SA-204 絹糸の輝き
「今年も豊作らしいのう」
「農民が喜んでいるでしょう。フィーナさんとマクラムさんの話では、他国から穀物を買わずに済みそうだと……」
嬉しそうに俺に話を頷きながらサディが聞いている。そんな彼女を見つめるマリアンさんも笑顔がこぼれているな。
食料自給は主食からというからな。ソバやジャガイモはそれなりに収穫ができるけど、毎日それを食べるのはちょっと自信が無い。
それでもソバは巡礼者達には人気があるみたいで、修道院から少し離れた場所に作った宿坊と茶店では、毎日のようにソバを打っていると聞いている。アルデス山脈で捕えたキジやイノシシの肉がトッピングされているのが人気の秘密らしい。
今度は小豆を何とかして手に入れたいものだ。やはりお土産と言ったらお饅頭が一番だからな。
「各国も豊作らしいですよ。小麦を交易船に積んで何隻か遥か西の王国に向かったとビルダーさんが話してくれました」
「西は凶作だったのかもしれんのう。我等も凶作では苦労したが、交易で穀物を手に入れておる。交易が飢餓を救う唯一の手立てかもしれん」
マリアンさんの話にサディが話を合わせているけど、確かに交易が盛んになれば薄利多売という動きも出るだろう。穀物取引はそんな範ちゅうなのかもしれないな。
「ところで、バンターはまだ始めぬのか?」
「絹糸の紡ぎですか? もう少し経ってからにします。まだまだ巡礼の人達がやって来ますからね。初雪が降ったら始めようかなと思っています。ミクトス村ではバルターさんの弟のメイビルさんが準備を進めてますから安心してください」
人目があるとやりにくい事も確かなんだよな。
ミクトス村の山沿いに教室2つ分程の長屋を2つ作ったようだ。1つは事務所と倉庫になり、もう一つが紡ぎ場になる。
紡ぎ手の女性は、昔夜逃げしたところを保護した農家だから俺達にかなり恩義を感じているらしい。
今ではどうでも良い事だと思っていたが、メイビルさんはそれを重視したらしい。でも、きちんと給金は払って欲しいと頼んでおいた。
冬のミクトス村の仕事はあまりない事も確かだ。男達は銀鉱山で働くらしいが、働き手のいない家では細々と編み物をしていると聞いたことがある。
「上手く行くと良いのう」
「色々と試してみるつもりです。そもそも絹を織る糸の太ささえ試作品を作って試そうということになってますからね」
俺達は糸を作るまでだ。後は3つの王国に頑張って貰おう。麻織物から綿織物に現在は発展している。そんな織機の改良技術があるんだからね。3つの王国の中でどの国が最初に織り上げるのか楽しみになってきた。
「そう言えば、この頃ミューちゃんの姿を見ないんですけど?」
「もうすぐ母になりますからね。今は部屋で休ませています」
そう言う事か。いよいよミューちゃんもお母さんになるんだ。最初にあった時には小さかったけど、月日の流れは早いものなんだな……。
「それで、何を贈るか決まったの?」
「マリアンが毛糸で赤ちゃん用の衣服を一揃い作っておるからのう……。家はあるし、旦那はラディの良い部下じゃ」
恵まれてるって事なんだろうな。たぶん俺達はそれに輪を掛けて恵まれているはずだ。
昔の山賊仲間も同じように幸せならば良いのだろうけど、その辺りもラディさんに調べて貰おう。一緒に藪に潜んで敵を待ち構えた仲間だからね。
「本人に聞いてみれば良いよ。昔から姉妹の様に暮らしてるんだからね」
「そうじゃな。生まれて直ぐに必要な物は身内で揃えておるであろう。その後が中々大変らしい」
そんな話も聞いたことがあるな。クリスのお古はサディが黙っていてもあげるだろうから、それ以外の何かって事になりそうだな。
もともとネコ族の人達は山脈を巡る狩りをして暮らしていたらしいから、普段から余分な物を持たない主義らしい。
ミューちゃんも普段が黒装束で、夏冬の服を2つ持ってるかどうかだ。
砦で暮らしてるんだから、もう少しおしゃれな服装をしても良いんじゃないかな? サディが困って俺に相談してきた時には、王都で流行の服と言う事にしておこう。赤ちゃんばかりに目が行って、肝心のお母さんに贈り物はあまりないからね。
数日後に、めでたくミューちゃんはお母さんになった。女の子の赤ちゃんはまるでネコの子のように可愛い。アイリスと名付けられたようだが、クリスが毎日のように見に行っているようだ。
サディとミューちゃんのような関係に将来なるんだろうか?
ティーゲルも一緒に出掛けて、アイリちゃんの頭を撫でてると言っていたから、兄妹のように育つのかもしれないな。
初雪が降ると、巡礼の足も遠のいてくる。
また、厳しいシルバニアの冬がやって来た。大使達はこの冬は全員が自分達の王国に戻るらしい。大使としての任期が切れたのかも知れないな。
来春には新しい大使が赴任して来るのだろう。
「ハーデリア達がいると緊張するが賑やかではあったな。去ってしまうと寂しくなってしまうのじゃ」
「子供が3人いるんですから、どんどん賑やかな砦になりますよ。これからも増えるでしょうからね」
マリアンさんはそんな事を話しながらも、編み物を続けている。
俺はのんびりと地図を眺め、サディは暖炉傍にイーゼルを立てて絵筆を握っているのだが……、今度の作品は何だろう? ヒントが無いと全く分からないんだよな。古い作品は本人も絵の題が分らなくなってるんじゃないかと思うんだけどね。
「上手く紡げると良いのう……」
「やり方を教えて時には驚いてましたが、それなりに糸になってますよ。隠匿村の繭の生産は3度で止めたようですが、それでも小屋に山積です。エイリルさんが冬に間にもう1つ小屋を作ると言ってましたよ」
「ネコ族の人達も、牧畜と養蚕で安定した収入が得られるでしょう。あの地は畑作には向いてませんから」
北西を向いてマリアンさんが呟いたけど、ソバは良くできるんだよな。ジャガイモもそれなりに取れるから、ラディさん達は喜んでくれてるけど……。
そこに、ミューちゃんが赤ちゃんを連れてやってきたから、サディ達の顔が途端に笑顔になる。
一緒にやって来た、クリス達も俺達がいる暖炉の傍に駆けて来る。
俺の膝にピョンと飛び乗ったクリスはサディにそっくりだな。ティーゲルの髪と目がブラウンなのは俺に似たせいなんだろうか?
聡明な顔をしているとマリアンさんがべた褒めしているんだけど、俺にはちょっとおとなしすぎるだけに思える。
お姉ちゃんがあんなだと弟はおとなしくなるんだろうか? ザイラスさん達のところと比べても、あそこは両親が特殊だし、トーレルさんのところはしっかりと奥さんが子供を躾けているらしい。
「クリスも妹ができて嬉しかろう?」
「うん。私が抱っこすると直ぐに眠るんだよ」
サディに嬉しそうに答えてる。
ネコ族だからねぇ……。でも、大きくなったら旅に出ることになるんだよな。長老達が1度はアルデンヌ山脈の旅をさせると言っていたし、ネコ族としての団結力と精神力もその旅で培われることになる。
それに、忍者集団としての身体能力は、2年ほど掛かる旅によって磨きが掛かることも確かなようだ。
ミューちゃんも俺達と一緒になるまでに数回の旅を経験していると教えてくれた。
子供達が増えたから、ちょっと寒いけど広間から出て中庭に面したベンチに座りパイプを楽しむ。
軽装歩兵の連中が中庭で丸太相手に片手剣を振っている。
いつも練習をしているから、たいしたものだ。俺なんかいつの間にかさぼり癖が出てしまい、1日おきの練習で、それも直ぐに終えてるからな。
この砦の守備兵は軽装歩兵が2個分隊とラディさん配下の忍者部隊が1個分隊程度なんだが、それ以外に魔導士のお姉さん達もいるし、下働きをしてくれるネコ族のおばさん達もそれなりに戦えるらしい。
小さな砦で良かった気がする。王都のような場所に作る城では大勢の人で溢れている事だろう。俺にはそんな環境で暮らす自信がない。
「バンター殿もどうですか?」
「いや、止めとくよ。俺は1日おきで丁度良い」
誘ってくれた分隊長は、俺の答えを聞いて苦笑いを浮かべている。
まじめな人だからな。俺がさぼっているように見えたに違いない。それでも、ここに来る前の身体と比べるとかなり筋肉質に変わっていると自覚できる。半日の行軍に根を上げそうになっていた足腰も、今では野山を駆けまわれるほどに強くなってるからな。
さて、そろそろ広間に入ろうかと思っていると、門が開き荷馬車が中庭に入ってきた。通常の荷馬車だが10日もすれば雪に埋もれてこの辺りでは使いも荷ならなくなるだろう。
微妙な時期の来訪者は誰なんだろう?
御者が下りて、荷車から荷を下ろし始めたので急いで広間に戻ることにした。ここで立ち話は季節的に風邪をひきそうだからね。
暖炉に焚き木を注ぎ足して部屋を暖めて待っていよう。
来訪者を知らせると、ミューちゃん達が子供達を引き連れて2階のリビングに移動していく。
サディが残念そうに子供達を見送ると、俺の方に振りかえった。
「誰じゃろう?」
「さあ……。荷馬車でやって来たから、急な知らせでは無さそうだけどね」
バタンと広間の扉が開いて、2人の男が大きな革袋を背負って入ってきた。
メイビルさんと彼の長男だ。と言う事は……。
「バンター様、出来ましたぞ。とりあえず、3種類の太さの物を、12束ずつ運んできました。この種類で現在も糸を紡いでいますが、早めに統一してくださると助かります」
テーブルの上にドサリと乗せられたのは、まぎれもない絹糸だ。
純白の光沢を見て、サディとマリアンさんの目が輝いている。