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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第三章 再来の王都

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第三章78 『狂人と狂言回し』


 ――さんざっぱらスバルの爆笑が響いたあとで、ようやく身元の確認されたオットーが拘束から解放された。

 縛られていた手首と、猿轡をはめられていた口の端をさすりながら、オットーは赤い顔のままで恨めしい目つきでスバルを睨む。

「助けてくれてありがとうございます……って、素直に言いたくない気分なんですが」

「おいおい、命の恩人グループに対してなんて言い草だ。恩知らずなんて名前で周りに覚えられたら、今後の商いがやり辛くなって首絞めるだけだぜ?」

「あー! もう完全にこっちの事情は割れてるわけですね! ありがとうございます! おかげで命拾いしました! 生きた心地がしませんでしたからね!」

 オットーの背景にもそれなりに通じるスバルのからかい口調に、彼もヤケクソ気味な大声で謝罪を投げた。

 内通者から取り上げた対話鏡、それと繋がる二ヶ所の潜伏先――一ヶ所はペテルギウスが潜む洞穴であると判断されており、残りの一ヶ所がスバルが知れずにいた最後の指先の居場所と目されていた。
 故にエミリアたちの避難誘導と並行して獣人傭兵団に指示を出し、奇襲をかけさせてあらかじめ危険を排除する方向で動いていたのである。

 結果、フェリスの暗示で虚偽報告を受けていた魔女教徒たちはこちらの動向を一切察せず、無防備に奇襲を受けて壊滅――数名の捕虜と、なぜか奴らに捕獲されていたオットーを救い出すことに成功していた。
 ついで、さらに朗報となったのは、リカードたちが連れ帰った捕虜の顔ぶれ――もっと詳しく言えば、その中に見覚えのある女性がいたことだ。

「ペテルギウスが二回、憑依した女だ。今のとこ、乗り移り率が百パーセント」

 好んで選んでいるのかは別として、ペテルギウスが現在の肉体を失った場合、次に憑依する可能性の高い人物が捕虜の中に紛れていた。
 意識を奪って拘束してあるため、仮にペテルギウスが今の宿主を失ったとして、次に彼女に乗り移ることを選ぶかどうかの可能性は低くなったといえる。
 そして、予備の乗り移り対象の可能性が高い他の拠点はすでにこちらに位置が割れているわけで――大きく、勝利に近づいたといっていい。

 白紙の親書や最後の指先。いくつかの切れ端が形を繋ぎ始めたことで、スバルは未来という紙片を正しく形作ることができている手応えを感じている。
 今回、オットーが救い出せたこともまた、その一部といっていいだろう。

 森から傭兵団のライガーの群れと、スバルも見知ったオットーの地竜が竜車付きで現れる。財産丸ごと接収された上に、命まで握られていたとあってはさぞ彼も生きた心地がしなかったことだろう。
 実際、これまで通りに流れを進めていた場合、オットーの末路がどうなっていたのかは想像に難くない。前回あのままクリアしていたならば、彼とこうして再会する機会もなかったと思えばミスをした甲斐もあったというものだ。

「と、そういうことにしといてやるよ。ぺっ」

「なんですか、その反応! 僕、あなたになにかしましたっけね!?」

 照れ隠しと悔しさ紛れに唾を吐き捨てる姿にオットーが喚くば、スバルはそれを「それはそれ」と適当に流して話題を変える。

「で、どういう経緯で捕まったのよ。お前だけとか流れおかしいぜ」

「それは……その、非常に言葉にし難い都合というものがありましてですね」

「今、この領地に足を運ぶ奴は大概、王都からのお触れでロズワール辺境伯の屋敷に小金目当てに集まった行商人が多かったりするんだけどー」

「もうほとんどわかって聞いてますよねえ!? そうですよ! これ幸いにとその儲け話に飛びついて、みんな出し抜こうとして悪路突っ走って一番乗りしようとして、運悪く森に展開してた奴らの住処に出くわしてとっ捕まったんですよ! さあ、笑わば笑え!」

「いや、そんな欲の皮突っ張った話を聞かされて笑えって言われてもちょっと引くっていうか……」

「釈然としませんねえ!!」

 空元気で笑い飛ばそうとしたオットーの気構えを軽く挫いて、理不尽に叫ぶ彼の醜態を改めてせせら笑う。
 どうやら、商人根性と案外無鉄砲な部分に関しては変わっていないようでなによりだった。久々のその対話を快く感じつつ、彼の姿をざっと確認。

 ――その態度に不審な部分や、妙な敵意が感じられないかどうかを。

 同じような警戒を、遠巻きに二人を見ているリカードもしている。
 潜伏先から連れ出された経緯が経緯だけに、この時点で疑いはほとんど晴れているといってもいいのだが、念には念を入れてだ。
 行商人のリーダー格、ケティが内通者だったことを思えば、それなりに親しい関係を築いていた彼であっても不用意に信用することはできない。

 そうした疑いを繰り返すたび、心が荒んでいく自分に嫌気が差す。
 何度も世界を繰り返しても、人の真意も心も過去も、その本質を知ることがスバルにはできないのだ。故に疑い続けるしかない。信じてもらえるように足掻きながら、本音の部分で相手を信用できないままに。

「俺も嫌な奴になってきちまったなぁ」

「なんです?」

「お前が無事でよかったな、っていったんだよ。この村にいれば危険はとりあえずないし、今は待機しとけ。儲け話に関してはご愁傷様でした、としか」

 自嘲を軽口で誤魔化すと、その言にオットーは驚いた顔で周囲を見回す。そして遅まきながら、自分の求める光景が村々の中にないことに気付いた顔で、

「ま、まさか……もしかして、ひょっとして、すでに……?」

「儲け話に乗っかるチャンスは落っことしたってこと。まぁ、命あるだけ儲けもんってことで納得するしかないわな。油、うまくさばけよ」

 顔を蒼白にするオットーの肩を同情気味に叩き、崩れ落ちそうな彼を置いてスバルは準備を進めている面々を見渡す。と、こちらを見ていたリカードと目が合い、彼はオットーの見極めは済んだというように鼻先を揺らし、ミミたちに合流していく。
 どうやら歴戦の傭兵のお墨付きもいただけた、とスバルは安堵の吐息を漏らし、この場でのオットーのこれ以上の無謀だけは避けようと大雑把に事情を説明する。
 若干、上の空な感はあったものの、合いの手を入れる彼に身振り手振りを交えて事情を話し終えて、

「ってなわけで、森の山賊――お前はもう知ってるだろうけど、魔女教を倒すための討伐隊がここの面子。その間、戦場になるかもしれないんで村人を避難させるのに行商人を集めてたわけ。完全に行き違いになったお前には悪いけど、もう今さら村から出してやるわけにもいかないから、決着がつくまではここで待機だ。オーケー?」

「お、おけー?」

「受け入れてもらえてなによりだよ。何人かは残るから、その人たちから離れないように頼む。んじゃ、全部片付いたらまた話そう」

 呆然自失のオットーにそれだけ告げて、スバルはとりあえず彼のことを後回し。
 代わりに班編成と整列が終わったらしき討伐隊の方へ向かい、それぞれを仕切っているユリウスとリカードに声をかける。
 と、振り向いたユリウスがスバルと、遠目にオットーの方を見て、

「知人との再会だったのだろう? もう十分、旧交は温められたのかい?」

「馬鹿笑いして馬鹿話して、その裏っ側になんにも隠してないかじろじろ覗き見てきたんだぜ。我ながら性格悪すぎて馬鹿になった気分だよ」

「満足はできているようでなによりだ。疑いたくない相手を疑う必要がなくなったのなら、それで十分といえるだろう。――彼はどうする?」

 自虐的なスバルの発言を諭し、ユリウスは黄昏るオットーの処遇を問う。それに対してスバルは顎を引き、村を示すように腕を広げて、

「村に残すさ。どっちにしろ、待機班はいる予定なんだからそこで守ってもらう。今さら避難した連中の後を追わせて、面倒事を増やすのはごめんだしな」

「それがいいだろう。では、時間をかけるのも不要なリスクを生むだけだ。そろそろ、動くとするかい?」

 スバルの答えに首肯し、瞳を細めるユリウスが戦意を秘めた問いを発する。その彼の呼びかけに、整列する騎士たちが、リカードが表情を引き締めるのがわかった。
 戦意が高まり、戦場の気配が濃密に漂い始める。

 顎を持ち上げて空に視線を向け、スバルはわずかに思考を宙へ浮かべる。
 いくらかの不安要素はあるが、潰せる限りのリスクは潰し切った自信がある。やるべき人事を最大限に尽くし、あとは天命がこちらを微笑むのを待つのみ。
 であるならば、これ以上の時間をかけることも、戦意を挫くだけの愚挙でしかない。

「――やろう、手筈通りに頼む」

 視線を落とし、全員を見渡しながらスバルが静かに檄を飛ばす。
 それを受け、騎士たちが同様に首肯し、それぞれが待機させていた地竜やライガーにまたがり始めた。

 スバルの傍らにも、出番を待ち望んでいたとばかりに意気軒昂なパトラッシュが寄り添ってきており、その固い肌を掌で撫でてから背によじ登る。

 隣、スバルを挟むようにユリウスとリカードが並び合っており、そんな彼らの眼差しを背に浴びたまま、スバルは小さく息を吸うと、

「んじゃ、やろうぜ、みんな。頼りにしてっから、力貸してくれ――!」


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 前回の戦いの経験も踏まえて、ペテルギウスの『憑依』に関してスバルはある推論を立てていた。

 まず第一に、ペテルギウスの『憑依』は現在の肉体が活動を停止したときに、別の肉体に意識を乗り移らせることで成り立っている。
 第二に、乗り移る対象は誰でもいいわけではなく、『指先』とペテルギウスが称する部下の肉体に限られるものと考えられる。
 第三に、『指』という表現から、おそらくはスペアの肉体は全部で十体。各所の潜伏先に一名ずつ配置されており、有事の際に乗り換える手筈になっている。
 第四に、仮にペテルギウスを死なせずに意識不明にしたとしても、別の指先がそれを察知した場合、現在の肉体を強制的に自害させることで憑依現象を誘発させ、乗り移りを実行する仕組みが構築されている。
 第五に、乗り移る『指先』を全て失った場合、ペテルギウスは最終手段としてスバルの肉体に憑依してくる。この憑依は強烈であり、いかに強く意識を保とうとしても抗い切れるものではない。――以上だ。

「改めて箇条書きにしてみると、初見殺しってレベルじゃねぇな。これで『見えざる手』と『怠惰』の権能持ちとか、悪質過ぎて話にならねぇ」

 不可視の致命傷を与えてくる漆黒の魔手『見えざる手』。
 耐性のないものの戦意を挫き、正気を失わせる精神汚染『怠惰』。
 そして、それらを乗り越えて命を奪っても、一度では殺し切れない『憑依』。

 一度きりの人生一発勝負であれば、匙を投げて当然のラインナップだ。
 仮になにも知らないまま挑めば、百度挑んで百度殺される自信がスバルにはある。こうして記憶を保ったまま繰り返し続け、打開策を練り続けてようやく光明が見えてくるレベル――魔女教が四百年も幅を利かせている理由がわかろうというものだ。

 それだけ初見殺しに特化した力を持つペテルギウス。
 誰にでも通じる必殺パターンという意味で考えるのであれば、なるほど奴が魔女教の中でもひときわ名前が知られるほど、重用される経緯にも納得がいく。
 だからこそ、ペテルギウスとの相対にはスバルが欠かせないのだ。

 初見殺しを容易く行う奴に対し、ゆいいつ初見ではない体験を持って挑める存在。
 ペテルギウスにとっての天敵が、ナツキ・スバルであると言っても過言ではないのだから。

 ――鬱蒼と木々の生い茂る森を抜け、スバルは幾度も足を運んだ洞穴を目指す。

 見渡す限りの視界を緑に覆われて、方向感覚さえ失いそうな世界の中、しかし進む足取りに迷いはない。すでに何度も同じ目的で通った道だ。感覚が、足が、記憶に刻まれた経験をなぞるようにスバルをそこへ導いてくれる。

 一度として、その場所へスバルは戦意を抱いて向かったことがない。
 前回もその前も、スバルは自分の役割を時間稼ぎの、さらにいえば陽動の駒と割り切って、それをやり遂げることだけを意識してその場に臨んでいた。
 それ以前は殺意と、自暴自棄な終末感と、それら負感情だけに溺れていた。

 だが、今回は違う。今回だけは、そうではない。
 スバルはここへ、自らの戦いの決意を固めてやってきたのだ。

 長い長い因縁に、繰り返し続けてきた戦いの決着を、自らの手で刻むために。

「――よく、おいでになりました、寵愛の信徒よ」

 森が開けて視界が広がり、スバルは瞼に日の光を、足裏に固い岩肌を感じる。細めた目で前を見れば、高々と切り立った断崖が視界を塞いでおり、その手前に立つ痩身が両手を広げてこちらを歓待しているのが見えた。

 こうして相まみえるのも、五度目にもなるだろうか。
 何度も顔を合わせれば、誰にだってそれなりに好意的な印象を持つものだと思うのだが――この男にだけは、やはりそれは無理そうだった。

「ワタシは魔女教大罪司教『怠惰』担当。ペテルギウス・ロマネコンティ……デス!」

 両手の指をこちらに差し向け、すでにお決まりとなった口上で名乗るペテルギウス。黒の法衣の裾をはためかせ、黄色がかった歯を剥き出す狂人は弾んだ調子でスバルを眺めながら、

「良き日デス、素晴らしき日デス。まさかまさに試練を決行しようと決めていたこの運命の日に、こうして新たな愛の寵児を迎え入れることができるとは……! 感涙、感激、感嘆でワタシの胸が張り裂けそうでたまらないのデス!」

 己の胸に手を当てて、その細い体を自ら抱きしめるような姿勢でよじり始める。狂人の奇態に表情に嫌悪が出ないよう苦心しながら、スバルは小さく深呼吸し、

「お初にお目にかかります、大罪司教殿。この度は試練を取り行う直前での合流、誠に汗顔の至りです。ですが、この身、この魂を、此度の試練を行う信徒の末席にお加えくださればこれ以上の栄誉はありません」

 身を折り、膝をつき、最大限の敬意を示す形でスバルは礼をペテルギウスへ向ける。それを見届け、ペテルギウスはまたしても感激したように瞳に涙を浮かべ、滂沱とその涙滴に頬を濡らしながら、

「おぉ、おぉ、なんと素晴らしき志か! なんと澄み切った愛の示し方か! これほど! 我が身の怠惰さを呪ったことは記憶にないのデス! アナタの! アナタのような敬虔なる愛の信徒を! これまで同胞と迎え入れずにきたのは魔女教の、ワタシの怠惰が為した不徳に他ならないのデス! あぁ、お許しください! アナタが世界に注ぐ愛の導を、一滴でも見落とすワタシの怠惰をお許しください――!」

 跪くスバルに対抗して、というよりは己の感激の度合いを表現するためか。地面に四肢を投げ出し、ペテルギウスは岩肌に自らの額を打って自罰を執行――容赦ない威力に額が裂け、血が流れるのもいとわない自傷行為が繰り広げられる。
 指を噛み潰す行いといい、自傷行為を好んで行う相手だと思っていたが――その肉体がペテルギウス本人のものでない可能性が生じた今となっては、それを単なる自傷行為と片付けていいものとは思えなくなっていた。

 ともあれ、その自傷行為が行き過ぎて命を落とされても今はマズイ。
 まだ、水面下でのこちらの思惑が進み切っていない。時間稼ぎはなおも続行し、状況を想定した通りの展開に持ち込まなければならないのだから。

「司教様、おやめください。そのような行い、魔女様もお喜びにはなりません」

「あぁ、しかししかししかししかしかしかしかしかしかししししししぃ! ワタシの行いの怠惰さを! 愚かしさを! 愛に報いれぬ不実さを! お許しいただくには自らを罰し、律するより他に方法がないのデス!」

「そんなことはありません。魔女様ならば愛すべき信徒の傷付く姿より、寵愛に報いるよう、試練の遂行をすることを喜ばれるはずです」

 歩み寄り、自傷しようとするペテルギウスを引き止めてスバルがそう告げる。と、ペテルギウスは乱暴によじっていた体の動きを止めて、その目を大きく見開いてスバルを見上げた。その渇いた視線に、内心に怖気が湧き立つのを感じながらスバルは無言で頷きかける。
 ふいに、そのスバルの腕を骨と皮だけの掌が強引に掴み、

「――全て、アナタの仰る通りデス」

「――――ッ」

「あぁ、ワタシは誤っていたのデス、間違っていたのデス、正しくあれなかったのデス! そう! 試練、今、ワタシが行うべきは自罰でも自傷でも自死でもなく、試練! 愛しき魔女の寵愛に応えるために、試練を取り行うことこそがワタシに与えられし身命を賭すべき使命! それを忘れて自虐で悦に浸るなど、なんと愚かしい! あぁ、アナタの言葉で目が覚めたのデス! 素晴らしい、素晴らしい、素晴らしいぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ――!」

 掴んだスバルの腕を乱暴に上下に振り、一方的な感謝を告げてペテルギウスは立ち上がる。額から滴る血を法衣の袖で乱暴に拭い、ペテルギウスは自虐を愚かしいと言い切った口に指を含んで噛み潰し、

「怠惰である我が身になどなんの価値もないのデス。勤勉であることがこの世でもっとも尊きことであり、怠惰であることはこの世でもっとも唾棄すべき悪徳。なればワタシは勤勉さでもって、宿業である怠惰を永遠に遠ざける。あぁ! アナタ、実に勤勉な方デスね! 新たな信徒としてアナタを迎え入れることができるのは、実に実に実に実につにつにつににににににに、喜ばしいことデス!」

 もはや言動に一貫性がなく、論理は支離滅裂だ。
 自傷を省みる発言をしながら指を噛み潰し、己の軽挙妄動を涙を流して恥じていたかと思えば全て忘れたかのように愉しげに笑い出す。

 ペテルギウスの言動、行動が破綻しているのはわかっていたつもりだったが、それを知ったつもりになってなおペースに合わせられない。
 時間稼ぎを念頭に会話を続けようとするスバルが、思わず口をつぐんでしまうほど狂的な人間性が垣間見えるのだ。

「――試練の、話をいたしましょう」

 息を詰めて目をつむり、スバルはそれら無理解の感情を押し込めて声を出す。
 話題にしたのは『試練』と、何度も狂人が口にした此度の襲撃の大目的。スバルの知る限り、ペテルギウスの口から試練のその内容にまで踏み込んだ会話が行われたことは一度もない。

 ペテルギウスはこの襲撃を『試練』と呼び、エミリアを試すといった風な発言を毎度毎回繰り返している。ならば、その真意はいったいなんなのか。
 なにをどうすれば、ペテルギウスの出題する『試練』を乗り越えたことになるのか。狂人を理解したいなどとは毛頭思わないが、行いになにがしかの根拠があると信じなければとても向き合えない。
 せめてこの馬鹿げた行いの果てに、奴らがなにを求めているのか――その程度、理解できるものであると思えなければ。

「合流に当たり、是非ともこの度の活動の目的を――試練のことをお聞かせ願いたいのです、司教様」

「――試練」

 ぽつり、とペテルギウスがそれまでの感情をふいに消し去ったように呟く。
 その静かな姿にスバルの背筋を怖気が立ち上るが、かろうじてそれを表情に出さないように堪えて言葉の先を待つ。
 以前、こうして試練の話題に踏み込もうとした際には、福音の提示を求められて話がご破算となったが、今回はどうなるか。

 やけに喉越しの悪い唾を呑み込みながら、沈黙に胃を焼かれるのを感じる。
 そうして、額に浮く脂汗が顔を伝うのを止められなくなる寸前で、

「試練! そう、試練デス! 試練なのデス! 試練を取り行わなければならないのデス! 試さなければ、試されなければ、ワタシはそのためにきたのデスから!」

 顔をパッと輝かせて、ペテルギウスはその場で弾むように回り出す。
 突然声高に叫ばれて、緊張感で固くなっていたスバルは一瞬だけ呆然。そのスバルの前でペテルギウスはなおも甲高い裏声のまま、

「試すのデス! 此度の、新たに存在の発覚した半魔のその身が、魔女を降ろすにふさわしいかどうか試すのデス! 器にふさわしき身ならば確保し、そうでないならば不敬な出生の対価を支払わせるのデス!」

「魔女を降ろす? 器? ……対価?」

「孤独を! 負感情を! 鬱屈としたそれこそが器のありようを! 魔女のそれにふさわしからんと高めるのデス! なればこの怠惰な我が身、我が意、我が指先を持って万全に施さなければならない! あぁ! 愛に! 愛に! 報いねば!」

 頭上に指先を伸ばし、天を掴もうとするかのような狂人の仕草に、そしてその言葉の内容にスバルはある種の答えを見て背筋を凍らせる。
 器、降ろす、それらの言葉が解釈通りであるのならば、

「試練の結果、その半魔が器にふさわしいとわかれば……その器に魔女を降ろして……」

「嫉妬の魔女、サテラは再び世に顕現せり――デス! その日、そのとき、その瞬間をどれほど、いかほどに、これほどまでに待ち望んでいるのデス! その助けに、一助に、礎にワタシがなれるのであれば……これ以上の喜びは、ないデス!!」

 感涙し、滂沱と涙を流すペテルギウスの歓喜に満ちた声音。
 それを聞きながら、スバルは想像以上に魔女教の目的が悪辣であった事実に反吐が出そうな不快感を味わっていた。つまり奴らは、あれほど残虐に振舞って、あれほどの虐殺を行って、あれほどスバルを追い詰めておいて――。

「エミリアには、なんの価値も見てないのか」

 奴らにとって、エミリアの存在は魔女の魂を収める器に過ぎない。
 魔女の魂が入る前、その体の持ち主の意思がどれほど高潔で、どれほど懸命で、どれほど想われているか――そんなことは、欠片も意味がないのだ。
 それは即ちエミリアという存在に対する際限のない侮辱であり、彼女という存在に心を揺すぶられるナツキ・スバルにとっても、堪え難い屈辱であった。

 その過程でひとつの村を焼け野原にすることも、呵責どころかなんら気にも留めていないのだろう。手にかけた命ひとつひとつに物語があり、夢や明日があったであろうことを無意識的に蔑にできるのだ。
 そうでなくてどうして、あれほどの所業を平然と、笑い飛ばすでもなく、淡々と行えるものだろうか。

「――怪物め」

 一瞬だけ、一言だけ漏れたスバルの敵意にペテルギウスは気付かない。
 理解のできない考えで、同調などできるはずもない観念で、わかり合えることなど永遠にないだろう怪物――それが、ペテルギウス・ロマネコンティ。

「司教様、御高説拝聴いたしました。魔女教の理念、聞きしに勝るお言葉に感服いたしました。試練、必ずや成し遂げましょう」

「おォ! やはりアナタは素晴らしい! そうデス、そうなのデス、そうでなくてはならないのデス! 一丸となり、一心不乱に、一身を投じて本懐に挑まなければ我々は我々としての意義を見失う! ワタシの指は、ワタシの足は、ワタシの目は、ワタシの鼻は、ワタシの口は、ワタシの舌は、ワタシの血は、ワタシの骨は、ワタシの肉は、ワタシの魂は、それ全て魔女に捧げるためのものなのデス! 寵愛を受けたそのときから、愛されていると知ったそのときから、ワタシという存在は全霊をもって愛に報いるだけの塵芥……あぁ! なんと、怠惰なことか!!」

 口が腐りそうなおべんちゃらを形にするスバルに、言葉の上辺だけを汲み取って受け取るペテルギウスは疑いすら持たないらしい。
 彼は自分の内側から溢れんばかりの身勝手な信仰を誇らしげに語り、その法衣の内に手を入れると黒い装丁の本を――福音書を抜いて、ページをめくり始める。

「福音書に刻まれし言葉が、愛を物語るそれが! ワタシに行動を決意させるのデス! 愛を貫くために、行いを貫徹するために、障害は不可欠! 障害はあって然るべき! 障害は当然の存在……! 故にこそ、ワタシの日々の勤勉さが、怠惰に抗う信仰が試される、試される、ワタシに与えられし試練のとき――!」

 ページに記された文字を指で追いながら、口の端に泡を浮かべるペテルギウスが血走った目を走らせる。
 一度、福音書をその手から奪うことに成功しているスバルにとって、ペテルギウスの手の中の書は読み解くことのできない文字の羅列された異国の本そのものだった。

 だが、記されたそれがペテルギウスには理解できているのだろう。
 文字を追うごとに頬が紅潮し、興奮に彩られて、瞳は歓喜と妄念によって満たされていくのが伝わってくる。
 そして、

「――福音の、提示を」

 首を九十度傾けて、腰を傾けて、ぐるりと身を回すペテルギウスがスバルを見た。
 その言葉に一度動きを止めて、スバルはくるべき発言がきてしまったと目をつむる。これまでの経験上、かろうじて会話が成立していたとしても、それをぶった切りにくるのがペテルギウスのこの問いかけだ。

 魔女教徒はひとり残らず、教典とでもいうべき福音書が届けられるという。
 それがどういった選別で、何者から送られてくるものなのか、そのあたりの背景に関してはヴィルヘルムらも知り得ていない魔女教の闇の部分であるらしい。
 が、そういった未知の部分を排しても、福音書の所持そのものは魔女教徒としての必須の身の証であり、

「福音の提示をお願いしマス。アナタに魔女が、いったいなにを賜わしたのか――是非に是非に是非に是非に是非に是非にひにひにひにひにににににに、お教えいただきたいの、デス」

 是非、のたびに首を左右に傾け、見ている側が酔いそうな動きでペテルギウスはスバルを凝視している。
 その姿勢と態度に、少なくともスバルが待ち望んでいる合図はまだきていないものと判断。時間稼ぎの役割は続行中――場を繋ぐために、まず息を継ぎ、

「福音、なのですが……」

「ええ、福音デス。アナタも教徒として認められたのであれば、その手に渡っているはずで……」

「実はなにかの手違いなのか、私の手には福音は届けられていないのです」

 ペテルギウスの同意の言葉を遮り、スバルは福音書を所持していないことを暴露。その言葉にペテルギウスは目を見開くが、彼がなにかしらの言葉を口にするより先にスバルは掌を突きつけて、「あいや待たれよ!」と牽制。そして、

「確かに私は福音を持ってはおりません! おりませんが……しかし、魔女様への愛は確かにこの胸に、この内に、溢れんばかりに持っております! 形ある福音が手元になくとも、形なきこの想いが、与えられた愛に報いるための我が魂の嘆きでないとするならば、いったいなんだと言うのでしょう!!」

「――アナタは」

「形は違えど! 私もまた、司教様と同じく魔女様に心酔する一葉に過ぎません。全霊で試練をお手伝いいたします。全てを捧げて、魔女様を想います。いいえ、すでに魂の一片に至るまで、私の存在は魔女様に譲り切っているのですから!」

 畳みかけるように言葉を継ぎ、投げつけて、スバルはペテルギウスに反論させない。拳を振り上げ、足で地を踏み、思いの丈を振り絞るように顔をしかめて、

「それとも、司教様は! ペテルギウス様は、私のこの魂の嘆きを否定なされますか! 形のない愛に縋る私の姿を、惨めで愚かだとお笑いになられますか! それもよいでしょう、そうされるのも仕方なしと思うこともできる! ですが! それでも! 私のこの信仰は誰にも砕けない。愛は、愛こそが、全てなのですから!」

 天に向かって拳を突き上げて、スバルはもうやりたい放題言い切ってやった。
 そしてペテルギウスはといえば、息を荒げるスバルの言葉に耳を静かに傾けており、その叫びの最後には「ほぅ」と吐息を漏らして、

「なんと瑞々しき、愛の囁きデスか……」

 まるで雷に打たれたような衝撃を味わったように、ペテルギウスの形相から険のようなものの存在が抜け落ちている。
 狂人はスバルの言葉に感激し、心を洗われたような顔で涙をこぼすと、

「アナタを疑った、ワタシの怠惰をどうぞお許しください。アナタは素晴らしい、掛け値なしに素晴らしい。形なくして、福音書なくして、愛されていると声を大にして語る自信を持てない、そんなワタシとは大違いデス。語らずしてわかる、濃密な寵愛――アナタはまさしく、それにふさわしき存在デス」

 感服し切った態度で膝をつき、ペテルギウスは胸に手を当ててスバルの信仰心に敬意を表する。そこだけ切り取れば、なるほど敬虔な宗教家に見えなくもないペテルギウスの立ち振る舞い。
 その態度を見やり、その姿にスバルはある種の感慨を覚えずにはいられない。それは――、

「ちょろいな、こいつ」

「なにか、仰いましたデスか?」

「顔をお上げください、司教様。そのように扱われるほど、私はだいそれた存在ではありません。なにより、我々は魔女様に――等しく愛を注がれ、その愛に報いるために協力し合う間柄ではありませんか」

 誤魔化すように誠実そのものといった笑顔を作って、スバルはペテルギウスに手を差し伸べる。ペテルギウスは瞬きし、「その通りデス」とスバルの手を取って立ち上がると、手にした福音書を音を立てて閉じて、

「大罪司教などと名乗りながら、ワタシはあまりにも視野が狭かったようデス。自分を恥じマス。その上で、アナタの心遣いに感謝を。そしてこの出会いをもたらしてくださった魔女の愛に、最大限の勤勉でもって応えることを誓いマス!」

「ええ! まったくその通りです! これからも、切磋琢磨していきましょう!」

「おぉ、喜ばしき言葉デス。福音なくともその志、実に見事――強い寵愛、やはりアナタは『傲慢』なのではありませんか? だとすれば福音書なくとも、魔女因子を取り込んだ自覚はあると思うのデスが」

「魔女因子――?」

 また、聞き覚えはあっても意味の通じない単語にスバルは首を傾げる。
 その疑問の声にペテルギウスは「ええ」と頷き、

「信徒たちには福音が、そしてワタシのような大罪司教の身には福音書と同時に魔女因子が届けられるのデス。魔女因子なくして、試練を語ることは……」

 そこまで口にして、ふいにペテルギウスは言葉を途切れさせる。スバルがその態度に眉を寄せると、彼は福音書を懐にしまい込み、代わりに別のものを内から抜く。
 取り出された掌には、淡く光を放つ手鏡が握られており――、

「――!」

「申し訳ありませんデス。ワタシの指先から連絡が……なにか、状況に変化があったようデスね。我々の合流があったこともありマス。朗報だと良いのデスが」

 対話鏡に視線を落とすペテルギウスは、スバルの表情がかすかに変わったことに気付かない。そして気付かないまま手鏡を開き、その鏡面に己を映して、

「ワタシデス。なにか、異変が――」

『えーっと、にゃんだっけ。あ、そうそう。トラトラトラー!』

「は?」

 その表情が、鏡に映り込んだ相手の姿と言葉の前に凍りつく。
 ペテルギウスの呆然とする様を眼前に見ながら、スバルは覗き込むことのできない対話鏡になにが映っているのか、それとなく悟る。

 映り込んだ相手がネコミミを揺らして、手を振って舌を出しながら、打ち合わせた通りの合言葉を口にしている姿すらも。

「アナタはいったい……? ワタシの指先はどうして……」

「トラトラトラ」

「は?」

 疑問を呈するペテルギウスの前で、スバルは小さくそれを繰り返す。
 そのスバルの呟きを聞きつけて首を傾げるペテルギウス。意味不明、と態度で示すペテルギウスに、スバルは満面の笑みを向ける。
 先ほどまでの作り笑顔とはまったく違う、本来の彼の――口の端を歪めて、歯を剥いた悪ガキのような笑顔を。

「我、奇襲ニ成功セリ――って意味だよ」

「なに、を? アナタの仰る意味がワタシには……」

「わかりませんってか? ああ、安心しろよ」

 合言葉の意味を懇切丁寧に説明してやり、その上で無理解を示すペテルギウスにスバルはうんうんと頷いてみせる。そして、

「――お前の言ってることも、俺には同じぐらいさっぱりだったからよ!!」

 渾身の右ストレートが狂人の顔面を直撃――我慢に我慢を重ねた鬱憤がついに爆発し、痩身を大きく吹き飛ばす。

 苦鳴を上げて転がり込んだペテルギウスは目を白黒させ、自分を突然に襲った暴威に驚きを隠しきれないでいる。
 そんな哀れな男を見下ろし、スバルは叩きつけた拳を解いて、指を突きつける。
 そして、言い放った。

「色々と我慢もしたが、もう限界だ。さあ、終わりにしようぜ、ペテルギウス・ロマネコンティ!!」

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