SA-075 冬に川を渡るのも大変そうだ
俺とエミルダさんが顔を見合わせていると、ミューちゃんが忍び装束で現れた。
たぶん戦はこれで終わりだと思うけど、まだ普段着とはいかないだろうな。
ミューちゃんに、通信兵と連絡を取り合って、状況を確認して貰う。
俺を急いで起こす事態が起こっていないから、大きな敵軍の動きは無かったとは思うんだが……。
改めて、エミルダさんを見た。
俺の視線に微笑んでいるけど、美人であることに騙されてはいけないような気がする。ここにやって来たのは、単なる興味だけではないはずだ。
教団としての立場よりは本人の趣味が優先しているようなところもあるけれど、本来の目的は生まれ故郷であるクレーブル王国の行く末を案じてと言う気がするな。
ここにいても、教団の高位神官であるなら命の心配は少ないと言う事なんだろう。そう言う意味では王族を越えた存在って事になるんだけどね。
「クレーブルが心配です……。もう少し、敵を削減できれば良かったのですが、精々3個中隊でしょう。依然として南に兵を向けるだけの余力があります」
「カルディナの防衛をおろそかにしてもですか?」
マデニアム王国の狙いはカルディナの銀鉱山とクレーブルの港を手に入れることだ。それによって莫大な富が手に入る。
その富で軍を増強すれば、周辺の王国に侵入し広大な王国を築くことが出来るだろう。
王国の領土を広げることは、それなりの利点も多い。良い人材を多く得られるだろうし、自然災害もある程度緩和出来るだろうし、対策も大規模に行うことが出来る。
だが、それは征服者側の理屈だ。
自然災害が予想されるなら、普段からそれに備えれば良いし、人材は見付けるのではなく育てるものだろう。
マデニアム王国の野望は周辺王国からすれば迷惑行為そのものだ。
そんな王国と連合した王国の将来はどうなるのだろう? マデニアム王国の野望が成功すれば、莫大な富を分ける事も可能だろうけど、それが途中で頓挫した場合のリスクを考えたことは無かったのだろうか?
「カルディナへの出兵は成功しています。今はちょっと困っているでしょうけどね。一応、銀山と銀を港に運ぶルートを抑えていますから、マデニアム王国連合の野望は一応計画通りとなっているでしょう。
問題は、俺達が予想以上に抵抗しているって事ですが、今回の戦で当面は黙認してくるはずです」
「クレーブル攻略の戦力を落したくないと言う事ですか?」
「今回の戦が始まる前に言ったように、カルディナに派遣された軍の指揮官が取る選択肢は、クレーブル王国への侵略とマデニアム王国からの独立の2つです」
「クレーブル王国への侵略を行う事でマデニアム王国からの独立を?」
3つ目の選択肢が、エミルダさんの言ったことだ。独立の交換条件となるんだが、この場合は銀鉱山を独立軍が持っていると言う事が問題になる。
だけど、既存の銀鉱山よりも産出量が多い新たな銀鉱山を持つ俺達がいることをマデニアム王国は知っている。
エミルダさんの言う選択肢を選ぶ可能性が極めて高い。
「俺もそれを考えています。このまま本国に報告すれば指揮官は、処刑ものですからね」
「一応、教団経由で状況は伝えましたが、追加すべきことはありますか?」
「1個大隊を海から石橋を守るウイルさんのところに向かわせるべきでしょう。俺とトーレルさんがレーデル川を泳いで渡ったように、石橋だけが侵略の攻め口になるとは思われません」
俺の言葉に、エミルダさんが目を見開いている。
かなり驚いてるな。海兵隊の存在を俺が知らないと思ったんだろうか?
この時代の貿易船だから、海賊の脅威にさらされているはずだ。当然、それに対処する軍がある筈だ。
お茶のカップを持つ手がちょっと震えているぞ。それでもどうにか口元に持って行き、お茶を飲んで落ち付こうとしているようだ。その間に、暖炉に寄ってパイプに火を点けた。
「その情報は他国に知られることが無かったと思っていましたが……。確かに、バンターさんの言われる通り、海を守る軍が存在します。でも、その兵力までをご存知とは思いませんでした」
「たぶん2個大隊と言うところでしょう。船団に2個小隊規模で乗せているんじゃありませんか? それを維持するとなれば2個大隊程度は必要です。1個大隊が港で休息しているなら、遊ばせておく手はありませんからね。川を渡る敵兵なら相手に丁度良いような気もします」
「ありがたいご忠告です。何とかクレーブルにそのことを知らせたいと思いますが……。お話を変えて申し訳ありませんが、バンターさんは今年お幾つですか?」
歳と知識は比例するって事なのかな?
あれから3度目の冬だから3年は経っていないはずだ。となると、21か? 成人式が終わってるぞ。
「21になりました。まだまだ若輩。クレーブルの危機もそんな俺の言葉だと書き添えておいてください」
苦笑いをしながらエミルダさんの顔を見たら、先ほどの顔つきがまるで変わって、俺をにこやかに見ているぞ。
美人に微笑みを向けられると嬉しくなってしまうのは、俺だけじゃないんだろうけど、思わずその意図を考えてしまうような笑みだった。
「エミルダ叔母様。バンターはカルディナの軍師じゃ。クレーブルの姫を迎える事は無いぞ!」
広間に入るなり、王女様がエミルダさんに噛み付いている。その後ろでマリアンさんが青い顔をしているのは、王女様の身分を持ってしても失礼な言い方なんだろうな。
「バンターもバンターじゃ。安易に自分の歳を告げるようでは先が思いやられる」
俺にも非難の矛先が回ってきた。
後でどういうことか聞いてみるとして、とりあえずは誤魔化しておけば良い。
「今のところ、敵は下がっています。ラディさんのおかげで、敵の長居は出来ませんから、退き時を探っているものかと」
「やはり王都じゃろうか?」
「たぶん。その後は……」
王都から指先を街道に沿って南の砦に移す。
「エミルダ叔母様。バンターをからかう暇もないぞ。一刻も早くクレーブルに知らせねば!」
「危機があることは先に知らせています。先ほどバンターさんから、クレーブルとしての次の策をうかがいましたからオブリーが広間に戻り次第、頼んでみるつもりです」
マリアンさんを呼びよせて、筆記用具を手配している。
ちょっと気の毒な兵士が出てくるな。王女様に耳打ちして銀貨を数枚フィーナさんに用立てて貰う。
書状が出来てからしばらくしてオブリーさんが現れた。早速、エミルダさんに用事を頼まれてるな。慌てて広間を飛び出して行ったけれど、クレーブル王国からやって来た軽装歩兵のところに向かったんだろう。
皆に頭を下げて、俺も広間を出て行った。
屯所の前にいるのがオブリーさんだな。2人の軽装歩兵を使者に選んだようだ。
「オブリーさん。通信兵に頼んで騎士を1個分隊派遣して貰って、騎士にレーデル川まで送って貰えば良い。帰りは教団の荷車に護衛として乗り込めば遠回りだがマデニアム経由で帰って来れるだろう。川を渡る時は、バターを体にしっかりと塗り込んでおくんだ。少しは川の冷たさを軽くできる。向こう岸で火を焚けば直ぐにウイルさんの部下が見つけてくれるだろう。これで酒を飲んでくれ」
数枚の銀貨を2人の軽装歩兵に与えて、オブリーさんが俺に何か言う前にその場を離れた。
後は、クレーブル王国の問題で良いだろう。俺達に出来る事はそれ程多くは無い。
広間に戻ると、エミルダさんの姿が無い。礼拝所に戻ったのかな? 重傷者がいるはずだからね。
席に着くと、マリアンさんが改めてお茶を入れてくれた。
熱いお茶をふうふう言いながら飲んでいると、王女様が厳しい表情で俺を睨む。
「全く、1人では広間にも置けぬ。エミルダ叔母様は教団の神官でもあるのじゃが、ある意味、クレーブルの間者とも言える。我らの心配もしてくれるが、それはクレーブルの安寧があっての事。クレーブルに危機あらばクレーブルを第一に考える御人じゃ」
そんな事を言ってるけど、やはり俺には何のことか分からないぞ。
とりあえず、カルディナ王国からの侵入対策は教えたけどね。
「王女様は、バンター殿がクレーブル王家と関係を持つ事で、将来クレーブル王国に行ってしまう事を危惧しているのです。エミルダ様がバンター殿のお歳を聞いたことは、相手を探す目安になります」
「決めるのはバンターで、バンターが自分の幸せをそこで見いだせれば、我等に異存はない。だが、明らかな人材目当ての婚姻はどうかと思うてのう……。もう、2年もすればカルディナも落ち着くじゃろう。出来ればこの地で幸せを探して欲しいものじゃ。我も探してみようぞ」
はあ……。とため息をつきながらもお願いしますと答えたら、途端に笑顔に変わったぞ。相手の目星を付けてるのかな? 気になるところだ。
だけど、そんな事をエミルダさんが考えているのは厄介だな。
早めに断っておくべきだろう。
「ところで、あれから変化が無いのう……。やはり、昨夜でおしまいなのじゃろうか?」
「それを考えて、エミルダさんに策を話しています。やはり、狙いをクレーブルに絞るつもりではないかとね」
「となると、我等の次の手は?」
「兵を休める事です。新たな村人が増えましたから兵の募集も出来るでしょう。民兵として参加してくれた村人の一部を軽装歩兵に出来ると思います。軽装歩兵を2個小隊に出来れば次の戦も容易でしょう」
少しずつ戦力を増やさねばなるまい。軽装歩兵だけで1個大隊が出来ればかなり楽になるんだけど、それは民兵で補う事になりそうだ。
マデニアム王国から派遣軍が独立すれば政情不安が著しくなる。夜逃げする人達を仲間にして少しずつ俺達全体の力も付けなければならない。
冬の最中だけど、色々とやることがありそうだ。