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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

番外編 『わんでいⅡ』

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番外編 ⑤ 『アンネローゼの罠と姉弟関係』



 九歳児の悪巧みに唯々諾々と従うというのもどうなのだろうか。
 スバルは廊下を先導する小さな背中を見やりながら、うまい手立ての浮かばない自分を歯がゆく思っていた。

 ――アンネローゼ・ミロード。
 ロズワールの生家であるメイザース家の分家だけあって、ロズワールと身体的特徴で一致する部分が多い。特筆すべきは濃い藍色の髪と、青の瞳の色だろうか。
 編み込んだ長い髪は頭をぐるりと巻くようにセットされていて、髪型の名前がわからないスバルは内心で少女を『編みロリ』などと呼んでいたりする。

 九歳児とは思えないはきはきした聡明さを持つ少女であり、色々と目端が利いたり知恵が働いたりはさすがロズワールの血縁という感じなのだが、そんな少女の最も『ロズワールの血縁っぽさ』が覗くのは他でもない。

「エミリー、ちょっと手を繋いでもいいですかしら?」

「え? うん、いいわよ、アンネ」

「では遠慮なく。ところで、エミリー。ちょっと抱き着いてもいいですの?」

「え? うん、いいわよ、アンネ」

「では遠慮なく。ところで、エミリー。このまま抱っこしてもらっても……」

「いい加減にしろ」

 手を握り、ハグして、そのまま抱き上げてもらおうとするアンネローゼをスバルがエミリアから遠ざける。
 エミリアは目を丸くしていたが、アンネローゼはがっかりするでもなく膝を払い、それからスバルが触った肩を大袈裟に叩いた。

「触れることを欲し合う二人をずいぶんと無粋に遠ざけますのね、スバル」

「その欲し合う二人ってどこで統計取ったの? 俺にはミロード家を歩く一人に伺いましたアンケートにしか思えなかったんだけど」

「子どもの可愛い悪戯心も見過ごせないだなんて、器が知れますわよ、スバル」

「可愛い悪戯心にだけ見えたんなら、別に俺も何も言わないんだけどな!」

 ひどく落ち着いた姿勢で、自分の行いを正当化しようとするアンネローゼ。そう言いながらも、隙あらばエミリアの手を取ろうとしているのだから油断できない。

 ロズワールの血縁であり、九歳児ならぬ非凡さを発揮するアンネローゼ。
 彼女の極端な特徴――なぜか、エミリアを好きすぎるのだ。

 この屋敷で厄介になると決まって挨拶した日から、アンネローゼはやたらとエミリアに対して好意を示している。天然で人を疑うことを知らないエミリアなどはそれを可愛い親愛表現と思っている節があるが、スバルはそうは思わない。
 なにせ彼女はロズワールの親類だ。『亜人趣味』の真実がロズワールの『エキドナ好き』によって覆されていても、その親類が違うとまでは言い切れない。

 実際、ミロード家で働く使用人などの多くは亜人で構成されている。というのも、その亜人たちはロズワールが各地から集めてきた迫害経験を持つ者たちらしく、ミロード家はロズワールの意思でそういった過去を持つ亜人たちの駆け込み寺のような扱いになっているらしいのだ。
 そんなミロード家で生まれ育ったアンネローゼにとって、亜人の存在は慣れ親しんだものである。故に、ハーフエルフであるエミリアに対しても偏見を向けるようなことはないのだが、その親しげは度を越していた。

 早い話、スバルはアンネローゼにエミリアを取られまいとしていた。
 そして、アンネローゼもまたエミリアをスバルに独占させまいとしていた。
 つまり二人は互いに、エミリアをめぐる恋敵なのだ。
 もっとも、

「もう、スバル。何をカッカしてるのか知らないけど、まだ小さいアンネになんて怒り方してるのよ。大人げないんだから」

「カッカしてるってきょうび聞かねぇな……いや、それはともかくとして、違うんだよ、エミリアたん。具体的に言うと、アンネローゼの目つきはまだ小さい子どもって看過していいタイプの目じゃなくて……」

「言い訳しないの! ごめんね、アンネ。スバルもまだ他人のお屋敷で気が立ってるみたいで……」

「そんな預けられたペットがいつまでも落ち着かないみたいな扱いされても!」

 アンネローゼに対するスタンスが違うのだから、スバルとエミリアの彼女の姿勢を巡っての言い合いはいつも平行線だ。
 なぜエミリアはアンネローゼのねっとりした視線に気付かないのか。

「たぶん、エミリアたんに下心を持ってる人間にしか、同じように下心を持ってる人間が見抜けないとかそういうことに違いない……!」

「エミリー。スバルがエミリーに欲情してるって白状してますわよ。汚らわしい」

「お前の言い方が汚らわしいよ! お前本当に九歳児!?」

 口先だけ可愛げのないベアトリスと違って、アンネローゼは本格的に可愛げがない。『汚らわしい』一つとっても、ベアトリスなら単なる減らず口で済むところを、アンネローゼだとなぜか実感がこもって聞こえるのだ。

「もう、どうして二人とも仲良くできないの? すごーく不思議……」

「それは、俺もこいつもエミリアたんを……」

「私を?」

「――む、っぐ」

 首を傾げるエミリアに、スバルはその先をはっきり口にできない。
 無論、何度も伝えている好意ではあるのだが、なんか人前で何度も口にしているとどんどん安っぽくなる気がする。おまけに自分でも意図していないこのタイミングで勢い任せに言うのは、安っぽさ+恥ずかしい。
 視界の端でアンネローゼが、勝ち誇ったように微笑んだのが見えた。

「さて、スバルをからかう戯れ事はこのぐらいにするとしますわ。そうこうしている間にわたくしの部屋ですし、話は中でいたしましょう」

 無垢なエミリアの瞳に顔を赤くするスバルに、アンネローゼがそう言った。
 気付くと、いつの間にか廊下は端までを歩き終えて、少女の言の通りに過剰装飾のされた扉の前に立っている。アンネローゼの私室――エミリアは何度も招かれているようだが、スバルがここまで足を運ぶのは初めてだ。

 エミリアの手を取り、アンネローゼは自然な動きで彼女を部屋へ招き入れようとする。が、そこにスバルはストップをかけた。

「待て。お前の部屋ってのがなんか怪しい気がするから、先に俺が入る」

「――ふぅ。ええ、どうぞ。好きにしたらよろしいですわ」

 最初の間が少し気になったが、アンネローゼは吐息一つでスバルに道を譲った。ドアノブに手をかけ、スバルは心なしか緊張しつつ部屋に入る。
 と、

「お待ちしておりました、ナツキ様。紅茶とお茶請けのご用意がしてございます。どうぞ、椅子に腰掛けてごゆっくりなさってください。ご歓談」

 丁寧に腰を折り、来客を招き入れる姿勢のクリンドに出迎えられる。
 唖然となり、スバルが後ろを振り返ると、アンネローゼは当然の顔つきだ。

「あれ、クリンドさん? さっき、ベアトリスとペトラの二人と一緒に食堂に行ったんじゃなかったの?」

「エミリア様の仰る通り、そうしておりました。が、途中でお嬢様が部屋で茶会をされるとお考えになったようなので、このクリンド、先に準備を。大急ぎ」

「そう、アンネがそんな風に言ってたんだ」

「ええ、お嬢様がそのように『思われました』。ご慧眼」

 固まるスバルの横から顔を覗かせたエミリアが、中のクリンドとそんな言葉を交わす。が、受け答えに微妙な齟齬があった気がする。
 言われた、じゃなくて『思った』と言っていた気が。

「クリンドの変態性を、理性で理解しようとすると頭がおかしくなりますわよ。あれはそういう存在だと、納得しておいた方が精神的に楽ですわ」

「呼ばれればくる、の一歩先を行こうと常に心がけておりますので。大目標」

 心がけでどうにかなるものなのだろうか。
 そう思わないでもなかったが、アンネローゼもエミリアも気にしない態度で席に着き始めたので、スバルも内心で首をひねりながらその茶会に加わった。

「では、クリンドの紅茶の準備も整いましたし、先の話の続きですわね」

「フレデリカとガーフィール様の関係修復ですね。仲人」

「クリンドさんって、ひょっとして何人もいるタイプの執事なの?」

「そのようなこと、もうリューズ様お一人で十分かと。二番煎じ」

 自分が話に加わっては話が進まない。クリンドはそう判断したのか、全員分のお茶と菓子を用意すると、部屋の端で背筋を正して彫像のように動きを止めた。
 その視線はアンネローゼに突き刺さっているが、幼い主はその視線を慣れたもののように受け流しながら、

「今しがたクリンドが言った通り、フレデリカとガーフィールの姉弟関係の早期修復が共通の問題……そう思って構いませんかしら」

「ええ、そうなの。私たちもどうにかしたいと思って一生懸命頭をひねってるんだけど、なかなか妙案が浮かばなくて。もうてんてこ舞いなの」

「困ったエミリーも可愛いですわね。――それで、屋敷中の関係者に話を聞いて回っていて、行き詰ったところにわたくしというわけですのね」

「サブリミナルみたいに本音交えるなよ」

 しれっとした顔のアンネローゼは、スバルの突っ込みもどこ吹く風だ。
 ともあれ、こちらの現状は認識されているようで、説明の手間は省けている。

「それにしても、お前もあの二人の仲直りさせたいと思ってるなんて、どういう風の吹き回しなんだ? 他の奴らは揃って、時間が解決時間が解決ってばっかなんだが」

「諦めたり、待つのに慣れてる人ほどそういう傾向なんじゃありませんの? 二人が聞いて回ったのは、お世辞ではありませんけれどそういうことが多い方々でしょう」

「はっきり言うね、お前。……いや、オットーにも話聞いたけど」

「では、成功を知らない方という評価も追加しておきますわ」

「辛辣だな!」

 まだ一週間ほどの付き合いだというのに、アンネローゼにまでそういう印象を持たれているオットーの悲しさよ。
 ただ、そこを否定し切らないスバルの持つ感想は言わぬが花である。

「時間が解決する、はわたくしも否定はしませんわ。あの二人の間に横たわる十年の溝……同じだけ時間をかければ、きっと解決するでしょう。でも十年は長すぎますわ。十年って、わたくしのお父様とお母様がチューしたぐらいですのよ」

「んんん?」

 九歳児らしからぬ発言の途中で、急に九歳児らしい結論に至った。
 スバルがその急激なシフトダウンについていけずに唸ると、アンネローゼの向こう側でクリンドが口に指を当てて「お静かに」のジェスチャー。
 イマイチ把握できないが、ひょっとしてそこの知識だけ九歳児らしかったりするのだろうか。詳しく話すのは、同じ勘違いをしているエミリアもいるのでここでは避けておきたい。

「今の変な唸り声はなんでしたの、スバル」

「なんでもねぇよ。ちょっと喉に痰とやるせない思いが絡んだだけ」

「そうですの。思春期は大変ですのね。……それはともかく、そんな長い時間をあの二人にかけさせるつもりはわたくしにはありませんわ」

「それは私たちも同感だけど、アンネは何か考えがあるの?」

「エミリーはどう考えていましたの?」

 質問に質問を返される形だが、エミリアはアンネローゼの問いかけに形のいい眉をひそめて、「えっとね」と唇に指を当てた。

「私はきっと、二人とも仲直りしたい気持ちは持ってると思うの。ガーフィールは自分から話をする時間を作ろうとしてるみたいだし、フレデリカだって気まずいみたいだけど話したくないわけじゃないと思ってるんだ」

「ええ、そうですわね。それで?」

「だから、あの二人を同じ部屋に閉じ込めちゃえば話は簡単じゃないかなって」

「エミリアたん、結構乱暴な方法選ぶよね!?」

 極論、スバルもそれしかないと思ってはいつつも、エミリアの口からその意見が飛び出すと結構に驚く。ちなみに、スバルもその意見には賛成でありつつも、もう少しばかりひねった意見を持っている。ただ、その捻り方が問題なのだ。

「同じ部屋に放り込むって言っても、あの二人が協力したら大抵の部屋は力ずくで脱出されちまうしな。そのために屋敷が半壊するってのも避けたい。ぶっ壊れた屋敷の代わりに居座らせてもらってんのに、一週間で潰すとかタイムアタックか」

「それなら、スバルはどうしたらいいって思うの? あの二人を、私が作った氷の部屋に閉じ込めちゃう?」

「そんな極限状態で家族愛の復活みたいな状況にまでしなくていいと思うな! もっとほら! 二人に共通の目的を持たせて同じ部屋に入れるとかしたらいいじゃん!」

「共通の目的……?」

 きょとんとした顔でエミリアが首を傾げる。
 どうにか凶行を思い留まらせたスバルだが、スバルの方のアイディアも実はそこで止まっている状態なのだ。
 二人に共通の目的、までは考えたものの、それの具体案に結びつかない。二人に、力を合わせて戦わなきゃ倒せない化け物でもぶつけるか。
 どこにそんな都合のいいモンスター討伐のイベントがあるというのか。

「実はわたくしも、スバルと同じことを考えていましたのよ」

「え? サイクロプスとかキメラとかの討伐依頼があんの?」

「どうやら違ったようですわ」

 アンネローゼの軽蔑の視線に、スバルは舌を出して頭を叩いて詫びる。
 小さな吐息をつく九歳児は、エミリアの期待に輝く瞳に頬を染めて、

「同じ目的を持たせて、という点では考え方は一緒ですの。ただ、あの二人に対して持っている情報の違いが、きっとわたくしとエミリーとの発想の違いですわね」

「あの二人に対して持ってる情報……?」

「エミリーたちが親しく知っているのは、あの二人だとどちらかといえばガーフィールの方ですわよね。でも、わたくしはこれでもフレデリカとは八年以上の付き合いですのよ。物心ついたときから、あの牙だらけの顔とは付き合っているのですわ」

 なるほど、とスバルはアンネローゼの言いたいことのおおよそを悟った。
 アンネローゼはどうやら、フレデリカ経由で彼女とガーフィールととの共通項――先のスバルが浮かばなかった、共通目的の穴開き部分を埋められるらしい。

「それ、確実なのか?」

「協力者を募ることができれば。あとは、フレデリカは問題ありませんけれど、ガーフィールの方が問題ですわね」

「ガーフィールが?」

「ガーフィールが、この数日でわたくしが観察した通りの性格の持ち主なら、問題なく進むと思いますわ」

 アンネローゼがどの程度、ガーフィールの人となりに気を配っていたかはわからないが、少なくともスバルの知る限り、ここでのガーフィールは自然体だった。
 『聖域』のときのように無意味に突っ張り、十四歳という中学生チックな幼さを隠すような素振りも見せていない。その点に関しては保証していい。

「ガーフィールが自然体、って点に関しちゃ問題ないと思うぜ」

「なら、大丈夫ですわね。あとは協力者の問題……あの二人の家族の、リューズさんにお手伝いは願えますかしら」

「リューズさんに?」

 あの二人と深い関係の人物といえば、一番に名前が挙がるだろう人物だ。
 ただ、イマイチ協力的でなかったリューズが付き合ってくれるかだけが未知数ではある。ともあれ、アンネローゼはその懸念は持っていないようで、少女は背後の執事を呼ぶように軽く手招きする。

「クリンド」

「は。厨房でしたら、夕食の準備を遅らせて二時間ほど自由にできます。ご提案」

「そうですの。わかりましたわ。夕食の係の者にはそうお伝えなさいな」

「かしこまりました。迅速に。早急」

 二人だけでさっさとやり取りして、クリンドは音もなく部屋から出ていってしまう。それを驚きの目で見送るスバルとエミリアに、アンネローゼは紅茶に口を付けながら微笑を向けて、

「さあ、さっさと問題を片付けてしまうといたしましょう。まだお節介を焼かなくてはならない方々も、残っていらっしゃることですもの」

 そう言って、さらに困惑顔にスバルとエミリアを落とし込むのだった。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 厨房に足を踏み入れて、その『見慣れない背中』を見つけた瞬間、ガーフィールは自分が罠に掛けられたことに気付いて嘆息した。

「……どいッつもこいッつも、本当にお節介が過ぎるってんだよォ」

 悪態をこぼしながらも、口元はわずかに笑みを浮かべている。
 ガーフィールの鼻は特別製だ。常人とは比較にならない嗅覚の強さは、この場所に入るより前からこの匂いを嗅ぎ取っていた。
 それでも知らない体を通したのが、ガーフィールという人物の最後の意地、あるいは男のちっぽけなプライドと言えるのかもしれない。

「ガーフ?」

 頭を掻くガーフィールを、振り返る女性が『聞き慣れない声』で呼んだ。
 眼前に立つのは、長く伸ばした煌めく金髪を揺らす女性だ。上背はガーフィールより高く、その体格も頑健と呼ぶ他にない。その口元を飾る鋭い牙の群れは、体躯の力強さと相まってどこか野蛮で暴力的な気配を感じさせる。
 その穏やかな声と、こちらを見る双眸の柔らかな光がなければ、彼女という存在はその本性をひたすらに他者に誤解され続けることだろう。

 フレデリカ・バウマン――姉がそう名乗っていると、ガーフィール・ティンゼルは聞いている。ティンゼルは母の家名で、バウマンは父の家名だ。
 フレデリカがあえて父の家名を名乗る理由を、ガーフィールは知らないし、あまり考えないようにしていた。
 ただ、そのあたりの複雑な感慨について、ガーフィールの今の状況を作り出した面々はあまり考慮してくれていないのだろうなと思う。もしくは、ガーフィールが大袈裟に考えているだけで、余所から見ると大したことではないのかもしれない。

「珍ッしいとこで顔合わせたなァ、姉貴」

「それはこちらの言葉ですわよ。ガーフがこんな場所に足を運ぶなんて……まだ夕食の準備はできていませんから、摘まむものなんてありませんわよ」

「つまみ食い目的ッじゃァねェよ。ガキ扱いしてくれてんじゃァねェ」

「そうやって子ども扱いを嫌がるところが、子どもそのものではありませんの。それにまだ、甘えたがりの年齢でしょう、ガーフは」

「や、十四だしその盛りは過ぎッてんだろ。誰が甘えん坊だッ!」

 妙に突き刺さる気がして、ガーフィールは殊更に吠えてそれを否定する。
 フレデリカはそんなガーフィールの過剰反応に首を振り、厨房の奥――自分の手元へ視線を戻して、

「私、今はやることがありますのよ。ガーフと違って、遊んでばかりはいられない身分ですの」

「別に俺様だって毎日愉快に遊んで過ごしッてるわけじゃねェよ。それにここに立ち寄ったのだって暇潰しじゃァねェ。……姉貴と、同じ目的だッと思うぜ」

「私と?」

「頼んできた相手は違うッみたいだァけどよォ」

 その言葉だけで、フレデリカもどうやら事情を悟ったようだ。
 彼女は「そういうことでしたの」と合点がいったように呟いた。

「おかしいとは思いましたのよ。アンネローゼ様が唐突に、『フレデリカの作ったミートパイを食べないと即死しますわ』なんて言い出すんですもの」

「その言い分に騙さッれる姉貴もどうかと俺様ァ思うぞ」

「ガーフは誰に……いえ、お婆様になんて言われてここへきましたの?」

「俺様の作るミートパイを食べなきゃボケが進むって……」

「私も、その言い分を信じるガーフはどうかと思いますわ」

 フレデリカの返答に、ガーフィールは口をつぐんだ。
 言われてみればなのだが、本気で心配したのだから仕方がない。

「ババアの介護を放り出した姉貴にゃァわかんねェかもしんねッけどなァ。ババアときたら、さっき飯食ったのに『飯はまだか?』なんて言い出すのも別に珍ッしくねェんだ。俺様が心配するのも当然だろうが」

 実際のところ、それは代表人格のリューズが交代した際、食事の是非まで記憶を引き継がないから起きる悲しい誤解なのだが、ガーフィールがそのことに気付くことはなく、人伝に聞いたフレデリカも気付かない。
 姉弟揃って、家族同然のリューズのおつむの具合への心配が増えただけだ。

 ただ、この瞬間のガーフィールの言葉は、それとは違う形でフレデリカの心の弱い部分を突いた。それはガーフィール自身が意図しない形で、十年間の空白の一部を叩きつけたことに他ならないからだ。

「……そう、ですわね。私はこの十年間、一度も『聖域』へ戻らなかった。その間、『聖域』を守っていたのはガーフですもの。中で何が起きていて、お婆様がどうだったのか……私が知ったように語るなんて許されませんわね」

「違ッ……別に、そんな意味込めて言ったわけじゃァねェよ。ただ俺様ァ……」

「――――」

 再び振り返り、フレデリカの顔と正面から向き合うことになるガーフィール。
 その顔は、やっぱり今も『見慣れない』ままだ。

 十年の隔たり。そして、十年間ガーフィールが脳裏で思い描き続けてきた姉の姿は、十年前の幼い姿のときから変わっていないのだ。
 だから本人と時を経て再会した今も、素直にその事実を受け止められないでいる。条件はきっとフレデリカも同じだ。だから姉も自分と同じように、戸惑いを宿した瞳でこちらを見ているのだろう。
 ただ、姉の瞳に浮かぶ戸惑いと、それと同じぐらいの感情の波が今は気になった。
 一体、姉は自分に何を感じているのだろうか。

「……あ」

 見つめ返した視線をそらされ、ガーフィールはふいに抜けるような息を吐いた。
 そして、すとんと唐突に答えが胸の中に落ちてくる。

 気付いた。
 気付けてしまった。フレデリカの瞳に過る感情が、何と同じであるのかを。

 あれは『聖域』にいたとき、時折、リューズが浮かべたものと同じ感情だ。そして水面に映った自分の瞳に映っていたものと、きっと同じだ。

 ならばそれは、寂寥感というものだ。そして、申し訳なさを交えてもいる。

「そォいや、そうだったよなァ」

 ガーフィールの中で、十年前の出来事は決着がついたものとばかり思っていた。
 墓所の中でガーフィールは幼い自分の見た景色を、母との別れの時間を思い出した。そのときの、母が遺した思いを理解して、ガーフィールは決着したつもりでいた。
 姉とも、あの決着の瞬間を共有していたつもりでいた。

 でも違ったのだ。
 あの墓所の出来事は、あくまで墓所とガーフィールの間の出来事に過ぎない。

 母の想いと、姉への言葉にし難い感情は、ガーフィールが確認しただけだ。はるか遠い土地にいた姉は、そのことを知りもしないし伝わってもいない。
 だからフレデリカは今も、十年前の決着がつかない表情のままガーフィールを見つめているし、何を言えばいいのかわからない顔でいるのだ。

 だから姉は今も、十年前よりずいぶん成長した姿なのに、同じ目をしているのだ。

「姉ちゃん」

「――っ!」

「悪ィ、なんにも話せてなくって。大丈夫だ。俺様ァ、もう大丈夫だ。ちゃァんと、母さんのことも姉ちゃんのことも、わかってるつもりだ」

「ガーフ……」

 フレデリカの瞳が泳ぎ、強烈な感情がその瞳を潤ませていた。
 何を言葉にすればいいのか、ガーフィールは口下手な自分を不甲斐なく思いながらどうにか正しく思いを伝えられる言葉を探す。
 頭の中を、読み漁った書物を、伝えなくてはならない言葉を探し求める。

「姉ちゃんが『聖域』を出ていったときのことも、その後にいっぺんも顔を見せにこれッなかったことも、わかった……たァ言えねェが、わかろうとは思ってる。だァから……その、なんだよ」

「お母様のこと……許せるようになりましたの?」

「――許すも何もねェさ」

 口元をふっと緩めて、ガーフィールはフレデリカの言葉に首を横に振った。

 そうだ。許すも何もない。
 ガーフィールの胸の中で、ずっとずっと思い描き続けた愛憎は、そもそも的外れなものでしかなかった。事実も知らず、己の心も知らず、何もわからない暗がりの中で何も見えないことに怒りをぶつけて、ただ駄々をこねていただけだった。

 事実を知れば、何ほどのことでもない。
 許さなくてはならないことも、恨まなくてはならないこともどこにもなかった。

「母さんが俺を……俺たちを愛してくれてたことを、俺はもう知ってるよ」

「――――」

「だァから、あんときのことで俺様を避けてるっつーんなら無駄だぜ。俺様にゃァもう関係ッねェ。それよか、もっとマシな話がしてェとこだな、姉貴」

 呼び方も喋り方も戻して、ガーフィールはわずかに赤い鼻を指で擦る。
 そのガーフィールの態度と言葉に、フレデリカは深々と長い息を吐いた。それから彼女は指で眦にうっすらと浮かぶ雫をすくい、

「ガーフ……大きくなりましたのね」

「嫌味か! 姉貴に比べちゃァ全ッ然でっかくなってなんかいねェよ! 姉貴には何があったんだ! どうしてそんなでっか……ぐばぁ!?」

「家族とはいえ、女性になんてことを言いますの、馬鹿ガーフ」

 足を掴まれて、思い切り地面に引き倒されて後頭部を打った。
 天井を見上げて目を回すガーフィールの視界に、こちらを見下ろすフレデリカの姿が映る。その表情はもう、笑みの形に戻っている。

「ほら、立ちなさいな」

「そっちがひっくり返しといて、そういうこッと言いやがるッかよォ」

 差し出された手を取り、ガーフィールは立ち上がった。
 それから体を軽く払い、「で?」とフレデリカが作業していた調理台を覗く。

「姉貴はミートパイ、どこまでできッてやがんだよ」

「まだ、材料を用意して軽く刻み始めたところですわよ。ガーフの方こそ、小さい頃に食べていただけの料理の作り方、よく覚えていましたわね」

「お節介な奴が、自分がいなくなった後にも作れるようにって作り方だけァちゃァんと置いてッきやがったんでよォ。ほら、俺様が生地こねる」

「それなら、私が種ですわね」

 材料の前に立って、ガーフィールは手拭いを頭に巻いて準備。フレデリカはその間にガーフィールの分の調理器具を持ち出し、息の合った流れで受け渡す。
 それから並んで作業を始めた二人の姉弟は、十年間の溝などないかのように、見知った作業を見知った二人で当たり前のように行っていったのだった。

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