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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第五章 『歴史を刻む星々』

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第五章1  『始まりはいつも来訪者から』

Re:ゼロから始める異世界生活、第五章スタートです。
よろしくお願いします。




 ――踏みしめた大地を強く蹴り、体を前へと弾き出す。

 額を流れる汗が風に当たり、目の端を掠めるのを瞬きで無視。
 吸い込む酸素に肺が痛むのを感じながら、鳩尾を中心に体が絞られていく。

「――っ」

 歯を食いしばり、痛苦を丸ごと意識から追い払う。
 脳裏に思い描くのはたった一つ、ただ『ゴール』の単語それのみ。

「――――!」

 遠くから、誰かの高い声が聞こえる気がする。
 どんどん近づいてくるそれは、走り抜けるスバルへ追いすがってくる。その声を頼りに、手繰るように、前へ、前へ――。

「――――!」

 懸命な声に誘われて、どこまでも視界が白くけぶるのも構わず、走る。
 やがて、

「ごーるなのよ!」

 足元に敷かれていた不器用な白線をまたぎ、その瞬間に天地がひっくり返った。
 頭から背の低い雑草に突っ込みかけ、スバルはとっさに手をついて前回り。もはや癖になっている動きで衝撃を殺し、もう二度ほど余計な回転を加えて大地に大の字に寝転んだ。

「ぶはーっ! あー! 辛い! 苦しい! でも、終わった! やりきった!」

 荒らげた息を繰り返しながら、それでも必死こいて声を上げ続ける。
 悪態じみたそれを言い放つのは、萎えかけた己の心を奮い立たせるためだ。疲労感をただの疲労と、努力をただの苦労と思ってはならない。
 ここで終わりではなく、もう少し先があると思わなくては心が留まる。
 そうして勝手に終わりと満足のラインを引こうとするたびに、スバルは自分の胸に手を当ててあの夜を思い出すのだ。

「スバル、お疲れ様だったかしら」

 寝転がるスバルの頭上から、逆さに視界に割り込んでくる小さな影があった。
 クリーム色の長い髪を豪奢に巻いた、愛らしい顔立ちの少女――ベアトリスだ。

 草原に似合わないドレスの裾を揺らし、ベアトリスはスバルにそっとタオルを差し出してくれる。それを受け取り、頭に被せて乱暴に拭い、

「あー、助かる。この微妙に冷たくしてくれてる心遣いが憎い」

「それはベティーに持たせる前に冷やしてたペトラの配慮なのよ。あとで礼を言ってやれば、あの子が跳んで喜ぶかしら」

「さすがペトラは気遣いさんだな。でも、ベア子がこっちまで顔出すなんて珍しいじゃんか。なんかいつもと違う気分になった理由でもあったのか?」

 腕を振って体を起こし、その場で尻を滑らせてベアトリスへ向き直る。スバルの見上げる視線に、ベアトリスは腰に手を当てて視線を逸らした。

「別に、ただの気紛れなのよ」

「へぇー、そう、気紛れですかぁ」

「……日頃、あれだけ頑張ってるって雰囲気出してるスバルが本当はどんなものか、この目で見たかったってのもあるかしら」

 ぷいと顔を背けたままで、隠していた本音をあっさりと暴露するベアトリス。
 ずいぶんと素直になったものだと、時間をかけて心を解した実感が湧く。
 にやにやと笑うスバルにベアトリスは物言いたげな顔をしたが、結局は何も言わずに小さな吐息をこぼすだけに留めた。

「それで、ただがむしゃらに走り回っただけで終わりってんじゃないはずなのよ。この後はどうするつもりでいるのかしら」

「ただがむしゃらに走り回るだけでも、結構これが大変なんですよ、お嬢さん。ご期待に沿えるかはわかりませんが、こっからは夢のアスレチックゾーン突入だ」

「……ああ、何かと思ったのよ。ガーフィールに作らせた森の中の積み木のことかしら。あすれちっく、なんて?」

「アスレチックゾーン。別に無理して覚えなくてもいいぜ? 聞き流せよ」

「スバルの言葉は全部、わかっておけるようになっておきたいのよ」

 さらっと、殺し文句が出たことにスバルはますます頬を緩める。そのスバルの反応にベアトリスは訝しげな顔をして、それから自分の発言の意味に気付いてハッと表情を変えた。わずかに赤らむ頬が、果実のようで愛らしい。

「い、今のはそういう意味じゃ……たまたまそれっぽくなっただけかしら」

「いやいやいや、大丈夫、誤解とかしてない。安心安心、俺も愛してるぜ」

「全然わかっちゃいやがらないのよ、こいつ!」

 へらへらと笑いながら、飛び跳ねるようにスバルは立ち上がり、傍らで渋い顔のベアトリスの膝裏に腕を回して軽々抱き上げる。
 腕に抱かれるベアトリスは不満げな顔で、しかし担がれたことに文句は言わない。

「スバル、汗臭いかしら」

「じゃあ、口で息しろ。もしくはダイレクトにマナドレしとけ」

「干からびるまで吸っていいならやってやるのよ」

「それやって泣くのたぶんお前だぞ」

「だ、誰が泣くっていうかしら! 冗談じゃないのよ!」

 言い合いをしながら、スバルはベアトリスを抱いて再び走り出す。
 呼吸はじゃれている間に戻っている。ランニングコースの草原から、次なる運動場の森林の中まで、ベアトリスぐらいの重しを担いで走るのにちょうどいい。
 なにせこの少女、見た目に反して至極軽い。まるで羽毛のようだ。

 だから羽根が生えたような気軽さで、スバルはベアトリスと飛ぶように走った。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 焼け落ちた屋敷に代わった新たな屋敷は、以前と同じように緑に囲まれていた。
 生い茂る草木と、山深い緑の群れ。涼やかな風が吹き抜け、スバルは短い前髪が風を浴びるのを感じながら土を蹴る。

「よっ! ほっ、と!」

 視界の全域を緑が覆い尽くす森の中で、疾走するスバルは横倒しになっている丸太に軽く手をつき、短い跳躍と体重移動のみで障害を突破する。
 『ヴォルト』と呼ばれる技術で、こうした入り組んだ障害の多い地帯や、街中などの建物の多い場所で効果を発揮する移動術だ。こうした技術体系を利用したスポーツをパルクールと呼び、スバルもよくテレビ越しに、パルクールをたしなむプレイヤーたちの超人ぶりを見ては唖然としていたものだった。
 そうしたびっくり人間技術の一端を、自分が修めるとは想像もしていなかった。

「や、は、しょっ!」

 複数の丸太が組まれた登り木は、スバルがガーフィールに頼んで作ってもらったアスレチックゾーンの目玉だ。
 大木を支柱に、丸太が縦横無尽に張り巡らされる形で、ややアバンギャルドな感性が作り出した本格派のジャングルジムといっていい。

 ゆっくりと登るだけでも、次に手と足を持っていく場所に戸惑いそうな外観。
 そこにスバルは駆け抜ける勢いのままに飛びつき、わずかな手掛かりと足の指先を掛ける場所を頼りに、垂直な壁を登るようなアクションで一気に体を持ち上げる。
 ジャングルジムのてっぺんへ辿り着くまで、目にも止まらぬスピードだ。
 だが、パルクールの技術の凄まじさと、本格派ジャングルジムの目的はこれで終わりではない。

「ほいほいほいっと」

 頂上へ辿り着き、その細い足場をピョンピョンと飛び越えて、端へとやってきたスバルは眼下を覗き込む。ざっと、下までは六メートルほどになるか。
 雑草と苔の目立つ地面には、当然ながら何も敷き詰められていたりしない。多少は柔らかさを期待できる土の地面も、今はしっかり踏み固められている。
 つまり、普通に着地する分にはダメージを受けること必須で足が竦む。が、

「――りゃっ!」

 スバルは躊躇することなく、その固い地面へ向かって飛び降りる。無防備そのものの跳躍は、日頃の無鉄砲もここまで極まったかとあるいは思われたかもしれない。
 しかし、スバルは臆することなく両足を伸ばして地面に着弾。そのまま全身に突き刺さる衝撃に呑まれ、のたうち回る――とはならない。

「――――」

 膝を曲げ、腰を落として衝撃を散らし、そのまま前回りしてさらにダメージを逃がす。二回、三回と地面を転がり、四肢をついて立ち上がる体にダメージはない。軽く体を手で払って、ジャージについた泥を払いのけるだけだ。

 これもパルクールの技術の一つ、『ランディング』と『ロール』だ。
 着地術をランディング、衝撃を散らす回転がロールの合わせ技になる。
 ある程度の高所からの落下ならば、衝撃を散らして無事に活動を再開できる。他の超人たちにとっては大したことのない問題でも、凡庸常人のスバルにとってはそれすら死活問題なのだ。
 この技術を習得しただけでも、できることの幅は大いに広がっているはず。

「とまぁ、今のところの成果はこんな塩梅だな。ちょっとは見直したか?」

 その場で両手を広げて、スバルは今の一連の動きを眺めていたベアトリスを見る。
 観客用の切り株に大人しく座るベアトリスは、丸い目をさらに丸くしながら、

「真面目に、ちょっとだけ驚いたのよ。少し見直したかしら」

「惚れ直した?」

「スバル最近、ベティーに何を言わせたいのかよくわからんのよ!」

「俺はただ、お前に愛されてる実感が欲しいだけなのに」

 それについては十分、ベアトリスは態度で示すからわかりやすいのだが。
 顔を赤くしたまま、憤慨するベアトリスに笑いかけてスバルは背後を見やる。

 今のパルクールの技術を披露した通り、森の一部は主にスバルが特訓するためのアスレチックゾーンへと改造されている。
 ロズワールの敷地であるので文句を言われたりはしないが、あっさりと森を切り開いてこれだけのものを作り上げるガーフィールに、わりと本気で土木事業への参入を推薦したくなったのはここだけの話だ。

 あれでガーフィールは意外と、手先が器用で細やかでもある。若く、荒ぶる才能は今後も色んな分野で花開くことだろう。

「ともあれ、今日のところはこのぐらいにしとくか」

「ほりゃっ、かしら」

 投げ渡されるタオルを受け取り、草原と同じように汗を拭う。
 それからその場で屈伸し、足や腰周りの筋を伸ばしてストレッチ。柔らかい体の重要性は元の世界でも取り沙汰されていたが、本気で肉体改造に励むようになってからは特にその効果を実感する日々だ。

 股割りできるほどではないが、節々もだいぶ柔らかくなってきた。
 足を手近な木の幹にかけ、ぐっと体を伸ばす。地面に座って足を開くと、何も言っていないのに背後に回ったベアトリスが、体重をかけて前に体を倒してくれた。

「ストレッチも終わり。よーし、屋敷に帰ってダラダラしようぜ」

「そうするのよ」

 以前なら食って掛かっただろう言葉に反論がない。
 すっかりスバルの扱いにも慣れて、最近のベアトリスも対応がお馴染みだ。
 伸びてくる掌を捕まえて、ベアトリスと手を繋ぎながら森の出口へと向かう。

「ベア子、ひょっとしてマナドレ遠慮してるか? いつもより持ってかれる感覚が軽いような気がする」

「疲れた相手に気を遣う神経ぐらい、ベティーにだって当然あるかしら」

「おうおう、ほんの二時間ばかしでずいぶんと意見が変わりましたことで。でも、それでお前が調子崩してもしょうがねぇし、いつも通りでいいよ」

 しおらしいベアトリスに苦笑しつつ、スバルは繋いだ手を持ち上げてみせる。ベアトリスがそれを横目にして吐息すると、途端にいつもの感覚がやってくる。
 スバルの閉じたゲートの内側に、ベアトリスという受け皿が直接に割り込む。それは本来あるべき門を通さず、スバルの体からマナを抜き取る専用の裏口だ。
 ベアトリスにしか使えないその裏口が、今のスバルには生命線でもあった。

 ゲートの酷使によって、その機能を完全に喪失したスバル。
 だが、ゲートがなくなったところで、スバルの中にあるオドから湧き出すわずかばかりのマナが消えてなくなるわけではない。
 むしろ、出口をなくしたにも拘わらず、マナだけは次から次へと作られるのだ。
 そのまま放置しておけば、スバルの体内で行き場をなくしたマナが暴走し、やがて空気を吹き込まれたカエルのように破裂する――とはスバルの理解の話だ。

 実際に爆発するかは別として、そういう危険があると訴えたのはベアトリスだった。そのため、ベアトリスとの契約を維持するための必要マナの件を一挙両得で片付けるために、こうしてスバルとベアトリスは日に一度は必ず物理的に接触している。

 微量だがマナが溜まり続けるスバルと、活動するためにマナを必要とするベアトリス。性格面以外にも体質的な部分で、二人の相性は絶妙だった。
 もっとも、

「ベア子のマナドレが契約者以外にも適用できれば、前みたいな強ロリ形態も簡単に維持していけたのにな」

「しみじみ言うんじゃないかしら。そんなこと、とっくのとうに話し合って納得させたはずなのよ。それに微量でも、ちゃんとちょっとずつ溜めてはいるかしら。それが小鳥の涙ぐらいでも」

 ベアトリスのマナドレインが、契約者を対象にしたものというのが曲者だった。
 以前のロズワールの屋敷では、屋敷に出入りするものからのべつ幕無しに適当に搾取していたらしいのだが、それは禁書庫を媒介とした特殊な方法だったらしい。

『禁書庫をベティーのマナ摂取の媒介として、禁書庫自体に屋敷で過ごす存在からマナを徴収する仕組みがあったのよ』

 というのがベアトリスの説明だ。
 そのため、マナが有り余っていそうなガーフィールや、『聖域』を抜けた当初は自分の莫大なマナの扱いに困っていたエミリアなどからマナをいただく作戦は水泡に帰した。そんなうまい話があるわけないと、物言わぬ誰かに言われた気分だ。

 とはいえ最初は落胆したものだが、今ではそれでよかったとも思っている。
 折につけてベアトリスと接触するのは、今のスバルと彼女との関係を意味する上で大切な儀式であると思うし、繋がっている実感が持てるのは良い影響がある。
 精霊使いスバルと、契約精霊であるベアトリスとのパートナー関係は、普通の精霊使いのそれとは趣が異なる。こうしたところで確認できる自分たちらしさが、スバルたちのやり方には必要なのだ。

「終わったのよ。今日はもう、これで十分に満たされたかしら」

「そうか、はぁ……余裕、だったぜ……はぁ、はぁ」

「強がるところにはもう何も言わないことにしたのよ」

 いつもの日課を終えて、ベアトリスのスバルを見る目はひどく生温かい。
 帰りの道すがら林道を抜け、舗装された地面の上を踏んで歩けば屋敷が近い証拠だ。アーラム村の近くであった頃に似た道だが、屋敷へ続く道の反対はすぐ近くのコスツールという都市へと通じていて、辺境率は格段に下がっている。

「でもベティーは前の静かな森の方が、どっちかっていうと好きだったかしら」

「俺は騒がしい街には騒がしい街の、静かな森には静かな森の良さがあると思う。どっちがってことはないな。ただ、でかい街は王都ぐらいしか見たことなかったから、コスツールは新鮮ではある」

「むぅ、なのよ。スバルはベティーと感性が合わないかしら」

 唇を尖らせ、スバルの答えに不満を露わにするベアトリス。
 手を引き、「へいへい」とたしなめながら屋敷の方の道へ足を向ける。と、

「――スバル様! ベアトリスちゃん!」

 高い声が二人の名を呼び、スバルとベアトリスは同時に顔を上げる。すると二人の正面、屋敷へ続く道の向こうから一人の少女が駆けてくるのが見えた。
 聞き慣れた声に見慣れた顔、スバルたちを見つけて華やいだ表情は愛らしく、肩で切り揃えた赤色交じりの茶髪がさらさらと風にたなびく。
 大きな丸い猫のような瞳は、表現力に富んだ少女の表情をさらに魅力的に掻き立てる。誰もが少女の挙動に微笑みを浮かべてしまうような、親しみのある可愛げ。

 人の手の入らない、野原で咲いた可憐な花。
 ペトラ・レイテという少女を語るのなら、そんな表現こそが相応しい。

「ちょうど二人を呼びにいこうと思ってたところだったんだ。すれ違いにならなくてよかった」

 息を弾ませ、二人の前まで駆け寄ったペトラが胸に手を当ててそう言った。
 それを受け、スバルは自分の胸のあたりまで身長が伸びたペトラの頭を撫で、

「そんな急いでどうしたんだ? 別に慌てなくたって逃げやしないさ。焼いてたタルトがめちゃくちゃいい具合に焼き上がったとか?」

「それなら一刻も早く呼びにくるのも頷けるのよ。大事な用件かしら」

「もう! そんな話なわけないでしょ! スバル様もベアトリスちゃんもからかって!」

 頬を膨らませたペトラが、もっともらしく頷くベアトリスを叱り、それから頭に乗ったスバルの手をどけようとして、両手で握ったところで払うのをやめる。
 そのまま両手でスバルの手を握り、ペトラは走って紅潮させた頬を染めたまま、

「タルトの焼き上げは後回しにして、それとは別のお話。お屋敷にお客様がいらっしゃったの。それで、エミリア様がスバル様たちも呼んできてって……」

「待て、ペトラ。そこまででいい。その流れ、俺の嫌な予感を掻き立ててくる」

「え?」

 ペトラが口にした内容に、スバルは警戒心を露わにしてストップをかけた。
 その言葉にペトラは驚いた様子だが、ベアトリスはさもありなんといった顔だ。
 それはそうだろう。こうして屋敷を移動してきて以来、スバルと行動を共にするベアトリスはスバルと同じものを目にしてきた。
 『聖域』を出てから今日に至るまで、それはそれは色んなことがあったものだ。

「そのかなり大部分に、話が同じ入り方をしているパターンが確認されてる。ペトラが呼びにくるときと、フレデリカの場合と、オットーかガーフィールのときとかもあるけど基本は厄介事だ。さすがの俺も学習したよ」

「突然の来客と、ちょうど外出してるスバル……これは不幸が舞い込むぱたーんに間違いないかしら」

「べ、ベアトリスちゃんまでスバル様みたいなこと言い出して……っ。スバル様はベアトリスちゃんに変なこと教えないの!」

「ベア子の育て方に関しては、屋敷の総意をもって伸び伸びとやる方針で。それはそれとして来客だよ。ペトラ、俺とベアトリスはお腹が痛いから欠席する」

「ダ・メ・です! エミリア様が怒るでしょ! わたし、エミリア様に逆らうような理由なんてないもん。はい、きてきて!」

 拒絶反応を示すスバルだが、お役目に燃えるペトラは決して甘くない。
 前はあんなにスバルの意見にべったりだったのに、ここでの生活ですっかり立派になったペトラは真っ向からスバルにも意見してくる。

 スバルの右腕を両腕で引っ張り、軽い体重でめいいっぱい力を込めるペトラ。彼女に引かれながら、スバルは左手を繋いでいたベアトリスを見やり、

「ベア子」

「いってらっしゃいなのよ」

「お前も道連れだ!」

「ぎにゃーかしら!」

 助けを求める方向性が、一瞬で巻き添えにする方向性へ転身する。ベアトリスがとっさに手を振りほどこうとするが、スバルはがっちり左手をホールド。そして右手はペトラによってホールドされているので、これで双方に逃げ場なし。
 そのまま嫌がるベアトリスを逃がさないスバルと、そのスバルを逃がさないペトラというわけのわからない布陣のまま、三人は揃って屋敷へと向かう。

「もう今さらきた奴は追い返せないのはわかってるけどさ……それならそれで、もう前もって言っておいてほしいんだよな」

「使者のための使者って話? それだと、もうどこまで先回りして出しておいたらいいのかわかんなくなっちゃうでしょ。わたしにだってわかるよ、そのぐらい」

「お互いの精神衛生と、今後の関係のためにももうちょい善処してほしいかなぁってね。ところで、今日はどちら様がきたのかペトラは知ってるの?」

 屋敷への来客である以上、応対したのはペトラかフレデリカかラムか。とりあえず該当者は三名のいずれかだ。ペトラがスバルたちを呼びにきた以上、おそらくはペトラ以外の二人が対応しているはずだが、

「うーんと、それがよくわからなくて」

「わからない? 家紋は見たことないかもだけど、使者は見たんだろ? 見てなくても何かしら、呼びにいけって時点で言われてると思うんだけど……」

「大慌てしてたし、大事なお客様っていうのは聞いてるよ。でも、そんな風に全然見えなくて」

「見えないったって、人を見た目に判断すんのはあんましだぞ。どれだけ髪をデンジャラスに縦ロールしてても、凶悪な力を持つ幼女の場合もある。たとえ贅沢なドレスを着てるだけのロリに見えても、人知を超えた実力を……」

「うるさいかしら!!」

 ベアトリスからの茶々入れへのストップがかかったのでスバルはだんまり。
 そして口を閉ざすスバルに、ペトラは困ったような顔をしたまま、

「わたしも人を見た目で判断なんて、前に反省したからしないもん」

「お、偉いな、ペトラ。前に何があったか知らないけど、そりゃ大事なことだぜ」

「村にきた新顔の目つきの悪い雑用係さん、変な人かと思ってたけど……全然、そんなじゃなかったから」

「ブーメラン!!」

 思わぬところでダメージを受けながら、スバルは今のペトラの言葉に首を傾げる。ペトラにとってのスバルの第一印象は別として、その手前の言葉だ。
 見た目で判断しないと、そう決めているペトラがそれでも奇妙に思う相手。

「それ、どんな奴だったの?」

「簡単に言っちゃうと……猫ちゃん?」

「猫ちゃん?」

 猫、と言われて最初に頭に思い浮かぶのは、灰色の体毛をした長い尾を揺らす小猫型精霊の姿だ。スバルにとっては複雑な念を抱く相手であり、いずれは顔を合わせて言ってやらなくてはならないこともある。

「お嬢さんを僕にくださいって言わないといけないからなぁ」

「ベティーもにーちゃを連想したけど、ペトラはにーちゃを見たことがあるはずかしら。だから違うはずなのよ。ペトラ、どんな猫ちゃんだったかしら」

「ベアトリスちゃんも猫ちゃんって言うんだ、可愛い」

「ペ・ト・ラ!」

 からかい口調のペトラにベアトリスが憤慨する。
 ペトラは「ごめんごめん」と気安い調子で答えると、それから思い出すように視線を上へと向けて、

「猫ちゃんって言っちゃうとちょっと違うかな。あんまりちゃんと見たことないんだけど、亜人の猫人族だったんだと思う。わたし、亜人って聞くといつもガーフィール兄様を想像しちゃうんだけど」

「ガーフの場合は混血だし、パッと見でわかる特徴がないからな。よく見ると目つきが危ないぐらいが関の山だし」

 もう一つ、鋭すぎる犬歯も違いといえば違いといえるか。
 ガーフィールの話ではあの犬歯は、げっ歯類の前歯のように常に成長し続けているらしく、長さと鋭さを維持するために固いものを噛む必要があるらしい。
 たまに屋敷の手すりなどを齧るガーフィールが散見され、それを見つけたラムやフレデリカにどやされていることも珍しくない。

「で、つまりは亜人らしい亜人の登場ってわけだ。猫人族っていうと獣人だろうし、それなら俺も知ってる顔がちらほらあるな」

 王都ではもちろん、コスツールでも獣人系統の亜人族を見かける機会は多い。
 亜人趣味で知られるロズワールの領地では、亜人たちに対する偏見を長い時間をかけて解きほぐしてきた。故に、他の土地に比べて亜人に住みよい環境となっている、というのが顔馴染みになったダンディな兎耳のバーのマスターの話だ。
 ただし、基本は屋敷で勤務し、たまの休日もコスツールではなくアーラム村へ顔を出しに戻るペトラは馴染みが薄いのも当然だった。

「そうなんだ。じゃ、次のお休みはわたしにコスツールを案内してくれる?」

「んー、いいよ。どうせ買い出しとかで顔を出す機会はいくらでもあるだろうし、知り合い友達は作れるだけ作っとけ作っとけ」

 安請け合いをスバルがすると、ペトラが繋いだのと反対の手でガッツポーズ。
 ベアトリスがため息をこぼし、両手を繋がれるスバルは苦笑いするだけだ。

「と、着いた着いた。懐かしの我が家よーっと」

 話している間に門が見えてきて、二人の少女と繋いだ両手を持ち上げる。背伸びする形になる少女たちの抗議を聞き流しながら、ぐっと背筋を正して屋敷を見た。

 焼け落ちた以前の屋敷に代わる新しい屋敷――その外観の雰囲気は、元々の屋敷のデザインを踏襲した同系統の洋館だ。
 正門から玄関までの距離が広がり、砂利を敷いた道を挟むように芝生を刈り込まれた前庭がある。正門から見て右には噴水、左には屋敷の横手に回り込む道が続き、そちらには竜車を係留し、地竜を入れる厩舎などが並んでいる。

 噴水の奥には色とりどりの花が咲く花壇があり、毎日、決まった時間に噴出する噴水が水やりの役目も果たす仕組みになっていた。ちなみに花壇の端っこにはスバルとペトラがやっている家庭菜園があり、そちらではささやかに旬の野菜などが収穫できたりし、実り豊かなときにはそれなりに好評だったりする。

 前庭を抜けて砂利を踏めば、大きな両開きの扉がスバルたちを出迎える。ドアノッカーにはメイザース家の家紋である、鷹に似た鳥のモチーフが使われていて、なるほどいかにもメイザース本邸という響きが似合う風体を保っていた。

「厩舎の方に見慣れない竜車があったな。あれがお客さんのやつか」

「竜車は竜車だけど、引いてたのはパトラッシュちゃんみたいな子とは違ったよ。地竜じゃなくて、おっきなお犬様だったから」

「でかい犬が引いてた……って、それもしかして」

 見覚え聞き覚えのある該当生物を思い出し、スバルは来客の正体のとっかかりを得る。しかし、そのスバルの思考が答えに辿り着くよりも先に、もっと早く先方の側から答えはもたらされた。
 すなわち、

「おー! おにーさん、ひさしぶりー! 元気だったー!?」

 やたらと威勢のいい甲高い声が飛び込み、ドアを開けたスバルは大いに驚く。
 隣ではペトラが苦笑し、ベアトリスは心なしかスバルの手を強く掴んだ。スバルはそんな二人の反応を尻目に、元気よく目の前に駆け寄る人影を見る。

 小さな人影だ。
 背丈はペトラよりさらに低く、ベアトリスよりはわずかに高い程度。つまりは子どもの身長だが、彼女らにとってはそれが成長の限界であるのかもしれない。
 オレンジ色の短い体毛で全身を覆い、ピンと立った猫の耳が愛らしい。好奇心旺盛な丸い瞳と、元気いっぱいに声を上げる悪戯な口元。長く伸びた橙色の髪を三つ編みにしているのが女の子らしく、白いローブですっぽり体を包んだ姿も微笑ましい。

 子猫が二本の足で立って歩くような、ある種、猫好きにとって夢の存在。
 猫人族――それも、顔見知りの仲だ。

「ミミか! 久しぶりだ。相変わらず、お前は超元気そうだな!」

「うん! そー! ミミちょー元気! おにーさんわかってるー! あと、前よりミミは背が伸びて大人になりました。えっへん!」

 腰に手を当てて、尻尾をふりふりさせながら自慢げにドヤ顔するミミ。
 その姿はただ元気で生意気盛りな女の子といった塩梅だが、その実、この少女は獣人だけで構成された傭兵団『鉄の牙』の副団長であり、その戦闘力もかなりのものだったりする意外性の塊だ。
 かつてスバルとは白鯨、そしてペテルギウスの討伐において協力した間柄であり、誰に対しても親しげで馴れ馴れしい共通点を持つスバルとミミは、あの一連の事件の中でもっとも素直に仲良くなった相手といえるだろう。

 ちなみに『鉄の牙』は、エミリアの政敵であるアナスタシア・ホーシンの私兵のような立場であるので、立場だけで見ればスバルとは敵対関係もいいところだ。
 ただし、ミミに対してそんな敵意を持つなど無粋でしかない。

「そうかそうか、遠いところご苦労さんだ。そうだ、紹介するよ。こっちの可愛いメイドさんがペトラ。うちの屋敷で働いてる未来の万能メイドだ。そんで、こっちにいる警戒心丸出しのロリがベアトリス」

「おー! わかりました! ペトラしてるメイドさんと、スバルの子どもでしょ! 覚えた! ミミ覚えたよー!」

「な、なんかめちゃくちゃな覚え方されてる気がするのよ……!」

 戦慄した様子のベアトリスだが、もじもじしてスバルの後ろに隠れたままだ。どうやら全力で距離を詰めてくるミミに物怖じしているようだが、ミミの方はそんなベアトリスに遠慮なく突っ込む。

「なんだー? そんな小さくなってると、ミミみたいにでっかくなれないぞー! ほらー、出てきて出てきてー!」

「わ、ちょ、や、やめるかしら! ベティーは小さいの気にしてないし、そもそもお前の方だって言えないぐらい小さいのよ!」

「ふふーん、シロートさんはこれだからあきませんなー。ミミは中身がおっきーから、そのうちに外側も追いつくぐらいおっきくなるんだよ。ダンチョーが言ってた」

「わけわからんかしら!」

 手を引かれて、前に引っ張り出されるベアトリスがミミに振り回される。
 ベアトリスが救いを求めるようにスバルの方を見るが、スバルはベアトリスが人見知りしつつも友達を作る姿に満足し、父親のような顔で見守るばかりだ。

「ねえ、スバル様。ベアトリスちゃんがすごい怖い目でスバル様を見てるよ?」

「人は苦手なものと戦っていくことで成長するんだ。ベア子はちょっとばかし食わず嫌いが多すぎるから、チャレンジ精神を徐々に養ってくのがいいと思うんだ。俺たちは黙って見守るとしようや、母さん」

「か、母さんって……わ、わかりました」

 赤い顔をして黙り込むペトラに、スバルは言葉を選び間違えたと反省。ただ、言い直すのもアレなのでとりあえずは流れに身を任せる。
 それから、くるくるとベアトリスの手を掴んで踊っているミミへ意識を向け、

「で、お前がいるってことは他の連中……弟二人とかリカードとかもいるのか? まさかアポ無しでユリウスの野郎がくるのは勘弁してほしいんだけど」

 アナスタシアの騎士であるユリウス・ユークリウスとは、スバルはひどく複雑な関係にあるのだ。正直、顔を合わせて素直に応対できる気がしない。
 アナスタシアへの苦手意識も多少なりあるのだが、ユリウスへの応対に比べればいくらかマシな心境ではあった。
 だが、ミミはそんなスバルの憂慮に「んーん」と首を横に振った。

「ヘータローもティビーもダンチョーも、ユリウスもお嬢もきてないよー! きょーはミミだけ! 一人でちゃんとこれました、えっへん」

「そりゃ偉い偉いだけど……したら、何しにきたんだ?」

「えっとねー、そー、思い出した!」

 問いかけに首を傾げて、それからベアトリスの上にひょいとミミが飛び乗る。慌ててミミを支えるベアトリスを無視したまま、ミミは晴れやかに笑い、

「パーティーのお誘いだった! あのねー、みんなであそぼーってお嬢が! だからその誘いにきたんだよー! すげー楽しみー! すごー!」

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