挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第三章 再来の王都

152/439

第三章75 『再会×先送り×逆転の目』



 ――手足の感覚の消失と、全身が焼け落ちるような激しい痛み。意識がブラックアウトし、音もなにもかもを置き去りにしてまっさかさまに落ちていく。

 スバルにとって、『死』とはそういう感覚に近い。
 何度も死に、幾重にも違う死に方をしてきたスバルにだからこそわかる、『死』を体感したときに訪れる共通点。

 そして、『死に戻り』はそれら失われた感覚が一気に揺り起こされるものに近い。
 失われた感覚が、その感覚を感じる感覚器官が、それらの情報を整理するための脳が終わっていたところへ、膨大な情報が一気に押し寄せるのだ。

 処理し切れずに目を回し、事態の把握に遅れるのも当然といえる。
 つまり――、

「あむ」

「うひぁああ!?」

 耳たぶを甘噛みされる感覚に背筋を伸ばし、スバルは転がるように後ろへすっ飛ぶ。壮絶な甘い感触の初体験に心臓が鳴り、慌てて周囲を見回せば、

「ボーっとしてたと思ったからイタズラしたら、にゃんて嬉しい反応……フェリちゃん、癖ににゃっちゃいそう」

 そう言って妖しげに笑い、唇に指を当てて艶やかにフェリスがしなを作っていた。
 同時、耳たぶに感じた歯の感触が彼のものであると気付き、スバルは崩れ落ちる。

「お、俺の甘噛み童貞が……男の娘に……!」

「そんな落ち込まんでもえーやろ。それより、話の続きをしようや。急に目がどこぞへ飛びよるさかい、腰が折られたまんまやぞ」

 四つん這いで消沈するスバルに、大きな耳を掻きながらリカードが言い放つ。彼の周囲の面々もそれに同意するように首肯しており、スバルの早めの立ち直りが求められていた。
 そんな彼らの前で、スバルはなおも脱力してショックを受けた事実を態度で示し続けながら――『死』を体感したことの衝撃を、受け止めようと苦心していた。

 ――死んだ、またしても死んだ。

 失敗した。考えが足らなかった。あれほど油断するなと、常に警戒を怠るなと、自身にも周りにも課しておいて、なおも届かなかった。
 意識が失われ、命が天に返される寸前、涙声だったエミリアの姿が思い出される。

 胸が締め付けられる思いだった。
 彼女を泣かせることだけは、彼女を悲しませることだけは、絶対にしたくないとそれだけを考えて戦い続けてきたというのに。

 誰でもない自分自身の死で、スバルは彼女に癒えない悲しみを与えたのだ。

「――整理、しよう」

 後悔に顔をしかめて押し黙っていたスバルに、再度フェリスが発破をかけようとでもするようににじり寄った。が、それは中途で手を掲げるユリウスに遮られる。
 彼は唇を尖らせるフェリスに指を振り、スバルの方へ端正な面を向け、

「これより我々は魔女教が待ち受ける、メイザース領へ向かう。目的は魔女教の殲滅――ここには、率いている大罪司教の捕縛が必須の条件だ。そして、魔女教との戦いに巻き込まないためにも、ロズワール辺境伯の屋敷関係者と周辺の住民には避難してもらう。避難のための足に関しては……」

「アナスタシアさんとラッセルさんに頼んで行商人を確保済み、だ。……悪い。もう落ち着いたから、大丈夫だ」

 荒い息を吐いていた口元を拭い、スバルは車座の持ち場へ戻るとユリウスに一言謝罪する。それを受け、ユリウスは軽く驚きを眉を上げて表し、

「気にする必要はない。むしろ、私の理解が正しくできているかが確認できてよかったよ。あまり、君は説明がうまい方ではないようだから」

「前置き通りに、こんだけ大勢に囲まれて真ん中で話すとか慣れてねぇんだよ。引きこもりの対人能力は相手の人数に比例して低下するのを覚えとけ」

 ユリウスの皮肉――この場合、余裕のないスバルの気をまぎらわす要素が大きいのだろう。その気遣いが察せられてしまうことに忌々しさと、同時に言葉にし難いむず痒い感覚があるのをスバルは意識的に無視。
 それから改めて周囲に視線を送り、自分を見つめる五十に及ぶ人々を意識する。

 こうして、彼らの前で事態の説明をするのも、これで三度目になる。
 いくら経験値の少ない引きこもりでも、同じ場面を三度もなぞれば慣れようというものだ。依然、他者の命を預けられるという重みは肩に重く圧し掛かるが、

「魔女教の大罪司教は、強敵だ。魔女教の奴らも一筋縄じゃいかねぇし、戦いだってきっとこっちにも犠牲が出る。俺はまず、それをみんなに知ってもらわなきゃいけない」

「――――」

 前置きし、そう語り出すスバルに全員が沈黙で応じる。だが、それは否定的な沈黙ではない。スバルの言葉を一言たりとも聞き逃すまいと、全員が高い意識をスバルに向けているが故のものだ。
 それは即ち、信頼と呼ばれる形のものであり、

「白鯨も倒して、ホントならすぐにでも王都に凱旋したいとこだと思う。疲れてるし、ケガしてない人だっていやしない。そんな状況で俺の……俺の主を守るために、力を貸してくれるみんなにはなんて言ったらいいのか……感謝、しかない」

 首を巡らせる。
 スバルを見つめるいくつもの双眸、そのひとつひとつの持ち主の顔を覚えておこうとスバルは胸に刻み込む。刻み込まれる顔の中に、先のループで見えざる手によって引き裂かれた顔がいくつもあるのがわかった。

 その人たちの顔を、忘れまい。
 スバルの死によって、死に戻りによって、失った命を取り戻した人々。
 けれど、この先の戦いによって、スバルは自分の選択でまた誰かを死なせる。敵であれ味方であれ、無血の勝利を得ることは叶わない。

 自分がもっと優れていたのならば、こうはならなかったのかもしれない。
 スバルが誰も寄せ付けないほどに強くて、スバルがどんな状況に対しても活路を見いだせるほどに賢くて、スバルがいかな逆境にも挫けない高潔な志の持ち主で、スバルが一切の弱さも許せない理想家であれたなら、犠牲者を出さずに済むのかもしれない。

 でもそれは無理だ。スバルは弱くて、頭が悪くて、心さえも脆い。
 誰かの手を借りずに立ち続けることなんてできないし、誰かに縋らずにやっていけるほど自分自身を信じてもいない。
 だから、

「大罪司教を、今度こそ仕留めよう。そのために俺のできることは、俺の差し出せるものは全部、惜しみなく出すつもりだ。だから、力を貸してくれ」

「――――」

「みんなが必要なんだ。――一緒に、俺の大事な人たちを、守ってくれ」

 地面に手をついて、スバルは頭を下げる。
 格好悪いし、安っぽいし、なんの価値もない自分の頭を、擦りつけるようにしっかりと下ろす。これほど真摯に、本気で、『頭を下げる』ことをしたのは初めてだった。

「スバル、顔を上げたまえ」

「――――」

 ユリウスに声に、ゆっくりとスバルが顔を上げる。
 そのスバルの前に広がったのは、朝焼けの世界で目を焼くような光の乱舞。

 ――膝をつき、抜き放たれた剣を掲げる騎士たちの姿に他ならない。

 こうして、剣の輝きに心を支えられるのは二度目の経験だ。
 それを実感することができるのは、『死に戻り』を実際に体感できるスバルしかいない。不本意な『死に戻り』を幾度も続けて、その中でスバルが悟ったことがある。

 繰り返し繰り返し、幾度も違った形の展開を見せる世界。
 そんな世界にあっても、変わらずに起きるそれは『世界の揺らぎにすら左右されない、強い強い人の意志』が為せることなのだ。
 つまり、こうして同じ形でスバルを助けてくれる彼らの想いは、

「何度繰り返しても、どんだけ俺が馬鹿で戻ってきても……力、貸してくれるんだな。何度も、俺を立たせてくれるんだな」

 レムがそうだったように。
 レムが何度繰り返しても、スバルを支え続けてくれたように、彼らの存在もまた、ナツキ・スバルの折れかける意思を力強く支えてくれる。
 それがスバルにはどんなことよりも、どんな力を与えられるよりも、どんな知恵を授かるよりも、どんな希望にも勝る『救い』だった。

「これから決戦だってのに、盛り下がる雰囲気のこと言って悪かった。忘れて……くれなくてもいいけど、みんなには内緒な」

「エミリア様とお会いする前に、よい土産話ができたとしておこう。それで、魔女教の話をしてもらえるだろうか」

「流れの傭兵なんて立場の人間を高貴なエミリアたんの前になんか出さねぇよ。仕事終わったら小金受け取って帰れ。――じゃ、話すぜ」

 もはや恒例の軽口をユリウスと叩き合い、気恥かしさを隠すようにスバルは己の頬を叩く。それから息をつき、顔を上げた。

「まず、魔女教を率いてる大罪司教なんだが、『怠惰』の担当で――」

 殺されたことを、失敗したことを、悔んで下を向いている暇はない。
 殺された原因を、失敗の理由を、足掻く可能性へと変えて戦い抜こう。
 そのために、こうして舞い戻ってきたのだから。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 前回のループの中で新たに判明した事実と、乗り越えなければならない条件を改めて頭の中で整理して、スバルは伝える情報を余すことなく討伐隊に伝える。

 『見えざる手』や『憑依』など、それらの情報を耳に入れる討伐隊に広がる動揺は少なくない。いずれの術法も、彼らが知る魔法のそれとは雰囲気からして異なるのだから、簡単に受け入れろというのも難しい話だ。
 魔法の形態がひとつしかない以上、それ以外の異端は想像すら容易くはない。

 かえって、フィクションばかりの設定に触れてきたスバルの方が柔軟にそれらに関しては受け入れられるぐらいだ。超能力と魔法と呪いと、それらが同居している世界観ぐらい、あっさり受け入れて呑み下せる理解力がサブカルチャーの本拠地、日本人の血脈には受け継がれているのだから。

「と、アホな結論はさて置いて、ペテ公の話だな……」

 『見えざる手』の対処に関しては変わらず、スバルが応戦するしかない。特殊な条件として、ヴィルヘルムの技量であるならば前々回の砂を撒く戦い方で対処できないこともないが、確実性という意味では難しい。やはり、スバルが相対するのが最適だろう。

 『憑依』に関してはさらに厄介なことが判明した。ペテルギウス――この場合、憑依される肉体の方の話になるが、それに対して用意された自爆の機能だ。
 死亡することで憑依対象を乗り換える以上、自決の手段を常に用意しているだろうことは想定しておくべきだった。前回の失敗の最大要因はそこにある。
 意識のない段階で自爆した以上、自爆は憑依対象とは別の存在の意思で行える。――即ち、魔女教徒はいずれも自爆機構を仕込まれている可能性が高い。
 さらにそれら乗り移りの対象を全て撃滅しても――、

「最終的に、俺を乗っ取ってきやがるからな……」

 最大のネックはそこにある。
 前々回は完全に支配権を奪われた状態で自殺に持ち込まれ、前回はかなりの抵抗で粘りこそしたが、結果は今の状況に陥ったことでお察しだ。
 かなり大雑把な推測にはなるが、支配権の奪い合いになった時点で、ペテルギウスの精神を押しのけることはかなり難しいと考えられる。
 だからこそ、憑依させないという結論に前回も落とし込んだはずなのだが、

「パックが役に立たない、だもんな。氷漬け作戦がダメとなると、本格的にこっちの八方塞になっちまう」

 エミリアとパックが戦場に現れたときの絶望感は、今も忘れ難い。
 思い返してみても背筋が凍るような感覚がスバルを離さず、息が早くなる。だが、どうしてそこまでの拒否感が出るのかは今もわからないままだ。
 ただ、はっきりとわかることは、あの状況の再現は二度とごめんだという事実。

「エミリアたんとペテルギウスを会わせたらいけない。……なんでだかわからねぇけど、嫌な予感がする。いや、わからないことねぇけど」

 あんな変態と可愛らしい女の子を会わせるなど、どう好意的に解釈しても女の子にプラスな効果があるはずもない。拒否感も出て当然の話だ。
 と、答えの出ない悩みに早々に適度な見切りをつけ、スバルは策を模索する。

「パックが使えなくて、エミリアたんもペテ公と会わせられない以上は候補から外れる。……ユリウス、お前の精霊魔法で人ひとり氷漬けにとかできないのか?」

 額に手をやり、思考を走らせながらスバルは並走するユリウスへ声をかける。
 すでに車座の作戦会議から場所を変えて、現在のスバルたちはメイザース領への道をひた走っている最中だ。
 もちろん、スバルを乗せて力強く地を蹴るのは頼もしい相棒であり、『死に戻り』によってやり直す状況を強くスバルに感謝させた存在――パトラッシュだ。

 手綱越しの信頼感に身を預けながら、スバルは走るパトラッシュの背を軽く撫でる。走るパトラッシュがちらりと、「気安く触らないでちょうだい」みたいな目をこちらへ向けたのがわかった。

「こう言ってはなんだが、ずいぶんと急に騎乗が上達してはいないかい? つい先ほどまで、その地竜に乗せてもらっている感覚が大きかったと思ったのだが」

「信頼を預けて風を任せる、だろ? 窮地を共に乗り越えたことで、俺の中の信頼ゲージをこいつが振り切ったんだよ。やだ、俺、攻略されちゃった……!」

 身をよじり、パトラッシュの背中に体全体でスバルが抱き着く。と、パトラッシュが嫌がるように上体を揺すり、上にいるスバルが振られる振られる。

「おお、おお、おお!? おいおい、照れるなよ! そんなツンデレーションしてもお前が俺のこと大好きだってのはわかり切ってんだからよ!」

「どこか根本的なところで認識にずれがある気がしてならないが……君と地竜との付き合い方に口出しするのも優雅ではないからやめておこう。――さて」

 落ち着かせるように軽く背を叩くスバルに、ユリウスが仕切り直すように吐息。それから彼はスバルへ片目をつむってみせ、

「さっきの質問への答えだが……難しいと答えるしかない。確かに六精霊との契約で私は火の系統も扱えるが、純粋な精霊術師とも精霊とも言えないのでね。そこまで精緻な術の行使を期待されれば、自信の面で肯定はできかねる」

「意外と弱気なんだな。最優の名が泣くんじゃね?」

「その呼び名に拘りはないのでね。できないことをできないと認められず、虚栄心を優先して信頼を裏切ることの方がずっと大きい。君は違うのだろうか?」

「お前、ホントに嫌な奴だな……」

 嘆息し、スバルはユリウスから視線をそらして己の小ささを自覚する。
 現状、スバルはユリウスから精霊術師である事実を打ち明けられたばかりの場面であり、もうしばらくで陰陽の複合魔法であるネクトによる、移動継続の全体会議に移行する頃合いだ。
 依然、成功率を百パーセントだ、と言い切れる作戦は出来上がっていないが、

「ある程度、詰めるとこは詰めた策で、うまく回すしかねぇだろうな」

 いくつか増えた情報を頼りに、狂人の口にした発言の内容を吟味して、スバルは策を練り上げる。――それは、ひどく心に痛みをもたらす決断でもあり、

「確認するが、スバル。本当にこの通りに動いて、君はいいのだね?」

「くどいぜ。立案したのが俺なのに、その俺が『やっぱやーめた』とか言い出せるわけねぇだろ。……エミリアたんは、怒るだろうけどな」

 ネクトを使用し、全員に作戦の概要が伝わった段を経て、ユリウスがスバルに覚悟を問う。
 その言葉にスバルは表情を消して応じて、瞳の裏に愛しい少女を描く。

 受け取ったばかりの笑顔が、仲直りしたときの彼女と繋いだ手の温もりが、失われる寸前にあった涙声が、瞼の裏で少しずつぼやけていき――遠のく。

 唇を噛み、女々しい感傷に揺られそうになる己を戒める。
 他の方法があるんじゃないか、とそんな建前で弱さを肯定しそうになる自分の性根に心底呆れながら、スバルは痛みの選択肢を許容する。

「そんな顔すんなよ。決意が鈍るだろうが、らしくねぇ」

「しかし、これではあまりに君が報われない。もっと私たちに負担をかければ、条件を見直すことも……」

「そうやって『嫌だ!』ってなんて甘えるチャンス、俺に与えてくれんなよ。絞り出してるように見える俺の勇気だって、全部借り物なんだからよ」

 こちらの覚悟を何度も確かめてくるユリウスに、スバルは苦笑いして応じる。
 こうして案じられるのは相手が誰であれ、気遣いは嬉しい。もっとも、今のスバルはそれらの負担を必要なものと受け入れた上でこれを選んでいる。故に、

「別に最終的にエミリアたんと笑い合える未来を投げ出したわけじゃねぇんだ。ただ、そこに行くまでの道筋がちょいと険しく見えるだけ。それも、別に俺らがうまくやれば俺ら以外の誰が気付くわけでもねぇ険しさだ。楽勝だろ?」

「……楽勝、などと吹聴できる君の図太さが羨ましいな。私はどうしても、正当に評価されないものに対して心がざわめくのを抑えられない。未熟者だよ」

「おいおい、頼むぜ、最優の騎士さんよ。俺がこうやって楽観的に構えてられんのも、最終的にエミリアたんと熱く抱擁するのにも、お前の力が不可欠なんだぜ? ……おい! なんてこと言わせんだ! 本音じゃねぇぞ! 勘違いしないでよね!」

「君は忙しい男だな。――だが、気持ちは伝わったとも」

 あたふたと表情を変えるスバルに、ユリウスが堪え切れずに笑った。
 その美丈夫の姿に鼻を鳴らし、顔を背けてスバルは地平線の向こうへ目を送る。

 彼方にうっすらと見え始めた草原の終わりと、森林の先端。辿り着けばいくつかの林道を抜けて、メイザース領へ入ることになる。
 心がざわつき、軋むような思いを得ながら、それでもスバルは前を見続ける。

「――――」

「お? なんだよ。心配してくれてんのか? 可愛い奴め」

 黙り込んだスバルを慮るように、走るパトラッシュがかすかに背を横に揺らす。その気遣いに掌で応じて、スバルはそれから背に括りつけた荷物を漁る。
 そこに今回の策の肝となるものが入っていて、探る指先にその感触を得たことで、安堵とかすかな痛みが同時に胸に宿った。

 けれど、もう躊躇うまい。
 決めたことだ。そして、これが最善であると自問自答も繰り返した。それでもばっさりと認められないのはスバルの弱さだ。スバルだけで、解決すべき問題だ。

「さあ、今度こそ、おいしいとこをいただかせてもらうぜ――」

「無論、そうさせてもらうとも。大丈夫だ、これだけ入念に策を練った。失敗など考える必要はない。準備は万全だ。事を終えたら、君とは酒でも酌み交わしたいものだね」

「ここぞとばかりにデスノボリ立ててんじゃねぇ――!!」

 死亡フラグという概念を知らないはずのユリウスの発言に怒声を張り上げる。
 遠く遠く、メイザース領の空にまで届きそうなほどに、声が響いていく。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ――寝不足の目に朝の日差しが鋭く差し込み、かすかな痛みに揺り起こされるようにエミリアは寝台から体を起こした。

 額にかかっていた銀髪が上体を起こす動きに流れ落ち、月光のようなきらめきが滝のような輝きを映す。
 何度か瞬きし、半身を起こした姿勢のままでしばし夢現の時間を遊泳する。近頃は眠りの浅い日が続き、疲労の抜けていない自覚があった。もっとも、それらも必要な負担と知った上で、自ら選んで抱え込んだ問題だ。言い訳はできない。

「もう、朝なんだ……」

 眠りについたのは、おそらくは日付をまたいでから数時間後――実質、睡眠を取れたのは二時間前後といったところだろうか。
 頭が重く、思考が泥濘にはまっているように遅々としているのがわかる。

 もともと、寝起きが良い方ではない。
 まどろみから抜け出すのにも、その後に活動を始めるのにも時間がかかる方だ。ましてやここ数日、エミリアを悩ませる難題への対処を思えば、抜けない疲労と終わらない煩悶が彼女の精神を削り取るのは仕方のない話だった。

 ――王選の関係者が集められ、王都に出向いたのが一週間前。そこから屋敷に戻り、形式的に屋敷の主としての権限を持たされてから四日。そのほんの数日の間に降り注いだ重圧は、エミリアという少女を打ちのめすのに十分な時間であった。

「わかっていたつもりだったけど……ホントに、わかったつもりだっただけだったんだ、私」

 自身の不甲斐なさを思い、シーツを握りしめるエミリアが唇を噛みしめる。
 その脳裏を過ったのは、駆け抜けるように過ぎ去っていったこの一週間のことだった。王都へ呼び出され、王選の関係者――王候補たちと改めて顔を合わせ、慣れない腹芸までして所信表明を行い、それから、

「……スバル」

 置き去りにしてきた少年の名を口にして、エミリアは痛みを堪えるように目をつむる。あの陽気で傷付きやすくて、なぜか人のために必死になってばかりで、少しだけ思い込みが激しい少年は今頃、どうしているだろうか。

 最後に別れたときの、彼との言い合いが、あの置き去りにされる子どものような表情が瞼に焼き付いて、エミリアの良心を幾度も焼き焦がす。

 あの顔をさせたのも、あんな言葉を言わせてしまったのも、ああして聞きたくない言葉を聞かせてしまったのも、全て自分のせいなのだから。

 けれど、あれでよかったのだとエミリアは今でも思っている。
 あのとき、ああしてスバルと心情を吐露し合い、結果的に別離を招いたあのときの感情の爆発を、エミリアは避けるべきだったとは思っていない。
 むしろ、あそこで互いのわだかまりを吐き出して、道を分かったのは正解だった。正しい選択だった。スバルと自分は、一緒にいるべきではない。

 だって、自分はハーフエルフなのだから。

 そこにいるだけで悪とされる存在。
 ただあることすらも否定される存在。
 疎まれて、排されて、見下されて、拒絶されて、負の感情の的にされる存在だ。

 一緒にいることなど、誰にとっても良いことなんてあるはずがない。
 それどころか、心優しいあの少年に、自分の近くにいることできっと嫌な思いをさせることになる。現に、スバルは『エミリアの傍にいたから』、ユリウスと決闘して心身共にひどく傷付くことになった。

 もう、あんな思いはしてほしくないし、させたくない。

 口論の果てに、きっとスバルは自分を見限ったことだと思う。
 身勝手な言い分を叩きつけて、ひたすらに無償の厚意を与えてくれようとしたスバルをエミリアは拒絶した。声を荒げ、怒鳴りつけるように振舞った彼が、エミリアには泣いている子どもにしか見えなかった。

 最後の最後に、ぽつりと漏れた本音――それだけが、エミリアの心残りそのものだったと思う。

 ――スバルならば、自分をハーフエルフなんて存在とは別に、そんなものと無関係に、ひょっとしたら扱ってくれるのではないかという期待。

 淡い、儚い、無為な期待だった。
 遠ざけようと傷付けて、それでも慰めを欲した身勝手な自分。そんなエミリアの女々しい訴えを、スバルははっきりと拒絶した。きっぱりと、切り捨てた。

 ――自分はエミリアを、特別扱いしないなんてことはできないと。

 その言葉を最後に扉を閉じ、エミリアは物理的な距離をも彼との間に置いた。そして、胸の内にはっきりと失望の念が広がったのを感じて、自分に失望した。
 ただ与えられるだけの厚意に居心地の悪さを感じ、色々な建前をつけて心優しい少年を傷付け遠ざけ、いざ実際に距離を置いてしまってから、それをひどく寂しく思う自分の浅ましさに。

 スバルとの別離を振り切り、王都から屋敷に戻ってからは必死だった。

 知らなければならないことが、学ばなければならないことがエミリアには多い。もともと世情に関わりのない森の奥で、人と接することを避けて過ごしてきたのだ。
 王様、という存在すらも、森を出るまで知らなかったぐらいの自分。

 そんな自分が、広大な領土の中で暮らす人々の生活を預かる王座を目指す。
 それが途方もなく無謀で、あまりにも無知な決断であることをエミリアは自覚している。だが、やらなければならない。
 ――そうしなければならないだけの理由が、自分にはあるのだから。

「リア、眉間に皺が寄ってるよ。可愛くないからやめた方がいいかなぁ」

 ふと、寝台から身を乗り出したところで、そんな長閑な声に思考を遮られる。視線を上げれば、紫紺の双眸に映り込むのは灰色の体毛をまとう小さな精霊。
 彼女にとって、物心ついたときからずっと傍にいる、家族同然の存在だ。

「おはよう、パック。今日は早いのね」

「おはよ、リア。少し早く目が覚めてね……と言いたいところなんだけど、本当のところはリアのことが心配だったからだよ。昨日は少し、ショックだったろうから」

 ふらふらと浮遊し、長い尻尾を揺らすパックの言葉にエミリアは目を伏せる。
 思い出すのは昨日のことであり、頭と気持ちを重くしている直接の原因といってもいい事柄――付近の村人に、言葉をかけることを拒絶されたときのものだ。

「わかってた、ことだもん」

「転ぶのがわかってても、転んだら傷口から血が出るし痛みがある。理解していることと、けっきょくその痛みを受けることは別のことだとボクは思うよ」

 エミリアの子どものような口ぶりに、パックは容赦なく逃げ道を塞いでくる。かといってそれは彼が意地悪をしているわけではなく、単純に彼なりに事実と本音を羅列しただけなのがエミリアにはわかっていたから、反論も浮かばない。

「パックは……」

「んーん?」

「パックはその、どうしたらいいと思う? 私が……ううん、私だけじゃなくて、みんなのことも、もっとちゃんとするには」

「リアの好きにしたらいいんじゃないかな。ボクはリアがなにをするんでもリアの味方だし、リアの邪魔する相手の敵なだけだから」

 誰よりも心強い味方の頼れる言葉だったが、求めていた返答とは違う。
 そして、そうした返答があるだろうこともエミリアにはわかり切っていた。パックはエミリアの味方であるが、エミリアの抱える問題について一緒に悩んでくれたりするわけではない。
 彼はエミリアの全面的な肯定者であって、それ以外の何者でもないのだから。

「どうするにしても、村のことは見捨てられないんでしょ? ラムが今朝、もう一度村に向かったから、報告を待つべきじゃないかな」

「……そう、ラムが。あの子も、もうずっと休んでないはずなのに」

「リアが気付いてないだけで、あの子、わりかし色んな場面で手を抜いて仕事してるから余裕はあると思うけどね」

 パックのぼやくような声は彼女に届かず、エミリアは思案げに唇に指を当てる。
 思考する彼女の頭の中に浮かぶのは、昨日の間に起きたいくつもの異変。

 ――王都から戻り、ロズワールが有力者との折衝を理由に屋敷を出て以来、エミリアは学ぶよう与えられた学術書や専門書から知識を得ることに集中していた。
 寝る間も惜しみ、罪悪感から逃れるように勉学に打ち込むエミリア。そんな彼女にラムが「森におかしな気配があります」と報告してきたのは、一昨日の深夜のことになる。

 ラムの千里眼――他者の視界に同調し、対象を乗り換えることで視覚範囲を広げる彼女の能力を用いても、その気配とやらの正体を掴むことができなかった。
 ただ、その存在に対してなんの対処もしないという選択をすることはできず、とにかく防備を固める名目で、エミリアは近くの村に下り、村人たちに屋敷へ避難するように呼びかけて――拒絶された。

 そのことにショックを受けた自分がいたことに、エミリアは驚いていた。
 自分の素姓のことで誰かに嫌われることも、疎まれることも、厭われることも慣れ切っていたはずだったのに、傷付く心を残していた自分に驚いた。
 そして、はたと気付いてしまう。

 期待、していたのだ。
 大きな物事の流れに身を投げ込み、自分の立ち位置を変える一歩を踏み出したことで、自ずと周囲の反応が以前のものと変わるのではないかと。

 そんな都合のいいことがあるはずがなかった。
 村の人々と接点を多少なりとももっていたことも、期待を上乗せした遠因になったといえるだろう。もっとも、そのときの自分は素姓を隠していた。その状態で親しく接していたなどと、口が裂けても言えるはずもないが。

「けっきょく私、なにしてるんだろう」

 拒絶されたことに傷付き、それでも懸命に訴えかけたが聞き入れてもらえず、屋敷にすごすごと引き返すばかりの自分。
 そうして手をこまねいているしかないのかと思い悩んでいれば、次に舞い込んできたのは大勢の行商人が一挙に村に押し寄せたという報告だ。

 意味のわからない報告に目を白黒させていれば、今度は行商人の代表者を名乗る人物が親書を携えてやってきた。封には誰であろう、クルシュ・カルステン公爵の刻印が刻まれており、内容の想像できない親書の封を切ってみれば――、

「白紙の手紙が一枚、入ってただけなんだよね」

 机の上に広げられたそれにエミリアが目をやると、その思考を読んだようにパックが先回りして結果を口にする。
 そう、親書の中身は白紙だったのだ。

 真意を代表者に問えば、内容までは聞いていないと首を横に振られ、同席していたラムはひどく気分を害した様子で彼らを屋敷から追い出した。そのまま、村の方へ向かい、行商人に一行と立ち退き交渉のようなことをしているはずだ。

 ――任せてしまってもいいのだろうか、と義務感で思う心がある。

 けれどそれと同じぐらい、自分が行くことで話がこじれる可能性を恐れる気持ちもあるのだ。親書を運び込んだ行商人も、ちらちらとエミリアを見る視線に恐怖と嫌悪がにじんでいるのがわかった。

 すでに王選の事実が公表されて、候補者の名前と素姓は国民に知れ渡っている。
 エミリアをハーフエルフと知らないものは、それこそもはやほとんどいない。これからはあの目が、あの態度が、あの拒絶が、いたるところで当たり前になる。

 慣れていたはずだ、心を凍らせることに。
 生じた傷口の痛みを無視して、流れる血を無理やりに拭って、それでも下を向かずに歩くことに慣れていたはずだ。
 だから今さら、そのことに意識を向けるなんて――、

「リア、屋敷に人が戻ってきたよ」

「……ラムかな。村の方、話はまとまったのかしら」

 パックの呼びかけに思考を中断し、エミリアは着替えを済ませて立ち上がる。
 今日の髪型はパックのリクエストがなかったので、櫛を通してとかしただけで背中に流す。銀色を揺らし、エミリアは小さく息をついてから部屋を出た。
 そのまま玄関ホールの方へ足を向け、戻ったはずのラムを出迎えに行く。村のことがどう片付いたにしても、その後のことも含めて話し合わなければならないことが多い。

「ラム、全部任せきりにしてごめんなさい。これからのことを――」

「エミリア様」

 玄関の大扉を開き、ラムが屋敷に入ってくるのが見えてエミリアが声をかける。その声に反応したラムがこちらを見上げ、そのまま扉の脇に位置を譲ると、

「――エミリア様、突然の訪問をお許しください」

 ラムの開けた扉を抜けて、ひとりの老齢の人物が屋敷に足を踏み入れてきた。
 その見覚えのある人物にエミリアはわずかに驚きを眉を上げることで表し、

「えっと、確か……クルシュ様のところにいた方、ですよね?」

「は。カルステン公爵家にて、臣下の列の末席に加えていただいている身です。ヴィルヘルム・トリアスと申します。此度は主の名代として、参じた次第でございます」

 名乗った老紳士が膝をつき、最敬礼の形を取るのにエミリアは恐縮。
 そして最初の研ぎ澄まされた印象の強さが薄れてみれば、その老紳士の姿はいたるところに負傷が色濃く残っており、

「その格好は、どうして?」

「お見苦しい姿で申し訳ありません。こちらのメイザース領へ入る途中、魔獣と遭遇する不運に見舞われまして。少々、剣を振るった次第でございます」

「ケガは……ないのよね?」

「ご心配されるほどのことでは。それより、主の意向をお伝えしたく」

 身を案じるよりも本題を、と促すヴィルヘルムにエミリアは頷き、それからクルシュの名前が出たことで親書のことを思い出す。
 エミリアは「クルシュ様から親書が届いたのだけど」と前置きし、

「中身が白紙で……こちらとしても、どう対応すべきか迷っていたんです」

「白紙、ですか。――なるほど、聞いていた通りの状況ですな」

 エミリアの言葉を聞き、ヴィルヘルムがその瞳をそっと細める。それだけの仕草にわけのわからない凄みがあり、エミリアは思わず喉を詰まらせる。と、ヴィルヘルムは彼女の反応に「いえ」と首を振り、

「白紙の親書に関しては、こちらの意図したところとは違いますが……内容は私が把握しております。どうぞ、御心配になさらず」

「内容……そっか、手違いかなにかだったのね。良かった、その……嫌がらせとかじゃなくて」

 小さく、心配するまでもなかった懸念を最後に付け加えると、ヴィルヘルムが「まさか」と小さく唇をゆるめ、それから表情を引き締めると、

「エミリア様ならびにラム殿には、村に駐留している行商人方の竜車に乗り込んでいただきたい。そして一度、この付近から避難していただく――それが、主の意向です」


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ――ヴィルヘルムの説明をまとめると、こういうことだった。

 メイザース領内に、王国でも悪名高い犯罪集団が流入。それも付近の森に潜伏している可能性が高く、編成された討伐隊がこれの撃破に当たる。
 その上で討伐隊の責任者をクルシュ・カルステンとし、彼女の名をもって討伐隊を組織、ある程度の権限を与えてメイザース領へ送り出した。
 そして、討伐隊が件の集団を燻り出すに当たり、周囲への被害を最小限に抑えるために住民の避難を勧告――行商人たちはその避難のための足として雇われ、村人たちとエミリアたちを乗せて避難する計画となっている、と。

「どうしてクルシュ様が、ロズワール……メイザース領の治安維持を?」

「ここだけの話になりますが、ロズワール辺境伯より同盟決議を持ちかけられております。内容はエリオール大森林の魔鉱石の採掘権の分譲、おわかりですか?」

「――ええ、そういうこと」

 ヴィルヘルムの密やかな答えに、エミリアはいくらかの憤慨を隠して頷く。
 エミリアがどうすべきかとひとり頭を悩ませる間にも、ロズワールは裏で暗躍して物事を押し進めていたらしい。わかり切っていたことではあったが、やはり彼もまたエミリアの存在を利用していても、期待はしてくれていないのだ。

「でも、避難って言っても……」

「できればエミリア様には王都へ向かってもらい、当主のクルシュ様と会談を持っていただきたく。ですが、住民全員を王都へ連れ出すのは難しいので……」

「半数はラムの案内で、聖域の方へお連れするわ。あそこなら安全性と、受け入れる人数にも余裕があるはずですから」

 エミリアが口にしようとした不安、懸念その他はすでに検討されたあとらしい。ヴィルヘルムとラムが質問にテキパキと答えてくれると、エミリアからは反対の言葉など出るはずもない。
 ただ、事態が迅速に進み過ぎている気と、流されている感覚が受け入れ難く、

「ねえ、やっぱり気になるんだけど……これって」

「――失礼します!」

 疑問を重ねようとしたところで、乱暴な勢いで扉が開かれる音に会話が途切れる。見れば、戸を蹴り開けるように転がり込んでくるひとりの青年。
 白いローブを羽織った青年はジッとエミリアを見て、それからゆっくりとヴィルヘルムの方へ向き直ると、

「森に潜んだ集団に奇妙な動きが見られました。動き出すかもしれません。もう、一刻の猶予も……」

「こちらの予想より早いな。……これだけの人数が村に入れば、気付かれるのも時間の問題ではあったか」

「いかがいたしましょう、ヴィルヘルム様」

「――エミリア様」

 青年の問いかけに、ヴィルヘルムが視線の光を鋭くしてエミリアを見上げる。
 その刃のような鋭利な眼差しに射抜かれて、エミリアは小さく息を呑むと、無為な時間を費やしている暇はないのだと理解する。

 いくつか、疑問が生じていないわけではない。
 だが、事実として森にはラムが感じ取った異変の気配があり、ヴィルヘルムの素姓はクルシュの名の下に保障されている。そしてなにより、ロズワール不在の現状、この屋敷と領地の決定権を持っているのは自分なのだ。
 どれだけ状況に目を回しそうになろうと、決断は自身でしなければならない。
 故に、

「――わかりました。ご厚意、ありがたく受けさせていただきます。村の人たちの説得は……」

「すでに滞りなくですわ、エミリア様」

 最大の懸案事項をクリアしていることを、あっさりとラムが表明。そして、エミリアはそれから屋敷に振り返り、最後の住人をどうすべきか眉を寄せる。だが、それすらもすぐに、上階からふらふらと風に舞う木の葉のように落ちてくる小猫が、

「ベティーは行かないって。扉渡りを閉めてるから、あとは勝手にしろって。討伐隊の人たちも、屋敷にはなにもしない方がいいよ?」

「心得ております、大精霊様」

 エミリアの決断を待つより先に、ベアトリスの意思確認を行ってきたパックが帰参。彼はそのままエミリアの銀髪に潜り込み、定位置を確保すると欠伸をかます。
 それから耳元でエミリアにだけ聞こえるように、

「君は君のしたいようにしなよ。ボクは君の味方だから」

「――移動しましょう。村の人たちを危険な目に、遭わせたくないもの」

 腕を振るい、エミリアが指示を飛ばす。
 それに従う意思をラムがスカートの端を摘まんだお辞儀で示し、ヴィルヘルムが鷹揚に頷く。そして報告を持ち込んだ青年だけが、ローブの端をそっと掴み、

「それでこそだよ」

 と、小さく呟いたのはエミリアには聞こえなかった。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ――屋敷の二人が降りて村に合流し、竜車への乗り込み作業が始まる。

 村人たちはずいぶんと素直に討伐隊の面々に従っているようで、ごねる様子も大した不安も見せず、それどころか滅多に見かけない規模の竜車の群れにいくらか興奮しているものが多いようにすら見受けられた。

 そんな彼らの手際の良さにエミリアはひどく驚いたのだが、そんな彼女をもっとも驚かせたのは、エミリアが乗る竜車の割り振りを聞いたときだった。

「――よろしくお願いします、お姉ちゃん」

「えっと……」

 ぺこり、と頭を下げる明るい金髪の少女。村で何度も見かけたことのある、スバルと親しくしていた子どもたちのひとり――名前は確か、ペトラと言ったはずだ。
 年齢は十一、二歳といったところで、村の子どもたちの中では年長に当たる少女。その彼女を筆頭に、エミリアが乗り込むはずの竜車には他にも子どもたちが割り振られていて、

「これって、なにかの間違いじゃないの? だって……」

「間違いじゃありませんよ。エミリア様にはこちらの竜車に、この子たちと一緒に乗っていただきます。竜車の人員配置の問題で、どうしても仕方ないのです」

 不安に駆られたエミリアは、付近を忙しなく走り回っていた青年を捕まえる。が、彼の返答はエミリアの予期したものとはまったく異なるものであり、ますます彼女の不安を掻き立てるものでしかなかった。

 ――竜車という密室のスペースで、子どもたちと一緒に移動。

 それはエミリアにとってというより、相手にとってひどく不快な感覚を味わわせる類の試みであるとしか思えず、

「他に竜車はないの? この子たちだって……」

「自分と乗るのは嫌がるはず、ですか?」

「――――」

「それ、この子たちに確認したんですか? 嫌がられる、嫌われていると、そう思い込んでいるだけでは?」

 押し黙るエミリアに、ぐいぐいと畳みかけるように青年が言葉を続ける。
 ずいぶんと踏み込んでくる青年だと思えば、彼はさっき屋敷に駆け込んできた人物その人であった。妙な感覚に首を傾げつつ、エミリアは「そんなこと……」と口ごもり、

「聞かなくたってわかってるもの。だから、この子たちのためにも別の竜車を……」

「子どもをダシにして、自分の弱さから逃げるのはよくねぇと思いますよ」

 今度こそ、その失礼なまでの言い方にエミリアは息を詰まらされる。と、そんな彼女の前で彼は膝を折り、不安げに今のやり取りを見ていた少女と目の高さを合わせ、

「どうだい、ペトラ。君はあのお姉さんと、一緒の竜車には乗りたくないか」

「――――」

 そんな質問をぶつけないでほしい、とエミリアは胸の内に痛みを抱えて思う。
 答えのわかり切った質問で、その答えで傷付くことのわかり切った質問でもある。傷付くことがわかっていても、傷付くことが楽になるわけではない。
 パックの言った通りだ。傷はたとえどれだけ受けても、新しい傷を受ければ新しい痛みが生じるものなのだ。それなのに、彼はどうして――、

「そんなことないよ? わたし、お姉ちゃんと一緒でいい」

「……え?」

 唖然と、声を漏らすエミリア。その彼女にペトラが歩み寄り、そっと手を取る。握られた指先から、子ども特有の熱い体温が伝わってきてエミリアは瞬き。
 そうして驚きを隠しきれない彼女に、ペトラは愛らしい表情ではにかみ、

「お姉ちゃん……お芋のハンコのお姉ちゃんでしょ? いつもスバルと一緒に、朝のラージオタイソーを見にきてくれてた」

「…………」

「お顔は見えなかったけど、お姉ちゃんがいつも楽しそうにしてたの、わたしも見えてたもん。スバルがすごく楽しそうにお姉ちゃんと話してるの、見てたもん。スバルがすごくお姉ちゃんを……だから、わたしもお姉ちゃんのこと、恐くないよ?」

「……あ」

 込み上げてくるものがあって、エミリアは思わず小さな声を上げていた。
 目の奥が熱くて、喉が詰まって声が出なくて、鼻の奥に痛みが走る。

「お姉ちゃん、一緒に乗ろ? みんながお姉ちゃんをひとりぼっちにさせようとしてるって、言われたの。でも、わたしは手を繋いでてあげるから」

「――うん、うん」

「もう、さびしくしなくていいんだよ?」

「――――ッ」

 無邪気で、無垢で、この世の理不尽も悪意も、なにも孕んでいない眼差し。
 エミリアにとって当たり前にあった感覚が、当たり前にあった迫害が、当たり前のはずの差別が、そこに感じられなかった、それだけのことで。

「オレもー!」「おねえちゃんといっしょでいーい!」「はやくいこーよー!」

 子どもたちがわいわいと騒ぎ出し、ペトラと同い年ぐらいの少年――ミルドが彼らをいさめて竜車に押し込み始める。
 そんな騒がしい子どもたちを見て、ペトラは小さく噴き出すように笑うと、

「行こう? お姉ちゃん。ちょっとうるさいかもしれないけど」

「……ううん、大丈夫。私、隣でうるさくされるの、ここ一ヶ月で慣れちゃったから」

 首を振り、自然と微笑みが浮かぶのがわかった。
 歩き出す。ペトラに手を引かれたまま。他人の手の温かさを指先に感じたまま。強がって、慣れたものだと言い張っていた痛みを、知らずに済む幸いを感じたまま。

「そうだ……あなたにも、お礼を言わないと」

 足を止めて振り返り、エミリアは先ほどの青年の姿を探す。
 一言、このささやかな幸いに導いてくれた彼に感謝を伝えようとして、

「……あれ? どこに、行っちゃったの」

 しかし、彼女が振り返ったその先に、件の青年の姿はどこにも見当たらなかった。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 枝木を掻き分け、草地を踏み、跳ぶように獣道を駆け抜ける。
 木々を掻い潜り、藪を抜けて薄闇へ入れば、うっそうと緑に周囲を囲まれた開けた空間に出くわした。

 足を止めてしばし待てば、同じようにこの場へ駆け込む影が三つ。合計で四となった影は頷き合うと、ひとりが中央にしゃがみ込み、残りの三人が周囲を警戒。
 中心に座り込んだ人物は懐を探り、そこからひとつの手鏡のようなものを取り出す。開かれたそれはまぎれもなく鏡であったが、光源が限りなく絞られた森の中とあっては自身の顔を確認することすら容易にはできない。

 だが、鏡の持ち主にはそんなことはなんの問題もなかった。
 元より目的は自分の顔を見ることではない。鏡を通して、『別の場所と繋がる』ことが目的であるのだ。

 鏡を握る手に魔力を込めて、縁に刻み込まれた刻印にマナを注ぎ込む。初期起動さえさせてしまえば、あとは微量なマナを鏡自体が周囲から吸収し、役目を果たす希少な魔法器――対話鏡だ。
 備え付けのものが多く、持ち運ぶには規格が大きすぎるものばかりの中、こうして持ち運べる大きさのものは非常に珍しい。
 それを持たされ、役割を任された自分の立場というものも、非常に重要視されているのだと使命感が高揚感に変わるのを男は感じる。

 そして、鏡を通じて、向こう側に語りかけようと口を開く――寸前、

「なるほど、それで情報流してたってわけだ。対話鏡ってのも便利なもんだ。……でも、使命感に燃える前に仲間の面ぐらい覚えておいた方がいいぜ?」

 しゃがみ込む男のすぐ真横に、同じようにしゃがみ込んだ人物がそう喋る。
 ぎょっと男が顔を上げてみれば、目の前に立っている人物にひどい違和感を覚えざるを得ない。まるで、目の前にいるのに意識が認識を拒むかのような。

「顔がわからなけりゃ、俺はお前らにとって、同じ臭いがふんだんにするだけのお仲間ってとこだもんな。――ふざけろ、三下共」

 言いながら、白いローブの人物は立ち上がり、吐き捨てるように言い放つ。
 そして、衝撃に動けない男たち――魔女教徒の前で、彼は首を振りながら、頭からすっぽりとかぶっていたフードを後ろへはねのける。

 現れたのは、この世界では非常に限られた人種だけが抱く黒の頭髪。
 彼の不機嫌な心象を露骨に表す三白眼、そして煽るような不敵な笑み。

 そこまで見て、ようやく魔女教徒たちにも、それが誰なのかがはっきりわかった。

「俺とエミリアたんの感動の再会を邪魔した罪は重いぜ、お前ら」

 指を天に突きつけて、『認識阻害術式』で編まれた白いローブの裾を揺らし、ナツキ・スバルは男たちに対して口上を言い放ち、

「さあ、洗いざらい、知ってることを話してもらおうか!」


 ――逆転の目を見せるために、指を高らかに鳴らした。

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ