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後日談ー1


 ペンをデスクに置いて、立ちあがると暖炉でパイプに火を点ける。

 パイプを口に咥えて窓際に歩いた。

 遠くに見えるアルデンヌ山脈の高峰はすでに白いベールで覆われている。

 

 かつてのシルバニア王国の地に作られたアルデンヌ・アカデミアは、今では500年の歴史を記録している。大陸中央部屈指の学問の頂点と言っても良いだろう。

 創設者の名前と彼の教えは今も残っている。かつてアカデミアの玄関口に置かれたモニュメントはガラス製の展示棚の中で今でも見ることができる。

 今のモニュメントは3代目らしい。少しずつ大きくなっていはいるようだが、書かれた文字と彼の名はオリジナルを忠実に模して刻まれている。


『たゆまぬ探求を胸に、目を外に向け、民に奉仕せよ。シルバニア王国建国2年。ヤグート・バンター』

 

 この句は、歴代のアカデミア学長が新たな学員となった者達、それに毎年巣立っていく者達に向けて発する言葉でもある。

 果たして、その真意を皆は汲み取ることができただろうか?

 形骸化した言葉にも私には聞こえてくる。


 よわい60に達した私は、すでに講義の多くを助手に任せている。来春からは助手を教授に推薦して私は学府を去ろうとしているのだが、この連邦の歴史をまとめる作業に大きな支障があることが少しずつ見えて来た。


 連邦設立からの歴史書はかなり詳しい記録が残されている。ひとえにアカデミアの記録がそれだけ充実していたことによるのだが、その前の記録がかなりあいまいである。

 連邦設立から50年前にさかのぼることが極めて困難なのだ。

 今はシルバニア地方と言われる、古のシルバニア王国建国が全ての端の発祥とは、歴史学者の誰もが言う言葉である。

 

 群雄割拠の小王国間の争いで、カルディナ王国が滅亡し、数年後にシルバニア王国が建国された。サディーネ女王が初代の統治者であり、ヤグート・バンター殿はその伴侶であることは記録に残されている。

 その辺りから、急速に周辺王国が連合化へと進んだらしいのだが、それを行えるだけの能力がバンター殿にはあったのだろうか?

 

 不思議なことにバンター殿の姿絵や像は一つも作られていない。

 その容姿は、我等と異なり東方世界の住人と似ていたと言い伝えにはある。彼の正式な衣装は騎士では無く、全身黒ずくめのゆったりした衣装であったとも伝えられている。

 伴侶以外に優秀な影のブレーン組織を率いていたのだろうか……。


 コツコツと小さなノックの音がする。


「どうぞ。開いていますぞ」


 扉が開き、老人が姿を現す。

 私が師事していた、老歴史学者のバウゼン博士だ。

 窓際から老人の元に歩き、博士の手を取って暖炉前のソファーにいざなう。その時気が付いたが、博士は1人ではなかった。うら若い女性を伴っている。


「お嬢さんもお掛けください。ところで、アカデミアの学員ですかな?」

「孫娘のマリーシャじゃよ。修道院で神学を修める身なのだが、ワシを気遣って出て来たのじゃ。今日は、ワシがアカデミアの歴史学教授であるトロイア博士を訪ねると知って付いてきたのじゃが……」


 ハウゼン博士の紹介に、私に向かって小さく頭を下げる。

 学員では無く、神官見習なのか……。道理で顔を知らなかったはずだ。

 だが、教団の者が私に会いたいと言うのも気になる話だ。どちらかというと、教団の教えは虚構の中にあるように思える。奇跡の数々は現実的ではない。

 私の仕事は、現実的な目で過去を見つめること。両者が同じ道を進むはずはない。

 

「先月、教団の書庫でこれを見付けました。トロイア様の参考になればと……」

 

 マリーシャ嬢が、鞄の中から布包みを取り出して、テーブルの上に乗せると、細い指先で包みを解く。

 現れたのは、書物のようだ。だが、現在出回っているような装帳ではない。古色蒼然とした物だが、いったい何の書物なのだろう。


 ふと、書物に記された記述に目が行った。

 KLE448-SIL5、それに小さな署名はエミルダ……。

 驚いてマリーシャ嬢に顔を向けたが、言葉が出ない。


「お主も驚いたであろう。ワシはそれを読んだ夜は一睡もできなかった」

「これは、本物なのですか?」


 最初に訪ねたのは、この書物の真贋だ。これに類した手記や年代記は数限りなく存在する。


「本物ですわ。紙の質も、綴じ方も、インクさえ私どもが使う物ではありません。遥か東方より当時取り寄せたものだと推測します。当時使われた公式文書も同じ紙、インクが使われています。本物ですよ」

「署名も疑う余地が無い。最初はワシも疑ったのじゃが、巻末の文で謎が解けた。シスター・エミルダ殿、自らが日記を書き写したようじゃな」

「ですが、日記を書き写す等ということを行うのでしょうか? 私にはその行動自体が偽物を暗示しているように思えます」


 たとえ本人が行った事でも、後にそれを写す時に、都合よく改ざんすることも考えるべきだろう。


「あえて、書き写したものと私は考えました。当時の書物で現存しているものは羊皮紙に記載したものだけです。当時の王国で作られた紙は200年も経過すればボロボロになってしまいます。その原因も今では判明しているのですが……」


 粗悪な製紙技術だったためだろう。植物繊維を酸で溶かし、型に流した方法では長期保存は不可能だ。

 貴重な資料等は、定期的に模写する必要があり、現在も教団の修道院には専門の模写を行う神官がいると聞いている。

 だが、この紙は先ほどの話では当時のものであると言うことになる。どんな手段で紙をすいたのであろう。

 それに、このインクも我等の使う物とは少し異なっているように思える。水をこぼした跡が見受けられるのだが、その下に書かれた文字は滲みすら無いのだ。


「中を拝見してよろしいでしょうか?」


 私の言葉に2人が頷いたことを確認したところで、書物を手元に移動して恐る恐る最初のページを開いた。


『××月○○日。大神官よりカルディナ王国滅亡の知らせを受けた……。

 ×△月○◇日。新たな騎士団への派遣を打診される。アルデンヌ大聖堂騎士団とは、あの大聖堂を意味するものであるのか、それとも……』


「これは!」

「アルデンヌ大聖堂の初代管主を務めたエミルダ様が、教団政庁からの出発する前から、第2代管主を任命した月日までを網羅しています。間が飛んでいるのは、平穏な日々が続いていたと言うことでしょう」


 日記というよりも、後世へ残すための備忘録に近いもののようだ。

 この記述を元に、エミルダ殿は建国記を書こうとしたのではないだろうか……。だが、それが伝わっていないことを見ると、思い半ばにして亡くなったと言うことになるのだろう。

 本物だとすれば、今までの歴史感が変わることも予想される。近代稀に見る発見ということになるだろうな。


「なぜ、私に?」

「教団は英雄としてバンター様を讃えています。数々の奇跡を成し遂げた人物として……。でも私は、王国が滅亡した後に、ただ一人生き残った王女を、仲間と共に懸命に守り抜いた1人の男性に思えてしかたがありません。神の使いとしてのバンター様は教団がこれからも伝えて行くつもりです。ですが、1人の人間としてのバンター様を伝えるのは……」


「私達、歴史家の仕事ということですね。私はバンター殿が本当にいたのか、今でも疑っています。残された数々の仕事を考えると、何人ものバンター殿が見えてきます。その考えをまとめていたところだったのですが……」

「はっきり言おう。バンター殿は1人だった。英雄であり学問の天才であり、いまだかつてない軍略家でもある。かつてワシも、お主と同じことを考えたことがある。バンター殿の周りには天才が何人も揃っていたのではないかとな。天才を自由に使いこなせる者もまた天才だと思っておった」


 我が師であるバウゼン博士も同じ思いであったとは驚きだ。私もどうにか師と同じ場所に立ったと言うことだろう。だが、さすがは我が師だけの事はある。それぞれに突出した天才を操った人心掌握の天才と見ていたということか。


「一読して我が思いを破られたよ。その書に描かれたバンター殿は、広い知識を惜しげも無く我等の祖先に教えた教師のような人物だった。たった1人難を逃れた王女の為に東奔西走を繰り返しておる。その姿が見えるようじゃ、まるでアカデミーの教授がそのままあの時代に流れついたかのような行動をしておる」

「ある日、テーブルの上に突然現れたと記述がありました。それは初代聖堂騎士団の団長であるザイラス殿自らの証言であり、ザイラス殿はその場にいたとの記載があります」


 長年の謎がこの書物で開かされることになる。やはりバンター殿は時間を超越してあの時代にあらわれた人物なのであろう。


「今でも、転移魔法はあるのでしょうか?」

「禁忌の技として伝えられておりません。トロイア博士の疑問は教団も、かつて疑問としたことですが、シルバニア王国建国以前にすでに禁忌とされていたようです」


 だが、世界に目を向ければどうだろう。かつてその技があったと伝えられている。自分達と人相風体が異なる人間を受け入れたとなれば、時間を越えて転移移動した人物を哀れに思っての事かもしれん。


「それも重要かもしれん。だが、バンター殿の教えを受けて、数学が一気に花開いたことも忘れてはならん。虚数の概念、幾何学、さらには医学、農学、工学……。全てにおいて其の礎にバンター殿の名があるのだ。天文学に至っては、全てはバンター殿が始めたと言っても過言ではないだろう。1日を24時間としたのも彼の考えじゃ。不思議なものよのう……。何故に10時間ではいけないのだろう。何故、1時間を100分としなかったのであろう」


 ハウゼン博士は一度この書物を読んでいるはずだが、そこには今の答えが書かれていなかったということだな。確かに疑問ではある。何故に中途半端な区切り方をしたのか、今でもたまに学員の質問があるくらいだ。


「暮らしに役立つすべをバンター様はエミルダ様達に教えてくれたそうです。それも段階を踏んだと記載がありました」

 

 マリーシャ嬢が、侍女に頭を下げて礼を言う。丁度、侍女が私達にお茶を運んできたところだ。

 お茶を一口飲んで、頭を整理する。バンター殿の傍にいたエミルダ殿の手記であるなら、その価値は計り知れないものがある。

 だが、数学者や物理学者達とサロンで話したところでは、バンター殿のもたらした教えには、『何故』という証明部分が抜けているそうだ。

 概念と結果が、あの時代にもたらされたと言うことになる。それがなぜ正しいかを、後世の学者が懸命になってつきとめたと言うことだ。

「まるで、私の講義を受けた者がそのままあの時代にあらわれたようだ」

 老数学者の言葉は今でも覚えている。


「時代と空間を越える魔法、いまだに見つかっておりません。宣教師や伝道師が世界中の魔法を聖堂教団に送ってはくれるのですが……」

「今の時代の人間が、当時に現れたら……」

「たぶん無理であろうな。群雄割拠の時代、それも王国の滅亡に際して逃走した王女達をどのように組織すれば王国の再興ができるのか……。それに数十年後には周辺王国を巻き込んで連邦制に移行している。それなりのカリスマを持っていたということじゃろう」


 とはいえ、私も若い頃にはそれなりに体を鍛えたことも確かだ。

 禁忌の転移魔法がいつどこで見つかるかも分らない。もし見付けられたなら……。

 それは、連邦の男子が一度は思い浮かべることに違いない。ましてや私は黒髪に黒い瞳だからな。


「トロイア様は後世の私達の誰かが、禁忌魔法であの時代に行ったと考えておられたのですか?」

「違うのですか? このアカデミアの創設はどう考えても、バンター殿と同レベルの若者に育てる学府であると常々考えているのですが」

 

 メリーシャ嬢の言葉に、思わず聞き返してしまった。

 教授達の会合でも、度々この手の話は話題に上がる。そんな会話を聞くたびにその思いは強まっているのだが……。


「ワシも昔はそう考えたものじゃ。だが、バンター殿のもたらした知識はかなり広い。それにあの時代の戦にも参加しておる。アカデミアの学員がそれを行うことが可能と思うか? それに、年齢が合わんじゃろう」


 ハウゼン博士の言葉に思わず唸ってしまう。アカデミアの学員は20歳をとうに過ぎた者達だ。バンター殿の伝えられる話では、戦の最中に20歳を過ぎたことになっている。

 そんな若者が果たして王国の再建の旗を振れるのだろうか?

 バンター殿が、虚構の中に存在すると言われるわけはそこにあるのだ。


「先ずは読んで見ることじゃ。今までのバンター殿のイメージが変わって来る。それを読む限りにおいて、アカデミアの学員に選ばれる前の候補生ではないかとワシは考えておる」


 アカデミア候補生であれば、選考試験を控えて広い知識を持っているだろう。学員となると学問の専業化が始まってしまうからな。……なるほど、それは盲点だった。


「……でも、なぜこれを私に?」

「マリーシャでは宗教上の問題があろう。聖堂騎士団の創設者であり聖騎士と称されているバンター殿は教団の教義の中に今でも生きておる。それに、バンター殿の実像を伝承と比較して世に示すには、ワシは年を取り過ぎた」


 聖堂騎士団に属さないバンター殿ではあるが、教団の聖騎士として位置づけられている。これも私の興味の1つではあるのだが、そういうことか……。聖人の世俗化は教団としては許し難いと言うことだろう。

 我が師であるハウゼン博士の場合は、この書物と歴史書の対比を考察する時間が無いと言うことになるのだろうか。

 

「できるか?」

「ライフワークとして取り組みましょう!」

「なら、もう1つ。トルニア市も訪ねてみるが良い。断片ではあるが、バンター殿の記録があるはずじゃ」


 トルニア王国とシルバニア王国が争った記録は残っていない。当初から連邦形成に力を注いだ大国であるとの説が一般的ではあるのだが……。


「何度も資料庫を訪ねましたが、王国史に興味を持つ内容はありませんでした」

「当時の歴史書だけを見るのは問題じゃな。当時の人物が残した日記を探すべきであろう。バンター殿と接触したであろう人物はたくさんいる。その中で、バンター殿が注目した人物の名がハーデリア殿じゃ。書物に書かれているぞ」


 確かに日記であれば、改ざんの余地は無いだろう。問題は当時の日記が残されているかどうかになる。とは言え、エミルダ殿の書かれた書物が残されている以上、希望はあると言うことになるのだろう。

 そこから導き出されるのは、偶像化したバンター殿では無く、シルバニア王国を必死になって他国と肩を並べられるまでに努力した青年の姿が見えるのだろう。

 黒歴史とも言われる連邦形成の数十年前にさかのぼることができるのだ。


 よろしく頼むと言い残して、我が師は孫娘を連れて帰って行った。

 手元には、少し黄ばんだ装帳の書物が1冊、テーブルに乗せられている。

 先ずは読んで見よう。

 グラスにブランデーを注いで、暖炉のソファーに戻り書物を手に取った。


・・・ ◇ ・・・


 むさぼるようにエミルダ殿の書物を読み終えると、窓の外を眺める。

 どうやら、一晩以上読みふけっていた感じだな。薄明時のアルデンヌ山脈が黒々と見える。朝日に白く頂きが輝くにはもうしばらく時が必要になるだろう。


 エミルダ殿の残した書物からうかがえるバンター殿は、中々の好青年に見える。

 やはり、バンター殿は1人だったと言うことか、昨日まで執筆していた私の論文は無駄になってしまった。

 それにしても……、バンター殿はどの時代からやって来たのだろう?

 遥か東方の出身らしいが、その地方にバンター殿の持っていた知識を教えられるだけの学府は存在しない。

 今では、世界中を飛行機で行けるし、月にも人を送ることができるのだが……。

 さて、当座の講義は無かったはずだ。

 先ずは、トルニア地方に向かってみよう。


 携帯電話を内ポケットから取り出すと、始発の特急電車の予約をする。

 始発は6時らしい。3時間ほどあるから、荷をまとめて向かっても十分に間に合いそうだ。リニア幹線を使うのは久しぶりだが、個室だから2時間は眠れるだろう。

 暖炉で踊っている火をスイッチで消すと、旅行バッグを取り出して荷作りを始めた。

 果たして当時の日記が残されているのかは行ってみないと分らない。

 だが、バンター殿をしてやり手だと言わしめたハーデリア夫人とはどんな人物だったのだろう。

 バンター殿を取り巻く、当時の人物はかなり特徴のあった者達だったようだ。

 改めて名が出る人物も出てくるだろう。そんな周囲の相関図は早めに作らねばなるまい。

 学府の居住建屋を出ると、無人タクシーを拾う。

 朝日がようやく上って来たようだ。

 旅の途中で、アルデンヌ砦の姿を見ることもできるだろう。今では記念館となっているが、バンター殿達がシルバニア王国を起こした居城だ。

 何人もの巨匠がその姿を描いているのは、審美眼が無い私でも理解できる。


・・・ ◇ ・・・


 10年後、私は1冊の本を世に出した。

 表題は『山賊よ、大志を抱け。王国再興を成し遂げるために!』とした。

 手に取る者は少なかろう。

 だが、連邦の設立前に起こったことは、一言でいえば正にこのとおりなのだ。

 さすがに、山賊まがいの事をしていたとは、私も想像できなかったな。マリーシャ大神官殿も絶句していたぐらいだ。


「本当に?」

「ええ、間違いありません……」


 隣国の侵略で滅亡したカルディナ王国の生き残りが、必死になって王国再興に取り組む姿が私の脳裏に浮かんでいた。


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