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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第三章 再来の王都

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第三章61 『メイザース領への道』

 ――歓声が、月明かり満ちる平原に広がっていく。


 騎士たちの掲げる剣がその月光を映し、反射する光景は美しくすらあった。
 白鯨の巨躯がフリューゲルの大樹の下に横たわり、それを囲む一団を熱狂が押し包んでいる。誰もが勝利に浮かれ、悲願を果たしたことに感涙をこぼしていた。
 そんな彼らの喜びの感情に水を差すように、

「――――ッ!!」

 強大な咆哮が二つ上がり、一時静まっていたリーファウス街道の大気を揺らす。
 討たれた白鯨とは別、本体を失った分身である二体の白鯨だ。地の上で巨躯をのたくらせ、獰猛に猛るその身はどこか茫洋と薄れ始めている。
 本体からのマナの供給が途絶え、その肉体を維持できなくなりつつあるのだ。このまま放置しておいても、数分ともたずに消滅するだろう哀れな姿だが、

「無粋」

 一言でその醜態を断ち切り、振られる腕が見えない風の刃を解き放つ。
 突風を伴う風の斬撃が頭部から入り、悶える白鯨の強靭さを失った外皮を易々と両断――左右に真っ二つに叩き切り、その存在を文字通りに霧散させる。

 残る一体も討伐隊の砲筒による一撃で粉々に粉砕され、こちらも吹き散らされたマナが大気に溶け、その巨躯を完全に消失させた。
 今度こそ本当の意味で、白鯨の討伐戦は終わりを告げる。だが――、

「浮かれてばかりもいられまいよ」

 拳を握り固めて、自身の胸中に高揚感があるのを自覚しながら、しかしクルシュはそれを面に出さずに首を横に振る。
 悪い魔獣を皆で協力して倒し、物語はめでたしめでたしで終わる――というわけにはいかない。それは絵物語にのみ許される締めであり、めでたしめでたしのあとが続けられる現実にあってはやらなければならないことは無尽にある。

 生き残った負傷者を救護し、亡骸の残る死者を手厚く葬り、亡骸の残らない死者の足跡を辿ってやらなくてはならないのだから。
 そして、それらの後始末を前に吐息をこぼすクルシュは気付いた。

 白鯨の屍より少し離れた場所で、必死に声を上げる功労者の姿があったことを。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「レム……! レム、目ぇ開けろ……!」

 腕の中でぐったりと体重を預ける少女を抱き起こし、スバルはその血の気の失せた顔に必死で声を投げかけていた。
 すぐ傍らに寄り添う地竜が、その黒い鼻先を心配げにこちらに擦りつけてくる。だが、そんな親愛を示す地竜の仕草にも応じてやれないほど、今のスバルを急き立てる焦燥感は激しいものだった。

 ――スバルの臭いを追わせ、白鯨をフリューゲルの大樹の下敷きにする作戦は見事に成功した。

 歴史ある大樹を切り倒すことへの忌避感などから反対の声が上がるかと思われた作戦だったが、合理主義な獣人傭兵陣はなんら呵責なしに、クルシュですらもそれが必要なことならばとあっさり割り切ってくれる度量を見せてくれた。
 結果、立案したスバル自身が多大なリスクを背負っての作戦は実行に移され、結果としてこれ以上ない戦果をもたらしてくれたといっていい。
 しかし、その代償がこれであるのだとすれば、それはあまりにあんまりだった。

「これは、駄目だろ……頼む、レム……お前が、いなくちゃ……」

 目の前、依然としてレムはスバルの呼びかけに反応する気配がない。
 力の抜けた手足に意思が通う様子はなく、名前を呼ぶ涙声は彼女の鼓膜を素通りして空しく虚空に木霊していた。

 白鯨の猛烈な追撃を受け、目の前に大樹の幹が迫る中を駆け抜けた。
 巨躯が大樹の重量を直撃し、激しい地鳴りと衝撃があたりを無作為に吹き飛ばし、その中にはすぐ側を走り抜けていたスバルたちの姿もあった。

 上も下もわからなくなるような激しい衝撃にもまれる中、スバルは自分が温かなものに包まれる感触に守られていたことを覚えている。それを自覚した瞬間、すさまじい衝撃音が轟き、その感触ごとスバルを地面に叩きつけたことも。

 朦朧とした意識の狭間を抜け、頭を振るスバルは地べたに倒れ込んでいたことに気付いた。そして顔を上げ、自分が誰かに抱かれていたことに気付き――それが自分を最後まで抱きしめてくれていた、彼女の体であったことを知ったのだ。

「……スバ、ル……く」

「レム――!?」

 ぴくり、と彼女の瞼が震えて、その下の瞳が力のない輝きでスバルを映す。
 その瞳に映る自分の姿があまりに弱々しくて、まるで目の前に迫ろうとしている現実を無意識的に認めてしまいそうになっているように思えて、

「よか……ああ、俺だ。わかるか、スバルだ。レム、体は……」

「スバルくん……無事で、よかった……」

「……ッ!」

 喉が詰まった。涙声で、彼女の身を案じる言葉すら満足に吐き出せずにいるスバルを見て、レムが安堵したように微笑んだからだ。
 自分の体の状態すら度外視して、ただスバルの無事だけを見取って嬉しそうに。

「魔獣……は、どうなって……」

「……落ちた。やっつけた。うまくいったよ。全部うまくいったんだ! 俺も、ケガもなんにもなくて……全部、お前のおかげ……」

「そ……ですか。じゃあ、ロズワール様や、エミリア様……も、きっと大丈夫……」

「うまくやる。俺に任せろ。だからレム、今はなにも言わなくていいから休んで……いや、目……閉じないで……ああ、クソ、どうすりゃ……」

 無理を押して言葉を続けないでほしい。けれど、彼女の口が言葉を発してくれていないと不安が払拭できない。どうしようもない運命の強制力が、まるで彼女の命をスバルの手からかすめ取ろうとしているかのような焦燥感があった。
 どうしたらいいのか、わからない。どうしてあげればいいのか、わからない。

 わからないからスバルにはもう、彼女の手を握って、抱きかかえる彼女に回す腕に強く力を込めるしかなくて。

「痛い、ですよ。スバルくん……」

「ごめん。悪ぃ。でも、こうしてないと、お前がどっかに……」

「どこにも行ったり、しませんよ。……レムは、スバルくんの、傍に……」

 泣きじゃくる子どものように駄々をこねるスバルに、レムはまるで慈母のような微笑みのままで笑いかけ、その体からふいに力を抜いた。
 彼女の体が腕の中で柔らかくなる感触に、スバルの喉が恐怖で凍る。血の気が一気に引いていく音が耳元で聞こえて、なにもかもが置き去りにされていく。

「レム……? レム! 頼む、レム……目、開けて……」

「なんだか、すごく眠くて……ごめんなさい。……少しだけ眠って、目が覚めたらまた……すぐに、スバルくんのために……」

「そんなのどうだっていいんだ! なにもしなくていい。ただ傍にいてくれたらそれでいいから……だから、頼むよ、レム……」

 腕の中にいるのに、徐々に遠ざかり始める彼女を必死で繋ぎ止めたくて、スバルは必死に声を絞り尽くす。なのに、その声はすぐ目の前の彼女に届かなくて。

「わがまま、言って……いい、ですか?」

「……! 言えよ、なんでも言え。なんだって聞くし、やってやるから……ッ」

「好きって、言ってほしい……です」

 掠れた声で、弱々しい声音で、スバルを見上げるレムが小さくこぼす。
 湧きあがってきた涙でぼやけそうになる視界を押し開き、スバルは首を横に振った。そしてそれから彼女に顔を寄せて、

「好きだ」

「――――」

「大好きだ。決まってるだろ……お前がいなきゃ、やっていけない」

 本心からの言葉だった。
 この瞬間にスバルの全てを注ぎ込むのならば、それは掛け値のない本音だった。
 彼女なしではここまで辿り着けなかった。彼女なしでは生きていかれない。

「ああ……嬉し……」

 そのスバルの告白を受けて、レムの閉じた瞳の端を涙が伝った。
 投げかけられた言葉を幸せそうに受け取り、レムの頬にさっと赤みが差す。それを最後にふっと、彼女の体から本当の意味で力が抜けていく気がして。

「待てよ……」

「愛しています、スバルくん」

「ふざけんな、俺の傍にいろ。俺にまた、後悔だけ残していくのか!」

 手繰り寄せた未来の中に、彼女の存在がないことなど耐えられない。
 そんなことはずっと前からわかっていて、その存在はそのずっと前のときより今はずっとずっと大きくなっている。
 だから、

「笑って話す未来に、お前がいなくちゃ……俺は嫌だよ」

「その未来、レムも隣にいていいですか?」

「……当たり前だろ。他のどこにもいかせやしねぇ」

 瞼を閉じて、浮かびかけた涙を振り切って、スバルはレムを真っ直ぐ見つめる。
 そして、言い切った。

「お前は俺のものだ。誰にも、渡さねぇ」

「――言質、頂きました」

「へ?」

 ふとやけに理知的な返答が上がってきて、スバルが間の抜けた声を出す。
 と、そのままレムは力をなくしていた瞼をゆっくりと開き、あろうことかスバルの腕の中で上体を起こした。
 そして唖然として状況を掴めないでいるスバルの前で、首を傾けて微笑み、

「スバルくんの隣はレムの予約済みです。……撤回は、できませんよ?」

 死にそうだった姿など完全にどこへいったものか、悪戯っぽい口調でからかうように片目を閉じて、レムの指がスバルの唇にそっと触れる。

 がっくりと、肩から力が抜けてスバルはへたり込んだ。
 は、と抜けるような息を吐き、それからじと目でレムを見上げて、

「おま……お前、お前……お前ぇぇぇ」

「はい、スバルくんのレムです。名実ともに」

 お決まりの答えが今はふてぶてしく聞こえて、スバルは言葉を続けられない。
 それでも、目の前の少女が無事である事実が頭の先にきてしまって、本当は怒りを露わにしてもおかしくない場面だったのに、嬉しすぎて、

「互いに本音ぶちまけてから、お前は色々とはっちゃけすぎだろ……」

「恋に素直になった女の子は強いものですよ、スバルくん」

 もはやスバルへの想いを隠すつもりのないレムにしどろもどろ。気恥ずかしいやらなにやらで顔が赤くなるのを感じながら、スバルは小さく吐息を漏らし、

「……お前が死んだら、俺も死ぬところだったぜ」

「わ。そこまで思ってもらえるなんて、レムは果報者ですね」

「冗談抜きに、な」

 小さく笑いまじりのレムの答えに、スバルはそれこそ嘘偽りない気持ちで応じる。
 彼女がもしも失われてしまえば、スバルはきっと世界をやり直したことだろう。仮にそれでやり直す機会が与えられなかったとしても、挑んだろうことは間違いない。
 それほど、今のレムの存在はスバルの心の中で大きな位置を占めている。

「じゃあ、絶対に死んでしまったりはできませんね」

「たりめーだ。死んでも、死なせたりしない」

 顔を近づけて、その額に額を押しつけて至近で見つめ合う。
 レムはそんなスバルの仕草を愛おしげに見つめ、息遣いさえ触れ合う距離に少女の姿があることがスバルにはむず痒い。自然、視線がその桃色の唇に引き寄せられ、心臓の鼓動がかすかに早まるのを感じ――、

「――お二人さん、もうそろそろいいんじゃにゃいかにゃ?」

 それまで二人のいちゃつきを遠巻きに見ていたフェリスが呆れた様子で、肝心の場面に割り込んで盛大に邪魔をしたのだった。
 確信犯だろう。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「あんにゃに必死になって呼びかけちゃって、スバルきゅんてば可愛いよネ。お前がいなくちゃ、俺は生きていけない……!」

「うるせぇ、黙れ! じろじろ見てるとか、てめぇの趣味の悪さを省みろ!」

「そもそも、冷静になればわかるじゃにゃい。負傷者の傷の手当てして回ってるフェリちゃんがすぐに行かなかった時点で、レムちゃんの傷が命に関わるほどのものじゃにゃいみたいにゃことにさぁー」

「冷静になれる場面かぁ! 好い……! 惚れ……! 大事な女……! の子がケガして意識ないんだぞ、混乱して当たり前だろうが!」

「色んな場面で言い切れない部分が男の子の純情だよネ~」

 怒鳴りつけるスバルにどこ吹く風で、フェリスは掌に浮かぶ青い輝きをレムへと向けながらへらへらと笑っている。
 その横顔に収まらない苛立ちを叩きつけながらも、スバルは徐々に和らいでいくレムの表情に安堵の気持ちを隠せないでいた。

 フェリスの言には素直に頷けない部分も多いが、重傷者から順番に治療を施していた彼がレムを後回しにしたということは、それは事実なのだろう。
 白鯨討伐の功労者であり、余所の陣営の戦力であるレムやスバルを軽々しく扱うことなど彼の主が決して許すまい。そんな思考の帰結を見るスバルに、

「無事か、ナツキ・スバル」

 と、件のフェリスの主――クルシュがゆったりと草を踏みながら現れる。
 血や泥で各所を汚しながらも、真っ直ぐに背筋を伸ばすクルシュの立ち姿は美しい。自然、失われることのない気品が戦いのあとの余韻にも漂っており、まさに戦乙女という言葉が体現したような麗人である。

「どうにかこうにか、な。クルシュさんも無事そうでなによりだ」

「私はな。だが、討伐隊の方の損耗は決して少なくない。白鯨を討ってなお、消えたものたちは戻らないのだから」

 手を掲げて応じるスバルに顎を引き、しかしクルシュはその表情に沈痛なものを浮かべて首をめぐらせる。彼女の視線が向くのは、いまだ大樹の下敷きになったまま動かさずにある白鯨の屍だ。

 視線の先では生き残った討伐隊の、比較的負傷の少ない面々が寄り集まり、どうやらまず白鯨の上から大樹を退けようとしているようであった。

「なにをやってんだ、ありゃ」

「白鯨の屍を運び出さなくてはならない。作戦の犠牲になったフリューゲルの大樹に対しても、なにかしらの処置は必要だ。戦いのあとにこそ、気が休まらない」

「運び出すって……あのでかい死体を?」

 聞き間違いかと確かめるが、クルシュの態度は変わらない。スバルは慌てて視線を白鯨に戻し、その全長五十メートルにも及ぼうかという巨躯を眺めて、

「無理臭くね?」

「できない、では話にならない。四百年、世界の空を泳ぎ続けた脅威だ。その屍という確かな証拠があってこそ、人心は真の安堵を得る。最悪、頭部だけとなる可能性もあるがな」

 口惜しげに語るクルシュの言葉を聞きながら、スバルはその判断も当たり前だと思い直す。もともと、白鯨の討伐はクルシュにとっては、王選における商人方へのアピールの意味が大きい。
 王選の最有力として国民からの支持も高く、そして懸念されていた商人からの好感度をも稼いだとなれば、彼女の立ち位置は盤石であり――、

「あれ、ひょっとしてけっこうまずい後押ししてねぇ?」

 今さらではあるが、他陣営への肩入れという意味では取り返しがつかないぐらいの功績をやらかした気がしてならなくなってきた。
 自然、自分の立つ陣営の不利さに拍車をかけた感がスバルの背を冷や汗が伝う。
 が、

「ずいぶんと暗い顔をするものだな。――白鯨を落とした英雄の顔には見えん」

「エミリアたんに開口一番裏切り者って罵られ……え、今なんて言った?」

「白鯨を落とした英雄、だ。――卿の功績を、そのまま当家の手柄の全てにするほど恥知らずではありたくない」

 白鯨の方から視線をこちらに戻し、クルシュは剣のように鋭い眼差しでスバルを射抜く。姿勢を正されるような輝きに瞬きして、スバルもそれと向かい合った。
 そうするスバルにクルシュはゆっくりと、胸に手を当てると、

「此度の協力、感謝に堪えない。卿がいなければ白鯨の討伐はならず、私の道は半ばで潰えていたことだろう」

 そう言いながら、深々とスバルに対して礼の姿勢をとったのだ。
 その高潔な人間から向けられる真摯な謝意に、スバルは思わず硬直する。これまでの人生で、ここまで真っ直ぐに感謝の気持ちを、立場が上の人間から投げかけられたことなど記憶にない。

「い、いや……やめてくれって。俺、そんな大したことしてねぇし……」

「白鯨の出現の時と場所を言い当て、討伐隊だけでは足りぬ戦力を整えるのに奔走し、士気が折れかけた騎士たちの覚悟を奮い立たせ、自らの身が危うくなる起死回生の献策をし、その上で見事にそれをやり遂げてみせた」

 途切れ途切れに言葉を返すスバルに、クルシュはこの戦いにおけるスバルの行動の結果を羅列してみせる。
 そうして整然と語られた自分の行いの帰結を見ると、それはまさしく、

「我ながら頭おかしいとしか思えない活躍してんな……」

「獅子奮迅、では言葉が違うな。しかし、この戦いにおける立役者は間違いなく卿だ。卿の行いが軽んじられるのであれば、私は私の名誉に誓ってそれを正すだろう」

 こちらを真剣な目で射抜き、真っ直ぐな言葉を投げてくるクルシュの賞賛には一切の打算も躊躇もない。誠実、の二文字を体現したかのような人物だけに、その口が紡ぎ出す感謝の念には嘘の欠片もないだろう。
 それだけに、スバルは出発前夜までの彼女との関係を思い出しては苦笑する。

「ずいぶんと、評価が改善されたみたいでなによりだよ」

「謙遜することはない。そして、私の数日前までの見立てが大いに間違っていたところは認めざるをえまい。卿は、得難き幸いを運んできた。本来ならばその功績、当家に迎え入れて相応に報いたいところではあるが」

「そりゃ勘弁してくれ」

 目を細めて、低い声でスバルを誘うクルシュ。だが、スバルはそんな彼女の勧誘に即断で手を上げて断ると、

「忠誠とも忠義とも違うけど、俺の信頼はもう預けるべきところに預けてある。お前はいい奴だし、王様になってもきっとうまくやってけると本気で思うけど……」

 クルシュならばきっと、誰よりも高潔に民を導く王になれるだろう。
 それだけの器があるし、その人柄はこの死地で何度も目にすることとなった。それはスバルのように嘘をつき続けてきた、小さな人間には眩しいばかりのもので、羨望を持って憧れることを止めることはできないけれど。

「――俺は、エミリアを王にするよ。誰のためでもなく、俺がそれをしたいんだ」

「……わかっていたことではあるが、それなりに堪えるものだな」

 スバルの答えを受け、クルシュはその唇を綻ばせると顎を引く。
 それから組んだ腕を解き、その白い指を拳の形に固めると、スバルに向けた。

「良いだろう。卿の功績には別の形で報いる。クルシュ・カルステンの名に誓い、その約束は果たされよう」

 厳かに言い切り、クルシュは握り固めた拳を解いて自分の掌を見る。
 それからわずかにその声の調子を落とし、

「思えばこれほど気持ちよく、誘いかけを断られるのは初めての経験だな。悩む素振りすら見せられないとは、いっそ清々しい敗北感だ」

「……お前は、すげぇ奴だと思うぜ。俺だってふらふらひとりなら間違いなく、その手を支えにしようって思うだろうさ」

 寄る辺もない状態で、なにひとつ定まっていない状況で、クルシュ程の人物にそうやって手を差し伸べられたとしたら、きっと迷うことなく飛びついて、縋りついて、全てを委ねてしまうに違いない。
 だけど、今のスバルは手を伸ばして掴まっていたい相手がいて、ふらふらと揺れる背中を支えてくれる掌の持ち主がいて。

「同盟の件は、よろしく頼まぁ。最終的にどんな状態になって敵対することになっても、それまではきっと仲良くやっていこうぜ」

「ナツキ・スバル。ひとつ、考えを正そう」

 スバルの言葉にクルシュは首を横に振り、唇を引き結ぶと厳しい表情を作る。
 再び張り詰めるような気配が彼女から発され、スバルは背筋に痺れるような感触を覚えて目を見開く。
 そんなスバルにクルシュは指をひとつ立て、それをスバルの顔の前に突きつけ、

「雌雄を決する機会がきたとしても、私は卿に対して友好的であろう」

「――――」

「いずれ必ず来たる決別の日にあっても、今日の日の卿への恩義を私は忘れまい。故に敵対するときがきたとて、私は卿に最後まで敬意を払い、友好的である」

 指を立てた腕を振り下ろし、クルシュは凛とした声音ではっきり断言する。
 その彼女の振舞いに、今度こそスバルの背筋を寒気が走り抜けた。それは負感情を発端とするものではなく、ただただ偉大なものに圧倒されたが故のもので。

 ――これがカルステン公爵、クルシュ・カルステンという人物なのだ。

「俺の心の一番目と二番目が埋まってなかったら、かなり危ないとこだった」

「ふ。女として、卿をどうこうというところまでは考えていない。いくらか琴線に触れる場面がないではなかったが、私自身の意思とは無関係にそれなりに高値なのでな」

 動揺する心を誤魔化すスバルの軽口に、それこそ軽口で応じてクルシュは薄く笑う。それから彼女は表情を切り替え、ひどく冷静な目をすると、「して」と前置きし、

「できるなら私はこのまま、負傷者と白鯨の屍を王都へ運びたいところだ。が、卿にはまだなにか使命が残っているようだな」

「……やっぱ、加護持ちにはわかるか」

「男児のその目を見ればようと知れる。加護の力など必要あるまい」

 スバルの黒瞳をジッと見ながら、クルシュは片目をつむるとそう答える。それから彼女はスバルの姿を上から下まで流し見て、

「卿も無傷ではないはずだ。それを押して、やらなければならないことか」

「重傷でもやらなきゃならねぇことだな。それをやってのけるための、ある意味じゃこの鯨狩りだ。言っちゃ悪いけどな」

「ほう、この白鯨討伐がついでか」

 聞こえの悪いだろう言い方に、しかしクルシュが腹を立てる様子はない。
 彼女はそこまで言うスバルの目的とやらに興味を持った様子で、顎に手を当てながら「興味深いな」と呟き、

「当家との同盟も、それを考慮してのものだろう。なれば、求められている役割も思い当たらないでもない。……手が、必要か」

「必要だ。けど……正直、ここまでキツイとは思ってなかったから」

 力なく応じて、スバルは負傷者だらけのこの状況を見渡して肩をすくめる。
 白鯨討伐を終えたスバルを待つのは、エミリアの待つメイザース領への帰参であり、それは忌まわしき集団との相対を意味する。
 その憎き相手との戦いにおいて、できればクルシュ陣営の力を借りることができるのが理想であったのだが――、

「こんだけケガ人が出てんのに、無茶は言えねぇ。クルシュさんにだって感情じゃなくて、当主としての意見があるだろ。この上で、手ぇ貸してくれとは……」

「ならばこの老躯、使い潰されるがよろしいでしょう」

 ふいに会話に割り込んだのは、静かな語調で歩み寄ってくる長身の影――全身に返り血を浴び、今もなお左腕の負傷が痛々しい老剣士、ヴィルヘルムだ。
 彼はその負傷の影響を微塵も感じさせない足取りでこちらへくると、右手に握っていた宝剣をクルシュの方へと差し出し、

「クルシュ様、お貸しいただいたものをお返しいたします。ならびに、此度の件、心より感謝を申し上げます。我が身の悲願が叶いましたのも、クルシュ様のご協力があればこそ。――ありがとう、ございます」

「私の目的と卿の悲願、互いに利害が一致しただけのことだ。――その剣は、今しばらくは卿が持っているがいい。このあと、丸腰では役に立つまい」

「は。ありがたく」

 ヴィルヘルムの絞るような感謝の言葉に短く応じ、クルシュが顎で示すとヴィルヘルムがスバルを振り返る。
 改めて間近にすると、その身から漂う血臭はすさまじく、迸る剣気は意図せずしてスバルの細い肝に刃を突きつけるような緊迫感をもたらしていた。
 ただ、戦いの前にあった張り詰めるような雰囲気――そこからは解放されて、今のヴィルヘルムは晴れやかな様子であるのは事実だった。

 彼はスバルを真っ直ぐ見て、それからその場に膝をついた。
 出発の前夜にも見せた、相手への最上の敬意を示す最敬礼だ。そして、

「ナツキ・スバル殿。此度の白鯨討伐、成りましたのは貴殿の協力あらばこそ。この身が今日この日まで、生きてきた意味を全うすること叶いましたのは、貴殿あってのことです。感謝を。感謝を。――私の全てにかけ、感謝を申し上げる」

「――――」

 剣に捧げた半生の、そして十余年の時間をかけて、復讐をやり遂げたヴィルヘルム。その彼から向けられる感謝の言葉に、その膨大な情熱の波に呑まれながら、しかしスバルは口ごもることを恐れて言葉を発することができない。
 しばし気を落ち着かせ、目の前の老人の言葉へ正しく発声する気が整うのを待つ。
 このヴィルヘルムの覚悟に対し、みっともない姿を見せることなど、それこそあってはならないのだから。

「やれたのは、ヴィルヘルムさん自身の力ですよ。あの白鯨を倒そうって考えて、調べて、鍛えて、諦めないで戦って……」

 何度も何度も挫折を味わい、執念が届かないと諦めかけたこともあったはずだ。
 全てを投げ出して、妄執から解き放たれる誘惑が一度もなかったとは思えない。
 心の弱さを、己に負けるということを、運命に遮られるという理不尽を、誰よりも知るスバルだからこそ、ヴィルヘルムの強い思いの結実までの苦難がわかる。
 だから、

「奥さんをすっげぇ愛してたから、白鯨を倒すまでいけた。その手伝いが少しでもできたってんなら、なによりです。こう言っていいのかわかんないッスけど……おめでとうございます。あと――お疲れ様でした」

「――――」

 スバルの言葉に顔を上げて、ヴィルヘルムはその皺だらけの顔の中の瞳を大きく見開く。
 スバルが感じた思いや感動は、スバルが勝手にヴィルヘルムに共感して思い描いたものだ。それが今の短い言葉で伝え切れるとは思わないし、わかったような口を利かれるのはヴィルヘルムも面白くないだろう。
 しかし、それでも言いたい気持ちを堪えられなかった。十四年も、亡くした妻への愛を燃やし続け、ここまで走り続けてきた、運命と戦った先達に、労いの言葉を。

「――感謝を」

 短く、声を震わせてヴィルヘルムがそう答える。
 それから彼はわずかに俯き、ほんの数秒を待つと立ち上がって腰を伸ばした。そして、クルシュの方へ目を向けると彼女の頷きを受け、

「クルシュ様より、許可はいただきました。この身、スバル殿に預けましょう。存分に、目的のためにお役立てください」

「いやでも、マジで?」

 確認のためにクルシュを見れば、彼女は顎を引いてそれを肯定。
 改めてまじまじとヴィルヘルムを見やり、スバルは片腕を負傷しても衰えることのない剣鬼の圧力に頼もしさと怖気を同時に覚える。

 ――ヴィルヘルムの協力は、スバルにとって願ったり叶ったりだ。

 戦力の充実が少しでも望まれる現状、剣鬼ヴィルヘルムの力は喉から手が出るほど欲しい。が、彼の老人は素人目で見ても軽傷とはいえない姿である。
 そんなスバルの懸念に対し、クルシュは「問題ない」と首を横に振り、

「フェリス!」

「はぁい、クルシュ様」

 鋭い彼女の呼びかけに、呼ばれたフェリスが滑るようにさっと現れる。
 彼は弾む足取りでクルシュの隣に並ぶと、その頭部の猫耳を小刻みに揺らし、

「なんです、クルシュ様。フェリちゃんてばただいま大回転中につき、クルシュ様のお願いごとの優先度はもちろん一番だから関係にゃいんですけどぉ」

「お前、自分の発言の途中には責任持てよ!」

 あっさりと回復魔法の使い手としての役割を投げ出そうとする発言に突っ込み、それを受けるフェリスが渋い顔。そんな彼にクルシュは「命に関わる負傷者は?」と問いかけると、フェリスは唇に立てた指を当てて、

「大方の応急処置は終わってますから、放置してすぐ死んじゃうみたいにゃ人はいませんヨ? 不幸中の幸いですけど、生き汚いのが揃ってましたしぃ」

 しなを作って答える姿がいちいち癇に障るが、その答えにスバルはホッと胸を押さえる。少なくとも、レムの体が大事に至ることはないようだ。会話の後半でスバルをだいぶからかったところを見るに、その心配はほぼ不要だったとも思えるが、それでも改めて無事を聞かされれば安心するものである。
 ともあれ、それを受けたクルシュは「わかった」と厳かに言ってから、

「負傷者は搬送可能か。ならばフェリス、今はここまででいい。お前はこのあと、ナツキ・スバルに従い、同盟としての役割を果たせ」

 そう、フェリスに命じた。
 その言葉にスバルは再び驚かされる。この場から『青』のフェリスを外すということは、負傷者の身の最低限の安全を確保した段で、スバルの用件を優先させるという判断に他ならない。それは自身の立場より、スバルへの配慮が先立った判断であり、当然クルシュ至上主義のフェリスの反感を――、

「了解しました。フェリちゃんはこのままスバルきゅんに同行します。道すがら、ヴィル爺の治療もしなきゃですし」

「手間をかけますな」

「その分、ヴィル爺には剣を振ってもらわなきゃだしお相子じゃにゃい?」

 買わなかった。
 フェリスは当たり前のようにそれを受け入れ、ヴィルヘルムもその判断を疑っていなかったように振舞う。主と二人の従者のやり取りに驚きが隠せないでいるスバル。そんなスバルの方をフェリスはちらりと横目にし、

「そんにゃわけで、大丈夫そうな討伐隊の残りの半数……二十人ちょっとかにゃ。それを連れてスバルきゅんに協力するネ。よろしくー」

「よろしくーって軽いな! いいのかよ!」

「なにが?」

「なにがって……色々だよ。お前、俺の判断とか信用できんのかよ」

 思い返せば思い返すほどに、王都でスバルに対して傷口を抉るような真似をして接してきた人物はフェリスを除いて他にいない。
 いつだって友好的な笑みを浮かべて、いつだって可憐な様子を装いながらではあったけれど、スバルの弱さに強い軽蔑を彼が抱いていたことはなんとなくわかっている。そんな相手に従うことへ、忌避感があるのは当然だとスバルは思ったのだが、

「スバルきゅんを信じるんじゃなくて、スバルきゅんを信じようと思ったクルシュ様の判断を疑ってにゃいの。そこ、間違っちゃやーだかんネ?」

 念押しするように、スバルの考えを鼻で笑ってみせるフェリス。
 その悪辣な態度にスバルは額に青筋が浮かびそうになるのを堪えて、何度か深呼吸してからたどたどしく、「ありがとよ」と絞り出すのに成功。それから、

「あ、言い忘れてたけど、レムちゃんはお留守番……っていうか、クルシュ様と一緒に王都に戻らなきゃだから、わかってネ」

「――どうしてですか!」

 ふと、思い出したように告げてきたフェリスの言葉に、強い語調で否定を発する声が響く。それは背後、このやり取りを見守っていたレムであり、半身を起こした彼女は恨めしい目でフェリスを睨みつけ、

「レムなら、レムなら大丈夫です。スバルくんがこれからまだ危ないところに行くっていうのに、レムがいなくてどうして……」

「そんにゃこと言っても、体、動かないでしょ? ほとんどひとりで白鯨を迎え撃って、おまけに最上級の魔法まで何度も使って……レムちゃんのお体は今、限りなく消耗してスカスカ状態にゃの。治癒術師として、これ以上の無理をさせることはできませーん。おわかりかにゃ?」

「でも!」

 納得いかない、とばかりにレムは立ち上がって言い募ろうとする。が、起き上がろうと立てた腕に力が入らず、震える体を支え切れずにその場に倒れ込みそうになる。と、その崩れ落ちる彼女の体を駆け寄ったスバルが慌てて支え、

「危ね。――おい、頼むからフェリスの言う通り、あんまし無茶すんなよ」

「でも! 嫌なんです、苦しいんです。耐えられないんです」

 間近に迫ったスバルを見返し、レムはその瞳に大粒の涙をたたえていた。
 置き去りにされることよりもなによりも、彼女が恐れていることは、

「スバルくんが困っているとき、誰よりも先に手を差し伸べるのはレムでありたい。スバルくんが道に迷っているとき、背中を押してあげる存在でいたい。スバルくんがなにかに挑むとき、隣にいて震えを止めてあげたい。それだけがレムの、それだけがレムの望みなんです。ですから……」

「それなら心配なんか、いらねぇよ」

「え?」

 泣きそうな彼女の声に、その愛しさ募る言葉をぶつけられて、スバルは自然と面映ゆいものに唇がゆるめられるのを感じながら、

「手はいつだって繋いだままだし、背中なら何度も押してもらった。震えるのだって、お前を思うだけでどうとでもなる。――俺はお前にもう、ずっと救われてる」

「……ぁ」

「大丈夫だ、レム。全部丸ごと、俺がどうにかしてきてやる。俺はお前の英雄だ。その一歩を踏むと、そう決めたんだ。だから、なにも心配いらない」

 震える瞳がスバルを見上げ、熱を持った頬が赤く染まる。そんな彼女にスバルは笑顔を向けて、歯を剥くように獰猛に笑い、

「鯨狩りもやってのけた。お前の英雄は超、鬼がかってんだろうが」

「スバル、く……」

 込み上げてくるものが堪え切れなくなったように、スバルを呼ぼうとしたレムの言葉が途中で途切れる。それから彼女は何度かその衝動を呑み込もうと苦心し、幾度も息を呑んだあと、抑えられなかった溢れるものを瞳の端からぽろぽろこぼし、

「――はい。レムの英雄は、世界一です」

 と、泣きながら微笑んだのだった。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 レムや他の負傷者と、王都へ帰参するクルシュに護衛を半数残し、残る討伐隊を連れてスバルは一路、メイザース領を目指す。

 ヴィルヘルムやフェリスを代表に、スバルと同行する討伐隊の数は二十四名。想定した数よりはかなり減ってしまったが、大事な戦力には変わりない。
 それに、同行してくれるのは彼らだけではなく、

「あー、それにしても、えーとこはみぃんな、兄ちゃんに持ってかれてしもうたな!」

「ダンチョー! ミミも! ミミもがんばった! ちょーすっごいがんばったー!」

 口やかましく話し合いながら、大型の犬に乗った獣人二人が騒いでいる。
 片方はスバルを庇って「汚ぇ花火」になりかけたリカードであり、もう片方は命懸けの戦場の真っただ中でも子どもじみた態度を崩さないミミだった。
 その二人だけでなく、生き残った獣人傭兵団の十名ほども同行している。残った負傷者たちはもうひとりの副隊長である、ヘータローが率いて王都へ戻るそうだ。

「それにしても、弟があんだけ息切らしてたのにどうしてそんなお前は元気なの?」

「ヘータローはひんじゃくだからなー。きたえてるミミとはちがって、なんじゃくくんなんだよ。なさけなーい!」

 けらけらと、笑いながら弟の貧弱ぶりを笑い飛ばしている。が、スバル判断としてはおそらく姉の方が体力馬鹿なだけだろうと思う。
 戦いが楽しくてしょうがない、バーサーカータイプなのだ。姿が愛らしい子猫型の獣人だけに、逆にそういった姿であるのが不憫にすら思える。

「ま、あんましやったけど、心配せんでえーで。ちゃんとお嬢に頼まれてるさかい、兄ちゃんの目的には協力したるから」

「目的の協力つったって、お前、俺がなにしようとしてるのか知って……」

「魔女教と、事構えるんやろ?」

 ふっと、声を低くするリカードの言葉にスバルは声を詰まらせる。
 自然、体重を預ける地竜――パトラッシュの手綱を強く握ってしまい、彼の地竜が騎手の身を案じるように小さく嘶くのを耳にする。
 そうして強張るスバルの横顔にリカードは「驚かんでもええやろ」と歯を剥き、

「商人は情報の鮮度が第一で、ワイらはお嬢に雇われとる身や。背景事情やら含めてある程度は目と耳を利かせてるっちゅーわけやな。伊達に耳がでかいのと違うんやで」

「そうだー! ミミはでっかいぞー!」

「お前のこととちゃうわ、ちびっ子」

 リカードの冗談にミミが斜め方向から反応し、彼の苦笑を買っている横で、スバルは小さく息を呑み、アナスタシアの手の伸ばし方を甘く見ていたことを思い知る。
 とはいえ、目的に協力してもらう以上、黙っているわけにもいかない部分であり、その情報を開示するのは当然の流れだ。
 もっとも、それらのことはスバルの保険――王都を出る前の時点で張っていた、それらの結果を見届けてからにしたいのだが。

「おっと、合流できそうやな」

「あ?」

 ふと、前を見るリカードが遠い目をするのにスバルは気付き、その視線の方向を慌てて追いかける。が、スバルの眼前に広がるのは、まだ夜の深い平原の闇であり、リカードが見つめているものがなんなのかはわからない。
 目を凝らし、それでもなにも見えずに苦心しているスバルに、リカードは小さく含み笑いをしながら、

「そんな必死こかんでも、ちゃんと待っとけばわかる。安心しい」

「不確定要素はなるたけ早めに排除しときたいんだよ。もったいぶんな」

「せやな、したらもったいぶらん。――ちょい遠いんやけど、向こうからくるのはワイら傭兵団の、もう半分や」

「半分?」

 リカードの言っている意味がわからず、スバルは首を傾げて聞き返す。
 半分、というか負傷者などはそのまま、クルシュたち共々王都への帰路に同行しているはずだが。

「半分っちゅーのは、そのままの意味や。もともと、ワイら『鉄の爪』は白鯨の討伐に半分の人員しか出しとらんかった。残りの半分は半分で、やることがあったんでな」

「やること、っつーと」

「街道に他の人間が入り込んで、戦いに巻き込まれんようにせなあかんやろ? せやから、街道の向こう側をあらかじめ封鎖しとく役割や。昨晩の内に出発しとったから、兄ちゃんと顔合わせる機会はなかったんやけどな」

 リカードの説明に耳を傾けながら、スバルは納得に顎を引く。
 もっとも、白鯨討伐に全力を傾けていなかった、という点にはなかなか頷き難いところはあるが、クルシュの白鯨討伐が全滅により失敗する可能性がないでもなかった。その場合、貴重な戦力を全て失うことを避けたアナスタシアの判断も間違いではないだろう。手持ちのカードが少ない故に、全力投球しか選択肢のないスバルには到底悩むべき次元とは違う話だが。
 ともあれ、

「じゃ、今からくるってのが、残りの仲間なのか。そっちにもリーダーが?」

「ミミのおとーとのティビーがやってる。ヘータローの代わりに、ミミと合体技もできるスゴイ奴だぞー!」

 スバルの質問に誇らしげに答えてミミが胸を張る。
 彼女の返答を聞いただけで、その残りの仲間への期待値が若干下がるが、

「いや、でも弟はまともだったしな。こっち側の弟も、それと同じでまともな可能性が微レ存……?」

「心配しとるとこあれやけど、ティビーはワイらの中やとかなり賢い子ぉやぞ。金勘定やら交渉も担当しとるし、ミミの扱いもうまい。ヘータローの上位互換やな」

「言ってやるなよ、ヘータローが不憫になんだろ……」

 戦力外で置いていかれた点も含めて、ヘータローが哀れになりすぎる。
 それらの哀れみはさて置き、そういう面子が合流して戦力がさらに拡充されるのであれば儲けものだ。彼らの合流を待って、改めて話し合いの機を作るべきだろう。
 ヴィルヘルムやフェリスなど、クルシュ陣営に対して魔女教との敵対をどういった言葉で説明すべきか、頭を悩ませる。そのスバルの眼前に、リカードが言った通りに徐々に徐々に、合流を目指すライガーの群れが土煙を上げて近づいてきて、

「――ん?」

 ふと、違和感に気付いたスバルが小さく声を上げる。
 目の前、走り寄ってくる複数のライガーの群れの中、ひとつだけ特徴が違う影が紛れているのが見えたのだ。
 次第に距離が近づき、その輪郭がおぼろげなものからはっきりしたものに変わるにつれて、明快になり出したビジョンに地竜の姿が浮かび上がる。

 そして、その地竜の背にまたがっているのは、

「――なんで、てめぇが」

「援軍に対して、ずいぶんな物言いをするものだな。相変わらず、君は」

 立ち止まった地竜を互いに向かい合わせ、スバルとその人物は対峙する。
 紫色の髪を丁寧に撫でつけ、荘厳な近衛騎士団の兵装に身を包み、悠然とした微笑みを口の端に上らせる男。


 ――因縁の人物、ユリウス・ユークリウスが優雅な佇まいでスバルを見つめていた。


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