SA-065 アルテナム村の引っ越し
夕暮れを前にして、いつものメンバーがテーブルに集まる。
いよいよ、大脱出作戦が開始されるのだ。
ラディさんの部下から、(と言っても息子さんなんだけどね)村に残った半数が俺達のところにやって来るらしい。その数600と言っていたからかなりのものだな。残った村人は家財を纏めて他の町や村の親戚を頼っていくらしい。
必ずしも俺達のところに幸せがあるとは限らないから、頼れる場所があるならそれに越したことはない。
毎日のように村を出る者がいるらしく、昼間から列を作って出ていく村人の姿を見てもマデニアム軍は見て見ぬ振りのようだ。
「昼間からこちらを目指しても良いような気がするが?」
「さすがにそれは不味いでしょう。他の村や町に移動するのであれば、カルディナ王国内の労働人口に変化はありませんからね。税の徴取は同じになると見てるんですよ」
すでに騎士団の装束に身を包んでいるザイラスさんが呟いた言葉に、簡単な説明を付け加える。
「それで、私とザイラス殿は隘路手前で待機と言う事でよろしいのですね?」
「はい。グンターさんの攻撃が終了次第と言う事になります。知らせは、アルテナム村とザイラスさんの両方に走りますから、それを合図に!」
「となると、私はそろそろ出番ですな。それでは知らせをお待ちください」
ワインのカップを置くと、グンターさんが席を立って俺達に騎士の礼をする。
俺達は座ったままで答礼すると、王女様に深く頭を下げて広間を出て行った。
広場で、大きな声が上がっているところをみると、軽装歩兵は出発の準備を終えてグンターさんを待っていたのだろう。
雄叫びが上がり、足音が遠ざかっていく。
「出掛けたようじゃな。さすがはグンター、部下の統率が執れているのが見ずとも分かるぞ」
「勇将に弱兵無し。良く言われる言葉ですが、王女様の元に集まった将兵は皆優秀です。必ず目的を果たしてくれるでしょう」
俺の言葉に、皆が頷いているぞ。マデニアム軍に敗れたことは既に過去の出来事と吹っ切れたようだな。
「まだ、夕暮れには間がある。我等は、日が暮れての出発で良かろう。だが準備だけはしておけよ」
「だいじょうぶです。軽装歩兵が出掛けた後で広場に集合を命じてあります」
第1分隊長のカイナンさんの言葉にザイラスさんとトーレルさんが満足そうに頷いている。
ある意味、時間稼ぎの手ではあるんだけどね。砦から敵軍を出さないようにしっかりと念を押しておく。
そんな2人は、夕暮れと同時に席を立って王女様に騎士の礼を取って出掛けて行った。
少し微笑んでいたのが気になるな。
「レビットさん達が残ってますよね。何事も無ければそれで良いですが、村人の引っ越しの手伝いも出来るでしょう。間道の出口に2個分隊程派遣したいと思いますが?」
「そうじゃな。老人子供もおるじゃろう。荷馬車を派遣した方が良いと思うぞ」
「ガルタスを連れて行きます。そうなると、関所の守りがいなくなりますが?」
「北でログハウスを作っている重装歩兵を1分隊呼べば良い事です。関所で待機して、重装歩兵の到着を待って出掛けてください」
俺の言葉を嬉しそうに聞いて、レビットさんが広間を出て行った。
広場で大声で部下を集めているぞ。それに答えるように軽装歩兵が集まっているようだ。ワイワイ騒いでいるのがここまで聞こえてくる。
ミューちゃんに頼んで見張り台の通信兵に伝言を頼む。
数km離れているから、今から重装歩兵を呼べば丁度良いだろう。
「急に静かになりましたね」
「ええ、ですが今夜はここで待っていなければなりません。どんな手違いが起きないとも限りませんからね」
エミルダさんも、この作戦がかなり危ない賭けを含んでいると考えているようだ。
俺も、いささか自信が無い事は確かだ。予備兵力はレビットさんの2個分隊だからな。
ザイラスさん達に頑張って貰わねばなるまい。
マリアンさんが暖炉のポットでお茶を入れると、ミューちゃんとメイリーちゃんが俺達に配ってくれた。
ありがとうと礼を言うと、エミルダさんが足元からバスケットを取って、中のドーナッツを俺達に勧めてくれる。
この世界にもドーナッツってあったんだな。
1つ頂いてみると、甘さも控えめで俺に丁度良い感じだ。
もう1つ頂けるかな? とバスケットの中を思わず見たのが、レイザンさんにばれたみたいで、俺を見て口元を抑えながら笑いを堪えている。
「バンターさんは甘党なんですね?」
「ワインよりは、こっちが良いですね。それに今夜は酔う訳にもいきません」
「それも、そうじゃ。場合によっては我等も武器を取らねばなるまい」
広間の扉が開き、通信兵が駈け込んで来た。
「グンター殿の奇襲は成功です。ザイラス殿達は隘路を出発しました!」
それだけ伝えると、広間を後にした。
「夜間ならばの知らせじゃな。エミルダ叔母様のお菓子は通信兵に分けてあげても良いじゃろうか?」
「すでに、トルティに持たせてありますよ。それに、これを持って行ったらバンター殿が寂しそうです」
見透かされてた……。そんなにバスケットを眺めてたかな?
マリアンさんまで、可哀想な目で俺を見てるし、ミューちゃんまで呆れた顔をしてるけど、それだけ美味しいって事だ。前の世界と同じお菓子を懐かしむ気持ちがそうさせたに違いない。
気分転換にパイプに火を点けると、地図の上に駒を並べる。ザイラスさん達はふもとの砦で、ラディさん達は村の中だ。グンターさんは奇襲が成功すれば村に向かう事になる。
「関所からの連絡です。重装歩兵第2小隊、第2分隊のログナ殿、関所に到着。レビット殿が軽装歩兵2個分隊を率いて関所を出発しました!」
「ご苦労! 連絡が次々と来るじゃろう。よろしく頼むぞ」
王女様の言葉に、通信兵をしている元貴族の少年は俺達に頭を下げて出て行った。
知らせの通りに、地図の上の駒を動かす。
これから3時間も経たないうちに、村人の引っ越しが始まるのだ。
そう思うと緊張して来るな。
ザイラスさん達はまだふもとの砦に着いていないだろうな。ザイラスさん達の攻撃と引っ越しの始まりが、ほぼ同じ時刻になりそうだ。
長い夜になりそうだから、次の戦を考えてみるか……。
新たな増援は2個大隊程だ。現在のカルディナ王国に進駐しているマデニアム軍の数はだいぶ減らしたとはいえ、前回増援された4個大隊と最初の攻略部隊の数を合わせればいまだに4個大隊を超える戦力があると考えるのが妥当だろう。
これに2個大隊が加わることになるが、動かせぬ戦力もあるのだ。南の砦の2個大隊と西の砦の1個大隊。王都と北の砦を合わせて1個大隊とすれば、5個大隊がクレーブル王国攻略とウォーラム王国の牽制には是非とも必要だ。
もし、クレーブル王国攻略用の戦力を俺達を殲滅後に再編成して揃えると言うなら、南の砦からさらに1個大隊を引き抜ける。
2個大隊から3個大隊と言う事になるが、そうなると敵も大軍を一度に展開できる場所を使って一気に攻め落とすと言う事を考えるだろうな。
狙いは、西の荒地と言う事か……。
陽動は、間道と場合によっては南の森を抜ける部隊かな。狼の巣穴を探し出して攻略し、その後に東からでは陽動にはならないだろう。通信手段が限られているのも問題だ。伝令と早馬ではどうしても連携するには難が出てくる。
日の出と同時、夕暮れを待って……。そんな時間管理で攻めてくるのだろうか?
半日も過ぎた陽動では、陽動の意味がなさないからな。いや……、それも考えられなくはない。
相手の戦力が20倍以上である以上、陽動部隊と言っても俺達の倍する戦力になるのだ。
そんな思考の海から、現実に引き戻される。
「ラディ殿から連絡です。村からの引っ越しが始まったとの事です」
「了解じゃ。だが、村からよくも通信が届くものじゃな?」
「間道の途中と、間道の出口に中継要員を置いています。昼間に配置して逃げる方向も確認していますからご心配には及びません」
さすが通信兵。自分達の役目を良く理解している。
これで、ザイラスさん達の動きも少しは見えてくるな。
アルテナム村から関所までは十数kmと言ったところだ。歩いて5時間と言うところだろうか? 長い村人の列の最後尾が関所を過ぎるのは、やはり明け方になってしまうだろう。
「関所を越えて一休みできるように、ベンチとお茶を用意させましょうか?」
「そうじゃな……、ずっと歩いて来るのじゃ。簡単な食事の方が良いのではないか?」
「それは、北の村に着いてからでも良いでしょう。私もお茶でよろしいと思いますよ」
マリアンさん達がそんな話をしている。領民の事を考えることができる王族ならば、領民も安心できるだろう。
「ラディ殿より連絡。ザイラス殿がふもとの砦を攻撃との事です!」
「始めおったか。ラディが連絡してきたと言う事は、爆弾を使った炎を確認したと言う事じゃな?」
「たぶん。持たせたのは10本ですから、なるべく温存して使って欲しいところです」
王女様の質問に答えたが、本来なら2倍以上持たせたいところだ。
次に起きる大戦が、近い事を考えるとそちらに使いたいからな。どうしても無理が出てしまう。早くに、レビットさん達が村に急行してくれると良いのだが。
「この間の戦では、まるでやる気が無かったからのう。砦でジッとしているに違いない」
王女様がそんな事を呟いた。
と言う事は、士気がかなり低下しているって事か? 2個小隊だから打って出られたらと心配していたのだが、今までの嫌がらせが功を奏したのだろうか?
少し安心できる要素が出来たけど、油断はできないぞ。
「ラディ殿より連絡。グンター殿が村に到着!」
「ご苦労。少し安心できるな。レビットさんが付いたと言う知らせももうすぐ入る筈だ。良く確認しといてくれ」
俺の言葉に一礼して通信兵が広間を去って行った。
地図の上の駒の配置を変える。
そう言えば、今夜は下弦の月だったな。そろそろ月が出そうだ。村人達も少しは足元が見られるだろう。