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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第五章 『歴史を刻む星々』

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第五章13 『和やかな晩餐』


 『水の羽衣亭』の敷地内にある庭園は、これまた旅館風情の漂う砂利を敷き詰めた日本庭園のような形に仕上がっていた。
 さすがに池とししおどしまでは望めないが、飛び石を並べて竹のような植物を植えてあるあたりは十分に評価に値するだろう。

「にしても、ヴィルヘルムさんはやっぱり降りてこなかったか」

 庭園を望める縁側に腰掛けながら、スバルは爪先で砂利を弄っている。
 ぼんやりと呟いて思い浮かべるのは、白髪の老人の申し訳なさそうな顔だ。スバルの誘いに断りを入れたヴィルヘルムは、今頃は部屋で何をしているだろうか。
 夕食までの時間、一人では退屈するだろうに。

「つっても、いくらなんでも時間潰しに見学しにくるような人じゃねぇわな」

「それだと、君の誘いに従って足を運んだ私たちが物好きのように聞こえるね」

「趣味がよろしいとは言えないと思うぜ? 俺も含めてだけどさ」

 隣で優雅に足を組み、同じように縁側に座るユリウスに皮肉を向ける。
 スバルの言葉にユリウスは「確かに」と笑って頷いたが、それに素直に同意できないのはユリウスから見てスバルとは逆側に座る人物だった。

「あ、ひっどーい。フェリちゃんはぁ、べっつに好きできたわけじゃないし? ただスバルきゅんがどうしても、何かあったら困るからって呼ばれただけだしぃ」

「ま、悪いとは思ったけどな。万が一を考えたとき、お前がいてくれると色々と無茶もできるから。とはいえ、必要なかったみたいだけどさ」

 猫耳を揺するフェリスの不平に、スバルは片目をつむって応じる。それから開いた方の瞳が見るのは正面、庭園で行われている高速の立ち合いだ。
 はっきり言って、スバルの目ではギリギリ負えないレベルの技量――だが、それでも断言することが一つだけある。

「本当に、ラインハルトの野郎って化け物なんだな」

「否定しづらいのが難しいところだが、あまり友人に言ってもらいたい形容詞ではないね」

「否定はできにゃいのが辛いとこだけどネー」

 一定の感想を共有し合う三人の眼前で、その結論を肯定し得る光景が展開される。

 砂利を敷かれた庭園で向かい合い、立ち回りを演じているのは、牙を剥いて吠える金髪の少年と、その獰猛な獣圧を鮮やかに捌き続ける赤毛の英雄だ。
 挑戦者であるガーフィールは、全身のバネを駆使して文字通りに縦横無尽の機動でラインハルトへ襲いかかる。しかし、ラインハルトは迫る爪を、牙を、足を、肘を膝を、全て見切って悠然と回避し続けていた。
 それも、

「あいつ、本当にあの場から一歩も動いてねぇよな?」

「最初に定めた条件の通りだ。ラインハルトがそれを違えることはありえないよ。もっとも、それを違えさせられないことがガーフィールにとっては屈辱だろう」

 上へ下へ、攻撃を打ち分けながらラインハルトの隙を突こうとするガーフィール。だが、いずれの攻撃もラインハルトの存在しない隙を突くことはできず、それどころか易々と流されて自分の体勢が崩される有様だ。

 ラインハルトは依然、この無謀な挑戦が始まった初期位置から動いていない。
 二本の足をその場に固定したまま、ガーフィールの攻撃を捌き切っているのだ。

 ――最初、客室を訪れたガーフィールがラインハルトへの挑戦を明らかにしたとき、スバルはそれを色々な観点から無謀であると判断した。

 そもそも、ラインハルトがガーフィールの挑発に乗ると思えなかった。
 はっきり言ってガーフィールのわがままであり、ラインハルトの方にはそれを受けるメリットがない。どちらの方が実力が上か、などといった男らしくも子どもっぽい拘りはラインハルトにはないように思えたのも理由だ。
 ラインハルトとは政敵の騎士という複雑な関係でもあるため、ガーフィールの挑戦は穿った見方をすれば余計な火種にもなりかねない。無論、そんな小細工をしてくるような相手ではないと信じているが、挑戦への否定的な条件は枚挙にいとまがない。
 そうした観点から、この挑戦は実現しないものとスバルは半ば諦めていた。

 ただ、本音の部分では実現したところを目にしたい、という願望はあった。

 ガーフィール・ティンゼルは、間違いなくエミリア陣営が持てる個人戦力の最高峰である。もちろん、戦闘における勝敗は様々な条件や相性が絡むことであり、常勝無敗といった戦歴はそうそう作れない。ガーフィールにも弱点は多い。
 それでも、この一年間で作り上げてきたエミリア陣営という集団の中で、武官の骨子はガーフィールその人であるのだ。
 それは陣営の誰もが認めるし、ガーフィール自身にも自負があることだろう。それだけの結果と成果を、ガーフィールは作り続けてきたのだから。

 しかし、そう考える一方で、ガーフィールには複雑な問題もあった。
 それは彼が『聖域』を出て以来、自分に匹敵する戦力とぶつかった経験がたったの一度しかないということだ。
 ガーフィールと真っ向勝負で激戦を交わしたのは、旧ロズワール邸を襲撃した殺人鬼エルザの存在だけだ。その彼女すらも最終的に圧倒したガーフィールは、その後の腕を振るう機会で苦戦というほどの苦戦を強いられていない。

 確かにスバルたちは総力を結集してガーフィールを負かしたが、それはあくまで邪道の戦略に頼って勝ちの条件を拾ったに過ぎない。
 むしろ真っ向勝負という条件に限れば、ガーフィール・ティンゼルは生まれてからこれまでに一度も敗北を知らない男だったのだ。

 ――故にスバルは、残酷と知っていながらラインハルトとガーフィールとの戦いが実現することを切望していた。

 敗北を知らないまま、頂にまで至れるのであればそれでも構わない。
 だが、頂を知らないまま、ただ自分より弱いものと戦い続けられたという幸運の上で最高戦力として在るのはあまりにも不確定がすぎる。

 だからスバルは、たった一度だけその戦いぶりを見たことのある英雄。
 ラインハルト・ヴァン・アストレアのその強さを、信じることにしたのだ。

「したんだが……まさか、ここまで差があるか」

 望外の目論み通りに事は運んだものの、その結果にスバルは驚愕するより呆れてしまう以外のリアクションが出てこない。

 息巻くガーフィールに連れられてラインハルトの部屋を訪ねると、彼は不躾なこちらの申し出に快く協力してくれた。呆気なさすぎて肩すかしを食らったほどだ。
 そして、被害が出ないように都市の外へ出る相談をしようとするガーフィールに、「庭の広さで十分だ。敷地を荒らさないよう、宿の人間には話をしておくよ」と笑顔でのたまったのだった。

 ラインハルトからすれば悪意のない言葉だっただろうが、ガーフィールに対する挑発行為としては最上の部類だったと考えていい。
 事実、ラインハルトの提案を受けたガーフィールは、隣に立つスバルが落ち着かなくなるほどの鬼気を放ち、迸る怒りをラインハルトへ突き刺し続けていた。

 旅館の庭園に降り立ち、いくつかのルール――武器の未使用・負傷をさせない立ち回り・危険な加護の使用の禁止などを設けて、立ち合いは実現した。
 その間にスバルはどちらかがケガをしたときのためにフェリスを呼び、戦いそのものの解説要員としてユリウスとヴィルヘルムにも声をかけた。生憎、ヴィルヘルムには事の趣旨を話した時点で辞退されてしまったが、ユリウスとフェリスの二人はこうして戦いを見守ってくれている。ちなみにオットーはまだ帰ってきていない。

「女性陣と、ミミの弟たちに声はかけなかったけど」

「賢明だったと思うよ。アナスタシア様はあれで容赦がない。こんなことを始めたと知れば、すぐに興行扱いにしてしまったに違いない。ヘータローたちの耳に届けばミミが騒ぎ立てるのは間違いないことだしね」

 戦いに目を向けたまま、ユリウスはスバルの言葉に同意してみせる。とはいえ、その意識は眼前の戦いに注力されていて、さすがに血が滾るといった様子だ。

 そうして少数の観戦者が集まったところで、この戦いは火蓋を切った。
 当初、おそらくガーフィールはこう考えていたはずだ。

 ――舐めた口を叩いたことを後悔させて、本気を出せる場所に移動させてやる。

 旅館の広い庭園といっても、それはあくまで愛でる景色としての一般論だ。
 そこを足場に切った張ったを行おうとすれば、当然だが十分な広さとはいえない。ましてやラインハルトは、『敷地を荒らさない』という条件までつけた。
 それが余裕であると、そう判断されて何がおかしい。

 だから後悔させてやろうと、そう考えるのは男の子として当然だ。
 なのに、蓋を開けてみれば結果はどうだ。

「なぁ、ユリウス。一個だけ聞いていいか?」

「一個だけに限らず、なんでも聞いてみるといい。答えるかどうかは別だが」

「嫌味な言い方すんなよ。だからお前は嫌いなんだ」

 お決まりのやり取りをしながら、スバルは頬杖をついて正面を見ている。
 そして、しばし言葉を探るようにしてから言った。

「お前の目から見て、ガーフィールはどんなもんだ?」

「――強いよ。噂には聞いていたが、エミリア様を守る双璧の名は伊達ではない。片方が君と聞いていたため、心理的な期待感は低く見積もっていたんだが」

「ブッ飛ばすぞ、お前」

「彼は強い。その実力は本物だ。ただ剣技だけで渡り合えと言われれば、私でも勝てるかどうかは未知数といえる。さらに伸び代もまだまだ残していると見える。紛れもなく、殻を破れば武の最高峰に名乗り出る逸材だ」

 ユリウスの力強い断言には、それほどの可能性を見たことへのささやかな興奮があった。彼の目から見ても、ガーフィールの内に眠る才能は本物なのだ。
 そして他人の中にそれを見ることへの、堪え難い羨望もまた抱いている。
 当然だ。ユリウスも武の道に身を置く身で、何より男なのだから。

「でーも、そんな輝かしい未来が待ってるだろうガーにゃんでも、悲しいかにゃ今はああして遊ばれる他ににゃいのでした」

 そう言って、酷薄な現実を口にするフェリス。
 しかし、それを否定する言葉は誰の口からも出てこない。見ている側には全てがわかっていた。そして、他でもないガーフィールがそれを一番わかっている。

 いずれ最強の一角に手を届かせるかもしれないガーフィール。
 だが、現時点での彼は、現時点での世界最強を前に手も足も出ずに遊ばれるだけで終わるばかりなのだと。

「――――ッ」

「惜しいな。焦ったね」

 大振りの隙を掻い潜られ、剣聖に懐に入られるガーフィール。
 腕を掴まれる体が高々と反転して、背中から容赦なく砂利の上に投げ落とされていた。

 砂埃が上がり、衝撃に息を呑むガーフィールが地面に仰向けになる。
 その額にラインハルトの手が乗せられると、ガーフィールはまるで全身の動きを封じられたように動けなくなって、長い長い息を吐いた。

「負けだ」

 誰が言って惨めになるより前に、己でそれを認めることができた。
 それができただけでも、ガーフィールは十分に矜持を守ることができたろう。

 せめて、それが慰めになることを祈るばかりだった。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ――夕食の席に、ガーフィールは姿を現さなかった。

「なんでウチに内緒で、そんなん面白そうなことするんかなぁ」

 お座敷で顔を揃えた男性陣を見やり、アナスタシアが恨めしげにそうこぼす。
 言った彼女の姿は見慣れた白い毛皮のドレスではなく、しっとりとした紫髪を背中の方へ流した浴衣姿だ。色白の肌がほんのりと朱を帯びており、ともすれば幼く見える彼女の容姿に見合わぬ色香がうっすら漂っている。

「そんな風に言い出すのではないかと思いまして、今回はお誘いを避けたんですよ。アナスタシア様や他の皆様も、親交を深めてらしたようでしたので」

 出迎えの早々の言葉に、苦笑して彼女の横に腰を下ろすのはユリウスだ。男性陣は今しがた、庭園での手合わせの片付けを終えて戻ってきたところである。
 アナスタシアはその言葉に、可愛らしい顔に守銭奴然とした笑みを浮かべ、

「はーん。ウチの騎士様は相変わらずお口が上手でいらすことやね。ウチかて、別になんでもかんでもお金儲けに結びつけるわけとちゃうよ? たぁだ、面白そうなことはみんなで大騒ぎにしたいカララギ魂が騒ぐだけなんやから」

「うちの最強の盾の心の傷が深まるからやめてやってくれ。あー、一晩ぐらい拗ねて頭抱えてたらすっきり戻ってくると思うから、そのときにはいつも通りで頼む」

 アナスタシアの言葉を受け、スバルが傷心の弟分を慮ってそう頼む。
 すると、その場に居合わせる全員が納得といった様子で顎を引いた。が、

「どーせ、あれだろ? このポンコツ騎士が、まーた手加減抜きに相手を苛めたって話だろーが。わりーな、兄ちゃん」

 話の大筋を聞き終えたフェルトが、八重歯を見せながらスバルに笑いかける。その手は隣に座るラインハルトの肩をバシバシと叩いており、赤毛の騎士は苦笑。

「フェルト様。そんな言い方をされると誤解を招きます。それに先の手合わせは、僕が彼を一方的にいたぶったというような内容ではありませんでした。僕自身、ヒヤリとする場面が何度もあった、充実したものでしたよ」

「日頃のガストンたちのしごきっぷりを見てっと説得力がねーよ。オマエ、あいつらにも見所があるからとかいって容赦しねーじゃん」

「誰に対しても、手を抜くなんて失礼なことはできませんよ。それに手を抜いて結果を出せると思うほど、僕は自分の能力を過信もしていません」

 あくまで毅然と答えるラインハルトに、フェルトは鼻を鳴らして興味を失う。
 正直、主従関係がこれでうまく回っているのか疑問の多いやり取りだったが、それ以上にラインハルトの言葉の方がスバルの胸には突き刺さった。

 実際に庭園の戦いを見ていれば、今の言葉がガーフィールに配慮したものであったことは歴然としている。ただ、そんな上辺だけの取り繕いをしたと捉えるには、ラインハルトの言葉には偽善を口にする響きがなかった。
 おそらく、ラインハルトは本心を口にしただけだ。嫌味に受け取られかねない発言にも拘わらず、そうと思わせない真実味がそこにあった。
 ひょっとすると、そんなところが彼のもっとも危うげなところかもしれない。

「時にフェルト様、そのお召し物ですが」

「あんだよ、文句でもあんのか? さっき、他の連中と揃ってでっかい風呂に入ったからさー。で、みんなこれに着替えてっからアタシもってわけだ。まさかはしたねーとか白けること言うんじゃねーだろーな」

「いえ、そんなことは。よくお似合いですよとお伝えしたかっただけです」

「うぜー」

 王国民の多くの尊敬と信頼を一身に集める、騎士の中の騎士が告げる賛美。
 女性なら誰もが羨むその花束を、フェルトは本気で嫌そうな顔で払いのける。着崩した乱暴な浴衣の着方といい、女を捨てている感がすごい。

 ――そう、今のフェルトの言葉通り、女性陣はどうやらラインハルトとガーフィールの手合わせの最中、大浴場の方で汗を流していたらしいのだ。

 そのため、座敷での夕食会に顔を出している女性陣は全員が浴衣姿。
 アナスタシアとフェルトだけでなく、ミミやクルシュ。それにエミリア、あと何故かベアトリスも浴衣姿であった。

「ベア子、お前いつの間に風呂に……」

「スバルがベティーを置いて庭にいった後、一人で宿を歩いてたらエミリアに捕まったのよ。ベティーはいいって言ったのに、無理やりかしら」

 ふい、と視線をそらすベアトリスは淡い青の浴衣に身を包んでいる。
 いかにも洋風な美少女のベアトリスにも、浴衣の機能美は不思議と映えた。不思議と言えば、ベアトリスの髪もしっとりと乾き切っていないのだが、どういうわけか普段の縦ロールの形を保っている。掴んで引っ張ってみても、いつもより少しばかり重い雰囲気で弾んでみせるほどだ。

「と、ベアトリスは証言していますが、本当のところは?」

「え? スバルがベアトリスに素っ気ないって寂しそうに言いにきたから、ちょうど誘われてたお風呂に一緒に入ろうって連れていったの。ベアトリスも楽しそうにしてたと思うんだけど……」

「ね、捏造なのよ! それは捏造かしら! スバルはベティーとエミリアのどっちを信じるつもりでいるのよ!」

「それお前、自白したのと変わんないから」

 素直でないベアトリスと、素直すぎるエミリアの意見を総合して普通に判定。
 ベアトリスが悔しげに俯いているが、それを見てエミリアは楽しげに笑う。そんな彼女も浴衣姿であり、風呂上がりの長い銀髪は後ろで一つに束ねられていた。
 白いうなじがこっそり確認できるあたり、素晴らしいと言わざるを得ない。

「スバル、なんか鼻息荒いけど熱でもあるの?」

「恋の微熱がちょっと。エミリアたん、髪の毛三つ編みにしていい?」

「いいけど、すぐにご飯になっちゃうと思うわよ。後にしたら?」

 束ねられた髪の先端に触れるスバルに、エミリアが卓上を示して提案。しぶしぶとスバルがその手を引っ込めると、周りが変な目でこちらを見ていた。
 スバルは首を傾げて、とりあえず正面のフェルトに「なんだよ」と声をかける。

「なんかおかしなことあったか?」

「兄ちゃんと姉ちゃんもよくわかんねー距離感だよな。そーやってるわりには色っぽい雰囲気がねーし、そもそも最後に見たときゃひでー関係だったはずだしさ」

「年頃の男女のイチャイチャに色気がないってなんだ。あと、お城でのことはお願いしますので掘り返さないでください胸が痛うございます」

 応じながら、フェルトの言わんとすることもわからなくないと思うスバル。
 この一年間、エミリアの騎士としてものすごい近くに侍ってきた自覚があるが、それで男女としての距離感が縮まった実感はスバルにはない。
 というより、むしろ男女としての意識は主従関係の確立以前よりも低下しているような気持ちすらあった。

 それというのも、エミリアの精神的な年齢がはっきりとしたためだ。
 スバルの想いを、正しく男女間のものとして受け入れるにはエミリアの情緒面が育ち切っていない。そのため、スバルの接し方も自然体になっている。
 愛情は薄れていないが、受け入れる側への向き合い方が変わったというところか。これについてはエミリアの方の意識が変わらない限り、このままかなと思う。
 少なくともスバルが先走っても、どうにもならない問題と理解した。

「しいて言えば、クルシュさんとこの感覚に近いのかもしんない」

「私たちの関係、ですか?」

 顎に手を当ててぼんやりこぼすスバルに、クルシュが不思議そうに首を傾げる。
 当然、女性陣の入浴に混じっていただろう彼女も浴衣姿だ。男装時にはわからなかった女性的な膨らみも、薄手の浴衣越しだとはっきりと存在を主張している。
 美貌はそのままに、凛々しさを取り除いて令嬢的な無防備さが目立つようになったクルシュは、きちんとフェリスが着付けを指導した浴衣姿でもどこか艶やかだ。

 純朴さを増したクルシュの目を向けられながら、スバルは鼻の下を指で擦り、

「そ。フェリスもクルシュさんにものすごいべったりだけど、男女的な感覚に関しては相手を見て押さないじゃん。下心スタートの俺とは微妙に条件が違うかもだけど、好きな相手への接し方は近いもんがあるかもなと」

「そう、言われてしまうと照れ臭いものがありますね。ふふ。ね、フェリス」

「フェリちゃんはバリバリ、クルシュ様に下心ありますけどネ」

「――――」

 一瞬、そのフェリスの発言に座敷の空気が凍った。

 クルシュの表情が直前の微笑のまま硬直し、フェリスはそれをニコニコと満面の笑みで見つめている。ちなみにフェリスの格好も、いつの間に着替えたのやら浴衣姿になっていて、他の女性陣に負けず劣らず似合っているのが癪だった。
 ともあれ、今はそれどころではない。

「いらん秘密を暴いて悪かった。よし、そろそろ飯にしようか」

「爆弾を掘り出しておいて、そんな風に逃げないでください!」

 食事を運び込ませようとするスバルに、涙目のクルシュが泣きついてくる。
 青天の霹靂だったのかもしれないが、スバルだって不発弾を見つけたくはなかった。どうするべきか、とスバルが視線をさまよわせると、

「フェリス。あまりクルシュ様を驚かせるものではありませんな。以前にも増して、意地の悪い部分が目立つことが多く感じます」

 そう言って、場の空気を一変させるのはそれまで沈黙していたヴィルヘルムだ。
 老人は、座敷の中で唯一、男性側として浴衣を着ている人物でもある。どうやら女性陣と同じタイミングで入浴を済ませたらしく、正座のときにも感じた圧倒的な和の空気との調和を浴衣姿にも発揮していた。
 刀の一本でも傍らに置いておけば完璧だ。

「ありゃ、ヴィル爺までそんにゃ風に言っちゃうの?」

「敬愛、親愛、恋愛。この場に居合わせる主従ならば、相手に対して憎からず思うのも当然のこと。徒に混乱を招く目的で真意を隠すのは、童心というには可愛げがない。反省がないようなら少し厳しく言わねばなりませんが?」

「ふにゃーぁ。厳しいんだから、もう」

 ヴィルヘルムの重みのある説教に、フェリスも唇を尖らせて降参の意を示す。
 彼は困り顔のクルシュの肩にしなだれかかると、

「そんな風に警戒しにゃくても、冗談に決まってるじゃにゃいですかぁ。フェリちゃんがこのナリでクルシュ様に下心バリバリだったら、にゃんか色々と問題が発生して困りものにゃんですもの」

「そ、そうですよね。ふう、驚きました。私、今はうまく加護が使いこなせてないから、フェリスの色んな気持ちを見誤ってきたのかと」

「――そんなこと、ありませんよ」

 ホッと胸を撫で下ろすクルシュだが、彼女を見るフェリスの瞳に刹那だけ過った感情がスバルには気にかかった。
 複雑なその感情は、ひょっとすると彼の普段は見せない迷いなのかもしれない。

 この一年間、主の回復が果たせなかったのはフェリスも同じだ。
 その間、きっと彼もスバルと同じように苦心し、歯がゆさを味わい、それでも記憶という拠り所をなくした主人を支えてこなくてはならなかったのだから。

「お食事の準備できてございます。運び込んでもよろしいですか?」

 と、そうして話がひと段落したところで、ちょうど旅館の従業員が声を掛けてきた。それまで端っこで小さくなっていたヨシュアが許可を出すと、次々と宿の人間の手で料理が運び込まれてくる。
 一同、長机の上に次々と並べられる料理を見て、一様に驚きを得ていた。

 ただ、周囲とスバルとでは驚きのベクトルがまたしても違ったことだろう。
 エミリアたちは見たことのない料理や調理法の数々に驚いているが、スバルのそれは見知ったものを予想外のところで目にした驚きだ。

 この世界では海がないため、見慣れた魚の活造りが出てくるようなサプライズは起きなかったが――それでも、生の刺身の盛り合わせの衝撃はスバルを逃さない。

「これ、このまま食べられるの?」

「習慣ないやろ? こればっかりは水の近くやないと経験できん料理やろね。『水の羽衣亭』では名物料理って銘打ってるぐらいなんよ」

 常識外の料理は刺身だけに留まらず、それ以外にも日本の和食と思われる類似料理が数多く並んでいる。そのいずれにも皆が戸惑う中、アナスタシアが率先して料理を口に運ぶ――より前に、スバルが動く。

 謎の魚の刺身を、醤油に似た調味料に付けて口へ放り込んだ。
 隣でエミリアとベアトリスが「あ」と同時に声を上げるが、なんてことはない。寄生虫の類の心配は食べてから思い至ったが、この手の旅館でそれに配慮していないことは今日の客層と、ホストの配慮からしてもありえない。
 つまり純粋にスバルは、この味に舌鼓を打てばいいだけだった。

「んまい! あー、懐かしのお刺身! たまらん! いいものを食わせてもらった!」

「お、おいしいの?」

「おいしいも何も絶品だよ。新鮮だからかもしんないけど、俺の中の常識に照らし合わせてもかなり上位ランクに入るうまさだ。この場に寿司酢と米があれば、これが昔に練習した江戸前握りの実力を見せつけてもよかったんだけどな」

「ごめん。ちょっと何言ってるのかわかんない。でも、そっか。おいしいんだ」

 早口でまくし立てるスバルの発言の大部分を聞き流して、エミリアもスバルの真似をして刺身を醤油でいただく。すると、すぐに彼女も紫紺の瞳を見開いて、「んー!」と嬉しそうに握った拳を振った。

 その素直な主従の反応を見て、他の面々も次々と料理に取りかかっていく。
 お株を奪われたアナスタシアだけ少し不満げだったが、スバルとエミリアの反応が理想的なぐらい素直だったので、自然と表情が緩んで「しゃぁないなぁ」と自分の料理に手をつけ始めていた。

 いくつかの不安と、参加しない顔を抱えた晩餐会ではあったが、それでも参加者は全員がこれを、和気藹々と楽しむことができた。



 ――この夜ばかりは、月が、世界が、猶予を許したかのように平和な時間だった。

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