SA-168 ウォーラム王国の動き
危うく撒く種が無くなる位に、ソバを楽しんだ冬が終わろうとしている。
砦の周辺の雪もだいぶ減って、雑草が芽吹いて来たようだ。
北の村では冬の間に生まれた子羊たちが早く外に出たがっているだろう。
そんな小羊達を目当てにクリス達が出掛けて行った。ミューちゃんとレドニアさんが一緒だから安心できるな。
お土産にチーズが欲しいところだ。たまにはチーズフォンデュが食べたいぞ。
「今年の暮れには次が生まれそうじゃ」
「今度は男の子が欲しいですね」
マリアンさんがまだ大きくなっていないサディのお腹を微笑んでみている。俺もマリアンさんには賛成だけど、こればっかりは生まれてみないと分からないからな。
トーレルさんのところは昨年男の子が生まれたし、ザイラスさんのところのジルさんは初夏前には生まれるとの事だ。だんだん賑やかになってくるな。
「フィーネさんも、ようやく縁組が整いましたが、今年は新硬貨の発行と旧硬貨の交換が行われますから、心労で倒れなければ良いのでが……」
「それは、あれじゃな。新しく部下を集めれば良いのじゃ。旧貴族で使えそうな者がおれば良いが、いなければ民間を活用しても構わぬぞ」
どちらかというと、民間から最初に選ぶべきだろう。生き残った貴族がいることはいるのだが、文句ばかりで働く意思は無いらしい。
ザイラスさんが旧王都にいてくれて助かるな。昔の役職を要求して来る貴族は直ちにつまみ出しているらしい。
この砦にも何度かそんな連中が来たらしいけど、下の関所で追い返しているらしい。
今では関所の役割は無くなったが、そんな連中が来るようでは1分隊を受け付け替わりに置くことがしばらくは続きそうだ。
「絹の話は3王国とも同意したようじゃな。さすがにどうやって糸を紡ぐかは分からぬようじゃったが、本当に可能なのか?」
「北の村に植えた桑が全ての鍵になります。桑が生育してくれれば何とかなるとは思ってるんですが……」
「でも、あの雑木のような茎を使って絹の繊維ができるのですか? 私には未だに信じられません」
「やはりそう考えましたか……。たぶん、見たら驚きますよ。あれを食べる家畜がいるのです。その手配も必要ですが、それはまだ先の話です」
家畜と聞いてかえって首をひねっている。
まさか蛾の幼虫だとは思わないだろうな。
「美味しい実がなりますよ。ちょっと色が残るのが難点ですけどね」
染料にどうかと思っているんだが、こればっかりはやってみないと分からない。あの色を定着させるのは難しそうだし、草木染みたいに茶色になってしまいそうだ。
「となると、今年の新規事業は無さそうじゃな」
「一応、この間の綿の種を屯田兵に撒かせようかと思ってます。換金作物としては優れてますからね。100株以上が取れれば良いんですが」
「屯田兵の指揮はトーレルじゃったな。ザイラスよりも民生に秀でておる。大丈夫じゃ」
サディは楽観してるな。確か、生育にはかなり水がいるような話も聞いたことがあるんだよな。
まだ、灌漑用の用水路は工事途中だし、貯水池から汲み出すためのポンプも旧関所で連中が試行錯誤を繰り返しているはずだ。
そんな話をしていると、トルニア王国のハーデリアさんが副官を連れてやって来た。
大使達に広間への立ち入りはいつでも自由と宣言していたから、俺達がいることを聞いてやって来たんだろう。
意外と策士だから、気を付けないといけない相手なんだよな。
「こんにちは。ちょっとご相談があって参りました」
「何でしょう? 俺達に可能な範囲であれば援助は可能ですよ」
俺の言葉に、にこりと微笑むと副官と一緒に俺達の向かい側に腰を下ろした。
すぐに、マリアンさんが魔導士のお姉さんにお茶を用意させている。
「商業ギルドは私達の王国を横に繋ぐ役割を持ってはいますが、各国の商業ギルドの自主性も重視しています。我が王国の商業ギルドから南の船着場を利用したいとの請願が出されました。これはシルバニア王国とも調整が必要です」
なるほど、物資の流通ルートをもう一つ確保したいと言う事だろう。
旧ニーレズムにあるレーデル川の石橋を通るルートは、トルニア本国まで結構な距離がある。
シルバニアの船着場から東の尾根の峠を通る街道ならば、レーデル川の石橋を通るルートよりも、はるかに近くなりそうだ。2、3日は運送日数を短縮できるんじゃないか?
「要求の意味は理解出来ました。ですが、現状は東の峠の先の関所で荷の受け渡しをしている筈です。それを直接と言う事ですね?」
「品を直接取引したいとの請願もあります。文書だけでは商人達は満足しないようですね」
「ならば、ビルダーと調整すれば良い。旧王都にいるはずじゃ。我等は賛成だと言うても構わんぞ」
原則賛成だが、商業ギルド間で調整せよということだろう。
サディの言葉に嬉しそうな表情を見せると、副官に小声で指示を出している。
副官がハーデリアさんに頷くと、席を立って俺達に騎士の礼を取り広間を出て行った。
直ぐに、旧王都に向かうんだろうな。
あそこにはトルニア王国の商館があり、ギルドの代表もやって来ているはずだ。
「ありがとうございます。これで、我が国の荷もシルバニアに運びやすくなります」
「商いは相互にと言う事ですか……。まだまだ食肉の生産は足りませんからありがたいお話です」
交易品の流通だけではない、自国の産業もシルバニアに向けて運ぼうとしていたんだな。全く交渉がやり辛い相手だ。
「まだ、シルバニアに自由に店舗を構えることはお許し願えませんか?」
「北の村とミクトス村以外であればご自由にどうぞ。これは他の2つの王国と同じ待遇です。西にある昔の関所はある意味アルデス砦の表門です。建国時に最初に所領とした場所ですから、この2つの村がある限り俺達はいつでも王国を再建できます」
将来の蚕の飼育にはある程度の秘密が必要だろう。蚕の飼育は北の村から離れた場所で行う必要もありそうだ。
繭が出来たらミクトス村にも協力して貰えば良い。
「絶対防衛圏の考えですね。それに近い構想はトルニアにもありますから、それで結構です」
おとなしく引いてくれたけど、各王国とも10人の派遣だから、その行動はネコ族の人達に常に監視されている。
隠れ里を作るのはもう少し後でも良いだろう。さすがに牧場の中にもう一つ村があるとは思わないだろうしな。
「ところでトルニア王国は、東方王国との貿易で手に入れているのはやはり絹ですか?」
「ええ、そうです。それと軍馬用の馬ですわ。どちらも貴重な品です」
そうなると、絹を巡って商人達の争いが起きそうだな。
やはり、絹織物の一部をトルニアに任せておいた方が良さそうだ。
「まだ、絹の話は国王だけに伝えただけです。国王は直ぐにかん口令を出しましたから、表面上は今まで通りの商いが続いていますわ」
「最終的には品質となるでしょうね。良いものが作れれば良いのですけど……」
互いの王国の話をして2時間程で、ハーデリアさんは帰って行った。
まあ、今のところは問題は無いようだ。
その夜、ミューちゃんが桑に新芽が出ていたことを教えてくれた。
根っ子ごと運んで来た桑はもちろんだが、枝を水に入れて運んで来た物も無事に芽吹いたらしい。
接ぎ木で増やせるならかなり楽になるぞ。
成長が速いから、今年中に小さな畑を作れそうだ。
桑畑の作り方を、記憶を頼りにメモにする。俺が見たのは最終的な形だから、それに合うように接ぎ木で増やせば良い。
見た目は雑木だからな。遠くからでは何の木だか、さっぱりわからないだろう。
後は、桑畑に隣接した隠れ里作りだな。
蚕棚を考えると横長の家になるだろうし、居住する家も必要だ。
井戸や囲いと北の村からの移動も考えなければなるまい。
どこに作るかを地図で探すのも結構時間が掛かりそうだ。
北の村から北の砦までは30km以上あるから、その中間あたりで良いだろうと思うんだが、牧場の柵を更に西に広げなくてはならないだろうな。
それに、水源がどうしても必要だ。
上手く行けば、養蚕と酪農それに木炭の生産も期待できそうだぞ。
1か月に1度は顔を見せるラディさんに、メモを見せながら構想を説明する。
すでに北の村の人口は4千人を超えているそうだ。
「長老達も新たな村を考えていましたから、このメモを使って説得してみましょう」
「お願いします。金貨20枚程度は援助出来ますから、なるべく北の村から直接見えない場所に作ってください。問題は水なんですが……」
「御心配には及びません。アルデンヌ山脈にはかなり水源があります。麓に出て消えてしまう流れもありますから、そんな場所に堤を作り村に引いて来れば水に困ることはありません。金貨20枚は新たな家畜を得るためにも使えます」
ネコ族の里になるわけだ。
見掛け上は北の村に住んでいることになるから隠れ里として機能するにも都合が良いな。
後は、ネコ族の人達に任せよう。
「実は、ウォーラム王国に動きが出始めています。徴兵でかなりの兵士を集め、重税で兵糧も確保しているようです」
「狙いは分らないのか?」
「まだ、そこまでは……。ですが、兵糧の移送は南に向かっているようです。西の尾根は厳戒態勢を敷いていますから、シルバニアへの侵攻であれば数日以上前に察知できるでしょう」
テーブルの上の地図を改めて眺めてみる。
狙いはトーレスティか、それとも……。
「西の尾根の先にあるトーレスティの砦にも一応知らせといた方が良いな。3王国の大使にも知らせておく」
未確認ではあるが、場合によっては面倒なことが起きそうだ。
やはり、ヨーレムと言う事だろうか?