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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第四章 永遠の契約

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第四章76 『≠サテラ』


 ――こうして、『魔女』本人と対面するのはスバルにとって初めての経験であった。

 嫉妬の魔女、という名前は何度も耳にしたし、その魔女の脅威そのものともこの『聖域』を発端とするループの中で対峙したことがあった。
 勝手に押し付けられたルールに背いたことで、心臓を握り潰される痛みを味わったことも一度や二度ではなく、エミリアの肉体を乗っ取って『聖域』を滅ぼした魔女に対していい印象を抱けという方が難しい。
 先のエキドナとのやり取りで、『魔女』という単語自体に忌避感が生まれてしまっている今となってはなおさらだ。だが、

「やっぱりこいつは……他の魔女とは、別格だ」

 眼前に佇む魔女から発されるプレッシャーを前に、スバルは掠れた声で呟く。

 細身の女だ。
 両手を力なく下げ、気負いすることもない立ち姿でこちらを見ているように思える。その体は漆黒のドレス――文字通り、足下から昇る影で編まれたドレスを身にまとっており、まるで心臓の鼓動に合わせるように肌を波打っているのがわかった。
 袖の長いドレスだが、手首から先は異様に白い指先が見えており、他の魔女と同様に『嫉妬の魔女』もまた、相応以上の美貌を備えているだろうことが予測できた。

 ただ、それを判断するために、一番必要な情報が欠けている。

「何度か見かけてるけど……それ、どういう原理なんだよ」

 魔女の首から上は、漆黒の影に覆われていて視認することができない。
 身にまとった漆黒のドレスとは違い、その影はまるで霧のようにたゆたいながら、『嫉妬の魔女』の面貌をスバルから覆い隠している。

 呆れたようなスバルの問いかけに、しかし魔女からの反応はない。
 内心で高まりつつある焦燥感に胸を焼かれながら、額に汗を浮かべたスバルはちらりと周囲――無言を貫く、他の四人の魔女の様子をうかがった。

「――――」

 彼女らの表情の変化を見て、スバルは意外なものを感じる。
 スバルの知る限り、『嫉妬の魔女』と彼女らの関係は殺意の加害者と被害者だ。自分を殺した相手――そんな相手と再び顔を合わせることが、どんな精神的負荷を伴うものか、少なくともスバルはそれを知っているつもりでいる。
 だが、魔女たちの表情はいずれもスバルの想像とは異なるものだった。

 一つは柔らかな微笑を、一つは哀れむような憐憫の視線を、一つは無関心そのものといった淡白さを、そして最後の一つは――。

「ワタシの境界を割ってここまで入り込んできたか。夢の城にまで無粋に足を踏み入れるなんて……どこまでも、自分本位なものだね」

 ただ一人だけ、『嫉妬の魔女』を睨みつけるエキドナだけが瞳に敵意を宿している。
 憎悪、にも似通ったそれを他の誰でもない、エキドナが浮かべることがスバルには意外だった。ついさっき、彼女にはそういった感情がないものと考えて決別を口にしたばかりだ。その彼女が感情を露わにする姿に、スバルは考え違いをしていたのかと己を疑う。

 しかし、現実的な問題として、それらを掲げる状況はすでに過ぎ去っている。
 今は、まだ動きのない目の前の魔女にどう対処するのかが問題だ。

「そもそも、何のつもりであいつはここに……」

「喋っちゃいけないことを、ぺらぺらと喋ったから怒らせたんじゃないの? あたし、そういう口が軽い男の人ってどうかと思う。あの子の憤慨、少しわかるわ」

「んなこと言われても知らねぇよ。ってか、あの魔女の肩を持つのか? お前や他の魔女からしてみたら、あいつは自分の仇じゃねぇのかよ」

「自分の仇って、すごい馬鹿みたいな言葉の響きね。……あんたの言い分が確かかどうかは、これから確かめるわよ」

 スバルの言葉に目を細めて、波打つ金髪を揺らしてミネルヴァが動く。
 彼女は一心不乱にスバルを見ている、『嫉妬の魔女』との視線の間に割り込むと、その豊かな胸を張って堂々と魔女と対峙した。そして、

「聞こえる? あたしよ、ミネルヴァ。『憤怒の魔女』のミネルヴァ。覚えてたり、声がちゃんと聞こえてるなら、返事して」

「――! いや、待てって! 俺の知る限り、そいつと会話は通じないって! それ以上に妙なアクションで刺激したりしたら……」

「黙ってるといいさね、はぁ」

 スバルの目には無謀としか見えない口上を口にしたミネルヴァ。だが、それを制止しようとしたスバルの言葉は背後、いまだ地面の上で毛玉になっているセクメトに遮られる。
 ちらと視線だけで振り向くスバルに、セクメトはもぞもぞと赤紫の毛玉の大きさを変えながら、

「あんたが接した短い時間の何倍も、ふぅ。あたしらはアレと一緒に過ごしたもんさ、はぁ。不安がるのは当たり前の話だけど、ふぅ。少しはミネルヴァに任せてみるさね、はぁ。あの子だって考えなしに……動くこともあるけど、ふぅ。まあ、今回はそうそう考えなしってわけでもたぶんないさね、はぁ」

「聞こえてるわよ、セクメト! あたしが話し合いに失敗して全員で呑まれたくなかったら、怒らせるようなこと言わないでっ! 怒髪天を突くんだから!」

「目の前で人が呼吸してるだけで、ふぅ。怒る理由を見つけて怒るようなあんたを相手に、はぁ。どうしろって話さね、ふぅ」

 散々な評価を下されながらも、ミネルヴァは眼前の脅威から意識を外していない。
 『嫉妬の魔女』の方も、今のやり取りの間にいくらでもアクションを起こせたはずだが、何もせずに立ち尽くし、『憤怒の魔女』越しにスバルを見つめ続けるだけだ。

 確かに、これまでの即物的な魔女の対応とは一線を画していると言えるかもしれない。
 が、それはあくまで即座に敵対行動に出ないというだけで、会話が成立する立場にあるかどうかとはまた別に思える。

 ミネルヴァは対話を、セクメトはそんなミネルヴァに全権を任せきっている。ならば、残った二人はどうなのかといえば――、

「べ、つに……私、は、ミネルヴァちゃんが、頑張って……く、れるなら、い、いいんだ……よ? ミネルヴァ、ちゃんが……その、ん、やられたら……ころ、殺す、けど」

「頼りがいのある発言だが、君ではアレとは相性が悪すぎると何度も言っているだろう。アレと対抗できるのは、この場ではセクメトだけだ。――わかっているね?」

 つっかえつっかえの発言なのに好戦的なカーミラを、エキドナが努めて声を平静にしながらたしなめる。それから白髪の魔女が横目にセクメトを見ると、毛玉は返事すら億劫だとばかりにその全体を震わせて、

「あたしでも、継続的に動きを封じ込めるのは無理さね、はぁ。能力的な関係で、そういうのに向かないのは知ってるはずだろ、ふぅ」

「わかっているとも。だから君は四肢を叩き潰して、首をねじ切ってくれればいい。物理的に動きを封じて、息の根を止めればワタシの手でこの空間から葬り切ることもできるさ」

 カーミラの発言が可愛く見えるほど、強烈な敵意を発しているエキドナ。飄々とした語り口でありながら、それを冗談であると思わせないのは言葉の端々に隠しきれない嫌悪感が滲んでいるからだ。
 とかく『嫉妬の魔女』に対してだけは、エキドナの抱く負の想念を疑う必要はないのだと理由なく信じ切らせるほどに。

 後ろでそんな一触即発な会話が続いているのを余所に、ミネルヴァと『嫉妬の魔女』との対峙は続いている。それどころか、ミネルヴァは他の魔女たちの会話を『嫉妬の魔女』に聞かせまいとするかのように、一歩、距離を詰めた。

「――――」

 声もなく、ミネルヴァの前進を見届けながらスバルは息を呑む。
 ミネルヴァの行いがスバルには無謀としか思えないが、そもそも『嫉妬の魔女』がこの場に何をするために姿を現したのかすら見えていない。
 これまでの状況と符合するならば、魔女が姿を見せた理由はスバルが禁忌を破ったからだ。だが、その禁忌を破ったスバルに魔女がこれまでしてきた仕打ちといえば、腕だけを現出して心臓を痛めつけるのが関の山であり、現実に姿まで現して干渉してきたときは目に映るものを片っ端から影に呑み込んでいるばかりだった。

 友好的な接触はもちろん、それどころか『嫉妬の魔女』は自分の意思すらまともに表明してきたことがない。魔女の目論見など、今も以前も欠片もわからない。
 だから、ミネルヴァに対してどんなアクションを魔女が起こすのか、それはスバルにとって未知数そのものだった。

 ――ミネルヴァが影に呑み込まれたとしたら、即座に後ろの三人は動くだろう。

 セクメトにかけられた期待が確かなら、『怠惰の魔女』は『嫉妬の魔女』を権能で叩き潰し、エキドナは弱らせた『嫉妬の魔女』であるなら追い払うことができると。
 ただ、それならば――。

 どうして今すぐに、それをしないのかがスバルには不思議でならなかった。

「――――」

 おかしいといえば、『嫉妬の魔女』との最初の接触をミネルヴァに任せきりにしている現状がすでにおかしいのだ。
 手を出されれば反撃を辞さないカーミラはまだしも、セクメトは積極的な敵対を望んでおらず、敵愾心で満々なエキドナすらもミネルヴァの意思に背いてまで先制攻撃を仕掛けようと早まったりはしていない。
 いったい、彼女らは何を狙って――。

「魔女たちの思惑が見えず、翻弄されているという顔つきをしているね」

「…………」

「もっとも、ワタシたち……おっと、ボクたちの内側を簡単に見透かせると思われるのも魔女の名折れだからね。そのあたり、安く思われては困る」

「取ってつけたようにボクっ子やってんじゃねぇよ。――お前が本気で『嫉妬の魔女』を遠ざけたいなら、無防備な今が一番狙い目なんじゃねぇかって思ってるだけだ」

「なるほど。君には今の状況がそう見えるのか。それはそれは……うん、そうだろうね。ボクとしてはもちろん、君の言い分にもろ手を上げて賛成だ。本来ならボク自身、持ち得る権能の全てを叩き込んで、アレを欠片も残さず消滅させてしまいたいところなんだが……」

 そこで言葉を切り、エキドナは目を細める。
 その態度に彼女らしくない――彼女のことなど、どれだけ知れていたのか今さらわからないが、これまでの彼女らしくない忸怩たる何かを感じ取り、スバルは言葉を待つ。
 わずかな沈黙を経て、それからエキドナは言った。

「アレを排除するために手を尽くして、その後に他の魔女たちに狙われてしまっては本末転倒だ。ミネルヴァはともかく、セクメトとテュフォンを敵に回してまで賭けに出るのは分が悪いというものだよ」

「話が見えねぇよ。なんで、お前が『嫉妬の魔女』を排除しようとしたら、あいつらが敵に回るなんてことになるんだ。自分の仇って意味じゃ、全員にとって同じ……」

「ち、がう……よ……?」

 スバルの疑問に割り込んだのは、ここまで沈黙を守っていたカーミラだった。彼女はぎょっとした顔をするスバルを見ず、ミネルヴァと『嫉妬の魔女』との対峙を見つめ続けたまま、淡々と言葉を途切れさせながら、

「み、んなにとって、『嫉妬』が仇、なの、は……ん、合ってるけど、それと、あの子のことと……は、違う、お話、でしょ?」

「……言ってる意味がわからねぇ。お前らは、何を……」

「この場にいるアレが、どっちなのかわからない以上、ふぅ。こっちから手を出すのは気が進まない以前に筋違いって話じゃないのさ、はぁ」

「どっち……?」

 言葉を引き継いだセクメトの答え。だが、それすらもスバルにとっては混乱を助長する意味合いしか持たない。彼女らが何を言っているのか、その理解は別の角度からきた。

 一歩、さらにミネルヴァが『嫉妬の魔女』との距離を縮める。
 そして彼女はその両手を広げて無抵抗の姿勢を作り、『嫉妬の魔女』に言った。

「――あなたは『嫉妬の魔女』? それとも、サテラ? どっち?」


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 これまでの認識が、根底から覆るような発言が出たとスバルは感じていた。

 ミネルヴァの口にした内容は、スバルの知る事実と大きく異なる。しかし、それがミネルヴァの妄言でも冗談の類でもないことは、同じ時代を生きてきた周りの魔女たちの無言が肯定していた。
 ミネルヴァの呼びかけに、初めて『嫉妬の魔女』の肩がかすかに震える。頭部を覆い隠す黒い靄が蠢き、体の向きがミネルヴァを向いたように思えた。
 ――魔女はこの瞬間に初めて、ミネルヴァをその意識の中に置いたのだ。

「――――」

 今の発言がどういう意味なのか、と疑問を上げる隙間はスバルには与えられていなかった。それ以上に、張り詰めた緊張感に喉が渇き切る方が早い。
 魔女たちの肯定があってなお、それはスバルの考えをはるか上から裏切っていった。
 ミネルヴァの発言、即ち――、

 ――『嫉妬の魔女』サテラ。そう呼ばれる人物が、別人である可能性。

 否、それはあまりに今の少ない条件で考えすぎている。
 上っ面だけの情報で判断して、固定観念を抱いて痛い目に遭ってきたことなど何回あっただろうか。可能性は常に考慮していても、それだけに固執してはならない。
 何よりも今、目の前の光景から一秒だって意識をそらすべきではない。

「最初の質問に、いきなり仕掛けてこないってことは……まだ、チャンスはあるのね」

 言いながら、ミネルヴァがさらに距離を詰める。
 『憤怒の魔女』と魔女との間にある距離は、あとたったの五歩。

「『嫉妬の魔女』なら、あの子の間に立った時点でいきなり『妬み』を向けてきててもおかしくないし、その心配はあんまりしてなかったけど」

 あと四歩。

「それでも、それならそれで一言、最初に声をかけてくれたらいいのに。そりゃ、顔を合わせづらい関係なのはあたしにだってわかるわ。あのとき、あたしを呑み込んだときの最後の顔、忘れてないわけじゃないもの」

 三歩。

「他の五人よりはずっと、あたしの方がマシだと思うけど。テュフォンはともかく、それ以外じゃあたしが一番……友達だったと、そう思ってたのに」

 二歩。俯く。

「そう、思ってたのに……思ってたから、それが……っ!」

 屈んだ。あと二歩の距離で、ミネルヴァが前屈みになり、後ろ足に力が溜まる。
 そして、

「この久しぶりの状況で、無視される気持ちがわかるの――っ!?」

 地面が爆発し、たった二歩の距離は踏み込み一発で消滅する。
 粉塵を巻き上げて突進したミネルヴァが、大きく身をひねって全身全霊を込めた拳を肩口から発射。それは大気を穿ち、速度の壁を突き破り、轟音をまとって魔女の頭部へ。闇に覆われた顔面へと突き進み――、

「――ほら、思った通り」

 ミネルヴァの拳は、その魔女の顔面を直撃する寸前で奇跡的に制止していた。
 魔女の影が伸びて、彼女の腕を絡め取ったなどというわけではない。ミネルヴァの意思で、伸び切る寸前で腕は止まったのだ。
 拳を振りかぶった姿勢のまま、ミネルヴァは上体を戻して己の金髪を揺らし、

「ほら、見なさい。あたしの拳をかわす必要がないのを知ってるのは、サテラであって『嫉妬の魔女』じゃない。エキドナ、あんたの警戒は不要だわ」

「……どうだろうね。君の、その自分の身をもって証明しようという心意気は素直に賞賛するけれど、それとこれとは話が別だ。純粋に、君という存在の脅威が低く見積もられていただけなら、当たり前だがアレは動かない。だから、セクメト」

「何かに理由つけてあたしを動かそうとするんじゃないさね、ふぅ。往生際が悪いのはあんたも同じだよ、エキドナ、はぁ。認めな、アレはサテラだとね、ふぅ」

 閉口するエキドナに、セクメトはため息だけをぶつける。
 変わらず毛玉であり続ける、魔女たちの最終兵器は動く気配がない。そして、手と手が触れ合う距離で魔女――サテラと対峙するミネルヴァはスバルを振り返った。

 碧眼に見つめられ、なおも彼女が脅威のすぐ傍らにある現実をうまく認識できないまま、スバルは呆然と立ち尽くしているしかない。
 そんなスバルの態度に鼻を鳴らして、ミネルヴァは不満げな顔つきになると、

「何をぼさっとしてるのよ。早く、こっちきなさい」

「きなさいって……そう、言われても」

「何よ、男の子らしくないわね。あたしがこうやって大丈夫、って自分で証明してみせたんだから、あんたも堂々とこっちにくるべきじゃないの? そうなんじゃないの? それとも、これだけお膳立てしてもらっておいてまだ足りないっていうの? 誰かが石橋を叩いてくれても渡れないって言うなら、あんたはどうしたら渡れるのよ!」

「勝手に盛り上がってヒートアップするな! ビビってそっちに行けないわけじゃねぇよ! 俺がそっちに行けないのは、そうする理由がわからないからだ!」

 ミネルヴァの憤慨に同じように声を荒げて、スバルは置き去りの状況に異を唱える。
 足踏みし、即座の脅威という意味合いからは外れたらしきサテラを指差し、スバルは戦闘体勢を解きつつある魔女たちを見回して、

「そもそも、『嫉妬の魔女』とサテラが別ってのはどういう意味だ! お前らは当たり前みたいに話してたけどな、俺はそっからすでに知識として違ってんだよ!」

「どうもこうもない。無理やりに、適性のない存在が魔女因子を取り込めばそういった弊害も出る。因子の影響で生じた魔女人格とも言うべき部分と、本来の自分とのせめぎ合い……というべきか。ボクからすれば同じ存在なんだから、彼女らのように区別するという意味がイマイチ納得できないのだけどね」

「別、人格……!? じゃあ、何か? お前らを呑み込んだり、歴史に残ってるような悪行をやらかしたのは、その片方の人格で、もう片方は無害だとでも……」

「それは、違うね」

 聞かされた情報に驚きながらも対処しようとするスバルを、エキドナが止める。彼女は首を横に振り、スバルの論を訂正するように、

「世界の半分を飲み干したのも、ボクら大罪魔女六人を飲み干したのも、全ては『サテラ』の行いで、『嫉妬の魔女』じゃない」

「な――!? いや、それじゃ辻褄が合わないじゃねぇか! お前らを呑んだのがサテラで、あそこにいるのもサテラだっていうんなら……話が」

「噛み合うのさ、それでね、はぁ。あたしたちは『嫉妬の魔女』は許さない、ふぅ。けど、サテラなら恨みはしない、はぁ。それだけのことさね、ふぅ」

「わ、たしは……さ、サテラちゃんで、も……ん、嫌だけ、どね……魔女より、は、いいかなって、だけ……だか、ら」

 セクメトとカーミラが、スバルの疑問をさらに深めるような形で同意する。
 魔女たちの統一見解であるようだが、それがスバルには理解できない。自分たちを滅ぼした相手が二重人格であり、そして自分たちを滅ぼした人格は許すが、そうではない人格は許さない――それは、どういう意味なのか。

「その区別の意味がないと、ボクはずっと主張してるんだが……平行線だよ。だから、ボクはその意思を無視してアレを排除できないのさ。か弱い精神体のボクでは、アレを排除した後に彼女らに反旗を翻されたら太刀打ちできない。いかにボクでも、魂だけの状態を吹き散らされてしまえば戻れはしない」

「で、も……それは、他の五人にとってもリスクのでかい話なんじゃないのか。他の五人の魂はお前が預かってるんだろ。そのお前が消えたら他の魔女だって……」

「彼女らは自分の『死』に納得している。だから、こうして魂だけの存在として長らえることに未練がない。――自分を曲げて残るぐらいなら、自分の信念に殉じて滅んだ方がずっといい。そういう、考え方をするから魔女なのさ」

 エキドナの言い切りに、セクメトもカーミラも否定の言葉を投げかけない。
 潔い、というにはあまりに見切りが良すぎる判断に、スバルは魔女たちの生き様が苛烈過ぎて言葉もない。
 そうあれれば、そうありたいと、憧れることは誰しもあるだろう。
 しかし、死してなお、死後ですらそれを貫き通すことなど、誰にも断言できはしない。

「ミネルヴァも……」

 同じなのだろう。
 あるいは『嫉妬の魔女』の手で、誰よりも先に滅ぼされるかもしれなかった彼女だ。それでも、ミネルヴァは自分の手の届く距離に至るまで何もしてこなかった魔女を信じ、結果としてそれを証明してみせた。

 彼女らの関係性が、スバルにはわからない。
 互いを信じ合うような絆があるのなら、どうして『嫉妬の魔女』は他の六人の魔女を滅ぼしたのか。そして、魔女たちはそれをどうして許すのか。
 エキドナの考え方の方が、まだスバルには理解できる。
 ただ、それでも――。

「お前らが、そうだっていうのはわかった。それは納得……は難しいけど、理解はできる。けど、まだ俺はそいつがこの場に何しに出てきたのかを聞いてない」

「――――」

「問答無用で、襲いかかってこないのはわかった。それは納得してやる。……でも、それでそいつが安全って話にはならない。俺が今までに見てきたのが『嫉妬の魔女』だっていうんなら、サテラは俺にどうしたいんだ。『嫉妬の魔女』は、俺にとっては忌々しいだけの相手だ。急にそれが違うって言われても、理解はできない」

 ましてや魔女たちの話を総合すれば、彼女らを飲み干したのは目の前にいるサテラに違いないのだという。ならば、『聖域』を呑み込んだのが『嫉妬の魔女』であったとしても、サテラにもそれと遜色のないことができるということではないか。
 危機感を覚えて、警戒して遠ざけて、それを誰が責められる。

「何をしたくて、何のためにここにきたんだ。それがわからない限り……!」

「それを知りたいんだったら、ここまできてみればいいわよ」

 声を荒げようとするスバルを、ミネルヴァが遮った。
 腰に手を当てて、ミネルヴァは愛らしい顔に苛立ちを隠さず乗せたままスバルを睨む。

「ぐだぐだと言い訳と予防線を並べ立てるのはもう十分だわ。あたしがこうして、この子の隣にいても何も起きてない。そして、この子はあんたに会うためにここにきた。それだけで、この子に近づくだけのこともできないヘタレだって言うんなら、もう単なるあたしたちの見込み違いだったってことにするしかないもの」

「見込み違いもクソもあるかよ! お前らで勝手に、俺を推し量るな! 勝手なもんを俺に押し付けるんじゃねぇよ! お前らに、俺の何がわかる!」

 勝手なイメージを押し付けられて、それの通りに従って動くなど御免だ。
 かつて、同じことを叫んだときに、スバルに応じてくれた声があった。あのときの言葉を覚えている。あのとき、かけられた言葉を支えにしている。
 ――あのときの、あの言葉に救われた自分を裏切れないのならば、

「ああ、クソ……馬鹿なこと考えてんぞ、俺……」

 合理的でない、勢いに流される感情的な判断だ。
 これまで、それをしてきたせいでどれだけ痛い目を見てきたのか反省がない。もっと物事の些細な部分に目を配り、感情を殺して冷徹に、心の動きではなく確かな事実に沿って動く――決して揺るがない、鋼の心を保ち続ける。

 そうあれかしと、思い願い続けているはずなのに。

「決断が遅いわよ」

「生き死にの寸前までやり合った相手に近づく恐さが……クソ、お前たちはわかるんだったよな。やりづれぇ」

「あたしたちだって、何も思うところがないわけじゃないわ。あたしと違って、セクメトやカーミラがずっと大人なだけ。あたしは肩入れする理由があるもの」

 歩み寄り、舌打ちするスバルにそう言って、ミネルヴァは肩をすくめてみせた。その理由とやらを聞き出す暇を与えず、ミネルヴァがスバルに場所を譲る。
 『憤怒の魔女』が横にどくと、自然とスバルは至近距離で魔女――サテラと向き合う形だ。

「――――」

 思わず、唾を呑み下してスバルは眼前の存在の異様さに言葉を失う。
 遠目で見て、そして歩み寄りながらその姿をさらに間近に見て、わかっていたはずだったが、それでも発せられるプレッシャーと視覚から与えられる違和感は拭い去れない。
 体に張り付く影のドレスは、その肢体と曲線とひどく扇情的に描き出し、首から上が見えないことがかえって倒錯的な艶すら生み出している。
 それらの印象が、全て認識できない頭部の不和によって掻き消されるのだ。

「――――」

 すぐ近くで見てみて、スバルはその認識阻害が物理的なものでないことに気付く。
 顔の部分を闇が覆っているように見えるのは、実際に影がその場所を覆って見えないように視界を遮っているわけではない。
 魔女の顔を見ることができないのは、もっと精神に根差す根源的なものが理由だ。
 物理的な妨害で顔が見えないのではない。本能的なもので、『見させない』ようにしているのだ。

「誰も、自分自身のもっとも醜い妄念からは目を背けたがる」

「…………」

「その表情が見えないのだとしたら、それは君の心のありようの問題だよ」

 後ろから、今のスバルの推論を裏付けるあり難い忠言が飛んでくる。
 舌打ちしたい内心をどうにか堪えながら、スバルはエキドナを無視して――というより、そちらに意識を割く余裕のないままサテラと向き合い続ける。

 いまだ、サテラの方から能動的なアクションはない。
 サテラがしたことといえば、今はまだこの場に現れただけのことだ。周囲が勝手に騒ぎ立てて、彼女の行いに対して被害拡大を防ごうと躍起になっていただけのこと。
 ただ存在するだけで、そうまで恐れられること自体がすでに彼女の存在の危険さを如実に表しているといっても過言ではないが。
 と、動きのない状況にスバルが焦れた、その瞬間だ。

「――ッ」

「――――」

 ふいに、目の前に差し伸べられた両手を見て、スバルの喉が凍った。
 片時も、それこそ瞬きの一瞬すらも惜しんで、スバルはサテラの挙動に意識を集中していた。刹那の後に、何が起きるかわからない――その緊迫感が、まるで意識の外側から現れたような両手の動きに翻弄された。
 動きが見えなかったことに驚いたのではない。スバルははっきりと、サテラの両腕が動くのを見ていた。にも拘わらず、その腕が差し出されて、挙動を終えるまでの状況を静かに見届けた自分の意識に驚いたのだ。

「お前は、本当に……何なんだ? 俺を、どうしたいんだ?」

 差し伸べられた手に対して、有効的なアクションを取ることができなかった事実。そしてそれが何を意味しているのか、半ば無意識で理解していたスバルはとっさに言葉を作る。
 その事実を認めずに済むよう、向き合わずに済むように、絞り出すように。

「お前が、俺にやり直させる力を与えてるなら……それは、どうして……」

 サテラの思惑が、わからない。
 そして、サテラと向き合い、こうして触れ合える距離に立って、危険であると何度も何度も意識的に叫んでいるのに、言うことを聞かない体がわからない。

 ――彼女を前にして、無意識で『安堵』しようとする体の反応の意味が。

「――――ぅ」

「――あ?」

 意に反した自分の体を受け入れられずにいるスバルは、鼓膜を叩いた音への反応が遅れる。それは今度こそ間違いなく、意図の外からきた事象への正しい反応だった。

 息を呑み、スバルは続く言葉を待つ。
 正面、サテラはなおも見えない表情をスバルへ向けたまま、固唾を呑んで再びの言葉を待つスバルに、ゆっくりと時間をかけて、やがて言った。

「――――ます」

「――――」





「あなたをずっと。あなただけをずっと、愛しています」
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