。白竜の鱗はその筋じゃ有名な傭兵団で。まあ、一昔前にはって但し書きがつきますが、このほど復活してキリタカさんの私兵として雇われているそうですよ。同席していたのはおそらく、代表者の方だと思います」

「部屋にいた人っつーと……ああ、あの一番話が通じそうな人か」

 あまり長いこと部屋の中を覗けたわけではないが、どうにか衝撃に呑まれる前の記憶を引っ張り出してスバルは頷いた。白い服を着た中年の男性だ。
 リリアナが絡むと発狂するキリタカと、常に発狂しているリリアナに比べれば、ずっと人間的なコミュニケーションが望める相手だろう。

「今朝の放送を聞く限り、キリタカさんの怒りが持続してることはなさそうなので話は聞いてもらえるかと。ただ、ナツキさんが出向くと再燃するでしょうね」

「初対面の相手に受けが悪い顔なのは自覚があるが、そこまでだと凹むな」

「大丈夫よ、スバル。私、目つきが悪いのって嫌いじゃないから。私のお母様も、すごーく目つき悪かったわ。でも優しかったから」

「スバルの顔が悪いフォローにはなってないのよ。……間違えた。目つきが悪いだったかしら」

「訂正しない方がさらっと流せたよ。現実を直視させんな」

 女性陣の優しく厳しいフォローを浴びつつ、スバルはオットーに先を促す。
 オットーは「ですから」と言葉を継ぎ、

「今日の交渉、ナツキさんは同行しない方がいいかなと思います。どうでしょう」

「どうでしょうもクソも、納得するしかねぇよ。けど、ぶっちゃけどうよ。それで綺麗に話がまとまったら、俺ってここに何しにきたことになんの?」

「ナツキさん一人が無駄足で終わるのと、僕ら全員が無駄足で終わるのだったら被害が少ない方でいきましょう。ナツキさんはベアトリスちゃんと遊んでていいです」

「なんかベティーが軽んじられてる気がするのよ! 腹立たしいかしら!」

 憤慨するベアトリスの訴えが聞き流されて、とりあえずの陣営の方針が固まる。とはいえ、堅実なオットーの考えとは別にスバルも考えていることがあった。

「それじゃ俺は午後は、エミリアたんとベア子と一緒に公園でも散歩するか」

「えっ? 私はオットーくんと一緒にキリタカさんのところじゃないの?」

「向こうも再交渉の申し出があるのは予測してるでしょうが、エミリア様を連れていったら約束なしの突然の訪問になります。昨日の話と同じ流れですよ。……ナツキさんがそれをわかってるのはいいとして、何を企んでるやらですが」

 オットーがじと目で睨みつけてくるのを、スバルは口笛を吹いてかわす。
 昨日、迷った挙句にリリアナと遭遇した点は話しているが、どこで出会ったかについては言及していない。そしてエミリア陣営が交渉を再び申し込むのは、キリタカたちの方も予測しているはずだ。
 スバルたちとリリアナとを会わせたくないキリタカは、リリアナをどうしておくだろうか。ヒントは昨日のリリアナの行動だ。

「見栄えのいい公園を見つけたからさ。エミリアたんと一緒に、間にベア子を挟んで手を繋ぎながら歩いて回りたいなーと」

「わ、楽しそう。でも、そんな風にゆっくりしてていいのかな。ね、オットーくん」

「そんな期待された目をされると嫌でも断れないんですけどね。まあ、ナツキさんもエミリア様も諸般の事情でお連れできませんし、僕はガーフィールと一緒に先方を訪ねることにします。おかしな騒ぎだけは起こさないでくださいよ」

 念押ししてくるオットーに、スバルはエミリアと一緒になって神妙に頷く。
 だが、神妙に頷く裏では舌を出してオットーに詫びてもいる。

 おそらく、リリアナは今日もミューズ商会を遠ざけられているはずだ。その場合、彼女が足を運ぶだろう場所でスバルの心当たりは、昨日と同じ公園しかない。
 会えなければ会えないで保険を作れなくなるだけだが、できるならスバルはそこでリリアナと繋ぎを作っておきたいと考えている。

 キリタカがリリアナにぞっこんなのなら、彼女の願いなら聞き届けてくれる可能性は低くないと見積もっているからだ。
 無論、リリアナを利用することばかりを考えているわけではない。リリアナの要求にスバルたちが応じるのなら、普通に協力関係と言えるはず。

 リリアナの好意を利用するばかりなら、エミリアは反対するだろうし、スバルの良心だって痛む。だから、リリアナが聞きたがるスバルたちのこれまでの道筋ぐらい、惜しまず隠さず聞かせてやるつもりだ。
 その結果、スバルたちの行いが実は彼女が希望する英雄譚に程遠いと知って、それで失望されたとしてもそのときはそのときである。
 英雄扱いで歴史に歌として残るなど、考えただけでも鳥肌ものだ。

 ことさら悪く飾るつもりはないが、包み隠さず事実を伝えるだけで十分だろう。
 少なくとも英雄と信じる片割れのスバルが、どれだけ無様で情けない醜態をさらしながらここまでやってきたか、それに幻滅してくれるはずだ。

「――おはようさん。なんや、そっちはみんな早かったんやね」

 エミリア陣営の表と裏の行動方針が固まったところで、座敷の襖を開いてアナスタシアが顔を出す。いつもの狐の襟巻きに、今日は着物姿のアナスタシア。
 さすがに和装が飛び出すと思わずぎょっとするスバルと、純粋に衣服への物珍しさに目を輝かせるエミリアたちを見て、アナスタシアは勝ち誇った顔。

「よしよし。どうやら今朝もちゃぁんと度肝は抜けたみたいで嬉しいわ」

「アナスタシアさんの格好、素敵。それって、ひょっとして昨日言ってた?」

「そ。昨日、お風呂で話してた着物っちゅぅ服なんよ。浴衣と似てるけど、ちょこぉっと着るのに手間がかかってんの」

 嬉しげにその場で身を回すアナスタシアに、青く染められた着物はなるほど見事に映える。舞い散る花弁を象る模様も魅力的で、カララギの和の再現力には舌を巻くばかりだ。そしてほぼほぼ、確定的だと思っていたものが確信に変わる。

 ――カララギには明らかに、スバルの知る日本の知識が持ち込まれていると。

「その着物ももしかして、カララギに古くから伝わってたり?」

「へぇ、よぉ知ってるんやね、ナツキくん。なんでもホーシンの時代からちょこちょこあったらしいわ。たぁだ、一時的に作り方がなくなってて、ここ十数年でやっと少ない職人が再現できるようになり始めたってところなんよ」

「ホーシンの、時代か」

 またしてもスバルの前に立ち塞がる、謎の人物『荒れ地のホーシン』。
 ここまでくればスバルも、そのホーシンという人物を怪しむ他に選択肢を持たない。おそらくはホーシンも、スバルやアルと同じ召喚されたものだ。
 ただし、スバルたちとは違って四百年もの昔に。

「ここでのことが片付いたら、ちょっと本格的にホーシンについて調べた方がいいかもしれないな……」

 召喚について、今さらとやかく掘り返すつもりはスバルにはあまりない。
 というより、本能的な部分で理解しているというべきだろう。

 召喚の仕組みも、召喚を実行した人物の狙いも何もわかっていないが、この召喚は引き寄せるだけの一方的なものだ。送り返す、都合のいい方法はない。
 そのことについては、思うところは星のようにあるが――解決策はない。スバルが知りたいのは、スバルと同じように招かれた先達が、この世界にどういう足跡を残して、どんな最後を辿ったのか。その点だった。

「おはよう、スバル。昨夜はよく眠れたかな? 今朝はフェルト様に部屋へ戻るように言ってくれて助かったよ。危うく、また逃げられてしまうところだった」

「うるせーんだよ。つか、部屋に戻ろうとしてねーアタシを先回りして捕まえたじゃねーか。お前、その嗅覚どーなってやがんだよ!」

 アナスタシアに続き、フェルトの首根っこを持ってラインハルトも座敷へくる。不貞腐れたフェルトを座布団の上に座らせ、その隣に座するラインハルトは今朝の放送の歌を気にした素振りを見せない。
 まさか彼が、『剣鬼恋歌』のモチーフが誰のことなのか知らないはずもないが。

「アナスタシア様。今朝はますますお美しい。私にすら姿を見せてくださらなかったので心配していましたが、杞憂でしたね」

「えっへっへ、ウチの隠し玉やでー。なんせ完成して届いたんが、プリステラにくる直前やったから。ユリウスに隠すん大変やったわぁ」

 その後にユリウスが合流し、アナスタシアは自分の騎士にも着物を見せびらかす。そうしてひとしきり賛辞を得てから、アナスタシアは小首を傾げた。

「あれ? ミミたちとは一緒やないん?」

「リカードは用事を言いつけたまま、昨夜から都市外へ出ています。そしてミミたちなのですが……どうやらエミリア様の従者の一人、ガーフィールについて回っているようで」

「ガーフィールに?」

 身内の名前にエミリアが顔を上げると、ユリウスは「ええ」と頷いた。

「ガーフィールが宿を出るのをミミが見つけたらしく、そのまま飛び出していってしまったと。それでヘータローがミミを追いかけて……」

「その尻拭いにティビーも仕方なしについてって、言伝をヨシュアが受けた。そんなとこやと思っていい?」

 アナスタシアが腰に手を当てて、長身のユリウスの後ろに隠れるようにしていたヨシュアに確認する。細面の青年は主の言葉におずおずと前に出て、憔悴した顔で申し訳なさそうに頭を下げた。

「も、申し訳ありません。ぼ……自分も必死に止めたんですが、ミミもヘータローも聞く耳を持ってくれなくて。ティビーが自分に任せておけと」

「ま、ティビーがついてったんなら変なことにはならんはずやし、ええよ。招いた側があんまりバタバタするんも、お客様にみっともないだけやんな」

 恐縮するヨシュアの肩を叩いて許し、アナスタシアが座る全員を振り返る。
 柔らかい髪を揺らし、襟巻きを指で弄りながらアナスタシアははんなり微笑んだ。

「聞いてた通りの体たらく、情けない話やけど勘忍な? ウチの可愛い副隊長も、初めての恋で舞い上がってもうてるみたいやの」

 ミミがガーフィールに首ったけなのは、当たり前だが全員が気付いていたことだ。
 知らなかったのは今も首を傾げているエミリアと、「そういうことだったのか……!」と思わず呟いていたヨシュアぐらいだろう。

「そういや、フェルトんところもトンチンカンが見当たらないよな。あいつらってこの宿には泊めてないのか?」

「ガストンたちのことかよ? そりゃ、あいつらにはこんなたっけー宿なんてもったいねーってのはジョーダンだけど、甘えっぱなしも性に合わねーかんな。一応、仕事押しつけて都市のどっかの安宿に入ってるはずだぜ。けど……」

 スバルの質問に答えて、それからフェルトは歯を見せて笑った。

「そのトンチンカンって、いーな。ガストン、ラチンス、カンバリーだから間違ってねーし、それに響きがあいつらっぽくって嫌いじゃねー」

「俺もナイスネーミングだったと、一年前の俺を称賛したい気分だぜ。本名を聞いてなんの奇跡だよって驚いたぐらいだ」

 トンチンカンをトンチンカンと呼び、アンポンタンにしなかった過去の自分に乾杯。そしてどうやら気に入ってしまったらしく、今後は主にもトンチンカンと呼ばれ続けるだろうトンチンカンの未来にも乾杯。

「――遅くなりました。私たちが最後みたいですね」

 最後に座敷にやってきたのは、長い緑髪を今日はまとめたクルシュだった。令嬢的な装いは変わらず、花飾りのついた髪留めがなんとも鮮やかで華やいでいる。
 一礼して入室する彼女に続くのはフェリスと、そしてヴィルヘルムだ。

「――――」

 今日も今日とて礼装をしっかりと着込み、背筋の伸びた老人の姿にスバルは思わず肩を跳ねさせる。息を呑み、その横顔をそっと覗き見ようとすると、ちょうどスバルを見ていたヴィルヘルムと目が合った。
 思わず息を詰め、スバルとヴィルヘルムとの視線が絡み合う。そして、

「――――」

 薄く微笑み、ヴィルヘルムは主に続いて大人しく座敷に腰を下ろした。
 それを見届け、スバルは今の微笑みの真意を『心配はいらない』といったメッセージだと受け取った。
 ホッと胸を撫で下ろすスバル。それからスバルは、クルシュの隣に座るフェリスがこちらを見て、ウィンクしながらピースを向けていたのに気付いた。

 ――こっちのことはこっちでにゃんとかしましたー。

 その仕草を見て、スバルはフェリスからもそうしたメッセージを受け取る。
 スバルがそれに気付いたと見たのか、フェリスはあっさりと仕草を掻き消し、クルシュにしなだれかかっていつものペースだ。

 いらない心配と余計なお世話を抱え込んでいたと、スバルはやっと自覚する。
 ヴィルヘルムの事情と、歌との関連性をスバルよりよく知るのはクルシュとフェリスの二人に決まっている。ヴィルヘルムの心が揺れることに敏感なのも、それを間近でケアすることができるのもあの二人だ。
 スバルに心配されるまでもなく、それは当然ともいえる仲間意識だった。

「むしろ、ガーフィールの問題が解決できてない俺らの方が疎かか」

 人のふり見て我がふり直せ、ではないが、人の世話を焼いている暇があったら自陣営を先にどうにかしろという話だろう。
 ガーフィールの内に渦巻く鬱屈が、ガーフィール本人の心がけ次第でしか解決できない問題であることを考えると、これの対処もなかなか難しいのだが。

「さて、いくつか欠けてる顔もあるみたいやけど、それは欠席で間違いなさそうや。そしたら今朝も無事に顔が見れたわけやし、お食事にしよか」

 手を叩いて、上座のアナスタシアがそう宣言する。
 部屋の端っこを占めていた顔が減ったため、昨晩よりも参加者は少ないが、それでも豪華な顔ぶれだ。昨夜のこともあって、食事自体にも期待が寄せられる。
 今朝は何が並ぶのか――そんなささやかな期待を受け、アナスタシアが笑う。

「運び込んで」

 アナスタシアがそう指示すると、襖を開いて宿の従業員が現れる。そして従業員は数名がかりで何かを運び込むと、それを長机の上にてきぱきと設置した。
 大きな机いっぱいに広がる、黒く巨大な物体――それは紛れもなく鉄板だった。

「今日はカララギの国民的な伝統料理――ダイスキヤキを御馳走したる!」

 着物の袂をささっと結び、声を上げるアナスタシア。
 唖然となる面々の前で、従業員が鉄板に手早く油を敷き、丸い容器に入れたタネを次々と台車に乗せて座敷へと運び込んできた。

 ダイスキヤキ――その響きと、目の前の鉄板、材料。それらを見比べて、スバルはそれがいったい何であるのか正確に見抜いた。
 それはつまり、

「お、お好み焼きだと……?」

 カララギにダイスキヤキとして伝わる、お好み焼きの登場だった。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「スバル、見て! 綺麗にひっくり返せたの! 自信作だわ! 食べて!」

「まあまあうまくできたかしら。スバル、せっかくだからベティーが焼いてあげたこのダイスキヤキ、食べさせてあげてもいいのよ」

 エミリアが満面の笑みで、ベアトリスがちょっと頬を赤らめて、それぞれに目の前の鉄板で自ら焼き上げたダイスキヤキになり損ねたものを勧めてくる。
 スバルにはそれが黒い炭の塊にしか見えないのだが、二人の想いを蔑ろにして捨てるなどポリシーに反している。

「まずは自分で食べて味見してみて、それから人に勧めようか」

 良識的な助言をして、それに従った二人が悶え苦しむのを目の端に見ながら、スバルは他の陣営の様子などにもちらと意識を送った。

「できました、フェルト様」

「おー、じょーずじょーず。その調子でガンガン焼けよ。お前のその料理と菓子作りの腕前だきゃー、アタシもありがてーと思ってっから」

「できればそれ以外の部分も頼りにしていただければ騎士の誉れです」

 正面のフェルト陣営は、尋常でない手つきでダイスキヤキを仕上げるラインハルトによって、生み出される至高の逸品が次々とフェルトの胃袋に収まる。
 こうして見ると、フェルトは小柄な体のどこに収めているのかというレベルの大食漢だ。漢じゃなく大喰らいか。どっちでもいいか。
 ともかく、ラインハルト自身が食べる暇もないぐらい食べて、すでに十枚近くを平らげているような気がする。

 ちなみにエミリア陣営の惨状は先ほど述べた通りで、エミリアとベアトリスが役立たずのため、もっぱら成功例はスバルとオットーの手によるものだ。

「ほら、エミリア様もベアトリスちゃんも。ちゃんと焼けましたよ。こっちを食べて……ああ! エミリア様! 焼きすぎたのを反省するのはいいんですけど、生焼けは食べないで! ベアトリスちゃんはソースかけすぎ!」

 おかんみたいなオットーの活躍で、ひとまず腹痛は避けられそうでなにより。
 その他の陣営はというと、やはり目立つのはアナスタシアのところか。
 なにせ、アナスタシアは自らこの朝食サプライズを企画したぐらいだ。自信満々だったこともあり、当然だがダイスキヤキへの造詣も深い。

「さっさっさー、さっさっさー! できたで! これが本物のダイスキヤキや!」

 二本のフライ返しを駆使して形を整えたアナスタシアは、見事に真っ黒に仕上がったダイスキヤキもどきをユリウスの皿へ放り込む。
 意気込みだけではどうにもならないことを、如実に思い知らせる一例だ。

「さすがです、アナスタシア様。ですが、私の好みはもう少し焼き時間を短めにしたものの方が合っているかもしれません。アナスタシア様の手を煩わせてしまうのは本意ではないのですが……」

「ええよええよ。わかった。もうちょっと短くやね。ユリウスは男の子ぉやのに繊細な舌の持ち主なんよねぇ」

 作った本人に食べさせて反省を促すスバルと違い、ユリウスは焦げたダイスキヤキを完食した上で、笑みを崩さずにアナスタシアに改善案を提示する。
 その主を立てる姿勢、まさしく騎士としての鑑である。スバルは絶対に真似をしたくないし、真似をしないだろうが。

 その横で自分の分を不器用に作り、ぐちゃぐちゃのダイスキヤキを食べているヨシュアの姿は何故か愛おしさすら感じる。今もモノクルが曇ってしまうことを失念していて、遠近感が狂っているのを周囲に悟られないように必死だ。彼も嫌っているスバルにそう思われているなど屈辱的だろうから、声をかけるようなことはしないが。

 優雅さにずいぶんと差がある兄弟を見届ければ、実は一番安定感があるのがその対面にいるクルシュ陣営であった。

「あ、クルシュ様~、フェリちゃんの綺麗に焼けましたよ。ほらほら」

「まあ、本当ですね。でも私も負けていませんよ。ふふ、見てください」

 イチャイチャと、女同士に見える微笑ましい会話はクルシュとフェリスだ。
 二人の自信はちゃんと実績を伴うもので、二人の前の鉄板で焼かれるダイスキヤキはちゃんとした形――フェリスのものなど、丸く作った生地にネコミミをあしらう余裕すらある。

「んふー。じゃ、フェリちゃんのダイスキヤキに大好きな気持ちを込めて食べさせてあげます。クルシュ様、あーんってお口開けてくださーい」

「え、え? あの、えっと……あ、あーん」

 微笑ましいと通り越して背徳感を覚えるのは、その二人が実際には男女であることを知っているからだろうか。あるいは記憶のないクルシュの全身から漂う、いたいけなお嬢様の雰囲気がそう思わせるのだろうか。

 ともあれ、主従の二人は問題なさそうだ。あとはその桃色空間と隣接しながら、自分のダイスキヤキに向かい合うヴィルヘルムだが。

「む……」

 生地をひっくり返そうとしたヴィルヘルムが、目を細めて小さく唸る。
 彼の目に映るダイスキヤキは、どうやら焼き時間が長かったのか鉄板に張り付き、そのまま力任せに動かされたことでばらけてしまったようだ。
 ヴィルヘルムの、意外な不器用さを目の当たりにした気分だった。

「なんか見ちゃいけないものを見た気分だな。けど、それなら……」

 ヴィルヘルムに手を貸すべきか、とスバルはその場で立とうとする。が、すぐにスバルはそれを取りやめて腰を下ろした。
 しばし考え込み、スバルは頷く。

「ヴィルヘルムさん」

「……スバル殿?」

 呼ばれたことに気付き、ヴィルヘルムが顔を上げる。あまりうまくいってない手元をスバルが指差すと、ヴィルヘルムはどこか情けなさを恥じるように眉を寄せた。
 そんな彼にスバルは頷き、それから顎でそっと隣を示す。

 その意味を悟ったヴィルヘルムが、静かに息を呑んだ。

「――――」

 スバルが顎で示したのは、位置で見ればヴィルヘルムのすぐ隣に座っているラインハルトだ。彼は今もフェルトの指示に従い、王城の料理人もかくやという手つきでダイスキヤキを量産しており、スバルたちのやり取りには気付いていない。

 だが、ヴィルヘルムにはスバルが何を言いたいのか伝わったはずだ。
 そしてヴィルヘルムも最初は驚きを目に浮かべ、それから葛藤。迷い。躊躇い。逡巡。結論を出すまでにかなりの時間をかけて、

「――ラインハルト」

「――――」

 絞り出すようなヴィルヘルムの声に、ラインハルトの動きが止まった。
 フライ返しでダイスキヤキをひっくり返す手が止まり、浮き上がったそれをフェルトが皿を差し込んでうまいことキャッチする。
 あまりにはしたない仕草だったが、ラインハルトがそれを注意することはない。

 赤毛の青年は目を見開き、自分を呼んだヴィルヘルムを見ていた。ヴィルヘルムもまた、ラインハルトのその視線を真っ向から受け止め、息を詰まらせる。

「――――」

「――――」

 沈黙が落ちる。
 それは二人の間だけではなく、二人の様子に気付いた周りも同じだった。

 生み出された静寂の中、鉄板の上でダイスキヤキが焼かれる音だけがうるさいぐらいに続く。
 息が詰まり、誰もが時間の停滞を肌に感じた頃、

「その、だな……」

「はい、なんでしょうか」

「……う、うまく焼けそうにない。コツがあれば、教えてはもらえまいか」

 途切れ途切れの言葉で、ヴィルヘルムがそう言い切った。
 その言葉を吐き出すのに、ヴィルヘルムがどれほどの精神力を要したか。それを知るスバルと、どうやら同じ気持ちを持つクルシュたちが目を見開いた。

 なにより、ヴィルヘルム自身が言い切った直後に脱力するほど疲弊している。
 そして、その言葉を聞いたラインハルトは息を呑み、返答を躊躇った。

 赤毛の騎士の整った横顔と青い瞳に、見たことのない感情の波が走る。
 葛藤に近いそれを、ラインハルトは目をつむり、吐息することで隠した。
 それから、

「――はい。わかりました。お祖父様」

 口元を緩めて、目を細めたその表情を笑みと呼ばずしてなんと呼ぶ。
 ラインハルトが常に浮かべる、他者に安心感をもたらすものとは違う笑み。それはラインハルトという青年が、『剣聖』という役割を離れることで初めて浮かべることができる笑顔だったのかもしれない。

 ヴィルヘルムの表情が唖然となり、それからゆっくりと言葉が沁み込む。
 そのまま彼は顔を伏せ、何かを堪えるように目をつむった。

 すぐには受け止められないのかもしれない。
 しかし、実感は遅れていても必ず届くはずだ。

 届きさえしたのなら、あとは認めて埋めるだけでいい。
 二人の、祖父と孫との間に生じていた長い長い溝を、同じだけの時間をかけて。

 スバルはその未来を描いて、ただ万感の思いに拳を握った。
 ヴィルヘルムの喜びを、どうにかして言葉で祝福したいと心底思う。
 だから、



「――そりゃないぜ、親父殿。今さら都合がよすぎるじゃねえか」


 突如、襖を開けて顔を見せた赤毛の人物。
 その赤ら顔の男の言葉に込められた悪意に、時を忘れて呆然とするしかなかった。

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