SA-060 虜囚の開放
南門を出た兵力は騎馬隊が1個小隊、それに軽装歩兵が2個中隊だった。
荷物をあまり持っていないと言う事は、やはり西からの陽動を考えているのだろう。明日の早朝に陽動を西からアルデス砦方向に攻撃を行って、早々に引き上げると言う事になるんだろうけど、荷馬車1台分の兵糧も積んで行かないとはな……。
陽動を行って、そのまま西で睨みを効かされたら、俺達の兵力ではかなり困難な戦になるんだが、1当たりして戻るのなら、ザイラスさん達は南の防衛に当たることができる。さすがに騎馬隊2つとも移動させるのは無理だろうけど、残った1小隊を予備兵力的な運用ができるだろう。
「あれで、全部でしょうか?」
「たぶん。荷馬車がいないから、明日には戻って来るんじゃないか? 今夜が俺達の戦になる。本来だったらネコ族の人達には係わらない戦だ。申し訳ない」
「それを言うなら、バンター殿も一緒じゃないですか。ラディさんも言ってましたよ『ネコ族の長所をバンター殿程上手く戦に取り入れる者はいない』とね。この戦がいつまで続くかは分からないですけど、俺達一族の住処ができるかも知れないと皆が期待しているとこもあるんです」
タダで貸しを作るの問題だな。ネコ族の人達が暮らすならミクトス村、もしくは砦の西に広がる荒地を開拓する事になるんだろう。
誰も利用しようとしなかった土地なら、王女様達も賛成するかも知れない。
「俺も気になるところだし、確認してみるよ。だけど、1つだけ教えてくれないか。アルデンヌ山脈で活躍しているネコ族の総人口はどれ位になるんだ?」
「……おおよそ、3千と言うところでしょうか」
答えに詰まったところを見ると、あまり知られたくないと言う事だ。たぶんその2倍以上が正しいんじゃないかな。
だが、6千人もいるのか。確かに大きな山脈だ。そこで狩りをしながら移動するネコ族はある意味放浪の民でもある。
そんなネコ族を国家に上手く取り入れた王国は無いらしい。
定住させるための便宜も図ったらしいが、上手く定住させることができなかったのは何らかの問題があったんだろうな。
カルディナ王国も過去にそんな政策を何度か行ったに違いない。一段落したらザイラスさんに聞いてみよう。
長い休憩を終えて、俺達は林伝いに北に向かう。
たまに野ウサギがガサガサと茂みを揺らすので、そのたびにドキリと立ち止ってしまう。ネコ族の女性がそんな俺を笑っているんだけど、彼女達には周囲の状況が分かるのだろうか?
「ははは、だいじょうぶにゃ。ちゃんと私達が周囲を見てるにゃ」
「はあ、よろしくお願いします。一々驚きながら歩いてると神経が持ちません」
俺の言葉に先頭を歩いているネコ族の男が振り向いた。
「狩りにはそんな能力も必要なんです。少なくとも100D(30m)の獣であれば、俺達には感じることができますから、安心して付いて来てください」
便利な能力だな。魔法とは少し違うのかも知れない。ピンと立った猫耳があちこち器用に動いているから聴力で確認しているのかも知れないな。
犬族もいるのだろうか? と質問したらやはり存在しているそうだ。広い草原で羊を飼っているらしい。
彼らもネコ族のような能力があると言っていたけど、それは嗅覚なんだろうな。
ネコ族の女性は語尾に『にゃ』が付く。大人になるとかなり改善されるらしいけど、個別差がかなりあるらしい。俺は何となく気にいってるんだけどね。
話を聞いてるといつも俺は笑顔になるらしい。
ラディさんが気にして俺に聞いてきたことがあるけど、ネコ族の女性の語尾に「にゃ」が付くのを聞くたびに楽しくなるんだと教えたんだけど。ラディさんは、それが気に入らないと不機嫌になる者が多いらしい。
でも、王女様やマリアンさん達もミューちゃんの話し言葉にいつもニコニコしているからな。不機嫌になる奴らってどんな神経の持ち主なんだろう。
たぶん、俺と意見が一致することは無さそうだ。
林を歩きながら、そんな事を考えているといつの間にか砦の北西に達した。
2kmに満たない先に砦の北門が見える。
小さな扉だ。2m四方の両開きの扉は、北に広がる森から焚き木を取るためのものだろう。
南門から比べて、余りにも落差がある。利用者は社会的身分の低い連中なんだろうな。
北側の石塀の高さは2m程度で見張り台は無いが、回廊で東西の石塀と繋がれているらしい。2人の監視兵がたまに砦の外を眺めながら歩いているのが見えた。
「夕暮れ前ですからね。ここでしばらく待つことになります」
「ああ、だけど俺達が行動を起こすのは深夜になるぞ。そうだ。日が沈んだら、パイプは太い木の裏で使ってくれ。パイプの熾火を砦から見られると不味い」
一番気を付けなくちゃならないのは、たぶん俺なんだろうけどね。
日のある内にと、ネコ族の3人が石弓を組み立て始める。組み立て式ではあるけれど、威力は短弓よりも高いし、命中率も優れている。
ボルトケースには通常のボルトが10本と先端に爆弾を括りつけたボルトが2本入っているはずだ。
俺は背中に刀を背負ってるだけだけど、懐に2本の爆弾を携帯してる。
林の奥で小さな焚き火を作ったようだ。周りを黒のマントで隠しているからほとんど明るさを感じさせることは無い。
焚き火を作るのは、墨を練って突き固めたタドンに火を点けるためだ。
石綿を敷いた木箱に入れることで、種火を携行することができる。まさか松明を持って砦に行けないだろうし、俺の作った爆弾の導火線に着火するためにはどうしても必要な品でもある。
「この箱と練って作った炭の組み合わせは、仲間に広げたいですね。山に分け入って、一番困るのが焚き火をどうやって作るかなんです」
「たぶん便利に使えると思うよ。火打石よりも火を点けるのが簡単だろうな」
とは言ったものの、俺の世界では石綿は使用禁止じゃなかったか?
この世界では直ぐに商人が用意してくれたけど、どんな用途に使うんだろうな。
夕食は、簡単なスープと平たいパンだ。
携帯食料の干し肉を齧って腹を満たすラディさん達には申し訳ない気持ちがするな。
それでも、パンを数枚紙に包んでいたから、襲撃時にラディさん達に渡すんだろう。
日が暮れてから食事を取って、カップに半分程のお茶を頂く。水筒の水に限りがあるからあまり飲めないのが辛いところだ。
木の裏でパイプを楽しんでいると、砦から合図があったと教えてくれた。
ランプの点滅で知らせる簡易な信号だが、砦内が少し静まってきたと言う事らしい。
「出発するぞ。火の始末と忘れ物が無い事を確認してくれ」
俺の号令で、焚き火に土を掛けて消し、背中に石弓を担ぐ。俺とネコ族の男性で林の木で作った丸太のハシゴ持った。小さなランプに黒い布を被せて、女性2人が先頭に立って歩き出した。
2kmに満たない距離だし、ネコ族は夜でも周囲を見ることができる。今夜は下弦の月だから、まだ月は出ていないが、暗闇に慣れたんだろう俺にも足元位は見ることができるし、砦の輪郭もはっきりと見える。
30分も掛からずに北門のすぐ下に俺達は辿り着いた。北の石塀の西の端に移動すると、頭の上からラディさんの声が聞えた。
「もうすぐ巡回の兵が北の石塀に回って来る。通り過ぎたら合図をするからそこで待っててくれ。ランプは必要なさそうだ。消しておいた方が良いな」
すぐさまランプを消して石塀に張り付いて巡回が北の石塀を通り過ぎるのを待つ。
しばらくすると、石塀の上からカツカツと鋲を打ったブーツの音が聞こえてきた。
靴底が減らないようにとの工夫だろうが、こうもはっきり聞こえると巡回の意味がないんじゃないかな?
俺達の頭上を過ぎて、少しずつ足音が遠くなっていく。
少し間を置いて、再びラディさんの声が聞こえてきた。
「巡回の兵士が通り過ぎた。入ってきていいぞ!」
持ってきたハシゴを壁に立て掛けると、ネコ族の3人が次々と石塀の向こうに消えていく。最後は俺なんだけど、再度身体強化の魔法を自分に掛けて、ハシゴを上った。
塀の上は1.2mほどの回廊になっている。壁の内側は2,5m程の高さだが、丸太が1本回廊に突き出している。丸太を抱えて滑るように内側に下りると、ラディさんは飛び下りてきた。
丸太を石塀の内側に倒して、俺達は建物の影に集まる。
「いよいよ始めるぞ。ラディさん達は守備兵の屯所に爆弾を仕掛けてくれ。2個使えば良いと思う。館の裏扉は鍵が掛かってるのかな?」
「忍び込んで外してあります。囚人達を入れた建物は北門の東端です。その隣と北門の間の建物が銀鉱山の入り口と銀の生成を行っている作業場ですが、夜間は無人になっています」
「囚人の監視は?」
「5人ですね。囚人を入れた建物に入って直ぐ右側です。いつも酒を飲んでるらしいですよ」
「分かった。線香を半分に折って使って欲しい。再びここに集まって屯所の火事が起きてから次に移ろう」
了解ですと言ってラディさん達3人が暗闇に消えた。
建物の影に身を潜ませて、ラディさん達の帰りを待つ。後1つ爆弾を詰めたタルがあるのだが、これは館に使う分だ。
10分も経たずにラディさん達が帰ってきた。杉の葉をすり潰して作った線香は導火線代わりだから、半分に折れば1時間程度で爆発するだろう。
残った1個を持って、今度は館に忍び込んでいく。
裏口の鍵をすでに開けていたらしい。音も立てずに入り込むと直ぐに出て来た。
「館の方は1階の物置です。三分の二を残してありますから、爆発は屯所の後になります」
「さて、今度は囚人達の開放だ。行くぞ!」
石塀と砦内の建物の間を東に駆け抜ける。
囚人小屋の裏手に出たところで、俺とラディさん達4人で襲撃することにした。残った女性達で精錬所の中に爆弾を仕掛ける手筈だ。
先ほど折り取った線香の残りを使って火を点ければ30分後には爆発するだろう。坑道の入り口に仕掛ければかなりのダメージを与えることができそうだ。
ラディさんが片手剣を抜き取って、ゆっくりと扉を開く。
2人のネコ族の青年が音も無く中に入り込んだところに俺達も続いて入っていく。扉を閉めると同時にうめき声が聞こえてきた。
「5人を始末しました。後は囚人を出すだけです」
「奥にいるのかな? 行ってみよう」
壁に下げられていたランプを持って、通路を進むと丈夫な格子が入った部屋が3つ作られていた。
ランプの灯りで奥の方がもぞもぞと動いている。
「ザイラスさんの知り合いだ。助けに来たぞ!」
俺の声を聞いてもぞもぞした動きが急に活発になって格子の方に皆が集まってきた。煤けた顔と長く伸びた髪が彼等の苦労の後なんだろうな。服はいたるところが破れている。ブーツもかなり痛んでいるな。つま先に穴が開いて指の見えている者までいるぞ。
「助けてくれるのか? 先ほどザイラス殿の名を上げたが……」
「ああ、ザイラス殿やトーレル殿も無事だ。カルディナ王国からマデニアム軍を駆逐するために今も戦い続けている。どうだ、俺達に力を貸してくれないか!」
「存分に戦ってやるとも、だがここまで忍び込んできても、俺達全員を助けることはできるのか?」
「何とかなる。とりあえず牢から出すが、この後の脱出は俺達の指示に従ってくれ」
彼らが頷くのを見て、ラディさんが牢の鍵を開けた。見張り達の持った鍵を奪ってきたらしい。
ぞろぞろと牢から出た兵士達は、手足を伸ばして自由を確認しているようだ。幸いにも拘束具は付けられていないようだ。
「私が彼等を代表します。元重装歩兵のレイトルです。貴方は?」
「アルデンヌ聖堂騎士団の1人バンターと言います。重装歩兵ならオットーさんと同じ兵種ですね」
「オットーをご存知でしたか。私の愚弟です」
どうやら兄弟で同じ兵種を選んだようだ。それなら向こうに着けばオットーさんに色々と教えて貰えるだろう。
囚人の数は57人に減っているそうだ。早くに開放してやりたかったけど、俺達だって非力だったからな。