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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第三章 再来の王都

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第三章27 『市井の声』



 なにが悪かったのだろう、とスバルは考える時間があればそう考えてしまう。

 嫌だ嫌だと思いながらも、思考はあの日の夕暮に辿り着き、銀色の髪の少女がこちらに背を向けて遠ざかる光景を幾度も回想させる。

 なにが悪かったのだろう、とスバルはそれが浮かぶたびに考える。

 言葉が過ぎたことはスバル自身も認めるところだ。
 畳みかけるような彼女の言葉に追い詰められ、それ以前に肉体が打ちのめされていた影響もあっただろう。本当に口にしたかったこととは乖離した内容が飛び出し、結果的にそれは己と彼女との間を別つ結果を生み出した。

 とっさに出てしまった言葉なのだから、その場限りの出任せなのだろうか。
 とっさに出てしまったからこそ、心中でいつもたゆたっていた思いなのだろうか。

 自分の本心があの場面でどこにあったのか、それはもうわからない。
 あの決別の直後に呆然自失となったスバルにとって、次に記憶が再開するのは王城の控えの間からレムに連れられて退室し、クルシュの邸宅へ向かう竜車に同乗させられていた時点まで飛ぶからだ。

 自失しているスバルを余所に、クルシュとフェリスがレムと対話していたのがわかった。内容は頭に入ってこなかったが、話している間もレムがこちらの手を握ってくれていたことだけが救いだった。
 その温もりを感じられただけで、最後の糸が切れていないことだけは実感することができたから。

「――い、兄ちゃん」

 回想から追想に変わりつつあった意識が、ふいの呼びかけに現実へ引き戻される。
 正面から野太い声がかかるのがわかり、スバルは瞬きをして意識を現実へ回帰。そうして目の前を見据えれば、

「頼むぜ、兄ちゃん。あんま人の店の前でイッちゃった目えすんなよ」

 顔を縦断する傷跡が印象深い、傷面の強面が眉間に皺を寄せているのが見えた。
 戻ってきて早々にインパクトの強い顔面を直視し、スバルはゆっくりと自分の瞼を指で揉んで、吐息を深くこぼしながら、

「なあ、おっちゃん。客に対してそうやって威圧すんのはどうかと思う」

「してねえよ! むしろ心配してんだろうが! 俺がお前と連絡つかなくなってどんだけ慌てふためいたかお前にも教えてやりたかったわ!」

 怒声を張り上げる店主が太い腕をカウンターに叩きつけると、陳列台に乗っていた果物類が大きく跳ねて籠から吹き飛ぶ。放物線を描いて雑踏へ飛んだそれらは、そのまま地に落ちて傷物、あるいは靴裏のシミにあわやなりかけるが、

「食べ物を粗末に扱ってはいけませんよ」

 流れるような動きにスカートの裾が翻り、ふわりと店前の空間に着地するレム。軽く摘まんで持ち上げた彼女のエプロンの内側には、落ちかけた果物が柔らかに受け止められて回収されていた。
 ホッと、安堵とその離れ業への感嘆を込めて吐息を漏らすカドモン。彼は自分に向かって拾い上げた果物を差し出すレムに手を掲げ、

「おおう、助かったぜ、お嬢ちゃん。だから悪いこた言わねえ。この目つき悪いアンちゃんと一緒にいんのはやめな。不幸になんぜ」

「おいおいおいおい、なに言ってくれてんの? くれてんの? お宅の商品がダメになりかけたの助けたのが俺の連れですぜ? さあ、レッツ感謝の言葉!」

「ダメになりかけた切っ掛けもお前だろうが。それに、俺ぁそんな的外したこと言ってるつもりはねえぞ」

 商品を陳列棚に並べ直し、太い腕を組んだ店主は鼻を鳴らしてスバルと、その傍らに控えるレムを見比べて、

「こないだ連れてきた子とはまた別の女の子じゃねえか。前の子が……あー、なぜかあんま記憶残ってねえが、残ってねえってことはこっちの子の方が可愛いってこったろ。節操無しとか地獄に堕ちろ」

「なんだよ、おっちゃん。男女の間に友情とか成立しないって思ってるタイプか。なんでもかんでも色恋沙汰に結びつけんじゃねぇよ。ってか、そもそも……」

 なぜ、エミリアのことを忘れているのか、と口にしかけて、スバルはそれが胸にひどい疼痛をもたらすことに気付いて口をつぐんだ。そして、その痛みに店主の物忘れの理由も思い返されてひとりで納得。
 黙り込んでしまうスバルに怪訝な目をしながら、その隙にカドモンはこっそりとレムへと声をひそめながら、

「ほれ見ろ、この悪びれもしない態度。こんなんに惚れてっと辛い思いするぞ」

「お気遣いありがとうございます。……でも、レムは好きでやっておりますので」

 頬を染め、ちらりと横目にスバルの様子をうかがうレム。その視線の熱に、カドモンはそれ以上の言葉は無粋と肩をすくめて無念そうに身を引く。
 が、すぐに彼は目をカッと見開き、「それはそれとして」と前置きしてから、

「色恋云々は別だが、危ない野郎だって意見は変わらないぜ? ……まさか城への荷物に忍び込んだまま侵入断行するとか、死にたがりとしか思えん」

 雑踏の喧騒に紛れて普通の音量でも周囲には聞こえなかったろう。だが、カドモンはその内容の重さを鑑みて、慎重に声の調子を落としてそう呟いた。
 その言葉にスバルは苦いものがこみ上げるのを感じながら、バツが悪そうに頭を掻きながら言い訳を始める。

「あー、それに関しちゃ悪かった……と思っていたりしたりするかもしれないと思わざること山の如し」

「けっきょく思ってんのか思ってないのかどっちだ」

「すんませんした。そのあと、すぐに報告にこなかったことも」

「まったくだぜ」

 頭を下げるスバルの後頭部を見下ろしながら、カドモンは怒気を吐息に乗せて吐き出す。彼は怒り心頭といった面持ちのまま、

「ロム爺さんも揃って連絡が途切れやがる。これは本格的にマズイってな、危うくヘネヘヘなんぞ夜逃げの準備までしてやがった。俺も嫁と娘をどう誤魔化して説得するか頭悩ませてたとこだ」

「そこは正直に悪いことしたんだから全部打ち明けて軽蔑されろよ、密輸犯」

「うるせえよ、主犯者」

 けろりとさっきまでの殊勝な態度を打ち消すスバルに店主が舌打ち。それから彼は「まあ」と顔に走る傷跡を指でなぞりながら、

「あの日は城でかなりでかい出来事があったからな。その騒ぎに紛れて、お前らの小者犯罪が公にならなくて助かったってとこだな」

「ああ、そうだな。おかげであの城のずさんなセキュリティ体制の穴は知れた。次は宝物庫狙ってでかい仕事といきましょうぜ、親分」

「二度と手伝わねえよ! 次は捕まって斬首されちまえ!」

 首に手刀を当てて舌を出す主人に、スバルは恐い恐いと首を振って返答。
 と、それから彼が口にした『大きな出来事』という部分に意識を止めて、「ああ、そうか」と息が抜けるような音を吐いた。

「王選の内容ってやつは、もう王都中に知れ渡ってんのか」

「当然だろ。王国民にとっちゃ他人事なんて笑って見てられる話じゃねえ。なにせ王様を決めようってんだ。今後数年だけの話じゃなく、それこそ王国四百年の歴史を引き継いでいく時代のうねりよ。どこもかしこもその話で持ちきりだ」

 スバルの呟きを聞きつけたカドモンも、どこか熱に浮かれたような様子でそう口にする。それから彼は「ほれ」と首を巡らせてスバルの視線を誘導、彼の示した方角には市場の通りの中でも目立つ、高い立て看板のようなものが設置されており、

「まあ、イ文字以外使われると読めないんですけどね」

「んだよ、不勉強だな。じゃあ、お前は俺の店の看板は読めてんのか?」

「イ文字に近い象形文字が描かれてる気がするけど、字が汚くて読めません」

「ほざけ。こうやっていかした感じに崩して書くのが今流行ってんだよ」

「文字習得過程の人間には応用はちっと辛いな。いずれ俺がこの世界の文字の『い・ろ・は』をきっちり習得した暁には、ギャル文字に派生したの流行らせてやんよ」

 文字の歴史に殴り込みをかけるスバルの野望。
 必要なのは文字を文字でなく、絵のようなひとつのイメージとして捉える能力。あるいは現実と非現実の境を曖昧にする認識力。後者にはかなり自信あり。
 ともあれ、

「で、けっきょく看板にはなんて書いてあんだよ」

「見出しだけなら何度も言ってんだろ。『王選、開始』だよ」

 要領を得ない返答に顔をしかめてみせると、カドモンは「わかったわかった」と手を振って、

「んじゃ、ちょっくら読んでやるよ。――嬢ちゃん、ちょっと店番頼む」

「承りました」

 さっくりと店の脇から表に出てくるカドモンが言うと、レムはそれになんら反論せずに入れ換わりに店の中へと滑り込む。
 その違和感のない姿勢に違和感しか感じられず、スバルはいやいやと首を振り、

「そんなあっさり素人入れんな。そしてレムもさらっと受けてんじゃない」

「値札に書いてある値段と代金で、釣銭渡すだけの仕事だ。それにどうせ客なんぞこねえよ」

「ついに自分で言い切りやがった!」

 開き直っていっそ晴々しい顔のカドモンに連れられ、店に残るレムを背後に雑踏の方へと足を踏み出す。大小様々な人種の入り乱れる街頭を横切り、背の高いカドモンよりもさらに頭二つは高く設置された立て看板の下へ。
 スバルたちと同様の目的で足を止め、看板の文字に視線を走らせる人々の垣根。その後ろから首を伸ばし、スバルは読めないながらも文字を追いながら、

「書いてあるのは王選開始の報せと、その概要。三年後の神龍儀の前に国王を決めて、その後の儀式を執り行うって感じだな。あとは候補者のことが軽く書いてある」

 知っている内容に興味が削げかけたスバルを、『候補者』の一言が引き止めた。
 ぴくり、と眉を震わせて驚きが顔に出たスバルを横目に、カドモンは顎を引いて納得の感情を瞳に宿しながら、

「候補者が気になるらしいな。王選の候補者は全部で五人。中でも特に名前が知れてんのは、クルシュ・カルステン公爵とホーシン商会のアナスタシアって娘か」

「有名なのか?」

「公爵だぞ? 王都に住んでる人間で名前を知らない奴はまずいねえよ。ホーシン商会にしても、少なくとも商売人で知らないなんて奴がいるはずない。そこの代表が若い女ってのも、本当かどうかは別として有名な噂だったしな」

 傷跡に触れてそう答えるカドモンに、スバルは自然と脳裏に話題に上がった二人の姿を思い浮かべる。
 凛とした佇まいが印象的な剣のように鋭い姿のクルシュ。
 そして淡い紫の髪にはんなりとした関西弁が特徴的すぎるアナスタシア。後者が噂通りの女性であることは、おそらく直接見たスバルは事実だろうと思う。もっとも、フェリスの前例を思うと絶対なんて言い切れることはこの世にないが。

「まぁ、男の娘枠が乱立されても希少性ないし、キャラ被りはないだろ、たぶん」

「なにに納得してんだか知らんが……そんなわけで、とりあえずはこの二人が本命ってとこだな。実際、他国からきたアナスタシアより、王国の重鎮であるカルステン家のクルシュ様の方が有力だと個人的には思うがな」

「ど本命、とは言われてたな」

 ただし、それもその後の当人の所信表明によってかなり揺れ動いたはずだが。
 ともあれ、彼女の立場と実家の系譜が強力な後ろ盾であることは事実だ。彼女の演説を聞いていない市井の側にすれば、そのまま順当に彼女が王座につくことがもっとも波風の立たない展開であることは揺るぎない事実であろうし。

「本命がクルシュさん。対抗馬がアナスタシア嬢……となると、大穴はどのあたりに?」

「よくそんな古臭い言い回し知ってんな。大穴……って話になると難しいが、さっきの二人を除くと残りの三人は無名もいいところだ」

 プリシラ、フェルト、エミリアの名前を口々に読み上げ、それからカドモンは鼻を鳴らして看板を指差し、

「俺も名前を知らんような候補者だ。一応、プリシラって名前のは家名からして貴族みたいだが、残った二人は家名も見当たらねえ。ホーシン商会の商会主が候補に挙がってるあたり、候補者をどう選んだのかが正直疑問だな」

 その点に関しては、事情を知らなければスバルもまったく同意見だろうと思う。
 公爵家の当主がいるかと思えば、若きやり手の商会主がおり、名前が知れていないような傍系の貴族が名を連ね、残りは家名すら曖昧な謎の人物。

 この情報だけでは王選を見守る国民にとっても不親切な内容だ。
 そんな風に、スバルが思った矢先だった。

「ただ……候補者にハーフエルフが入ってるってのは、いかれてるとしか思えねえな」

 目を細め、唇を嫌悪感に曲げて、カドモンが語気も荒々しく言い捨てた。
 一瞬、その不快感を剥き出しにした彼の態度にスバルは思考が止まる。が、すぐに彼の言の内容が脳に浸透すると、

「ハーフエルフ……つーと」

「候補者の出自もある程度書いてあるが、エミリアって名前のハーフエルフが候補に挙がってるらしい。冗談じゃねえな」

「ハーフエルフだと問題でもあんのか?」

「おいおい、冗談は向う見ずな生き方だけにしとけよ」

 肩をすくめて首を振り、カドモンはスバルの問いに大仰に反応すると、

「ここだけの話ってわけでもないが、ハーフエルフなんぞどこに行っても鼻つまみもんだろう。王都じゃ亜人を見かける機会もままあるが、リザードマンやらホビットやらと違って、エルフがうろついてることも稀だ。ましてやハーフエルフとなると、雑じった血のどっち側にも疎まれて当然だしな」

 当然のようにスバルの無知を訂正してみせるカドモン。店主は押し黙るスバルの様子に気付かないまま、立て看板に記された文字を忌々しげに睨みつけ、

「偉いさん方が決めたわりには馬鹿な話だ。よりにもよってハーフエルフ……いや、半魔にどうして国が任せられるかよ」

「半魔……」

「ハーフエルフのことだ。魔女の係累にはお似合いの呼ばれ方だろ?」

 同意を求めるようにこちらを見下ろしてくる店主に、スバルは反応することができない。それほど、今の言葉はスバルにとって衝撃をもたらしていた。

 スバルはこの傷顔の店主に、少なからず好感を抱いていた。
 召喚初日でほぼ初めて対話した人物であったこともそうであるし、その後の関わり合いにおいての人となりからもそうだ。話していて会話の弾む人物であるし、接することが苦にならない好漢であると思っている。

 そんな彼の口から、他者を貶める言葉がこうもあっさり出たことが意外だった。それも、スバルにとっては聞き過ごすことのできない人物への誹謗中傷が。

「みんながみんな、魔女と関わり合いがあるってわけじゃねぇだろ」

「あん?」

「ハーフエルフだからってひとくくりにして、勝手に見切りつけんなよ。その、エミリアって子だって、すげぇ……こう、国のためとか思ってるかもしれないじゃねぇかよ。なんかすげぇいい子かもしれないじゃねぇか」

 口早に、途切れ途切れになりながらも擁護する意見を出すスバルに、カドモンは怪訝そうに眉を寄せながら「待てよ」と掌を突き出し、

「なにを必死になってんだかは知らんが、半魔を庇うようなこと言うのはよせ。誰に聞かれてるかわかったもんじゃないぞ」

「それこそ余計な心配だ。壁に耳あり障子にメアリー、今あなたの後ろに話題の彼女がいて後ろからグッサリなんて可能性もあんぞ、訂正しろ」

 メアリーとメリーを混同しながらのスバルの言に、しかしカドモンは仕方なさそうに額に手を当てながら吐息をこぼし、

「だからよせって。俺の口が過ぎたのは謝る。ほれ、この通りだ」

「……ち」

 誠意の感じられない謝罪ではあったが、スバルはそれを落とし所として矛を収める。が、そうして意気を引っ込めるスバルに「だがよ」とカドモンは息を継ぎ、

「お前がどう思うかは自由だが、ハーフエルフが国王になるなんざ不可能だ」

「まだそんなこと……! なんでだ? 嫉妬の魔女が理由か? その魔女様ってのがハーフエルフだったから、他のハーフエルフも全部危ないってか!?」

「――そうだよ」

 議論の再開に苛立ちを吐き出すスバルにとって、その声は存外に冷たく響いた。
 スバルの叫びを肯定する一言――それを発したカドモンに勢いを鎮火させられ、スバルは喉に声を詰まらせて強面を見上げる。
 そしてカドモンはスバルと正面から向き合う双眸に、はっきりそれとわかる畏怖の感情を浮かべていた。

「魔女が恐い――それは当り前で、誰に聞くまでもない共通認識だ。お前がどれだけもの知らずなのかは知らねえが、少なくともたいていの奴にとっちゃその理由だけで忌避するには十分すぎる」

 いいか、とカドモンは押し黙るスバルに言い聞かせるように、

「魔女――嫉妬の魔女はそりゃもう桁違いのバケモノだったって話だ。四百年前に大陸の半分は魔女の影に呑まれ、数々の名のある英雄が、翼竜がその前に沈んだ。神龍の力と当時の剣聖がいなけりゃ、世界は滅んだだろうさ」

 ちらと、聞き逃せない単語が並んだのがわかったが、スバルは語る店主のわななく瞳孔から目を離すことができない。彼は渇いた唇を震わせて、

「だのに、それほどのことをやった魔女の正体はさっぱりわからない。わかってることは魔女が銀色の髪をしたハーフエルフだったこと。言葉が通じず、意思の疎通は不可能。ただひたすらに、自分以外の全てが憎たらしくてしょうがないみたいに暴れ回り、壊して殺して呑み込み続けたってだけだ」

 そのあたりの情報は、スバルも絵本の概要から知り得ている内容だ。
 だが、カドモンの負の感情が入り乱れたその語り口には、決して単調な文章だけでは表現し切れない、生の感情が存分に塗り込められていた。
 絵本という媒体だけでなく、親類からの口伝などで綿々と語り継がれてきただろう魔女の逸話。それは語るものによって幾重にも過程を変えながら、しかし終点だけは同じところへ辿り着くのだ。

 それは、

「得体の知れない魔女が恐ろしくてたまらない。なら、わかっているだけの内容でもそれを遠ざけずにいられるものかよ」

「だから、ハーフエルフを差別するのか」

「少なくとも、半魔に性格がねじくれたのが多いってのは本当の話だ。――もっとも、それが根っこからのもんか、そんな環境のせいなのかまではわからねえがな」

 苦いものを噛んだようなカドモンのしかめ面は、スバルの絞り出すような言葉に対する彼なりの苦悩が垣間見えていた。
 短い付き合いだが、カドモンは根っこの部分で善人だとスバルは思う。彼自身、自分の口にした内容が理屈として正しくないのを理解しているのだ。ただ、『魔女』を思って浮かび上がる感情が、その理屈への反論を良しとしないだけで。

「大半の奴は俺と同意見だろう。わざわざ半魔の側に味方して、他の候補から票を動かすなんてことはまずない。それが、当たり前の考え方だ」

「――――」

 話を無理やりに締めくくろうとする言いぶりに、スバルは王選の場でエミリアが嘆願した内容が事実であったことを肌で実感していた。
 ハーフエルフであること。それは彼女にとって切っても切り離せない宿命であり、決して他者と同じスタート地点に立たせてもらえない鉄の鎖なのだ。

 魔女の存在がある限り、エミリアは自身の出自を枷としてはめ続けられる。
 そしてそれは彼女自身にはどうすることもできない、理不尽な障害そのものであった。

「だからそうと思われてる以上は端から勝ち目なんかねえのさ。誰が好き好んで担ぎ上げたのやら……ふざけたことをしやがる」

 腕を組んで不服を露わにするカドモン。彼の怒りは今度は候補者であるエミリアの側から、勝ち目のない神輿に彼女を乗せた人物へと向かっているようだ。
 その姿勢は彼の善性を確かに示すものであったが、そこにハーフエルフという存在への悪印象が根付いている以上は慰めにもならない。

 カドモンはスバルをもの知らずと呼んだ。ハーフエルフの虐げられてきた歴史を、その理由となった魔女の暴虐を理解していないと。

 だが、とスバルは思う。
 ふざけるな、とスバルは思うのだ。

 確かにスバルはこの世界の歴史に対して無知の塊だ。魔女の行った悪行に関しても、字面以上の内容は想像すら届いていないことだろう。
 人々にハーフエルフがどれだけ恐れられ、そうして環境にあったハーフエルフたちが反対に人間をどう思っているかなど共感できるはずもない。

 でも、

『――そこまでよ、悪党』

 凛とした銀鈴はあのとき、スバルの鼓膜をひどく激しく震わせたのだ。

 路地裏の地面に這いつくばり、痛みと屈辱の中で潰えそうだったスバルに、救いの手を差し伸べた彼女は自身の行いに一切の疑問を抱いていなかった。

 スバルはこの世界の歴史を知らない。
 スバルはハーフエルフたちの歴史を知らない。
 スバルは嫉妬の魔女がどれほど恐ろしい存在なのかを知らない。

 だけど、エミリアのことは知っている。

 あの銀色の髪をした、意地っ張りでどこまでもお人好しで、自分の損得関係なく動いてしまう彼女が、『嫉妬の魔女』と同一視される謂れなんで微塵もないのだとスバルは知っている。
 決して、優しくない環境で過ごしてきたはずの少女が、それでも他者に優しく施すことのできる心根の持ち主であることをスバルは知っている。

 たとえ、どれほど、この世界が彼女に厳しかったとしても、それでもスバルだけはそんな彼女に――。

『本当に、そうだろうか?』

 ふと、思考に忍び込んだのはそんな疑問だった。

 脳裏を過った声音の不穏さに、スバルは息を詰めて目を瞬かせる。
 声は辿り着きかけたひとつの答えに対し、それは本当に正しいのかと問いかけてきていた。振り返り、物思い、なにがおかしいと姿なき声へ怒声を放つ。
 だが、

『本当にお前、彼女のことを知っているのか?』

 純粋な疑問の声に、スバルは当たり前だと応じようとしてそれができなかった。
 心の声がせき止められる歪な感覚。それは簡単なようで難しい、自分の心を騙すという一種の矛盾を孕んだ行い。
 かけられた疑惑の声に対し、はっきりと応答できなかった時点でスバルは声の正体が自分の心の声であることに気付いた。
 声はスバルの声音で繰り返す。

『本当にお前、彼女のことを知っているのか?』

 知っている、と声を大に答えようとして、自分の心を騙し切れないままの喉は震えることを許さなかった。

 スバルは彼女が、どんな暮らしをしてきたのかなんて知らない。
 スバルは彼女が、なにを思って王の座を目指しているのかを知らない。
 スバルは彼女が、自分を魔女と同一視する人々をどう思っているのかを知らない。

 スバルは彼女が、自分をどう思っているのかを知りたくない。

「――おい、大丈夫かよ、兄ちゃん」

「え?」

 気付けば、目の前で驚いた様子のスカーフェイスがこちらを覗き込んでいた。思わずのけ反り、スバルは軽く下がって距離を空けると、

「な、なんだよ……急に目の前にこられると寿命吸われるから勘弁してくれよ」

「ひでえ言い草だな! 急にイッちゃった目えするから焦ったんだよ。なんだ、そういう持病でも持ってんのか」

「人は誰しも、自分の心の中に妄想という名の箱庭を持ってるんだよ。いつしかその場所の大切さを人は忘れてしまうけど、極々たまにいつまでもその箱庭のことを忘れない大人もいる。俺もそんな中のひとりってわけさ」

「お前が性質の悪い病気なのはわかった。もういいだろ、店に戻るぞ」

 虚をつかれた内心を誤魔化すような軽口に、付き合い切れないと店主が雑踏を店の方へと歩み始める。その先導するたくましい背中を追いながら、スバルはじっとりと自分の背中が冷や汗に濡れていることに気付いていた。

 その汗の出所が、いったい自分のどんな感情を起因としているのか。
 それを探るのが殊更に気持ち悪く感じ、スバルの足取りは重い。と、

「それと、余計なことかも知れねえが」

 歩きながら、こちらを見ないままにカドモンが呟く。
 彼はスバルの耳に届くかどうかというほどささやかな声量で、

「大っぴらに往来で、魔女って単語を口にするのはやめとけ。俺も含めてだが……どこで誰が聞いてるかわかったもんじゃねえ」

 先ほどの話の蒸し返し、というわけではないのだろう。
 告げた声の調子の深刻さに、スバルは無言でいることを了承の証とした。

 その意を汲み取ってくれたらしく、カドモンもそれ以上に言葉を重ねはしなかった。
 ただ一言、

「どこの誰が、な」

 と、途切れるように言い残したことが印象的ではあった。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 スバルとカドモン、戻る二人の間には重々しい雰囲気が立ち込めていた。

 正直、スバルは自分の胸中にわだかまる感情に整理がつかずにいたし、カドモンはカドモンでスバルとの論争にむきになったことを恥じているらしかった。
 そんなわけで、雑踏をかき分ける二人は無言でカドモンの店に戻ったわけだが、

「――お帰りなさいませ。今、最後のお客様がお帰りになられたところです」

 商品と釣銭を渡し、丁寧にお辞儀して来客を見送ったレムがそう答えるのを、カドモンはぽかんと口を呆然と開けて見つめていた。
 そうして間抜け面をさらす彼の眼前、そこには商品が大量に捌けてしまって空になった陳列棚が並んでいる。

 店を任されて自棄になったレムが、「持ってけドロボー!」と行き交う人々に果物を無料でぶんまいた――というわけでないのは、代金を受け取る籠が硬貨でいっぱいになっていることから明らかだ。
 つまり、

「お、俺の店の平均日販以上の売り上げがこの短時間で……」

 認めたくない事実を突きつけられ、顔を掌で覆って震えるカドモン。
 そんな彼に店番の地位を返上し、するりと外へ抜け出たレムはスバルの傍らへ飛ぶように並ぶと、身を乗り出すように曲げてスバルを見上げ、

「どうです、スバルくん。レムのこの万能ぶり。スバルくんの恩人と聞いてましたから、せめてお役に立とうと頑張ってみました。……褒めてくれてもいいですよ?」

 スカートの裾を揺らし、片目でちらちらとスバルを見やるレム。言葉とは裏腹なわかりやすい彼女の態度。それと目の前で現実を受け入れられずにいるカドモンの姿を見比べて、スバルは自分の胸がわずかに軽くなっていることに気付く。

 それが普段通りのレムの姿に安堵したからなのか、それともちょっと嫌な思いをさせられたカドモンがショックを受けていることで溜飲が下がったからなのかはわからなかったけれど、

「どっちにせよ、レムのおかげなのは間違いないしな」

 差し出されている青髪に手を差し入れると、スバルはすっかりと慣れ親しんだ髪質を指で味わいながら、彼女の頭を柔らかに撫でる。
 レムが気持ちよさげに目をつむり、撫でるスバルの掌の感触を堪能し、恍惚とした表情で頬を赤く染め、「ぅん」と変に艶っぽく喉を鳴らす。

 そんな二人の様子を背後に、カドモンはいつまでもいつまでも、自分の顔の傷を指でなぞりながら、

「やっぱ見た目がでかかったのか……」

 と、今さらすぎる経営難の理由を口にしているのだった。


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