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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第五章 『歴史を刻む星々』

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第五章4  『旅の途中』



 結局、スバルたちがプリステラへと実際に旅立つまでには三日の時間を要した。

「私としてはエミリア様の意思を尊重するし、実際のところ差し迫ったお役目はないから構わーぁないけどね。向こうもどういう算段なのか見えないってーぇいうのは気掛かりと言えば気掛かりかな」

 西方辺境領の領主会合――ようはロズワール辺境伯とその傘下にある領主たちの会合が開かれるのは、そうした主立った諸侯の中でも中立を表明する領主の屋敷だ。
 概ねはロズワールの方針に従うことでまとまっている領主たちだが、やはりエミリアという旗頭を掲げるにあたり反対や不安を口にするものも絶無ではない。

 亜人優遇、というよりは亜人と人間族とを平等に扱うロズワールの方針が守られている領地が大半だが、亜人=ハーフエルフではないという意見はどこでも根強い。
 そんな芽をこの一年をかけて、対話や条件付きでの面従をさせてきたのがこれまでの功績。今回の会合はそれでも頑として首を縦に振らない諸侯に対して、改めてエミリアとの話し合いの場を持たせるための布石でもある。
 ロズワールが屋敷を空けて行っていたのは、そのための根回しというところだ。

「ごめんなさい。本当は私もその会合に顔を出したかったんだけど……」

「そーぉれは逆効果ですよ。その機会を作るための会合ですから、ここでエミリア様を出しては騙し討ちの形になるだけで……もーぉちろん、エミリア様がその混乱を鎮めた上で、反対派の諸侯を黙らせるだけの名演説を見せていただけるのならその奇襲もありだとは思いますけどねーぇ」

「……それはまだ無理だと思う。わかったわ。大人しくしてる」

 唇を結んで、悔しげに目を伏せるエミリアにロズワールは満足げに頷いた。
 その皮肉を交えた言い方に一言申したい気持ちもあるが、以前よりもエミリアに対して正面から向き合っている、という捉え方ができないわけでもない。
 政治的な問題から明白に遠ざけられていた一年前、その頃のお飾り感と比べれば今の方がずっといい――とは、愚痴をこぼしたスバルにエミリアが明かした内心だ。

 ロズワールも精力的に動いている分、以前よりもずっと支援者として頼り甲斐がある。その真意の危なさの分だけ、最終的な収支はほぼほぼ五分だが。

「会合にはペトラが付き添うのは確定として……屋敷には誰が残る?」

「今回はアンネローゼのところも参加するからねーぇ。ペトラ贔屓のクリンドくんがいれば大抵のことは問題なーぁいでしょ。逆にクリンドくんと相性が悪いフレデリカは残していこうかと思うけど……ラムはどうする?」

「ロズワール様の御心のままにご一緒します」

「御心のままにとか言って自分の意見ごり押しじゃねぇか……」

 ロズワール至上主義のままではあるが、どこかわがままを押し出すことに躊躇いがなくなっているラム。ロズワールもそれを違和感なく受け入れているところを見ていると、ラムの方から依存していた以前の関係とも違っているように見えた。
 依存の甘い雰囲気が消えて、まるで互いが理解者となっているかのような空気。ロズワールにそういう存在があることが、プラスに働くのかはわからないが。

「何をジッと見ているの。誰彼構わず発情するなら目を潰すわよ、バルス」

「姉様の中で俺って、どのぐらいのべつ幕無しな野郎だと思われてんの?」

「…………」

 スバルの問いかけに、ラムがひたすらに複雑そうな顔をする。
 答えにくい質問をぶつけたわけではない。ただ、ラムはスバルが『姉様』と語りかけるのを聞くとき、決まってこういう顔をする。
 嫌がっているわけではなく、実感がない単語なのだ。いまだレムとの姉妹関係の記憶が戻らない彼女にとって、レムに姉と慕われた日々は空白の彼方にしかない。

「正直、エミリア様とスバルくんだけなら不安が残るところだーぁけど、ガーフィールとオットーくんが同行するなら大丈夫でしょ。オットーくんなら下手な交渉でドジ踏むこともないだろーぉし、最悪の場合はガーフィールが何もかもぶち壊しにして逃げてくれば問題ないとも」

「それはそれですごーく問題行動なんじゃ……私もなるべく、そんなことにならないように頑張って立ち回るつもりだけど」

「掻き回すのは俺の役目だよ、エミリアたん。相手がアナスタシアさんだろうがユリウスだろうがどんとこいだ。話し合いの大事な場所をはぐらかすことに関しちゃ、話好きの魔女のお墨付きだぜ」

「それ自慢するところなのかな……」

 苦笑するエミリアに、親指を立てて歯を光らせるスバル。もちろん、エミリアもスバルの軽口めいた言葉が、自分を安心させるためのものだと理解している。
 その程度の信頼関係は、この一年間で十分に積み上げてきたはずだ。

「それじゃーぁ、ベアトリス。四人のお守りをしーぃっかりと頼むよ?」

「言われるまでもないのよ。ベティーがいなくちゃ、どいつもこいつも何一つ安心して任せられない困った奴らなのかしら」

 その場で最後を任された少女が、縦ロールを揺らして胸を張る。
 どこか愛らしさが抜けないその態度が、そこにいた全員の口元に笑みを飾ったのだった。もっとも、笑わせた少女自身はその反応が不満だったようだが。


 ――ともあれ、全員に話を通したことでプリステラ行きは確定となった。


「では、到着しましたら『水の羽衣亭』をお尋ねください。そこでアナスタシア様共々お待ちしております」

「んじゃねー、待ってるよー!」

 そう言ってロズワール邸を出たのは、アナスタシアからの使者二人だ。
 先んじてプリステラに戻り、今回の招待への回答を持ち帰るとのことだった。

「おう、気ィ付けてなァ」

「ガーフもなー! ぷりぷりで待ってるから、ちゃんとぜったいくるんだぞー!」

「ぷりぷりってなァどこだよ。わァってらァ。俺様ッがいねェと心配な連中ばっかだッかんな。決着はそっちでつけてやるよ。首洗って待ってな」

「おー? わかったー、洗って待ってるー!」

 別れ際、微笑ましい感じでガーフィールとミミがやり取りしていたのが印象的だった。どうやら本気で使者の滞在中、あの二人の動向に目を光らせていたらしいガーフィールだったが、ミミの態度を見るとやはり杞憂だった感が否めない。
 というより、ミミの懐き方がだいぶ親しげだった。いつの間にか呼び方も『ガーフ』になっているし、向こうに敵対の意思はなかったのではあるまいか。

「ミミが懐柔されたかもしれませんが、僕……自分は手心を加えたりしませんよ」

 そして、はしゃぐ護衛を連れてシリアスをしようとするヨシュア。
 ばたばた暴れるミミに片腕を掴まれて、傾きながら真剣な顔をする姿は正直なところちょっと滑稽だった。
 本人にそれを言わない優しさが、さすがのスバルにも一年間で芽生えていたが。

「ヨシュアくん、大丈夫? せっかく綺麗な服なのに、袖がとれちゃいそう……」

「だ、大丈夫です。お気遣いなく!」

 が、スバルがその男の子の意地を理解しても、同じく見送る立場の天使は理解してやれなかった。皮肉の要素ゼロで心配するエミリアに、ヨシュアも声を荒げるわけにいかず情けない顔でミミを引き剥がそうとする。しかし、ご存知の通りミミの腕力がヨシュアを上回っているため、それは果たされなかった。

「兄様はあなたを友人などと仰いますが、僕からすれば兄様は優しすぎます。そこが兄様の美徳ではありますが、それを補うのが弟の僕の役割だと思っておりますので、ユークリウス家の慈悲を期待しないでいただきたい」

「お前、もう僕を自分って取り繕うのやめたの?」

「は、話をちゃんと聞いてください! 馬鹿にして……! 嫌な人だな!」

「使者の立場すっかり忘れてるお前の方が心配だよ。これ、公的な場所で責めたらユークリウス家の失点になるんじゃねぇの?」

「――――ッ!」

 青い顔をするヨシュアだが、スバルは揚げ足を取っただけでそんなつもりは毛頭ない。そもそも公的な場での暴言を論えば、スバルの方がよほど危険球が多いのだ。
 もちろん、ヨシュアがそれを知る由もないし、教えてもやらないところがナツキ・スバルのナツキ・スバルたる由縁なのであるが。

「スバルも年下の子を苛めないの。ヨシュアくん、ごめんね。スバルってその……こういうところがあるの」

「――ッ。い、いいえ……僕の方こそ大変なご無礼をしました。謝罪いたします」

「僕? 痛ッ、痛いって、エミリアたん!」

 揚げ足をすかさず取ろうとするスバルの耳を、エミリアの指が容赦なく引っ張る。そうして涙目になったスバルを見て溜飲が下がったのか、ヨシュアはひとまずこの場は収めることに決めた様子だ。

 深呼吸をして、ヨシュアは自分たちが乗り込んできた竜車――もっとも、客車を引くのがライガーであるため、竜車ではなく犬車と呼ぶべきそれに乗り込む。
 犬ぞりのようなレースも、ひょっとするとあるのだろうか。

「興行的な感じで、競馬とかそういうのを広めてみるのも手かもなぁ」

 はっきり言って現代知識無双は構想だけで止まっている状況だが、スバルの知識で再現できる程度のものはもうちょっと真剣に取り込んでみるべきかもしれない。
 まずは競馬を興すことで、どういったメリットとデメリットがあるのかを真剣に吟味した上ではあるが、

「どうしたの、スバル。すごーく悪い顔してるわよ」

「久々に現代知識無双のアイディアが湧いてきてね。俺イズム炸裂みたいな」

「あ、また新しい調味料? 私、マヨネーズも好きだけど、あの後に作ったタルタルソースも好きよ」

「次はもうちょっと庶民派の感覚を離れた無双をしようと思う」

 ちなみにタルタルソースも、マヨネーズ同様にロズワール邸で備蓄される形だ。こちらは概ね誰にでも好評で、スバル的にはちょっと不満だったりする。
 ともあれ、そんな四方山話の間にも帰参の準備が進み、犬車がゆっくり動き出す。
 操るのは御者台ではなく、客車を引っ張るライガー二頭のライガーに直接またがるミミだ。彼女は白いローブの裾を翻し、タテガミを掴みながら明朗に笑う。

「じゃー、おにーさんもおねーさんもガーフもまたねー!」

 気持ちよくミミを見送り、窓越しに警戒心マックスなヨシュアにも手を振る。
 そうして使者たちを送り出して、スバルたちがそれに続けたのがその二日後ということだった。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「竜車を急いで走らせても、十日以上はかかる長旅ですよ。特に急ぐ理由もありませんし、疲れないように十分に時間をかけて向かいましょう」

 そう言って旅路の行程を決めたオットーに、全員が何の文句もなく従った。
 プリステラ行きのメンバーで一番旅慣れしているのは彼だったし、肉体的な強度でも平均値を取ればおそらくはオットーに行き当たる。彼自身が負担がないと判断したペースと道を選ぶのが、全員にとってもっとも安全な旅路になるだろう。

「竜車は負担を考えて、僕のフルフーとパトラッシュちゃんの二頭に引かせます。野営することのない予定を組んでますので、緊急用の道具は最低限でいいでしょう」

「ずーっと竜車の上で揺られッてっと体が鈍りそうだぜ、オットー兄ィ」

「それならガーフィールはたまに降りて走ってもいいですよ」

「じゃァ、そうするわ」

「そうするんだ?」

 オットーとガーフィールのいつものやり取りに、エミリアが思わず驚く一幕などを挟みながら、プリステラ旅行の幕は切って落とされた。

 といっても、なんだかんだ言って、旅路そのものは順調に過ぎてゆく。
 メイザース辺境領を出て他の領地に入り、山門を抜けたりする際などちょっとしたトラブルがあったものの、メイザース家の家紋とエミリアの存在でおおよそは無事に片付いた。王選やその候補者の存在も、今はほとんどの土地で知れ渡っている。
 もちろん、それはそれで新たな火種を呼び込むことにもなりかねないのだが、今回の旅路では良からぬことを企む輩とは出くわさなかった。

 道中、無謀にも竜車を狙う野犬や魔獣などが現れた際には、

「ちょうどッいいぜ。今、久しぶりに生き物が殴り倒したかったとこだ」

 圧倒的な暴力で集団を割り砕き、統率された野生の本能を恐怖で追い払うガーフィール。護衛としてこれ以上ない働きに、かえって野良魔獣たちの方が哀れだった。
 そんなおっかない一面のあるガーフィールも、手隙なときには持ち込んだナイフを齧るなどして時間潰ししており、その少年らしい姿にギャップがあったりする。
 ちなみに、強靭な鋼が噛み砕かれる瞬間はいつ見てもなかなか迫力があります。

「うん。この地竜、なかなか見所があるのよ。ベティーが認めてやるかしら」

 そう言いながら、手綱を握るスバルの隣に座るのはベアトリスだ。
 驚かれるかもしれないが、道中の手綱を握るのは何も延々とオットーの役回りというわけでもない。一年間の努力もあって、癖がわかるぐらいに慣れた地竜という条件ではあるが、竜車を操るぐらいのことはスバルにも可能になっている。
 とはいえ、それも気心の知れたパトラッシュと、オットーの地竜であるフルフー。それ以外にロズワール邸で飼われる、ラスカルとペーターという二頭だけであったが。名付け親に関しては言うまでもない。

「偉そうなことばっかり言ってないで、お前もちょっと手綱握ってみるか? パトラッシュなら母性に溢れてるから、ベア子にもきっと優しいぞ」

「それはやめておくのよ。っていうか、あの地竜の目つきは間違いなくベティーを敵視してるかしら。味方を見る目じゃないのよ。母性なんて嘘かしら」

「おいおい、パトラッシュを悪く言うと許さねぇぞ。俺はエミリアたんとレムとベア子とパトラッシュの悪口だけは、誰にも言わせたりしねぇ」

「その中にベティーが当たり前のように入ってるのに許されないのかしら」

「この中に入ってるメンバーの場合、言った子が悪い」

 逃げようとするベアトリスだが、狭い御者台で逃げられるはずもない。伸ばした腕で首を捕まえて引き寄せると、じたばたしながら膝の上に収まる。そのままくすぐりの刑に処してやろうかとしたが、跳ねるベアトリスの髪が鼻先を掠めて、スバルが盛大にくしゃみ――竜車が揺れる。

「ちょっとナツキさん! 変な挙動させないでくださいよ! うっかり『風除けの加護』から外れたら、僕ら揃って乗り物酔いがすごいことになりますよ!」

「悪い悪い! ベア子がはしゃぎすぎたもんだから、つい……」

「ベティーのせいにするのやめるのよ! スバルが勝手に……くすぐるんじゃないかしら! やめっ、ぷーくすくす!」

 御者台で遊んでいる二人に、客車側からオットーが盛大なため息。それを見たエミリアが小さく笑い、

「あの二人ってホントに仲良しさんよね。スバルとベアトリスがあんな風に仲良しになるなんて、ちょっと前には想像もできなかったのに」

「僕はむしろ、あのお二人が一緒にいない期間の方が信じられませんけどね。ベアトリスちゃんの甘えっぷりもナツキさんの甘やかしっぷりも、胃もたれしますよ」

「それは言えてるかも。でも、それでいいと思うの。ベアトリスはああやって笑ってる顔が似合うって、みんなずっと思ってたんだから」

 しんみりとした顔で微笑むエミリアも、オットーの目には姉か母親のような慈愛を示しているように見える。もっとも、そのことをわざわざ口に出して指摘するほどオットーは野暮ではないし、スバルを調子に乗らせるつもりもなかった。

「まあ、あちらの楽しげな感じはあちらに任せるとして、僕たちは僕たちの大事な話をするとしましょう。何度も言ってますが、今回のアナスタシア陣営の狙いと、それに対するこちらの態度のお話です」

「ただ貸し借りを作るって、そういう目論見じゃないってことよね」

「三年で決着する王選も一年が経過して、ひとまずの地盤固めは大詰めに差し掛かっているはずです。うちで言えば今回の布石を打った後、次の西方領主会合で一気に支持を固めます。他の陣営ももともとまとまっていたところを除けば、進行的にはそれほどの差はないでしょう」

「当のアナスタシアのところはどうなの?」

 他陣営の動きの詳細に関して、しばらくエミリアは遠ざけられていた。
 それというのも、彼女には余計な情報を与えて焦燥感を煽るよりも、まず為政者としての心構えを一から説き、必要な能力を修めさせるのに時間を要したからだ。
 余所へ意識を向けるのはそれから、というのがロズワールとオットーの内政コンビの共通見解であり、今回の道行きでその制限を一部解除してもいいのではないか、とうところも共有していた。

 故にオットーはエミリアの問いかけに顎を引き、頭の中で情報をまとめる。

「まずもって今の、王選候補者の支持率についてお話しします。当初、この王選はクルシュ・カルステン公爵とアナスタシア・ホーシンの二組、それが本命と対抗といった形で理解を集めていました。エミリア様含めて他の三者は……言葉を選ばずに言わせてもらえば、数合わせのような認識ですね」

「……うん、それは否定できないと思う。でもそういう言い方ってことは」

「はい。少なくともこの一年で、市井の認識が変化しているのは事実です。本命とされたお二方以外にも、エミリア様を始め、功績を上げたのが原因ですね」

 エミリア陣営の目立った功績は、やはり『白鯨討伐』と『怠惰討伐』の二つが大きい。白鯨の討伐を主導したのはクルシュ陣営であったが、この件において騎士ナツキ・スバルの貢献の大きさは他でもないクルシュ自身が公言している。
 その後の怠惰討伐に対しては、二陣営からの力を借りたとはいえスバルの主導によるものだ。この功績はいずれも、名も存在も市井の興味を引かなかったエミリアの名前を一挙に広めることとなった。
 それは同時にエミリアの出自の悪目立ちをも意味し、良くも悪くも噂の渦中の存在としてエミリアの名前は周知されることになる。

 それを受けて、王選の他の候補者にも注目が集まれば、その恩恵を受けたのは同じく無名とされていたフェルトとプリシラの二人であった。

 特にプリシラ・バーリエルの活躍は目覚ましく、亡夫であるライプ・バーリエルの所領をそのまま受け継いだ彼女は、王国と長年の小競り合いが続くヴォラキア帝国との国境沿いという悪条件を逆手に取り、情勢の不安に揺れていた周辺領主を一気に味方につけた。
 まるで魔法のような手管でヴォラキアの態度を鎮静化させ、諸侯を味方につけたプリシラはさらに、度重なる戦火に疲弊した土地の回復に尽力し、短期間ながらこれに確かな改善の兆しを見せている。
 乗せれば乗せるだけ踊る当人の気質と美貌もあって、王国南方でのプリシラの支持は日に日に勢力を増しているとのことだ。

 一方でフェルトの方はといえば、まずは騎士であるラインハルト・ヴァン・アストレアのアストレア家が持つ所領――他の候補者と比べると、騎士の名に比べて貧相な立場からスタートすることを余儀なくされた。
 騎士や市井の間では絶大な知名度と支持を集める『剣聖』の名も、王と仰ぐための候補者を選ぶ条件としてはそれほど有力なものではない。本拠地としたアストレア領を始め、周辺諸侯の態度は慎重というよりは不信の色が濃厚だった。

 しかしこの悪状況を、フェルトという少女は思わぬ方法で打破した。
 候補者に対して態度を保留できる立場――つまり力のある貴族連中を当てにすることを最初からせず、訳あって野に下った者や市井の輩から人を集めたのだ。
 フェルトはその秘めたる野心や、機会に恵まれなかった才能を見出すのにやたらと長けていたといえる。噂に聞いた『王の血族』という与太話はともかく、他者の才覚を見抜いて仕事を任せる、ある意味では上役にとって最も重要な資質があった。
 そうして小さな火種を切っ掛けとして、アストレア家とその周辺は見る見る内に活気付き、動向を見守っていた諸侯にも少しずつ変化が生じている。
 いまだ小さな火ではあるが、確かに歴史に刻まれつつある足跡だ。その潮流を無視するものは、名のある王国人には皆無であった。

「と、そんな動きが各所で見られます。大きな功績という意味ではうちの陣営もなかなかですが、足元が固まっていく感覚はその両者の方が好調ですね。『大兎討伐』まで認めてもらえてたら、それでも抜きん出ていたと思うんですが」

「オットーくんまでスバルと同じようなこと言って。でも、それなら今はほとんど横並びぐらいって自惚れてもいいのかな」

「ひとまずは。ああ、ただ……カルステン公爵のところも変化がありますね。といっても、僕らにとっては追い風ですが」

「私たちには追い風?」

「ええ。候補者のクルシュ・カルステン公爵なんですが、この一年、なんでも人が変わったように精彩を欠いているとか。以前は公私に亘って厳しくも活動的で、先代の公爵様を支持していた層も認めざるを得なかったという話だったんですが」

 政策に関しても治世に関しても、以前とは質がまるで違うとのことらしい。
 それまでの果断な決断が鳴りを潜めて、どこか柔さを感じさせる判断が目立つ。女だてらに公爵という大役を務めていたが、馬脚を露したかとはもっぱらの噂だ。
 引退して後見の身に収まっていた先代公爵まで引っ張り出して、領民や諸侯の不満を捌くのに忙しくしているらしい。

「王選の開始当初は『白鯨討伐』の功もあって、王座は間違いなしとも言われてたんですが……何が切っ掛けで零落を招くかはわかりませんからね。エミリア様も十分に気を引き締めてかかってください」

「――そう、なんだ」

 オットーの説明にエミリアが目を伏せ、紫紺の瞳が憂いで満たされる。
 政敵に対しても同情を禁じ得ない様子だが、それは危うい脆さだとオットーは考えていた。いずれは蹴落とし合う間柄なのだ。過剰な肩入れは失調を招く。
 それは商売でも政治でも同じだと、この一年の経験がオットーに学ばせていた。

「あまり思い詰めないでください。今後も必ず、こういったお話はあります」

「うん。ありがとう。オットーくんの気遣い、わかってるから」

「それなら何よりです。アナスタシア陣営の話にやっと入りましょう。あそこはルグニカ王国での地盤となる拠点がない代わりに、カララギの大商会という他にない後ろ盾がありますからね。もともと進出を考えていたという話だけに、ホーシン商会の息がかかっている商会の出店がルグニカで相次いでいます」

「そうすると、どうなるの? お店がたくさん増えても、味方する人が増えるわけじゃ……あ、知ってる人が増えるから、認知度が高くなる?」

「それは副次効果としてあるでしょうが、もっと簡単な狙いがあります。――単純にお金がたくさん使えるようになります。でも単純なだけに、この財力という力は誰に対しても通用しますよ。経済でぶん殴られて、困らない社会動物はいません」

 商売人を味方につけるということは、経済の世界での仲間を増やすことである。そして経済がその社会を維持している限り、そこで力を持つことは社会に対する攻撃力と防御力を持つことと同義だ。
 手当たり次第に味方を集めている限り、選んで経済力という力をまとった相手に対抗するのは至難の業となる。

「だから僕は現状、候補者で一番警戒すべきはアナスタシア陣営と考えています。その陣営からの招待……それも最初から借りを作ることになりそうという状況、僕がどれぐらい頭を抱えたいかおわかりになってくれますか?」

「……やっと、すごーく身に沁みました。勝手なことしてごめんなさい」

「わかっていただければ、とりあえず大丈夫です。この先は迂闊なことをしないってきっと、きっと……わかってもらえたと思いますから……!」

 頭を下げるエミリアに、恐れ多いと首を振りながらオットーが長い息を吐く。
 噛み砕いたオットーの説明で理解が染み渡り、エミリアは何度も頷いた。

 なるほど、色々と政治の世界は難しくて複雑だ。
 心を込めて「頑張ります」「一緒に頑張りましょう」だけで済まないのはとっくにわかっていたが、余所の動きまで気にしていると目が回ってしまう。
 今まで秘密にされていた部分を知れたことは嬉しいが、代わりに不安も増大しつつあった。

「何も一人で悩みを抱える必要がありませんよ」

 と、そんなエミリアの顔色から内心を想像したのか、オットーが声を発する。
 顔を上げるエミリアに、オットーは自分の灰色の髪を弄りながら、

「エミリア様は中心人物ではありますが、それは何もかもエミリア様がやらなきゃいけないってこととは違います。この竜車と一緒ですよ」

「竜車と一緒って?」

「今、手綱を引いてるのはナツキさんです。ナツキさんがサボらないよう見張ってるのはベアトリスちゃん。客車の上で周りを見張ってるのはガーフィールですし、その竜車の行程計画を立てたのは僕です。そしてエミリア様はその全員にお疲れ様と声を掛けながら、まあえっちらおっちらプリステラを目指してます」

 オットーの言いたいことの意味がわかって、エミリアは目を丸くした。
 そして同時にその回りくどい表現が、なんとも誰かさんのようで可笑しくなる。

「オットーくん。その言い回し、なんだかすごーくスバルみたいよ」

「うえ!? 本当ですか? 嫌だなあ……ひょっとして付き合いが長くなってるうちにうつってきたんじゃ……や、やめてくださいよ、恐い想像は」

「おい、オットー! エミリアたんと何を楽しげに話してんだ? エミリアたんの可愛い笑顔は俺の主食なんだから、横取りとかすんなよ!」

 問題の人物の声が割り込んできて、思わずオットーが肩を跳ねさせる。それを見たエミリアが笑みを弾けさせると、オットーも情けない顔で笑った。

「ちょっと! 何を盛り上がってんの!? なんだよ、ずりぃ! ベアトリス、ちょっと手綱持ってろ。乱入してくる」

「や! 無理なのよ! やめるかしら! ベティーじゃダメ……あ、ひっくり返る! きっとひっくり返るのよ! ほら、ひっくり返す目をしてるかしら!」

 御者台の方から悲鳴が重なるのを聞いて、オットーは仕方ないと腰を上げた。
 そろそろ辛抱弱い騎士様は限界の時間だろう。ここは大人しく場所を交代し、地竜のご機嫌伺いは自分がするべきだと判断。

「オットーくん」

 そうして客車から御者台へ移る準備をするオットーを、エミリアが背後から呼ぶ。その声に振り返ると、オットーは思わず息を詰めた。
 エミリアの信を置いた微笑みが、その胸を突いていた。

「色々迷惑かけるけど、私も頑張るから。頼りにしてるね」

「――ええ、そうしてください。僕は僕で、そのおこぼれを楽しみにしてます」

「その答えもなんだか、スバルっぽい」

 苦笑して、オットーは御者台の方へと足を踏み出した。
 スバルといいエミリアといい、この主従は揃って人をたぶらかそうとする。期待されたら応えたくなってしまう病気のオットーには、致命的な主従なのだった。



 そんなやり取りを経ながら、ロズワール邸から出発すること十二日。
 エミリア一行は無事、水門都市プリステラへと到着した。

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