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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第四章 永遠の契約

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第四章112 『弱さを拒む本能』



 ――戦いは、想像を絶するほどに苛烈を極めた。

 二人の男が向かい合い、正面から拳を交錯するのだ。
 固い骨に肉が打たれ、筋肉が弾けて血が滴る。苦鳴が上がり、呼吸に泡が入り混じって不快な音が溢れ、泥臭い殴り合いの凄惨さを見る者の目に、耳に焼き付ける。

「……スバル」

 墓所の入口の前に立ち、戦いを見守るエミリアは胸に手を当てて男の名を呼ぶ。
 戸惑いの瞳、頼りなく縋るものを求めるように揺れる指先。胸元にいつでもあった頼れる存在の温もりは、失われたとわかっていても彼女の心を縛り続けている。

 墓所の中で、スバルから言われた言葉がある。
 スバルは自分を好きだと、大切だと、だから信じているとそう断言した。
 彼の言葉に、確かに救われた部分はある。しかし、一方で増した不安もあるのだ。

 今も刻一刻と、蘇りつつある自分の中の本物の記憶。
 間違った記憶を自分の始まりと信じて、エミリアはここまで歩いてきた。その切っ掛けである始まりが変わってしまったとき、自分はどう変わってしまうのか。

 言い合うように本音をぶつけ合った今でも、不安はエミリアの中に根差している。
 エミリアが変わったとしても、好きな気持ちは変わらないとスバルは叫んだ。
 自分のために、傷付いても苦しんでも、戦い抜こうとしてくれる少年――彼の気持ちを疑うつもりなど微塵もない。それだけのことを、彼は証明し続けてきた。

 ――信じられないのは、自分自身だ。

 始まり方を間違えて歩いてきて、終着点を見据えていたはずの道のりで足が止まった。今、歩き出し方を間違えたのではないかと、終わり方を見据えていながら躊躇っている。

 足は一度、止まってしまった。
 再び歩き出すことは、許されるのか。
 そのとき自分が歩くのは、新しい道であるのか、今と同じ道であるのか。

「――――」

 答えの出ない、出口のない問いかけの迷宮をさまよい続けている。
 今も、声を出すこともできず、止める資格がないことだけを理解しながら、エミリアは眼前の男たちの戦いを見つめ続ける。

「――――っ!」

 苦鳴が上がり、ひときわ高く、血が弾けた。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 風を切り、振り抜かれる拳。
 こちらの顔面を目指して迫ってくる拳骨――それが、悲しいほどに遅い。

「ちィッ!」

 大げさな回避は必要ない。
 首を傾ける最小限の動きで、掠らせることもなく拳を避ける。大振りで体勢が崩れた相手のガラ空きの胴体に、鋭く膝を突き上げて内臓を抉った。
 薄い筋肉と肋骨を膝に感じ、その奥の内臓にまで衝撃が伝う。すでに幾度も内容物を吐き出させた口から、容赦のない威力に血反吐が新たにぶちまけられた。

「が、ぁっ」

 腹を抱えて、よたよたと動く無様な姿。丸めた背中に振り上げた両腕を打ち落とし、正面の次は背後から内腑をめちゃめちゃに揺さぶる。
 膝蹴りには倒れるのを堪えた体が、背後からの一発には耐え切れずにあっさり転がる。倒れ込んだ体を足蹴にして仰向けにし、左の脇腹に爪先を叩き込んで追撃。

 断続的な苦鳴。
 血痰と吐瀉物の混ざる荒い呼吸の不協和音。
 拳、膝、爪先。叩きつけるたびに皮が、肉が、骨が削られる感触が跳ね返る。

 普段ならば高揚感をもたらすはずのそれが、今は殊更に不快でならない。
 何度も何度も、繰り返される行い――こんなことに、何の意味があるというのか。

「いいッ加減に、諦めッちまえよ、おらァ!」

 咳き込み、血痰を吐き出している無様な相手に罵声をぶつける。
 意識は奪えていない。頭を打っても、腹を蹴りつけても、憎たらしいことにそこだけは譲らない。
 これだけ力の差があると、体に理解させてやってもなおだ。

「ものわッかりの悪ィ野郎だなァ、オイ! 勝ち目なんざ、端っからねェんだよ! へっぴり腰ッ! 無駄な大振りッ! 体の軸もブレブレでお話にならねェ!」

「……そりゃ、悪いな」

「ああ、クソッたれだ! 何の意味もねェてめェの意固地とお遊びに、嫌々付き合わされてる気持ちがわかッかよォ。っざっけんな、っざっけんじゃァねェ」

 唾を吐き捨て、息も絶え絶えで体を起こそうとするスバルを罵倒する。
 声を荒げるガーフィールの眼前で、両腕を地面についてどうにか立ち上がろうとするスバル。殴り続けられた顔面は腫れ上がり、鼻血が顔の下半分を染めている。歯だって何本か折れるか欠けるかしたはずだ。内臓、肋骨、いくつかイカれていてもおかしくない。

 体の中を激痛が荒れ狂い、意識を保っていることすらままならないはずなのに。

「何の意味があるッ! 勝ち目があるから挑んできたんじゃァねェのかよ! ボロボロのガタガタで見るに堪えねェ無様ばっかりさらッしやがって……寝てろってんだよォ!」

「――ごぁ!」

 頑な、強情、そんな言葉では表現しきれない執念のようなものを感じて、ガーフィールはなおも執拗にスバルの体を痛めつける。
 地面についていた腕を払い、倒れ込む横っ面に爪先をねじ込む。血を吐き出して転がる体を下から蹴り上げ、浮いた体を真上から肘で突き落とした。

 地面を弾み、固い土に全身を打ち据えられてスバルは大の字になる。
 白目を剥き、空気の抜けるような息を吐いて、今度こそ動かなくなる体――やっと意識を奪ったと、ガーフィールは長い息を吐き、

「なに、終わった顔、してやがる……」

「――――ッ!」

 荒い息に肩を上下させていたガーフィールが、下からの声に愕然と目を見開く。
 硬直するガーフィールの前で、意識を根っこから断ち切った確信があったはずの男が、状態を揺らしながらも立ち上がっていた。

「じょう、だんじゃァねェ……」

「ああ……冗談じゃ、ねぇさ。こんだけ殴られ、て……笑い話じゃ、浮かばれねぇ……」

「そういうッ意味じゃ……」

「――――るぁ!」

 悪夢の一幕のようなしぶとさを発揮し、鋭い息を吐くスバルが拳を振り抜く。
 無論、死力を尽くしたそれも、ガーフィールからすれば子どもが殴りかかってくる児戯に等しい。拳に軽く手を当てて軌道をそらし、返礼に土手っ腹を掌底がぶち抜く。
 内臓の隙間を穿ち、体内の水に衝撃を伝播させる一撃――すでに吐き出すものの残っていない空っぽの胃袋を締め上げ、黄色がかった胃液と血を逆流させる。

「こ、ぁふ……っ」

「何度やっても同じだって、それこそ何度言わせやが……」

 腹を押さえて、その場に崩れ落ちるスバルへ再度の降伏勧告。
 あまりの無様さを見ちゃいられないと、視線をそらして舌打ちまでするガーフィール。

「――――っ!」

 その鼻先を、倒れ込まなかったスバルの右拳が唸りを上げて通過した。

「なっ!?」

「てめぇ、ガーフィール。誰の許可得て、勝手に見限ってやがる……」

 左腕を前に、右腕を後方に。
 いまだ闘志を失わない構えを見せるスバルに、ガーフィールは戦慄に近いものを覚える。

 脅威であるなどとは、微塵も思っていない。
 虚勢を張り続けているだけなのは誰の目にも明らかで、ガーフィールとスバルとの間にある隔絶した力の差はどう足掻いても埋まらない。
 このまま無謀に彼が殴りかかってくるのを続けても、千回だろうと万回だろうと避け続けるだけの確固たる地力の差が二人の間にはあった。

 だから、スバルの足掻きは全てが、何もかもが、無駄なのだ。
 ガーフィールに殴られ、蹴られ、投げつけられて、痛みと苦しみをどれだけ重ねても、余力を失う肉体はガーフィールには決して届かない。

「てめェ、ふざけてんじゃァねェぞ……!」

「あぁ……?」

 勝てない相手に対して、それでも意地だけを武器に立ち上がる。
 心だけは折れない、気持ちだけは負けない。あるいはその精神性を時に人は強さと、肉体に因らない強さであると呼ぶのかもしれない。
 倒れても倒れても立ち上がる姿に、心を揺さぶられるものもいるのかもしれない。

 だが、もしもそんな姿を見せつけ、自分に心変わりをすることを望んでいるのだとすれば、それはこの上ないほどの侮辱だ。

 心だけ折れない、曲がらない。そんなことに、何の意味がある。

「そうやって勝てねェまでも、意地だけ張り続けてりゃァいずれは俺様が拳を引くとでも思ってやッがるのかよォ。殴るのも蹴るのも嫌になって、てめェの心意気を認めて引き下がってやると……情にほだされて負けたなんて、言うとでも思ってやがるのかよォ……!」

「――――」

「冗ッ談じゃねェ。俺様とてめェがこうして向かい合ってんのは遊びじゃァねェんだ! 殴り倒す、殴り倒される。それ以外の決着なんざァ、ありゃァしねェんだよォ!」

 地面を踏みつける。
 『地霊の加護』の力がみなぎり、大地を伝って肉体に活力が充溢してくる。
 森でラムたちとの戦いを終えて、疲弊した体を押してこの場にやってきたときよりも、肉体は復調している。スバルとの殴り合い未満の戦いなど、疲労を募らせるどころか木陰に座って休憩しているのと何も変わらない。

 そんなちっぽけな影響力で、ガーフィールの心などこゆるぎもするものか。

「てめェ言ったよなァ!? 俺様が、弱ェって教えてやるって、そう言ったよなァ!? その様ァなんだ!? 何が弱いだ! 何が教えてやるだ! 力が足りなくてねじ伏せられてんのも、考え足らずの大馬鹿野郎もてめェのことだろうが!」

 戦いの前にスバルが切った啖呵は、一言一句覚えている。
 全てが馬鹿らしい。全てが虚言だ。この男の何もかもが、ペテンの塊だ。

「あの兄ちゃんもラムも! 俺様に勝負しかけてきた二人は、どっちも俺様に勝ってやろうって気概があったぜ! だッからこそ、俺様もあの二人には全力を出した。頭ひねって策を練って、力の足りねェ部分は知力を絞って挑んだ……あいつらには、俺様が確かに認めるだけの気概があった。てめェはどうだ!」

 詳細はわからないまでも、加護の力で森を味方につけ、ガーフィールを追い込んだオットー。最後の大魔法への追い込み方といい、気力知力全てを絞り尽くした彼の戦いへの意気込みは、弱者なりの最善だったとガーフィールは絶賛したいほどだ。

 その後の奇襲から始まったラムの攻勢も、ガーフィールにとっては裏切られたに等しい痛苦を心中に与えたものの、戦闘そのものはさすがのラムといったところだ。
 容赦のない、手加減のない、本物の強者との戦闘だった。

 二人とも、ガーフィールに対して死力を尽くして、勝利をもぎ取ろうと挑んできた。
 その生き方は尊い。敵ながら天晴れと、ガーフィールが認めざるを得ないほどに。

「それに比べて……無様この上ねェったらねェ。やられてもやられても立ち上がる……だッからどうした。どんだけ打たれても心だけは屈しない……そォれがなんだ。勝ち目のない戦いだろうと、絶対に逃げない……なァにが偉い!」

「――――」

「感動するとでも思ってんのか? 血塗れで、足もガタガタで、目もまともに開いてねェような状態で、それでも立ち上がるてめェに、感極って下がるとでも? 肉片にするぞ、てめェ……どれだけ、俺様や、てめェのために立った奴らを馬鹿にしやがる」

 今、ガーフィールは生まれてきて、最大の憤激に心を燃やしている。
 戦いを汚された。自分を侮辱された。それのみにあらず、自分が戦いの中で認めたものたちの気高さ、志の潔さまでも、この男のあり方は屈辱の汚物塗れにしようとする。

「寝てろ。引っ込め。無ッ様で惨めったらしい、クソのクソのクソッたれが。とっとと負け認めて、おねんねすんのが一番の正解だ、ボケがァ!」

「…………」

 構えを解かないまま、ガーフィールの立て続けの罵声を浴び続けるスバル。
 ふらふらと頭を揺らし、塞がりかけの目はどうにかガーフィールを捉えている。その姿からは闘志だけは萎えていないが、だからこその生き汚さが目障りでならない。

 これだけ言葉で、拳で、殴りつけても心が曲がらないのなら、へし折るにはどうすればいいのか。
 痛みで足りないのならば、答えは一つだ。

「てめェの方からも言ってやったらどうだ、あァ!?」

 振り返り、ガーフィールは墓所の入口の傍でこちらを見ているエミリアに呼び掛ける。
 突然、話題の矛先を向けられてエミリアの細い肩が震えたのを見て、ガーフィールはそこにも見えた弱さに苛立たしげに舌打ちした。

「見ちゃいらんねェって、てめェの方から言ってやれよ! 俺様がどれッだけ言ったところで聞きゃァしねェ。惚れた女の口から、無様で格好悪くて、どう頑張ったって何の意味もねェって、優しくクソみてェだって教えてやれよ!」

「……わ、私は」

「なんだァ!? 言えねェってのかよォ? てめェの目からは、まァだこいつに勝ち目があるように見えてんのか? それッともてめェは見ててェのか? 自分に惚れてる男が、自分のためにボロッボロのグッチャグチャになるとこ見て、想われてるって錯覚に浸りてェのかよ、どうなんだ、オイ!?」

「――――っ!」

 目を見開き、浴びせかけられる悪意の言葉に硬直するエミリア。
 聞くに堪えないガーフィールの言葉は、戦いを傍観していたエミリアに容赦なく突き刺さる。

 ガーフィールの拳で止まらないなら、エミリアの言葉で止める他にない。
 体をガーフィールが、心をエミリアが折れば、今度こそスバルも膝を屈するはずだ。

 戦いを見守るエミリアは、打たれるスバルの姿に何度も痛ましげに表情を歪めていた。
 意味のわからない覚悟を固めているスバルと違い、エミリアの心はまだ何も固まっていない。墓所の『試練』に負けて、グズグズと泣いていた少女のままだ。

 それを、殊更に責め立てるつもりはガーフィールにはない。
 『試練』に、過去に打ち倒されることなど、当然のことだ。自分にとって最大の後悔の記憶を、誰がどうして否定できる。

 過去は、後悔は乗り越えられるなどと、世迷い事もいいところだ。

 実現できる理想と、決して届かない夢想と、ごっちゃにしてしまった狂人。
 目の前に立ち続ける少年は、夢想ばかりを追い求めて、押しつけがましく他人にまでそれを強要する本物の気狂いだ。
 ロズワールと、同じ手合いの、一つのことしか見えていない大馬鹿野郎だ。

「止めてやれよ、それで何もッかもしまいだ! 俺様も、てめェも! クソッたれの魔女の掌で踊らされてんだ。それだッけのことだろが」

「私は――」

 ガーフィールの言葉に、エミリアが稲妻に打たれたように背を伸ばし、目を見開く。
 うっすらと涙に潤んだ妖しげな瞳の色、それが痛ましく立ち尽くすスバルを見やる。震える唇が、ガーフィールに促されるままに、スバルの意地への制止を呼び掛ける。
 それで、全ては終わる。
 だが――

「エミリア」

「――――」

 エミリアが言葉を発する前に、スバルの方がエミリアの名前を呼んだ。
 赤い舌先がが覗く口を閉ざし、エミリアは掠れたスバルの声に耳を傾ける。どんな言葉が投げかけられるものかと、聞き逃すまいと懸命になるように。
 そんな彼女に、スバルはたった一言だけ、伝える。

「……俺を、見てろ」

 短い一言。
 口の中だけで呟かれるような、ささやかな声。
 だが、それを聞いたエミリアはハッと顔を上げ、数秒の躊躇の後で、

「――うん」

 そう、胸に手を当てて頷いた。

「……はァ!?」

 その二人のやり取りを前に、理解できないガーフィールが疑問の声を上げる。
 しかし、怒りに目を見開くガーフィールに対し、長い息を吐くスバルが指を突き付ける。

「……さっきからごちゃごちゃ言ってるけどな、間違ってるぜ、ガーフィール」

「んだァと?」

「お前には、俺が勝ち目がないのに一生懸命になってて馬鹿みてぇに見えてんのかもしれねぇが……冗談じゃねぇ。勝てないって頭っからわかってて喧嘩するのなんざ、俺は前にひでぇ目に遭ってから超懲りてんだよ。絶対に、二度としねぇ」

 腫れ上がったぐしゃぐしゃの顔つきで、それでも嫌そうに顔をしかめるスバル。
 彼の口にした以前、というのがガーフィールには知る由もない出来事だが、よほどそれがスバルにとっては憎々しい思い出に繋がるものなのだろう。
 ただ、今はそんな感慨よりも、聞き逃せないものがある。

「お話にならねェ。理想やら夢想やらどころッか、目の前のもんも見えちゃァいねェ。勝てねェ相手に挑むのはやめたってんなら……この状況は、オイ。この状況はァ、なんだァ!?」

「決まってんだろ、馬鹿。俺は一回もまだ……勝負を、捨てちゃいねぇよ」

 吠えたけるガーフィールに、話している間に意識がはっきりしてきたのか、声に力が戻りつつあるスバルが断言する。
 そこに込められた根拠不明の力強さに、思わず激昂で喉が塞がる。

「立てなくならねぇ限り、俺は勝負を捨てない。……俺が立てなくなるときは、殺されるときまでこねぇ」

「…………」

「そんで、決定的な場面で腰が引けてるお前は俺を殺せねぇ。……つまり、お前じゃ俺を止められねぇ。少しずつでも、俺は俺の勝ちに近付いてる。俺の勝ちは、揺るがねぇ」

「馬鹿げてやがッる……! 俺様がてめェを殺せるか殺せねェかは問題じゃねェ。てめェがどうやって! どう足掻いて! 俺様をぶっちめるんだ、えェ!?」

 満身創痍のボロ雑巾状態で、どれだけ言葉だけ並べ立てても机上の空論だ。
 スバルの言い分は極論に過ぎない。殺されない限りは止まらない、というのも単に意思表明の話だ。仮にその前提が通ったとしても、ならば殺されない限りスバルは動き続けて、いずれはガーフィールに致命傷を負わせることができるというのか。

 そんなことは起こり得ないし、どれだけの時間と奇跡を積み重ねた先だというのか。

「俺様がてめェの手足を砕いて、何もできなくすりゃァそれでしまいだ! 意識のあるなしも、勝つ気のあるなしも! 何も関係ねェ!」

 怒鳴り、怒り狂うガーフィール。
 足裏から吸い上げる大地の活力で、疲労困憊だった肉体は普段の半分ほどまで力を取り戻している。ナツキ・スバルを引き裂くのには、十分な力だ。

 地面を踏みしめ、棒立ちのスバルに接近する。
 近付くガーフィールを前に、スバルはこれ幸いにとばかりに拳を突き出してきた。馬鹿すぎる。遅い。何もかもが足りない。余裕で回避し、胴体に一発。下がる顎に膝をぶち込み、のけぞる体を掴んで地面に思い切りに投げつける。倒れ込んだ仰向けの体に踵を踏み下ろし、それを二度、三度と続けて苦鳴を上げさせた。
 容赦のない打撃の連続。これで――。

「……終わり、か?」

「――ッッ!! てめェェェ、なんなんだよォォ!!」

 肉体にさらに深刻なダメージを重ねられたはずのスバルが立ち上がる。
 それを目前にして、ガーフィールの胸中をついに得体の知れない感覚が支配し始める。

 倒せないのではないか。勝てないのではないか。そんな不安ではない。
 本当に、この男の言う通り、肉体的なダメージを積み重ねるだけでは、本当に止められないのではないかという疑念だ。

「こんなことに命張って、てめェに何の意味があるッてんだァ! てめェが必死でどうにかぶッこいて俺様に勝てたら、あの半魔が『試練』に勝てると! そんなことがあると思ってんのかよォ、あァ!?」

「…………」

「んな奇跡が重なるか! んな都合のいいことが起きてたまるか! 万が一、億が一、てめェが俺様に勝てたところで、あの女は何も変わりゃァしねェよ! 誰もかれもそうだ! 間違って、どうしようもねェ過去を抱えて……煮詰めた後悔ばっかり見つめてきた奴ァ、もう前にも後ろにもどうにもならねェんだよ! なんでわからねェ!」

「お前の方こそ、なんでわからねぇんだよ――!」

「――――ッ!?」

 怒鳴り散らすというには勢いに欠け、訴えかけるというには感情的すぎて。
 ガーフィールが言葉の整合性を失う隙に、ナツキ・スバルの叫び声が割って入る。

「何もかも、てめぇで勝手に決めてんじゃねぇぞ、ガーフィール……!」

「なァにを、言って……」

「てめぇが、エミリアの限界勝手に決めんな。あの子はそんな、弱くねぇ」

 遠く、墓所の入口でエミリアが息を呑む。

「てめぇが勝手に、俺の限界決めて見限んな。膝を折るのも、全部投げ出して蹲るのも、誰に言われるでもねぇ。俺が諦めるまでは、絶対にならねぇ」

 血を吐き出して、スバルの眼光に力が増した。
 そして、

「てめぇ、何を勝手にてめぇのこと諦めてやがる。まだやれんだろうが。もっといけんだろうが。……ガキの頃の、手足も伸びきってねぇ。下の毛も生え揃ってねぇようなときに出した頭の固い結論に、いつまで縋ってやがるんだ……!」

 頑なにガーフィールが信じ続け、『聖域』に心を縛り続けてきた信念を、くだらないものだとスバルは面と向かって言い切った。

「――――」

 即座に言い返そうと、ガーフィールは口を開いた。
 だが、何かに胸を突かれたように、声はガーフィールの喉から発されない。

 何も言えない。何も出てこない。
 頭の中が真っ白だ。この男が正しいと、そんな風に思うわけじゃない。自分が間違っているはずがない。間違っていたのを知ってから始めた自分が、間違っているわけがない。

 間違っていてはならない。
 だから、ガーフィールを間違っていると主張するこの男は、いさせてはいけない。

「はぁ……はァ……わかった……ッ」

「…………」

「てめェを、止めなきゃならねェ。てめェの言うことは、何もかも意味がわからねェ。なのに、気持ちが悪くてしょうがねェ。だァから、止めてやる」

 止めなくては、ならない。
 そして、止めるための手段はきっと、この男の言った通りの手段しかない。

 ――息の根を止めない限り、この男は止まらない。

「なら……殺して、やる……ッ」

「できるのかよ」

「っざっけんな。――やる方法なら、最初からあるんだよォ」

 殺さなくては止められないのなら、今度こそ殺して止めてやる。
 そのための手段を、今、選ぼう。

 ――この体の内側に眠る、憎たらしく疎ましい獣の血に身を任せることを選ぼう。

「――ォォォォォ」

 自分の体を抱いて、ガーフィールが全身の血液が沸騰するような熱に身を焼かれる。
 吐き出す息に赤い色が混じる錯覚を覚えるほどの高熱。体中の細胞が蠢き、筋肉が膨れ上がり、体積が爆発的に大きくなる。

 手足が丸太のように太くなり、胴体が腰巻きを弾けさせるほどに膨張。体中に金色の体毛が生え揃い、鋭い犬歯が見る見る内に刃のような長大さへと成長する。

 鼻面が前に出て、瞳孔が細くなり世界の色合いが変わる。
 思考が白熱し、今ここにあったガーフィール・ティンゼルという精神が塗り潰される。

 獣化の高揚感と、獣の本能に理性がかき消される感覚。
 全てが終わって戻ったとき、ガーフィールの目の前には食い散らかされた肉片が散らばっているはずだ。それが、ナツキ・スバルの最期の姿になる。

 こうまでしなければ止められなかった。
 そのことを、悔むつもりも、懺悔するつもりもない。

 力の足りない奴が悪い。
 弱い奴は、何も施せない。それだけのことだ。

 意識が消える。
 獣の本能が喝采を上げ、哀れな獲物を噛み殺そうと顎を開き――、


 ――理性をなくした獣の視界は、爆出する黒煙によって覆い尽くされていた。

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