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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第一章 怒涛の一日目

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第一章21 『剣聖の威力』

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 風に乗った体は戦場を駆け抜け、入口を通り抜けた瞬間に絶望から解放されたのをフェルトは感じ取っていた。
 背後、振り返る余裕のない世界では、今もなお戦いが続いている。

 大気が凍てつく乾いた音が鳴り、そして塊が鋼に砕かれる音が飛び散り、鈍器が空気を殴り割いて、時たま「ひょえっ」やら「ふわっ」やら無様な回避声が響く。

 戦いは続いているのだ。
 フェルトが逃げ去り、なにもかもを置き去りにしてきたとしても。

「なにを考えてんだ、アタシは。逃げれてラッキーじゃねーか。そーだろ?」

 あの場にいれば、自分が命を落としていたことは明白だ。
 ロム爺すら一撃で打ち倒した女を相手に、フェルトが報いれるチャンスなど微塵も存在しないだろう。それは銀髪のハーフエルフも同じことで、精霊の援護をなくした彼女が太刀打ちできる相手であるはずもない。
 スバルなど、もっとわかりやすくダメダメだ。
 見た目明らかに素人で、場馴れしている気配も欠片もない。手指が綺麗で武器なんて握った試しもなさそうな上に、綺麗な黒髪と肌は傷付いた経験もないのだろう。

 つまり箱入りだ。戦いに出るなんて考える必要もない身分だ。
 バカ高い魔法器を持ってきたのだって、そう考えれば辻褄が合うのだ。
 いい気味だと思えばいい。世間知らずがちょっとばかりの義侠心で、身の程知らずの真似をしでかしたのだと、その無謀さをせせら笑ってやればいい。

「そーさ、逃げよう。もうこの町にはいられねー。あんなおっかねー奴がいるんだ。目を付けられて逃げられなくなる前に、とっとと、早く……」

 貧民街の道の中でも、ここを根城にしている人間しか知らないルートを選べばいい。細く小さく、それこそけもの道のような有様だが、逃走路としてはもってこいだ。
 小柄ではしっこい自分をここで捕まえられる相手などいるはずもない。自分の命を第一に考えるなら、それが最善の手立てだ。
 今頃は死んでいるかもしれないスバルだって、かっこつけて自分を逃がしたのだから、逃げ切ってもらった方が浮かばれるに決まってる。
 決まってるのに、

「――誰か、誰かいねーのかよ!」

 細い道を選べばいいと脳が訴えていたのに、フェルトの足が駆け抜けるのは大通りへ繋がる貧民街の本道だ。切羽詰まった顔をして、息を切らすフェルトの視線は定まらない。
 ボロ屋を睨み、壁を駆け上がり、塀の上で立ち尽くして、彼女は唾を吐き捨てる。

 誰か、ではダメなのだ。
 あの殺人者――エルザに対抗できる力を持った誰かでなくてはならない。
 誰でもいいのならば、今まで駆け抜けた道のりにも人影はあった。だが、フェルトはこの土地で決して好かれている存在ではない。
 ましてや厄介事を抱えている彼女を受け入れる相手など、この場所ではロム爺以外にはいるはずもなかった。

 そのロム爺が、このまま放置しておけば殺されてしまう。
 フェルトを逃がそうとしたスバルもまた、今頃は命の危険にさらされている。
 おかしな感情だった。意味がわからなくて、フェルトは涙目になりそうな自分の瞼を必死で擦る。
 ロム爺ならいざ知らず、あんな出会ったばかりの少年が死んだところで何が悪い。育ちのよさそうな格好で、バカみたいな発言が多くて、考えなしもいいところだ。
 でも、彼はエルザの言葉に泣きそうだったフェルトの代わりに怒ってくれたし、今もこうして彼女を生かすために捨石にすらなってくれている。

 わけのわからない感覚だ。しかし、フェルトの心はそれがあるから走るのを求める。
 少年の行動に、何かを感じてしまった自分がいるのだ。それがあるから、それが熱を求めてやまないから、叫び出したい激情を抱えたままフェルトは走った。

 そして、通りをいくつも駆け抜けた先で彼女は――、

「――お願い、助けて」

「わかった。助けるよ」

 赤い炎のような青年と出会い、運命を揺るがした。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「……ラインハルト、か?」

「そうだよ、スバル。さっきぶりだね。遅れてすまない」

 腰砕けになったままのスバルに、首だけで振り返る長身――ラインハルトが申し訳なさそうに薄く微笑む。
 屋根を貫いて、おおよそ五メートル近い落下をしたにも関わらず、軽く足を踏み出す姿には一切の影響が感じられない。埃を払う一動作にすら洗練されたものを感じ、スバルは路地裏でのトンチンカンとの相対とは一味違う、彼の本質の一端に触れた。

 ラインハルトは油断ない仕草で前を見て、自身に敵意をぶつけてくる黒衣の麗人を見やる。ふと、その青い瞳が何かを思い出すように細められ、

「黒髪に黒い装束。そしてくの字に折れた北国特有の刀剣――それだけ特徴があれば見間違えたりはしない。君は『腸狩り』だね」

「なんだその超物騒な異名……」

「その殺し方の特徴的なところからついた異名だよ。危険人物として、王都でも名前が上がっている有名人だ。ただの傭兵という話ではあるけど」

 スバルの呟きに律儀に応じて、ラインハルトは透き通る青い双眸でエルザを見据える。その視線にエルザは身じろぎし、

「ラインハルト――そう、騎士の中の騎士。『剣聖』の家系、ね。すごいわ、こんなに楽しい相手ばかりだなんて。雇い主には感謝しなくてはいけないわね」

「色々と聞き出したいこともある。投降をお勧めしますが」

「血の滴るような最高のステーキを前に、飢えた肉食獣が我慢できるとでも?」

 薄い唇を赤い下で艶めかしく舐めて、エルザが恍惚の表情でラインハルトを見る。
 彼はその視線を受けて「ですよね」と困った仕草で頬を掻き、

「仕方ない。スバル、少し離れていて。できればあの老人を安全圏へ。そのあとはあの方の側にいてくれると助かる」

「かしこまり。……化け物みてぇな女だから、油断しないでな?」

「幸いなことに、怪物狩りは僕の専売特許でもあるんだ」

 頼もしく言い残して、ラインハルトは気負う様子もなく歩き出す。
 腰に下げた剣には手も触れず、無手のままの前進だ。
 その余裕綽々な態度にスバルは思わず息を呑んだが、それ以上に仰天する羽目になったのは直後に戦端が開かれてからだ。

「――しっ」

 鋭い呼気を放ち、エルザが手にしたククリナイフを首目掛けて一閃。
 走る銀色はスバル相手の手加減を失い、空気すら殺し尽してラインハルトの細い首に襲いかかる。対するラインハルトは完全な無防備。防御に剣を抜くどころか、回避行動すら取ろうとしない。
 そのまま刃が振り抜かれ、スバルはラインハルトの首が吹っ飛ぶ幻影を見た。血飛沫が噴き出し、漫画のように遅れてラインハルトの首が落ちる。
 そんな光景を幻視したのだ。だが――、

「女性相手に、あまり乱暴はしたくないんですが……」

 心なしか声のトーンを落として、紳士的にラインハルトは前置き。そして、

「失礼」

 踏み込みで床が破裂し、衝撃波が発生するほどの蹴りがエルザを吹き飛ばしていた。

 爆風の余波がスバルにまで襲いかかり、風にあおられてスバルは絶句する。
 なんの変哲もない前蹴りに見えたものが、その威力の余波だけで家屋を揺るがす風を生んだのだ。直撃を受けたエルザの体は木の葉のように飛び、壁を足場に勢いを殺し、転がるように地面に降り立った彼女の顔にも驚愕が張り付いている。

「いやいやいやマジかよ……なんじゃ、そら」

 規格外、という言葉をこれまでにも何度も利用してきたが、スバルは今ここで初めてそれらの定義が完全に間違っていたと確信する。
 規格外という言葉はまさしく、この目の前のイケメンのためにあるのだ。
 彼に比較すれば風のように走ることも、棍棒を小枝のように振るうことも、尋常の域を超えた戦闘センスも、圧倒的物量を誇る魔法力も、その全てがかすむ。

「噂通り……いえ、噂以上の存在なのね、あなたは」

「ご期待に添えるかどうか」

「その腰の剣は使わないのかしら。伝説の切れ味、味わってみたいのだけれど」

 エルザは無謀にもラインハルトの剣を指差し、本気の彼との対面を望む。
 しかしラインハルトは彼女の希望に首を横に振り、

「この剣は抜くべきとき以外は抜けないようになっている。鞘から刀身が出ていないということは、そのときではないということです」

「安く見られてしまったものだわ」

「僕個人としては困らされる判断ですよ。ですから――」

 ついと視線をそらし、ラインハルトは盗品蔵の中を見渡す。と、彼は壁際に立てかけてあった、今は床に倒れた盗品の中からおんぼろの両手剣を発掘。
 柄を足で跳ね上げて、回転するそれを易々と掴むと、確かめるように軽く振り、

「こちらでお相手させてもらいます。ご不満ですか?」

「――いいえ。ああ、素敵。素敵だわ。楽しませてちょうだい、ね!」

 獲物を握ったラインハルトに対し、先制するのは身を横に回したエルザだ。
 直後、彼女の回転する体から投げナイフが射出される。その数はなんと一度に四本。フェルトを狙ったときはこれもまた手を抜いていたのだ。
 高低差のある刃は速度こそ偽サテラの氷塊に劣るが、弾道の違いが回避行動の妨害を生んでいる。即ち、ナイフを防ぐには弾くしかないが、

「当然、生じた隙には乗じさせてもらうわ」

 バネ仕掛けの人形のように、エルザの体が大きく跳躍。天井を足場にするように逆さまになり、膝を伸ばす再跳躍でラインハルト目掛けて飛びかかった。

 ナイフを弾いても、後続のエルザを迎え撃たなくてはならない二段構えだ。
 四つとひとつの緩急をつけた攻撃、これに対してラインハルトは剣を正面に構え、

「すまないが――飛び道具は僕には届かない」

 呟きの直後、スバルの目は物理法則が狂うのを確かに見届けた。
 直線上にラインハルトの身を置いていた投げナイフ――それがふいに軌道を変え、彼の体をそれて無人の壁へと狙いを外したのだ。
 特殊な魔法を使ったようにも見えなければ、目にも止まらぬ速度で剣を振るったというわけでも当然ない。それはエルザの初撃を無防備に受けたはずの展開と同じく、理不尽を目にしたような不可思議な光景だった。

「矢避けの加護――!」

「生まれながらに与えられたものでね……不公平とは思わないでほしい」

 ナイフは牽制の役目すら果たさず、続く交差は真っ向からの一騎打ちと化す。
 斬撃に跳躍の速度を乗せるエルザ、それを受けて立つラインハルトは剣を真下から上へと振り抜く構えだ。
 刹那の攻防にも関わらず、スバルにはその光景がゆっくりと捉えることができた。

 それはラインハルトの動き、それ全てが洗練されたもので、一連の動作に神々しさすら付加する魔技じみた技量を垣間見たからかもしれない。
 彼の手の中にあっては、場末の蔵の中から盗まれた粗悪品の刃ですら、まるで伝承に語り継がれる名剣のような輝きを放ってみせる。

 まさしく、その剣に込められた性能を余すところなく絞り出す剣技。
 刃は狙い通りにククリナイフの刃元に命中――鋼同士の衝突にも関わらず、そのあり得ない切断力でもってエルザの手から刀身を舐めるように奪い去っていた。

 地に手をついて身を回し、手の中の獲物の末路にエルザは言葉もない。
 刀身だけが切り落とされたナイフには柄だけが残り、そして切り落とされた刀身は、

「武器を失ったのなら、投降をお勧めします」

 振った刃を下に払い、振り返るラインハルトの片手が掴み取っていた。
 掴んだ刀身を手首のひねりで投じて、鋭い音で壁に突き立つのをラインハルトは見もしない。ごくり、とエルザの喉が息を呑む音がスバルにも聞こえた。

「尋常じゃ、ねぇな。俺も茶化す気力もわかねぇよ」

 絞るように感想を漏らして、スバルはいそいそと戦場から距離を置く。
 そのまま倒れているロム爺の側に近寄り、巨体を引きずってどうにか壁際へ。

「ロム爺、ロム爺。おい、ハゲ、コラ、生きてんのか?」

「うぅ……誰が……ハゲ……」

「あんたに決まってんだろ、他にいるか。俺はハゲとデブにならないことだけが人生の目標なんだぞ。あんたは俺にとって反面教師その一だ」

 弱々しいながらも返答をする額を叩いて、スバルは安堵の吐息をこぼす。
 頭部に深刻なダメージがあった以外、この老人は問題ないだろう。ちょっと記憶は残念なことになるかもしれないが、命があるなら些細な問題だ。

「その人、大丈夫そうなの?」

 と、肩の荷を下ろすスバルに駆け寄ってきた偽サテラが声をかけてくる。
 彼女は長い銀髪を背中に流し、昏倒するロム爺のケガの具合を確かめて、「これは治療しないと」と呟き、淡く青い輝きを掌にまとい始めた。

「おいおい、言っとくけどこの爺さん。お前の徽章を盗んだ一味だぜ?」

「だからよ。無事に治ってもらって、その恩を逆手に情報を聞き出すの。命の恩人相手なら嘘なんてきっとつかないわ。これも私のための行為よ」

 いちいちそうやって言い訳しないと、自分の行為を正当化できないのだろうか。
 ほとほと遠回しな彼女に苦笑しつつ、スバルは戦局の方に視線を送る。

 膝を屈したままのエルザの表情は見えないが、ラインハルトは彼女から戦意を奪ったと判断したのだろうか。ボロ剣を持つ手を下げたまま、無防備にエルザに歩み寄る。
 技量差に自信があってこその行動だろうが、慢心が生むのは常に最悪の結果だ。スバルの中でなにがしかの警鐘が鳴り、エルザの身が跳ねるように動く直前、

「二本目があるぞ、ラインハルト!」

 腰から引き抜かれた二本目のククリナイフが、のけ反るラインハルトの赤い前髪をわずかに切り捨てる。
 奇襲を回避されたエルザはその黒瞳をスバルに向けて、

「よくわかったわね」

「実体験があったんでな!」

 中指を立てて自慢にならない自慢、エルザはそれを戯言と判断したのか聞き捨てて、

「ただし、牙は二本だけではないの。……仕切り直しに付き合っていただける?」

「全ての武器を切り落とせば、満足してもらえるかな」

「牙がなくなれば爪で。爪がなくなれば歯で。歯がなくなれば骨で。骨がなくなるのならば命で。――それが戦闘狂というものよ」

「それなら、その看板を折らせてもらうとするよ」

 腰から三本目のナイフを抜き、二刀流を構えるエルザが再び跳躍する。
 刃と刃が交錯し、鋼同士の激突に火花が飛び散った。受けられた刃を起点に、もう片方の刃がエルザの腕から放たれる。
 しなる刃はラインハルトの首を狙うが、それは跳ね上がる長い足に腕を蹴られて届かない。弾かれる勢いのままに下がるエルザ。彼女はその勢いすら利用して壁に足を伸ばし、反動を利用して天井へ。そして天井を蹴り、また別の壁へ。

 蜘蛛女、とスバルが彼女を罵倒した通り、彼女は部屋の重力を無視した機動でラインハルトの攻撃を集中させない。
 一撃離脱の戦法が縦横無尽に襲いくるのを、ラインハルトはその場から一歩も動かずに迎撃に徹することで防ぎ続ける。だが、切りがない。

「まさかラインハルトですら、決め手に欠けるってんじゃねぇだろうな……」

 エルザの技量の人外ぶりは、もはやナイフ一本だけのときとは段違い。
 ボスキャラの第二形態みたいなものだ。生態が違うレベルの変化である。
 それを迎え撃つラインハルトも、見せつけた加護(それが何なのかイマイチわかっていないが)の強力さと戦闘力もあって同じく人外の領域。
 まさしく天上人同士の激突に違いない。ただしそれでも、ラインハルトの方が実力的には上ではないか、という楽観じみた考えがスバルにはあるのだが。

「……こっちに、気を遣ってるのよ、彼は」

 スバルの疑問に応じるように、ロム爺を治療する偽サテラが呟く。
 「え?」と声を上げるスバルを横目で見て、彼女は気まずげに唇を噛み、

「私が精霊術を使ってるから、彼は本気が出せないの。せめて、この人の治療が終わるまでは……」

「どういう因果関係?」

「ラインハルトが本当に戦うつもりになれば、大気中のマナは私にそっぽ向くもの。――そろそろ治療が終わる。合図したら、彼に声をかけて」

「あ、ああ」

 イマイチ要領を得ない説明だったが、頼まれたスバルは戸惑いつつもそれを了承。
 青い輝きはロム爺の頭部に浮いていた打撲と、小さな出血のあった傷を癒し続けている。次第に血の跡や傷口が消えてゆき、感嘆するスバルの前で偽サテラが深い息を吐いた。
 布で傷跡を拭ったあとには、ロム爺の意識を奪った一撃の痕跡はどこにもない。
 その見事さに「ほぅ」と吐息するスバル、その肩を少女が叩き、

「お願い」

「お任され。――ラインハルト! よくわからんが、やっちまえ!」

 防戦一方だったラインハルトに対し、スバルが治療完了の報を投げ込む。
 ちらりと視線だけで振り返るラインハルト。彼はこちらを見て、スバルと視線を合わせるとかすかに顎を引いて応え、

「――なにを見せてくれるの?」

「アストレア家の剣撃を――」

 跳ねるエルザの問いかけに、ラインハルトが短く厳かに応じた。


 ――直後、盗品蔵の中の空間が引き歪むような感覚をスバルは得た。
+注意+
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