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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第三章 再来の王都

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第三章57 『白鯨攻略戦』



 地竜の揺れがダイレクトに尻に伝わり、弾むような挙動を制御しながらスバルは渇き始めていた唇を舐めて湿らせる。

 定刻通りに携帯電話のアラームが鳴り響き、宵闇のリーファウス街道に白鯨が現れる報を告げた。
 およそ一分前後――その間に奴が現れる。問題はその時間と場所が、秒単位や座標単位で確定できているわけではない点にあった。

 視線をめぐらせ、神経を研ぎ澄まし、その瞬間を待ち構える。
 そして、月明かりが雲に遮られたと思った瞬間、その雲があまりに大きな存在の下腹であることを理解し、スバルは自身の記憶の成就を見届ける。

 同時、スバルと同じようにその存在に周囲も気付き始め、動揺の気配が広がり始めるのと合わせて、手筈通りの一斉攻撃の呼び声がかかるのを全員が待った。
 が、クルシュが息を呑んだ瞬間より、ほんの半瞬ではあるがスバルたちの方が早い。

「――ぶちかませぇッ!!」

「――アルヒューマ!!」

 スバルの叫びに呼応して、レムがすでに練り始めていたマナに詠唱による指向性を与える。生み出される四本の長大な氷槍は大木を束ねたような凶悪さを誇り、それが風を穿つ勢いで巨体の胴体へと突き込まれる。

 氷柱の先端が固いものに押し潰される音が響き、しかし砕き切られる直前に先端が魔獣の腹にわずかに埋まり、傷口を押し広げて内部へ穿孔――血をぶちまける。

 白鯨の絶叫が平原に轟き渡り、鼓膜を痺れさせるような大気の震えを味わいながら、スバルとレムが乗る地竜が一気に駆け出していた。

 ――明言しておくのであれば、決してこれはスバルたちが早まったわけではない。

 あの瞬間に動けていなければ、コンマでも動きが遅れていたのであれば、この先制攻撃は白鯨に悟られてしまっていたはずだ。
 あの刹那の間こそが分水嶺。そして、そのほんのわずかな躊躇いが生死を分けるとわかっていながら、クルシュほどの傑物でも白鯨の威容の前には息を呑んだのだ。

 くるものと、半ば確信的に考えていたとしても、事実が起きれば人の心には波紋が生まれる。波紋はささやかでも思考に歪みを生み、歪みは停滞を、そして停滞は敗北を招き寄せる――戦端は危うく、こちら不利で始まる寸前だった。

 それでもなお、スバルたちがそこに間に合ったのは一言でいえば『愛の力』である。
 魔法器の存在とその機能への信頼性――クルシュたちの判断がコンマ遅れた点には、その部分への確実とまではいえない不信感が原因であった。姿を見せない魔獣に対する焦れもあり、その判断にささやかな陰りを差し込んだのも無理はない。
 だが、レムはスバルの言葉を、白鯨がこの瞬間に現れるという発言を、一点の曇りもなく、欠片も疑っていなかった。故に彼女はスバルが提示した時間に合わせ、自らが持てる最大火力の魔法を練り、白鯨の出現を確認したと同時に発することができた。

 これをレムの愛と言わずして、なんと呼べるだろうか。

「とか分析すると超恥ずかしい――ッ!」

「スバルくん、もっとしっかりしがみついてください。振り落とされます!」

 戦端の切り方を自分なりに分析するスバルに対し、地竜の手綱を握るレムがそう叫ぶ。彼女の言葉は作戦の一部――先制攻撃炸裂後の、第二段階を示していた。

「全員――あの馬鹿共に続け!!」

 背後、駆け出すスバルたちに遅れること半歩、号令をかけるクルシュに応じて討伐隊が次々と砲筒に着火――込められた魔鉱石が射出され、中空で弾けるとそれが色に呼応した破壊の力へと変換され、白鯨の胴体へ立て続けに着弾する。

 炎が、氷が、土塊が刃に、槍に、槌になって叩きつけられ、レムが作った傷口を押し広げ、悶える巨躯から血霧が噴出し、街道にどす黒い雨を降らせる。
 霧雨のように視界を覆う鮮血を避けながら、地竜が機敏な動きで白鯨を大きく迂回するように背後を目指す。打ち合わせ通りの流れだ。

「俺の存在を意識させて、討伐隊に基本背中を取らせるように立ち回る――!」

「闇払いの結晶が砕けます、目をつむってください!!」

 すでに戦闘状態に入り、レムの額には純白の角が覗いている。
 上を見上げ、歯を剥き出すレムの指示に慌てて従い、スバルは下を向いて目をつむり――次の瞬間、世界が瞬く。

 白光は空で爆発し、一瞬で世界を白い輝きで焼き尽くす。
 閉じた瞼をなお貫き、視神経を犯すほどの光の強さにスバルの喉が驚きに詰まる。そして数秒後、恐る恐る開いた眼を周りに向ければ、

「うおお、聞いてた通りだ。すげぇ」

 夜の闇が切り払われて、まるで真昼のように視界を確保された世界が展開されていた。
 頭上、すでに沈んだ太陽の代わりに輝くのは、白鯨への先制攻撃と同時に射出された『闇払いの結晶石』だ。砕かれることで疑似的な光源を生み出し、闇を照らす効果を持つ結晶であり、本来ならば極々わずかな輝きで薄闇を照らす程度との話だが。

「金とコネに飽かして山ほど買い込んだやつを一斉に粉砕、疑似太陽の出来上がりってわけだな」

「夜にもぐられては、白鯨の巨体であっても簡単には見つけ出せませんから。――さあ、ここからですよ!」

 王都に存在する商人の二強が手を組み、方々走り回って集めた結晶石の効果。
 夜に沈んでいたリーファウス街道には日中の輝きが満たされており、それまで月明かりだけが頼りだった世界を鮮明に浮かび上がらせている。
 つまり、それは同時に――、

「あれが……ッ!」

 ――これまではっきりと日差しの下で目にすることのなかった、『白鯨』と呼ばれる魔獣の全容を知らしめることに他ならない。

「――――ッッッッ!!!」

 白日の下に晒し出されたことに怒りを覚えているのか、その巨大な口を開いて咆哮を上げる白鯨。発される轟音はすでに音の次元に留まらず、一種の破壊行為に近い。大気が鳴動し、訓練された地竜の野生にすら恐怖の感情を生む暴力的な雄叫び。

 それをもたらす異貌は巨躯のあちこちから血をこぼし、しかしその動きに一切の精彩さを欠かず、自分に挑みかかる人間たちを見下ろしていた。

「なんて、でかさだ……」

 震わせるつもりのない喉が震えて、スバルは手足が痺れたように動かなくなる感覚を止められない。それまでスバルが見て、触れて、奪われてきた白鯨という存在の脅威が、その存在のほんの一端でしかなかったのだとはっきり突きつけられる。

 白鯨――その異名で呼ばれるだけあって、その魔獣の姿は白に覆われていた。
 岩盤のようにささくれ立った肌には白い体毛が無数に生え揃い、その強靭さは生半可な攻撃では内側にダメージを通さない。遠視で見た全容はなるほど知識にある鯨に酷似しているが、その大きさが予想を二周りは追い越している。

 スバルの知識にある限りでは、世界最大の鯨がシロナガスクジラ――全長は三十メートル前後であり、文字通り最大にして最重の哺乳類であるといえる。
 だが目視で見た白鯨の体躯は三十メートルを軽々と越えて、五十メートルに迫ろうかという規模の大きさだ。ここまでくると、それは生き物であるというよりはひとつの山に近い。
 ひとつの白い岩山が、なんの冗談か空を悠々と泳いでいる。

「スバルくん」

 怖気に従って歯の根が噛み合わず、指先が震え始めそうになるスバルを呼ぶ声。
 それはこちらに背中を向け、小さな体の腰にスバルを抱きつかせる少女のものだ。すぐ目の前、息遣いさえ聞こえそうな距離で彼女はスバルを振り向かず、

「恐いですか?」

 挑発ではなく、信頼が呼びかけてくる。
 ぐっと、歯の根を噛んでスバルは口を強引にねじ曲げると、

「ああ、恐いね。――あれを倒して賞賛される、俺の未来の輝きっぷりが!」

 軽口を叩いて少女の期待に応じると、スバルは目の前の肩を後ろから叩き、

「俺の命は全部預ける! さあ、逃げまくってやろうぜ!」

「レムの命も、スバルくんのものです。――では、そうしましょう」

 サムズアップして勇ましく逃亡指示を出すスバルに、レムがそっと微笑むと手綱を打ち鳴らす。それに従って地竜が嘶き、異形を前にしても怖じることなく土煙を上げて大地を駆け抜ける。
 一路、スバルたちが向かうのはこちらを向く白鯨の右下――斜めに駆け抜け、尾の側へ回り込む狙いだ。

 先行し、最接近するスバルたちへ白鯨の巨大な瞳が向けられる。一軒家でも丸ごと呑み込みそうな顎が開かれ、石臼のような歯の並ぶ口腔が大気を吸い上げ、咆哮をこちらへと放とうとしている。
 先ほどこちらの出鼻をくじいた咆哮が再びくると、身構えるスバルたち――その頭上を、

「余所見とはずいぶんと、安く見られたものだ――!!」

 目には見えない刃が横薙ぎに一閃し、口を開いていた白鯨の頭部を真一文字に浅く切り裂いた。
 刃と岩の触れ合う擦過音すらせず、強固な岩肌を撫で切る斬撃に白鯨の巨体から再び血が噴出する。

 振り向き、刃の出所に視線を走らせれば、スバルたちに続いて討伐隊の先頭を走るのはクルシュの引く地竜だ。黒く洗練された地竜の背に立ち、勇ましい口上とともに斬撃を放ったらしき麗人――その振り切られた腕には、

「なにも、持ってない……!?」

「射程を無視した無形の剣――百名一太刀で有名な、クルシュ様の剣技です」

 スバルの驚愕に低い声でレムが答える。
 彼女の口にした逸話に関しては寡聞にして知らないが、その字面だけでおおよそ事態は理解できる。無手に見えるクルシュの戦闘力の、その納得の高さも。

 目に見えない斬撃に初動を潰され、動きの停滞した白鯨へ追撃が入る。
 討伐隊の面々が続いて魔鉱石を放出、火力を集中された白鯨の巨体に次々と着弾によるダメージが通り、悶える巨体が高度を下げていく。

 それまで雲と同じ高さにあった白鯨の巨躯が沈み、その高度が首を真上に傾けるほどでなくなればそこは――、

「――刃の届く距離」

 地竜が跳ねるように跳躍し、その巨体に見合わぬ軽やかさで空へと駆け上がる。それでもなお、強大さを誇る白鯨と比較すれば質量差は明白だ。鼻先に浮かぶ地竜の姿はまるで、白鯨からすればまさしく虫けらのようなものであったろうが、

 ――真っ直ぐにひた走った剣閃が、その魔獣の鼻先を縦に深々と割った。

 銀色が白い岩肌を易々と切り裂く光景に、轟音が鳴り響いていた戦場の音が確かに止まる。それは魔法でも、魔力を込められた鉱石によるものでも、形を持たない刃がもたらす破壊でもなく、形を持った鉄の塊が人の手によって振るわれた証。
 長きにわたる人生の、その大半を費やした人間の境地が、霧を生み世界を白く染め上げる魔獣の鼻先に確かに届いたという、その証だ。

「――十四年」

 割った鼻先に剣を突き立て、人影がしゃがみ込みながらぼそりと呟く。
 振り切ったのと反対の剣を突き立てて姿勢を維持し、斬撃を与えて刀身を濡らす血を払う鍛えられた背中――そこに、大気が歪むほど迸る剣気をまとい、

「ただひたすらに、この日を夢見てきた」

 背を伸ばす影に白鯨が身をよじる。自身の鼻の先端に乗るそれを振り落とそうとするように、中空で身をひねる白鯨の巨体が大気を薙ぎながらバレルロール。
 豪風が街道の空を吹き荒び、巨躯の遊泳の結果に誰もが息を呑んで目を見開く。
 だが、

「――――!!」

 ひねった身を先の位置に戻した白鯨が痛みに喉を震わせ、尾を振り乱しながら鮮血をこぼす。先ほど縦に割られた傷には追加で横に一文字の傷が加えられ、十字の傷口を額に生んだ白鯨の背を、軽い足音を立てて影が踏む。

 ――剣鬼がにやりと、その皺の浮かぶ頬を酷薄に歪めた。

「ここで落ち、屍をさらせ。――肉塊風情が」

 言い捨てて、剣を両手に構えるヴィルヘルムの体が風を切る。
 頭部側から尾の方へ背中を駆け抜け、その途上の白鯨の岩肌を振り回される刃が滅多切りにしていく。固く、強靭なはずの岩肌をなんなく切り裂き、どす黒い血霧を空にばら撒きながら疾走するその姿、まさに『剣鬼』。

 体に取りつかれ、巨体を揺する白鯨はそのヴィルヘルムに有効打を持たない。軽やかに走る老剣士を振り落とさんと、再び颶風をまとう旋回で空を泳ぐも、

「わざわざ斬られにくるとは協力的でけっこう」

 宙で白鯨の身が回転する寸前、短く跳躍するヴィルヘルムが剣を突き立てて身を浮かせる。と、その場で一回転する白鯨の身を突き立つ刃が綺麗に走り、白鯨は自ら自分の体を刃に対して献上した形になる。
 噴き出す血霧を半身に浴び、その体を斑の赤に染める剣鬼が笑う。笑い、老躯が両の剣を上に振り被って巨体の側部へ。振り下ろす刃が側面の岩肌を縦に削り、V字に振り切られると肉を削ぎ落す。
 空をつんざく絶叫が走り、落下するヴィルヘルムを白鯨の尾が横殴りに襲う。が、その直撃の寸前、駆け込んできたヴィルヘルムの地竜が老剣士を拾い上げ、その攻撃の範囲から滑るようにして逃れる。そして白鯨が怒りに任せてヴィルヘルムを追おうとすれば、

「じゃかしいわ、ボケ。自分の相手にはワイらもおんねや!!」

 大ナタの一発が口腔内に侵入、抱え込むような大きさのある白鯨の歯を根本から抉り、鈍い音を立てて黄色がかった奥歯が吹っ飛ぶ。
 そのまま白鯨の顔面を斜めに横断するのは、ライガーにまたがって喝采を上げるリカードだ。地竜に比べて身軽と称された大犬はその俊敏さを遺憾なく発揮し、背に主を乗せたまま上空を行く白鯨の体を駆け回る。

「そらそらまだまだ終わらんでぇッ!!!」

 走るライガーの背の上で、唾と罵声を飛ばすリカードの大ナタが振り下ろされる。岩盤を砕き、その下の肉を抉って血をまき散らす獣人。付き従うライガーもその牙を爪をふんだんに使い、生じた傷口を深く鋭く広げていく。
 そしてリカードの奮迅に続くように、

「そりゃー、いっくぞー!!」
「お姉ちゃんは前に出過ぎないで! みんな、今だよ!」

 小型のライガーにまたがる子猫の獣人、双子の副団長が散開しながら指示を出すと、獣人傭兵団のライガーが次々と白鯨の体に取りつき、その広大な肉体を駆け回り、蹂躙し始める。

 槍や剣が打ち振るわれ、大半が岩肌に弾かれながらも、砕ける外皮を通って確実にダメージが通っていく。その姿はまるで、毒虫に群がられる獣の有様だ。
 体のあちこちにしがみつき、微小ながらも傷口を増やしていく敵に身を振り回し、白鯨がその巨体の小回りの利かない弱点を露呈する最中、

「――総員、離れろ!!」

 戦場を貫くクルシュの怒号がかかり、取りついていた傭兵団が一斉に白鯨の体から飛び退く。宙を行くライガーは軽やかに地に降り立ち、それを見た白鯨はそこから反撃に出ようと大きく旋回したが――その判断は誤りだ。

「横腹を、さらしたな――!」

 大上段からのクルシュの二撃目――袈裟切りに襲いかかる斬撃が白鯨の側面を斜めに切り裂き、その一太刀に遅れて追撃が再び加わる。
 ここまで攻撃に参加せず、ひたすらに魔法の詠唱に集中していた部隊の攻撃だ。

「――――ッ!!」

 詠唱が重なり、生み出されるのは練り上げられたマナによる破壊の具現。空に太陽と月が同時に存在する矛盾の景色の中、低い空に第二の太陽が出現する。
 それが火の魔法の火力を束ねたものだと理解してなお、高熱によって即座に炙られる世界の壮絶さから目を離すことができない。

 直径十メートル以上に及ぶ大火球は距離があっても肌を焼き、瞼の内にある眼球の水分を奪い尽くそうと燃え盛る。その火球がゆらりと揺らめく初速を得ると、

「――うおおおおお!!」

 即座に初速は加速へ変わり、大火球が横腹を向ける白鯨の胴体へ直撃――生まれた傷口から肉を焼き、熱を通して内臓を沸騰させ、白鯨の絶叫と爆音が明るい夜空へと轟き渡る。

 砕け散った火球が燃える破片を平原に散らし、下を走る傭兵たちが慌てて避難。スバルとレムもそれに混じって遠ざかりながら、白い体毛を燃え上がらせる白鯨の姿を目で追い続ける。
 その圧倒的な戦果――これ以上ない奇襲の成功に、白鯨は反撃すらままならない。このまま、なにも手出しさせずに被害ゼロで切り抜けられるのではあるまいか。

「かなり効いた感じがするぜ! このままいけるんじゃねぇか!?」

 炎の余波が届かないところまで距離を開け、土煙を上げて停止する地竜の背中でスバルが快哉に拳を握る。
 実際、ここまで白鯨を完全に押さえ込み、少なくないダメージを与えている。以前に編成された討伐隊の実力が足りなかったか、純粋にこちらの準備が万端でこのときを迎えられたからかは不明だが、早くも勝利を目前にしているような高揚感があった。
 が、そんなスバルの言葉に対して、

「いいえ。――本当なら、今ので地に落としてしまいたかった」

 首を振るレムが悔しげに、空に浮かぶ燃えるケダモノを睨みつける。
 彼女の言葉につられて顔を上げ、スバルは訝しげに目を細めながら白鯨を観察。白い体毛に燃え移った炎で全身を炙られ、身をよじっているが鎮火の気配はない。全身の至るところに斬撃や魔鉱石による負傷が広がっており、血を滴らせる姿は目に見えて痛々しいものがあった。しかし、

「高度は……下がってねぇ」

 依然、白鯨の肉体は見上げた空の中にある。
 ライガーの跳躍で届かない距離ではないが、それでも単身人が挑むにははるか高み。なにより、地に引き落とさなくては次の作戦に移ることができない。

「初っ端に切れる手札はぜぇんぶ切ったった。それでも落ちんゆうなら、こら向こうのタフさが一枚上手やっちゅう話やな」

 大ナタを肩に担ぎ、返り血に体毛を濡らすリカードが隣にくる。
 彼は犬面の鼻を鳴らし、ヒゲを震わせて白鯨を見上げながら、

「ひと当たりしてみた感じやと、分厚い肌の下に攻撃通すんは楽やないな。ワイの獲物みたいに力ずくか、ヴィルはんぐらいの技量がないとじり貧や」

「物理攻撃はそうかもだけど、魔法攻撃は通ってる感じに見えるぜ?」

「それも微妙なところです。一見、派手に攻撃が当たっているように見えますけど、肌に生えている白い毛がマナを散らして威力を減衰させています。見た目ほど、レムの攻撃も通っていません」

 レムは口惜しげに、自分の最大火力の魔法が通じていないことを口にする。
 彼女の言葉にスバルが顔を向ければ、確かに白鯨の肉体には浅い傷が多数あっても、即戦闘に支障をきたす類のものが生じていないのが見て取れた。だが少なくとも、

「さっきの火の魔法は白い毛を焼いて、通ってるように見えるな」

「魔力散らす毛ぇ焼いて、その下の炙った肌なら刃物で削れる――単純やな」

 スバルの洞察にリカードが獰猛に牙を剥いて同意。
 彼はそのまま大ナタを手に下げるとライガーの背を叩き、首をぐるりと巡らせて再び加速を得ながら最前線へ向かう。そのまま、

「さっきとおんなじ感じで余力削るわ! クルシュはんにも、要所であのでっかい一発ぶち込むよう頼んどいてなぁ!!」

 勝手な注文をつけて白鯨の下へ潜り込み、再び跳躍してその背を狙う。
 見れば、一度は距離を開けたはずのヴィルヘルムも尾の方から白鯨の上を目指しており、スバルたちと同じ結論に達した討伐隊も速やかに行動に移っている。
 即ち、総攻撃の継続だ。

「現状だと火力が集中してっから、近づいてくと逆に俺らが邪魔になるな。レム、魔法はぶち込めねぇのか?」

「さっきと同規模だと詠唱に時間がかかるのと……やっぱり、マナが散らされてレムの魔法ではダメージが通りません。あれ以下の威力ではそもそも火力不足ですから」

 先ほどのリカードの論にならえば、レムもまたモーニングスター片手に最前線へ飛び込み、力ずくで岩盤じみた肉体に物理攻撃を加える方が可能性があるだろう。
 しかし、それをさせるにはスバルが枷となり、そしてこのあとのスバルの立案した作戦行動に沿うのであれば、ここでレムとスバルが分断されるわけにはいかない。

「悔しいけど、動きがあるまで見てるしかねぇのか……!」

「歯がゆいのはこっちもおんにゃじにゃんだけどネ」

 言いながら、スローペースで走るスバルたちの地竜の隣に別の地竜が並ぶ。地竜用の装甲を装着し、重装備の地竜にまたがるのは軽装の女装騎士――フェリスだ。
 彼は悪戯に目を細めてスバルを見つめながら、

「攻撃手段に乏しいフェリちゃんは基本見てるだけだし? 慣れてるって言えば慣れてるんだけどー、歯がゆい気持ちはいつもあるよネ」

「その分、お前は回復特化の討伐隊の生命線だ。前に出てもらっちゃ困る。その役割だけびっしりこなしてくれ、頼むからよ」

 この期に及んで普段の態度を崩さないフェリスにスバルはそう応じる。そのスバルの答えにフェリスは「およ?」と少し驚いたように首を傾け、

「心境に変化とかあった感じがするネ、スバルきゅんてばなにがあったの?」

「しいて言えば、ちょっちマシな男になったんだよ」

 動く戦況に目を走らせながら、スバルは苦い思いを噛んで仏頂面で答える。フェリスはその答えに「ふーん」と唇に指を当てて頷き、

「レムちゃんがひょっとして、スバルきゅんを男にしたのかにゃ?」

 その答えはイエスであり、ノーでもある。
 フェリスが親指を立てて下品に笑う姿にスバルは苛立つ。そんな場合か、と騎士を怒鳴りつけようかとスバルは口を開きかけたが、

「ヴィルヘルム様が――!!」

 レムの叫びに視線が慌てて前へ戻り、白鯨の背を走る老剣士の姿を捉える。

 剣を下に向けて縦に構えたヴィルヘルムが、その刃で白鯨の背を縦に裂いていく。尾から背にかけてを駆けるヴィルヘルムの影を、遅れて噴き出す鮮血がまるで噴水のように追いかけていくのが見えた。

 獅子奮迅の活躍とはまさにこのことを言うのだろう。
 ヴィルヘルムの単身とは思えない斬撃の冴えに討伐隊の士気が高まり、連続する魔鉱石の投擲と傭兵団のライガーによる集団戦術が勢いを増す。

 中空で痛みに悶えて、途切れ途切れの鳴き声を上げる白鯨はまったくそれらに対応できていない。
 霧の魔獣――長きにわたって世界を苦しめ続けてきた異形のその哀れな姿に、スバルは風向きがこちらへの追い風となっているのを確信した。

「ちぇぇぇぇぇぃぃぃっ!!」

 気合い一閃、ヴィルヘルムの剣撃が白鯨の頭部までを縦に割り、駆け抜ける老躯が白鯨の先端から軽やかに飛び立つ。そのまま中空で身を回し、逆さとなる老人を、

「ほいさぁっ!!」

 真上に跳んでいたリカードが大ナタを振るう。
 峰を向ける旋風は白鯨ではなく、中空で逆さとなるヴィルヘルムを狙う。ヴィルヘルムはその打撃に対して足裏を合わせ、

「し――ッ!!」

 弾かれるようにヴィルヘルムの体が射出され、両に構えた剣が白鯨の顔の側面を抜ける際に荒れ狂う。鼻先から頬にかけてを無残に八つ裂きにされる白鯨。その傷と鮮血だけで満足せず、両手の剣を握り直したヴィルヘルムが刺突を放ち――、

「――――ッ!!」

 白鯨の巨大な左目に深々と剣が埋まり、眼球の奥から水晶体が流れ出す。ヴィルヘルムは柄まで埋まったそれを即座に手放すと、腰の裏に回した両手で瞬時に別の二本を引き抜いて一閃――左右から迫る斬撃が眼球の上と下を真横に切り裂き、即翻る刃がその傷口の左右を縦に割る。結果、

「左目が落ちる――!」

 四角の斬撃に深々と抉られ、白鯨の左の目が切り落とされる。
 誰かが口にしたそれが現実になり、落下する目は赤い血と白い体液をぶちまけながら、すさまじい轟音を立てて地面を砕いて着弾する。
 半瞬遅れて、その地に落ちた眼球の真横にヴィルヘルムが着地。彼はそのまま転がる眼球に剣を突き立て、それを真上にいる白鯨に見えるよう持ち上げると、

「――無様」

 と、口の端を持ち上げて凄惨な笑みで一言を告げる。

 剣鬼の壮絶な戦いぶりに、翻弄される白鯨には為す術もない。見事に眼球ひとつ抉られ、その戦闘力の差は肉体の大きさに左右されていないのが歴然だ。
 だが、その挑発行為は、

「白鯨の目の色が……!」

「くるよ!!」

「スバルくん、頭を下げていてください――!!」

 その変化に気付いた瞬間、フェリスが叫び、レムが地竜を加速させる。
 風を浴び、急加速に振られる体を慌てて固定し、スバルは激しい揺れの上で白鯨の姿を目に焼き付ける。――その変化、その変貌、それは。

「――――!!」

 咆哮を上げ、片目を抉られた怒りに残る隻眼が真っ赤に染まる。
 血色に染まった目で眼下を睥睨し、その狂態に慌てて距離を取り始める討伐隊の方へと体を傾ける白鯨。そして、白鯨の肉体に変化が生まれる。

 ――最初にそれが生じた瞬間、スバルは言葉にし難い嫌悪感を堪え切れなかった。

 白鯨の口が開いたのだ。
 否、その言葉は正しいようで正しくない。事実を正確に告げるなら、こうだ。

 ――白鯨の全身から無数の口が生じ、それが一斉に歯を剥き出して開いたのだ。

「――――ッ!!」

 金切り声のような咆哮が平原の大気を高く震動させ、その声の届くものの精神を直接爪で掻き毟るような不快感を与える。
 その咆哮に人間はもちろん、地竜やライガーといった動物たちまでも背筋を震わせる。本能に呼びかけるそれは足をすくませ、自然、無防備をさらす獲物へと変える。

 そして、

「――――ぁ」


 白鯨の全身の口という口から、世界を白に染め上げる『霧』が放出される。
 それは瞬く間に見渡す限りの平原に降り注ぎ、確保したはずの光を世界から奪い、真っ白に塗り潰していく。


 ――『霧』の魔獣の咆哮が上がり、討伐戦の難易度が跳ね上がる。


 白鯨討伐戦、その終端はいまだ、見えない――。

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