SA-119 トルニア王国の軍勢
ガシン! と目の前に長剣が振り下ろされる。
かなりの腕前なんだろうな。紙一重で俺を避けている。
ザイラスさん夫妻が立ち上がって長剣を抜こうとするのを、片手で制してガルトネン氏を睨み返した。
「ここで俺を殺めても、この砦を落すことは出来ませんよ。出来ればマデニアムだけで満足して欲しいものですね」
俺の言葉にも、ガルトネン氏は長剣を握ったまま俺を見つめ続けていた。
やがて顔の表情をゆがめると、長剣を食い込んだテーブルから引き抜いて再び席に腰を下ろす。
「智略だけではないようだな。確かにバンター殿の言う通りであろう。我も気乗りはせぬのだが主君の命とあらば致しかたないのも軍人であればこそだ」
「俺達はいらぬ戦をせぬためにこの地を得ることにしました。それは御理解できると思いますが?」
ガルトネン氏の両側に座った連中はジッと俺を見ているだけだ。
幕僚的な存在だと思っていたのだが、全てをガルトネン氏に任せているのだろうか?
「少なくとも西の王国に攻め入る指示は受けておらぬ。我等第二大隊はバンター殿と事を構えることはせぬ」
他の3つの大隊は分らないと言う事だろうか?
そうなると、大隊単位での連携がそれ程取れていないと言う事になりそうだ。
だが、今の言葉を考えると、やはりトルニア王国の狙いは3つの王国を手中に収めると言う事になるのだろう。
その先にあるのは俺達と言う事なんだろうが、それまでには俺達の戦力も充実するはずだ。
クレーブル側にしてもそれが見えているなら戦力の拡充に走る事になるんだろうが、クレーブルには陸戦隊もある。実質には7個大隊を有した軍事大国でもあるのだ。
「さて、茶をご馳走になってしまった。バンター殿の言い分は我が国王にも知らせるつもりだ。若いものがやって来るやも知れぬが、あまり構ってくれるな」
そう言って席を立つ。
去る間際に俺達に向かって体を返すと、綺麗な騎士の礼をするとゆっくりと広間を出て行った。
次の間の扉が開いてバタバタとサディ達が広間に入って来る。
「何じゃあ奴らは?」
席に着くなり怒ったような口調で俺に聞いてきた。
「様子を見に来たんですよ。中々豪胆な人物ですね。多分今夜にでもトルニアの連中で俺達の話をするでしょうから、今夜から戦闘態勢に移行してください。重装歩兵とキューレさん達、それに狼の巣穴にも連絡をお願いします」
「確かに豪胆だな。俺でも敵の指揮官に向かって長剣を振り下ろすことはしないぞ。だが、それで確信したんだろうな。俺達へ手出しは控えるだろう」
ザイラスさんの言葉にジルさんも頷いている。
「クレーブルでは味わえぬ。やはりシルバニアに嫁いで良かったぞ」
相変わらずだな。だけど、大きな衝突にはならないと思うけどね。
ガルトネン氏も、功名心に捕われたような連中が押し寄せる可能性を示唆してくれたけど、そんな者が率いる部隊はさほど多くはないだろう。
「でも、トルニア王国の目的が明確になりましたよ。やはり次はニーレズムを攻略するつもりのようです。となればその次はマンデールになりますから俺達との正面衝突は来年以降と言う事になりますね。新兵の訓練は急務です」
「だが、正面衝突ならシルバニアよりもクレーブルになるのでは?」
ニーレズム国内にあるレーデル川の石橋を渡り切ればクレーブル王国は150km程の長い国境線があるだけだ。荒野に杭を打っただけの簡単な代物だから大軍を一気に押し寄せることは可能だろう。
それに無理に王都を攻略せずとも南部にある貿易港を押さえるだけでクレーブルは投降せざるを得ないはずだ。
だから陸戦隊の半分をいつも港に置いておくんだな。
少し陸戦隊の使い方が見えてきたぞ。
薄く広い防衛線を突破して港に押し寄せる敵軍の横を王都の軍が襲うという考え方なんだろう。
薄く広がった戦線を形作れば、突破されても大きな被害が生じない。そんな部隊が集結して敵の背後を襲うのであれば、包囲殲滅も可能だろう。
マデニアム王国も3か国の同盟軍を使って攻め込んだみたいだが、数を農民からの徴兵で補ったようなものだから、国境線に厚く布陣したクレーブル軍を抜けなかった様だ。
本来の作戦を使わずに済んだと言う事だろう。これはトルニア軍にも伝わっているんじゃないか?
となれば、クレーブルへの侵攻は少し間が空くことになる。
3つの王国を手中にした後に徴兵を行い、訓練を繰り返してからと言う事になりそうだ。
1つの王国の軍隊が5個大隊であることを考えれば、トルニア軍は20個大隊を持つ事も経済的には可能なんだろうが、さすがにそこまで大きくはしないだろう。巨大化した軍を統制することは難しいからな。
それでも10個大隊を超える事にはなりそうだ。そんな軍を跳ね返せるのは爆弾を作る以外に無さそうな感じだな。
「何を考えている?」
「……数年後のクレーブルの災難です」
「我等を襲うのではないのか?」
「クレーブルの後で十分と考えているのではないでしょうか? この砦と南北に連なる柵を見て考えを新たにするはずです。俺達を襲うのであればこの砦を落して街道の山道を西に向かう必要があるでしょうが、それだと兵の屍を並べて山道を越える事になると思ったようですね。他の場所から尾根を越えるならある程度上った時にふもとから火を放てば十分です」
「お前に長剣を振り下ろしてそれを確認したと言うのか?」
「中々の人物です。今回のマデニアム進軍のお目付け役というところでしょうね。全軍の指揮官であってもおかしくはありませんが、指揮官はあまり使えないんでしょう。有力貴族がその任に着いているのかも知れません」
「実質の指揮官と言う事だな。良くある話だ。そうなると本当の指揮官が暴走する可能性もありそうだな」
「それで、最後に俺達に手心を加えてくれと言っていたんです。まあ、来る者は仕方ありませんから、新しい国境である柵を越えたらいくら攻撃しても良いですよ」
いくら攻撃しても良いと聞いて、皆がにんまりしている。
すでに、山賊時代の顔になってるから困ったものだ。
俺達の武器である長弓と石弓が相手に分らない以上、柵を越えたら一方的な戦になる可能性が高いんだけどね。
10日程過ぎると、だんだん暖かくなってきた。
すでに峠の雪も消えたようだが、補給品を運んで来た荷車は泥だらけだ。
街道の平地は敷石が使われているのだが、山道までは行われていない。深くわだちが刻まれた道を直すのは俺達の仕事になるんだろうな。
補給品の目録をマリアンさんが眺めているのを、少し離れた席で見ているとミューちゃんが広間に飛び込んで来た。
「やって来たにゃ。騎馬隊と歩兵が一緒にゃ!」
そう言って広間から姿を消したんだが、どこで見ていたんだ?
「たぶん女王陛下と一緒に尖塔に上っていたのでしょう。まあ、あそこなら安全ですから心配しないで済みます」
半ば諦めたような口調だけど、まさかずっと見張っていたんじゃないだろうな? 近頃あまり広間にいないと思ってはいたんだが……。
「バンター、お客だぞ。やっていいんだな?」
「柵を越えたらですよ。そこはよろしくお願いします」
相手に口実を与えないのが最善だ。前にやって来たガルトネン氏にきっぱりと伝えてあるから、向こうの出方も楽しみではあるな。
「柵を越えたらだな? 跨いだ時には越えようとしたと見なすぞ」
「跨いでこちら側に片足を着いたら、でお願いします。隠れていれば直ぐにそう
すると思いますけどね」
俺の言葉にニコリと笑って広間を去って行ったが、さてどうなるのか……。
俺も、見といた方が良さそうだな。
マリアンさんに、ザイラスさんの様子を見てきますと伝えてると広間を出て、東門に向かって歩いて行く。
待て~……と聞こえてきた声に振り返ると、サディとミューちゃんが石弓を担いで追い掛けてきた。足を止めて、2人を待つ。
「我等も一緒じゃ。マリアンにも伝えておいたから、その内「やって来るじゃろう。それでどこをまもるのじゃ?」
「そうですね……。カタパルトの傍なら問題ないでしょう。ザイラスさん達の様子も良く見れるでしょうし」
街道に3台並べてあるカタパルトは周囲を厚い板の盾で囲ってある。その前には柵まで作ってあるから、ザイラスさん達を越えてやって来てもカタパルトに取り付くには相当無理をしないといけないだろうからな。
敵の矢は盾で防げるから、そこから見ている分には比較的安全と言えるだろう。
カタパルトの傍に行くと、サンドラさんが1個分隊を率いて待機していた。
もうすぐ魔導士部隊もやって来るから、カタパルトの防衛としては十分だろう。
そう言えば、ミューちゃんは敵がやって来たことは教えてくれたけど、規模については何も言わなかったな。
まあ、もうすぐ分かるだろう。街道の先にはこちらに向かってくる土煙が広がっている。
改めて俺達の部隊を見ると、騎士達が盾を並べた後ろに長弓を持って待機している。その後ろには同じように盾の影に機動歩兵が石弓を持って待機していた。
前列が3個分隊で後列が2個分隊だから2個小隊に満たない数だ。ラディさん達も1個分隊を率いてどこかに隠れているんだろうが、この場所からでは全く姿が見えないぞ。
そんな騎士達の前にザイラスさん夫妻が2人で立っている。
度胸があると言いたいが、矢でも射られたらどこに隠れるんだろう?
そこで、柵と2人の距離に気が付いた。およそ100m。この世界の弓で矢が届くのは60m前後だ。少し弓を強めたとしても100mあれば十分ってことだな。例え届いたとしても、威力は殆ど無いと言うことか。
「あれでは良い的になるのではないか?」
「どうやら矢がぎりぎり届かない場所に立っているようですよ。俺達の長弓なら数歩踏み出せば十分な威力があります」
さて、どんな展開になるのかここで見物させて貰おうか。
近くにあった焚き火でパイプに火を点けるとカタパルトの荷台に腰を下ろしてのんびりと時を過ごす。