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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第四章 永遠の契約

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第四章52 『些細な変化』



 目覚めてスバルが最初に確認することは、今が現実であるかどうか。
 夢と現の狭間を行き交うことが多く、このしばらくはその境が曖昧になりがちだ。ましてや『死に戻り』の戻る地点が、意識の戻る直後の場合は脳が寝ていることが多いため、丸きり寝覚めと同じ状態に陥ることがままある。

「――う、げっ」

 意識が現実に舞い戻り、最初に感じる口内に入り混じった土埃の味。
 苦み走るそれを唾と一緒に吐き出して、上体を起こしたスバルは周囲を見回す。薄暗い空間、湿った冷たい空気、不安になるぐらいの静寂――墓所の中だ。

「戻ってこれた、か……」

 持ち上げた両手を開閉しながら、体の感触を確かめてスバルはそう呟く。
 『死に戻り』の直前、自分がどうやって死亡したのか、それを回想しながらだ。

「影に呑まれかけたときはどうなるかと思ったけど……自殺した甲斐はあったか」

 鋭い感触が喉を穿つ感覚を思い出し、傷のあったはずの喉仏に触れてスバルは安堵の吐息を漏らした。
 込み上げる血が喉を塞ぎ、肺を浸して溺れるような苦しさ。遠のいていく意識と喪失感は、すでに何度も味わった『死』であっても色褪せることはない。
 何度味わおうとも、『死』はいつだって新鮮な苦しみをスバルに与える。それでも、

「戻ってこれなくなるような……取り返しがつかない事態よりずっとマシだ」

 戻ってこれたことを、あの場で躊躇わずに『死』を選べたことにいくらかの満足感を覚えながら、スバルは『死に戻り』への考察を一時棚上げ。
 無事にこの時間に戻ってこれたことを実感するのはまだ早い。

「戻ってこれたことに感激してる場合じゃねぇ。とにかく、やることを整理して、やるべきことやって、それから……」

 それから、己の覚悟を問い質すべきだ。
 目をつむり、スバルは一度だけ深呼吸。そしてそれから目を開いたときには、もう戸惑いの感情を瞳には残していない。ただ、やるべきことを見つめている。

 立ち上がり、体の埃をはたきながらスバルは部屋の中を見渡し、少し離れたところに横倒しになる少女を見つける。
 エミリアだ。『試練』の真っ最中である彼女は今も、自らの過去と向き合いながら苦悶の表情を浮かべているところだろう。

 駆け寄り、その体に手を伸ばして目を覚まさせようとする。彼女を連れ出し、墓所の外でラムたちと合流し、その後の流れはひとまず考えがある。
 と、そこまで思考したところで、ふいにスバルは自分の腕がエミリアに触れる直前で、その指先を震わせていることに気付いた。

「……なんだ?」

 指先の震えに目を丸くして、スバルは何事かとその手を顔の前へ。その震えを押さえようとスバルは脳からの指令を送るが、震えを自覚した指先はその指令を無視して震え続けている。そして、スバルは遅れて気付く。
 かちかちと、自分の歯が噛み合わずに鳴っていることに。

「手と歯が震えるって……何事だよ……」

 自分の体に起きた変調に驚きながらも、スバルはその意味を内心では理解していた。
 エミリアに触れようとした途端に、過った光景が震えの理由だ。

 ――死ぬ間際、スバルを見下ろしていた感情の凍えたエミリアの顔。

 『嫉妬』の魔女、そのものがあのとき、『聖域』には降臨していたのだと思う。そしてなぜかそれはエミリアの肉体で影をまとっていて、最後の瞬間にスバルはそれを目の当たりにしてしまった。

 おそらく、魔女は墓所の中で眠るエミリアの肉体に憑依していたのだ。
 ペテルギウスという、他人の肉体に憑依する能力を持っていた存在を知っているスバルには、その可能性をすんなりと呑み込むことができた。
 そして、魔女がエミリアの肉体を狙った理由は簡単なことだ。

 ぺらぺらと茶会で禁忌の言葉を口にしたスバル。そのスバルに罰を与えようと顕現した魔女は、しかし茶会の場に踏み込むことができなかった。代わりに目についたのが、スバルの傍らで眠るエミリアだったということだ。
 そのまま魔女は彼女の肉体を奪い、『聖域』を影で満たし、ガーフィールを殺してスバルを影で呑もうとした――それが先の、顛末といえるだろう。

「そこまでわかってて……まだ震えんのか、俺の体は……っ」

 冷静にその顛末を振り返る余裕がある一方で、あの異形を前にしたことへの恐怖を忘れることができない弱い心。
 今のスバルの考察が正しいのであれば、あれは『死に戻り』直後にスバルが茶会へ招かれたことが原因で起きた惨劇だ。つまり、茶会への参加をしていない今回はその地雷を踏んでいない。
 ――エミリアに、魔女が宿っていないことは九割以上保証されている。

 それでもなお、スバルの肉体が恐怖で拒絶反応を示すのは、ただの臆病だ。
 最悪の想像を捨て切れないでいるだけだ。

 すなわち――『嫉妬』の魔女は果たして、『死に戻り』を隔てたぐらいでスバルを追いかけてくるのをやめてくれるのだろうか、という。

「――――」

 スバルを『死に戻り』させているのは『嫉妬』の魔女である。
 これがスバルの見解であり、エキドナもこの意見を肯定している。これまでの魔女の出現と前回の最後、それらを鑑みても間違いないだろう。
 魔女はいかなる理由か、スバルが『死』で終わることを望んでいない。その点にだけは感謝してもいい。その点に、だけは。

 問題は、それほど偏執的なあの『嫉妬』の魔女が、それだけの力を持つ魔女が、現実に干渉してくるまでに妄執を強めたあの魔女が、スバルを諦めるだろうかという点だけだ。

「――――」

 仮に魔女が時間を遡る力を持つのであれば、スバルに適用したそれを自分に適用することができない、というのは楽観でしかない。
 スバルが『死』で世界を巻き戻したように、魔女もまた時間を遡って、スバルを追ってきていないとどうしていえる。

 怖気づく心、そして出ない答え――その答えが今、目の前で横になっている。

「…………」

 エミリアに触れて、彼女を『試練』から呼び起こせば全てがわかる。
 起き上がった彼女がいつものように、銀鈴の声音でスバルの名前を呼んでくれれば、スバルはこの恐怖から解放されることができる。
 だがもしも、それが叶わなかったとしたら?

「……そのときは、もう終わりだろうな」

 舞い戻るたびに魔女が目の前に顕現するのであれば、それはもう手の着けようがない。『嫉妬』の魔女の強さは絶対的で、影で『聖域』を覆い尽したあの強さにはこちらの現存戦力で太刀打ちできるビジョンがまったく浮かばない。
 ガーフィールすらあっさりと葬られた悪夢を前に、どんな対抗手段がある。
 つまりは、ここが分水嶺なのだ。

「死んで、戻ってこれるかも確実じゃないなら……今、目の前にいるエミリアがエミリア自身なのかそうでないのかすら不確実、か。なんだ……馬鹿だな、俺」

 置かれた状況を改めて把握して、スバルは柔らかく息を漏らした。
 気付けば指の震えも、歯の根の恐れも消えている。自覚して、やっと気付けた。

 全てが曖昧で不確実で不確定で、そんなこと。

「誰の身にでも起きる、当たり前のことじゃねぇか」

 未来がわからないことも、一秒先のことを不安がるのも当たり前のことだ。
 少しばかり先を知れる可能性があるからといって、なにに怯えるというのか。
 そんな、生きることを恐れるに等しい馬鹿馬鹿しい怯えなど、

「……ぅ、やだぁ……」

 今、こうして目の前で、自分の過去に押し潰されそうな愛しい少女の姿と比べてしまえば、なんとちっぽけでくだらない躊躇いだというのか。

「――エミリア」

 名を呼び、スバルは震えの止まった指先でそっと彼女の頬に触れる。
 白い頬。滑らかで触れた指先から溶けそうな熱を伝えてくる肌。伏せられていた瞳、長い睫毛がかすかに震えると、下から弱々しい光を灯す紫紺の双眸が覗く。

 現実に引き戻されたエミリア。彼女はそのまま何度か瞬きし、すぐ目の前にスバルがいることに気付いて、

「……すば、る?」

 震える瞳がスバルを捉えて、焦点を結ぶと名前を呼ばれる。
 その声が、目の色が、態度が、スバルの知るエミリアそのものであったから、

「――ああ、そうだよ」

 さっきまでスバルの全身に重々しく絡みついていた不安の影が、一斉に掻き消えていくのがスバルには感じられた。
 どうにか応じた言葉に長い息が続き、上体を起こそうとする彼女の背を手で支えながら、脱力しているのを自分で感じる。

 そんなスバルとは対照的に、起き上がったエミリアはきょろきょろと忙しなくあたりを見回す。まだ少し頭が重いのか、現在地を確認したエミリアは額に手を当てながら「えっと……」と呟き、

「ここって……私、さっきまで……」

 疼痛に悩まされたまま、エミリアは両目をつむって眠る前の記憶に思いを馳せ――眠っていた間のことを思い出す。
 記憶を暴かれたことを思い出したエミリアが目を見開き、それから彼女はその桃色の唇を震わせてスバルを目にした。

 感情の波に揺れる紫紺の瞳。頭の中はきっと、過去のことでめちゃくちゃになっていることだろう。『試練』から揺り起こされたエミリアが取り乱すことをスバルは知っている。だから、こうして取り乱す直前の彼女を静かに見ていることもできた。
 震える彼女を優しく抱きしめて、傷付けないように言葉を選んで、大丈夫と慰めて安心させて、それで――。

「……スバル?」

 そう思って準備をしていたスバルを前に、しかしエミリアはその想像とは全く違った反応を見せた。
 取り乱しかけていた瞳が落ち着きを取り戻し、震えていた唇がより強い感情にせき止められたように結ばれる。そしてエミリアはそっと持ち上げた手をスバルへ伸ばし、

「どうして、そんなに泣きそうな顔をしてるの?」

「……ぇ?」

 エミリアの指先がスバルの頬を撫で、そのまま驚きで見開かれた瞳へ滑る。目尻を掠める白い指、それが溢れかけていた涙をなぞったのを見て、スバルは自分が今にも泣き出しそうなぐらいに涙を溜め込んでいたことに気付いた。
 なぜ、と自覚したそれを己に問い質す暇もない。

「ぁ、う、え?」

 震えが、唐突にきた。
 さっきの指や歯が震えたのとは別次元の、堪えようのない震えだ。

 全身を震わせ、体中から力を奪う類の震え。膝立ちでエミリアと向き合っていたスバルはそれに抗うことができず、震える全身を抱くようにして縮こまるしかない。
 震えの根幹がなんであるのか、弛緩する体を抱くスバルは理解していた。

 エミリアに触れる直前、あの震えがエミリアが魔女になり替わられてしまったのではないか、ということへの恐怖であったのなら――。

「大丈夫、スバル。大丈夫、大丈夫だから。私、ここにいるから――」

 そう言って、震えるスバルの体をエミリアが横からそっと抱いてくれる。
 薄い服の布越しに、互いの温度を感じる。静かな鼓動が彼女の全身から伝わってことに、体の熱さより心の充足感を覚えた。

 ――エミリアが魔女になり替わられてしまう可能性の恐怖に怯えたあと、それがなくなったとわかって、スバルは安堵感で動けなくなったのだ。

 心で開き直ったつもりでも、肉体はそれを全く反映していなかった。
 鋼の心も、その心を守るにふさわしい強靭な肉体も、どちらもスバルには遠い。

 エミリアの体温を、鼓動を、優しさを感じたまま、スバルはそんな自分の情けなさに歯噛みして、それでも安堵を感じずにはいられない。

 静かに、静かに、静かに、墓所の中で二人はしばらく、そうして抱き合い続けていた。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「落ち着いた?」

「あ、ああ……その、ごめん。なんか変な風に騒がせちゃって」

 スバルの震えが収まるまで続いた抱擁。
 その終わりにエミリアからの問いかけがあって、自身の情けなさに赤面するスバルはそう謝罪を口にする。それを聞き、エミリアは「ううん」と首を横に振り、

「いいの。最近、私ってスバルに頼ってばっかりだった気がするから。たまにこうしてスバルの方が、私に弱いところを見せてくれると……ちょっと、安心する」

「殺し文句だよ。……できれば、そういうとこはあんまりエミリアたんには見せたくないんだけどさ」

「どうして?」

「エミリアたんにはいつだって、強そうに振舞ってかっこつけてる俺を見ててほしいからだよ。俺が本当は弱くて情けなくてどうしようもない奴だなんて、そんなとこは知られたくねぇな」

「ちょっと弱いところ見たぐらいで私、スバルのことそんな風に思ったりしないよ?」

 優しいエミリアの言葉だが、スバルの見栄はそれを拒絶する。
 彼女がそういう性格ではないだとか、弱いところを見せたら失望されるであるとか、そういった問題はまったくもって本質的ではない。
 ただ単にこれは、スバルの――男の子の事情によるものなのだから。

「弱いところも包み隠さず見せて、本当の自分を知ってもらいたい……ってシナリオも俺は泣き系シナリオとしちゃかなり好きな方なんだけどな」

「泣き系……なに?」

「こっちの話。エミリアたんには強いとこだけ見せたい。男の意地なんだよ、これ」

 益体のないいつもの話でさっきまでの気まずさを流して、スバルは首を傾げるエミリアに苦笑。それからその表情を引き締めると、

「それで、『試練』のこと聞きたいんだけどさ……」

「――うん」

 恐る恐る差し出した問いかけに、一拍置いたエミリアが顎を引いて応答。
 その反応にスバルは一瞬、短い驚きを得た。『試練』という単語を聞いた彼女の態度が、これまでのいずれとも違ったものだったからだ。
 おそらくは目覚めた直後、『試練』失敗の衝撃を抱えたまま現実に向き合わされる過程――それを、意図しなかったスバルの情けない一幕が流したからだ。

 あの抱擁の時間がエミリアに、わずかではあるが『試練』失敗の衝撃を落ち着かせる時間を与えた。そのことが今、彼女が平静を保っている理由の一端だろう。

「俺の弱腰なとこが役立つこともあんだな……」

「スバルは、どうしてここに? ここは私しか入れないはずじゃ……」

「いや、俺は……」

 と、素直に応じかけたスバルはそこで言葉を切った。
 そして思考する。――果たして、ここでどう答えることがもっとも正しいのかと。

 正直に資格を得たことと、『試練』を乗り越えたことを告げるのは容易い。が、それを選んだ場合、エミリアを襲うのは『試練』失敗の自責の念と、その『試練』を乗り越えたスバルへの劣等感である気がする。
 劣等感は焦燥感へ繋がり、自己嫌悪と責任感の狭間でエミリアは苦しむことになる。そうなってしまえば、この場で彼女が平静を保っている現状の意味がなくなる。

 これまでと違う形でエミリアが『試練』に向き合える可能性が残った以上、スバルはエミリアのその可能性を尊重すべきではないだろうか。
 それでエミリアが『過去』と向き合って越えられるのか、その本質的な部分への変化が生じるかどうかは別として。

 ――試してみる価値はあるな、とスバルは思った。

「俺は、エミリアたんがなかなか出てこないから心配になって思わず。どうにか意識持ってかれるの堪えながらきたんだけど……ここまで辿り着いたとこで、やっぱり昼間と同じ感じになったみたいだ」

「そう、なんだ……ごめんね、心配かけて」

「いや、けっきょく中で五体投地してたのは俺も一緒だし、心配かけたっつったら現在進行形で外の連中にかなーって」

 スバルが中に飛び込んで以降、反応がないことにやきもきしているのは外の面々も同じはずだ。そのことに気付いたエミリアが「あっ」と顔を上げて、

「と、とにかくみんなのところに戻らないと……スバルのことも、心配かけちゃってるわよね」

「俺の生死は最悪どうでもいいから、エミリアたんの無事だけでも伝えてやらないとマズイことになるよね」

「……そんな風に、言ったらダメじゃない」

 悪ノリしたスバルの言葉に、エミリアが咎める目を向けてくる。彼女の視線に「ごめん」と小さく肩をすくめて、二人は揃って墓所の外へ足を向けた。
 その途中でスバルは「ところで」と言葉を継ぎ、

「聞いてもいい? その、『試練』のことってさ」

「……ごめんなさい。私、『試練』に失敗しちゃったみたい」

「それは……うん、反応でなんとなくわかってた」

 申し訳なさそうに視線をそらすエミリア。その彼女の方を見ないようにしながら、スバルは知っていた事実をさも今知ったかのように振舞う。
 そうした態度をとることへの罪悪感はあったが、スバルは首振り一つでその躊躇を殺すと、

「じゃあ、これで全部終わり……ってことになっちゃうのか?」

「そうはならないみたい。……挑もうと思えば何回でも挑める。不思議なんだけど、それがわかるの。でも」

 エキドナから直接的に言われた『試練』の性質。スバルにとっては既知の情報であったが、どうやらエミリアはそれを無意識下で知らされているらしい。
 最後の部分で言葉を切ったエミリアはいくらかの躊躇いのあとで、

「ううん、なんでもない。今日はもうダメみたいだけど、明日も挑んでみる」

「平気、なのか? きついなら少し日を開けても……それこそ、もっと傾向と対策を練ってから挑んだ方が勝率だって」

「ありがと。……でも、そういうことをしてどうにかなる問題じゃないって、私はわかってる。わかってるの」

「……話したら楽になるかもとか、わかったような口を利いてみるけど」

 横目にエミリアを見ながら告げると、彼女はスバルのその視線を見上げて唇を震わせる。そのまま、胸中でないまぜになる感情を溢れさせかけたエミリアだったが、直前で思いとどまったように目をつむり、

「――ごめん。私、今のこの気持ちをスバルに見せたくない」

「エミリアたんのどんなとこ見ても、嫌いになったりとか絶対にないけど」

「スバルにどう思われるかが恐いとか、そういうことじゃないの。ううん、それもあるけど……それよりも、もっと恐いこと」

 それきり、エミリアは口をつぐんでしまった。それでも彼女の紫紺の瞳に宿る意思の強さが揺らがないのを見て、スバルは焚きつけるのに成功したのを確認。
 ああしてスバルがフォローする姿勢を見せれば、エミリアはそれに甘えて弱いところを晒そうなどと、ましてや縋り切ってしまおうなどと思わないはずだ。

 そうしてエミリアの心すら、わかったような態度で掌の上で転がす自分に嫌悪で吐き気すら催す。――必要なことだと、割り切ってしまえたらいいのに。

「――エミリア様!」

 自己嫌悪を噛みしめたまま、歩き続けていたスバルを現実に引き戻したのは、ふいに差し込んだ月明かりの眩さと、隣に立つ少女を呼ぶ声だった。
 青白い月光が墓所の入口を照らし、外に踏み出した二人を涼やかな風が出迎える。そしてふと下を見れば、『試練』に臨んだエミリアを待っていた面々が揃ってその表情に安堵を浮かべているのを見取ることができた。

 エミリアを最初に呼んだのは、どうやらラムのようだ。エミリアの健在を確認したラムは珍しく安堵に胸を撫で下ろし、それからエミリアの隣に立つスバルを見て、

「それとバルス、ご苦労様」

「おおう……まさか、お前から労いの言葉をかけられるとか思ってなくてマジ驚き。なにその殊勝さ、らしくねぇよ?」

「たまにちゃんとした手柄を立てれば、こうして労いもするわ。少なくとも、無事にエミリア様を連れ帰ったことは評価してあげる。ロズワール様も、お喜びになるわ」

 安堵の大半は主への報告が理由のようだが、素直に労われたことは新鮮な喜びをスバルに与えた。それからスバルはへらへらと笑いつつ、その視線だけは何気なさを装ってラムの隣――並ぶ出迎えの面々の中、離れて立つ金髪の青年を捉えた。

 木の幹に背を預けていたガーフィールは、組んでいた腕を解きながら億劫そうな足取りでこちらへと歩いてきている。その仕草や態度に不審な点は見当たらないが、彼がその気になれば一瞬で距離など無意味になる。
 墓所を出て、ましてや『死に戻り』直後と『死に戻り』した理由が理由だ。感じられない自分の今の『悪臭』とやらがどうなっているものか、考えるだに恐ろしいスバルは彼へ最大限の警戒を払っていた。
 そして、全身を緊張させるスバルの前にやってきたガーフィールは開口一番、

「中に突っ込んでく無謀をやらかしたときァどうなるかと思ったけどよォ。無事に戻ってっきて安心したぜ。『ガフガロンの実は風で落ちない』たァ思ってても、ひやひいやもんだったしなァ」

「痛ッ! おい、ちょ、痛いっつの!」

 そう言って笑いながら、スバルの肩を乱暴に何度も叩いてきた。
 骨まで痺れるような威力に、スバルは一瞬「まさかこれがさりげなさを装ったガーフィールの暗殺か!?」と疑ったが、牙を見せて笑う彼からその邪気を感じない。
 純粋に、二人が無事に戻ったことを歓迎しているような態度。予想と違う反応をまたしても返されて、スバルの方は肩透かしの感情を隠せず、

「それだけ……か?」

「あァ? んっだよ。頑張ったご褒美に頭でも撫でてほしいってのかよォ」

「エミリアからならまだしも、お前からとか誰得だよ。そうじゃなくて……」

 その肩透かしに言及しかけて、スバルはわざわざ藪蛇を突く必要もないと考え直す。ガーフィールの内心がどうあれ、即座に仕掛けてくる気がないのは幸いだ。
 いずれにせよ、彼がその牙を剥く条件はスバルの中でも明文化されつつある。問答無用、という最悪の条件が覆されたのであれば、それは歓迎すべきことだった。

「お前とどう付き合ったらいいのかも、俺にとっちゃ頭を悩ませる問題だよ」

「わっけわっかんねェこと言い出してんなァ、オイ」

「それもこっちの話、だ。とにかく、詳しい話は腰を落ち着けてしよう。まずはエミリアを休ませてやりたい。今後のスケジュールも、そっちでだ」

 指を一つ立て、そう提案するスバルに逆らうものはいない。
 エミリアが皆に一度、「ごめんね」と申し訳なさそうに謝ったあと、彼女の手を引くラムを先頭にのしのしと集団は『聖域』を進み、落ち着く場所――これまで同様、リューズの家がその場所に選ばれる。

 エミリアが取り乱さなかったこと。『死に戻り』したてのスバルに対し、あくまで友好的な態度を崩さなかったガーフィール。
 いくつかのこれまでと違う条件を前に、スバルは自分がどう立ち回るのが最善なのか、どう『死』を迎えることが最善なのか、模索し続ける。

 知らなければならないことが、試さなくてはならないことが多すぎる。
 最善の未来を掴むために、何度、犠牲を払わなくてはならなくなることか。

 自分の命を勘定に入れないまま、打算的に計算する自分にスバルは気付かない。

「――――」

 そんなスバルを背後からじっと、見つめているリューズの姿にも、スバルは気付かない。
 気付けない、ままだった。
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