挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第三章 再来の王都

133/441

第三章56 『決戦の火蓋』



 クルシュ・カルステンを筆頭に、今回の『白鯨討伐』の遠征は行われる。

 主導するクルシュの編成した討伐隊の指揮権は彼女にあり、討伐隊の隊長を務めるのは剣聖の家系――『剣鬼』ヴィルヘルム・ヴァン・アストレア。
 ヴィルヘルムに従う討伐隊は十ほどの小隊に分かれ、その小隊長を庭園での演説に参加していた老兵たちがそれぞれ請け負っている。
 小隊の構成員はおおよそ十五名前後であり、クルシュの率いる討伐隊の総数は約百五十といったところだ。

 一方、総兵力はそれだけにとどまらず、アナスタシアより貸し出されたリカード率いる獣人の傭兵団――通称は『鉄の牙』というらしい一団が三十名。こちらは全体をリカードが仕切り、その下に副団長を二人据えている形だ。
 その副団長というのが、

「ミミです」
「ヘータローです」

 と、ぺこりと小さく頭を下げる二匹――否、二人の猫型の獣人だ。
 短い毛並みはオレンジ色をしていて、スバルの腰ほどまでしかない背丈はスバルのイメージする小人型獣人のそれに酷似している。
 付け加えれば非常に愛らしい顔立ちをしており、頭部以外をすっぽりと覆う純白のローブもお似合いだ。端的に言うと、

「さらいたくなるぐらい可愛いな」

「よく言われる」
「お姉ちゃんはまたそんなこと言って……」

 スバルの感想にミミと名乗った少女の方が頷き、それを微妙に慌てた様子でヘータローと名乗った少年がたしなめる。どうやら、そっくりな見た目といい双子らしい。
 内心で獣人のお産って、動物とかと同じでいっぺんにたくさん生まれるような感じなのだろうかと疑問を浮かべつつ、スバルは二人に頷きかけ、

「副団長って話だったけど……二人は、腕が立つのか?」

「もちろん。二人揃えばサイキョーだよ」
「え……あ、うん。そうです。お姉ちゃんと二人、頑張ります」

 自己主張の強い姉を、消極的で慎重派な弟が手綱を引く、という関係なのだろうか。この世界の双子は基本、下にフォローを任せる姉しかいないのかという疑問も。
 ともあれ、

「ダンチョーは長なんだけど、戦が始まると先走って全然周りとか見ないから」
「ボクたちがその団長の代わりに、みんなに指示出したりするんです」

「ああ、なるほど……苦労がしのばれるな」

 豪快に笑い、好戦的に戦場の中央へ駆け込んでいく巨躯の姿がイメージできる。
 スバルの想像に二人の意見も一致を見たのか、「そうなんです」とヘータローがその小さな肩をしょんぼりと落とし、

「クルシュ様の指揮に従いますけど、ボクたちはボクたちのやり方を交えて白鯨と戦います。その点で、スバルさんには混乱を招かないようにと……スバルさん?」

「……いや、びっくりするぐらいマジメに気が利いてるから驚いてる。小さいのに、色々と考えてて偉いな」

「ふふーん、すごいでしょー」
「お姉ちゃんはまたすぐに調子に乗っちゃうんだから。……可愛い」

 まっとうな理由で顔見せしてくれたらしきヘータローを褒めると、なぜか鼻高々になって胸を張るミミ。そして、そんなミミをたしなめつつ、ぼそりと最後に本音が漏れるヘータロー。なるほど、彼女の増長は弟にも原因がありそうだった。

 ――現在、約百八十名に上る白鯨討伐隊は、白鯨との決戦が行われるフリューゲルの大樹の根元を目指して行軍中だ。

 クルシュの邸宅での前哨演説が終わり、速やかに王都の外で討伐隊と合流したスバルたちは、それから約半日の道のりを急ぐことなく進んでいる。
 白鯨が出現する定刻まで、携帯で確認した残り時間はちょうど半日といったところだ。すでに王都を出発して五時間ほどが経過しており、残りの道筋を考えると今が折り返し地点――白鯨との決戦前に、一息つく余裕もあるだろう。

「大樹まで行ったら、改めて作戦の最終確認とかしなきゃだろうしな。俺の立ち回りもけっこう、重要になってくるとこだと思うし」

「今回はレムも前線に出るより、スバルくんの近くに控えていた方がいいですよね。――ジャガーノートのときのような後悔は、絶対にしたくないですから」

 スバルの呟きに静かな決意を燃やすのは、御者台のスバルの隣で手綱を握るレムだ。彼女は手綱を繰って地竜を操りながら、スバルをそっと横目にし、

「本当はレムは反対なんです。魔女の残り香で白鯨を引き寄せるのは危険すぎると思いますし……第一、あの臭いがスバルくんからするのは」

「使えるもんはなんでも使う。それで勝率がコンマでも上がるなら儲けもんだ。足りないとこだらけの俺はそうでもしなきゃ遅れを取り戻せねぇ」

「スバルくんは素敵です」

 スバルの覚悟を前に、頑としてそこだけは譲らずに顔を背けるレム。拗ねたような小さな仕草だが、そこに彼女の感情が溢れるのを見てスバルは柔らかい苦笑が浮かぶのを堪え切れない。

 無表情で冷静に徹し、感情を排すように心がけてきたレム。
 魔獣騒ぎの一件で心を開き、いくらか情動の柔らかさを見せてきていたものの、それでもまた堅さのあった彼女のそれが今はほとんど感じられない。
 スバルが内心の弱さを吐露し、それに対する彼女の想いの告白があって以来、その感情表現の豊かさは以前のそれとは比較にならない。

 止まっていた時を動かした、とは彼女の弁だったが、まさしくその通りだ。
 だからこそ、

「勝ちたいな」

 小さく、その希望を口にする。

 現状、これまでのループに比べてはるかに状況が良くなっている自信はある。
 あれほど訴えかけても誰にも聞いてもらえなかったはずの要求を通し、冷たく突っぱねられ、あるいは見捨てられるはずだったクルシュ陣営との関係も良好だ。レムとの関係も、恥ずかしい内面をぶちまけた事実はともあれより絆が強まっている実感がある。

 だが一方で、これまで以上に危険な道に踏み込んでいるのも事実だ。

 白鯨の脅威は、すぐ間近で見届けたスバルの心に今も鮮明に焼きついている。
 レムほどの戦力でもまったく歯が立たず、攻撃とすら言えない尾の一振りで大きな竜車すらも粉々に粉砕する巨体。開いた顎は大地ごと地竜を丸呑みにし、石臼のような堅固な歯が肉をすり潰したときの断末魔が耳から離れないのだ。

 あれと向かい合うと考えるだけで、手足に震えが走るのを止めることができない。
 しかし、そんな風にスバルの心が弱気に傾くたびに、

「――――」

 隣にいるレムの瞳が、まるで心を見透かすようにスバルを覗き込む。
 それだけで、スバルの心は怯えを忘れたように燃え上がる。彼女の目の前で、レムが見ている目の前で、弱くてダメでどうしようもないナツキ・スバルのままでいることなど許されない。

 気持ちを立て直すならば、状況の悲観ではなく希望的な楽観が相応しい。
 確かに現状、未来は危険なルートを通ることを余儀なくされている。必要に駆られての状況であり、また万全を整えられるほど時間が用意できたわけでもない。
 スバルにできたのは限られた時間で最善の人員に声をかけ、その他の役割に関しては全て彼らに丸投げするといういつもの他力本願だけだ。

 それでも、彼女らはスバルにそれ以上を求めなかったし、決してそれはスバルを役立たずの不要者として無碍に扱ったわけでもなかった。

 ただそのときそのときに、できることをできるだけ懸命にこなす。
 そのできることの幅が自分には限りなく狭いのだから、せめてその枠の広さをちゃんと把握して、その狭い枠の中でなにができるのか考えなくてはならない。

「なんや、兄ちゃん。――覚悟の決まった面してるやん」

 ふいに、竜車の隣に並んだリカードがスバルを見ながらそう笑う。
 大ナタを背中に担いだ犬の獣人を睨みつけ、スバルはその口の端を強気に歪めて、

「おうとも。ちっと遅いが、かっちりはまったさ。覚悟の決まった俺はすげぇぜ? なにせ、死んでも未来を諦めねぇからな」

「そらまた強欲なことやな! お嬢がおったら大喜びしそうな話や! やっぱし兄ちゃん、お嬢の友達にぴったりやで!」

「立場が立場でなきゃ、握手するのも悪かないと思うけどよ。……ああ、でもアナスタシアと仲良くしようとすると面倒そうなのがいるしな」

 ふと、アナスタシアの傍に立っているだろう優男の姿を思い出す。
 彼に打ちのめされて、練兵場の真ん中で血まみれになったのもずいぶん前に思える。ループを共有できない世界の流れからすれば、まだ五日ほどしか経っていないが。

 スバルの言葉にリカードがその大きな口に手を当てて、珍しく含み笑いなどしている。こちらを横目にする瞳に浮かぶ悪戯な感情を見るに、彼はどうやらスバルのやらかした醜態については聞いているらしい。
 自然、不貞腐れたような感傷が胸の内に湧いて、スバルは顔を背けると、

「笑うならそれこそ爆笑してくれや。俺だって、今ならあんときの俺の空気読めなさっぷりぐらい自覚してんだから」

「ちゃうちゃう、ワイがおかしいんはそれとはまた別の話や。まあ、もうちょいしたら自然にわかるやろし、ここでゲロすんのは無粋やろからな」

 ひとり納得し、リカードは鼻の横の細いヒゲを指で弾いて話題を区切る。
 その思わせぶりな態度にスバルは物申しかけるが、問い詰めても碌な答えが返ってくるまいと諦めて、別の話を振ることにする。

「そういや、王都出たときから気になってたんだけどさ」

「なんや、なんでも聞きぃ。ワイと兄ちゃんの仲やんか。ろくすっぽ知り合うてもおらんけど、よっぽどでないなら話したるで! よっぽどのことなら銭次第やな! 銭!」

「そこらへんきっちりしてんのはやっぱお前もカララギ人だよな。……お前たちが乗ってる、そのでっかい犬なんだけど、すげぇよな」

 はしゃぐリカードの尻の下、彼らの乗るその生き物を指差し、スバルはなんと表現するか迷いながらそう口にする。

 リカードら獣人傭兵団が操るのは、クルシュの討伐隊が率いる地竜とはまったく別の生き物であった。
 大型の犬、がもっとも表現的に近いだろうか。体躯が大型の肉食獣――元の世界で言えばライオンやトラなどを凌駕する巨躯であり、姿勢が低いことを除けば地竜と比較しても見劣りしない風格がある。

 そのスバルの問いかけにリカードは「んああ」と納得したように頷くと、その犬の背中を大きな掌で軽く叩き、

「あんましこっちじゃ見かけんか。これはライガーいう生き物で、こっちの地竜とおんなじぐらいカララギじゃ重宝されとる。なんや縄張り争いとかの関係で、ルグニカやらの他の国やと繁殖厳しいらしくて数少ないけどな」

「ライガー……」

 パッと見だと、スバルの経験上はジャガーノートの亜種かなにかに見えてしまう。が、その頭部には角など見当たらないし、顔つきも獰猛さが前面に押し出されていた魔獣と比べると明らかに愛嬌があった。
 魔獣の側が狼寄りだとすれば、ライガーは確かに犬寄りだといえる。
 ただ、その超大型の犬に、犬型の獣人であるリカードが乗っている状況は傍目から見ると――、

「なんだかわけもわからない変な感じがあるな、その絵面。お前、自分で違和感とか感じねぇの?」

「時たま言われるんやけど、別にやなぁ。ワイら自身からすれば、見た目が似てるだけで獣人と動物はきっちり区別できとるし。別にそう思われても不快に思ったりせぇへんから安心してや」

「いや、俺も言っててどうかと思ったからちゃんと謝る。悪い」

「がはは、律儀なもんやのぉ!」

 歯を剥き出してリカードが笑い、それから彼はライガーのうなじをそっと撫でる。ライガーの方は無反応だが、背に乗せる主を揺する姿にはやはり見た目同様に犬のような忠義めいた感覚があるように思える。互いの間にある繋がりは、世界を隔ててもどうやら共通項してくれているらしい。

「ライガーは地竜と比べると馬力じゃ負けやけど、代わりに身軽さが段違いや。白鯨との戦いで乱戦になったら、ワイらの独壇場やからよう見とき」

「馬力、な。竜と犬がポピュラーでも、やっぱ引く力はそれで例えられるのか。……そういや、馬とか見かけねぇな」

 いる、という話自体はエミリアの口などから聞いたことがある。が、これまでに一度も見かけていない点を見ると、かなり普及率は低いらしい。
 それからスバルは後方、行軍する討伐隊の後続の方を指差して、

「それで、一台の車両を犬ぞりみたいに大勢で引っ張ってんのか。本番前に犬が疲れるかもなこと考えると、他の地竜に任せても良かったんじゃねぇ?」

「自分たちの荷物ぐらい自分たちで管理せんとな。それに心配してもらうんはえーけど、荷車引くライガーはライガーでちゃんとそれ専用に鍛えてあんねや。甘やかすんはダメやし、別に白鯨だけが敵とも限らんしな」

 ぎくり、とスバルは思わず内心の動揺が表情に出かけるのを堪える。一方でリカードはスバルのそんな驚きには気付かぬ様子で、

「道中、盗賊やらに絡まれたら荷物の受け渡しで手間取ったりしとる暇なんぞ見当たらんやろ? せやから、できるだけ自分たちの面倒は自分たちで見るんや」

「……こんな完全武装の一団、襲う勇気があるなら盗賊なんざやってねぇだろ。仮にやるとしたら勇気じゃなくて、単なる迂遠な自殺だよ」

「そらそうやな!!」

 快活に笑い、リカードが弾くようにライガーの背を叩くと、応じるライガーが低く吠えて前へと進み出る。
 そのまま先頭の方へ駆け出し、行軍の先頭であるクルシュの方へと今度は向かっていったようだ。

 その背を見送り、一息をついてスバルは頭を回転させる。
 迫る白鯨との一戦――その大一番を乗り越えても、スバルには越えなくてはならない壁がまだまだ用意されているのだから。

「英雄ってのは、なかなかキツイもんだぜ、まったく」

 疲れたような内容をこぼしながらも、そのスバルの表情は笑みの形を作っている。

 やらなければならないことと、やりたいことが一致していて、それをやってくれと後押ししてくれる人がいる。――これほど、やり甲斐のある場面があろうか。

 来る一戦を前にこちらの戦意は万全の状態――再び、運命に挑むこととしよう。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 幸い、行軍はトラブルなく予定通りに進められ、討伐隊がフリューゲルの大樹に到着したのは月が昇り始めたばかりの時刻――白鯨の出現までの時間をおよそ、六時間とした夜の始まりであった。

 前回は事情が事情だけにじっくり観察することもできなかったが、やはり元の世界での推定樹齢千年以上の大樹を凌駕するその幹の太さと高さは、根元に到達して見上げてみればみるほどにスバルの心に壮大さを訴えかけてくる。

「で――――っけえなぁ」

「嬉しそうですね、スバルくん」

 地面を盛り上がらせ、盛大にのたくる大樹の根に足をかけながら、興奮したような声で告げるスバルを隣のレムが小さく笑いながら指摘する。彼女の言葉にスバルは「だってさ」と言いながら木の根から飛び下り、

「男ってのは自然と、でっかくて強そうなもんに感動しちまう生き物なんだよ。初めて地竜見たときも感動したけど、大自然も半端ないな。フリューゲル、いい仕事したよ」

 木を植えたという賢人の偉業を素直に賞賛。木を植える以外になにをしたのかさっぱり分からない偉人であるらしいが、歴史に名前を残す功績をひとつでもやってのけたのなら問題ない。それが自己顕示欲の賜物でないのを祈るばかりだが――。

「あ、幹に削って名前彫ってあるな。修学旅行生じゃあるまいし、こういうことするかよ実際。マナーがなってねぇよ、マナーが。レム、彫刻刀を貸してくれ」

「持ち合わせがないですし、いくらスバルくんでもダメですよ」

 幹を掌で叩いていらない主張を刻み込もうとするスバルをレムがたしなめる。唇を尖らせて不服を露わにするスバルに小さく笑い、それからレムは大樹を見上げ、

「ここに、白鯨が出るんですね」

「ああ、出る。時間になったらケータイが……この魔法器が鳴るから」

 ポケットから携帯電話を取り出し、ストラップを指に引っかけてぶらぶらさせながらレムに応じる。タイマーはセットしてあり、白鯨の出現時間――十五時十三分になったらアラームが鳴るようになっている。
 この点に関しては嘘偽りはないし、クルシュたちにも到着後のミーティングで納得してもらい済みだ。事実に関して話せないことは、罪悪感を刺激しないでもなかったのだが、結果を見て納得してもらうしかないと今は開き直っている。
 レムにすら、事実を話さずにいることはそれよりも強い痛みの我慢を必要とするが――。

「その魔法器が魔獣の存在を報せてくれる……」

「ああ、そういうこと。ぶっちゃけ、これなしだと俺の価値ってば今回は……」

「――嘘でしょう?」

 唐突に、目を細めたレムにそう問いかけられて、スバルの心臓が確かに止まった。
 「は」と声にならない息が漏れて、それに従って心臓も鼓動を再開する。今、なんとレムに問われたのか。顔を上げて、彼女の顔を見返し、そこにスバルの聞き間違いによるものではない意図が見えたのを再確認、唇を震わせ、

「な、なにを言ってますのん? これが嘘なら、ワイはどうやって……」

「カララギ弁になってますし、スバルくんには似合わないですよ」

「いや実際、これが嘘とかどんな疑いだよ。クルシュさんたちは納得して……」

 誤魔化しは通用しないと判断し、それでもスバルは嘘を貫き通そうとする。
 もし仮に追及されるようなことになれば、それは事態の悪化を間違いなく呼び込む。以前に屋敷のループの際に、魔女の掌はスバルの口から『死に戻り』の情報が漏れざるを得ない場面でも発動したことがあった。
 スバルが話そうとしたからではない。話さなくては切り抜けられない場面でも、あの掌はスバルの心臓を痛めつける。――ならば、エミリアの心臓を握り潰すまでの悪辣な進化を遂げた今ならばどうだ。

 ――絶対に、レムにそれを知られてはならない。

「クルシュ様たちは、スバルくんが嘘をつく必要性がないと判断なさっているだけですよ。必要性というより、嘘をついた場合のデメリットを考慮してのことだと思います。そんなことしたら、クルシュ様だけでなくアナスタシア様や王都の商人組合まで敵に回してしまいますから」

「そ、れは……」

 否定できない事実だ。
 クルシュならば、スバルのつたない理論展開になどいくらでも反論できたろう。ラッセルやアナスタシア、交渉慣れした二人の場合も同様だ。
 それでも彼女らがいくつかの不審点に目をつむっているのは、スバルへの信頼というよりは状況を考慮しての要素が大きい。

 あの場面を設定したのがスバルであり、そのスバルがあの場の面子を欺いてこのようなことをする必要性がないのだ。
 無論、スバルもそれを理解した上での同盟交渉であり、自分という存在の矮小さに他者の存在を上乗せすることで対等性を維持した事実は否めない。
 だからこそ、クルシュたちにはスバルの語った『嘘』の真偽を、本腰を入れて暴く必要性がないとすらいえる。結果さえついてくれば、彼女たちにとってはスバルの口にしたことの些細な違和など、それこそ忘れていい類のものだからだ。

 が、一方でレムはそうではない。
 レムの立場は今も変わらず、スバルの味方である。スバルもこの異世界で、今や自分に一番親身になって接してくれているのが彼女であることは重々承知だ。
 その彼女に嘘をつき続けることは、クルシュたちへの嘘とはまったく別のベクトルでスバルの心を蝕み続ける。その感情を吐露し、彼女が向けてくれる純粋なまでの親愛に縋ってしまいたいとさえ。
 だがそれは、絶対にできないのだ。

「レム、俺は……」

「いいんですよ、スバルくん」

「え?」

 取り繕いの言葉で、どうにか彼女を守ろうとスバルは画策した。
 しかし、それは口元に微笑を浮かべ、首を横に振ったレムによって拒絶される。
 驚き、口の塞がらないスバルにレムは真摯な眼差しを向け、

「スバルくんが嘘をついていることぐらい、レムにはわかります。ずっと、スバルくんを見ているんですから」

 照れ笑いするようにはにかみ、レムは冗談めかした仕草で口元に指をひとつ当てる。それからその指をスバルの方へ向けると、

「その嘘の理由が話せないでいることも、わかります。でも別に、それを話してくれないからって、レムに気を遣うことなんてないんですよ?」

「――――」

「だってレムは、スバルくんを丸ごと信じていますから」

 フリューゲルの大樹の根元で、向かい合う二人の間を風が撫でていく。
 胸に手を当てて、レムは無言でいるスバルの前で宣言する。

「スバルくんが白鯨の現れる場所を知っていると言うなら、信じます。魔女教がエミリア様たちを狙っていると言うのなら、それも信じます。仮に月が落ちてきて、国が滅ぶとスバルくんが言うのなら、それだって信じられます」

「……そこまでは、言わねぇよ」

「はい、そうですね。でも、それだけ本気だってことですよ」

 笑みを消し、レムはそれからスバルをふっと真剣に見つめた。それから彼女は静かに腰を落とし、スカートの端を両手で摘まんでお辞儀すると、

「この身、この心は全て、スバルくんに心酔しております。――故にレムは今も、これからも、スバルくんを疑うことは絶対にありません」

「――――」

「だから、信じさせようだとか、嘘で丸め込もうだとか、そんな風に自分を追い詰めたりする必要――どこにもないんですよ」

 喉が詰まるように、熱いものがこみ上げてくるのをスバルは寸前で堪えた。
 そして目頭を押さえて顔を上に向け、震える口を大きく開くと、

「あー、やっぱり、でっかい木を見上げてるとテンションが上がるなー!」

「はい、そうですね」

「これはしばらく、木の上の方とか見上げてないと気分落ち着かないわー。全然他の理由とかないけど、しばらく下とか見れないわー」

「はい、そうですね」

 涙がこぼれないように、スバルは虚勢を張って顔を上に向け続ける。
 そんなスバルの弱い強がりを、しかしレムは優しく慈愛で包んで暴かない。

 今、改めて、スバルは自分自身の本当の馬鹿さ加減を理解した。

 最初から全て、レムに打ち明けてしまっていればよかったのだ。
 なにもかもを告げることはできないけれど、それでも起きてしまう惨劇のことを彼女に伝えられれば、スバルは二度目と三度目の悲劇は避けることがきっとできた。

 理由を説明できないから、言っても信じてもらえないから、スバルはひとりでやるしかないのだと決めつけて、あらゆる失敗を繰り返した。

 でも、レムは違ったのだ。
 彼女は理由の説明を求めない。言わずとも、スバルを信じてくれている。今もこうして、真実を口にできないスバルを愛し、慈しんでくれているように。

「ごめんより、ありがとうだよな。こういうときは」

 涙の堤防を必死で守り切り、スバルはどうにか顔を下ろしてレムと向かい合う。そのスバルの答えにレムは満面の笑みで頷き、

「どういたしまして、ですよ。それにレムの方がずっと、ずっとずっとずーっと、スバルくんに感謝しているんですから、おあいこです」

「もうなんか、レムにしてあげられたこと分を軽く超過して色々返されてる気がしてならねぇんだけどな、俺としては」

「そんなこと、ありませんよ」

 小さく俯き、レムは首を横に振りながらスバルの言葉を否定する。
 スバルはそんな彼女の態度に眉を上げ、それをさらに否定の言葉を被せて翻させようとするが、

「本当なら、こんな話をするのだってスバルくんを苦しめるだけだとわかっているのに、レムのわがままなんですから」

「そんな風に、思ったりしねぇよ。隠しごとしてるのは、悪いのは俺の方だ」

「でも、やっぱりわがままですから。それなのに、ごめんなさい」

 口調は自嘲がまじっているが、顔を上げたレムの表情は晴れやかだ。そんな矛盾した姿にスバルがたじろぐのを嬉しそうに見て、レムは小首を傾け、

「スバルくんが背負う荷物を、ほんの少しだけ預けようと思ってもらえる。そんな存在であれないことが、今のレムには耐えられないほど悲しいのです」

「俺は……」

 レムの覚悟のほどが、その想いの丈が、今もこうして伝わってくる。
 大樹の幹に背を預けて、スバルは一度深呼吸する。

 この胸の中に湧き上がる温かな想いを、そのまま言葉にする勇気を。

「俺は――エミリアが好きだよ」

「はい」

 一度、それは彼女と交わした言葉の焼き直しだ。
 それが彼女をひどく傷付け、苦しめる言葉であるのだとスバルは知っていて、それでもまたそれを口にした。
 だけれど、

「でも」

「――――」

「でも、お前を見てると、心が震える。……ひでぇ奴だと、思ってくれていいが」

 ひどく、都合のいい言葉なのだと自分で思う。
 でも、嘘偽りのないスバルの気持ちだった。レムの想いには応えられないとわかっているけれど、こうまで心を温めてくれるのは彼女の言葉だけなのだから。

 ほぅ、とレムがどこか熱の入ったような吐息をこぼし、

「本当に、スバルくんはひどい人です」

「……わかってる」

「嘘です。愛してます」

「わ……っかってるって」

 改めて想いをはっきり言葉にされて、スバルの顔が一気に赤くなる。
 日の落ちた夜でなければ、その赤さはさぞ目立ったことだろう。スバルはその赤面ぶりを隠すように歩き出し、

「そろそろ、戻ろうぜ。白鯨が出る寸前まで、きっちり心と体を仕上げなきゃだ」

 レムの横を通り抜ける前に、その彼女の宙ぶらりんだった右手を取って。
 手を握られ、レムは「あ」と小さく声をこぼしたが、すぐに早足のスバルに歩調を合わせると、その自分を見ようとしない少年の横顔を悪戯な目で見つめ、

「スバルくん」

「……なんだ」

「レムは第二夫人でも良いですよ」

 思わず、足が止まりかけるような言葉だった。
 たまらずちらりと目を向けると、レムはまるでその表情を悪戯な猫のようにして、スバルの返答を尻尾をぶんぶん振りながら待ち構えている。
 ああ、まったく、この少女はどこまでも――。

「エミリアたんが一夫多妻制に寛容な子だったらな」

「ではでは、戻ったらエミリア様を説得しなきゃですね。レムは頑張ります」

 握られるのと反対の手で拳を固め、レムは小さく意気を込めるとそう笑う。
 その冗談めかした言葉に緊張を溶かされて、スバルは本当に敵わないのだと自分の弱さをはっきり自覚した。

 エミリア然り、レム然り、こういう場面で男は女にはどうしても敵わない。
 その弱さだけは、これまでのそれと違って認めることが嫌ではなかったのだけれど。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ――定刻が迫り、大樹の根元には戦前の張り詰めた緊迫感が満ち始めていた。

 交代で食事と仮眠をとり、場に集った討伐隊のコンディションは万全だ。
 長い行軍に付き合った地竜とライガーも十分な休息を得て、今は背に乗せる騎手の指示を今か今かと待ち構えている様子だった。

 息を殺し、心を落ち着けて、全員がその時を待っている。

 止める必要もないのに呼吸を止め、剣が鞘を走る音すらもなにかに影響を与えてしまうのではとばかりに、誰もが音を殺して時間が過ぎるのを待ち望む。

 リーファウス街道の空、風の強い今宵は雲の流れる動きが速い。
 月明かりの光源が雲に遮られるたび、まるで巨獣が光を閉ざしたのではと視線を上げるものが後を絶たない。それだけ、警戒心を呼び込んでいるのだ。

「定刻まで、あと数分だな」

 静かにそう呟き、クルシュは横に立つフェリスが小さく頷くのをちらと見る。
 クルシュの隣に長年侍り、こういった事態に慣れているはずのフェリスですらも、今は常の諧謔を優先するような素振りが一切ない。
 張り詰めた緊張に呑まれている、のではない。彼は自分がこの討伐隊の一種の生命線であることを理解し、その役割に従事しようとしているのだ。

 フェリスの活躍如何で、この戦における最終的な勝者の数は変わるだろう。
 クルシュは自分の陣営の勝利を疑ってはいないが、それでも犠牲なしに白鯨を討てると考えるほど自惚れてもいない。しかし、その生まれる必要な犠牲の数を、確実に少なくすることはできると考える程度には自信を持っている。
 それが自分の従者であるフェリスへの信頼であるのだから、自信と呼ぶべきかどうかはいささか疑問ではあったが。

 ヴィルヘルムはすでに腰から二本の剣を抜き、両手に構えていつでも走り出せる準備を終えている。
 彼のまとう静かな剣気は研ぎ澄まされた領域にあり、悲願のときを迎えようとしているこの瞬間ですら洗練されたものだ。
 その純粋なまでの剣鬼のありように、クルシュは惚れ惚れするような感嘆を覚えることを止められない。

 人とはただひたすらに純粋に、ここまで魂を昇華することができるものなのだ。
 いつか自分もまた、その領域に至りたいと心から思う。

 ヴィルヘルムに並び、各々の表情に緊張を走らせる討伐隊の面々も士気は高い。
 クルシュの命に従い、先制攻撃を仕掛ける準備も黙々とすでに終えている。彼らとて、今夜の出撃には疑問はあろう。肝心の細かい部分の詰めにおいて、情報の信頼度を確立させるための関係を築くには、彼らとスバルの間には時間がなさすぎた。
 それでもなお彼らが異を口にしないのは、それがクルシュの判断を尊重してのことであると、その責任を果たす義務があることをクルシュは自覚している。

 じりじりと、心地の良い戦意が自分を焦がしていくのがわかる。
 刻限が近づき、死と火と血の香りが間近に迫るにつれて、クルシュは己の生きている感覚を実感し始めていた。

 為政者として、尊くあろうと己を戒め、努力をしているつもりだ。
 しかし、心の内に根付く、変わりようのない本質を否定することもまたしない。
 それは――、

「――――ッ!」

 唐突に、それは闇夜に沈むリーファウス街道に響き渡った。

 軽やかな音が連鎖し、重なり合うそれは自然と音楽となって鼓膜を震わせる。
 音の発生源に目を向ければ、輝く魔法器を手にするスバルの姿が彼女からは見えた。その手元の魔法器から、その音楽が流れ出していることも。
 つまり――、

「総員、警戒だ――」

 スバルの宣言によれば、魔法器が鳴って一分以内に白鯨が出現するとのことだ。
 彼の言を信じるのであれば、今この瞬間にその巨体が空を泳ぎ始めても不思議ではない。場所も、魔法器が鳴った以上はここで正しいのだろう。
 疑う余地はいくらでもあるが、その疑いを生む理由がスバルにはない。自然、クルシュは神経を研ぎ澄ませ、その存在が現れるのを待ち構える。
 しかし、

「――――」

 静寂の中に、その強大な魔獣が現れる気配が一切感じられなかった。

 拍子抜けした、という表現は正しくないが、一分が経過してもなにも起こらない事実に、クルシュにとっては珍しく動揺の前兆を禁じ得ない。
 まさか謀られたか、とは思いたくないが。

 リーファウス街道に落ちる静けさは変わらず、周囲の景色にも変化はない。
 今もまた、空を泳ぐ雲によって月明かりが遮られ、暗く大きな影が視界を覆い尽くしているが――。

「――――っ」

 見上げ、クルシュはその自分の浅はかな考えを即座に呪った。

 月明かりが遮られ、影が落ちている。
 その光を遮断した雲霞がゆっくりと高度を下げ、目の前に迫る。

 それは、あまりにも大きな魚影を空に浮かべる魔獣であった。

 クルシュが息を呑んだのと同時、ほとんど全ての討伐隊の面々が同じ事実を察した。そして全員の意思が統一されると、彼らの視線がクルシュへと投げかけられる。

 ――先制攻撃、その命令を待っているのだ。

 機先を制し、白鯨の出現の頭を押さえることには成功した。
 あとは手筈通りに奇襲を打ち込み、戦線を支配するだけだ。

「――――」

 息を吸い、クルシュは最初の号令を発しようと心を決める。
 白鯨はいまだ、矮小なこちらの存在には気付いていない。静かに頭を巡らせて、まるで自分がどこにいるのかを確かめようとしているかのように、その動きは頼りなげで、なにより隙だらけであった。

「――全員」

 総攻撃、とそれを口にしようとして、

「――ぶちかませぇッ!!」

「――アルヒューマ!!」

 クルシュを乗り越えて号令が発され、同時に魔法の詠唱によりマナが展開。

 すさまじい密度で練り上げられた超級の強大さを誇る氷柱が、立て続けに四本一斉に世界に具現化――射出されたそれが白鯨の胴体に撃ち込まれ、一拍遅れて白鯨の絶叫と噴出した血が大地に降り注ぐ。

 慌てて見れば、そこには地竜に相乗りするスバルとレムが駆け出している。レムの腰に抱きついているスバルがガッツポーズし、詠唱による先制攻撃を果たしたレムは自らの役割を全うしたとばかりに会心の表情だ。

 その二人の先走り――もとい、先陣を切る姿に討伐隊が動揺。
 それを見て、クルシュは自分の口が大きく歪むのを堪えられない。

 怒り、ではない。笑いによってだ。

「全員――あの馬鹿共に続け!!」

 動揺をかき消すようなクルシュの号令がかかり、討伐隊の面々が反射的に応じて攻撃を開始する。

 すさまじい土埃が巻き上がり、その向こうで白鯨の絶叫が再度高らかに、リーファウス街道の夜空へ木霊していく。


 ――白鯨討伐戦が満を持して、火蓋を切った。



+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ