SA-043 川を渡るには川下に向かって泳ぐ
夕闇にまぎれて、レーデル川に筏を浮かべる。
対岸までは200m程だが、流れは緩やかだ。それでも1kmは下流に流されるんじゃないかな。念のために、尾根の突端の崖から5km程上流のこの場所を選んだ。
両陣営が睨みあっている石橋からは20kmも下流だから、監視兵が巡回しているとは考えにくいのも理由の1つだ。
「先に騎士と馬を渡らせます。向こう岸に着いたら、とりあえずは簡単な陣を西に向かって作ります」
俺が頷くよりも早く片手を上げて、配下の騎士達に渡河を命じる。
ゆっくりと川に入る騎士達は下着姿だ。鎖帷子は筏に預けて、綿の上下を入れた革袋と長剣を馬の鞍に結わえている。
確か、女性の騎士もいたんだけど、下着姿は問題ないんだろうか?
よく見ると、自分の馬以外の馬の手綱を握った者もいる。様子を見に来たウイルさんに聞いてみたら、10頭の軍馬を別に運んでいるそうだ。
「軍馬がいないのでは騎士も気の毒だ。10頭を引いて行かせるぞ」
「ありがとうございます。荷馬車の馬まで使う始末でしたから助かります」
俺の肩をポンっと叩いて騎士達の渡河を眺めている。あの中にトーレルさんも入っているんだが、暗いからさっぱり分からないな。
「我等の準備も出来ましたぞ。泳ぎを知らぬ騎士と歩兵が何人か乗っておりますが、バンター殿は?」
「だいじょうぶ、泳げますよ。それでは、義勇軍を一時お預かりします!」
騎士の礼を、ウイルさんにすると、見事な答礼で答えてくれた。
先を促すレビットさんの後に付いて川岸に向かう。
すでに筏が浮かんでいる。俺達は急いで衣服を脱いで、バッグや武器と一緒に筏のカゴに投げ込んだ。
「良いか。俺達が最後だ。先は長いが流れは穏やかだ。下流に向かって進むんだぞ!」
レビットさんの号令で俺達は川に入る。
水は冷たいが、長く入っているわけではない。筏の上で漕ぐ櫂の動きに合わせて俺達は筏を引いて泳ぎだした。
いくら流れが緩やかでも真横には渡れないからな。斜めに下流に移動すると川の流れも利用できると言うことはあまり知られていないんじゃないかな。いや、経験で分かってるかもしれない。
そんな事を考えている内に、川岸がようやく見えて来た。
筏を押したり引いたりしている連中にも見えてきたらしく、少し筏の速度が上がったように思える。やはり早く冷たい川から上がりたいのは同じなんだろうな。
川岸に乗り上げるように筏が着くと、筏の荷物を河原に下ろして、筏を少し沖に押し出した。上陸したことがばれないようにしておかねば、後が面倒なことになりそうだからな。
先に上陸した騎士が、装備を整えた姿で俺達を案内してくれた場所は、黒い布を周りにめぐらした焚き火だった。カゴから衣服を取り出して急いで着替えると焚き火に寄って体を温める。
小さなカップにワインを貰って、体の中と外から温めていると、誰かが俺の肩を叩く。
思わず、顔を上げるとラディさんとミューちゃんが立っているぞ。
「エミルダ様が、レーデル川を越えるのは今夜だと言われまして、我等がやってきました。荷車が3台ですが、どうにか乗れるでしょう。軍馬も余分に運んで来たようですし、軽装歩兵の中には乗れる者もおるようです」
「助かりました。尾根伝いに狼の巣を目指す外に手は無いと考えてましたから」
近くの軽装歩兵に、オブリーさんと分隊長を集めて貰う。
やって来たオブリーさん達にこれからの行動を簡単に説明する。
「荷車で荒地を超えると?」
「ああ、そうしないと夜が明けそうだ。早くに出発したい。空の馬を軽装歩兵の中で馬に乗れる者に渡せば、荷馬車の荷が軽くなる」
俺達を待っていた荷馬車の御者はネコ族の男達だ。安心して暗闇を走らせられる。
荷馬車の後ろを騎馬が進めば、周囲が全く見えないわけでは無いからだいじょうぶだろう。
先頭をラディさんが馬に乗って進み。その後ろを荷馬車と騎馬隊が交互に続く。最後尾はトーレルさんが付いてくれた。
早足程度の速度で、荷馬車が荒地を進むから、荷台の俺達はしっかり掴まっていないと振り落とされそうだ。
峠のふもとにある砦の灯りが見えたところで短い休憩を取ると、後はひたすら荒地を北上する。アルテナム村を過ぎる頃には東の空が明るくなってきた。
この先は俺達の版図だから、もう少しで帰り着くぞ。
関所を過ぎて坂を上ると、アルデス砦が大きく門を開いて俺達を迎えてくれた。
砦の守備兵は軽装歩兵達だ。手早くやって来た兵達を宿舎に案内してくれる。どうやら、兵舎を建て増しして2階建てに作る最中のようだが、先ずは開いている兵舎で、一眠りさせてあげよう。
オブリーさんと分隊長を集めて、砦の奥の広間に案内する。
扉を開けると、そこには主だった連中が席に着いていた。椅子が足りないので大急ぎで掻き集めているぞ。
「トーレルとバンター。クレーブル王国より義勇兵を募ってきました」
「ご苦労。先ずは座ってくれ」
ザイラスさんがオブリーさん達に席を勧めると、俺とトーレルさんもいつもの席に座る。
簡単に分隊長の名前と元の部隊を紹介したところで、俺達の目的が一応達成されたことを告げた。
「クレーブル国王夫妻に合うことができました。例の書状はアブリートさんに預けました。こちらの意を理解して頂けたかと。これはお妃様より、王女様へと預かりました」
貰った小箱を王女様に渡すと、直ぐに小箱を開けた。中から出てきたのは綺麗なイヤリングだ。中を確認して王女様がうやうやしく小箱を掲げて頭を下げると、後ろのマリアンさんに預けている。
「6個分隊であれば、我等の戦力がかなり充実するぞ。バンター、次の手はどう打つのじゃ?」
「直ぐには使えません。先ずは弓と石弓を練習して貰いましょう。我らの戦は機動戦です」
「まて! 我等も弓は使えるぞ。今更、弓なぞ……」
お茶を飲んでいたカップをテーブルに置くと、オブリーさんが俺に向かって大声を上げた。
「オブリ―と言ったな。それが必要なのじゃ。ザイラス達でさえ、毎日練習に励んでおる。我らの弓は300D(90m)を狙える。それに、軽装歩兵の使う石弓は使う時の操作が少し面倒になる。何度も練習して直ぐに使えるようにしてほしい。石弓は100D(30m)先のリンゴが狙えるぞ」
オブリーさん達の顔色が変わる。
信じられないと言う思いが顔に出ているぞ。
「残念ながら、本当です。それを使う事で、敵の攻撃が届かぬ場所から相手に攻撃を与えられます」
トーレルさんの言葉は静かに、広間に染みていくように聞こえる。
「では、本当に?」
「我等も最初は信じられぬ話であった。だが、その弓を作り試したところ、確かに我らの弓よりも遥か遠くに届く。石弓で撃つ矢はボルトと言うのじゃが、鎖帷子を貫通するぞ。重装歩兵のヨロイさえ容易に貫く。それらがあればこそ我等はいまだにこの地で暮らしておられるのじゃ」
そんな大それた話なのかな? 命中しやすくした弓と、和弓なんだけどね。
だけど、そんな風にあの弓を見ているなら、俺もこの居場所を放り出されることは無いだろう。
行き場所が無いから、直ぐに路頭に迷ってしまうのがオチだからね。
「遠路やって来てくれたのじゃ。聞けば昨夜から眠っておらぬそうではないか。先ずはゆっくり休んでほしい。夕刻にささやかな宴を開こうぞ」
オブリーさん達をグンターさんが部屋に案内していく。
俺も、ザイラスさん達に頭を下げて、部屋で休ませてもらう事にした。
久しぶりに、自分のベッドに横になると直ぐに睡魔が襲ってくる。
ゆっくりと眠りの入っていく自分を感じて朝寝に入った。
目が覚めたのは、まだ外が明るい時刻だ。
扉から外の光が差し込んでいるから、昼過ぎには違いない。あまり寝込んでしまうと、夜に眠れなくなるから、体を無理に起こして着替えると部屋を出る。
広間に向かうと、マリアンさんがのんびりと編み物をしている。俺が起きて来たのを見て暖炉からポットを下すと、お茶を入れてくれた。自分のカップにも注いで、2人のお茶会が始まる。
「クレーブル王国の御后様はお元気でしたか?」
「綺麗な御后様でしたね。国王が羨ましく思いました。元気でしたよ。王女様の無事を知って目頭を押さえていました。国王もカルディナ王国への救援が遅れたことを悔やんでおりました。向こうから1個大隊の救援を申し出た位です」
「仲の良い姉と弟でしたからね。私を姉のように懐いてくださいました」
「初めにクレーブル王国との関係を教えて欲しかったですよ。ずっと、南の王国に対する対応を考えていましたから」
「カルディナ王国では誰もが知っていますからね。バンターさんも知っていると思っていたのでしょう」
俺を除いた全員の暗黙の了解ってやつなんだろうな。だけど、少しは作戦が立てやすくなってきたぞ。東と西を考えれば良いわけだ。
テーブルの端にあった地図を広げて、パイプを楽しむ。
「新たな作戦ですか?」
「そろそろ、王女様の我慢の限界が近いんじゃないですか? 適当な作戦をするにしても、相手には手心を加えたくはありませんからね」
そんな俺の言葉に、おもしろそうな顔をして笑い声を上げる。
1年前は、顔色も悪くて深刻そうな表情でいたからな。今は笑えるまでになってきたのは将来に希望が見えてきたからなのだろう。
奴隷に売られそうになった貴族の少年少女も、今では俺達に笑い掛けることができるようになってきた。
そんな連中をみると、俺達の取った行動は間違いではないのだろう。
少しでも俺達の版図を広げ、マデニアム王国の重圧から旧カルディナ王国の民衆を助けてあげねばなるまい。
いよいよ王都へ圧力を掛けるべきか……、それとも、北の砦ともいうべき城塞都市を対象にするか……。
やはり地図だけではダメだな。王都と城塞都市の概略図が是非とも必要だ。