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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第四章 永遠の契約

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第四章45 『茶会の条件』


「――いる」

 固く目をつむり、スバルは訪れるだろう激痛の指先に歯を食い縛って耐える。
 だが、その悲壮なまでの決意は、

「……え?」

 言い切ったにも関わらず、スバルの身になんの変調をもたらすこともなかった。

「……ふむ」

 顔を上げ、自分の胸に触れながら異常がないことを確かめるスバル。その正面、足を組み替えるエキドナは数秒前と変わらぬ、整った面貌の眉をかすかにひそめた。
 慌てて彼女をうかがうが、こちらを見るその様子に目立った変化はない。呼吸、仕草、ともに平常。最悪の可能性を予期して、彼女の喪服の胸あたりを凝視するが、

「君の期待に応えられるかわからないが、ボクは胸の大きさにはあまり自信がない。セクメトやミネルヴァあたりなら、重くて肩が凝るといった肉体的な欠陥を味わうこともできたんだろうけど……好奇心的には、そこだけ残念かな」

「……そんな理由でガン見してたわけじゃねぇよ。いや、そんなことより」

 当たり前のようにエキドナが言葉を紡ぎ、それに思考が止まったまま応答。スバルは掌を口に当てて、震えそうになる声から感情を懸命に殺し、

「俺は……俺は、死んだら時間を遡って、世界をやり直してる。『死に戻り』をしてるんだ」

「聞いたよ。そして、聞く前に読んでいた。なるほど、希有な状況だね」

 あっけらかんと、エキドナはスバルの告げた事実を消化し切って頷く。
 だが、彼女のそんな態度こそが、スバルにとっては青天の霹靂ともいうべき異常事態だった。

 ――口にしたが最後、どれだけ心を強く保とうとしても、その決意すらも容易くへし折ってみせる必罰の魔手。

 その禁忌を破り、スバル自身が、あるいは打ち明けられた相手の心臓が痛めつけられることは、拭い去れないトラウマとなってスバルを絡め取っていたのだ。
 故にスバルにとって、『試す』ような真似でそれを行うことなどできない。エキドナの後押しがなければ、尻込みして最後の決断を押し切ることはできなかったろう。
 それほどの一大決心だったのだ。それがこんなにもあっさりと――、

「どうして、あの手が出てこない……?」

「まるで出てこないことを残念がっているようにも聞こえるね。それだと、ボクを殺害する機会を逸したことを悔しがってるみたいでなんだね、傷付くよ」

「そんなつもりじゃねぇことぐらい……っ!」

「わかっているとも。心にゆとりがないと、こうまで追い込まれるものか」

 衝撃に揺れるスバルの心情を無視して、あくまでマイペースを崩さないエキドナ。そんな彼女に苛立ちを堪え切れず、スバルは舌打ちしてから鋭い目をさらに鋭くし、

「はっきりと答えろ。お前、俺が『死に戻り』をしてるって発言を何度口にしても、ここにあの手は……魔女の手はこないのか? そう思っていいのか?」

「あれが魔女の手であることは理解しているんだね。……ああ、そうだよ。ここはボクの夢、ボクの城。死にながら見たボクの夢幻だ。誰にも許可なく、立ち入らせない」

「確約できるか?」

「用心深いことだ。――確約するよ。ここに存在できる魔女は、『強欲』『暴食』『色欲』『傲慢』『憤怒』『怠惰』の六魔女だけだ。『嫉妬』の入り込む余地はない」

 念押しするスバルに力強いエキドナの返答。
 それを受けたスバルは一度息を詰め、それからしばしの間、沈黙したあとでぐったりと椅子の上で脱力する。肩を落とし、顔を俯かせ、長い長い吐息を吐いて、

「そう、なのか……そうか……そう、かぁ……っ」

「――――」

 掌で顔を覆い、スバルはただ同じ言葉を繰り返す。何度も、何度も。
 確かめるように。手放さないように。縋るように。

 だって、スバルが魔女の指先から解放されることも、抱え続けてきた禁忌の裏側を語ることができるのも、全てはこの異世界生活で初めてのことなのだから。

「ずいぶんと感慨深い顔をするものだね」

 尽きることのない感情の波に翻弄されるスバルを眺めながら、薄く唇を緩めるエキドナがそう述べる。彼女は己の白髪に指を通しながら、

「それだけ君を悩ませ続けてきたのであった、ということなんだろうけどね。あれほど偏執的な愛情を向けられていたんだから、それもやむなしといったところだけど」

「悪い、確かにちょっと込み上げるもんがあってな。落ち着く。……ん、落ち着いた。落ち着いたから、いくつか話したい。話したいことが山ほどある」

 『死に戻り』を口にすることの制限が働かない。
 その事実を受け止めるのに時間がかかったと思えば、今度はその事実を受け入れたあとの心が逸りすぎる。
 これまでに抱えてきたこと、今抱えているもの、それらを口に出すことのできる解放感――手詰まりであった閉塞感に、希望の光めいたものが差し込む。しかし、

「一つ、勘違いをしているようだね」

「――?」

「確かにこのボクの城では君を縛る魔の手は介入できない。だから君がこれまで他者に打ち明けることのできなかった秘密を、開示することができることに心が逸るのもわかるさ。でもね……君のその抱えた事情とやらに、ボクが耳を傾けたり、あるいは都合良く協力したり、助言したりするかは別問題なんだよ?」

「ぇ……」

 と、それまで盛り上がっていたスバルの心に冷や水を浴びせるような言動。
 口をつぐむスバルの前で、エキドナは当然のことを口にした顔でいる。その彼女の思わぬ応対に、スバルはといえば困惑と落胆の色を隠せない。
 「あ」とも「う」ともつかない音を口から漏らし、視線をさまよわせる。

 見えたと思った光明が、行き止まりを抜けられると期待した解放感が、手元を離れていってしまう。どうすればいいのか、そんなこともわからずにいると、

「そんな見捨てられた子どものような顔をされると、ボクも困ってしまうよ。そんなに難しいことは要求していないつもりだけどね」

 言いながら、彼女は困った顔で首を傾けながら、伸ばした指で白いテーブルを弾くように三度叩く。つられてそちらへ視線を送ると、テーブルを叩いた彼女の指は一点を指し示している。――手のつけられていない、スバルに配膳されたカップを。

「君は魔女の茶会に招かれた。茶会の場で話し合いに花を咲かせるつもりがあるというのなら、まずは招待を受けた証を立てるべきじゃないかい?」

「……っ。わかり、づらいんだよ、お前」

「これ以上ないほどはっきりと、最初の時点で指摘したと思ったけどね」

 言われて思い返してみれば、確かにエキドナはスバルが茶会のムードを読まず、カップに目もくれずに激昂したことに不服を漏らしていた。
 その意趣返しとしては、スバルが受けた心の傷は大きすぎるともいえるが。

「くそ、わかったよ!」

 テーブルの上のカップをひったくるように奪うと、中で揺れる琥珀色の液体を一気に喉に流し込む。注がれてから時間が経っているはずなのに、適温を見失っていないそれはさすがは魔女の茶会で出されるものであったというべきか。
 味もわからないぐらいの一気飲み。スバルは口の端を伝う滴を乱暴に袖で拭い、

「さあ、飲み干したぞ。これで俺を、茶会の参加者として認める気になったか?」

「ボクの体液をそんなに勢いよく飲み干されると……うん、体が火照るね」

「うぉえっ、忘れてた――っ!」

 最初の茶会でも引っかかったドナ茶トラップに引っかかるスバル。
 口に手を当てて嘔吐感を堪えるスバルを愉快げに流し見て、それからエキドナは「認めるよ」と精緻な美貌に微笑を刻み、

「君の何故という問いかけを資格に、茶会の扉は開かれた。そして、魔女の差し出した茶を口にした君は立派な参加者だ。茶会の主として、ボクには君を歓待する義務がある。――さあ、言ってごらん」

 小さく手を叩き、エキドナはその双眸を好奇心に爛々と輝かせながら、

「答えを出すために頭を悩ませることも、またボクにとっては至福なんだから」


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ――茶会の始まり、というよりは質疑応答の始まりといっていい。

 『世界の知識』なる本により、膨大な知識を有する魔女エキドナ。
 これまで誰にも打ち明けられなかった『死に戻り』のことを、そしてそれを用いて得た情報をなんら問題なく言葉にできることはなによりの恩恵だ。
 核心に迫ることのできる相手、それを前にしたスバルの口から、問うだけ無駄と先送りにされてきた様々な疑問が溢れ出す。まず口火を切ったのは、

「俺の『死に戻り』を引き起こしてるのは……『嫉妬』の魔女ってことでいいのか?」

「おおよそ、その認識で間違いない。『死に戻り』の仕組みに関しては実際、ボク自身が君の死を観測してみないことにはわからないけどね。ただ、ボクの城で君の命を奪うことはできないから、それは叶わない条件だけど」

「ここだと、死んだりしないのか?」

「しょせんは泡沫の夢、精神だけを引き込んだ一時の止まり木。君は悪夢の中で死んだからといって、実際に肉体が死ぬと思うのかい?」

「あんまりひどい夢を見たら、ショック死するとかありそうな気もするけどな……」

 創作物の中などでは、夢の世界で死亡したことが現実に反映されるような物語も多々ある。そういったことを例に挙げれば、魔女の精神世界での死亡が肉体の死に繋がってもなんらおかしくない気がするが。

「まぁ、死なないって言われてるのを死ぬはずだって主張すんのもおかしな話だしな。とにかく、ここじゃいくら馬鹿やっても死ぬ心配はいらないわけだ」

「精神が粉々に砕け散って肉体に戻って、廃人になることならあるかもしれないけどね」

「生きる屍状態なら死んだのとおんなじ……『死に戻り』できない分だけそっちの方がひでぇ!」

 王都発端のループで一度、スバルは精神が崩壊の寸前までいったことがあった。あのときは自己防衛本能か、あるいは自我を砕かれた演技をしていたのか。自分でもはっきりとはわからないまま状況に流されて、怒りで我を取り戻したものだ。
 ただ、ここで精神を砕かれることは、そういうショック療法で癒せる類のものにはならないだろうとも直感できる。

「自分の意思で死ぬタイミングも選べないような状況は願い下げだ。……ホントは死なないのが一番いいに決まってんだけどな」

「『死』すらも勝利条件を引き寄せるための道具として考えられるのは、ボクでも未知の価値観といえるね。さしものボクも、自分の『死』だけは観測し、知識として蓄えることができない」

「……? でもお前、実際、死んでこうやって自縛霊やってんだから、死んだときのこととか覚えてるんじゃないの?」

 彼女が実体のない、死者であることは彼女の口から説明を受けている。死亡したエキドナの魂を、神龍ボルカニカとやらが封印し、閉じ込めていることも。

「正しくはそうではないね。確かにボクの肉体、魂を入れる器は死んで失われている。けれど、魂自体は死を迎える前にボルカニカによって封じられてしまったんだ」

「……つまり、体は死んだけど魂は死んでない。中身が死んだことないから、『死』を経験した状態とはちょっと違うってことか?」

「そういうことになる。だから勝手な意見だろうが、ボクは君の今の状態がうらやましいよ。自分の『死』を観測できることなど、ましてや一度でなく何度も味わうことができるなんて、誰に許されることでもないんだから」

「……聞きようによっちゃとんでもないマゾ発言だな。死ぬのなんて、いい気分で迎えられることなんざ一回だってありゃしねぇよ」

 悪気はないのだろうが、興味津々といった様子のエキドナにスバルは辟易とする。
 行動の結果として『死』という結末があり、スバルにとってそれらの結果は常に目標を未達成であったことの証左でしかない。
 『死』に対する忌避感が薄れることはなく、その感情は未経験の頃から変わりはしない。いくらか慣れたような気分で、それと向き合うことができるようになったことは否定はしないけれど。

 スバルの感想にエキドナは「ひどい言い方だ」と小さく笑い、

「君の『死』をやり直すことができる状態。いや、君に『死』という安寧を許さないその力は、『嫉妬』のもので間違いないだろう。いつ気付いたんだい?」

「さんざっぱら、これまで色んな人に関係ありそうな感じのこと言われたんでな。俺自身が直接、その嫉妬深い魔女様とやらとご対面した記憶は正直ないんだが……事あるごとに名前が出てくれば、限定場面で出てくる『手タレ』がそうなんじゃないかって想像ぐらいはつく」

 両腕と、ぼんやり全身の輪郭が見えるようになってきた黒い影。
 禁忌の言葉を口にするとき、スバルを痛めつけながらも、一方で愛おしげに振舞う矛盾した存在。痛めつけ、愛する、それはスバルにとってなんともありがたさの欠片もないサディスティックな妄念だった。

「なんで会ったこともない相手に、そんな風に気に掛けられてんのか心当たりが全然ないんだけどな。……お前、わかったりする?」

「さあ、どうだろう。彼女の精神性を理解することなんて、ボクだけでなく他の誰であってもできそうもないからね。仮にできたとしても、ボクは願い下げだ」

「この世の全てが知りたいって発言のわりに、『嫉妬』の魔女に対しては辛辣だよな。いや、その魔女から受けた被害を考えたら当たり前なのかもしれないけど」

 超然としているように思え、事実、人の身では到達できない高みにあるエキドナ。
 こうして一つの世界を形作っていること、死後でありながらも生前と変わらぬ様子であり続けること、スバルの疑問によどみなく答える知識量。
 いずれも彼女が超越者たる、『強欲』の魔女である証拠だ。

 そういった超越者であっても、好悪の感情からは逃れられない。それがスバルにはどうしようもなく、しこりとして感じられてならないのだ。

「過大評価されているようだけどね、魔女といっても始まりは人間だ。喜怒哀楽の感情からも、物の好悪にも、接する相手の得意不得意からも逃げられない。他の魔女に比べれば、ボクはそれでも寛容な範囲が大きい自負があるけどね」

「まぁ、他人への興味が尽きないとか言ってるお前が、人の好みにうるさかったりしたらおちおち好奇心も満たせないもんなぁ」

「そうだね。だからボクは大抵の存在は許容できる。どれほど見るべきところのない低俗な存在であっても、その精神性に対して一定の理解を示そうという努力を行う理由がボクにはある。全てを知りたい、満たされていくために。だが」

 言葉を切り、エキドナはかすかに俯くと表情を変える。
 常に余裕ぶった微笑を浮かべ、こちらの態度を観察するような目を忘れない魔女。そのエキドナの口元が初めて、明確な嫌悪感――それを孕んだ怒気に覆われて、

「あの『嫉妬』の魔女だけは例外だ。彼女だけは許容することも、その努力をすることも放棄する。あれほど許されざる存在は、生前の時間と死後の時間を重ねて、『世界の記憶』を覗いた今でも見たことがない」

「……殺されたこと、だけが理由じゃねぇよな。そんな怒り方」

「『死』はボクにとってそこまで大きな意味はない。こうしていられることを考えれば、ね。ただ、彼女はボクにとってそれ以上に耐え難い行いをした。あらゆる行動は結果を得るための努力だと思っているが……それでも、絶対に受け入れられない」

 鬱屈した感情を吐き出し切り、エキドナは瞑目して首を横に振る。
 今の吐露とその仕草一つで、彼女の表情からは激情の兆しが吹き消されるように失われる。あとから湧くのは見慣れた観察者の微笑であり、

「あの魔女の話はやめよう。君の『死に戻り』の原理については推測は成り立つが、確証はない。そしてそれはわかったところで君の『死』にはなんの影響も与えない類の問題だ。原因以外の形で、質問はあるかな?」

「原因以外って言われると……」

 あっさりと『死に戻り』の根底を肯定されたことで、かえってスバルは頭を悩ませてしまう。自身の身に宿るこの権能、その発生源の思惑はともかく、痛みと引き換えにスバルはこの力を有用に使っている、あるいは使わされている自覚がある。
 業腹なことだが、この力がなければ得られなかった結果がいくつもあるのだ。
 そしてそれはおそらく、この先も頼っていかなくてはならないことの一つである。それを踏まえれば、

「――俺のこの『死に戻り』って力は、回数制限があると思うか?」

「ふむ……なるほど。『死』をやり直せる力と知って、当然、行き着く疑問だね」

 スバルの思い当たる限り、自分はすでにこの世界で十六回死んでいる。

 いずれも苦痛と喪失感を伴う『死』ばかりだったが、そうした状況を味わいながら、そのたびにスバルは舞い戻って世界をやり直してきた。
 そうして結果を掴んできたスバルではあるが、『死』の訪れとともに常に脅かされていた恐怖――それこそが、今回こそが最期かもしれないという当然の感情。

「当たり前の、ことだよな」

 本来ならば一度で終わるはずの『死』を、すでに何度も覆しているのだ。
 その力なしに切り開いてくることのできなかった世界だからこそ、その力が失われたときの無力感を思わずにはいられない。
 『死に戻り』してくるその瞬間まで、スバルは自分が終わるかどうかわからない。
 幾度も味わった、目的半ばで潰える絶望感――それを最後に全てがぷっつりと途切れて消えるのだとしたら、『死』とはなんと恐ろしいものなのだろうか。

「これはあくまでボクの推測にすぎない、と前置きしておくよ。君が『死に戻り』する原理について、漠然とした予想を立てているから、その予測に沿った内容で君に語ることをまずは許してほしい」

「……ああ、聞かせてくれ」

「君の『死に戻り』。限定的な条件下であると推測されるが、その回数制限は――」

 息を呑む。
 こちらを見るエキドナの瞳を真っ向から見つめ返し、スバルはそのほんのささやかな言葉の区切りを永遠の長さのように感じた。
 それほどに焦がれる結論――そして、

「――おそらく、ない」

「…………」

「君の『死』には終わりがない。何度死のうと、何度朽ちようと、そのたびに君の魂は時間を遡り、『死』をもたらした運命を打破するまでやり直すことを許される。どれほど無残に殺されようと、心身を打ち砕かれようと、ね」

 エキドナの出した結論、それを聞いて、スバルは一度、頭の中を空白に占有される。
 それら空白がまっさらな頭を洗浄すれば、次に空っぽの脳内を満たし始めるのは、

「――そう、か」

 告げられた事実を静かに受け止めて、全身の震えを制御するための懸命さだった。

 口に手を当てて、俯くスバルは目をつむっている。
 取り乱すこともなく、かといって『死に戻り』の制限がないことを知らされたことへの安堵が垣間見えるわけでもない。
 そのことにエキドナはわずかに疑問を覚えたように眉根を寄せると、

「思ったより、驚いている様子が見当たらないね」

「…………」

「君にとっては……いや、誰にとっても『死』の絶対さを覆すことができるそれは、非常に大きなものであるはず。ましてや君は無力で、しかし立ちはだかる障害は険しすぎる。もっと、反応があるものと思っていたんだが」

「リアクションが悪くて、お前の期待に応えられなくて悪かったな……けど」

 無限にリトライが可能――それはスバルが『死に戻り』に対して抱いていた、一つの楽観的な結論ではあった。故にそれを他者から肯定されたことに対して、絶対的な驚きがあったわけではない。わけではないが、

「それを呑み込んですぐに『いくら死んでも大丈夫とか、これでこの異世界生活は完全にぬるゲーだぜ!』みたいなアホ丸出しの結論にはならねぇよ」

「推測していた答えを得て、その先を見ているのか。存外、君はボクが思った以上に頭の回る人間のようだね。それが良いか悪いかは別として」

「『死に戻り』を繰り返すたび……もっと言えば、それを打ち明けようとしたりして魔女の存在を身近に感じるたびに、その黒い影が近づいてきてるのがわかるんだ」

 禁忌を口にしたとき、スバルが見た最初の影は心臓に触れる腕一つだった。
 だが、その行いを繰り返すたびに影は見せる輪郭を徐々に徐々に淡いものから明確なものへと変えていき、今では全身をぼんやりと見せることすらある。
 この先、あの影がもっとはっきりと輪郭を帯びればどうなるのか。

「あれがはっきりと形になったとき、それが俺の『死に戻り』の限界だ。あの影が本物になったとき、それを拒絶できると俺には思えない」

「ふむ、根拠は?」

「勘」

 短い二文字にエキドナが目を見開く。
 スバルはテーブルに頬杖をつき、その顔を下から見上げながら、

「実際に、あの影と会ってる奴にしかわからねぇ感覚だよ。俺以外にそれがわかる奴がいるとすれば……」

 スバルと同じ苦しみを味わって心を折られた、もういない狂人ぐらいのものだ。

 感傷的な疼きを胸に得るスバル。それを眺めるエキドナはこちらの奥を覗き込むように目を細めるが、それからすぐに肩をすくめて、

「君のその感覚を理解できないのはむず痒いところだが、おおよそボクの推測もそれを肯定している。君の『死に戻り』には限界がない。ただし、限定条件下でだ」

「限定、条件」

「君を『死に戻り』させるのは、魔女の妄執だ。その妄執の源が断たれない限り、君には終わりを迎えることすら許されない」

「妄執の源……っていうと」

「君に執着する魔女そのものを殺すか、魔女が君に愛想を尽かすか……どちらにしても、君を見ている限りだと難易度は極限といったように思えるけどね」

 『嫉妬』の魔女の殺害――それは四百年前、龍と賢者と剣聖が協力してなお果たせなかった世界の悲願。
 大地の半分を影で覆ったという『嫉妬』の魔女を、殺し切ることができずに封印するだけだったかつての偉業を越えなくてはならないという意味だ。

「俺が愛想尽かされる方がよっぽど楽そうな気がするけどな……」

「それが絶対に無理なことだということぐらい、君にはなんとなくわかっているんじゃないのかい?」

「…………」

「実際に魔女の影、それと接した経験がある君にしかわからない感覚だろうけれど、かつてのアレを知るボクとしてはそう思わざるを得ない」

 苦々しい顔のエキドナ。四百年前、彼女と『嫉妬』の魔女の間にどれほどの確執があったのかはわからないが、それは時間が経過しても決して薄れない、それどころか時を経て溝を深くするほど根深い問題だったのだろう。

 彼女の言を否定し切れないスバルも、鼻から息を吐き出して背もたれを軋ませる。
 エキドナの言う通り、スバルを『嫉妬』の魔女が見放してくれる――そんな希望がどうしても、スバルには見出せない。

 顔も知らない、まともに会ったこともない誰かにこれほど盲目的に愛されることがあるなど考えたこともなかった。文字通り、世界を犯し尽くすほどの相手に。

「ずいぶんとあっさり、受け入れてしまうものだね」

「――あん?」

「こう言ってはなんだが、ここまで話したことはボクの推論の塊だ。根拠を示すことはできないし、信じ込むには材料が足りなすぎると思うんだが」

 片目をつむるエキドナは、スバルがあっさりと彼女の意見を呑み下しているのが不可解でならないらしい。
 確かに、とスバルもそう思う。

 スバルと彼女の付き合いは短く、そしてなにより相手は『魔女』だ。その点を鑑みれば、信用する要素は何一つないといっても過言ではない。
 だが、

「それも俺の、勘だな」

「……勘」

 自然と、彼女の口にする内容ならば信じられそうだ、と漠然と考えている自分がいることをスバルは自覚した。
 それは短時間の会話の中で、彼女が自分の所有する知識を開示するとき、その知識に対しての敬意を払う存在であるのだと、そう信じさせるものがあったからかもしれない。
 知識欲が行き過ぎて野暮であったり下世話であったり、そういった欠点が目につくことも何度かあったが――。

「それにさえ目をつむれば、お前は嘘はつかないんじゃないかって――そう思うよ」

「……それも、君の勘なのかい?」

「そうだな。勘だ。まぁ、十六回も死に繰り返してる奴の勘なんて、当てになるもんじゃねぇと言われればそれまでだが」

 茶化すように言って頭を掻き、スバルは自虐ネタで場の空気を和らげようとする。
 それを聞き、エキドナは息を詰める。それから彼女はテーブルの上のカップに手を伸ばし、それを口に運んで舌を湿らせてから、

「君は魔女を口説く才能があるのかもしれないね」

 と、これまでと違った雰囲気の微笑を初めて、口元に刻んだのだった。

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