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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第四章 永遠の契約

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第四章67 『魔人』



 目の前で展開された光景が、スバルには理解不能としか答えが出せなかった。

 血だまりに沈むラムと、首から上をなくして落命したガーフィール。重なり合う二人の死体の傍らで、素手でそれを為したロズワールが裾を払っている。
 すさまじい体技を目の当たりにしていながら、スバルにはそれがロズワールが行った所業だとはにわかに信じられなかった。

 ロズワール・L・メイザースは、ルグニカ王国を代表する宮廷魔術師であり、超級の魔法を自在に操る、一種の戦術兵器並の戦闘力を持つとは聞いていた。
 聞いてはいた。聞いていたからこそ、魔法を使えない状況下で、よもやロズワールがこれほどの破壊力を発揮しようとは想像もしていなかった。

「魔法使いは肉弾戦はできない、というのは完全に先入観というやつだーぁね。敵意を持つものが私に相対しようとすれば、当然だけど誰もがそう考える。……そうした頭の固いものたちがどうなってきたのかは、見ての通りだけどねーぇ」

 無言のスバルの心情を捉え切った返答に、思わず息を呑む。
 ロズワールはわずかに顔に跳ねた返り血を指でなぞり、青のアイラインに朱を上書きして微笑みを浮かべている。――魔性、呑み込まれそうという意味で正しく。

「な、んで……」

「んーん?」

「なんで、二人を……ラム、を殺した? ガーフィールだって、ガーフィールだって殺す……殺す必要は……っ」

「君と二人で話すのに、ガーフィールがいると邪魔そうだったからねーぇ。ラムに関しては、申し訳ないことをしたと思っているとも。だが、ガーフィールと正面切って戦えるほど強いわけじゃーぁないんだ。今、殺せたのは虚を突いたからだよ」

 その虚とやらが、ラムごとガーフィールを貫いた行いだというのか。
 あっけらかんと、二人を殺害した理由を述べるロズワールに、スバルの感情は憤怒を振り切って、かえって冷静さを取り戻す。
 馬鹿げた状況に馬鹿げた答え。スバルを掌で転がそうとしているのだとしたら、激昂することはロズワールの思惑通りだ。

「…………」

「ふーぅむ、意外だねーぇ。こう言ったら、君はさぞや怒ると思ったものだが?」

「一回転して怒りがさかしまになっちまったんだよ。……怒ってないわけじゃ、ねぇよ。当たり前だろ。当たり前だ」

「どーぅかな。望ましいといえば望ましい態度ではあるけれど、私の知っていたナツキ・スバルという少年ならば、もっと向こう見ずに吠え猛って怒り狂っていて当然の場面だよ。ねーぇ、ナツキ・スバルくん」

 片目をつむり、またしても黄色の瞳がスバルを捉える。
 気付くと、ロズワールはああして片方だけの瞳で、それも決まって黄色の輝く方の瞳で相手を見ていることがある。
 そうして爛々と輝く黄色に己を映されていると思うと、ひどく落ち着かなくなる感覚をスバルは味わうのだった。

「馬鹿だったことには自覚あるけど、いつまでも成長ないわけじゃねぇんだ。怒り狂ってどうこうなる場面じゃないことぐらい、俺だってわかって……」

「違うなーぁ、そうじゃないんだよーぉ、スバルくん。スバルくん。ナツキ・スバルくーぅん」

 藍色の髪を揺らし、血に濡れていない左手で撫でつけ、ロズワールはスバルの名前を挑発的に呼ぶ。
 狂態に、スバルは得体の知れないものを感じて、しかし下がらない。下がらず、むしろ前に出て、道化の面を睨みつけた。

「何が言いたい」

「何が言いたいか、と言われれば私は君にこう言いたいと思っているとも。――おめでとう。ようこそ。待っていたよ。私は君がそこへ立つのを、と」

 ゾクリと、スバルは背筋を濡れた指先で撫ぜられたような悪寒を覚えた。
 正面、ロズワールは口にした言葉通りに、歓喜を浮かべてスバルを見つめている。その態度に、歓喜に、スバルは意味のわからない嫌悪感を覚える。
 皮肉でもなんでもなく、ロズワールはスバルに対して喜びの感情を得ている。問題は、彼が口にした言葉の意味も、その喜びの意味も、理解できないだろうことだ。

「俺がここに立つのを……待ってた?」

「この部屋のその場所に、なーぁんてベタもベタな勘違いをするのだけはやめてほしいねーぇ。そういう意味でないことを、君は理解できるはずだ。君だけは、それを理解できるはずなんだからねーぇ」

「俺だけが……理解、できる」

 完成図の見えないパズルのピースが、少しずつ頭の中で組み上がっていく様子が脳裏に浮かび上がっている。徐々に徐々に、戸惑いながらピースは繋がっていき、やがておぼろげに完成形が見え始める。
 その完成形に思いを馳せたとき、まさか、という感覚がスバルを貫くのだ。

「わーぁかるかねーぇ、スバルくん。君は、自分がどうして、二人の死を目の当たりにしてもどこか冷静で、怒り狂わず平静を保っていられるのか……その理由が、本当はわかっているはずなのさーぁ」

「――――」

「君はね、二人の死にそれほど衝撃を受けていないのさ。二人が命を落としたことに対する驚きはある。義憤もあるだろうねーぇ。だが、悲しみは覚えていない。だから君は、ここで私に怒って、拳を向けることがでーぇきないのさ」

 ロズワールのわかったような口ぶりに、スバルは反論をしようと口を開き、しかし何も言えずに閉じるのを繰り返していた。

『お前に何がわかる!』『二人の死が悲しくないなんてことがあるか!』『よくも、ラムを、ガーフィールを殺したな、人でなしめ!』

 叫ぶ言葉の候補なら、いくらでも頭の中に思い浮かぶ。
 実際、それらの暴発的な感情はスバルの中に先ほどから何度も浮かび上がり、喉から外へ飛び出しかけては消えてを繰り返しているのだ。

 怒っている。驚いてもいる。悲しんでだって、いるはずだ。
 いるはずなのに、スバルがロズワールの言葉に反論ができないのは――。

「――取り返しがつくものだと、そう思っているからじゃーぁないかい?」

「おま……っ」

 思わず、喉が凍るほどの戦慄にスバルは心臓を掴まれた。
 比喩抜きに、心臓を鷲掴みにされたと錯覚した。それほどの衝撃に打たれたのだ。

 顔を上げ、スバルは思わず周囲を見回し、黒い掌が禁忌を犯したことの罰を与えに姿を見せるのではと恐怖した。一度、『嫉妬の魔女』の存在を否定して、それから初めてのペナルティだ。影が、どんな恐怖をまとって戻ってくるか、想像するだけで心胆がねじ切られるような痛みに圧迫されていた。
 だが、

「……こな、い」

「何に警戒しているのかはわからないが……あーぁ、それが君の契約の関係なのかもしれないねーぇ。なーぁるほど。それなら、これまでの君の行動や言動の不自然さにも納得がいく」

「納得って……いや、それ以前に!」

 顎に手を当てて頷くロズワールに、スバルは顔を蒼白にしながら唇を震わせる。
 ロズワールの今の発言は、間違いなくスバルの核心に触れるもので、そこに触れられるということはつまり、

「お前は……俺の、俺がどうなってるのか、気付いて……!?」

「書の記述に外れていない限りは、ね。――君は、やり直す手段を得ている。そうじゃーぁないのかね?」

 はっきりと、ロズワールが『死に戻り』を既知であることを告白した。

 そのことにスバルは息を呑み、すぐに今の状況が危険な状況であると気付く。
 条件が、まったくエキドナの茶会と同じになったからだ。
 このまま、ロズワールと『死に戻り』を当たり前の体で話を進めた場合、『聖域』を影に呑み込まれるあの惨劇が再び巻き起こる。
 それ以前に、今この瞬間にも、魔女がスバルを奪いにきてもおかしくないのだ。

 呑んだ息を胃に下し、スバルは深々とそれを吐き出しながら、時間が停滞していないことを確認する。
 つまり、魔女の心臓を掴むペナルティは発生していない。スバル自身にとってはたまったものではないが、もっとも穏便な可能性はこれで潰えた。
 残る可能性は――、

「――沈黙は肯定の証である、とそう残したのは誰だっただろうかねーぇ」

 めまぐるしく頭を回転させながら、リスク回避に躍起になるスバルに痺れを切らしたようなロズワールの声が突き刺さる。
 彼にとっても、今の発言はなかなかに重大な意味を持っていたはずだ。
 それを無言で無視する形になったスバルに、ロズワールは珍しく不快げに眉根を寄せながら、

「まーぁ、荒唐無稽なお話だ。なーぁんて退屈な誤魔化しをしない分だけ良心的と言えるのかもしれないがねーぇ」

「お――」

「おーぉっと、いいよ。私の方から言い出しておいてなんだけど、きっと君の口から肯定なりの返事をするのはよくないことになる。だからこそ、今日まで君はそれを打ち明けることができなかったんだろうからねーぇ。もっとも」

 一音だけでスバルの発言を遮り、ロズワールは意味ありげに言葉を切る。
 唇を噛むスバルに、ロズワールは流し目を送って唇をいやらしくゆるめると、

「打ち明けてどんな目で見られるか、それを恐れていたのかもしれないけどねーぇ」

「――――ッ」

「それはそーぅだ。だーぁって、世界をやり直す力なんてとんでもないものだよーぉ? 時間に干渉するなんてーぇのは陰系統の究極の究極でようやくだ。ベアトリスですら、停滞を生むのが精一杯。逆行なんて、夢のまた夢だよーぉ」

 意図していない真意を深読みされた上に、反論を封じられたままベアトリスの名前を出されたスバルの顔が驚愕に強張る。
 背後からエルザの刃に貫かれて、霧散した彼女の最期の表情が鮮烈にスバルの脳裏をフラッシュバックした。

「――その反応を見ると、どーぅやらベアトリスは役目を果たしたようだねーぇ」

「役目って……お前は、あいつを……そうだ」

 話題が『死に戻り』からそれたのをいいことに、スバルは押し流されかけていた意識を引っ張り出し、ロズワールの澄まし面に喰ってかかる。
 ベアトリスが、あれほど寂しいと叫んでいたことを、この男は知っているのか。

「お前は、あいつの苦悩を知ってたんじゃないのか。ずっと、あの屋敷に縛り付けられてて、契約だなんてずっと昔にした約束一つに縋りついて……それであんなに擦り切れて、小さくなっちまったあいつを知ってたんじゃないのかよ!」

「もーぉちろん、知っていたとも。私とベアトリスはながーぁい付き合いだ。それこそ、生まれた頃からのだ。あの子が胸の内に抱く寂寥感を、私はずーぅっと知っていたとも」

「それなら……!」

「どうしてなんとかしてやらなかった、なーぁんて言わないでほしいね。あの子の悲しみを他人がどうにかできたかなんて、それこそ君もわかっていることだろーぅ?」

 ロズワールの正論が、怒りに任せて叫ぼうとしたスバルの心を殴りつけた。
 声高にロズワールを糾弾し、ベアトリスの悲哀の叫びを聞かせてやることはできる。できるが、そのことに何の意味もないのが現実だ。

 ベアトリスはすでに死に、彼女の心の悲しみは誰にも癒せない。
 唯一、やり直しの手段を持つスバルだけは、何度でも彼女の最期に立ち会うことはできるだろう。だが、四百年の悲しみを、どうすれば癒せるというのか。
 四百年――その時間を遡る手段は、さしものスバルにも存在しないのだから。

 口をつぐむスバルを正面に、ロズワールは小さく首を横に振る。
 それから彼は言った。

「羨ましい、ねーぇ」

「――羨ましい、だと?」

 聞き返すスバルの声色は低い。しかし、ロズワールはそれに気付かずに「そうだとも」と頷くと、

「羨ましいさ。ベアトリスは、悲願を叶えて消えることができた。君がここにいるということは、そういうことなんじゃーぁないのかね」

「悲願……だと? あれが……あんな、あんな風に死ぬのが、あいつの悲願だって、お前は! お前は、そう言うのかよ!」

「他でもないベアトリスが望んだことじゃーぁないのかね。それを他人がとやかくいう筋合いはないし、他人の価値基準を否定することは誰にもできない。君にも、もーぉちろん私にも、ベアトリスの死を穢すことは許されないよ」

 もっともらしい言葉だ。正論だ。筋合いはない、それは事実だ。
 スバルとベアトリスはどこまでも赤の他人で、ベアトリスの願いをスバルは理解してやれなかったし、その願いを叶えてやろうと思うことも一片もできなかった。
 でも、それでも、本当にベアトリスは、それで良かったのか。

 ――それならどうして、ベアトリスは最期にスバルを庇って。

「ベアトリスは悲願を叶えた。私には、それがただただ羨ましいとも。――私の悲願は、どうやら私では叶えられないようだーぁからね」

「――――」

 違和感のある、言い方だった。
 どこに違和感がある、というのはイマイチ判然としない。
 しかし、どこかに確実に違和感があったのだ。

「お前の……悲願ってのは……」

「それは言えない。言えない契約になっているから、としか言えないがーぁね。ここまで口に出すのが、契約に対して譲歩できる最大限の水際だよ。たーぁだ、これだけは言える」

「――――」

「私は、私の悲願成就のための最善を常に、常に、常に、常に尽くしている。意味のない行いは、恥じ入るようなことは、何一つとしてしていないつもりだーぁとも」

 堂々と、自分の行いに恥じ入るところはないと、ロズワールは断言してみせた。
 そうして胸を張る姿勢に衝撃を受けたあと、ゆっくりとスバルの内側にどす黒い怒りが湧き上がってくる。
 それはスバルがここにくるまでに、置き去りにしてきた感情や思いを棚上げにした身勝手な怒りであった。あったが、そう思わずにはおれないものでもあった。

「必要なこと、だと……ラムとガーフィールを殺したのも、こうやって『聖域』を雪で覆ってるのも、全部……必要なことだって、そう言うのか……?」

「ふむ、前者に関しては……いや、これは話がこじれるだろーぉね。後者に関してはその通りであると、そう答えようじゃーぁないか」

「何のためにだ!!」

 牙を剥き、腕をめちゃくちゃに振り回してスバルは叫ぶ。

「何のために、こんなことをしてやがるんだ! 『聖域』に雪を降らせて、悪戯に住人たちを苦しめて……お前は何が目的なんだよ! こんなことして、何の意味があるんだ! 言ってみろよ! ロズワール!!」

「決まっているとも。――エミリア様が、孤立する」

「――は、はぁ?」

「繰り返そう。こうして雪を降らして住人に被害を与えると、だ。エミリア様が孤立して、非常に不安定な精神状態に陥る。そうなって、いなかったかね?」

 まるで見てきたようなロズワールの言葉。墓所の中のエミリアの状態は、今のロズワールの思惑通りといった様子だろう。
 そのことを素直に伝えてやるつもりもない。何より、今のロズワールの言葉の意味が心底、これまででも最大級に、『意味がわからない』ものだった。

「ここは魔女所縁の土地で、エミリア様は今まさに『聖域』を解放するための『試練』を受けている真っ最中だ。そーぉんなときに、こうして『聖域』を局地的な天変地異が襲えば……エミリア様に、どんな目が向けられる?」

「おま……」

「直情径行のガーフィールが、こういうときに役に立つ。彼ならばそれこそ真っ先にエミリア様を疑い、そして声高に主張したはずだ。彼の声の大きさに、誰もが思ったはずだよ。――この天変地異は、エミリア様の行いによるものだと」

 ロズワールの読みは正しい。ガーフィールはまさしく彼の掌の上で踊ったといえる。戻ってきたスバルに最初に喰ってかかったガーフィールは、この極寒の『聖域』をエミリアの仕業と信じて疑っていなかった。
 そうやって、『できる存在』が別にいるにも拘わらず、エミリアに全ての悪意を向けさせる土壌がこの土地には、この世界にはあるのだ。
 それこそが、エミリアが長年、苦しめられてきた偏見という悪魔でもある。

「孤立したエミリア様はどうなる? エミリア様は、あれで本当は弱いお人だ。自分を肯定してくれる誰かに、信頼の全てを預けたいと思っても不思議はない。そしてその誰かもまた、エミリア様を全霊で支えたいと思っていれば御の字だ」

「待て……待て……待て待て待て待て待て……ッ」

 ロズワールの語る内容を止めようと、スバルは腕を伸ばして制止を呼びかける。
 今、何かとてつもないことを聞かされている気がする。
 今、何かとんでもない事実を語られている気がする。
 今、何か聞いてはならないことを――。

「依存するエミリア様を、君は遠ざけられない。当然だ、愛しているのだから。愛するエミリア様が全てを預けてきたのなら、君はそれを跳ね除けられない」

「そんな――」

 ことはない。
 そんなことはないはずだ。
 現にスバルは今回も、墓所で縋りついてくるエミリアに溺れるのを堪えてきた。堪え切って、ここへ足を運んだ。

 エミリアの誘惑を、愛の囁きを、拒み切ることができたわけではない。
 だが、あれが彼女の本心ではないとわかっている以上、ずぶずぶと浸かり切ったりすることは――。

「今はないと、そう答えるだろう。それがただ、私にとっては残念なことだよ。今の君には少しばかり、余計なものが多すぎるということだね」

 煩悶するスバルの前で、ロズワールが足を一歩、静かに前に踏み出した。
 血溜まりを踏み、水気のある足音が鳴るのを聞いて、スバルの体は無意識に竦んだ。
 長い手足を揺らすロズワールの接近にスバルは喉を鳴らし、

「俺を、殺す気――か?」

「殺すとはまた、ずーぅいぶんと殺伐とした考えじゃーぁないの。君に死なれては困ってしまうよ。どうあっても、私は君にやり直してもらわなくてはならないんだからねーぇ」

「え――?」

 歩み寄ってくるロズワールの言葉に、スバルは一瞬だけ唖然とする。
 だが、すぐに彼の言葉の齟齬と、事実の認識のずれに気付いた。

 ロズワールはスバルが『やり直し』をできることは知っているが、それが『死』をトリガーにした『死に戻り』であるとは知らないのだ。
 故に、スバルが自分の意思で『やり直し』を選ぶまで、スバルを追い詰めるつもりでいる。あるいはそれは、一瞬で殺される以上の苦痛を伴うかもしれないが。
 ロズワールにスバルを害する意思がないなら、チャンスはある。

「――全員、入ってこい!!」

 手を上げ、スバルが叫ぶ。
 その声にロズワールが眉を寄せた瞬間、部屋の扉と窓が、隣室と居間の窓や扉も一緒くたに破壊される。そして、寒風とともに中に飛び込んでくる小さな影が、一挙に二十――全員が、薄紅の髪色をした幼い少女だ。

 全員、一揃いの顔立ちの少女がずらりと並ぶのを見て、ロズワールは片目をつむってスバルを見やると、

「複製体の指揮権は、ガーフィールに移っていたと思ったけど?」

「黒幕かもしれないお前のところに乗り込むんだぜ。――手札は、増やしてたさ」

 ――墓所を出て、ガーフィールと口論を交わしたあとのやり取りだ。
 そのままの足でロズワールを問い詰めに向かおうとするガーフィールを説得し、先にスバルはクリスタルの間で、複製体の指揮権をガーフィールから自分へ移譲させた。
 その上でリューズの複製体を、ロズワールの療養する家の外に控えさせ、いざというときに突入させる準備をさせていたのだ。

 ガーフィールの人質となっていたレムは、代表人格であるリューズに任せて、避難民や住人がまとめて避難している大聖堂に連れていってもらってある。
 全ては、ロズワールがこの凶行の実行犯だったときを想定してのことだ。
 ――もっとも、ガーフィールとラムがロズワールに殺害されたことは、当然ではあるがスバルの想定外の出来事だったが。

「それで、私を囲んでどうするつもりなーぁのかな?」

「お前が素手でもあんだけ強いのは驚きだったけど、さすがに多勢に無勢だ。獣化したガーフィールぐらいとんでもだっていうんなら、数がいてもきつかっただろうけど……」

 ロズワールがラムごとガーフィールを貫いたのは、正面きってガーフィールと戦った際の勝算が得られなかったからだ。それでもスバルよりはるかに強いことは間違いないだろうが――、

「二十人からいる数の暴力で封殺する。叩きのめして、押さえ込んで、お前がまだ隠してることを洗いざらい喋ってもらうぜ」

「契約の順守がどれほど大事なのかは、条件下にある君もわかっているはずだーぁけどね」

「残念だが、俺の場合は向こうから勝手に結ばされてた上に、破ろうとしたら強制的に罰が当たるタイプだ。今きてないってことは、セーフラインだよ!」

 狭苦しい家の中に、二十人もの人数が集まればほとんどすし詰め状態だ。
 表情のないリューズ・メイエルの複製体たちは、スバルの呼びかけに従って、茫洋とした顔つきのままでロズワールに飛びかかる。

 迎え撃つロズワールは無手のままで、同時に相手取れるのは当然だが二人まで。
 外の天候を操作していることが仇になり、魔法を行使できないロズワールは数の暴力に押し流されるしかない。
 スバルは辛勝ではあるが、勝利を確信する。だが、

「――確かに多勢に無勢だが」

「――――」

「魔法使いを相手に、数で挑むのはいささか愚かに過ぎる決断だーぁね」

 火炎が横殴りに室内を走り抜け、射線上にあったリューズ・メイエルの複製体が根こそぎ焼き払われる。
 炎の壁、とでもいうべきそれはひた走った進路にあった小さな体をことごとく、足下から頭の先まで一瞬で焼き尽くし、塵にしてマナへと還元させた。

 それがスバルの目には、刹那だけ赤い光と熱波が室内を席巻したようにしか見えなかった。

「魔法は、使えないはずじゃ……」

「天候を操作していたら、ね。残念だーぁけど、私が雪を降らせる理由はもうなくなってしまったんだーぁよ。なので、少し前からもう手は止めていた。言わなかったのは悪いとは思うけーぇどね」

「なん――ぐ、がっ」

 一瞬、言葉を見失った間に接近したロズワールが、スバルの喉を掴んでいた。細い腕のどこにそれだけの力があるのか、軽々と浮かされて足が地から離れ、ばたつかせるスバルをロズワールは振りかぶり、

「ふ――っ」

 背中から、複製体が半分破っていた窓の残り半分をぶち破って建物の外へ。投げ出されたスバルの体が外の雪の上に落ち、転がり、壁にぶつかって止まる。
 泥まじりの雪が口の中に入り、吐き出しながら頭を振って顔を上げた。
 悠々と、残った半分の複製体を引き連れるようにしてロズワールが家から出てくる。命令を下されていないため、複製体は判断に困っているのだ。
 だが、その彼女らに何を言えばいいのか、スバルにもわからなくなっていた。

「これだけやっても、まだ『やり直し』をしないのかーぁね。いーぃや、あるいはすでにしたあとなのかね? 考えてみると、『やり直し』が起きた場合、私の認識がどうなるのかは闇の中だ。これは困ったことになったんじゃーぁないかね」

 這いつくばるスバルのすぐ傍らにやってきて、ロズワールは首を傾げている。
 その道化を見上げながら、スバルは痛みと息苦しさの中で、唐突に浮かんできた疑問を吐き出していた。

「ろず、わーる……お前、何回も何回も『やり直し』がどうとか言ってるが……」

「うん? 大事なお話かーぁな? 聞こう聞こう」

「俺には、お前の方が疑問だよ。他人の『やり直し』を前提に行動してるなんて、どうかしてる。……お前も、本当は」

 記憶を引き継ぐ手段でも、あるのではないだろうか。
 墓所の中、夢の城にひきこもるエキドナがそうであるように、ロズワールもまたスバルが『死に戻り』をした、以前の世界の記憶を引き継いでいるのではないか。
 そうでなくては、ロズワールの飄々とした『やり直し』を望む態度に納得ができないのだ。

「それならそれで、いい。でも、それなら俺は、お前とも……」

 協力だって、できるのではないのか。
 ロズワールの目的が得体の知れない上に、許されないことを重ねた。
 ラムとガーフィールを殺し、エミリアを追い詰めたことは決して許すつもりはない。しかし、ロズワールの力を不要だと割り切って、感情論で押しのけることができるほど状況は恵まれていない。むしろ、切迫している。
 毒を食らわば――なんとやらが適用されるのなら、スバルは毒を呑む覚悟はある。

「――どうやら、そうもいかないようだーぁね」

 しかし、スバルのか細い希望の糸は、ロズワールの首振りに断られる。
 そして目を伏せるスバルから視線を離したロズワールは、立てた指を視線の先へ向けると、

「ゴーア」

 小規模の炎が立ち上り、ロズワールの顔が向いた方角で林が燃える。
 唐突な破壊行為にスバルが目を瞬かせると、木々が焼けて弾ける音に混じって、聞こえた音があった。
 ――それは、小さな小さな、動物の断末魔に聞こえた。

「――まさ、か」

「なーぁるほど。……こういう終わり方か」

 跳ねるように立ち上がり、顔を蒼白にしたスバルは周囲に視線を巡らせる。同じようにその場で立ち位置を変えながら、ロズワールは何度か鋭く指を鳴らし、そのたびに炎と肉の焼ける臭い、耳が痛くなるような高い鳴き声が『聖域』を走る。
 そして、焼け焦げたソレの死骸が音を立てて目の前に落ちたとき、スバルははっきりと理解した。

「おお、うさぎ……!!」

 大兎、その一匹だ。
 森の中からじわじわと姿を見せ始めるそれらに対し、ロズワールが魔法をぶつけては一匹ずつ焼いていく。まとまって出てきても、それもロズワールの餌食だ。
 多勢を相手にする上で、ロズワールに勝る戦力はない。それを目の当たりにしていながら、スバルの心を恐怖が引き掴んで離さなかった。

 目をつむれば、全身を鋭い歯に食い破られた記憶がよみがえる。
 指を、体を、内臓を、食い散らかされた経験の喪失感は筆舌に尽くし難い。
 それをやってのけた魔獣の出現に、スバルは魂が絶叫するのを聞いた。

「けど、まだ五日目で……半日以上、時間があったはずなのに!」

「雪、だね」

「雪――!?」

「天候に干渉するほどの魔法だ。当然、大気中に満ちるマナも段違い。ましてや雪の影響で、大聖堂に『聖域』の全員が集まっている。近場にいた魔獣にとって、わかりやすすぎる餌場というわけだーぁね」

 冷静な考察を述べるロズワールの結論に、スバルは「それじゃ……」と戦慄。
 その理論に従えば、大兎に襲われる『聖域』で一番危ない場所は、

「だ、大聖堂! 大聖堂に急がないと……!」

「もう遅いよ。人数の少ないこちらに姿を見せた時点で、すでに餌にありつけなかったはぐれが出始めているんだ。――もう、残っちゃーぁいない」

「だけど! あそこには……!」

 レムを、連れていってしまったのだ。
 リューズに任せて、レムがあそこにいた。大聖堂には『聖域』の住民も、アーラム村の避難民も全員、百名以上がいたのだ。
 それが揃ってなど、考えたくもない。

「ロズワール! 今は休戦だ! とにかく、大聖堂に行く! 生存者を回収して、とにかく安全な場所に……」

 スバルはロズワールに詰め寄り、その胸倉を掴んで怒鳴りつけた。
 しかし、ロズワールは自分を掴むスバルの腕をやんわりと押さえつけ、

「逃げる? いったいどこに? 結界があるんだ。『聖域』の住人は逃げられない」

「そ、それは……」

「時間が足りなかったんだよ、スバルくん。『試練』が突破されていなければ、住人は『聖域』を越えられない。つまり、君の望みは叶わない」

 突き放されて、スバルは雪の上に尻餅をつく。
 わらわらと、リューズの複製体が倒れるスバルの周囲に集まり、指示を待つ素振りで待機するのが滑稽だった。
 そして、スバルはさらに遅れて気付く。

 さっきまで、目につく魔獣を片っ端から焼き尽くしていたロズワールが、今はその手を完全に止めてしまっていることを。

「ろ、ロズワール! 手を休めたら……まさか、マナが尽きて……」

「いんやーぁ、そんなことはないよ? 私のマナはある種、無尽蔵にあるのでねーぇ。そうそう尽き果てることはない。……尽きたのは、生きる理由の方だよ」

 じわじわと、森から白い毛玉のような生き物が這い出し始めている。
 それは体毛と同じ、白い雪に小さな足跡を残しながら、確実にこちらへ近づいていて。

「や、やり直せるにしても、こんな形で……もっと、ちゃんと話してからにするべきだ! お前は次でもいいと思ってるかもしれないけど……」

「一つ、勘違いしているようだーぁね、スバルくん」

「あ?」

「私は、君がやり直したとしてもやり直せない。君がやり直した先にいる私は、今の私ではあり得ない。私はここで終わりだ。――だが、それでいーぃんだよ」

 呆然と、スバルはロズワールの言葉に打ちのめされる。
 やり直しの適用外だと、ロズワールは自分をそう言ったのだ。それはつまり、ロズワールはスバルが『死に戻り』している可能性を知るだけの人物であり、ここで死ぬということは、このロズワールという意識の終わりを意味するということだ。
 それを受け入れていて、なおもスバルにやり直せと命じてくる。戻った先に、今の自分がいないとわかっているのに、だ。
 その考え方はあまりにも、

「人間の考え方じゃ……ない……」

 意識が連続しているスバルとは違う。
 意識の連続していないロズワールは、死ねばそこで終わりだ。
 その終わりを意識して、当たり前のように受け入れているというのは、異常だ。

「いずれ、君が本当の意味で私に追いつくときがくるよ、スバルくん」

「ろず……っ」

「いいかーぁね、スバルくん。――大事なものだ。本当の本当に、君にとって大事なたった一つのもの。それ以外の全てを削ぎ落す。それ以外の一切を手放し、ただただ大事な一つを守り抜くことだけを考えるんだ」

「――――」

「そうすれば――」

 講釈するように指を立てたロズワール。
 そのロズワールの手首に、すぐ近くまできていた大兎が食らいついた。血が飛び散り、ロズワールの右腕が手首で噛み砕かれ、別の顎に肘が、肩が、一気に胴体にいくつもの牙が食らいつき、肉が引き裂かれる鈍い音。

「ロズワールぅぅぅぅ!!」

「――君も、私みたいになれるさ」

 道化の微笑みが、大きく口を開いた兎の体で見えなくなる。
 群がる白い兎が長身のロズワールの全身を、おびただしい数で覆い尽くした。横倒しになり、無抵抗のロズワールの肉を兎が貪る。貪る。貪る。
 血が散り、肉が弾み、白い雪が朱で染め上げられ、朱に染まる雪すらも惜しいと兎はそれすらも啜り、食らい尽す。

 スバルはただ無言で、ロズワールがロズワールでなくなるのを見ていた。
 ロズワールという存在が世界から失われて、咀嚼されるのを見ていた。

 ――見ていた。

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