SA-200 繭を見付けた!
小雪が降りしきるアルデス砦に、クレーブル王国から荷馬車がやって来た。
かなり急いでいたらしく、始めてみる2頭立ての荷馬車だ。
砦を守る機動歩兵に案内されて広間に入って来たのは、あの時の商人達だった。
「ようやく手に入れましたぞ! まったく遠くまで出掛けてしまいました。とりあえず200個を運んできました。綺麗な繭ですがこれをシルバニアはどのようにお使いになるのですか?」
テーブルに布に包んだ木箱が置かれると、直ぐに当番の機動歩兵に外の通路に出すように言いつけた。
「そうですね……。上手く行けば来年の秋には分かるでしょう。楽しみに待っていてください。交易の品が増えるかも知れません」
ブランデーのグラスをミューちゃんに運んで貰い、とりあえずは乾杯だ。
たぶんかなり東方に行ったのだろう。となれば……。
「漆は見つかりましたか? それと陶器も手に入れたのでは?」
「分かりますか……」
商人達が互いに顔を見合わせて頷いている。
「陶器は素晴らしい品です。木箱に3箱を購入できました。お茶のカップをお譲りいたします。それと……、漆は小さなタルで購入しました。螺鈿の作り方を教えて頂ければと」
「精密な加工ができる細工師を探してください。木に模様を掘って、そこに貝殻を埋め込みます。埋め込まれていたのは貝殻ですよ。南洋にはあのような綺麗に光る貝が取れるんです。それを接着するために漆を使います。貝を張ってさらにその上に漆を塗り、最後は炭で磨くと、貝の模様が浮き出てあのような品になります」
漆を乾かすには湿度がいることをついでに伝えておく。さて、大まかには教えたから後は職人たちの工夫で何とかなるだろう。
「ひょっとしてバンター様は陶器の作り方もご存じでは?」
「おおよそは知ってるけど、それは先の話になると思う。全部が全部シルバニアで作るというのも問題だろうね」
「そうじゃな。先ずはその価値を確認して友好王国との協調も考えねばならん。螺鈿だけでもかなりの譲歩じゃと我は思うが?」
隣で商人の話を聞いていたサディが諭すように話すと、さすがに商人達もおとなしくなる。
サディの考えに俺も賛成だ。登り窯と陶土に釉薬があれば何とかなるはずだが、それがどんな物なのか分からないのが実情だ。
蚕の飼育が軌道になってからでも遅くはあるまい。
それに一度大海原に出てみたい事もある。
「確かに我等が独断でした。王国間の協力があればこその交易です。我が形を見ずとも子供達が見ることができるでしょう」
「それだけで一大事業になるでしょうね。俺も直ぐには出来るとは思っていませんよ」
それでも、可能であるとの感触を得たことに、彼等の顔に喜色が浮かぶ。
繭の数が2倍ということもあり追加の支払いをしようとすると彼等は慌てて辞退する。
「とんでもありません。向こうでは銀貨数枚の値段でした。私共が気前よく支払うと喜んでいましたから、本当はもっと安い値段だったのでしょう」
「だが、俺にとってはありがたい。万が一、上手く行かない場合は再度お願いしたいのだが」
俺の言葉に頷いて、2人の商人は帰って行った。
さて、いよいよ一大事業の始まりだ。
すでに準備は終えているからな。来春の桑の芽吹き狙って、孵化させてみるか。
「何やら企んでおる顔じゃな。上手く行くのか?」
「さぁ……。こればっかりはやってみないと分かりません。俺が育てたのはかなり大きくなってからでしたからね。今回は卵から孵すことになります」
俺の言葉にサディとミューちゃんが通路の方に目を向けている。
ひょっとしてヒヨコを孵すと思ってるのかな? いたずらされない内に隠匿村に運んでおこう。
・・・ ◇ ・・・
「これが、シルバニアの将来を決めると?」
「最初から上手く行くとは思ってません。先ずは孵化させて繭を作るまで、じっくりと見守ってください。これが、育て方をまとめたものです」
長屋風のログハウスは長さが20m近い。棚を3列2段に作ってあるのだが、この建屋以外にも2つあるからかなりの蚕を飼育できそうだ。
「脱皮を4回するのですな。最後は口から糸を吐いて繭を作ると……」
建屋の入り口近くにあるテーブルをラディさん以外のネコ族の者が数人囲んでいる。
俺がテーブルに置いたメモを眺めながら年嵩の男が呟いた。
「彼は、エイリルという者です。この事業をまとめるように長老から仰せつかっています」
耳元でラディさんが小声で教えてくれる。
長老も、この計画に賛同していたからな。責任感のある者を割り当ててくれたに違いない。
「2回脱皮すればかなり容易に育てられます。問題があるとすれば孵化から最初の脱皮辺りでしょう。餌を細かに刻んで与えなければなりませんから面倒ですよ」
「それ位は何でもないが……。本当に蛾の繭を得ることでネコ族の村を繁栄させることができるのか?」
確かに疑いたくなる話だが、そこは俺を信じて貰う外に無さそうだ。
「この仕事を行う者達の働いた日数分を、アルテナム村の日雇い日当相当でお支払いします。軌道に乗ればそれを遥かに超える日当の支払いができると思いますよ」
ちょっと納得してないみたいだけど、これは繭の価値を知らないからなんだろうな。
「ですが、本当に我等だけにこの仕事を任せて頂けるのですか?」
「他の村で行ったらたちまち周辺王国が始めてしまいます。蚕の飼育で繭を得るまでの作業は秘密にしてください。他の村や町には繭から糸を得る仕事を任せます。その糸を使って布を織るのはシルバニア王国以外の仕事になります」
分業の中の分業で飼育技術の拡散を防止する。糸作りも出来ればミクトス村だけの仕事にしたいくらいだ。
雪深い山村では、貴重な現金収入になるからな。
「北に村にある蒸留所で、この作業は隠れてしまいますな」
「蒸留所は北の砦にも将来は作られるだろうけど、当座は北の村だけだ。熟成しない2番搾りはかなり売れてるらしいよ」
「ワインの5倍の値で取引されているようです。熟成は2年を目標でよろしいのですか?」
「1年で半分、2年目に残りと言う事で良いでしょう。10倍と15倍を予定してますよ」
そんな俺の言葉に、集まったネコ族達の顔がほころぶ。
彼等には2年物を販売するときに、1タルを分け前として受け取ることができる。俺達王族には2タル。残りのタルは販売されるのだが、各王国には6本のビンを贈れば良いだろう。色々とねだってくるんだよね。
「にわかには信じられん話だが、あの酒を欲しがる商人は多い。あの繭もそうなんだろうが、出来た時にはどのように?」
エイリルさんの心配は北の村と言う事では、いずれ分かってしまうと言う事なんだろうな。
「だいじょうぶですよ。考えがありますから」
すでに対策済だと言う事で、ホッとしたような表情を俺に向けた。
繭の移動を冬季にすれば済む事だ。その為には繭の中のサナギを殺す必要があるんだが、熱湯に短時間浸せばそれで済むし、表面のゴミを取るにも都合が良い。
長い冬に糸を紡いで貰うのは、ミクトス村の農家の仕事になる。
「後はお任せします。桑の若葉が出て来たら部屋の温度を上げることで孵化が始まるでしょう」
「最初は若葉を細かく切って与えるのですな。お預かりします。……シルバニアの骨格ともなる事業に我等ネコ族を加えて頂き感謝しますぞ」
確かに国家事業になるんだろうな。いや、更に大きな王国間をまたいだ事業になるだろう。とはいえ、永続するわけではない。いずれ化学技術が発展すれば廃れる事にもなるだろう。
その間に、次の基幹産業を見付けることになるわけだが、大学と変人集団を上手く使えば何とかなるだろう。
エイリルさん達に別れを告げて、アルデス砦へと帰ることにした。
俺の乗るカナトルの鞍に、いつの間にか毛糸玉が10個程入った袋が乗せられていた。
マリアンさんとミューちゃんへのお土産かな?
いつの間にかミューちゃんは編めるようになっていたけど、サディはさっぱりなんだよな。何となく予想が付いてたけどね。
砦に着いたところで、広間で一服を始めると直ぐにミューちゃんがコーヒーを持ってきてくれた。
隠匿村でお土産に渡された毛糸玉を取り出すと、みるみる笑顔になる。
「マリアンさんと分ければ良いよ。この間はティーゲルのセーターをありがとう。良く似合って、いつもよりかわいく見えたよ」
「まだまだ練習が足りないにゃ。でも、喜んでくれたら私も嬉しいにゃ」
きっとまた作ってくれるんだろうな。
クリスの物はマリアンさんが編んでくれるんだけど、ティーゲルはミューちゃんが頑張ってくれてる。少しは自分の物も編めば良いと思うんだけどね。
コーヒーを飲みながら地図を眺める。
来年には運河計画を初めて見たいな。とりあえずはアルテナム村を越えたところで良いだろう。街道の橋や途中にある低地の対策、それにあまり高くない丘があるから将来の大工事に対する事前の練習にもなるんじゃないかな。運河の幅も余り広げないで3m以内としたいところだ。深さも平底船を考えれば1m位で十分だろう。
閘門と遊水地。地域の畑への灌漑のための揚水設備……。数十kmの距離だが、色々とやることはあるな。
数年程度を考えていたが、これだけの距離でも10年は掛かりそうに思える。
とはいえ、正確な地図があるからこんな計画も立てられる。測量部隊と地図作りの絵師にはいくら感謝してもしきれないな。