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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第四章 永遠の契約

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第四章23 『踏み出した一歩』



「それじゃ、ちょっくら行ってくる。帰りは明日になっちまうけど……何度も言うけど、無理して『試練』受ける必要はないから、少しは休んだ方がいい」

「わかってますーってば。スバルったらもう、そんなに心配そうな顔しないでよ。ちゃんと言いつけ通り、今日は大人しく休んでることにするから」

 そう言って唇を尖らせて、エミリアは車上のスバルを見上げて拗ねたような仕草。
 その愛らしい態度に苦笑を浮かべつつ、心中に感じる痛々しさをスバルは表情に出すまいと意識的に誤魔化していた。

 時刻は正午前、ガーフィールと朝の話し合いを終え、エミリアのところへ寄ったのと同日、その数時間後になる。

「ナツキさん、こっちの準備は終わりました。あとはもう、出発だけですよ」

「おう、さすがに仕事が早いな。場を引き払ってとんずらこく手際の良さは賞賛に値するぜ。今度から『夜逃げのオットー』で呼んでいい?」

「その夜逃げという単語がなんなのかわかりませんが、まず間違いなく不名誉な響きだと思いますので固辞させてもらいますよ」

 声をかけてきたオットーがスバルの返答に唇を曲げ、嫌な顔をするのにスバルは今度は裏のない苦笑。それから彼の背後を見れば、スバルたちの乗る竜車とは別の竜車が列をなしているのがわかった。
 その数は総勢で六台――収容人数は四十二名。アーラム村からの避難民と、それに付き添った行商人も含めての人数だ。つまり、

「それにしても、拍子抜けするぐらいあっさり受け入れてもらえたな。……正直、かなりごねられるの覚悟だったんだけど」

「小賢しくもバルスがガーフに先に話を通しておいたから、でしょう。リューズ様は話のわかる方だし、ガーフが口をはさまなければ話し合いが難航するはずもないわ」

 首筋を指で掻くスバルに、竜車の下から給仕姿のラムがそう言葉を投げる。彼女は桃色の髪の下、相変わらずの不遜な表情のままこちらを見上げ、

「ラムとしては、ロズワール様をお屋敷へ戻す交渉をしなかったことに文句をつけたいところだけど」

「人質オブ人質としてあまりにも適任すぎて。交渉に持っていこうにもうまい言葉がまったく出てこなかったんだよ。村のみんなを戻せるだけでも成果だと思って受け止めてくれい」

「バルスにしては良くやった、としておくことにするわ。ラムに感謝なさい」

「ここでありがとうございますって言うのって俺の負けじゃね?」

 天上天下全部自分の手柄を主張するラムに戦慄しつつ、スバルは彼女の隣でもじもじとしているエミリアを改めて見る。
 紫紺の瞳に憂いと不安を宿していた彼女は、スバルが自分に視線を向けたのに気付くとその感情を瞳から追い払い、

「ありがと、ね。スバルが言い出してくれなきゃ、私、こんなことにも気付かなかったかもしれないから」

「エミリアたんはエミリアたんで大変な立場なんだし、周りのことでフォローすんのは俺らに任せてくれたらいいって。まず、目の前の一大事。他のことはうまいこと回してみせるから、安心してくれていいぜ」

 力強く胸を叩いてみせると、エミリアは口元に手を当てて小さく噴き出す。それから彼女は浮かぶ涙を指ですくいながら、「うん」と頷き、

「わかった。スバルのこと、頼りにしてる。だから……」

「わかってるって。みんなを送り届けたらすぐにそのままとんぼ返りしてくるよ。屋敷に忘れたお気に入りのぬいぐるみとかあったら、ついでに持ってくるけど?」

「そんなのもうずいぶん前に卒業したもん。それに早く帰ってきてなんてお願いしてないじゃない。それはもちろん、早く帰ってきてくれた方が嬉しいけど……」

「じゃ、なんて言おうとしてたの?」

「……気をつけてねって。早いのも嬉しいけど、何事もなければその方がいいから」

「やだ、ときめいた」

 きゅん、と胸の恋心が疼くのを感じて、スバルは射抜かれた心臓を押さえながら後ずさる。エミリアは無自覚な発言に首を傾げるが、スバルはそんな彼女の仕草に深呼吸を繰り返しながら掌を向け、

「OKOK、把握した。早く、なおかつ安全に君の下へ舞い戻るよ。指切りする?」

「嘘付いたらって、ペトラとしてたの? ……うん、わかった。やる」

「およよ、素直」

 歩み寄るエミリアのために膝を曲げ、スバルとエミリアの指が車上と地上で絡み合う。そのままお決まりの文句を口にして、指が切られて約束が交わされた。
 その切った指をジッと見つめて、それからエミリアは紫紺の双眸にスバルを映し、

「スバル。精霊術師にとって約束は……」

「超大事、だろ。学習したし、痛感もしたよ。俺はエミリアたんとの約束はもう破らん。なるたけ、他の人との約束も守るよう努力する。そんなとこで納得お願い」

「ん、しょうがないんだから」

 笑顔をこぼすエミリア。それを見届けて、スバルは膝を伸ばすと大きく腰を回し、それから空を仰いで両手を天に向けると、

「んじゃま、今度こそ出発とするか。目的地はアーラム村、総人員は四十四人! けっこうな大移動だが、みんなよろしく頼まぁ!」

 スバルの呼び声に威勢のいい返事があって、大移動が始まる。
 ――交渉の末に勝ち取った、解放された人質たちを連れて村へ戻る道行きが。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ガーフィールとの話し合いを終えて、打ちひしがれるエミリアの寝顔を眺めながら下したスバルの決断――それは、ガーフィールの提案を受け入れて、その上で『聖域』から人質たちを解放するために交渉をするというものだった。

 エミリアを寝かしつけたあと、皆の目覚めを待ってスバルはリューズ宅へ主立った面子を集めて、先の提案を行った。
 ガーフィールとの舌戦の件もあり、けっこうな反対が出るものと予想されたが――実際にはリューズはスバルの意見に頷くばかりで、反対どころかいくつかの譲歩案すら出されるような交渉内容。結果的にこちらの思惑通りに運んだものの、肩すかしな印象は拭えないものだった。

 その後、目覚めたエミリアに事の次第を伝えて、それから大聖堂に集まっていた避難民たちにも同様の説明。最初は驚いて固まっていた村人たちだったが、無事に村へ戻れるとわかったあとの喜びようは素直にスバルも嬉しく思えるほどだった。
 もともと、ここへ押し込む形になったのはスバルの考えが原因だというのに、解放を説明するスバルに村人たちの感謝が集中し、かなり気恥かしい一幕もあったものの、それらを越えて今のこうした道中が実現したわけである。

「それにしても、意外でしたね」

 そう言って切り出したのは、スバルの隣で手綱を握るオットーだ。
 行きのときと同じく、パトラッシュとフルフーの二頭に竜車を引かせながら、今度は御者台で隣り合わせているスバルは彼の言葉に「んあ?」と応じ、

「今、寝てませんでした?」

「物思いにふけってただけだよ、そんな邪推すんなって。それで、半分意識なかったから聞いてなかったんだけど、なんだって?」

「誤魔化す気あるなら最後まで誤魔化し切ってくれませんかねえ。……だからほら、意外だったなーって話ですよ。この状況が」

 相変わらずオットーに対しては受け答えが雑なスバル。いい加減、オットーもスバルのその温度に慣れ切ったのか大した反応をするでもなく、彼は自分の発言の内容に触れるように首をめぐらせ、

「こんなにあっさりと、村の人たちを解放してくれるなんて思わなかったもので。商人の立場からすれば、弱味は握れるだけ握っておいた方が後々のためってもんですよ」

「それ本当に商人の立場からの発言? 悪代官じゃなくて? 俺の中でお前がどんどんどんどん後ろ暗い方にジョブチェンジしてるのどうにかならない?」

 思い返すと、オットーがちゃんと商人らしい素振りをしているところを見た記憶があまりない。彼が売り物と自己申告したのも大量の油であったし、実は放火魔とかその類ではあるまいか。今さらではあるが、彼の素姓に疑いの眼差し。

「なんですか、その怪しい人でも見るみたいな目」

「怪しい人でも見るそのものの目だよ。お前、本当に商人? 俺の前でそれらしい素振りをしてたとことかちゃんとあった?」

「ナツキさんの目の前で無理やり、機密事項満載の書類整理やら帳簿管理やらばんばかやらされてたでしょうが! あんた、記憶弱いのか!?」

「いや、あれもかなり巧妙な誘導によるスパイ活動と考えるとやっぱり商人というよりはエージェント的な方向で考えた方が確実性が……」

「ナツキさんの予測不可能な発想を誘導しろって、神にでもなった方が楽ですよ」

「おい、聞いたかよ、パトラッシュ。俺の隣の人、自分は神様になるとか言い出してるぜ……ちょっとヤバいよ」

「あ、くそ! なんでそういうこと……ああ! パトラッシュちゃんまで僕を哀れみ出してるじゃないですか! やめてくれませんかねえ!」

 スバルに声をかけられたパトラッシュが小さく鳴くと、それを聞きつけたオットーが絶望的な顔で頭を抱える。どうやら、今の一声にオットーに対するパトラッシュなりの所見などが含まれていたらしい。『言霊』の加護も厄介なものだ。と、

「てめェらはどこ行っても変わんねェなァ、オイ」

 言いながら、走る竜車の隣に並走するガーフィールが呆れたようにこぼしていた。
 いまだ竜車の列は森の中の獣道を走っており、速度はそれほど出てはいない。が、それでもスバルの全力疾走よりはよっぽど早く走る地竜だ。その速度に楽々と追いつきながら、『聖域』から延々と避難組に付き添うガーフィール。
 彼は息も切らさないまま、地を軽々と蹴って飛ぶように進みながら、

「ちったァ、『馬追いバキムのやっつけ話』みたいにしてりゃァ可愛げもあるってェのによォ」

「普通、慣用句ってのは短い言葉で相手にわかりやすく意図を伝えるためにあるんだけど……俺、今のところ一度もお前と会話できてる気がしないんだけど」

「あァ? なに言ってやがんだ、てめェ」

 不機嫌そうに鼻面に皺を寄せるガーフィール。その肉食獣の表情に肩をすくめて、スバルは車上から地を蹴るガーフィールに「そういえば」と告げ、

「案内を買って出たわりに、先導する素振りも見せないけど役目放棄したの?」

「んなつもりァねェよ。ただ、てめェんとこの地竜が賢っすぎんだよ。いっぺん走っただけの道だってのに、ほっとんど完璧に覚えてんじゃァねェか」

「ま、うちの自慢の子だからな。それぐらいのことは軽い軽い。なんなら他にも火の輪くぐりとか玉乗りとか一輪車……ちょ、蛇行しないでくださいます、パトラッシュさん!?」

 とんでも曲芸をさせられることへの拒絶を、走り方で示すパトラッシュに車上でスバルが慌てふためく。その様子にガーフィールは「なにしてやがんだか」と荒い鼻息を漏らすと、手綱を握るオットーを見やり、

「で、そっちの兄ちゃんは面白ェこと言ってたみたいじゃァねェか。弱味握りっ放しにしといた方が得、だったかァ?」

「ええ、実際そう思いますよ。あまりいい考えだとは思いませんが……人質は数がいればいるほど選択肢が広がると思いますしね。それこそ、危機感をあおるために使うには多ければ多いほど打てる手段が増える……」

「オイオイオイ、この兄ちゃん本ッ当に商人なのかよ。絶対にどっかで悪事働いて国にいられなくなったその筋の奴だぜ!」

「なんだって僕の評価はそういう方向に固まるんですかねえ!」

 今の流れはさすがにオットー自身の手落ちだろう、とスバルは首を傾げる。それからスバルは話の流れを元に戻すように「ともあれ」と前置きし、

「一応、ガーフィールには話通しておいたしな。こいつの条件を呑むって形にしたから……まぁ、今回の話がこじれずに済んだってわけだ」

「条件……っていうと?」

 言いづらそうなスバルに代わり、オットーの質問に口の端を持ち上げたのはガーフィールだ。彼は鋭い犬歯の覗く口を開くと、

「簡単な話だぜ? あの泣き虫なお姫様の代わりに、残りの『試練』も全ッ部こっちのスバルにやらせて、とっとと『聖域』を解放してもらおうってなァ」

「それは……」

 ガーフィールの言葉に目を見開き、オットーはスバルを横目にする。そのまま彼は言葉を濁しつつも、何度か口を開閉してから、

「ナツキさんは、いいんですか?」

「いいんですかってのは、どういう意味でだ?」

「それは『試練』を受けるナツキさんへの負担とかもありますけど……一番は、その役割をエミリア様から取り上げていいんですかってことですよ」

 スバルもまた悩んだ内容に、オットーは言いづらそうにしながらもはっきりと切り込んできた。その内容にスバルが眉を寄せると、彼はそのまま畳みかけるように、

「もちろん、『試練』の内容は僕にはイマイチわかりませんし、エミリア様のその状況が芳しくないのは重々承知してるつもりです。でも、エミリア様が王選を勝ち残ることを考えると、『聖域』や領地の人たちからの支持は必要でしょう。それを得る機会をむざむざふいにしてしまうのは……」

「時間が……どれだけかかるか不明確だ。その間に支持基盤の方がぐらついたら本末転倒になっちまう。なにより、エミリア自身が……」

「限界、だと? 僕はそうは思いません。これまでも見てきましたが、エミリア様は芯がしっかりされている方に思えます。『試練』を終えて墓所から出てきた直後こそ取り乱すところはありますが、それ以外の場面では平静を保っているじゃないですか」

 オットーのもっともな言い分に、スバルは唇を噛みしめる。
 そう、オットーの目から見れば、エミリアの状況はスバルの認識ほど追い込まれても限界に近いわけにも思えないのだろう。
 ――それが、スバル以外の誰かがいるときにだけ取り繕えている仮面だと気付かず。

 この避難組を送り出す場面でもそうだったが、スバル以外の第三者を交えた状況の場合、エミリアはこれまで通りの平静さを保って振舞うことができるのだ。
 その代わり、スバルと二人きりになった場合、途端にそれまで取り繕えていた平静を見失ってしまい、朝の不安定な状態に落ち込んでしまう。
 それをスバルに甘えているから――と、簡単に断ずることなど誰にもできまい。

 口ごもるスバルに、オットーはなおも言葉を続けたがっている。だが、その彼の気勢を削いだのはスバルではなく、

「話はそれっまでだ。そろっそろ『聖域』の境界に差し掛かっちまうかんな。そこから先ァ俺様は抜けらんねェからよォ」

「……ちなみに参考までに聞くけど、それでも無理やりに通り抜けようとするとお前ってどうなっちゃうの?」

「試したこたァねェからわかんねェが、お姫様のときのこと考えると意識が持ってかれっちまうんじゃァねェか? まァ、んなこたァどうでもいいんだよォ」

 話がそれるのに幸いにと乗っかるスバルに、首を曲げてからガーフィールが跳躍。彼はその身軽さで音もなくスバルたちの竜車の荷台に飛び乗ると、振り返る二人に対して指を突きつけ、

「条件としちゃァ、後ろの連中を村に戻してそのままお前らは出戻り……あァ、そっちの兄ちゃんは別にいらねェんだけどよォ」

「馬鹿言っちゃいけませんよ、僕も戻りますからね。なにせ、いまだにメイザース辺境伯へのお目通りがまともに叶っていませんので!」

「あれ? そうだっけ? まだ紹介してなかった?」

「そうですよ! 一週間近くいたっていうのに、どのタイミングで行っても都合が悪いかあるいはお休み中か……ラムさんに散々追い返されましたからね!」

 鼻息荒く肩を上下させるオットー。彼の抜群な間の悪さなどを思うと、神がかり的な運のなさが原因の気もするが――、

「まぁ、意図的だろうな。『試練』の日から、理由付けて俺も会わせてもらえねぇし」

 と、口の中だけでスバルはその推測を口にする。
 初めて『試練』に挑んだ日以来、スバルはほとんどまともにロズワールと顔を合わせていない。表向きはオットーがラムに遠ざけられたのと同様に、傷の療養に専念しているとの話だったが、それだけでないことは明白だ。
 なにせ、最初は『試練』に挑んだことをスバルが語った途端、追い出されるような形になったのだから。

 スバルが『試練』に挑み、エミリアが『試練』を越えられなかったと聞いて、ロズワールの表情が変わったことは印象深い。なにせ、初めて見る表情だった。
 あの彼の常に余裕の張り付いた道化の仮面が剥がれ落ち、その向こうから覗いた一瞬の激情――それは怒りでも哀しみでもあり、なにでもない複雑なものだった。
 それ以降、スバルは彼とまともに一度も顔を合わせていない。

「考えごとしてっとこ悪ィけどなァ、とにかく戻ってくるってんなら同じ道使え。今度は襲わねェように気ィつけっから、最悪の場合は合言葉を忘れんな」

「合言葉?」

「この境界を越えるとき、ちゃんと合言葉を言えば襲撃者扱いにゃならねェんだぜ? 合言葉は『バイラバイラはグリモールの下』ってなァ」

「え? なに? バイバイグリモリ?」

 最悪のパターン、意味不明の慣用句表現が合言葉。
 顔をしかめるスバルは、この合言葉の考案者が誰なのか即座に察する。腕を組むガーフィールは当たり前の顔つきで、オットーは慌てて今の合言葉をメモしてくれている。記憶の方は彼に任せる形にして、スバルはガーフィールに吐息をぶつけ、

「とにかく、それを言えば通してくれるってことでいいんだな?」

「見張りしてんのが俺様ばっかりってェわけでもねェしなァ。中にゃもっと血の気の多い奴らもいんだぜ? そういう奴らっからしたら、てめェらなんざ『試練』の邪魔すんのにちょうどいい駒になんだよ」

「……そういや、前にも言ってたな」

 リューズを筆頭とする、『聖域』から解放されることを望む一団。それと相反する『聖域』内に留まることを目的とする派閥もあると。
 ガーフィールが忠告してくれているのは、その後者の派閥との接触に当たり、不用意につけ込む隙を与えるな、という意味だろう。

「わかった、了解だ。なんだかんだで色々と世話になったな……つっても、また半日ぐらいしたらすぐ再会すんだけど、ありがとよ」

「ババアの頼みだ、気にすんじゃァねェよ。それより、なんだ」

 礼を告げると、手を振ってからガーフィールが言葉を濁らせる。そのらしくない態度にスバルが眉根を寄せる。と、彼は「あー」と言葉を継ぎ、

「屋敷に戻りやがったら、フレデリカの奴がいやがんだろ?」

「ああ、いるはずだぜ。そういや、知り合いっぽい発言してたよな。なんなんだ?」

「腐れ縁、みてェなもんだ。別に言いたいことはねェんだが……」

「お前が気にしてたって伝えておくよ。たぶん、なんか言ってくれるだろ」

「……頼んじゃいねェからな」

 ふいと視線をそらし、それからガーフィールはスバルのにやにやを振り切るように再び跳躍。竜車から地上へ飛び下りると、『聖域』と森との境界の前で避難組から離脱し、腰に手を当ててこちらを見送りながら、

「逃げるんじゃァねェぞ、スバル! 約束は死んでも守れ! それっが、俺様がてめェらをこっから逃がしてやる一個だけの条件だ!」

「ああ、安心しろい。最近の俺の、約束守るぞパワーをすげぇんだぜ」

 森中に響き渡るような見送りの言葉に笑みで応じて、スバルは遠くなるガーフィールに拳を掲げた。それに合わせるようにガーフィールも拳を突き上げる。

 そのまま森の影に消えるまで、ガーフィールは拳を掲げたままスバルたちを見送り続けていた。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ――境界を抜け、森を出てからの道行きには特に大きな問題は生じなかった。

 『聖域』から屋敷までの道のりは邪魔さえ入らなければ八時間前後。途中で二度ほど休憩をはさんだものの、村人たちの村へ帰りたい気持ちが勝り、その休憩も早々に切り上げての無意味な強行路。
 そのかいもあって、アーラム村へ避難組が帰りついたのは八時間ジャスト。昼過ぎに出発し、世界に夜の帳が完全に落ちてから数時間というところだった。

「座りっ放しで尻が痛ぇ……けど、よかった」

 竜車から降りて腰を回しながら、スバルはそうして安堵の息を漏らす。
 周囲、夜の村のあちこちには再会を喜ぶ嬌声が響いており、中には涙を流して喜んでいるものまでいる状態だ。この村を襲った危難を思えば、そうした反応が決して大げさでないこともスバルにはわかる。だから、それを笑うものなど一人もいない。
 数日ぶりのアーラム村、そこに村人が戻ったことで、夜にも関わらず活気が戻ってきている。『聖域』では沈んだ顔の多かった村人たちも、今は一様に笑顔。
 迎える側の残留組も、無事に家人が戻ったことで一安心といったところか。

「ナツキさん、このまますぐにとんぼ返りですか?」

 と、そうして周囲の喧騒から離れたところで皆を見守るスバルに、きょろきょろとあたりを見回していたオットーが小走りで駆けてくる。
 息を弾ませるオットーにスバルは「んにゃ」と首を横に振り、

「さすがに性急すぎるし、小休止してからでいいだろ。それに屋敷に顔出して、フレデリカとペトラに事情も説明しなきゃいけねぇしな」

「ああ、それはそうですよね。いや、僕の方も行商人仲間と話は詰めておかなきゃいけなかったもので」

「行商人仲間と話の詰めって?」

 オットーの指差す先、そこに立つのは六台の竜車のそれぞれの持ち主。
 村人を避難させる名目で雇われ、そのまま彼ら同様に『聖域』で軟禁される憂き目にあっていたものたちだ。それぞれ、そこから解放された点にまず安堵し、その上でスバルの方を見る目には、

「気のせいかな。異世界なのにドルマークが目に浮かんでるような気がする」

「もともと、僕らが雇われたときの条件が積み荷の買い取りとその他応相談でしたからね。そのあたり、実際にどれだけ請求するかを意見統一しておこうかなと。あ、もちろん法外なことは言い出したりしませんよ。ただ、彼らも今回の人質騒ぎでそれなりに負担もありましたし……少し辛くなるのはご覚悟を」

「まぁ、被害受けるの俺の財布じゃないし。適応に手心加えてくれれば、たまにはロズっちの顔面を蒼白にするのも悪くないんじゃね?」

「さっすが、ナツキさん。話がわかる!」

 手を叩き、大はしゃぎのオットーが行商人仲間たちの下へ。
 朗報を持ち帰ったオットーの凱旋に、商人たちの歓声が夜の村に響く。軽く、再会を喜ぶ村人たちの歓喜よりも大きめな声だった気がしたが、スバルはそのあたりのことに関しては意識的に無視することにして腰を上げる。
 とりあえず、村の皆に関しては問題はないだろう。行商人たちの請求に関してもオットーが取りまとめて、処理するのはロズワールだ。そのときのロズワールがどんな嫌な顔をするか、そこだけ少し楽しみにしながらスバルは屋敷へ足を向けた。

 アーラム村から徒歩で十五分――そうして進んだ先に、ぽつんとあるのがロズワール邸だ。
 夜の闇の中、屋敷の灯りだけがぽっかりと影の中で存在を主張しており、こうして日が沈んでから遠目に見るとそれなりに妖しい雰囲気があるものだと思う。
 門扉の前でそんな感慨を得ながら、なんとなしに屋敷を眺めると、当然だが屋敷の大部分の灯りは落とされており、光が浮かぶのは玄関ホールと使用人室。それと最上階近くの一室――確か、ロズワールの執務室だろうか。

「オットーが伝票処理はしてたけど、あれからの一週間でまたなにかしら増えてっだろうしなぁ」

 フレデリカがそのあたり万能メイドぶりを発揮して、オットーに負けず劣らずの事務処理能力を持っていたが、彼女のやるべき仕事はそればかりでもない。ペトラを戦力に加えても屋敷全体を維持するにはかなりの労力が必要だ。
 こうして夜半まで、事務仕事に励んでいることを思うとその苦労がしのばれる。

「これはなんとしても、オットーの野郎を深みに引きずり込んで、エミリア陣営の事務処理マシーンとして牛馬のように働かせにゃならん。事務する機械になってもらおう」

 今頃は村で大金の予感に頬をゆるめているだろう青年。その彼をどうやって巧みに罠にかけてやろうかと思案しながら、スバルは門扉を押し開いて屋敷の敷地内へ。
 玄関へ向かい、鷹に似た鳥の意匠のノッカーで扉を叩き、

「夜分遅くにすみません。消防署の方からやってきましたー、っと」

 夜闇に甲高いノック音が響き、それから普段通りの適当な呼びかけ。
 言ってから、この世界の場合は火事・災害の場合はどういう対処が行われるのだろうと疑問を抱く。首を傾げてそんな益体もない思考に沈むスバル。だが、

「返事がねぇな」

 てっきり、フレデリカあたりならば風のような速度で応対があるものと思っていたものだから、この反応には肩すかしであった。
 それから少しだけ待ってみるが、誰も迎えにこないものと判断してスバルは待ちぼうけを放棄。いっそ堂々とドアを押し開き、

「うーい、帰ったぞーっと。飯! 風呂! 寝る!」

 と、亭主関白を気取って三つの命令をポージング付きで表明。が、これに対するリアクションもやはりゼロ。
 一人で滑っている感に懐かしい感覚を味わいながら、スバルはとりあえず上階――使用人室の方へ寄り、ペトラを探すことにする。

「執務室ならフレデリカがいんだろ。とりあえず、ペトラに会ってから……あと、ベア子も探さないとな」

 現状、屋敷に残っている三人が次々と脳裏に浮かぶ。
 おしゃまなペトラと慇懃無礼なフレデリカとの再会はともかく、あの縦ロールの少女との再会に際してはスバルもいくらか覚悟を決めなくてはならなかった。
 前回、彼女との別れ方が別れ方だ。

 何一つ、核心に至る問いの答えは聞き出せず、しかし涙声とくしゃくしゃになった顔で追い出されて、それきりになってしまっていた。

「謝る……ってのも変な話だけどな。悪いことした自覚がねぇから……」

 それでも、会って話をすればなにかが変わるものと思っていた。
 また一つ、過去と決別することで少しは前進できたつもりだ。今の心持ちならば、またなにか違った形で彼女と向き合えるような気がする。
 そのためにも、

「まずは前哨戦……って思ったんだけど」

 ノックして、それから驚かせようと勢いよくドアを開いてここでも肩すかし。
 嬉し恥ずかしの着替えタイムに遭遇――ということも少女が相手では期待していなかったが、どうやらそんな場面に出くわすこともなく不在の部屋。
 ペトラの趣味が反映された、可愛らしい小物などが飾られながらも整理整頓がなされた部屋――ただ、そこに部屋の主の姿は見当たらない。
 結晶灯の光に照らされた室内でスバルは首を傾げて、

「灯りつけたまま出るって、しっかり者のペトラらしくねぇけど……ここにいないってなると、ひょっとして執務室でお勉強中?」

 スパルタ風なフレデリカならばありえる話だ。
 メイドとしての給仕仕事の傍ら、事務仕事まで仕込んでペトラ万能メイド化を狙っているのかもしれない。それができるようになると非常に助かるが、すでに家事技能でペトラに対して遅れをとっているスバルはいよいよ立つ瀬がない。

「いやいや、まだまだ四則演算ができる上では俺の方が優位のはず! 現代日本の義務教育を舐めたら、あかんぜよ!」

 言いながら階段を二段飛ばしで駆け上がり、最上階――そのまま通路の真ん中、両開きの扉の前に到達すると、改めて咳払いしてからノックを打ち込む。
 固い音が響き、確実に室内にも届いたはず。しかし、やはり返答はなく、

「――――」

 いくらなんでもおかしい、とスバルはそこまで積み上げてきた警戒を一つさらに上げる。軽口を叩く風で誤魔化しつつも、スバルの視線は廊下の端から端へと走り、それから執務室の扉の中へ。戸に耳を当てて中の様子に耳を澄ませるが、分厚い扉越しに中から聞こえてくる音はない。外からこのまま、情報が得られる可能性は低い。

 ――ペトラの部屋は荒らされていなかった。整頓されたままの状態で、ベッドもこれから眠るつもりであるようにメイキングされたあと。
 屋敷の中も、ざっと見渡した限りではおかしなところはない。整然とフレデリカらしい密な仕事が行われたあとであり、窓枠に埃一つ残っていなかった。
 故にスバルの警戒は、彼女らの姿が見えないことに関してのみ高められていたのだが、

「――――ッ」

 戸にかすかに力を込めて、音を立てずに扉を開く。
 途端、室内から漏れ出す光が廊下に差し込み、その光を頼りに中の様子に目を走らせる。黒檀の机に皮張りの椅子。壁際の本棚に、吹き抜ける風――。窓は閉じている。冷たい風の吹き抜ける感覚。それはおかしいと直感する。

 部屋に滑るように忍び込み、スバルはその風の行方を追いかけ――気付いた。
 部屋の奥の棚が横滑りし、普段は隠されているはずの壁に通り抜けられるサイズの隠し扉が設置されている。それを抜けた先にはらせん状の階段が連なっており、その階段ははるか眼下まで長く長く続くもので――、

「そうだ。こんな隠し通路があったんだ。覚えてる、覚えてるよ」

 以前のループのときのことだ。
 アーラム村の村民が魔女教の手で皆殺しにされ、屋敷でレムとラムの死体を見つけるという絶望のあと、崩壊寸前の自我のままスバルはここに辿り着いた。
 そしてこの隠し通路を抜けて地下に入り、そこで――。

「パックに氷漬けにされた、んだと思うが」

 確証はない。ただ、おそらくは同じ通路を使って避難したエミリアたちを追ったと思しき魔女教の氷漬けの死体が並んでおり、スバルもそれらと同じ末路を迎えて『死に戻り』をしたことは記憶にあった。
 その後、重要視することもないと確認することすら忘れていた地下通路だったが、

「それがどうして今……」

 これを利用したということは、少なくとも避難の必要があったということだ。
 そして利用したのが誰なのかといえば、当然ながら屋敷にいてこの通路の存在を知っていそうな人物――フレデリカだろう。彼女がペトラを連れて、この通路からどこかへ脱したと考えるのが単純な結論。問題は、

「なにから、逃げるために?」

 聡明な彼女であれば、決断には相応の根拠があったはずだ。
 屋敷内にしかし襲われた形跡がない以上、その迫った危険というものは事前に察知できたということ。それらの情報にスバルは魔女教という単語をちらりと思い浮かべるが、それを首を振って追い払い、

「それなら、フレデリカが書き置きの一つもしてないのが不自然すぎる。それにアーラム村の人たちはなにも気付いてなかったし……魔女教みたいな危なすぎる奴らがくるなら、村人を巻き込まないために行動を起こすはずだ」

 少なくとも、フレデリカはロズワールが組するエミリアをサポートすることに疑問を抱いてはいなかった。ならば彼女は彼女にできる範囲で、最善の対処をしているはずなのだ。村人がそれを知らないということは、魔女教ではない。
 とにかく、

「フレデリカとペトラはたぶん、屋敷を出てる。……それなら、俺は」

 一瞬、通路を抜けてフレデリカたちとの合流を目指そうと足を踏み出しかけ、そのスバルの足を止めたのはここまでの考えに名前の出てこない少女だった。
 もし仮にフレデリカがここを脱すると判断したとして、果たしてその逃亡にあの少女は同行してくれただろうか。

「俺の知ってるベアトリスは、そんな空気の読めるガキじゃねぇ」

 あの小生意気な縦ロールならば、きっとフレデリカの提案をはねのける。
 そうして自分だけの禁書庫に閉じこもり、なにが起きても平気と嘯いて、こちらの心配であるとか配慮であるとか、それら全てを蹴っ飛ばして、それで寂しそうな顔をするに違いないのだ。違いないから、

「引っ張り出してやる……!」

 誰が彼女を連れ出さなくても、スバルだけはそうしてやろうと考える。
 彼女が自分だけの城の中で、そこをどれだけ堅牢だと信じていようが関係ない。
 この場所に危険が迫っているとわかっていて、そこに小さな女の子を置き去りにするなど、できるはずがないのだから。

「そうと決まれば――!」

 隠し通路に背を向けて、スバルは息を鋭く吐くと執務室を飛び出す。
 ベアトリスを見つけ出すのに、もっとも確実なのは屋敷中の扉を片っ端から全て開けていくことだ。スバルならばその途中で、ベアトリスの禁書庫に繋がっていそうな扉が『なんとなく』わかる。それを頼りに、彼女を見つけ出せばいい。
 まずは最上階の扉を片っ端から――、

「とと?」

 と、勢い込んで駆け出す足がふいにもつれてスバルは転んだ。
 なんとも出だしの悪い姿に情けなさより気恥ずかしさが先立つ。格好付けた矢先がこれではイマイチ決まらない。
 通路の絨毯に手をついて、スバルはなにに躓いたのかと振り返る。見れば、執務室の扉の少し先になにかが落ちていた。

 桃色のそれはずいぶんと長く、そこから数歩離れたスバルの足下まで続いている。それを辿り、いったいどこまで続くのかと追いかけてみればなんのことはない。
 ――それは、スバルの裂けた横腹からこぼれ落ちていた。

「――は?」

 服の左腹が綺麗に裂けて、そこから桃色の内臓がこぼれ出していた。
 それは執務室の扉を出たところから始まり、スバルの足下で今絡んでこちらの足を取ったところで、それはつまりいつの間にか腹部を切られていたということで。

「……ぉぶ」

 それらを呑み込んだ瞬間、せり上がる血塊が喉を塞ぎ、視界が真っ赤に染まった。
 腹圧に耐えかねて溢れ出す内臓を、震える指先で体内に押し込もうとして、力が足りずにその場に膝から崩れ落ちる。体が支えていられず、上体が倒れた。

 なにが起きたのかわからない。今、スバルは確かに、走り出したところで。

「――言ったでしょう? 約束をしたでしょう?」

 ふいに声が聞こえた。
 正面、倒れるスバルの頭の上の方角から誰かが声を投げている。

 顔を上げる力がない。意識は溢れ出す内臓に、流れ出す血に、遠のいていく世界を必死で手繰り寄せようとしている。
 急激に体温が下がり、スバルは咳き込むたびに喉を塞ぐ血の塊で顔を汚しながら、かすみ始めた目で世界を把握しようと必死で努める。

 終わる、と直感が告げていた。
 それを心のどこかで理解しながら、しかしスバルはこのまま終わるわけにいかないと自分を叱咤する。
 なにかを得なければ、終わるわけにはいかない。なにか一つでも手繰り寄せなければ終わることなどできない。なにか、なにかなにかなにかなにかなにかを。

 足音が波紋を生み、通路を真っ赤に染めた血塊の上に黒い人影。
 黒の装束。細身。黒い髪。こちらを愛おしげに見下ろす、艶っぽい眼差し。
 それらに覚えがあって、そして『腹を切られた』感触を思い出して、スバルは納得した。

 魔女教ではない、ただ確かな脅威。それは――、


「次に会うときまで、腸を可愛がっておいてって」


 常軌を逸した愛の宣告。
 そこにスバルは確かななにかを掴み取って――意識がかすむ。

 かすんで、かすんで、かすんで、くすんで、くすんで、やがて。
 なにかもが消えて、終わって、そして――再び、始まる。


 ――四度目のループが、幕を上げる。


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