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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第三章 再来の王都

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第三章84 『ただそれだけの物語』


 ――気付けばまた、スバルの意識は暗闇の世界に導かれていた。

 茫洋とさまよう意識の存在。手や足、目や耳といったいずれの器官も失われ、ナツキ・スバルという存在は名前だけの意識として虚空を漂う。
 この世界にはいつだって、地面もなければ果ても見えない。ただひたすらに闇が広がり、漆黒に染められ、影が全てを覆い尽くしている。

 だが、今までのように無意識の間にここへ呼び寄せられたスバルであったが、これまでとはっきり違うことがひとつだけあった。
 以前までならば記憶すら曖昧で、自身の意思を持つことすら難しかったはずの常闇の中に、スバルははっきりと己の存在を自覚することができた。

 手足や体が存在せず、意思を行動に移すことはできない。
 しかし、意思を思考へ導き、理に思索を馳せることは許されていた。

 目覚めれば忘れてしまう、泡沫の夢の世界。
 いつだってスバルに締めつけるような郷愁をもたらす、影の庭園。
 ここへくるたびに出会う、顔も声もわからない、愛しい『誰か』の存在。

 目の前の闇が揺らぎ、影がゆっくりと人の形を作り出すのがわかった。
 細身の肉体が漆黒に生まれ、右手と左手がそれぞれはっきりと体に繋がって構成される。以前は片手だけだった存在が両腕を取り戻し、生まれた掌はスバルの存在を求めるようにこちらへ伸ばされてきていた。

 触れたい、求めたい、と反射的にスバルの心は魅せられる。
 だが、それに応じる手がない、言葉にしたくとも口がない、故になにもできない。

 スバルは彼女に触れられず、彼女もスバルに触れられない。
 スバルを求めるそのためだけに、彼女がどれだけの時間をかけて体を作り上げたのか。伸ばされる両腕がどれほどの時間と、犠牲の上に成り立つのか。
 その片鱗を無意識に理解していながら、スバルは己の無力さに打ちひしがれる。

『――愛してる』

 影が、その見えない表情をきっと悲痛に歪めて、スバルに愛を囁いていた。
 その言葉に応じたい、応じなければならない。声で、行動で、愛で報いたい。
 捧げられる愛情に、愛情でなければ向き合えない。なのに――、

「――スバル」

 誰かの声が、スバルの名前を呼んでいた。

 形のない意識が、その声が目の前の彼女ではなく、背後から届いたのに気付く。存在しないはずの目が後ろを見た。闇の彼方、点のような光が浮かぶ。
 声は確かに、そこから届いてきていた。

『愛してる』
「スバル」

 同時に言葉が投げかけられる。愛に報いたい。呼び声に応えなくてはならない。
 眼前に立つ彼女の声、背後の光から届く誰かの声――導かれるままに、引き込まれるように、スバルの意識は徐々に徐々に影の庭園から遠ざかる。

 引かれるように光の方へ。
 そのスバルの心のありように、目の前の声が悲痛な震えを帯びる。

『愛してる、愛してる、愛してる、愛してる愛してる愛してる愛してる――』
「――お願い、スバル」

 繰り返される愛の囁き。ただ純粋な思いだけ込めて、呼ばれる名前。
 自分の名前を思い出す。そして、それをそう呼んでくれる人のことを思い出す。
 自分のやらなくてはならないことを思い出す。自分が行かなくてはならない場所を思い出す。――だから、ここにはいられない。

『愛して……』

「今度はきっと、俺から会いにくる」

 存在しない口が、伝わるはずのない意思が、言葉を遮って決断を告げていた。
 押し黙る声。遠ざかる距離。意識が影の世界から光の世界に呑み込まれ、真っ白な輝きの中へ包まれて消えていく。

『――待ってる』

 最後に、その呟きだけを残して、スバルの意識は光の中で溶けて――、


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 意識が眠りという海から浮上し、覚醒という水面を突き破って瞼が開く。
 日の光は目覚めの眼球にひどく沁みて、涙目になるスバルはぼやけた視界の中に淡く輝く紫紺の瞳を見た。それはすぐ間近で、息がかかるほどの距離で、目を奪われるような美しさで、桃色の唇から本当に吐息が届いて――死ぬほど焦る。

「顔近くね!?」

「わっ、あっ、スバル、起きたのね! あ、よかった。ホントに」

 至近にあったそれがエミリアの双眸であり、息がかかる距離に彼女の顔があったことに気付いて即座に意識が曖昧から完全覚醒へ。慌てふためくスバルを見やり、エミリアはこちらの心臓の動悸も知らぬ顔でホッと胸を撫で下ろしている。
 チクショウ、可愛い。とそんな彼女の仕草を目で追いながら、スバルは自分とエミリアの位置関係が妙に角度的におかしいことに気付き、

「俺は寝っ転がってて、エミリアたんは正座中。んでもって、この距離で頭の下に天国のような感触があることを念頭に入れると……」

「そんな変な確認しなくても膝枕よ。寝心地、悪くない?」

「俺がどんだけ安らかな眠りに落ちてたと思ってるの? 悪いわけないじゃん。頑張った報酬としてこれ以上ないじゃん」

 遠慮なく頭の重さを膝に預けたまま、スバルはからからと笑ってみせる。と、エミリアはそんなスバルの笑みを見て、安堵にゆるんでいた口元をそっと引き締めた。
 空気が変わる。互いの無事を確認して、それ以上の話をしなくてはならない。

「えーっと、色々とどうなったか聞いていい?」

「色々とどうなってるのか聞きたいのは私の方なのに。……スバルが竜車から取り上げた魔鉱石が爆発したあとのことよね。もう、大変だったんだから」

 姿勢そのままでエミリアは瞳を伏せて、ぽつぽつと顛末を語り出す。
 事情の説明もなしに竜車からスバルが飛び出し、後ろを追おうとするよりずっと速く地竜に跨って走っていってしまったこと。追いかけようとしてパックとオットーに引き止められて、遠くに立ち上る爆炎を見て卒倒しかけたこと。慌ててスバルの姿を探し求めて倒れたフリューゲルの大樹の下へ行き、倒れるスバルとパトラッシュを見つけたこと。パトラッシュは、スバルを守るように上にかぶさっていたらしいこと。

「パトラッシュ、どうなった? 意識なくなる前に、俺の顔をべろべろ舐めてたような気がしたのは覚えてるんだけど」

「スバルが気絶したあともぺろぺろしてた。治療しようと思ってスバルと引き離そうとすると、すごいうなって怒ってたの。あの行商人の……オットーくんが話してくれなかったら、治療が始められなかったかもしれないぐらい」

「おのれ、パトラッシュ。エミリアたんになんて無礼を……いや、誰がきても俺を守ろうとしてくれてたってことか。どんだけ忠竜なんだよ、惚れるわ」

 パトラッシュとの付き合いはまだ一日半といったところだが、共にくぐった死線の数がすでにこの世界突入以来トップの位置に上り詰めている。それだけ今回のループが修羅場続きだったというのもある。実際、パトラッシュとの協力なくしてここまで辿り着くことはできなかっただろう。クルシュから借り受けた地竜に過ぎなかったのだが、クルシュが褒美をくれるというのなら――、

「パトラッシュもらおう、そうしよう。末永くやってこうぜ、相棒……ってなわけなんだけど、パトラッシュは?」

「火傷がひどかったけど、命に別条はないみたい。応急手当ては私がしたけど、今はヴィルヘルムさんも含めてフェリスが見ててくれてるから」

「ああ……フェリスも合流してんだ」

 治療トークの流れでフェリスの名前が出て、スバルは安心して肩の力を抜く。スバルに対する意地悪な言動の数々は別として、治癒術師としての彼の腕前にはなんら疑いはない。パトラッシュに対する処置も、万事滞りなく行われるだろう。
 それと同時に、村からの出発が遅れに遅れたはずの彼がこうして合流してしまっているということは、

「ひょっとして、俺ってかなり長いこと寝てたり?」

「四、五時間ぐらいだと思う。対話鏡がなかったら、きっと急いで王都に向かって治癒術師を探してた頃だったかもしれないわね」

 言いながら、エミリアが手に持つのはペテルギウスたちが使用していた対話鏡のひとつだ。ひとつはユリウスが、ひとつはフェリスが、そしてもうひとつはスバルが所持していたものであり、意識不明になったあとのスバルの懐から彼女が拝借していたものらしい。おそらく、フェリスからの呼びかけがあったことに気付いてくれたからだろう。連絡が取れたおかげで、スバルの治療も行われたわけだ。

「じゃ、みんな合流してるってことかな」

「フェリスもそうだし……ユリウスも、ね。私、すごーく驚いちゃった。スバルとユリウスが一緒にいるなんて想像もできなかったから」

「そこには山より碧く、海よりも青い理由があるんだよ、エミリアたん。一から説明するのも、ぶっちゃけ気が滅入るというかなんというか……」

 エミリアが驚いたユリウスとスバルの関係は、言葉では表現しにくい。というか、今となってはスバルにも、彼と自分がどんな関係なのかよくわからないのだ。
 憎たらしくてしょうがない敵対者であり、気障でいけ好かないが実力は確かな協力者であり、互いのミスがお互いの命を損なう状況で背を預けた戦友でもある。
 つまり、彼のことを一言で語るならば――、

「俺、あいつ、嫌い」

「なんで急に片言なの?」

「筆舌に尽くし難い奴への感情を、俺なりに言葉少なに表現してみた。結果はお察しだけど。……今、みんなは?」

 それ以上、その話題を続けるのがむず痒くて話題転換。エミリアはそんなスバルに仕方なさげに微笑し、「そうね」と言葉を継ぎ、

「フェリスの治療が一通り終わるまでは休憩中。でもそろそろ終わると思うから、また王都に向かって出発……かな。クルシュさんとお話しなきゃいけないみたいだし、スバルが頑張ってくれたおかげで」

「おおう、超頑張ったよ。マジアウェイの中でかなりハッタリとインチキ駆使して突破してやったよ。思い返しても胃がキリキリすんね!」

「うん、ホントに……ありがとう」

 素直にエミリアから感謝を告げられ、スバルは「あ、いや」と調子に乗った発言をしたのが即恥ずかしくなる。とはいえ、自分の行いがもたらす結果が彼女にとってプラスになったことは事実である。隠す必要とか、もうないし。

 改めてその事実に思い至り、スバルの中に素直な喜びの感情が溢れ出す。
 これまでの日々、彼女と別離を招いたあの時間から、もうずいぶんと記憶を重ねてきた気がする。繰り返しの数だけ、エミリアの知らない時間をスバルは重ねた。
 その時間の中で得てきたものを最大限に使って、スバルはこの瞬間を得た。それらの結果は正しく賞賛されるべきものであり、それだけの自信もあった。

 これだけやった。これだけ積み重ねた。やっと、ここに至れた。
 だから今度こそスバルは、あの瞬間のことを、あの時間に引き起こした自分の馬鹿な一言を、正しい意味にする資格を得たと思えるのだ。

 周囲に目を向ければ、どうやら自分たちは幌を開いた竜車の荷台にいるらしい。周りに人の気配はなく、この場にいるのはスバルとエミリアの二人だけ。他の面子がどうしているのかはわからないが、沈黙の間に聞こえるのは風のそよぎだけであり、切り取られたように世界は二人だけのものだった。

 奇しくも、状況はあのときと同じだ。
 傷だらけで、意識不明の状態から目を覚まして、二人きりの場所で。

「長いこと、夢でも見てた気分だ……」

 実際、あの別離の瞬間から今回のループ――この最終ループに至るまでの間に起こった出来事の数々は、夢かなにかであったかのように現実感がない。それほど極限の状態が幾度も訪れて、スバルは何度も絶望の奈落へ叩き落とされた。
 まさしく、あれらは悪夢の連続であったとしか言いようが――。

「悪い夢を……いや、違うな」

「いい夢、だった?」

 首を傾けて、エミリアがスバルの言葉を引き継いで問いを発する。
 彼女のその言葉に目をつむり、スバルは『悪夢』と断定しかけた日々を回想する。確かに絶望的な状況の連続で、決して笑って振り返ることなどできないし、できたら記憶から消し去りたいような場面の連続ではあったけれど。

 愚行に走り、身勝手に振舞い、我儘を押しつけ、手酷く期待を裏切られ、失望と絶望に打たれて、精神の崩壊に陥り、狂気の一端に身を捧げ、諦念に支配されて全てを投げ出しかけて――そこから、救い出された。

 なかったことにはならない。あれがなければ、今のスバルはここにいない。
 だから夢のような日々で、苦しいことばかりが目につく時間だったけれど。

「いい、リアルだった」

 あの長い長い、悪夢のような時間はスバルの中にしか残っていない。
 それを過去にすることはできる。でも、夢にすることは許されない。自分の行いが生んだ悲劇の結果も、招いた惨劇の結果も、全て抱え込んでいこう。
 それが『死に戻り』という常識の埒外な力に囚われて、その力で未来を切り開いたスバルが背負っていくべき十字架なのだから。

「どれぐらい、話は聞いてる?」

「ほとんどなんにも聞いてないの。ユリウスが、スバルから聞くようにって」

「あの野郎、マジお節介」

 それで気でも遣ったつもりでいるのか、ナイスアシストすぎて反吐が出る。
 スバルは悪童めいた笑いでユリウスの計らいに悪態をつき、吐息。
 軽く息を止めて、エミリアを見て、

「あの日、君は俺に『どうして』って聞いたよな。どうして助けてくれるのか。どうしてそんなに色々頑張るのか。どうしてなのか、って」

「うん、聞いた。そしたら、スバルは私がスバルを助けたからって。……でも、私はそんなことしてない。全然できてない。私はスバルに助けられてばっかりで、なんにもしてあげられなくて。それなのに、スバルは私のためだって傷付いて……」

「いや、あんときは俺がどうかして……」

 どうかしてた、と言い切ろうとして、言い切れない自分がいる。
 どうかしていたわけではない。あの時点でのナツキ・スバルという人間は、弱くて愚かで自分のことしか考えていないその男は、それが正しいと信じていた。
 押しつけがましい独りよがりな感情を、ただ受け止めてもらえるものとばかり。

 そんな身勝手な愛の存在を声高に主張した男の最期を、スバルは知っている。自分の身を持って体験もし、この手でその愛を打ち砕きもした。
 正しく、捧げる愛の存在を証明してみせた人物の姿も、この目に焼き付けた。

「あのときの俺は、自分のことばっかりだった。認めるよ。俺は君のためって言いながら、『君のために頑張る自分』ってやつに酔ってただけだ。そうやって酔っ払って振舞ってれば、君はそれを受け入れてくれると勝手に思ってた」

「スバル……」

「ごめんな。俺は君を利用して、悦に浸ってた。あのときの言葉は全部、正しかったよ。俺が間違ってた。……でも、間違ってなかったこともある」

 自分のためにエミリアを利用した。彼女の涙声の叫びをスバルは肯定する。だが、否定されたあの場面の自分を見つめ返して、やっぱりひとつだけは譲れない。

「君を助けたい。君の力になりたい。それは本気で本当で、嘘じゃない」

「……うん、わかってる」

 スバルの言葉にエミリアは頷く。
 それから彼女は紫紺の瞳を大きく揺らし、一度だけ瞬きしてスバルを見つめた。
 そして、

「どうして、私を助けてくれるの?」

 あのとき言われた言葉。数時間前に、再び問われた言葉。
 今もまた同じように、答えを求めて差し出された言葉。スバルの答えはひとつだ。

「――エミリアが好きだから、俺は君の力になりたいんだ」

 真っ直ぐに、彼女の瞳を見つめ返して、スバルははっきりとそれを告げた。

 ――けっきょくは、スバルの行動の原点はひたすらシンプルなそれに集約される。
 彼女の力になりたいのも、彼女の傍にいたいのも、彼女を助けてあげたいのも、彼女の笑顔が見たいのも、彼女の隣にありたいのも、彼女と未来を生きたいのも。

 全部が全部、頭の先から足の先まで、魂に至るまで全身全霊で、エミリアが好きだ。

 だからスバルは死ぬような目に遭っても、事実として何度も死んでも、傷付いて嫌われて苦しんでも、這い上がって食らいついて、こうして戻ってきてしまう。
 たったそれだけの答えを出すのに、いったいどれほど遠回りをしたのか。自分で自分の馬鹿さ加減に呆れてしまう。

「――――」

 スバルの答えを聞いて、エミリアは唇を閉ざして沈黙を選ぶ。
 やけに落ち着いた気持ちで彼女を見上げながら、ふと達成感に満たされていたスバルは大変なことに気付いた。

 ――あれ、これ俺、マジ告白して返事待ちの状態じゃね?

 人生において、告白することもされることもなかったスバルにとって、これは人生で初めて訪れたとんでもない事態である。嘘、告白されたことはありました。それもこの世界で、可愛い可愛いレムに。でもそれとこれとは別問題。レムに対する愛情云々の話と、エミリアに対する愛情云々の話はベクトル一緒でも別問題なのである。

 と、スバルがひとり表情を変えずに内心で煩悶としていると、ふいにエミリアの表情が崩れた。閉ざしていた唇を噛み、大きく開かれていた紫紺の双眸がわずかに細まり、それは今にも泣き出しそうな様子にも思えて。

「わ、私……ハーフエルフ」

「知ってるよ」

 震える声で、今さらすぎることを再確認するエミリア。
 間髪入れないスバルの答えに息を呑み、それから彼女は首を振り、

「銀色の髪で、ハーフエルフで……魔女と見た目が一緒だからって、色んな人から疎まれるし嫌われてるの。ホントに、すごい、嫌われてるの」

「見てた。知ってる。見る目のねぇ奴らだよ」

 見た目だけに振り回されて、しかもそれが過去の大罪人に似ているからなどと馬鹿馬鹿しい。彼女の本質をなにひとつ見ないで、誰が彼女を嫌いなどといえるのか。

「人付き合いの経験が少ないから友達とかいないの。世間知らずだから変なこと言っちゃうこともあるし……あと、契約の関係でほとんど毎日髪型とか違うし、王様にならなきゃいけない理由だって……すごく、すごーく自分勝手で……」

 欠点を羅列しようとして、必要のないことまで言ってしまう部分に彼女の焦っている部分が垣間見えている。そうして自分への自信のなさを、言葉にして肯定しようとするか弱さすらも今は愛おしい。だから、

「エミリアが誰になんと言われて、自分で自分をどう思っていようと、俺は君が好きだよ。大好きだ。超好きだ。ずっと隣にいたい。ずっと手を繋いでたい」

「あ……」

「君が自分の嫌いなところを十個言うなら、俺は君の好きなところを二千個言う」

 エミリアの膝から体を起こして、視線の高さを合わせて目を見て言った。
 小さく口を開けて、スバルを見るエミリアの瞳にみるみる内に涙が溜まる。大粒のそれは瞬きと同時に流れ出し、白い彼女の頬を伝って透明な軌跡を描いた。

「俺は君をそうやって、俺の『特別扱い』したいんだ」

「……されて嬉しい特別扱いなんて、生まれて初めて」

 伸ばした手で、その流れ落ちる涙をそっと押さえる。頬に触れたスバルの手に、上からエミリアの掌が触れて、ひどく熱い互いの体温を交換する。
 彼女は目をつむり、スバルの指先を頬に感じたまま、

「どうして、二千個なの?」

「俺の気持ちを表現するのに、百倍じゃ足りねぇからだよ」

 歯を見せてスバルが笑いかけると、エミリアも泣き笑いの表情を覗かせる。
 その笑顔がひどく眩しくて、こぼれ落ちる涙さえも宝石のようで、微笑みひとつでこんなに満足感を得てしまう自分は、なんと安上がりな男なのだろうと笑える。
 そうやって笑いながら、エミリアはスバルの指先に頬を擦りつけ、

「嬉しい。本当に、嬉しい。誰かに好きだなんて、言ってもらえる日がくるなんて考えたこともなかったから」

 彼女のこれまでの日々の中、『特別』とはそのまま差別を意味した。
 だから彼女は誰かに『特別扱い』されることをひどく恐れていた。そんな彼女の気持ちがわかっていながら、スバルは彼女を『特別扱い』する。
 他の誰がしなくとも、この世界でスバルだけが。

「私、どうしたらいいの? スバルがそうやって、私に気持ちを伝えてくれてるのに……私、なにをしたらいいのかわからないの」

「焦んなくていいよ。別にすぐに答えを欲しがっちゃいないから。いずれちゃんとした形で、しかもOKもらうのは俺の中で決定事項なんだし」

 誰かに好かれた経験が乏しい彼女は、そんな部分が幼子のようで可愛らしい。その彼女を急き立てて、答えを求めるようなことはしない。
 誰かに好かれるという意味をもっとしっかり理解して、彼女もまた誰かを愛せるのだとわかってくれたときに、その想いを向けられる相手でありたいと思う。
 その想いを向けられる資格のある、そんな男であろうと強く思う。

「いいの、かな。私が……私なんかが、こんな嬉しいことばっかりもらって。こんなに幸せな気持ちで、贅沢な思いで……」

「いいじゃん、しようよ贅沢。幸せなんかいくらあったって困りゃしないんだし、溢れ返って余ったら配ったらいいさ」

 ――だから。

「ゆっくりでいいよ、エミリア。ゆっくりじっくりのんびりと、俺を好きになってくれたらいい。君の隣を歩きながら、君をメロメロにできるように頑張るから」

 ひぅ、とエミリアの喉が小さく鳴った。
 そのまま彼女は頬に手を当てて、堪え切れない涙をぽろぽろと流し始める。

 手を伸ばして、スバルは彼女の長く美しい銀髪を梳くようにして撫でた。
 柔らかに柔らかに、優しく。

 そうしている間、エミリアはずっとずっと泣き続けていて。
 スバルはずっとずっと、そんな愛おしい彼女のことをずっと撫で続けていた。


 ――夕刻が近づく空の下、異邦人と銀髪の半魔が身を寄せ合って想いを交わす。

 長く長く続いた、苦難と絶望の繰り返し。
 それを乗り越えてようやく得た、穏やかで静かな時間。

 これはただ、この時間を得るためだけの物語。
 遠回りして、すれ違い続けて、迷い続けてきた、それだけの物語。


 ひとりの自信のない少年が、ひとりの自信のない少女に想いを伝える。
 ただそれだけのために頑張った――それだけの物語。

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