SA-165 トルニア王国の大使
何とかサディ達が絵を完成したところで、俺達の別荘暮らしが終了する。
サディが描いたのはごちゃごちゃした港の風景だし、ミューちゃんが描いたのは青い海と青い空の下を進む小さな船だった。
どちらもとんでもない感性だな。小学生だってもう少しマシな絵を描きそうだ。あまり人目に付かない場所に掲げておいた方が良さそうな感じだぞ。
とはいっても、2人とも完成した事を喜んでいるようだ。互いの絵を批評して褒めているんだけど、どこに褒められる場所があるのか俺には思いつかない。
砦に戻ってほっとした心地だ。やはり別荘は他国だからな。
大山脈に抱かれたこの砦が俺達の故郷に思える。
「あのソバと言う物は、どこで栽培するのじゃ?」
「なるべく荒れた地で育てると美味しくなりますから、北の村とミクトス村が候補地ですね。来春に撒いてみましょう」
食べる物が増えれば、それだけ食事が楽しめるからな。
山村の暮らしがまた少し良くなりそうだ。
「ところで、東の客間は出来たようじゃが、来客は何時頃になるのじゃ?」
「向こうから知らせてくるでしょう。年明け前にはやって来るんじゃないかと思います」
春先から行っていた工事がやっと終わったみたいだ。屋根の高さは砦の石塀よりも低いから、東にテニスコートが縦に2つ出来た感じだな。
あのままではもったいないから、ちょっとしたガーデニングをするのも良さそうだ。花畑なら作れるんじゃないか?
石工達はクレーブルに帰らずに用水路工事を始めている筈なんだが、いったい誰を工事監督にしたんだろう?
用水路は農林業担当で良さそうだな。適任者が決まっていなければ、その辺りで監督して貰おう。
秋も深まってきた頃。クレーブルとトーレスティの2つの王国から大使がやって来た。一応、上級貴族らしいのだが従者を含めて10人という約束は守ってくれたようだ。
クレーブルからは俺と同年代の夫婦、カリバンさんとユーミル夫人、2人の子供と2人の騎士と3人の侍女。
トーレスティからはトーレルさんと同年代のテノールさんとライザ夫人。子供はいないようで、騎士3人と侍女3人を連れて来た。
小型の馬車と馬は砦の外に作った厩舎に入れてある。
後は、トルニア王国だな。旧王都の商館がこの話を本国に伝えているだろうから、1か月もすればやって来るに違いない。
一緒にやって来た騎士は、本国との伝令役らしい。3日ごとに館の広間に集まって王国間の調整を行うと、翌日には砦を出発しているようだ。
代わりに向こうから別の騎士がやって来るから、騎士の顔ぶれは変化している。
「ソバを育てると聞きましたが?」
「ええ、山裾の村では満足な穀物が育ちません。イモ類がどうにかですからね」
「風光明媚な中にも、苦労はあるのだろうな……」
同情してような表情でテノールさんが呟くと隣の夫人も頷いている。
あまり同情されたくはないな。色んな作物を作れば不作の年でも飢えることは無い。肥沃な国土を持つ他の王国には理解できないのかも知れないが。
「その上、開墾も行っておりますな。荒地では……、と思っていたのですが用水路を作るとか。かなり遠方から作るようですが、工事はクレーブルの石工のようです。彼等には荷が重いと思うのですが?」
「用水路のルートはすでに決まっています。測量隊の一部が先行してルートに杭を打っていますから大丈夫ですよ」
大掛かりな用水路等この世界には無かったようだ。
おかげで肥沃な土地が荒地として放ってあるんだよな。灌漑用の水は井戸みたいだから水を使える範囲はおのずと小さくなってしまう。
「では、すでに用水路のルートが決まっていると!」
カリバンさんが驚いているな。
「ええ、レデン川の水車を回すための堰から始まってアルテム村近郊を通り東の砦近くの屯田兵の畑を通り船着場近くでレーデル川と接続させます」
今度は用水路の長さに驚いているぞ。
運河を掘るわけではないから、3年ほどで完成するだろうが、その恩恵を受ける区域は広大だ。これが上手く行けば地図の利便性を各国が納得するだろう。
土地開発は地図あってのものだからな。
砦に常備してある地図を見せると、皆その精度に驚いている。
王国の土地の起伏と町や村の距離、方角がこれで分かるから、大きな土木工事の計画も立案できるのだ。
「遅ればせながら我等の王国も測量を学ぼうとしております。確かにこれがあれば計画を立てることができますな」
「私は国王よりおもしろい話を聞きました。バンター殿は海をも地図に表したいとか……」
「航海の役に立つでしょう。沿岸を巡るよりも、一気に大海原に向かって目的地に向かうのが良いに決まってますからね」
「ですが、それには……」
言いたい事は分かっている。あの時に出会った船長に磁石と望遠鏡を託したが、ちゃんと使い方を理解できただろうか?
常に、自分の船がどちらに向かって進んでいるか、常に太陽が出ているとは限らないし、星が見えるとも限らない。
そんな時に方向を知ることができる唯一の手段なんだが……。
そんな話し合いを3日おきに実施しているんだが、他の王国に利点はあるんだろうか?
たぶん、俺達のお目付け役の任も帯びているのだろう。いまだに火薬の秘密は他国には教えていない。爆弾はウォーラム王国との戦であまり使わなかったから数十発以上が残っているけど、トーレルさんザイラスさん、それにラディさんが厳重に保管しているからこの砦には1つも残っていないはずだ。
「トルニア王国の大使がやって来るそうです!」
いつものように地図とにらめっこをしていた俺に通信兵が教えてくれた。
どうやら、東の関所からの通信らしい。明日にはやって来るだろう。これで4カ国の話し合いが出来そうだ。出来れば現状維持で長く付き合っていきたいものなんだが……。
その夜に、アルテナム村に駐屯しているサンドラさんから、トルニア大使が明日の朝に村を発つとの連絡を受けた。
砦に着くのは昼前になるだろうな。マリアンさんに食事を用意しておいてもらおう。
翌日。朝食を終えたところで、サディ達の絵を見せて貰っていたのだが、いったい何を描いたのか判断に苦しむところだ。
これならピカソの絵の方がマシなんじゃないか?
2人とも、褒め言葉を期待しているようで、わくわくしながら俺の顔色をうかがっているのだが……。
たぶん、油絵なんだろうな。キャンバスの上にいろんな色が散りばめられている。自然の風景でこんな場所があるのだろうか?
キャンバスを横にしたり縦にしたりしていたら、サディが俺の手から絵を奪い取って、「これが正しい向きじゃ」と教えてくれた。
緑のグラディーションが地の色なのだが、そこにちりばめられた色んな色を何と表現したら良いのだろう?
ふと、キャンバスの絵の具の間に見慣れぬものが挟まっている。たぶん色を縫っている間に絵の具にくっ付いたに違いない。
それは、少し色あせてはいるが黄色の花びらだった。
待てよ……。ひょっとして、この絵は風に舞う花吹雪って事か?
たぶん、クリスが広場の花壇で積んだ花を細かな花びらにしてサディの前で放り投げたに違いない。その一瞬の美しさを表現したかったんだろうが……。
ある意味、印象派って事なのかな? そういう目で見れば、サディの審美眼もそれなりなんだろうな。
「綺麗に描かれてるよ。もう少し奥の風景を出しても良かったかな? 花吹雪はクリスのおかげだね」
「そうなのじゃ。我の前にやって来て、いきなり両手から花びらを目の前に散らしたのじゃ。綺麗だったぞ。その感動を忘れぬうちに描いたのじゃが……」
何を描いたのかが理解されたのが嬉しくて笑顔になって教えてくれた。
次はミューちゃんの絵だけど、これも難解だ。
緑のグラディーションは同じなのだが、白い塊があちこちに散らばっている。さすがに花びらでは無いのだろうが……。
そんな絵の中で一際目立つのは、妙に写実的な1本の丸太だ。
ここ数日の間に、ミューちゃんが向かったのは北の村位だろう。となると、この絵は砦近くで描かれたことになる。
砦と北の村でこれに似た風景と言えば……。待てよ、この丸太の上部には打痕があるぞ。となれば杭と言う事になる。
ひょっとして、柵から羊の遠景を描いたって事か?
改めて良く見ると、白い塊は微妙に形が異なっている。これは羊の向きを見るがままに写し取ったに違いない。
写実主義って事になるんだろうな。一切のデフォルメを止めて、見えた景色をそのまま描いたって事か……。
「牧場の羊が良く描かれてるよ。描いた場所まで特定できそうだ。次は至近距離から描いてみると良いね」
「見えた通りに描けって、画家さんが教えt暮れたにゃ。でもちょっと遠いと思ってたにゃ」
ネコ族は正直だからな。写実主義なら一番適してるんじゃないか?
2人ともにこにこしながら絵をしまいに出掛けた。その内、本人も何を描いたか分からなくなりそうな絵だから、裏に小さく絵の題名を描いておくように言っておこう。
継続は力だと聞いたことがあるから、2人とも何年か続けたら、きっと誰もの心を打つ絵を描けるんじゃないかな。
「バンター殿、トルニア王国の大使が到着しました」
「ご苦労さん。この部屋に案内してくれ。陛下はリビングにいるはずだ。こちらに来てもらえるよう伝えてくれないか」
砦の守備隊が俺達の近衛兵になる。サンドラさん配下の機動歩兵1個小隊だが、砦の規模が小さいから十分すぎる数だと思う。
「トルニア王国大使をお連れしました!」
別の兵士がトルニア王国大使を広間に通すと、その顔に驚いた。
「ハーデリアさん?」
「私が初代の大使となります。侍女のレイネスティと侍女が3人、騎士が5人です」
「騎士達は直ぐに宿舎にご案内しましょう。申し訳ありませんが、馬車と馬は砦の外にある厩舎に預けることになります。砦が小さいですのでご容赦ください」
とりあえず座って貰う。
サディとミューちゃんがやって来たところで、マリアンさん達がお茶を運んできてくれた。
まさか、一番の問題だと思っていた人物がやって来るとは思ってもみなかったな。